2008年03月24日

中国三門峡ダムの農民暴動 ; 中国文明のルーツは 太古の日本 だった

■ 今朝のニュースには気になるものがないので

@ 中国三門峡ダムの農民暴動

A 中国文明のルーツ は 太古の日本 だった

を話題にする


◆  中国第二の巨大ダム「三門峡ダム」の農民暴動の原因は党幹部の土地転がし

〜「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成20年(2008年)  3月11日(火曜日) 弐通巻第2119号  から転記 〜

 中国第二の巨大ダム「三門峡ダム」の農民暴動の原因は党幹部の土地転がし

 あれはもっとも愚かな選択だった」と安啓元・元峡西省政協委主席が公言

 世界最大の三峡ダムに関しては、胡北省など下流住民四百万の立ち退き計画があることを既報した。

 上流の重慶では地割れ、地滑りが頻発し、地震が数百回、記録されている。 もし三峡ダムが決壊すれば、下流域は深刻な、おそらく歴史上かってない災害に襲われるだろう。

 峡西省の関中平原に建設された三門峡ダムも、ソ連式ハイドロダイナミックス技術で十三年の歳月をかけた。

ところが近年、農民暴動が頻発し、不穏な空気に包まれている。
立ち退かされた農民の「土地返せ」運動、直訴、地方幹部の弾圧、補償費のごまかしなどが原因であることが分かった。

 三門峡ダムは1955年、毛沢東の命令で建設が決まり1985年に15万人の移転計画が立てられた。

 「黄河の安定。農地の豊饒化」が謳われた。
それまで当該地区の農民は豊饒肥沃な土地に恵まれ農作物収穫は安定しており、全国平均でみると「良い生活」をしていたのだった。

計画では31万ムーの農地が水没予定となるため、強制立ち退きが執行された。しかし「結果は31万ムーを必要とせず、7・4万から15万ムーが水没したが、少なくとも10万ムーが無人の土地となって、農民は返還を求めた。しかし時すでに遅し。当局による『土地転がし』の“商品”と化していた。」(フィナンシャルタイムズ、08年2月27日)

 「詳述記録のある『謂南地区移民誌』に依ると、実際の立ち退きは最終的に73965人だった」(博訊新聞、3月10日付け)。

 「あれはなんら科学的裏付けのない、愚かな選択だった。愚かすぎた」と元峡西省の党幹部(02年当時、省の政治協商会議主席。現在中央の政治協商会議常務委員)の安拝啓元が明言した(前掲フィナンシャルタイムズ)。

(注 峡西省の「峡」はこざとへん)--------転記終わり

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≪ ヤマちゃんおやじの補足 & 雑感 ≫

≪1≫ 中国第二の巨大ダム「三門峡ダム」の農民暴動の原因は党幹部の土地転がし

http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000134.html
から抜粋引用すると、

(1) 三門峡ダム建設とその後
 

・ 新中国のみならず、世界でも稀に見る巨大プロジェクトは、ソ連の技術協力の下に戦前の日本の計画よりもさらにスケールアップして実行に移された。1957年に着工、二年後の1959年には高さ116メートル、長さ1100メートルの堰堤が完成した。

・ 完成と同時に土砂が年間5億〜6億トンという規模でダムに堆積し始めた

・ 中国政府がのちに発表したところによれば、上流域での土砂堆積で100キロ上流の渭水河の河口がふさがれ、さらに上流の古都西安をも水没させる危険が生じたため、三門峡ダムは堰堤完成からわずか二年後に工事が一時中断されることになったという。

その後、1970年代まで排砂対策を含めた改築が繰り返し行われたが、発電能力は当初計画の五分の一のわずか25万キロワットに落ち込み、土砂は貯水容量の半分近く(44%)まで堆積してしまっている。

・ 2003年には上流の陝西省で、三門峡ダムが原因の“小さな洪水”によって23億元という大きな被害も生じた。治水を目的としたダム建設が失敗し、洪水を引き起こすとは皮肉だが、今ではダムの取り壊しすら全国政協の議題に取り上げられるようになっている。

(2) 戦時中に日本も国民政府と共に本三門峡ダムを計画したが実現せず

・ 日本の計画案では、年間輸砂量の半分が夏季、しかも30〜40%が一度の洪水に集中していることから、ダムの上部を可動堰として、洪水時には堰を全開にして濁流を下流域に流す運用を行うことでダムの寿命を延ばすことができると考えていた。

