ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2018年08月30日

高羽ヶ岳山頂ベンチ2脚のペンキ塗り


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<8月29日(水)>


2015年7月31日に設置した高羽ヶ岳山頂ベンチ2脚のペンキ塗りをした。
昨年第一回のペンキを塗ったので今回は2回目となる。

10時前に大規模林道登山口に着き準備後10時過ぎに左手に塗装用具一式を入れた袋を持ち歩き始めた。

ザックには500CCスポーツドリンク4本、500CCNAB缶一本、鋸、剪定鋏、カメラ、携帯他常備品一式があるので当方にとっては結構重かった。7KG程度はあったかもしれない。

残暑とはいえ山口市の最高気温は35度となっていたので、休憩を増やして登った。
DSCN9403.JPG

当方が鑪川源流=水源=と見做している場所ではパイプから出る水はなかった。
少し下流の猪ぬた場では水が溜まっていたので水源辺りでは少量ながらも水が流れている証拠だろう。

近くに土アケビがあった。
DSCN9433.JPG

ここは少なくとも30回は通過しているが土アケビは初めて。

いずれ鑪川源流コースと銘売ってお知らせできるのか???


高羽ヶ岳登山コースには浅学な当方の知る限りではあるが、

@中島先生の山口百名山で 林道終点→鑪川沢沿い→700ⅿ鞍部→山頂
 初心者にとっては結構な難路。最近は夏草繁茂で通行不可となる場合あり。 
A大規模林道→687ⅿピーク→700ⅿ鞍部→山頂
 かなり前の宇部山岳会HPではKが笹を刈ったので云々と記載があった。Kとは加藤洋明先生のことか?
B尾根コース;林道終点→鑪川を渡る→512ⅿピーク→687ⅿピーク→700ⅿ鞍部→山頂
 このコースの大部分は地形図で点線で記されていた。
 687ⅿピーク付近の地籍境界笹刈実施を契機に2015年5月9日に復活開通。
C林道終点→鑪川沢沿い→三段滝→尾根コースに這い上がる→687ⅿピーク→700ⅿ鞍部→山頂

がある。


これに新たに、鑪川源流コースが加われるかどうか???




大規模林道登山口から山頂までの道中は本年6月頃笹刈していたので問題なし。

12時頃山頂に着き、ベンチに座って恒例の500CCNABを一気に飲み昼食を採った。

時々涼風が通り抜ける山頂はそれ程暑くなく、展望台に登り四囲の景色を楽しむ余裕があった。この日は瀬戸内海方面では周南市の大浦石油タンク群がはっきり見え、北方の弟見山〜西は東鳳翻山辺りまで俯瞰できる≒300度のパノラマはお気に入りの一つでもある。

塗装を終え
DSCN9409.JPG  DSCN9408.JPG

概ね乾くまで第一展望台に登り下りして安定して眺めを楽しめるように山頂保管してあった2×4材を用いてV字形の足場を作った。


途中木の枝そっくりの虫を見つけ写真に撮った。
DSCN9413.JPG DSCN9415 (3).JPG:頭部 
DSCN9416 (2).JPG:尾部

後日調べたところ、トビモンオオエダシャク幼虫だと判った。


高さ≒4ⅿの第2展望台は誰かが応急補修した形跡があった。今回はこれには登らず高さ≒1.5ⅿの第一展望台の改善にあたった。

16時頃下山開始し、687ⅿピークでしばし休み北方の眺めに見入った。
DSCN9437.JPG

左から天越山、黒獅子山、大蔵ヶ岳、十種ヶ岳、青野山、高岳山、弟見山、アザミヶ岳、長野山、馬糞ヶ岳、・・・徳地の国立青年の家辺りまで視角≒150度のパノラマガ得られる。

塗装中右指に異常を感じたので見ると、薬指に体長5oほどのダニが取り付いていた。その1時間後休憩中にズボンを叩くと体長5oほどのダニが地面に落ちた。
その後道の駅長門峡で着替えをした時にダニを注意深く調べたが居なかった。
帰宅後脱衣所でズボンを脱いだ時またもや体長5oほどのダニが見つかった。
いずれの3匹のダニは発見時即始末した。

当方が2015年7月31日というクソ暑い最中に山頂に2基もベンチを設けた理由は単にダニ対策であった。今回はペンキ塗装の為ベンチに殆ど座らず立ち回ったので3匹のダニに憑りつかれた。

以降高羽ヶ岳を訪れた登山記録の一部を読んでみたことがある。

ベンチの存在に肯定的な反応が殆どだったが、中にはベンチの設置を物好きよわ張りする声が1つあったのは、この山のダニの存在を知っているのだろうか???・・・と山登り集団らしくない声???・・・だといぶかった。

しかしよく考えてみれば、標高761ⅿの山頂にベンチを2基独力で設置する人がいたとすれば彼はやはり物好であるのは間違いない!!!

駕籠を作る人、駕籠を担ぐ人、駕籠に乗る人・・・やはり人生いろいろである。

道の駅長門峡で着替えをしていると、年配の女性がブルーベリーは要らんか?というので≒300gくらい貰いお礼を申し上げた。ゴーヤも進められた当方も家人も食わないので丁寧にお断りした。

ブルーベリーを育てる人、ブルーベリーを収穫する人、ブルーベリーを貰う人、ブルーベリーを食べる人、・・・ブルーベリーを育てる天地。。。

諸々に感謝、感謝、感謝。。。

posted by ヤマおやじ at 18:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月27日

シャクナゲ尾根コースを整備す


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<8月26日(日)>

猛暑も一段落したのでシャクナゲ尾根コースの整備に出かけた。

10時前に林道屋敷線入口から歩き始め道路にはみ出た雑草を刈りながら進み、駐車場から一の宸ノ入り急坂で三回も休みながらようやく鞍部に達したが、余りの熱さと疲労を感じたので大休止し早めの昼食を採った。

NAB500CCを一気に飲むと、急坂を喘いで登り火照った体が一気に冷え、鞍部を吹き抜ける涼風とあいまってようやくやる気がわいてきた。

倒木を切除し笹を刈りながらさらに進むと次第に笹が濃くなってきた。

確か梅雨明けに笹刈したはずだが、場所によっては通路にはみ出てくる笹が増えてきた。

結局縦走路に出たのは15時頃となった。

縦走路三叉路の立木に掛けてておいた『R315号40分』の案内板が地面に落ちていたので応急処置をしておいた。

ここから刈り残しの笹を刈りながら下った。

これで来年の笹百合シーズンまではシャクナゲ尾根コースは問題なく通過できるであろう。

16時半駐車場所着。スポーツドリンクは500CC二本で済んだ。


清丸にある湯原農園に立ち寄り梨を買った。

味の良い豊水は9月10日くらいから採れだすとのこと。

大玉5個で千円なので小売店よりかはかなり廉い。



薮化の未然防止という観点で早め早めの整備という意味で実施すべきルートは未だかなり残っている。

高羽ヶ岳谷コース後半、高羽ヶ岳山頂ベンチのペンキ塗り替え、野道山三ツヶ峰縦走路残り2/3、周南山(仮称)展望所、綾ヶ峰展望所、飯ヶ岳河内峠コースなどなど。

更に場所は秘密だが色々探索したい場所候補もかなりある。

高羽ヶ岳・鑪川源流コース開設整備という構想もあるが、出来れば地元を巻きこんでやれれば最高なのだが・・・今の所この辺りに知人はいない。

一の寃Rースや野道山東尾根コース開設では、当初地元の知人はいなかった。しかしその気で探したので山の所有者や登山道関係者との出会/了解が得られた!!!

やってみるものだ!!!


