ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2013年11月18日

木谷峡から馬糞ヶ岳へ & 反日左翼勢力日弁連の数々の罪業

< 莇ヶ岳整備登山 >

11月14日(木)は前日登った飯ヶ岳から黄葉が眺められた莇ヶ岳・シャクナゲ尾根に赴いた。10時20分頃シャクナゲ尾根谷コース登山口を出発した。

実際にシャクナゲ尾根を登ってみると、遠くはなれて眺める風景と実際に登ってみる風景は相当異なることがわかった。

遠くはなれて飯ヶ岳から眺めたた莇ヶ岳・シャクナゲ尾根の風景は黄葉一色で錦秋そのものであったが、実際に登山道を登りながら目にする風景は黄色、紅色、茶色、緑色のまだら模様となる。
DSCF7528.JPG < シャクナゲ尾根(1)>

しかし高度が高くなるにつれて木々の葉が殆ど枯れ落ちたことにより周囲の稜線がはっきり見え始めるという良い部分も現れてきた。

標高750m付近と800m付近のコースの西側に紅葉が見られたので、少しでも目の保養になるべく視界を遮る笹原を刈り取った。
DSCF7530.JPG < シャクナゲ尾根(2)>

DSCF7532(1).JPG < シャクナゲ尾根(3)>

DSCF7533.JPG < シャクナゲ尾根(4)>

第3のベンチ付近では、木の落葉により明るい視界が得られた。縦走コースとの分岐点を過ぎて100m程度莇ヶ岳方面へ進んだ所で島根県側の谷を見るとそれこそ錦秋の最中と感じられた。反面莇ヶ岳山頂付近の黄葉は峠を過ぎていたのでそのまま下山し県道3号線沿いに島根県側の黄葉を眺めたくなった。

第3のベンチに座りムスビ2個を食し直ちに尾根コースを辿り駐車位置に戻った。
空模様は曇り始めていたが県道3号線へ向い、工事用車両とすれ違いながら島根県右ヶ谷キャンプ場を目指した。

小峰峠を島根県側に3〜400m過ぎた辺りの例年鑑賞するスポットでは、黄葉は丁度見ごろであった。
DSCF7541.JPG < 県道3号(1)>

DSCF7542.JPG < 県道3号(2)>

黄葉が見ごろの右ヶ谷キャンプ場に着いた時には、残念ながら天候が曇りとなり風景はくすんで見えたので、キャンプ場の周囲を散策しただけで帰ることにした。
DSCF7544.JPG < 右ヶ谷キャンプ場 >


< 岩国市 木谷峡から馬糞ヶ岳へ >

11月16日(土)には、以前から関心があった木谷峡から馬糞ヶ岳へ登るルートに初めてトライした。

馬糞ヶ岳へは秘密尾コースから3回、長野山コースから5回程度登っているが、木谷峡からのコースはいずれ挑戦したいという思いがあり、前日テレビで木谷峡の宮モミジが丁度見ごろだと報じたので実行することにした。

9時頃出発し山口市〜仁保〜徳地町〜周南市須々万〜国道434号経由で木谷原駐車場に11時25分頃着いた。国道434号に隣接し10台程度が駐車可能な駐車場には3台に車があった。ここから約1km先にも2,30台収容の駐車場があり、ここまでは対向車との離合は問題なく進入できる。
DSCF7552.JPG < 木谷峡(1)>

DSCF7557.JPG < 木谷峡(2)> 

最初の駐車場から丁度見ごろの黄葉を眺めながら木谷峡沿いに県道錦鹿野線を歩き始め、黒滝を左に見送り家族連れなど20人くらいの歩行者とすれ違いながら進み宮モミジで有名な大固屋(標高280m)に12時30分頃着いた。モミジのシーズンなので20人ばかりの観光客が黄葉の風景を楽しんでいた。
DSCF7560.JPG < 宮モミジ(1)>