(3) 中国によるダム運用の失敗

・ 中国の当初計画でも可動堰を設け、下部には土砂排出口を備えていた。一説によれば、可動堰、土砂排出口両方とも封鎖し、ただ堆砂に任せていただけだという。

常識では考えられないが、この時期中国では反右派闘争と「大躍進」で専門家が追放されて、農民出身の無学の者が責任者をつとめるなど混乱の極みだった。

三門峡ダムの失敗について中国政府は今でもソ連に責任を転嫁しているが、見苦しいとしか言いようがない。--------引用抜粋終わり

☆ 自らの非を他人(他国)に転化するのは漢民族のお家芸

・ 日本人は、「三門峡ダムの運用の失敗を中国政府は今でもソ連に責任を転嫁して見苦しいとしか言いようがない」と感じるが、これの責任転嫁は、漢民族のお家芸なのである。

・ 中国を相手に丁々発止と長い間やりあってきた海千山千の辣腕家揃いの西洋列強諸国までもが、

自らの非を他人(他国)に転化する中国人の「問題のすり替え」という特異能力には脱帽しているのである


従って中国のこの方面の能力は世界一だということになる。

換言すれば、中国人は、自分の非は他人に転嫁し、他人の功は我が物とする「すり替えの名人」だ

・ 江沢民前国家主席は、お家芸の責任転嫁という漢民族の伝統的特技を総動員して、文化大革命における中国人民の犠牲者3000万人の虐殺をあたかも旧日本軍によるものだと捏造して、全国的に欺瞞に満ちたモニュメントを作り上げ、反日教育,反日活動を強力に進めてきたのである。

この捏造モニュメントに詣でて 江沢民にゴマをする自民党元大物議員Kがいるのは驚きであるが、本人は至って本気である。

・ この江沢民による宣伝の真意を知らずして、日本の首相、政治家、外務省までもが宣伝を真に受けて陳謝するさまは誠に情けない。

(4) ダム運用失敗の後は お決まりの共産党幹部による汚職

・ 「あれはなんら科学的裏付けのない、愚かな選択だった。愚かすぎた」と元峡西省の党幹部(02年当時、省の政治協商会議主席。現在中央の政治協商会議常務委員)の安拝啓元が明言したとあるが、愚かなのは、ダム運用を誤った中国自体だ。

中国とは、常識では考えられない「大躍進」や「文化大革命/紅衛兵」などの蛮行が容易に発生する異様な野蛮国でもある。

これを知らずして、中国に進出し大型投資する企業の知能指数も疑われる

・  ダム運用の失敗を自らの懐を肥やす機会にする共産党幹部の行為など公徳心も何もない国でもある

・ 中国では汚職の話題は多すぎるほどある

一例として、日系企業がある省で自動車工場建設の許可を打診した際に、省の共産党幹部は、許可の見返りに工場で製造する車200台の賄賂として要求してきたと言う。この日系企業は、馬鹿らしくなりこの案件を中止したそうだ。


≪2≫ 中国文明のルーツは太古の日本だった

・ 中国文明は漢民族によるものだと大方の人たちは信じているようだが、実はそうではなかったという有力な説がある。

  ☆@ 後代に支那で出現した哲学、易思想、医学などは、日本から神農氏によって伝えられた

  ☆A 「洪範」、中国占いの原典「河図」、「洛書」は日本に起源がある

  ☆B 漢字の起源は出雲文字であった

     などの説がある

・ 以下 ☆@ について 『老子古経』、『契丹古伝』、「東日流(つがる)外三郡誌」、 「竹内文書」によって 

 「中国文明のルーツは太古の日本だった」  の真相に迫る

<証拠1: 『老子古経』  人類の秘宝『日本』 より >

 慶応大学工学部大学院卒、元通産省技官、ニューヨーク工科大学教授を経て米国政府の技術開発に携わり、自らの発明特許の企業化で米国の会社とのビジネス経験を長い間持たれた馬野周二氏の著書 「人類の秘宝『日本』」 p36〜p37から抜粋引用し(馬野周二氏は「相似学会誌『相似象』第3号1971年12月、51ページから引用されている) 紹介する。