まあ山を歩けるうちがハナか。。。
 
DSCN9344.JPG  DSCN9379.JPG  DSCN9366.JPG


posted by ヤマおやじ at 15:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月23日

山野草写真PART1


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<8月22日(水)>

台風19号が近づくということで、簾を下し、雨戸を閉め、飛びやすいものを地面に置いた。

雨戸を閉めると暑くてたまらないがクーラーをつけて読書をするも長続きせず昼寝と交代で時間を過ごした。

19時過ぎに寝ると12時頃一回目の目が覚める。2時ごろ目覚め、5時ごろも目覚めるがその都度再び睡眠するので睡眠時間は十分だ。


<8月23日(木)>


今度は台風20号が夕方ごろ最接近するというのでこの日も自宅で過ごした。

読書にも身が入らず、暑さを忘れて没頭できることを探した結果、過去の山行で見かけた山野草の写真を整理してブログの特集とすることにした。

とは言え当方が山野草に興味を覚えたのは一昨年であり、今でも名前と実物が一致する山野草は15個前後である。

山芍薬、キレンゲショウマ、夏エビネ、紅花山芍薬、オオヤマレンゲ、アケボノソウ、ナンバンキセル、オオキツネノカミソリ、イカリソウ、笹百合、山アジサイ、ニリンソウ、カタクリの花、イワカガミ,その他少々…である。

2016年以前の写真はパソコン故障で消滅し現在パソコンに保存してある写真は2016年以降の写真。

写真も今迄殆ど構図を決定してシャッターを押すだけの馬鹿チョンカメラでしか経験が無く、撮影の腕も写真機も良くないので出来の良い写真は少ないだろうが一つでもましな写真があれば万々歳だ。

PART1として以下の写真を貼付する。

DSCN0852.JPG DSCN1250.JPG DSCN2306.JPG

DSCN1292.JPG DSCN1601.JPG DSCN2220.JPG

posted by ヤマおやじ at 22:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月20日

残暑山歩


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<8月19日(日)>


山友とそのゲスト2人で山歩。

重量2KGのNAB保冷セット運搬は若いお方にお願いした。

DSCN9287.JPG

枝沢を遡るも沢幅は狭く、水量減少、平地無などで撤退。

秋に咲くはずの○○○の様子を見に行ったが気の早いのが一輪あり安堵した。
しかし個体数は最盛期よりかなり減った感じがした。

DSCN9291.JPG

DSCN9291 (2).JPG

DSCN9292.JPG

DSCN9292.JPG・・・つる人参?と共存共栄!?


急傾斜を登り、涼風を受ける日陰でNAB&昼食。

山頂でくつろぐD氏、YB氏らとしばし談笑し旧交を温めた。D氏とは4年振りの再会であったが、当時の状況をお伝えすると当方の名前を憶えておられたので恐縮するやら、感激するやら・・・山野草の色の濃淡などについて諸氏の蘊蓄の一端を聞きただけでも今回の山行の価値があったように思えた。

歩行距離7q、立秋を過ぎ気温がいくらか下がってきたのと、涼風、直射日光を殆ど受けなかったのでスポーツドリンクは2本弱で済んだ。

今夏は500CCスポーツドリンクを5〜6本飲む山行は一回もなさそうである。

今年の夏は今までで初めて熱中症を気にして、盛夏中の山歩きや整備登山は控えめにした感がある。

寄る年波のせいか!?



<8月20日(月)>


夏の高校野球準決勝二試合の実況中継を観た。

いずれも息詰まる熱戦であった。

夏優勝2回で厚い選手層を誇る強豪日大三を破ったのは、最速150qと抜群の投球術を誇る吉田投手を擁する金足農業高校の全員野球であった。

終盤に必ず相手投手を打ち崩す実力と豊富な投手力を有する大坂桐蔭と金足農との決勝は、金足農吉田投手対大坂桐蔭打線の勝負か???

観戦後、車庫のケーシングの錆防止対策としてペイントを塗った。


高羽ヶ岳山頂に4年前に設置したベンチにペンキを近い内に塗るというと、家人が”自宅のペンキ塗りをせず山のベンチのペンキ塗りをするのはいかがなものか!!!”との注文が付き、急遽自宅優先を示すために今回実施した。


さらに前から言われていた、柚の剪定も引き続き実施した。

家族の健康を含め家に大きな問題がないので、当方が年間に50回もの整備登山ができるのであり、そういう意味でも家人には感謝している。

今頃になって無病息災の有り難さが多少判りかけてきた感がある。

よって家人からのリクエスト・忠告には最優先のプライオリティをもってあたるように心がけているつもり。

若干アルツ気味となった昨今ではなおさらである。



posted by ヤマおやじ at 23:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月16日

8月15日の反省は 情報戦への対応力


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<8月15日(水)>


天晴! 下関國際



山口県代表の下関國際が岡山県の創志学園と対戦する甲子園野球実況中継を観た。

試合前では実力的には下関國際が負けるだろうと予想していた。

創志学園には今大会屈指の右腕と言われる西投手がおり、第一戦を観た感触では打線も守備も走塁もなかなか良いからだ。しかし下関國際もバランスが取れた良いチームだとも感じていた。

4対2の劣勢で迎えた9回表下関國際は3点取り9回裏をゼロ点に抑え逆転勝利した。

ヒット4本の下関國際が、ヒット8本で好投手西を擁する創志学園に勝ったのは特筆されるべき勝利だ。

ヤマちゃんおやじは、下関國際は甲子園で1回戦敗退かと思っていた。
しかし一回戦の下関國際の試合を見て考えが変わった・・・下関國際は結構良いチームではないか!!! 

その理由は
@先ず鶴田投手を中心に守りが良い。
鶴田投手は最高時速で145q前後の速球を内外角に投げる力があり、変化球も自在に操れる上に投球術も心得ている。危機でも冷静に対応できる精神力がある。
A守備陣のエラーは少なく堅守である。
B攻撃陣は強力ではないが好機に集中でき、少ないチャンスをものにする力がある。
C後半追い上げ逆転;という勝ちパターンを全員が意識し勝ち上がってきた実績がある
D甲子園に三期連続出場の実績があるがいずれも一回戦敗退なので今度こそは!という気概が強い
であった。

しかし創志学園の一回戦の戦いぶりと実力を実況で見ていた感触では総合力では創志学園の方が一枚上だろうと感じていたので、試合前では10中、8、9は創志学園の勝では…と思っていた。

実際8回までは4対2で創志学園がリードしていた。ヒット数は創志学園が9で下関國際はたった2本。

9回表の下関國際の攻撃では、四球2個を得てヒット2本と外野フライで一挙3点をもぎ取り、9回裏をゼロに抑え奇跡的ともいえる勝利をもぎ取った。

素人ながら下関國際の勝因を挙げると、
@鶴田投手を中心とする守備が創志学園の攻撃を4点に押さえた。
A創志学園の好投手西が四球を10個も出し、9回に2個連発した。
 最速150キロの直球と切れ味鋭いスライダーを武器に1回戦で16奪三振完封した西に対し、坂原監督は「終盤でない と捉えられない」と思った。スタミナを奪うために「五回までに100球投げさせる」と、ほぼ1球ごとにサインを出し て「待て」やバントの構えなどで揺さぶり、制球を乱れさせ五回までに110球を投げさせた。
B下関國際の待球作戦が効奏し創志学園の好投手西に180球も投げさせ9回の集中攻撃による3点奪取逆転につなげた。これ は坂原監督の作戦勝。.
C<後半追い上げ逆転>という勝ちパターンを全員が意識し実践した。
D部員がたった1名の野球部を3連続甲子園出場校までに育成強化した坂原監督に勝利をプレゼントしたいというい思いが選手に強くあった。
等等

尚一部の報道では、西投手は好投の度に大声で吠える癖があり、審判からそれを指摘されて制球を乱したという解説もあったが、それは一因であっても主因ではないと思う。やはり下関國際坂原監督の待球作戦とそれを見事に実行した選手の実力が主因と思う。

要は 戦いはやってみなければ分らない!!!