DSCF7564.JPG < 宮モミジ(2)>

DSCF7568.JPG < 大固屋 >

橋を渡り鹿落しの滝へ向う県道錦鹿野線から左折して林道木谷島の谷線に入った。ここからは自分にとって初めてのコースだが予想に反してこの林道はアスファルト舗装されており、排水用の側溝も完備していた。

林道入口に工事作業中という看板があったが、道路には落ち葉が殆ど無いのはかなりの通行車両があるということだと思われた。

民家跡と思われる石垣を2箇所過ぎ高度を稼ぎ林道を進む中で周囲の山にはほぼ見ごろの黄葉・紅葉も点在しており目を楽しませてくれた。13時30分頃見晴らしの良い場所で遅い昼食をとった。左下には工事資材小屋があった。地図を見ると沢に掛かる橋を渡り南に向きを変えて進む大曲(標高500m)はあと少しだとわかった。

大曲を過ぎてさらに高度を稼ぐと北方に水ノ尾山(標高983m)が次第に見えてきた。
DSCF7574.JPG < 水ノ尾山方面 >

少なくとも2時間程度の林道歩きは覚悟していたが、途中で大型コンクリートミキサー車2台に出会ったのにはいささか驚いた。

標高670mあたりで林道は西に大きく向きを変えて支尾根の稜線沿いに進み平家岳方面の展望も開けてくる。標高710mあたりの林道の南側の沢底では工事中の砂防用堰堤にコンクリートが打設中であり、大型コンクリートミキサー車がここまではるばる登ってきていた(13時50分頃)。
DSCF7576.JPG < 林道(1)>

林道はさらに高度を上げており馬糞ヶ岳登山口を示す標識が無いので終に林道終点に達したが、踏み跡を探すも存在しなかった。北側には急峻な崖の下に細い渓流があり、前と南側は急峻な崖が尾根に続いていたので、登山口は少し林道を戻った場所にあると判断し200歩引き返した所でコンクリート舗装された道が南側にあり進入禁止の鎖が掛けられていた。

不精をして地形図を見なかったが、登山コースは林道の南側に記載されていたので鎖を潜りコンクリート道を登ったところガラ道に変わり5分くらいで鞍部付近の平坦地(標高810m)に出た。

踏み跡を辿り南方に緩やかに登ると、14時20分頃 錦帯橋用材備蓄林 と書いた杭に出会った。一帯の檜植林の樹高は3m程度であったがこの辺りは日当たりが良いので50年後には立派な用材となるであろうと感じた。
DSCF7577.JPG < 錦帯橋用材備蓄林 >

さらに踏み跡を進んだがどうも方向がおかしいので後退してみると、色あせたテープが見えたのでそちらに進み終に笹薮に突入した。暫く踏み跡を進んだが、急に踏み跡を見失った。日没が早いので15時過ぎには下山しなければならないので、しかたなく独自判断で谷を詰めた後道なき急登を進み手前の稜線に出てトラバースして漸く登山道に合流して15時10分頃馬糞ヶ岳山頂に到着した。

2箇所のルート間違いによる時間ロス20分程度を含んではいるが、駐車場から3時間40分、大固屋からは2時間40分掛かったことになる。

15時15分頃開始した下山では後学のために本来のルートから下ったので、往路で踏み跡を見失った場所が判った。本来は踏み跡を見失った場所から尾根側に登らなくてはならなかったが、赤テープが近くに無かったのでつい強引に谷を詰める我流ルートで突破した形となった・・・まだ、まだルートファインディング能力は未熟ではある!!!
DSCF7585.JPG < 林道(2)>

15時35分頃錦帯橋用材備蓄林杭を通過し、15時41分頃林道に合流し、日没を恐れ小走りに林道を下り16時35分頃大固屋に着き、17時20分頃薄暗くなった駐車場に着いた。下山は急いだので2時間5分で済んだ。

