ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2017年04月20日

茶臼山はツツジ満開

<4月18日(火)>


ツツジが見ごろとの山友からのお誘いがあり下松市茶臼山に登った。

本年2月4日に下松市吉原川源流コースから茶臼山〜葉山〜深切山〜鷲頭山を周回した時に、ツツジの咲くころの茶臼山の良さを聞いていたので満を持して出かけた。

集合場所の降松神社に参拝し安全祈願した後、妙見本宮降松神社由緒を読んで特に印象に残ったのは祭神が天之御中主(アメノミナカヌシ)尊であったことだ。これについては後述する。

今までカーナビを使った経験がなく、せっかくの新車搭載の最新型カーナビではあったがマニュアルを読んでも目的地を入力できなかったので降松神社への道順はパソコンのでルート検索で調べメモを作り携行した。

案内板に導かれて細い舗装道を登ってたどり着いた降松神社には、真新しい道が消防本部裏手(県道63号恋路交差点右折)から車で進入できるようになっていた。

出発が遅かったので吉原川源流と思しき小滝付近
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で昼食を採り、赤い実の房つけたマユミ
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の群生地を通り抜け稜線に達した後、13時30分頃ピンク色に染まった山頂に着いた。
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晴れた山頂ではしばし休憩を忘れてピンクのツツジ越しに見える360度大パノラマを堪能した。
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DSCN5209.JPG <笠戸大橋ズーム>

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今咲き誇るものもあれば、開花を待つ蕾もあるツツジは、山頂から標高差で15m下までぐるりと山頂を囲んでいるのでおそらく1ヵ月後でも満開状態が維持されるように思われた。

多数のベンチが山頂付近に多数配置されており、あらゆる角度からでも座って絶景を楽しめるように配置が工夫されており、整備された方の心配りが有り難く感ぜられた。

またベンチの制作方法が多種多様であり、いろいろの観点から創意工夫されているように思われた。

光市から登ってこられた年配男性はほぼ毎日登られるとのこと。当方も近所に住んでいれば頻繁に登りたくなるのは間違いないであろう。

見飽きることはない絶景を追って山頂周回路を3周した。

下山は大谷山(標高276m)経由で稜線を下った。
このコースはよく整備されており歩きやすいだけでなく歩く楽しさをも感じさせてくれた。山菜として人気の高いアブラコシを教えて貰い天ぷら用に持ち帰った。
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大谷山からも南方向は180度の視界がある絶景スポットで、ここから眺められる四熊ヶ岳は完全な山型
DSCN5222.JPG <四熊ヶ岳>

であったのは強く印象に残った。

大谷ダムへの分岐までのコースは良く踏まれており整備も十分行き届いていたが、それ以降の稜線ルートは歩行者は若干少ない様子であった。稜線から吉原川側に下る最後の10mだけが枯竹に通行を邪魔されたが、この稜線コースはなかなか味わい深いものであった。

こんなに素晴らしい茶臼山が近くにありながら今まで知らなかったのは一体何故だったのか???
少なくともツツジのシーズンには毎年訪れたいものだ!!!

山友にご案内のお礼を述べ無事に帰宅し入浴後食したアブラコシの天婦羅はなかなか美味であった。
諸々に感謝、感謝、感謝。。。


<4月19日(水)>

午前中はネギ畑の草取りと、雑草除けのシートを空地に張った。

この時期2週間も草取りをしないと、雑草が一気に蔓延る。
雑草の生命力の強さにはいつもながら感心する。


<天之御中主(アメノミナカヌシ)尊>

アメノミナカヌシという神様は15.6年前に馬野周二先生の著書によってその存在を知った。
ホツマツタエ、ミカサフミにもアメノミナカヌシに関し記載がある。

通常の神社では祭神は天皇か天皇に所縁のある方々、歴史的に著名な方々が多い。

4月18日に訪れた降松神社の祭神は天之御中主(アメノミナカヌシ)尊であったので、19日に祭神としての天之御中主尊を調べてみると、妙見社系神社では天之御中主尊を祭神としている…とのことであった。

参考までに、降松神社の由緒を記載以下にしておく。
〜〜〜降松神社の由緒〜〜〜
一、御祭神 天之御中主尊
一、御神徳 創造の神、厄除開運の神、星の神
 推古天皇三(595)年、都濃郡鷲頭の庄、青柳浦の一松の樹に大星が降り、七日七夜輝いて、『我は天之御中主尊なり、三年ならずして、百済国の王子来朝すべし、その擁護のために天下りし』と云う宣託あり。同五(597)年三月二日、大内氏の祖先、百済国の聖明王の第三子である琳聖太子が来朝し、桂木山に御神霊を祀り北辰妙見社とたたえ、鷲頭の庄の氏神となる。以来青柳浦を降松と改められる。<以下省略>
〜〜〜降松神社の由緒抜粋終〜〜〜
下松の語源:青柳浦→降松→下松 と変化した。

次に、
天之御中主(アメノミナカヌシ)尊とはいかなる存在であろうか???