<8月15日終戦の日の真の反省点は???>


戦争でも同じこと。

過去の戦争の歴史を見れば
戦争の勝敗は国力では決まらないのであり、作戦・戦略で決まるのだ。

日露戦争ではロシアと日本の国力比は10:1で日本には殆ど勝ち目はなかった。

しかし帝国連合艦隊は日本海海戦で猛訓練で鍛えた丁字戦法(敵前回頭)で当時世界一と言われたロシア艦隊を相手に大勝し、帝国陸軍は難攻不落と言われた最新鋭旅順軍港を不屈の闘志で陥落させ日本は日露戦争で勝利を収めた。


一方大東亜戦争では、帝国連合艦隊は米海軍に勝る航空母艦戦力を有しながら真珠湾攻撃では米海軍虎の子の米空母2隻を撃ち洩らしただけでなく、石油備蓄タンクや艦艇修理工場などの重要施設は全く攻撃せず、米海軍の急速な回復を大いに助長させるという大失態を犯した。

機雷を敷設後は逃げるだけという水雷艇出身で航空戦無経験の南雲忠一を第一航空艦隊司令長官に据えたのも山本五十六であった。この無能な南雲忠一をミッドウエー海戦でも指揮をとらせ連合艦隊主力の大半を失わさせたのも山本五十六。

以降連戦連敗し開戦後一年余りで帝国海軍主力をほぼ全て失った。この間連合艦隊司令長官山本五十六は戦場から1000kmも離れた瀬戸内海に浮かぶ旗艦で将棋を打って高みの見物していた。日本海海戦で砲弾の飛び交う艦橋に立ち戦況を見守った東郷平八郎提督とは天地の差だ。

戦略上無意味な真珠湾攻撃を認めなければ連合艦隊司令長官を辞めるとごり押しして実現させたのも山本五十六だった。
山本五十六の意に反し真珠湾攻撃は反戦機運が高かった米国において、参戦気運を一気に高め米国の第二次世界大戦への米国参戦を実現させた。

制海権を失えば陸軍は大きな不利を背負い、帝国陸軍も敗戦を重ねていった。

当時のルーズベルト米国大統領は三期目の大統領選挙で“私は米国の若者を再び戦場に送ることは絶対にしない”と公約し大統領に当選した手前、米国自らが進んで第二次世界大戦へ参戦するのは事実上不可能であった。

当初ルーズベルト大統領はドイツ海軍が米国商船・艦船を攻撃させるよう各種工作をしたが、賢明なヒットラーはドイツ潜水艦等による米国商船・艦船攻撃を禁止したので、英国チャーチル首相からのたびたびの参戦要請にも応えられずにいた。

よってルーズベルト大統領は日本に真珠湾を攻撃させてこれを機に米国は対日戦争に参戦することで日独伊三国協定で日本と同盟関係にあるドイツとの戦争に裏口から参戦するという戦略に変更し着々と準備を進めた。

1940年10月7日に、米海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラム少佐が米国にとって都合が良い時に日本から米国に戦争を仕掛けてくるように日本を挑発するために作成された八項目の行動計画”がルーズベルト大統領へ提案された。

1940年11月下旬には山本五十六帝国海軍大将が真珠湾攻撃検討開始を明言していた・・・・何となくマッカラムと山本五十六が繋がって見えてくる。。。。

広大な北西太平洋を誰にも発見されずハワイの真珠湾まで数十隻からなる機動部隊を進め長躯奇襲を掛けるという山本五十六の真珠湾攻撃作戦は、誰が考えても無謀でしかない。

ヤマちゃんおやじは山本五十六は名将どころか米国側スパイではなかったかと思う。
軍部の最高幹部に敵国のスパイがいれば戦いに勝てる訳はない!!!

当時日本では帝国海軍の基本戦略はインドネシアの石油、仏印辺りのゴム‣錫などの資源確保であり、真珠湾攻撃は埒外であった。ところが連合艦隊司令長官の山本五十六が無謀な真珠湾攻撃を主張し、海軍軍令部の強い反対を押しきって自らの職を掛けてまで脅迫まがいに強引に承認させた。


1940年12月21日、モーゲンソー米国財務長官、米国退役軍人シェンノートらが
米軍人による日本爆撃を立案。「木と紙でできている日本家屋には焼夷弾が効果的」と意見一致。

1941年5月、統合参謀本部(JB)が対日奇襲作戦「JB355」を策定。

1941年7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガー部隊による日本本土爆撃計画に署名。

昭和16年(1941)7月には米国は支那事変に苦しむ日本の在米資産を凍結した。これは日本を敵国とみなす行為そのものだった。

日本国内でほとんど産出しない主要エネルギーである石油の大半を米国に依存する日本は
昭和16年(1941)8月1日ルーズベルト大統領の発した対日石油・鉄くず輸出禁止令によって窮地に立たされた。当時の近衛文麿首相は1941年(昭和16年)7月18日に米国の要求に殆ど合意する決心をしてハワイでのルーズベルト大統領との首脳会談を呼び掛けたが、同年10月2日ルーズベルト大統領はこれを拒否した。

1941年(昭和16年)11月26日米国はハルノートと後に呼ばれる対日要求10項目を日本に唐突に日本に突き付けた。ハルノートの内容は“この要求を見ればモナコ公国のような小国でも米国と戦争を開始する”と言われたほど日本に対し侮辱的内容であり、事実上日本に対する宣戦布告であった。

ちなみにこのハルノートは当時のソ連首相スターリンが原案を作りソ連人民内務委員部の工作員パブロフがワシントンに持参してソ連スパイの財務省次官のハリー・ホワイトに伝え、それがモーゲンソー財務長官、大統領経由でハル長官から発出されたものという。後に分かったことだが、当時ルーズベルト大統領の周囲にはソ連のスパイ300人が配置されており、ルーズベルト大統領を陰から支配していた。また宣戦布告は上院外交委員会の承認を得て初めて実行されるのが米国外交の通例であったが、ルーズベルト大統領は上院外交委員会に諮ることなく対日戦争準備を進めており、ハルノートの内容はおろかその存在さえも当時の米国連邦議会では知られていなかった。ソ連は日米戦が始まれば日本の軍事力は確実に南に向かうので、安心して対独西部戦線に極東ソ連軍を動員可能になった。発出されたハルノートを見て、スターリンはおおむね満足したという(ヴェノナ文書より)。


こうして日本はソ連と米国の謀略により対米戦争以外避けることのできない絶体絶命の罠に陥ちていったのである。

シナ大陸でも蒋介石を支援する英米ソ連対日本という構図があり、ここでも日本は戦争を回避すべく隠忍自重したが、国共合作軍(蒋介石軍と中国共産党軍の合作)による度重なる挑発行為に堪忍袋の緒を切らした日本がシナ派遣軍をシナ大陸に派遣せざるを得ない状況に追い込まれた。


終戦記念日には戦争の悲惨さや平和の尊さだけが報道され言及される。

終戦記念日には天皇陛下は世界平和への祈念と同時に過去への反省を言及される。

石油も資源もない日本は戦争なんぞやりたくなかったのは間違いない。

日本が何故やりたくない戦争に巻き込まれていったのか???…この真相解明が大切であるが、ほとんど話題にならない!!!