このルートでは林道歩きが約2時間と長く、登山道歩きは40分程度しかない。まあその点では平家ヶ岳登山に似ている。

帰路は周南市から国道2号線を通り由良ICから山口宇部道路に入り19時15分頃帰着した。
条件にもよるが、国道2号経由が10〜15分程度時間短縮になる感じがした。


初めてのルートで2箇所のルートミスはあったもののどうにか無事に目的を達することができたのは有難い。もう少し判断に慎重であらねばならないが、諸々に感謝、感謝、感謝。。。。



< 反日左翼勢力日弁連の数々罪業 >

本年10月14日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/377526142.html
の<『従軍慰安婦に軍の強制なし』と言う証拠が戦時中の米国に有った>において、
<参考:戸塚悦朗と日弁連の罪業>
国連人権委員会に『従軍慰安婦は性奴隷であった』という嘘の報告を最初に行ったのは何と日本人弁護士戸塚悦郎だった。戸塚悦朗による国連ロビー活動は、92年から95年の4年間で海外渡航18回、うち訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と執拗に繰り返された。戸塚弁護士らの異常な活動の結果、96年に彼の性奴隷説が国連公式文書に採用された。

日本人の戸塚悦朗弁護士こそが「慰安婦=性奴隷」という国際謀略の発案者だった。戸塚は自分のその発案について次のように自慢げに書いている(『戦争と性』第25号2006年5月)。
〈筆者=戸塚=は、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発(IED)」の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した〉〈それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した。〉

なお日本弁護士連合会(日弁連)は1992年に戸塚悦朗弁護士を海外調査特別委員に任命(1997年3月まで)
していたので、日弁連と戸塚悦朗弁護士は同じ穴のムジナといえる。<以下省略>
を記載した。

簡単に言えば、日弁連が戸塚悦朗弁護士を海外調査特別委員に任命して国連の場を利用して、実在の証拠が無かった「慰安婦=性奴隷」という国際謀略を実行させたのである。

今回、日本人弁護士の慰安婦問題に関する悪質な画策情報を得たので
“わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3129号 2013(平成25)年11月16日(土)”から転載する。

〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜
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慰安婦問題、日本人弁護士の画策
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阿比留 瑠比

慰安婦問題を考えるときに、いつも思い出すのが平成8年10月、取材に訪れたインドネシア・ジャカルタ郊外で見た異様な光景だ。当時、日本政府への賠償要求のために元慰安婦の登録事業を進めていた民間団体の事務所に、日本人支援者らによるこんな寄せ書きが飾られていたのである。

 「反天皇制」「国連平和維持活動 ノー」

民間団体は日本軍政時代に軍の雑用係を務めた「兵補」の組織で「元兵補中央協議会」といい、慰安婦問題とは直接関係ない。インドネシア人がこの問題に取り組むのはまだ理解できるとしても、なぜこんなスローガンが出てくるのか−。

疑問は、タスリップ・ラハルジョ会長の話を聞くうちに氷解し、背景が理解できた気がした。彼が、こんな内情を明かしたからだ。

「東京の高木健一弁護士の指示を受けて始めた。『早く進めろ』との催促も受けた」

ラハルジョ氏は、高木氏自筆の手紙も示した。高木氏といえば、社民党の福島瑞穂前党首らとともに韓国で賠償訴訟の原告となる元慰安婦を募集し、弁護人を務めた人物である。

11年8月には、今度はロシアで高木氏の名前を耳にした。戦後も現地に留め置かれた残留韓国人の帰還事業に関する対日要求について、サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長に話を聞いたところ、こんな言葉が飛び
出したのだった。

「東京で大きな弁護士事務所を開いている高木弁護士が、『もっと日本から賠償を取れるから要求しなさい』と教えてくれた」

そして、かつて福島氏と同じ弁護士事務所に先輩弁護士として勤務し、高木氏とは大学時代から続く「友人」であるのが民主党の仙谷由人元官房長官だ。

仙谷氏は菅内閣の官房長官に就いて間もない22年7月、突如として日 韓両国間の個人補償請求問題を「完全かつ最終的に」解決した日韓基本条約(昭和40年)とそれに伴う諸協定についてこう異を唱えだした。