『ホツマツタエ』『ミカサフミ』に、天之御中主(アメノミナカヌシ)尊に関する記述があり、現在語訳文を以下(1)〜(6)に掲載する。

(1)『ホツマツタエ』14綾12頁
五元素のウツホ・カゼ・ホ(陽の類の3元素)と、ミズ・ハニ(陰の類の2元素)がバランス良く混じってヒト(人)が生じた。クニタマ(地球)に初めて発生したヒトをアメナカヌシ(ミナカヌシともいう)のカミ(先祖神の意)という。その子孫がクニタマ(地球)の各地に繫栄した。

(2)『ホツマツタエ』16綾14頁
最も初めのヒトの誕生は、五元素のウツホ・カゼ・ホとミズ・ハニの混ざり合いから生じた。この後にはヒトの男女の性交によって子供が生まれてくる。イモオセは女性男性を意味する。

(3)『ホツマツタエ』18綾10頁
オシデ文字でかかれた原文をカタカナで表し、現在語訳文を併記する。

アイウエオ ウツホカゼホト ミズハニノ マジワリナレル ミナカヌシ

日本語の母音のアイウエオは五元素のウツホ・カゼ・ホとミズ・ハニを表していた。五元素つまりアイウエオが混ざり合って最初のヒトであるミナカヌシが生じた。

(4)『ミカサフミ』20頁
初代アマカミとなったクニトコタチよりも以前には、穴居生活を営んでいて文化レベルも低かったからヒト以前の時代と呼ぶことができる。20世代(ホツマツタエでは23世代)にもわたってミナカヌシの世の中が続いた。

(5)『ミカサフミ』54頁
大宇宙の始まりがあってからクニタマ(地球)も生成して、私たちの先祖神のミナカヌシが生まれ、これを元として多数の人々が生まれてきた。

(6)『ミカサフミ』120頁
ヲ(陽)の極まりのヒ(太陽)から齎されたヒ(光)に生ずるウツボが動いてカゼになった。カゼはまたホを生じる。一方クニタマ(地球)のドロドロしたツチも分離してミズとハニとに分かれて、五元素の全てが揃った。そして五元素が混じりあって生じたのが、アウワ(アメミオヤ及び宇宙の中心を意味する)の発露としてのヒトの最初のミナカヌシである。

上記(1)〜(6)から見れば、天之御中主(アメノミナカヌシ)尊は“地球で発生した最初の人間”といえそうだ。


馬野周二著『日本に亡国の音が聞こえる』によれば、
日本の王家の出自はアマノミナカヌシであって、それ以来23代目の国常立(クニトコタチ)尊が八人の王子を諸国に天降らせ、その行く先で王国を建てるようにした。それはトホカミエヒタメの八字を冠するクニサッチの尊である。このトホカミエヒタメの八音は、神道の祝詞にも伝わっているし、またフトマニと呼ばれる同心円盤上に書かれた神名の中の一セットとなっている。この八人の皇子のうち、エの尊は近江に、タの尊は日高見に、そしてトの尊は富士に降り、その系統が連綿と今日まで伝わっている。この三家系は相互に非常に絡み合っていて、常にその中に一人を天皇として中心に据えている。もちろん彼らの統治は太古から日本全国に及んでいた。

同著の第6図日本の神代系図 によると、日本王家の系図は
アメノミナカヌシ
 ↓
23代
 ↓
@クニトコタチ
Aエのクニサッチ(琵琶湖)
Bトヨクンヌ
Cウビチニ=スビチニ・・・男女結婚の始まり、三々九度、ひな祭りの始まり
Dオオトノチ=オオトマエ
Eオモタル=カシコネ
Fイサナミ=イサナギ
Gアマテラス
Hオシホミミ…中国の殷周革命時代
Iニニキネ…紀元前1000年
Jホホデミ
Kウガヤフキアワセズ
L神武
 ↓
歴代天皇
となっている。

日本の天皇家は地球初の人をルーツとして気の遠くなるほどの長い年月で連綿と現在に続いている。

天皇騎馬民族説などは学者のたわごとにすぎず、それを信奉している小沢一郎などもたわけ者にすぎない。
posted by ヤマおやじ at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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