何故戦争が起こるのか???軍隊が存在するとか、軍備があるとか…というレベルの話ではない。

まして憲法に戦力不保持が明記されているかどうか・・・などは戦争発生とは無関係だ。


世の中には戦争を好んで起こしたい勢力が存在し、動機が存在する…ということだ。

一例を以下に紹介する。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)8月13日(月曜日)
         通巻第5789号
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より以下に転載する。


〜〜〜転載開始〜〜〜

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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 トルーマン政権内部でも占領政策をめぐっての確執があった
   最後にウィークジャパン派が敗退して日本の共産化が回避された秘話

  ♪
江崎道朗『日本占領と「敗戦革命」の危機』(PHP新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 あわや、日本にも全体主義国家に転落する危機が現実にあった。敗戦と戦後の秘話である。
 日本が北朝鮮や中国の全体主義体制のように「地獄」に陥落し、愛に満ちた日本社会を破壊し、大切な人間性を踏みにじり、独裁権力のために個人を犠牲にする。
そうした自由のない社会を画策する動きがあった。

国際的な謀略組織コミンテルンが潜り込ませた工作員達が、FDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)政権を引き継いだトルーマン政権に陣取り、しかもGHQに浸透していたのだ。
その経過は百も承知してきたが、本書の特徴は新しい観点で現代史を見直したこと、もう一つは「ヴェノナ文書」など新資料がふんだんに駆使され、より迫真性に富むことである。

 そもそも共産主義は、まともな軍事力で敵を薙ぎ倒すなどという正攻法を用いない。もっとも卑劣な手段を講じて国家を簒奪するのだ。
 それは「(1)自国政府の敗北を助成する(2)帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること(3)民主的な方法による正義の平和は到底不可能なるがゆえに、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」だと江崎氏は解説する。

 つまりコミンテルンの戦略とは、第一に日米英を戦わせる。第二にとくに、米国を用いて、日本を敗北させ、第三に日本を混乱させながら共産革命政権を樹立し、『戦争は手段、目的は革命』と実行するのだ。
日本を全体主義国家に転落させ、共産主義の独裁権力をもって人間を支配し、日本人をロボット化させて、革命の奴隷とすることにコミンテルンの目的があった。
 だからルーズベルト政権にはおよそ300名のコミンテルンの工作員が紛れ込み、対日強硬外交にアメリカを誤導し、真珠湾攻撃を誘発し、戦争後は日本に共産革命政権を樹立することにあった。

 しかし米国政権にはコミンテルンの謀略を見抜き、反対した勢力があった。FDR政権内部、そして敗戦後日本を占領したGHQの内部でウィークジャパン派とストロングジャパン派の死闘が繰り広げられていた。
 このGHQの内部抗争に関しては林房雄が『緑の日本列島』や『池田勇人』で、最初に指摘したが、日本の論壇はとくに注目もしなかった経緯がある。

 コミンテルンが最初に手をつけたのは日米和平交渉の妨害だった。暗号通信を読み取り、徹底的に妨害したのだ。
 これも多くの証言や資料が戦後でてきたため、おおよその全貌が明らかとなったが、「ヴェノナ文書」の公開により、より確定的な、強い証拠が揃ったのである。

 驚くべきは大東亜戦争の開戦から僅か三ヶ月して、アメリカでは日本の戦後処理を検討する特別チームが組織化されていたことである。

 もっと驚くべき事実を江崎氏はさりげなく挿入する。

 「OSSは、全米の俊秀を集めた頭脳集団であったのだが、多数の共産主義者が深く浸透していた。共産主義者の浸透に警戒していたにもかかわらず入り込まれた、というわけではない。共産主義者を積極的に迎え入れたのだ」(92p)
 OSSとはCIAの前身である。なんとCIAは誕生時に、反共ではなく、容共だったとは! 

 敗戦の土壇場のポツダム宣言受諾交渉は、複雑な駆け引きが秘密裏に展開されていた。この経緯も殆ど知られていない。
 無条件降伏、天皇制解体というのが当初のアメリカの占領計画だったのだ。
ウィークジャパン派(ヒスやハル、ホワイトら)とストロングジャパン派(グルー国務次官等)の死闘は、この天皇制解体が是か否かをめぐるもので、圧倒的に共産主義側が強く、トルーマン大統領も、この基本線で固まりかけていた。

 ヒス、ホワイトらウィークジャパン派の陰謀を粉々に砕いたのは、結果的に日本軍の鬼神も涙するほどの死闘だった。

ペリリュウ島でアンガゥル島で、硫黄島で、沖縄で。日本のあまりにも強靱な反撃と死をも恐れぬ民間防衛とによって、アメリカ兵の犠牲は鰻登りとなった。アメリカは怯んだ。日本の軍人の強さに怯懦が生まれ、ストロングジャパン派の勢いが増す。

 他方、北海道も盗もうとするソ連軍を食い止めたのは占守島の死闘だった。ソ連軍に多大な犠牲を与え、これによって日本は南北に分断された朝鮮半島のような国家分裂という悲劇、全体主義国家への転落を食い止めることが出来たのだ。

 同時にトルーマンが目撃していたのは、味方の筈だったソ連軍が東欧に電光石火と軍を進め、1944年二月から十二月にかけてバルト三国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアが、そしてバルカン半島でもユーゴスラビアとアルバニアが次々と共産化されてしまったという『あり得ない現実』だった。

 ソ連に対するアメリカの認識は激変した。

 もう一つ重要な要素は、昭和天皇のインテリジェンスだったことを江崎道朗氏は適格に指摘する。

 すなわち陸軍参謀本部からあがってくる情報いがいのルートを昭和天皇はお持ちだった。その決定的な情報がアフガニスタンとダブリンの在外公館からとどき、参謀本部を通さずに天皇陛下にもたらされた。
トルーマンは、無条件降伏から有条件に転換し、天皇制を守護する方針に切り替えていたことを昭和天皇は事前に掴んでおられたのである。

そのうえで「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」、「進んでマイクに立つ」と仰せになり、またマッカーサーとの会見では、この身はどうなろうとも日本民族の滅亡を避けるという断固たる決意を示されるに到った。
共産革命を目前と計測した日本の共産主義者らが企んだゼネストはマッカーサー命令で回避された。日本の共産革命は不成功に終わり、全体主義国家への転落は、こうして回避できたのである。

〜〜〜転載終〜〜〜

第二次世界大戦の発端は、ドイツ系市民が多いダンツィヒ回廊を護るためにポーランドへ進駐したドイツへの英国チャーチル首相による宣戦布告。これにより第二次世界大戦が勃発した。ドイツのヒットラーは英国と戦争する気は全くなかったが、チャーチルがポーランドを唆しドイツからの要求を拒否させたのでヒットラーはポーランドに進駐したのである。言い換えればチャーチルがドイツとの戦争を開始させたのである。駐英米国大使のジョセフ・ケネディ(イルミナティの使い走り)はチャーチルに同調しポ^ランドに圧力をかけた。

シナ大陸では、英米ソ連から強大な援助を受けた蒋介石が戦線不拡大方針を貫く日本を弱腰と誤解して在支日本人に対する虐殺、暴行事件など所謂通州事件や大山大尉事件、第二次上海事変などを頻発させた。これを知った日本世論の激高に押されて日本側は正式に松井石根大将を司令官とする上海派遣軍を編成。これにより、日中戦争は本格的に華中にまで拡大した。

これに関して詳しくはヤマちゃん日記2012年10月23日
http://yamatyan369.seesaa.net/article/298593713.html
<日支事変では戦争を嫌がる日本を中華民国が無理やり戦争に巻き込んだ>
を参照願います。


いたずらに和平にこだわり、シナ軍の横暴に対し戦火の拡大を恐れ、何の軍事行動を起こさなかった日本政府(幣原外相)の弱腰外交がシナ事変を戦争へと拡大させたのである。


一方米国のルーズベルト大統領は、石油の対日禁輸などで圧力をかけて日本が米国を攻撃せざるを得ないようにわなを仕掛け、日本の米国スパイである山本五十六が真珠湾攻撃を敢行したことで、ルーズベルトが熱望した日米戦争が勃発した。


結局チャーチル英首相が対ドイツ戦争を引き起こし、
ルーズベルト米大統領が日本を戦争に引きずり込みました。
ソ連のスターリン首相は、日本と米国を戦わせて極東ロシア軍を西部戦線へ移動させて対ドイツ戦を有利に戦い勝利し、終戦直後東ヨーロッパ諸国に侵攻し共産主義国家とし、中国は中国共産党が支配することとなり共産党国家を激増させました。

チャーチルは世界銀行家連合=イルミナティ=の高級エージェントであり、ルーズベルト米大統領はフランクフルターなどイルミナティ=の最高幹部から支配されると同時に多数のソ連スパイに誘導支配されていました。ソ連は世界銀行家連合=イルミナティ=が創り出した世界で初めての共産党国家。

よって第二次世界大戦勃発の大元はチャーチルとルーズベルトを操り、自らが生んだ共産主義国家ソ連の版図を大幅拡大させた世界銀行家連合=イルミナティ=であったことになります。


何故日本とドイツが世界銀行家連合=イルミナティ=によって滅ぼされたのでしょうか?