「法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか」さらに、日韓併合100年に当たっての菅直人首相(当時)による屋上 屋を架す「謝罪談話」や、必要性のない古文書「朝鮮王朝儀軌」引き渡し などを主導した。これらは結果的に、韓国側の無理筋の対日謝罪・賠償要求や文化財返還要求の正当化に利用された。

一方、慰安婦募集の強制性を認めた5年8月の河野談話の根拠となった、日本政府による韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査に、福島氏がオブザーバー参加していたことは10月24日付当欄でも指摘した通りであ
る。慰安婦訴訟の当事者であるにもかかわらず、何食わぬ顔をしてだ。

河野談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は17年の産経新聞の インタビューに、こう憤っていた。

「弁護士らが韓国で火をつけて歩いた。どうしてそういうことをやるのか。腹が立って仕方がない」

高木、福島、仙谷各氏は「人権派弁護士」として名を売ってきた。人権派と聞くと、とりあえず眉につばを塗りたくなるゆえんである。(政治部編集委員)

産経【阿比留瑠比の極言御免】2013.11.15
〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜

産経ニュース2013.10.12 09:59
戦時徴用賠償 世論工作し「日本発」の動きを促す、韓国
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131012/kor13101210060003-n3.htm
によれば、<中略>

韓国政府は2005年8月、元徴用労働者問題などの日韓請求権に関する官民合同委員会を開設。「慰安婦」などの賠償請求権は、1965年の日韓請求権協定に含まれないとする一方で、日本側が拠出した3億ドルの無償経済協力には「個人財産権、強制動員の被害補償問題の解決金などが含まれている」とする見解をまとめた。今後もこの立場を変えるのは難しいとみられている。韓国政府筋は「司法判断が韓国政府の従来の立場を超えており困惑がある」ともらす。

 そこで原告団は世論を喚起しようとしている。“標的”となっているのが日本の法曹界やメディアだ。日本国内から、「日本は賠償すべきだとのムードを作り出すのがねらい」(原告団関係者)という。

 特に韓国の原告側弁護団が重視しているのが日本弁護士連合会(日弁連)との協力関係。日弁連は近年、「戦争および植民地支配における人権侵害の救済のための共同行動」に力を注いでいる。

日弁連は2013年8月30日、ソウルの国会議員会館内で韓国側と合同のセミナーを開いた。日弁連会長、山岸憲司が祝辞を寄せ、参加した弁護士が慰安婦や戦時徴用問題の現状、課題を分析した調査報告を報告した。
 2010年にはソウルと東京で、日本の日弁連に相当する大韓弁護士協会とシンポジウムを開催。日韓両国弁護士会の「共同宣言」を出したほか、「日本軍『慰安婦』問題の最終的解決に関する宣言」を共同で公表した。
 原告団関係者は語る。
「日弁連との共闘態勢を整えたことで、日本の市民団体など日本国内の“良心的”勢力にアプローチする足がかりを得た」
 また、大韓弁護士協会は7月のソウル高裁の判決から6日後、ソウルに駐在する日本メディアを集め懇談会を開いた。協会では「日帝被害者問題の解決方法をともに模索するとともに、積極的な記事掲載を要請する会合」と位置づけている。協会は活動報告のなかで「(日本の)言論15社から21人の記者が参加し、翌日の社説などに懇談会に関する記事が掲載された」と意義を強調した。原告側は日韓での世論作りを進め、日韓両政府に圧力をかけたいとしている。戦時徴用訴訟は、日本の国際的な品位をおとしめて韓国の地位を高める“ジャパンディスカウント”に利用されている慰安婦問題とは様相が異なるが、「日本発」で事態を拡大しようという点では同じといえる。
・ ・・・・とある。