満州時代の吉林において軍関係の製鉄所長をしていた電気物理学者 楢崎皐月(こうげつ) が、当時満州人が尊敬していたその地の娘々廟(にゃんにゃん廟)の蘆有三(ラウサン)という老子教導士から次ぎの話し【  】を得たといわれる。

【 老子古伝曰 「嗚示八仁 唯々観八鏡 易々弁万理 嗚羨維 」

  「八鏡化美津文字整賛 即 自而有換語 弁理 生便 利名第 明命題 是正八鏡文字」 】

この文章には ああ羨ましいと思う(嗚羨維)という言葉が入っているので、楢崎が、「中華民国 是 師之国」と述べたところ、蘆有三老人は言下に遮って 「中華不是 他尊称 過自負慢称」 といったという。

つまり当時の満州国で人もなげに振舞っていた日本人が多かった中で、この製鉄所長はいまの日本人と同じく、あるいは江戸時代の文人のように、支那文明に日ごろ畏敬の念を感じていたので、「中華民国 是 師之国」 と述べたのであろうが、

この老子教道士は、

「 中華とは良くない。 自負心から出た増長慢の名称である 」 

 といって、

上古日本の地には高度の文明を持った人達が住んでいて

 さまざまの生活技術を発達させていたこと、

 そして後代に支那で出現した哲学、易思想、医学などは、

 日本から神農氏などによって伝えられた


 その流れの中に展開したものである 」

 という老子経の古伝を説明したと言う。

 それだから、

 中華などというのは 後代支那人の慢心 であり、

 支那文明の本当の秘密は、

 東アジア上古文明の根元が日本に発した 

 ところにある。

 日本がうらやましいことだと,語ったのであろう。この説の説くとこ ろは、 私(馬野周二氏)が別の史料によって考察したところと一致
している。

楢崎皐月氏は、戦後帰国し、兵庫県の六甲山に篭って地電位の測定をしていたと言う。この人は本来電気物理学者ともいうべき人なのだが、方々の地電位の測定をして廻っていた。

昭和24年の冬に、その六甲山で、彼は平十字(ひらとうじ)という老人の猟師に出会った。

この人物は上古代から伝わったアシア族神官家の当主にあたる宮司であると自称し、”見たら目が潰れる"というご神体の巻物を見せた。

彼はそれが、その数年前に吉林の懐かしい蘆有三老人のいった「八鏡文字」であると直感し、許しを得てこれを写し、以来その解読と研究に没頭した。

彼(楢崎皐月氏)の到達した結論は、そこに書かれているのは、一種の宇宙科学、哲科学で、それまでに、今日の近代物理学を含めて、他のいかなる文明も到達し得ていないものだということであった。

もとよりその内容は、近代物理学と哲学が進む一つの究極点を示していたと楢崎氏は考えた。

彼が蘆有三氏との筆談で得た前述の漢文は、彼によれば次にように訳される。

【  】内の漢文の訳;

【 「老子古経」では、次のように述べる。

  「アシア人は、ただただ八鏡を見るだけで、

   易々として理を弁ずる。ああうらやましいかな」と、

  また次のように述べる。

  「八鏡加美津文字は、実によく整い、

   その上自由に変換できるから、

   ものの道理を明らかにし、技術を生み、

   ものごとのしくみ、しかけに利用できる。

   天地万物の存在と変換を明らかにする。

   これがまさに八鏡文字である」(「相似象第三号52ページ)】。 

八鏡文字は、「象神名(かたかむな)文字」と呼ばれており、今の カタカナ の元である。

ーーーーーーー抜粋引用終わり

☆ 楢崎皐月氏と蘆有三氏との出会い、楢崎皐月氏とアシア族神官家の当主平十字との出会いは、共に運命的なものすら感じる。

☆ 換言すれば、漢民族は元々中原にいたのではなく、甘粛省あたりから興って黄河地帯を東進し、中原にいた先住民を南北に圧迫排除しながら膨張してきたのである。

漢民族自身は、日本で開化された文明の一部を学び受け継いだに過ぎない。

☆ 一般に流布されている日本、支那の歴史等の東アジアの歴史は、

後代の支那権力者によって改竄された歴史書の内容の全てを後生大事に事実として信じ込んでいる三文歴史学者(肩書きは一流大学教授ですぞ)が勝手に正しいものと仮定しているのであり、