ゲルマン文化と日本文化が世界銀行家連合=イルミナティ=の世界劣化運動に邪魔になるからという説もあれば、日本もヒトラーも共産主義大嫌いだった・・・という説もあります。


一般国民は戦争が嫌いです。

軍人も死ぬ確率がある戦争は嫌いです。


しかしいくら一般国民が戦争を嫌っても、いくら軍人が戦争に反対しても、国家の中枢に憑りついた世界銀行家連合=イルミナティ=が一旦戦争を起こす決意を下すと必ず戦争が起こります。世界銀行家連合=イルミナティ=が配下の各国政府首脳を動かして戦争を開始させるのです。戦争によってイルミナティには莫大な資産が転がり込んできます。

終戦記念日で反戦、平和のみ報道されるのは、戦争好きの世界銀行家連合=イルミナティの存在と本性を一般人から逸らすためです。

世界中のマスコミ、映画、スポーツ、娯楽サービス産業は、大衆洗脳し世界銀行家連合=イルミナティ=の本性・悪業を隠蔽するために、世界の人類を劣化させるために世界銀行家連合=イルミナティ=が裏から支配しています。

日本は世界銀行家連合=イルミナティ=の謀略に嵌められ戦争に引き込まれたのである。

日露戦争では日本は明石大佐に巨額の軍資金をもたせ欧州に派遣し、ロシア革命を企むレーニン一派を物心両面で支援させ、ロシアの内部崩壊を画策し革命成就後レーニンから感謝されたほどです。実際レーニンらによるロシア革命は成功しロシア帝国は瓦解した。ロシア革命成功の裏には、世界銀行家連合=イルミナティからの絶大な援助があったころは殆ど知られていない。だれもが資本主義の敵共産主義を世界銀行家連合=イルミナティが支援するとは想起できないでしょう。

しかし日露戦争から≒40年を経た昭和16年辺りでは、日本にスパイ戦=情報戦=という概念はなかったのでイルミナティ=の謀略にいとも簡単に嵌められ戦争に引き込まれた。

明治時代末期頃までの日本では、スパイによる情報戦=謀略戦=は常識であった。

しかし昭和16年辺りでは、日本にスパイ戦=情報戦=という概念は希薄になっていた。
”欧州の情勢奇怪なり”といって総辞職した内閣もでてきた!!!
このギャップは何処から来るのか???

昭和16年辺りで活躍する年代は幼少期から成人期まで全て西洋式教育を受けた年代であり、日本が施す西洋式軍事教育にはスパイによる情報戦に係る部分が欠落していたと推量される。

欧米人の得意技である謀略戦=スパイによる情報戦=を将来敵国になりえる日本に教えるはずがないであろう!!!

欧米式教育の取り込みだけに終始した日本の教育システムの欠陥ではなかったか??? 



せっかく日本には忍者という世界に誇る情報戦部隊が江戸時代まで大活躍したというのにモッタイナイ!!


8月15日の反省は、過去の植民地支配ではない、日本の再軍備でもない。平和憲法護持でもない。

自らが、生存に必要な情報を収集し、情報リテラシーを高め、各種謀略に嵌められない判断力・洞察力を養うことであろう。

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2018年08月13日

キレンゲショウマ鑑賞at周南市大潮葉の内 喫茶店さくや


◇山歩き総集編


◇源流探訪総集編

◇反日メディアNHKによる偏向報道総集編

◇古代大陸・古代文明総集編

◇地球に移住した他星人総集編




<8月12日(日)>


<キレンゲショウマ鑑賞at周南市大潮葉の内 喫茶店さくや>



今年も自生キレンゲショウマを見れそうもないので、しっかり開花しているキレンゲショウマを見る目的で、事前に店に電話して開花を確認してから周南市大潮葉の内 喫茶店さくやに行った。

昨年も今年も山野草の宸ノキレンゲショウマを見にいったが、いずれもたくさんの株に花はあったが、開花が十分でなかったので、やはり自生キレンゲショウマでないとダメか〜…と感じていた。

ところがある人から、“沢筋に咲くキレンゲショウマは水分に恵まれるので十分開花するが、水気が少ない場所に咲くキレンゲショウマは花弁が開かない”と聞いており、喫茶店さくやのキレンゲショウマは沢にあるので十分開花する…との情報も入った。

さらに自生キレンゲショウマを求め心当たりの場所を多少徘徊してみたがすべては空振り。

安蔵寺山の自生キレンゲショウマも〇〇山の自生キレンゲショウマも最近の豪雨で流失したとのこと。。。


恐羅漢の台所原直下の亀井谷最上流付近に残るキレンゲショウマ自生地を単独で訪れる機会・予定がないので若干モヤモヤした気分であったのも事実である。

よって取りあえず手軽な『喫茶店さくやの裏山』に行くことにした。

ただで庭を見るのも失礼に当たるので、冷房の効いた店内で注文したさくやうどん(数個の山菜の天婦羅が入っている)をゆっくり食した後,裏山にあるキレンゲショウマの咲く谷に向かった。

狭いがジワリと水が流れる谷を80mもの長きに沿って、蕾や花弁を付けた沢山のキレンゲショウマが群生していた(群生させてある)のはいい意味で想定外。
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最近写真の出来があまり良くないのでたくさん写真を撮った。下手な鉄砲も・・・・だ。中には多少良い者が有るだろうという気楽な考えだ。。。

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花弁の開きは相当大きかったので花弁の一部には茶色の部分があったものの当方としては大満足であった。

30分位鑑賞&撮影した後、店内に戻り店の主に素晴らしいキレンゲショウマでした・・・とお礼を申し上げた。あるじ殿は、ことしはことのほか暑さが厳しかったので花は例年に比べ枯気味だ…と話された。

ナツエビネが3株くらいあった。今後花をつけるとのこと。

しばしあるじと山や山野草の話をした。

貴重な情報を聞いた。
鹿野周辺/島根県境の笹百合には葉の縁に白い隈取(斑入り)があり、この地域独特の貴重種であり近郊では他に類を見ないので市場では高値が付く…というものであった。これは初耳だった。

さくやでは、秋になれば裏山で摂れる松茸が入った 松茸うどん という季節限定メニューがある。
この店の主は他にイロイロな情報をお持ちなのかもしれない!!!


<地福梨園昔ばなし>


帰路、清丸川沿いにある 岩佐なし園 に行き梨を買った。大玉5個で千円也でおそらく国道9号線傍の長門峡梨販売所よりかは若干廉いだろう…3年前から当園に来ていると告げると叔母さんが一個サービスしてくれた。

帰り際清丸川の右岸上流にそそり立つ植林に覆われた山名を叔母さんに聞くと、とっさに思い出せず、当方が地福富士では?と水を向けと“そうだ”と答えた(実際は牛頭山)。

それから“毎年一組か二組が清丸川を遡り地福富士(津々良ヶ岳)に登るのを見かける”とも話してくれた。

更に佐波川渓谷との峠を鳥越峠と言い、このおばさんが若い時分即ち今から4,50年前には地福富士直下の高所で梨園を営んでいたと話し、当時近くで梨園を営んでいた家が7,8軒あった…と話してくれた。その後山を下りて今の場所に新たに梨園を作ったとのこと。。。

その昔、まさか標高700ⅿ辺りの山の天辺に梨園があったとは!!!