言うまでも無く、旧日本軍による強制的従軍慰安婦問題なるプロパガンダは、日本人吉田と朝日新聞の捏造によるものが出発点であり、問題化した当時の宮澤内閣の力を結集して集めた歴史資料は膨大な量にのぼり、その中には、日本 軍による強制を示す資料はただの一片もなかったとされている。

この証拠はないという 事実に反して宮澤内閣の官房長官であった河野洋平が『軍による強制があった』とする大嘘の河野談話を発表したのは、櫻井よし子氏による関係者への取材の結果確認出来たのは、“河野談話には根拠となる事実は、全く、存在せず、日 韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃 く反映されていたことだった。氏の歴史観、戦争に関する極めて、否定的な想い は、宮澤氏のそれと多くの共通項を有してもいた。”とある。

河野洋平は、“日本側が軍の強制を認めれば賠償要求はしない”という当時の金泳三韓国大統領の甘言に乗せられて事実に反する河野談話を発表したというのが真相とされている。

日弁連は事実上存在したという証拠が無い旧日本軍による強制的従軍慰安婦問題をあたかも存在したかの如く国連の場で捏造しただけでなく、インドネシア、韓国で慰安婦問題拡大を画策した高木健一弁護士の悪行にとどまらず、日弁連は2010年にはソウルと東京で、日本の日弁連に相当する大韓弁護士協会とシンポジウムを開催sて日韓両国弁護士会の「共同宣言」を出したほか、「日本軍『慰安婦』問題の最終的解決に関する宣言」を共同で公表した。

これは反日韓国勢力と共闘した完全なる反日行動に他ならない


一方1965年に調印した日韓基本条約と「請求権及び経済協力」など付随4協定において、日本が無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力をし、韓国が一切の対日請求権を放棄することで決着している。

にも関わらず、日弁連は近年、「戦争および植民地支配における人権侵害の救済のための共同行動」に力を注ぎ、日弁連は2013年8月30日、ソウルの国会議員会館内で韓国側と合同のセミナーを開いた。日弁連会長、山岸憲司が祝辞を寄せ、参加した弁護士が慰安婦や戦時徴用問題の現状、課題を分析した調査報告を報告し、韓国からの根拠の無い不当な要求に賛同して共に闘う姿勢を鮮明にした。

これも既に決着済みの問題に改めて火を着ける売国奴的行為そのものである。

弁護士と言えば悪徳弁護士も多数存在するが、一応エリートのはずである。

日弁連の中には立派な弁護士の方々もすくなからずおられるなかで、日弁連による上記数々の反日売国的行為は、昨今反日マスコミが躍起になって報道している高級レストランでの食材偽表示よりもはなはだ甚大悪質な被害・損害を国民に与えていることになる。

テロ集団オーム真理教が破防法適用を免れたのは、日弁連の力が大きく働いたと言われている。

反日マスコミと日弁連は反日左翼勢力の仲間同士なので、日弁連の邪な反日売国活動が報道されることはないのは自明である。

また民主党、社会民主党、共産党などの反日左翼政党と反日マスコミと日弁連と反日国家韓国は密接に連動連携していることも上記情報でも明らかになっている。

反日集団日弁連にも要注意!!!

反日集団日弁連の主張に反対している限り、間違いは起こらない!!!
posted by ヤマおやじ at 23:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めてお便りさせて頂きます。

まあ正直日弁連を始めとする左翼勢力陣営は後々に夢見るべき左翼社会主義の建立を夢見てるだけに過ぎないから。

根本的にこういった外圧運動(活動)に傾倒して行った最大の理由として、60年代に一斉風靡した学生運動による社会転覆が確実に頓挫した事と、あさま山荘や連続企業爆破事件に代表される左翼系テロ等の不信感による(左翼型社会への)期待の薄れが反映した結果とも言えるし。
Posted by 名無しの学校仮面 at 2014年01月28日 11:01
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