多くの誤謬・事実のすり替えを含んでいることに注意しなければならない

☆ 今回紹介した支那歴史の一端は、いずれも科学技術に精通した著者らによって提唱されているものであり、中国の歴史書ならば全ての内容を信じて疑わない非科学的歴史学者による歴史とは一線を画するものと思う。

☆ 詳しくは、原著を参照されたい。

・神農(しんのう)
は古代中国の伝説に登場する皇帝。三皇五帝の三皇の一人。百草を嘗めて効能を確かめ、諸人に医療と農耕の術を教えたという。

農業と薬において甚大な貢献をしたため、中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。 ====>支那がすり替えた偽歴史

神農は紀元前2740年ころの古代中国の王で、120歳まで生きたといわれている。世界最古の本草書「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」に名を残している。

・伏羲

三皇五帝(さんこうごてい)は、中国の神話伝説時代の帝王であり、三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされた。三皇を伏羲、女、神農とする。

伏羲は、『周易』繋辞下伝に天地の理(ことわり)を理解して八卦を画き、結縄の政に代えたとされる。民に狩猟・漁業・牧畜を教えたといわれる。====>支那がすり替えた偽歴史

女と伏羲は兄妹または夫婦とされている。伏羲は女と同様に、蛇身人首の姿で描かれる。



<証拠2 : 東日流(つがる)外三郡誌 より >

・ 「東日流(つがる)外三郡誌」によれば、支那の聖王伏羲氏の一団が津軽に來住したと記している。


<証拠3 : 「竹内文書」 より >

・ 「竹内文書」では、伏羲氏は、文明の基本的ノウハウを学ぶために、現在の富山県にあったとされる皇祖皇大神宮留学したとある。


☆ 中国の古代の文明の創始者とも言われる三皇の内で、伏羲、神農の二人までが日本から文明の根元を学び中国へ持ち帰ったということになる。


<証拠4 : 『契丹古伝』 より >


☆ 『契丹古伝』によれば、高橋良典著 『<超古代世界王朝の謎』 より抜粋引用すると、


   尭・舜の時代に地球の全土は戦火に包まれ、禹は大洪水の後始末に追われた。ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祭るもの、蛇身人首の鬼を祀るものが、西から東へ次々とやってきて、我ら(契丹人)の地に住みついた。

  『契丹古伝』によれば、紀元前の中国大陸の元々の主人公は、いまの中国人(漢民族)ではなかった。

現在では、漢民族が最初から中国五千年の歴史の主人公であったかのように説かれているが、それは事実ではない。

紀元前の中国の歴史は、西から来た人々(漢民族)によって書き換えられてしまった。---------抜粋引用終わり


☆ 伏羲は女と同様に、蛇身人首の姿で描かれる点からすれば、二人の出自は侵略した側の漢民族と見做せる。

漢民族の伏羲は、上古日本で文明の基本的ノウハウを学ぶために皇祖皇大神宮に留学したということになる。


☆☆☆ 上記のように系統の異なる四つの情報源からの結論が一致するので

      < 中国文明のルーツは太古の日本だった > 

信憑性は極めて高い   ☆☆☆


☆ 日本人が中国文明を畏敬し日本を文化的・文明的に卑下するのは、全くの誤りである。


☆ 日本人は、漢民族に対して卑屈になる根拠は何処にもない。

☆ 日本からの一方的な妄信・誤解によって、漢民族の本性を知らずに

  盲目的に日中友好に邁進することは国益、国民のためにならない


☆ 日本は、

インド、西洋諸国、他のアジア諸国、オーストラリア、ロシアなどとの国々との連携を進めながら

対中国政策を安全裡に進めるのが正しい選択である。

現在のような屈辱的・ 自虐的親中国外交姿勢は即刻改めるべきであろう。


☆ 中国の世界覇権に日本が強制されて組み込まれる愚を避けなばならない ☆


☆ そのためには、

  支那勢力や金持ちたけが繁栄する世界を牛耳る黒幕の僕である

  今の亡国的与野党政治家と亡国的マスコミがセットで

  政治の舞台から引退し、それに代えて

  真に国益を考慮して国民的立場で政治を行う組織

  を作り機能させる必要がある



posted by ヤマおやじ at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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