これは初耳だった。

この日は滅多に聞けない情報に2回も巡り合った。

諸々に感謝、感謝、感謝。。。。





◇◇◇ 驚愕的情報!!! ◇◇◇



何故反日を叫ぶ中華人民共和国と仲良くしなければならないのか???

長い間大きな疑問であった。。。

今その謎に迫れるか???


中華人民共和国を
建国したのは誰でしょうか?


毛沢東、旧ソ連、
それとも、アメリカ、、、??



どれも違うみたいです。


答えは、、、これからご紹介しますが、
通常の手段では決して手に入りません。



しかしながら、
あなたの旺盛な知的好奇心を
掻き立てるに値する

とっておきの情報であることは、
間違いありません。



ただし、
日本人であるあなたにとっては、

ここから先へ
進むも地獄、退くも地獄。



なぜなら、日本が中華人民共和国を
建国したという前古未曾有の
衝撃情報をお伝えするからです。



その名も、

【中国大陸を激変させた驚愕のシナリオ】


日本國體がつくった中華人民共和国

〜國體ワンワールドと
  フリーメーソンの系譜〜

それでは、
覚悟のできた方からお進みください。


http://mmct.jcity.com/?c=15028&e=BERKvigE95lJetu2Cp7q2H70uXrQGW3B





posted by ヤマおやじ at 18:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

真夏でも涼しかった林道屋敷支線


◇山歩き総集編


◇源流探訪総集編

◇反日メディアNHKによる偏向報道総集編

◇古代大陸・古代文明総集編

◇地球に移住した他星人総集編




<8月11日(土)>


山友からのお誘いで周南市鹿野屋敷川右股沿いの林道屋敷支線周辺を山歩した。

屋敷川林道入口に駐車した時多数の虻に囲まれたがクーラーの効いた車内に閉じこもっていたので虻に刺されることは無かった。

虻対策として、厚手のシャツの上からフマキラーを吹き付け、携帯用蚊取り線香ケースを腰にぶら下げた。

林道に流れ下る枝沢の様子がいつもと変わっており、新たに堆積した流木屑と土砂が目立ったが通行を扼するほどではなかった。
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林道屋敷支線は十数年前から40回以上通過しているが、小沢から流出した倒木屑や土砂が林道脇へ堆積した有様は今回初めて見た。先日の台風又は集中豪雨による降水が相当激しかったものと思われた。

珍しい山野草を求めて枝沢を詰めたり、屋敷川右股の段丘に下りたりしたが、そう簡単に珍しい山野草がみつかるわけはない!!!
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風通しの良い林道脇で恒例のキンキンに冷えたNAB500CCを一気に飲み昼食を採ると、一時的ではあるが寒気を覚えた。日陰で適当に風通しがある場所で大量のNABを飲み体の内部から冷えたので汗の濡れたシャツが肌に当たると一瞬ながらも冷たく感じた。

小滝の右岸を踏み跡に従って枝沢を登ると落差7,8ⅿの二段滝を見つけた。水量が豊富な時期では見ごたえがあるかもしれない。

初めて見る緑色の花弁を付けたアジサイもあった。
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升麻系山野草の群生もあった。
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林道終点直前の枝沢出口には流出した倒木片や土砂が堆積しており、かっての涼しげな沢入口の姿は消失していた。

林道終点で通路を遮っていた倒木一本を切除した。

林道終点から這い上がる尾根の左側の沢に下ろうとしたが急傾斜であり時間も押していたので断念した。

虻対策が功を奏したのか今回は一回も虻に刺されなかった。

下界はうだるような暑さであっただろうが、この林道歩きでは蒸し暑さを殆ど感じねかったのは夏の山歩きのヒントのような気がした。

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posted by ヤマおやじ at 18:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月09日

周南市鹿野町 屋敷川周辺を山歩


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<8月7日(火)>

山友からのお誘いで周南市鹿野町屋敷川周辺を山歩した。
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今迄歩いたことのない沢として、先ず林道屋敷支線沿いの二の宸ノ入った。

入口は広く一見雄大な印象があったが100ⅿも登ると沢は狭くなり岩伝いに道なき道をさらに登ったが植物は羊歯ばかりで一向に山野草の姿が見えないので300ⅿ程度遡っただけであったが、沢音を聞きながら岩に座り冷えたNAB500CCで乾杯し昼食を採った。

聞こえるのは沢音と鳥のさえずりのみ!!!

地形図では二の宸ヘかなり懐が深い沢のように見えたが、植生は実際に訪れて見ないと判らない。植生では一の宸フ方が豊かに感ぜられた。

次いで林道を奥へ進み
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堰堤から沢伝いに登った。


弟見山展望地付近から笹原を下りこの堰堤まで沢伝いに過去2回も下ったが、8年位前のことであり殆ど記憶にない。
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此処では時節柄○○をかなりの本数見つけたが大群生ではなかった。

一転して屋敷川本流を目指したが時間の関係もありシャクナゲ尾根谷コースへ向かった。
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途中○○の群生を発見した。過去10年間毎年7.8回通っている道の傍であったが今まで気が付かなかった。
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シャクナゲ尾根谷コースでは2か月前に最小限度の草刈りしていたが、大藪となっており昨年はマムシ二匹が出現したので引き返した。
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この谷は今から7,8年前までは職人が三人掛かりで作業道脇の草刈りが行われていたが今では栗の木が大きく成長したので下刈りは実施されておらず、ここ2,3年間は草刈りをしないよう忠告されていたので昨年あたりから大藪となっている。

しかし余裕があれば来年春からは再び草刈りを始めようと思っている。

時節は立秋であったが、連日の猛暑も少し和らぎスポーツドリンクは500CC6本を持参したが、消費は一本だけで済んだ。

寂地山系では昔は源流探訪を目的としてかなり寂地山周辺の沢を歩いた記憶がある。弟見山周辺では、ドウノオク谷上流、屋敷川上流も源流探訪目的で少しは歩いたがいずれも12,3年前のことで様相はすっかり変わっていることだろう。

有るか無いかは別として今度は山野草を求めて沢を歩くのも一興とも思う。

無くて元々、あれば儲けだ。。。
posted by ヤマおやじ at 02:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませんから』は リトマス試験紙


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<8月6日(月)>

8時から広島市で開催された平成30年平和記念式典がNHKで中継報道された。

広島原爆投下から73年を経過した今回もマンネリ化した式典/報道に終始した。



気になったのは『安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませんから』を彫り込んだ原爆死没者慰霊石碑のクロースアップがしつこく反復された所であった。  

ということは、NHKは『安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませんから』を強く印象付ける意図を持っていた・・・ということだ。

更に言えば、洗脳機関NHKは、“広島に原爆がおとされたのは日本国民が過ち=アジア侵略=をおかしたからだ”と視聴者に強く印象付けたかったのである。



現在、『米国による広島長崎への原爆投下は第二次世界大戦の終結を早めた』として公式見解では“広島長崎への原爆投下はしかたがなかった”・・・ということになっている。

ヤマちゃんおやじは2017年8月6日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/452478318.html
『72年間も原爆の悲惨さだけを報じるマスコミの怪』
において、上記公式見解が大嘘であることを記載した。


ヤマちゃんおやじは、『安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませんから』という碑文に初めて接した時、強い違和感を覚え卑屈感をも感じた。原爆を落とされ一瞬で十数万人の無辜の民の命を奪い広島という都市を死滅させた米国に、被害者である日本人が卑屈な媚びを売っているように思えた。

この忌わしい碑文を撰述・揮毫した人物は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)。

碑文の由来に関して、
諸霊の冥福を祈る気持ちを誓いの言葉に結びつけることに苦慮した当時の浜井市長の命を受けた秘書係長が、碑文の古典研究に造詣の深い広島大学の雑賀忠義教授に碑文の作成を依頼し、翌日即決した…という情報がある。どうも嘘くさいが・・・

雑賀忠義教授をネットで探したが記載は見つからなかった。おかしい!!!!
原爆死没者慰霊碑の碑文を撰述・揮毫した雑賀忠義・広島大学教養部教授ならば当然ウイキ等に記載されるはずだが・・・

浜井市長も被爆者であり、雑賀忠義教授も被爆者だったとのこと。

インドのパール判事といえば、東京裁判を戦勝国によるインチキ裁判だと喝破した慧眼の士だが、、パール判事は1952年11月5日に広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」をナイルの通訳を通して聞いた後、日本人が日本人に謝っていると判断し「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」との主旨の発言をおこなった。

これに対し、同年11月8日広島大学の雑賀忠義教授は、パールに「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」との抗議文を送った。

この雑賀忠義教授の反論はパール発言の3日後であり迅速である。雑賀抗議文にある『世界市民』という言葉は元々日本には存在しない文言・概念であるが、左翼用語としては有名な言葉である。

左翼作家の大江健三郎は、“日本は原爆を落とされて当然”と言う意味の発言をしている。

原爆死没者慰霊碑を設置した当時の広島市長であった浜井信三は後に民主社会党公認で参議院選挙に出馬を決意したが病没。

浜井市長の後任である山田節夫も市長時代の1970年に、原爆死没者慰霊碑の碑文をめぐり「原爆慰霊碑を正す会」と「碑文を守る会」の論争が巻き起こったが、山田は「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を示し、碑文の意図する内容は日本人の謝罪ではなく特定の国の枠を超えて、全ての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものであるとするのが公式見解となった。山田節夫は日本社会党・社民党公認で参議院選挙に出馬し当選している。

以上から原爆死没者慰霊碑の碑文は、左翼勢力または革新勢力から影響を受けたそしりは免れないように感じる。

現在の所は、
碑文については主語をめぐるさまざまな議論があったが、広島市は碑文の趣旨を正確に伝えるため、日・英の説明板を設置し、「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と記している。

結局広島市公式見解では、”原爆犠牲者慰霊”を”戦争のない世界平和の実現祈念”にすり替えられている。戦争反対を訴える左翼団体や市民団体も広島市公式見解に賛同している。

左翼や革新勢力が原爆被害地という恰好の餌に飛びつき、広島市政に浸透し牛耳る構図が碑文に見て取れる。その結果広島県は左翼県、広島市は左翼市として有名になった。


◇広島市への提言
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文に関しヤマちゃんおやじは、広島市市民局国際平和推進部平和推進課へ
以下の提言を行った。

〜〜〜提言始め〜〜〜
宛先:広島市市民局国際平和推進部平和推進課
件名:原爆死没者慰霊碑の碑文の主観的一方的解釈はやめ碑文文言を改めましょう。
本文:「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文は、被害者である日本国民が「過ち」を犯したと受け取れる表現となっており、改めるべきではないか。…という意見は碑文を読んだ人の率直な反応です。私もこの碑文に接し第一に釈然としないもの=卑屈=を感じました。
それに対し広島市公式見解では、『碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています』とされており、碑文を一方向に拡大解釈して碑文原作者を擁護し、ひいては米国内でのアイゼンハワー元帥やマッカーサー元帥らによる良識ある原爆投下反対提言を斥け広島・長崎への原爆投下指令を発したトルーマン大統領を擁護しているように感じられます。この碑文は一個人が詠む歌ではありません。原爆死没者を慰霊するための碑文です。一個人が詠む歌ならば、聞く人の感性によって歌の主張への多様な解釈が生じても一向に問題になりません。しかし原爆死没者慰霊碑の碑文では、読む人に誤解を与えるようなあいまいな表現は絶対に避けるべきです。聞く人によって異なる意味をいとも簡単に生ぜしめる原爆死没者慰霊碑の碑文は原爆死没者の霊を冒涜する以外の何物でもありません。広島市当局が真に世界平和と核兵器廃絶を願うのであれば、当該碑文を万人が誤解できない表現に変えるべきです。例えば「安らかに眠ってください 全世界の人々に過ちを繰り返させませぬから」等です。このような明確な表現なれば広島市当局が碑文への疑義に関し一々苦しい弁明する頻度は激減するでしょう。さもなければ広島市公式見解は、『広島への原爆投下は第二次世界大戦の終結を早めた』類の単なる反日プロパガンダに与するものだという確たる証拠を世間に提供することになるでしょう。終戦後数十年間公開禁止された極秘文書が戦後73年を経た現在、米国で多数公開されてきました。碑文作成時知られなかった各種極秘情報を今では多くの心ある日本国民は知っています。米国内でさえ最近では、日本と戦い敗戦に追い込んだのは米国の大きな誤りだった…と漸く気付き始めました。本年の西中国大水害で広島市では多数の死者・被害者が発生しました。最近では広島市安佐地区でも甚大な土砂災害が発生しております。広島市の重要課題は世界平和と反核兵器だけではない筈です。捉え所の無い世界平和と核兵器廃絶運動よりも、尊い広島市民の命を救い災害による被害を事前に防止するのが地方公共団体たる広島市の最重要な役割だと思います。

広島市政の重点を、単なるプロパガンダに与する似非平和主義運動から、地域住民を差し迫った災害から護る政治へ、転換すべきではないでしょうか???
地域住民の生命財産をろくに護れない地方公共団体が、世界平和と核兵器廃絶運動を声高に叫んでも果たして説得力があるだろうか???
〜〜〜提案終〜〜〜

最後に、
https://www.sankei.com/west/news/170808/wst1708080012-n1.html
から
〜〜〜百田尚樹氏広島講演 「過ちは繰り返しませぬから」に違和感覚えるかどうかが「自虐史観から脱却できているかのリトマス試験紙」〜〜〜を転載します。

〜〜〜〜〜転載始め〜〜〜〜〜
現実の世界で国民の平和と安全をどう守るかを学ぶ講座「8・6広島平和ミーティング」が6日、広島市中区のホテルで開かれた。「世界激変、問われる日本の覚悟」と題して、作家の百田尚樹氏が講演。「平和」と唱えていれば平和になるという夢想から脱却しようと訴え、約1500人が耳を傾けた。
 講座は、国ごとの現実的な利害関係がからむ国際関係を無視して真の平和を実現することはできないとするメッセージを、「原爆の日」の広島から発信しようと、日本会議広島が平成21年から開いている。
 9回目の今年は、百田氏の講演に先立って、中国に侵略されて独立を奪われ新疆ウイグル自治区と名称を変えられたとする東トルキスタン亡命政府のアフメットジャン・オスマン大統領が登壇。侵略の結果、住んでいた地域で中国による核実験が繰り返された歴史や、民族のアイデンティティーが今もなお奪われつつある現状などを訴え、「中国の脅威」は日本人にとってもひとごとではないと警鐘を鳴らした。


 百田氏は、軍事施設ではない市街地を狙った米軍の空襲は明確な戦争犯罪であることを指摘し、

原爆慰霊碑に記された「過ちは繰返しませぬから」という言葉に違和感を覚えるかどうかが、自虐史観から脱却できているかのリトマス試験紙だと主張。


国際条約で禁止されている非戦闘員の殺傷を目的とした戦闘行為である原爆投下や東京大空襲を批判するたびに寄せられていた「日本が悪かったから空襲された」という反論がここ数年で減りつつあると述べ、若い世代を中心に自虐史観が薄れつつあるとの考えを示した。

さらに、憲法を改正して自衛隊を国防軍にすると軍国主義が復活するとか、戦争を呼び込むことになるとか主張する意見を批判。約200年にわたって戦争に巻き込まれていない永世中立国のスイスは徴兵制をとる国民皆兵国家で、人口比では自衛隊の10倍以上となる規模の軍隊を保持していることや、逆に軍隊を廃して永世中立を宣言したルクセンブルクは第一次世界大戦と第二次世界大戦の2度にわたってドイツ軍に国土を蹂躙(じゅうりん)された結果、現在は軍隊を保持して軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)に加盟している歴史を紹介し、言葉のみに頼る「平和」がいかに無力かを力説した。
〜〜〜〜〜転載終〜〜〜〜〜

◇原爆慰霊碑に記された「過ちは繰返しませぬから」という言葉に違和感を覚えるかどうか自問自答すれば自虐史観感染度がはっきりしますよ。
  
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2018年08月05日

野道山東尾根コースなど整備登山(2018年第二回)


◇山歩き総集編


◇源流探訪総集編

◇反日メディアNHKによる偏向報道総集編

◇古代大陸・古代文明総集編

◇地球に移住した他星人総集編



<8月4日(土)>


本年5月22日整備登山を行ったが梅雨で笹が相当伸びたと思われるので、本年2回目の野道山東尾根コースの整備登山を行った。

余裕があれば野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈も視野に入れていた。

5時過ぎに出発し6時過ぎに徳地町柚野の物産販売所で登山支度を済ませた。
今回は虫よけ対策として携帯用蚊取り線香を用意した。

野道山登山口直前の牛舎下空地に駐車し、7時前に歩き始め東尾根コースを登った。

このコースは昨年7月29日に山友Y氏、H氏と共に初めて歩いて検分して以来、数回手入れして登山コースに仕立てた経緯がある。コース開設の理由は危険で大怪我人がでたトラバース道の代替ルート作りであった。

コースの荒れは殆ど無くかなり利用されている様子が窺われた。
とはいえ将来通路を扼するであろう笹を刈り取りながら進み、7時35分頃平坦な尾根につき、沢筋から吹き上げる涼風を受けてしばし休憩した。

此処から急坂を二つ登り8時35分頃トラバース道との合流点
DSCN9092.JPG
に着いた。

ここは絶えず涼風が吹き上げ絶好の休憩地でありここでもザックを下ししばらく涼風を満喫した。

野道山・三ツヶ峰縦走路分岐を過ぎ野道山に向かうも本年5月22日に笹刈した通路ではあるが早くも通路に笹が被り始めていたので笹を刈りながら進み10時20分頃野道山に着いた。やはり梅雨を超すと笹は一気に成長するようだ。。。

此処では320度程度の展望があるが暑気のためか靄が架かった風景を眺めながら菓子パンを食してカロリー補給し縦走路の笹刈に備えた。

ブログ御山野風景管理人様が本年春先に笹刈され、本年5月30日に当方が笹刈した縦走路は概ね快適に通行できる状況だったが、日当たりの良い場所ではやはり笹が通路にかぶっていた。
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こうなると笹との戦いは根競べの感がする。
人間側が根負けし諦めたら負けであり笹の勝となる。

真夏の山上稜線での笹刈の大敵は強い日差しと虻だ。

虻には蚊取り線香は効かない。虫よけスプレーも何のその。薄いシャツなれば虻はシャツの上からでも刺し血を吸う。虻はしつこく付きまとい追い払いに失敗すれば体にとり付き血を吸う。追い払いに成功すれば虻はいったん逃げ去るが、数分も経てば再び攻撃を仕掛けてくる。

この一時間の間に五匹の虻を殺した。虻が着衣にとまり血を吸う準備をしている所を手で瞬間的に叩き圧殺するのである。叩く手のスピードが遅ければ虻は逃げ去る。

一方沢に住む虻は小型だが、多数が群になって一斉にとびかかってくるので防ぎきれず実際に刺された痛みで刺された事が初めて判るので始末が悪い。


陽射しの強い中での笹刈は虻との闘いもありやはり疲れが違う。昨今マスコミはしきりに熱中症の恐ろしさを喧伝するので、12時半頃八方岩に着いた辺りで笹刈を止めることにした。

昨年梅雨時期に13日間にわたるブログ御山野風景管理人様との笹刈共同作戦で過去数年伸び放題の半ば廃道化した密集笹通路を大々的に刈り払い、今年も梅雨前にブログ御山野風景管理人様と当方がそれぞれ笹刈したので笹の生育はそれ程大きくなく、今回は1時間で≒300mの笹を刈った。残りは2500m程度あるが現状にておそらく通行には大きな問題にはならず、紅葉シーズンまでに済ませばよいのでは?…と思っている。

≒50cm幅登山道の笹刈速度は当方の過去の経験(人力笹刈)では、
倒れた密集笹:20〜30m/時間
密集笹:50m/時間
普通の笹:100〜150m/時間
であり、今回1時間で≒300mの笹を刈れたのは頻繁な登山道整備により笹の生育が比較的軽微だったのが原因だろう。

帰路も東尾根を下ったが、高度が下がるにつれ無性に喉が渇いたので冷えたスポーツドリンクをがぶ飲みし1リットルを飲み干した。

谷川の水をすくい顔、首筋に掛け火照りを冷やした。14時頃駐車位置に着いた時には早く冷たいものを飲み休憩したい一心で柚野物産販売所に急いだ。

此処で休憩する内に気力体力が少し戻り、鹿野の山野草の宸ノ行きキレンゲショウマなどを見る気になった。
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帰宅すると家人が“今日は今年で最高に暑かった”というのを聞いて、後半の疲労困憊の原因は酷暑だったと感じた。12時半に作業を切り上げたのは正解だった!!!

暑さのせいか山野草の宸ノは他に誰もいなかった。

夕食後直ちに就寝。

posted by ヤマおやじ at 12:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月03日

自生ナツエビネに出会えた!!!


◇山歩き総集編


◇源流探訪総集編

◇反日メディアNHKによる偏向報道総集編

◇古代大陸・古代文明総集編

◇地球に移住した他星人総集編


<8月2日(木)>


山友と某山系のナツエビネ自生地を訪ねた。

深山幽谷にひっそり咲くナツエビネに会うのは昨年来の夢であった。

ネットで調べても盗掘を恐れナツエビネ自生地に記載はない。

今年の花は早いようなので通常開花期より一週間前に訪れた。


先ずオオキツネノカミソリの大群落に出会い、ど肝を奪われた!!!

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およそ1qにわたり延々と生えているのは圧巻。


さらに奥へ奥へ進み

遂に妖精の姿に会えた!!!

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道なき道を汗にまみれてはるばる訪れた甲斐があった!!!

自然の恵みに感謝、感謝、感謝。。。

posted by ヤマおやじ at 01:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月02日

〜地球に移住した他星人〜総集編

今年も原爆の日が来る。8月6日は広島で、8月9日には長崎で。

広島に落とされた原爆は世界(地球)で初めて投下された核兵器(核爆弾)・・・・と言われている。

世界中で殆どの人がそのように信じており、常識化している。

しかし、

@『過去の地球では数百もの主な文明は全て核兵器で滅亡した』

という情報がある。



一方で、地球人のルーツに関して

最初の地球人は数百万年前にアフリカ大陸の中央部で発生し、以後世界中に拡散し各地の環境に適合しながら進化発展し人口を増やして現在に至った・・・というのが一般的常識となっている。

しかし、

A現在の地球人の中では、地球で発生した人類を祖先とする地球人は、世界人口の≒20%であり、残りの≒80%は他星から地球に移住した他星人を祖先とする…という情報もある。


ヤマちゃんおやじは@Aが真実であろうと直感した。


よって以下に@Aを紹介する。


何故地球には白色人種、黄色人種、黒人種など皮膚の色が異なる人種が存在するのか?

日本人のルーツは?

縄文文化とは?

弥生文化とは?

アトランティス大陸とレムリア大陸(ムー大陸)が海中に沈んだ理由は?

etc・ ・・・

が明らかになるでしょう。


元ネタは、足立育郎著『真地球の歴史』。詳しくは元ネタを読まれたい。

その前に、足立育郎著『波動の法則』を読まれれば『真地球の歴史』への理解は一層深まるでしょう。



◇〜地球に移住した他星人〜総集編

地球に移住した他星人PART1
 

地球に移住した他星人PART2
posted by ヤマおやじ at 00:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする