ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2017年12月31日

雪化粧の周南アルプスを歩く

<12月30日(土)>


山友Y氏、T氏とともに林道屋敷線→林道屋敷支線→林道終点→縦走路→弟見山→縦走路→莇ヶ岳→シャクナゲ尾根コース→林道屋敷線と周回した。

概ね標高850ⅿより上では雪化粧されており、ほぼ無風の好天気に恵まれ、白い雪と青い空とのコントラストを満喫でき本年最後の山行の締めくくりにふさわしいもののなった。

11時頃林道屋敷線入口を出発し、林道屋敷支線を進み
ツララをまとった小滝
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を経て

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林道終点から始まる急坂ではロープに全面的に頼って登り
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3人の足跡が残る展望台
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で昼食を採り、

山頂で焼かれた暖かい餡餅
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の差し入れを戴き舌鼓を打ったあと、他パーティがいないのが幸いして、穏やかな光を浴びてしばし日光浴を楽しんだ。

弟見山山頂から真白に見えた安蔵寺山では相当の雪が積もっている様子が窺われた。

14時過ぎに莇ヶ岳へ向かって出発した。
縦走路の笹は周南愛山会によって刈り取られていたので、笹に積もった雪に濡れることなく快適に歩けたのは非常に有難かった。周南愛山会様有難うございました。。。

15時40分頃雪の残った莇ヶ岳に到着ししばし四囲の景色を楽しんだ。

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シャクナゲ尾根コースでは滑らないように注意して下ったが2回滑り転倒した。いずれも怪我には至らず大事にならなかったのはラッキーであった。

落ち葉の下は凍っており非常に滑り易くなっていたからであろう。
17時頃林道屋敷線に下り無事林道屋敷線入口に着いた。

今年最後の山行はメンバー、好天に恵まれ誠に素晴らしかった。
諸々に感謝、感謝、感謝。。。


本年も『ヤマちゃん日記』をご訪問いただき誠に有難うございました。

来年も『ヤマちゃん日記』を宜しくお願い申し上げます。

では皆様良いお年をお迎えください!!!
posted by ヤマおやじ at 15:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

平成29年を振り返って

光陰矢の如し、早いもので2017年もあと2日になった。

今年で強く印象に残ることは、

一に

ブログ『御山野風景管理人様』と共同で7月22日にやり遂げた総延長2.8qの野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈だ。

二に

、野道山東尾根コースの新設だ。
7月25日に周南市Y氏、山口市H氏と3人で野道山新ルート候補を実地に歩行し、歩行を邪魔する雑木と笹を刈り払い新ルートの有効性を検証した。その後地元関係者の承諾を得て10月末まで登山道整備と山頂付近の眺望改善などを行った。

三に

当方にとって初めての山行は主にY氏のご案内で近年まれにみる大盛況だった。
@1月28日常安寺〜滑滝〜虎ガ岳〜下松烏帽子〜成川〜小野川源流〜虎ガ岳〜立岩〜常安寺周回
A2月21日防府市久兼公会堂〜三上山〜細岳〜綾ヶ峰〜大平山牧場〜ふるさと牧場〜久兼公会堂を周回
B2月18日下松市瀬戸の大将軍山
C2月4日下松市吉原川源流コースから茶臼山〜葉山〜深切山〜鷲頭山を周回
D2月28日岩国市 杭名〜柏木山〜弥山〜阿品〜杭名 周回
E4月18日下松市茶臼山
F4月15日オトトミ谷
G4月3日久兼公会堂〜県道27号〜野峠〜大谷山〜新ルート〜三叉路〜久兼公会堂
H4月5日久兼公会堂〜県道27号〜野峠〜大谷山〜望海山〜大谷山〜直通ルート〜県道27号〜久兼公会堂
I5月28日牧の戸〜久住山〜中岳〜天狗ヶ城〜スガモリ越〜牧の戸;宇部市市民ハイク
J5月14日国立青年の家〜日暮ヶ岳〜北尾根〜四氏谷川〜大原湖周回道〜国立青年の家 周回
K4月29日白井〜オトトミ谷〜弟見山〜ドウノオク谷〜白井 周回
L6月14日柳井市の三ヶ嶽・琴石山を縦走
M6月12日防府市牟礼 阿弥陀寺(9時半頃出発)〜大平山〜大谷山縦走路〜大平山舗装道〜綾ヶ峰〜林道堀溝線〜大谷山(真尾)〜嶽石山〜牟礼峠〜阿弥陀寺(18時半頃帰着)
N9月3日野峠(標高355m)→383m峰→540m峰→大谷山(標高559m)→575m峰→600m峰→望海山(標高616m)→太鼓ヶ岳(標高607m)→611m峰→605m峰→周南山(仮称605m)→苔谷山(仮称600m)→石砂谷林道→城山(標高453m)→石砂谷林道→県道号→野峠 周回
O7月21日県道123号〜三ツヶ峰本谷コース〜三ツヶ峰〜縦走路〜野道山〜東尾根コース〜野道山登山口〜県道123号 周回
P9月10日野道山登山口〜野道山東尾根コース〜野道山〜縦走路〜三ツヶ峰〜仏峠〜野道山登山口 周回
Q11月19日昌福寺〜要害岳〜高嶽〜射場ヶ浴新コース〜林道〜小古祖〜昌福寺 周回
R12月9日 高瀬サンスポーツランド〜千石岳〜西峰〜西尾根〜林道〜西峰コース〜高瀬サンスポーツランド 周回
S12月25日 大歳神社〜石原左コース新道
㉑12月25日 真尾、上の原墓地〜石原左コース〜砂防ダム出合

四に

、実家の田圃周辺の草刈りを初めて実施した(9月15日、9月19日、9月22日、10月14日、11月11日)。

五に

、当方にとって新たな周回ルートの検証、整備

@大谷山→久兼地区へ直接下るコースを実地に歩き、要所に赤テープを付けた。
 これにより、久兼〜三上山〜細岳〜綾ヶ峰〜太鼓ヶ岳〜望海山〜大谷山〜久兼という周回が可能になった。
A弟見山北尾根〜1020m峰までの笹刈
 本年では弟見山〜北尾根〜1030m峰、1020m峰〜北尾根最低鞍部の笹刈は完了した。
 残りの1030m峰〜北尾根最低鞍部の笹刈は出来れば来年4月中に終えたい。
 さすれば、白井〜オトトミ谷(猛烈な笹漕ぎ)〜縦走路〜弟見山〜北尾根〜1030m峰〜1020m峰〜ドウノオ ク谷〜林道〜白井 周回が少し楽になる。

六に

普通の山行
@1月4日 防府市一ノ瀬から嶽石山、大谷山(真尾)、大平山、綾ヶ峰を周回
A1月7日 小河内ルートから莇ヶ岳
B1月15日 天徳寺コースから右田ヶ岳
C1月24日 防府市の真尾一ノ瀬から矢筈ヶ岳に登り牟礼峠付近の石積場に下山
D1月24日 大道の火の山にセミナーパークから登った
E2月12日、2月13日ご案内ルート下見
F2月13日一ノ瀬〜山上山〜矢筈ヶ岳〜牟礼峠(石積場)〜一ノ瀬 周回、ゲスト様ご案内
G2月19日 如意ヶ岳から秋吉台山焼きを望見
H3月6日 ゲスト2人を徳地町の要害岳周回コースをご案内
I3月26日 タラの芽採り
J4月1日 第二回タラの芽採り
K4月8日 周南市鹿野町 屋敷林道〜シャクナゲ尾根〜莇ヶ岳〜縦走路〜弟見山〜屋敷林道支線〜と周回しその後 R315〜飯ヶ岳大滝をピストン
L4月7日 第三回タラの芽採り
M4月22日 山友のお誘いでゲスト2人と4人でカタクリ満開の弟見山を屋敷林道コースから訪れた
N5月6日 某所1、某所2にて山芍薬を観る
O5月8日 山口市徳佐神角、十種ヶ峰の山芍薬鑑賞へゲスト3人をご案内、時期遅し
P5月16日 奥匹見峡のシャクナゲ:時期遅し、次いで高津川支流蓼野川の上流にあるシャクナゲ苑
Q6月4日 屋敷林道入口に赴きシャクナゲ尾根谷コースから莇ヶ岳
R6月20日 各所で笹百合鑑賞。盗掘防止のため山名記載なし
S6月24日 シャクナゲ尾根コースから弟見山
㉑6月28日 某山にて笹百合鑑賞
㉒7月15日 Y氏、同氏のゲスト2人とともに、牟礼峠→堀溝林道→綾ヶ峰→大平山牧場舗装道→大谷山(真尾)→嶽石山→牟礼峠を周回
㉓8月3日 某所散策
㉔8月11日 ブナ林コースより莇ヶ岳
㉕8月29日 たたら林道→谷コース→高羽ヶ岳→たたら川源流(仮称)→687m峰→尾根コース→たたら林道と周回
㉖9月4日 初秋の山野を歩く
㉗11月7日 長門峡で黄葉巡り
㉘11月8日 元乃隅稲成神社へ客人をご案内
㉙11月5日 ゲスト3名を東尾根コースから野道山へご案内、新規作成の看板を取り付けた。
㉚11月13日 飯ヶ岳河内峠〜飯ヶ岳〜滑松コース〜ブナ林コース〜大滝コース〜河内峠 周回
㉛11月25日 山友と三人で野道山へ登り縦走路を経て三ツヶ峰に登り仏峠に下った
㉜11月27日 ムカゴ採り
㉝12月2日 山友、山友のゲストと3人で島根県吉賀町柿木、右ヶ谷周辺を散策した
㉞12月12日 山友とそのゲスト2人と牟礼峠→嶽石山→大谷山(真尾)→堀溝林道→牟礼峠で周回
㉟12月20日 山友とそのゲスト人と徳地町白石山周回
㊱12月23日 山友、そのゲスト2人と4人で島根県吉賀町柿木、右ヶ谷から莇ヶ岳・第二新道最低鞍部へ這い上がった

七に、
整備登山を昨年に引き続き実施した。

@1月18日 防府市嶽石山登山道でロープを追加
A2月1日 防府市矢筈ヶ岳・一ノ瀬登山道の追加整備
B2月7日 防府市矢筈ヶ岳・一ノ瀬登山口に関係する周回ルートの要所に案内板を設置
C2月15日 防府市矢筈ヶ岳・牟礼峠ルートで道を間違えやすい分岐に案内板設置
D2月19日 如意ヶ岳から秋吉台山焼きを望見
E2月25日 防府市綾ヶ峰、案内板取替、展望立木の横木を新規取替第一日
F3月4日 防府市綾ヶ峰、展望立木の横木を新規取替第二日
G3月8日 防府市矢筈ヶ岳・石原左コース、山上山付近〜砂防ダム合流点迄羊歯刈り
H3月11日 防府市綾ヶ峰、展望立木の横木を新規取替最終日、作業完了。
I3月14日 防府市綾ヶ峰でネームプレートを取替
J3月30日 大平山牧場周辺の600m峰周回コースの案内板取り付けと登山道草刈りの整備登山
K4月12日 太鼓ヶ岳〜周南山(仮称)〜苔谷山(仮称)〜望海山(仮称)周辺ルートで案内板取付
L4月24日 島根県吉賀町白井地区のドウノオク谷林道の終点〜踏み跡を辿り1020ⅿピークまで笹刈、テープ貼り付け
M5月1日 島根県吉賀町白井地区のドウノオク谷林道の終点〜踏み跡を辿り1020ⅿピークから最低鞍部へ向かって80m笹刈
N5月4日 島根県吉賀町白井地区のドウノオク谷林道の終点〜踏み跡を辿り1020ⅿピークから最低鞍部へ向かって80m先から最低鞍部まで笹刈
O5月13日 屋敷林道沿いのシャクナゲ谷で山アジサイの下草刈り
P5月20日 飯ヶ岳大滝コースと河内峠コースの整備登山
Q5月22日 高羽ヶ岳大規模林道コース整備登山、笹刈&一基目ベンチのペンキ塗り
R5月24日 高羽ヶ岳尾根コース整備登山、草刈り&倒木処理
S5月27日 高羽ヶ岳尾根コース整備登山、687mピークまでの草刈り
㉑5月30日 同上、残りの笹刈、二基目ベンチのペンキ塗り、展望立木補修
㉒6月3日  大平山〜林道堀溝線〜綾ヶ峰登山口〜綾ヶ峰〜大平山牧場T字路、大平山舗装道サイロ横〜大平山スポーツ広場 の整備登山
㉓6月12日  防府市牟礼 阿弥陀寺(9時半頃出発)〜大平山〜大谷山縦走路〜大平山舗装道〜綾ヶ峰〜林道堀溝線〜大谷山(真尾)〜嶽石山〜牟礼峠〜阿弥陀寺(18時半頃帰着) と阿弥陀寺のアジサイ鑑賞 と 登山道巡視・整備を兼ねて周回
㉔6月10日 シャクナゲ尾根谷コース整備登山
㉕6月17日 防府市綾ヶ峰整備登山にて展望立木踊場補修、林道仏峠線入口〜舗装道路に戻り、太鼓ヶ岳に向かう登山道の草刈
㉖6月25日 シャクナゲ尾根谷コース、山アジサイの周囲の雑草を刈り取り第一回
㉗6月27日 シャクナゲ尾根谷コース、山アジサイの周囲の雑草を刈り取り第二回
㉘7月1日 野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈第一回
㉙7月3日 野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈第二回
㉚7月8日 野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈第三回
㉛7月10日 野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈第四回
㉛7月12日 野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈第五回
㉜7月17日 野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈第六回
㉝7月21日 野道山・三ツヶ峰縦走路の笹刈第七回、この日で縦走路笹刈完了す
㉞7月27日 野道山東尾根コース整備登山、笹刈、テープ追加、通路の笹刈
㉟7月29日 野道山東尾根コース整備登山、間違い廉い場所に赤テープ追加
㊱8月5日 野道山東尾根コース整備登山、トラバース道合流点→山頂までの笹刈
㊲8月9日 飯ヶ岳河内峠コース整備登山、林道の草刈り
㊳8月13日 山口市徳地町の要害岳に出向き、昌福寺〜要害岳〜射場ヶ浴尾根コース(仮称)〜林道〜小古曽〜昌福寺と周回コース整備登山、羊歯刈り、山頂周辺の草刈り、倒木処理
㊴8月17日 防府市真尾、一の瀬〜山上山〜矢筈ヶ岳登山コースの羊歯の繁茂が気になり整備登山、羊歯刈り
㊵8月24日 高羽ヶ岳尾根コース入口の草原で梅雨を越して伸びた雑草を刈り、谷コースの草刈り
㊶9月2日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、山頂付近の視界改善
㊷9月9日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、案内板設置、急坂にトラロープ設置
㊸9月13日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、休憩場所を作った
㊹9月20日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、ピンクリボン追加、山頂付近眺望改善
㊺10月1日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、簡易ベンチ製作
㊻9月30日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、山頂付近の視界改善
㊼9月29日 防府市綾ヶ峰整備登山、山頂南面の伸びた草木を刈り取り
㊽9月28日 防府市綾ヶ峰整備登山、夏に伸びた草木刈り取り、倒幕処理
㊾10月4日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、簡易ベンチ製作
㊿10月8日 林道仏峠線入口〜太鼓ヶ岳整備登山、草刈り
51.10月10日 林道仏峠線入口〜太鼓ヶ岳整備登山、草刈り
52.10月18日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、急坂迂回路開設
53.10月17日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、眺望改善
54.10月24日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、急坂迂回路開設、倒木処理、簡易ベンチ製作
55.10月30日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、9合目付近の笹刈
56.10月26日〜27日 野道山新看板作り
57.11月1日 野道山新コース・東尾根コース整備登山、登り難い個所に開墾鍬で窪みを作ったあと、開墾鍬を持って縦走路を経て三ツヶ峰へ登り、仏峠に下った
58.11月15日 某山系北尾根の笹刈第一回
59. 11月21日 某山系北尾根の笹刈第二回
60.11月23日シャクナゲ尾根谷コースの草刈り
61.11月28日 某山系北尾根の笹刈第三回
62.12月18日 防府市矢筈ヶ岳石原左コース整備登山、羊歯刈り
63.12月25日 上の原墓地〜石原左コース〜砂防ダム出合まで草刈り

八に

六爻占術の学習をすべくテキストを購入し学習を開始した。

九に

、国民の知る権利を常時侵害しているマスコミが流す害毒から身を守るために、昨年に引き続き信頼のおける情報源に極力接するようにした。また反日マスコミが流す大嘘報道の一部ではあるが、その誤りを糺しヤマちゃん日記に記載するよう心掛けた。

十に

、昨年から発症した手のひらと足裏の角質化及びヒビ割れ現象は加療にもかかわらず余り好転していない。よって体に余り負荷を掛けないようにさらに気を付けねばならない。

また昨年11月に追突された車の後部が破損したが、2か月にわたり粘り強く損保会社と交渉を進めた結果、衝突前の市場価値と同等の補償額を勝ち取ることができたのは、六爻占術のお陰が大きいものの、自分としては上出来だったと感じている。感謝、感謝、感謝!!!

6年前から継続している常盤公園ボランティア活動は毎月2回年間22回予定されていたが、12回位出席した。

posted by ヤマおやじ at 17:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

四国電力伊方三号原発運転差し止めを命じた広島紅頭裁判所

<四国電力伊方三号原発運転差し止めを命じた広島紅頭裁判所>

いささか旧聞に属するが、
2017年12月13日広島高等裁判所の野々上友之裁判長は、愛媛県伊方町にある四国電力伊方原子力発電所3号機の運転差し止めを広島市の住民らが求めた仮処分申請の即時抗告審において、2018年9月30日まで運転を差し止める決定をした。

四国電力伊方原子力発電所3号機は、世界一厳しいと言われる新規制基準に適合したとして原子力規制庁から運転再開を認可されており、一審の広島地方裁判所判決では運転差しめ仮処分申請は却下されていた。

ところが広島高等裁判所の野々上友之裁判長は、熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合は安全が確保されないとして「新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は不合理だ」と結論付けた。

2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、原発の運転を差し止める高裁の司法判断は初め極めて異例な判決だ。

何故異例な判決なのか???
原発反対のマスコミはNHKを筆頭にしてその広島高裁判決の異例振りを一切報道しなかった。

ヤマちゃんおやじは、この広島高裁判決を聞いた後、五百ページ弱に及ぶ判決主文、広島高裁判決 決定要旨、抗告人が提出した準備書面などを読み、関連情報を色々調べてみた所基本的な所で不審な点が多々あることを突き止めた。


そこでヤマちゃんおやじが広島高裁判決の異例さを4つ挙げていくことにする。

〜〜〜〜異例判決の数かず〜〜〜〜

<異例1> 今回の広島高裁判決は最高裁の判例・指針に違反している。

最高裁は、1992年の四国電力伊方原発訴訟判決で、原発の安全審査は「高度で最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」との見解を示し、高度な専門性が求められる原発の安全性の判断に関し、司法は抑制的であるべきだと判例・指針を示していた。

最高裁は司法(裁判所)は高度な専門性が求められる原発の安全性の判断に関しては判断
スベキではない・・・とくぎを刺しているたのだ!!!

今回広島高裁の野々上友之裁判長は、最高裁指針を無視し自らの浅学を顧みず原子力規制委員会が認めた伊方三号原発の運転再開に待ったをかけたのである。

これは広島高裁の野々上友之裁判長の越権行為であり、狂人の行為そのものだ。


<異例2> 初めから結論ありきの高裁審査

広島高等裁判所の野々上友之裁判長は、熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合は安全が確保されないことを最重要な問題と断定し、運転差し止めの根拠としています。


阿蘇山が過去最大規模で噴火したのは9万年前の噴火です。この阿蘇山最後の破局噴火 (「Aso4」と呼ばれている)は想像を絶する規模のもので、阿蘇市、阿蘇郡高森町などのカルデラ内の全地域は消滅して、大規模な火砕流が発生し、熊本県、佐賀県、長崎県、福岡県、大分県、宮崎県北半分、山口県南部はほぼ焼き尽くされた(地質調査から推定)とされています。しかしながら阿蘇山最後の破局噴火レベルの大爆発はおそらく今後数万年は起きないといわれています。

一方伊方三号原発1994年12月に運転開始されたので、40年後の2036年12月には廃炉される運命にあります。更に十年間稼働したとしても2046年には廃炉となります。

今年は2017年なので30年後の2046年までに果たして阿蘇山最後の破局噴火レベルの大爆発が発生するでしょうか???発生確率は殆どゼロ(0.002%=1/50000)です。

しかし馬鹿者が近視眼的に見れば数字上では絶対安全だとは言えません。
広島高等裁判所の野々上友之裁判長は、絶対安全でないと、すなわち阿蘇山最後の破局噴火レベルの大爆発の発生確率がゼロではないので、伊方三号原発は運転できない…と強弁しているのです。

世の中に絶対安全というものはありません!!!

<異例3> 高裁は、抗告人側の提出資料を検証なしに無条件に採用した。

広島高等裁判所の野々上友之裁判長は、『約9万年前に発生した過去最大の噴火規模を想定すると、四国電が行った伊方原発周辺の地質調査や火砕流シミュレーションでは、火砕流が伊方原発の敷地に到達した可能性が十分小さいと評価できない』と断定した。

四国電力提出の地質調査資料では阿蘇大噴火による火砕流は到達していないデータが提出されたが、抗告人は『四国電力から提出された地質データには火砕流の存在を示すデータを出す筈がない』と記した単なる感傷的中傷資料を野々上友之裁判長は検証することなくそのまま採用した。

また野々上友之裁判長は、四国電力があくまで参考データとして提出した副次的データである降下灰量、含塵濃度の数値に関し、現在の火山学では火山噴火被害の実態数値予測は不可能と断定しながら、抗告人側から提出された想定数値を検証することなく採用して、四国電力から提出されたデータを一方的に却下して、阿蘇山噴火による火砕流が伊方三号原発に達する確率は小さくないと結論つけた。

広島高等裁判所の野々上友之裁判長は、阿蘇山巨大噴火による伊方三号原発への影響に関しては、根拠なく一方的に抗告人側の提出資のみを判断資料として採用し、四国電力側からの資料を一方的に無視した判決を出した。

<異例4>2018年9月30日まで運転を差し止めた。

2018年9月30日までとした理由を野々上裁判長は“仮処分は訴訟に比べると証拠調べの手続きに制約がある。このため、訴訟が係争中の広島地裁が異なる判断をする可能性を考慮に入れ、運転差し止めの期間を18年9月末までとした”・・・といって逃げを打っている感はいなめない。。。

仮に広島高裁の野々上友之裁判長の判断が何処に出して恥ずかしくない確実な判断に基づくものであれば、未来永劫に伊方三号原発の運転を差し止めるべきであった。

しかし判決は2018年9月30日までであり、判決内容に自信が無いことを雄弁に物語っている。

広島高裁の野々上友之裁判長は何としても『原発運転差し止め』を実現したかったのではなかったのか???
一種の売名行為とも受け取れかねない!!!

〜〜〜〜異例さの数かず 終わり〜〜〜〜


結論としては、上記4つの観点からして、広島高裁の野々上友之裁判長による判決は極めて悪質な赤色に偏向した裁判結果だと断定できる。


また、広島高裁の野々上友之裁判長は今年12月下旬定年退職とのこと。
野々上友之裁判長は今回の異例な判決によって、退職後 反原発団体からの講演依頼が確実となり当分飯のタネになる・・・との話もある。

伊方原発3号機は定期検査のため停止中で2018年1月の再稼働を予定していたが、仮処分決定は直ちに効力が生じるため、決定が覆らない限り運転は再開できない。四国電は異議申し立てや決定の効力を止める執行停止の手続きを取る方針。


最後に、『前代未聞の高裁“杞憂”判断』を以下に紹介しておく。

国民の知る権利を常時侵害している日本のマスコミが伝えない世の中の実態をしっかり御認識願います!!!


わたなべ りやうじらうのメイ ル・マガジン「頂門の一針」4546号
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        2017(平成29)年12月15日(金)
         前代未聞の高裁“杞憂”判断:杉浦正章
から転載する。

〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜
杉浦 正章

裁判官も売名をするのか
 
天が落ちてくると心配するのを杞憂という。 杞憂の「杞」は中国周代の 国名、「憂」は憂えること。杞の国の人 が、天が落ちてきたり、大地が 崩れたりしないかと、あり得ないことを心配して、夜も眠れず食事も食べ られなかったという『列子』の故事に由来する。

今度の広島高裁による来年9月までの伊方原発運転差し止め命令はまさに 杞憂判断と言うしかない。裁判長野々上友之は判断の理由を「阿蘇山に1 万年に一度の破局的な噴火が起きれば火山灰などの噴出物が大量に飛来し て火砕流が到達する可能性がゼロではない」としているが、裁判長の空想 性虚言症という症状を初めて見た。

この論理に寄れば40年の耐用期限にあと5年で到達する伊方原発が1万 年に1度の噴火を前提に稼働出来ないことになる。判決はそのゼロに近い リスクに偏執するものであって、あまりのも極端で到底容認できるもので はあるまい。

そのような噴火があれば九州全体が灰燼に帰する事態だ。例えば航空機が 原発に墜落する可能性はゼロではない。世界中でそれを理由に停止する事 態があったか。北朝鮮のミサイルに狙われる可能性も1万年に1度のリス クごときではない。

原発訴訟に対する司法判断は既に確立している。最高裁の1992年判決 は以後の原発裁判を左右する重要なものだ。やはり四国電力伊方原発訴訟 で原告側の主張を全面否定した内容は、「原発問題は高度で最新の科学 的、技術的な知見や、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委 ねられている」としている。

高度な専門性が求められる原発の安全性の判断は政府に任せて、科学的知 見のない司法がかかわりすぎるべきではないとしているのだ。全国で起き ている原発訴訟で、大半の地裁、高裁はこの判例に基づいた決定を下して いる。もっともこの判断に楯を着いた馬鹿な裁判長が過去に2人いる。

大津地裁裁判長・山本善彦と福井地裁裁判長・樋口英明だ。大津地裁の停 止命令は、稼働中の原発をストップさせるものであり、悪質極まりないと された。原子力規制委員会による世界最高水準の厳しい基準をクリアし て、やっと稼働し始めた原発を、科学的知見に乏しい山本の独断でストッ プさせたのだ。

また樋口は高浜3,4号機の「運転再開差し止め」を命じ ており、これ が原因で名古屋家庭裁判所に左遷されたが、継続審理のため 職務代行が 認められて再び「再稼働など認めぬ」という決定を下したの だ。

まるで今回同様に最高裁の判例に楯突くような決定である。弁護士と し て退官後に活躍するための売名行為とされた。これまでに地裁が原発稼 働を差し止めた例は3回あり、今回の高裁で4回目だ。いずれも「原発停 止」判断は多分に裁判長個人の“特異な性格”が反映されたものという見方 が定着している。

これらの判決は全国的に見れば極めて少数派の裁判長による異例の判決 である。だいいち、原子力規制委員会の自然災害に関する審査は非常に厳 しく、専門家が数年かけて審議し認められた結果が、裁判所のいわば素人 判断で否定されるのは全くおかしい。

活火山帯にある日本は裁判長野々上 が指摘する「約9万年前の阿蘇山の 噴火で、火砕流が原発敷地内まで到達 した可能性」のある地域など枚挙 にいとまがない。だいいち四国電力は、 阿蘇山の火砕流の堆積物が山口 県南部にまで広がっているものの、四国に は達していないと断定している。

約130キロ離れた阿蘇山の火砕流到達 を“杞憂”するならば日本に原発を造 れる場所はなくなる。そもそも6万年 前に1度あった「破局的噴火」を 想定していては、あらゆる建造物を建設 出来なくなるではないか。そう いう“杞憂裁判官”は日本に住むべきではな いのだ。


まさにここまで来るとろくろく証拠調べも行わず、たった4回の審理で 重要決定をした高裁の判断にはあきれるばかりだ。今回の仮処分は効力が 直ちに生ずるが、極めて高度な判断を要求される原発訴訟への適用は控え るのが裁判官の常識であるはずだ。

。野々上は過去の2人の裁判官同様に田 舎の判事が一生に1度全国紙の トップを飾る判断を出して、有名になりた いのだろうか。今月下旬に定 年での退官を迎える時期を狙って、次は弁護 士として活躍しようとして いるのだろうか。いずれにしても仮処分の弊害 だけが目立つ判断であっ た。四国電力は決定を不服として執行停止を高裁 などに申し立てるが当 然だ。

〜〜〜〜 転載終り 〜〜〜〜

注目すべき重大な点がもう一つある。

本裁判の抗告人は広島在住の市民となっている。
抗告人が提出した準備書面≒40頁をじっくり読んでみた。
書かれている内容はとても一般市民が書ける内容ではなく、高度な専門知識が無くては到底書けない代物だった。

準備書面の中で火山関係を書いたのは反原発団体に極めて近い火山専門家であるのは間違いない。
当方が読んだ準備書面は共産党機関紙赤旗のホームページに掲載して有ったのをコピーしたもの。

反面非常用電源のジーゼル発電機に関する抗弁内容はこじつけそのものであり、技術的にも稚拙なレベルであった。

こういう場合、市民とはプロ市民左翼活動家であり概ね共産党系統に所属しているのが常!!!
posted by ヤマおやじ at 17:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

矢筈ヶ岳石原左コースの新ルート発見

<12月25日(月)>


本年12月18日に矢筈ヶ岳石原左コースを整備登山した際、密集した羊歯を刈り払いながら谷筋を這い上がった支尾根(標高≒120m)から北方向に下る幅2mばかりの新しく開設されたルートを発見した・・・なんだコリャー!!! 

この日は山上山(標高260m)付近まで整備する予定であったので後ろ髪を引かれながらも予定通り整備を続けた関係で、この新しい通路が何処に通じているかは判らないままになっていた。

今回この疑問を晴らすべく着いた大歳神社駐車場には既に一台のバンが駐車していた。登山者?と軽い気持ちで気にもとめなかった。

正規コースから登り支尾根に達した後新コースを下り始めた時、初老の男性が新ルートを登ってくるのが見えた。挨拶をして『早速ですが、この新しい通路は何処にでるのですか?』と聞いた所、『大歳神社の横に出ます。途中西に進むと砂防ダムに出て作業道にも通じています』との答えが返ってきた。

更に、『貴方がこの通路を造られたのですか?』と聞くと、『自分たちは建設関係の者であり、砂防ダムを建設するための作業道を作っています』との答えがあった。当方もこの周辺で登山道整備をしている者だと自己紹介した後、この『新しい道を矢筈ヶ岳石原左コースの一部として利用して良いですか?』と聞いた所、『尾根道なので問題はない』との答えがあった。

この男性の後を追うように若い男性が測量道具等を担いできたのを機に、お礼を言って別れた。

それからこの新しい道を下ったが、やはり急坂はあったものの羊歯や雑木は皆伐されていたので大した問題とはならず、左右の枝道を見送り民家が点在する場所に出た。左方30mの所には大歳神社が見えた。

大歳神社駐車場にあるバンの後ろには杭の束が置いてあったので、あの建設関係の二人が乗ってきた車であろう。

大歳神社から再び新しい作業道を登りながら要所にピンクリボンを付けた。
これで今回の第一目標を達した。

ついでに標高150m辺りまで登り、
DSCN6973.JPG <岩峰&右田ヶ岳>

DSCN6974.JPG <矢筈ヶ岳&岩峰>


昼食代わりのジェリーを啜り、下山時は新ルートの途中から西へ分岐し砂防ダム(下流から三番目の砂防ダム)の堰堤(昇降階段あり)の上を渡り、作業道を通リ墓所まで下った。

いつもの癖で、次に墓所の奥から伸びる登山道を歩いてみたくなった。

墓所の奥からは多少草や雑草があり刈り払いながら進んだものの幅1ⅿ程度のしっかりした道であり、かってはかなりの通行があったように思われた。

300m?程度進むと簡易舗装道に合流した。簡易舗装道を20m程度上へ進むと比較的新しい砂防ダムがあった。この簡易舗装道は砂防ダム建設用に作られたものであり、下れば大景地区に出ることは過去の記憶から想像できた。

参考までにいえば、2013年1月15日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/313623616.html
に矢筈ヶ岳から大景コースを難儀して下った記載がある。

この砂防ダムから上方へ土石流の爪痕を辿ったがあまりはっきりした踏み跡が無いので、薄い踏み跡を追ってダムの左方から山へ分け入った。ササや雑木を刈り古い幅広道に出会ったが、この道は羊歯、倒木、雑木でビッシリ埋まっており、進行困難となったので撤退することにした。

作業道を下る時 三上山、細岳、綾ヶ峰が見えた。
DSCN6979.JPG

DSCN6980.JPG <ズーム;中央に綾ヶ峰の展望立木>

撤退はしたが、大景コース(当方は石原右コースの上部と大景コースの上部は同一だと感じている)の上部から石原右コースの下部へ接続するルートとして、墓所から砂防ダム建設用の簡易舗装道へ通じる道を確認できたのはおまけにしてはかなりの収穫であった。

老体に無理を掛けないように15時頃帰路についた。

石原右コースの上部(標高100mより上)では、旧ルートは集中豪雨で寸断されており、総じて難路の連続であり荒れ放題なので到底整備する気は起らないし、再度通過する気も起らない。

石原右コースの上部のような難路は、荒れた難路を独力で通過できる人だけが通れば良いのではないだろうか。

最近ようやく
『難路には難路としての立派な存在価値があり、みだりに難路を整備してはならない!!!』
と感じるようになった。
posted by ヤマおやじ at 18:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

再度 右ヶ谷川源流部を探訪す

<12月23日>


山友とそのゲスト2人と共に島根県吉賀町柿木(旧柿木村)の右ヶ谷川源流部を探訪した。

心配していた車道の凍結は、国道315号鹿野大潮〜徳地柚木では橋上で三カ所軽い凍結があり、県道3号では日当たりの悪い場所で2,3か所薄い残雪があったがどうにか通行できた。

本年12月2日にも同じ右ヶ谷川源流部を探訪し標高650mまで登ったがV字谷を埋める岩石群を眼前にして時間的な制約から撤退した経緯があり、今回は9時頃右ヶ谷キャンプ場を出発し出来得れば莇ヶ岳第二新道稜線での最低鞍部(標高≒840m)付近に到達したい・・・という思いがあった。

キャンプ場から旧遊歩道終点までさえも往時の通路は寸断されて沢つたいの難路となりはてており、1時間以上も時間が掛った。
DSCN6961.JPG <雪&奇木>

旧遊歩道終点から先は道らしいものは無くいわゆるV字谷を埋める岩塊の間を進むべきルートを絶えず探しながら両手両足をフルに使って滑り易い岩に気を使いながら標高差で≒150mも這い上がらなければならず、その後は標高差100mもの猛烈な笹漕ぎが待っているので、一部のマニアしかトライしないトンデモ危険ルートだ。

2008年にこのルートから猛烈な笹漕ぎのあと莇ヶ岳・小峰峠縦走路(莇ヶ岳第二新道稜線)に這い上がり、莇ヶ岳に登りピストンしたが、道なき道の笹漕ぎなどで非常に苦労した思い出以外は通過経路の記憶は殆ど消え失せていたので、当時書いたブログが唯一の情報源であった。

本年12月2日に到達した地点から先は、ゴルジュ中の岩伝いに三点支持的登り重ねを繰り返して徐々に高度を稼いだ。
DSCN6962.JPG <岩ゴロゴロの道なし危険ルート>

DSCN6963.JPG <危険なゴルジュ帯は続く>

岩の流木にはツララがあった。
DSCN6965.JPG <流木のツララ>

二股では右側の沢を進み11時過ぎ頃三つの沢が合流する地点(標高750m)に着いた。

左側の沢は明るく登り易い印象があったが笹漕ぎ距離が長くなるのは地形図で判る。
真ん中の沢では大きな倒木が沢を塞ぎ登り難い印象を受けた。
右の沢には大きな障害物は見られないので此処を笹漕ぎして登ることになった。

笹藪には薄いながらも雪が積もり滑り易いことこの上なく一旦滑り落ちれば谷底まで一気に下落するので必死で密集した笹をロープ代わりに使い両腕と両足を駆使して途中休憩を入れながら苦闘の末12時頃どうにか稜線(標高820m)に達した。

しかしそこには目指す縦走路はなく10cm程度の雪が積もった灌木笹尾根であった。眼前には右下へ流れる奇異に思える稜線が横たわり、目指す縦走路稜線も視界に存在せず一瞬失望感・不安感に襲われた。

時間的に昼食を採る時期だったので、とりあえず昼食を採り暖かいコーヒーを飲むとようやく落ち着いた気持ちで周囲を見渡すことができ次第に状況が掴め始めた。

杉の人工林がある右方に見えるピークは莇ヶ岳・弟見山縦走路中間点の983mピークの東端であり、そこから左側のピークは莇ヶ岳・弟見山縦走路途上の950mピークであり、思考を停止させた眼前に北東方向に高度を下げる稜線は莇ヶ岳・小峰峠縦走路から北東へ延びる支尾根であり、左方のピークは莇ヶ岳・小峰峠縦走路途上の910mピークであり、今回我々が到達した場所は莇ヶ岳第二新道稜線最低鞍部付近から北東方向へ派生する支尾根であり、そこから南西方向へ標高差で30m程度笹漕ぎして登れば目標とした莇ヶ岳第二新道稜線最低鞍部付近に合流する・・・という結論に達した。

四囲の景色から観てもその結論はほぼ正しいとおもわれたので、持参の剪定鋏で笹を刈りながら支尾根を南西方向に登りおよそ40分後に念願の縦走路に合流できた・・・ヤレヤレ!!!

そこから東へ20m縦走路を移動すれば標高≒840m最低鞍部があり、白い山肌の莇ヶ岳が眼前にあった(13時頃)。
DSCN6969.JPG <最低鞍部から見た莇ヶ岳>

日没が最も早い時期なので16時半までキャンプ場駐車場に着くには安全を見て下山には2時間半を要すので、遅くとも14時には最低鞍部から下山開始する必要があったので、大事をとって莇ヶ岳までは足を伸ばさなかった。

登山道から標高差80mを一気に笹原の急斜面を下る場面では、登り以上に滑り易く谷底へ落ちないよう
笹を必死に握りしめて三点支持の連続でどうにか乗り切った。

V字谷を埋める岩の間を縫うようにして危険個所を避けてくだり、沢を巻いて下るのも一苦労であった。

とはいえ余裕時間を持って下山したので途中に生えていた野生化したワサビを採取しながら難路をゆっくり下り16時前に無事キャンプ場に着いた。

今回は一瞬も気が抜けない難路歩きの連続だったが、どうにか当初目標を達成しどうにか無事に下山できたので、キャンプ場に着いた時は安堵感からホットして正直気が抜けそうになった。

天候に恵まれ、心強い同伴者に恵まれた幸運な山旅であった。
感謝、感謝、感謝。。。

当分この山域には足を踏み入れたくない!!!

夕食後振り返った。
笹漕ぎではどうしても進み易い進路を取らざるを得ない。
よって、@地形図で現在地を確かめた後A現在地から目標点へ向かう方向をセットして、B絶えずその方向へ向かうように確認して進路を調整しなければ目標を逸れた場所に到達する可能性が高い。

今回は@は良かったが、ABを確実に実行しておけば一発で目標地点に達したと思われた。

今回は幸いにも右ヶ谷とその周辺の地形図は大方ではあるが当方の頭の中に入っていた(過去数十回は当該地区の地形図を見てルート探しをしており、過去7回右ヶ谷の4つの沢を実地に歩いている)ので、現在地が比較的容易に把握できたものと感じた。

従って、右ヶ谷に関し何の前提知識も無く、今まで右ヶ谷へ踏み入れたことが無い人が、軽い気持ちでこの谷(右ヶ谷には登山道として整備されたルートはゼロ)に入るのは危険であり無謀であると明言しておく。
posted by ヤマおやじ at 19:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

巨岩の名山、白石山

<12月20日(水)>


山友、山友のゲストと山口市徳地の白石山に6年振りに登った。

2011年9月1日には大平山登山後白石山に登り、2010年9月18日には、龍護峰と白石山と真田ヶ岳の三山ハシゴ登山であった。その前にも一回登った記憶がある。

11時頃登山口を出発。

幅広い登山道は適当な傾斜で歩きやすい。
途中左側の脇道に進み大岩
DSCN6894.JPG

に登ると北方の景色
DSCN6896.JPG
が180度展開し、遠くに青野山も見える素晴らしい眺めであった。

ついで馬の鞍岩、龍駄岩
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などの苔むした巨岩が次々に現れ飽きることが無かった。

九合目あたりの白石観音を拝み、
接待岩
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DSCN6913.JPG <接待岩の中の水場>

の中に入ったあと柵と鎖を巡らせた広さ10畳くらいの物見岩(展望平面岩)
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に出た。
ここからは東方、南方、西方に素晴らしい展望が得られた。

無風に近い薄日が差す中でしばし山座同定に興じた。
四熊ヶ岳の右側に黒髪島、大津島が見えたのは新発見であった。
アザミや弟見山も見えた。

物見岩での昼食後に飲んだコーヒーは少し冷まさないと飲めないくらいの温かさであり、極上の景色に色を添えてくれた。

下山時北方の山の中腹に一群の建物
DSCN6917.JPG
を発見し、宗教施設?老人ホーム?工場?などと推理ゲームとなった。

青野山、飯ヶ岳と白石山を結ぶ線上にあった建物群を50倍ズームで拡大すると、四階建ての建を中心数個の建物が見えた。数分間思いを巡らせた後、山口市徳地の国立青年の家だと直感した。

山友がスマホ地形図で確認した所間違いないようだった。
当方が知る限り、白石山以外で山口市徳地の国立青年の家を遠方から眺められるのは、高羽ヶ岳に登る途中の687ⅿ峰と、飯ヶ岳の河内峠コース第二展望所だけだ。

下山は多少ワイルドなコースを辿り、船岩
DSCN6925.JPG

、つばめ岩
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、数珠掛岩
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、狼岩
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などの巨岩を眺めて下り、尾根を横切り15時頃登山口に着いた。
過去三回位は登っていた白石山であったが、今回ほどこの山の良さを実感できたことはなかった。

天候、同行者にも恵まれた素晴らしい巨岩巡りの山行であった。
感謝、感謝、感謝。。。
posted by ヤマおやじ at 00:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月19日

防府市矢筈ヶ岳石原左コース整備登山

<平成29年12月18日(月)>

比較的好天気なので近場の山歩きとして、登山道整備を兼ねて石原左コースから防府市矢筈ヶ岳に登ることにした。

道中山々には雪の姿は見えないので、より標高の高い綾ヶ峰にも食指が動いたが筈ヶ岳石原左コースの羊歯が気になったので予定通リ真尾に向かった。

真尾大歳神社入口の駐車場から歩き始めたが、本年3月8日の整備登山で木に括り付けたピンクリボンが無くなていたので第四番目の砂防ダム付近の複数の踏み跡を辿ったがいずれも行き止まりとなった。

天気が良いので砂防ダムの堰堤上で昼食とし、ムスビを食しコーヒーを飲んだ。

いずれも冬用バージョンでザックに収納したので、ムスビは暖かく、コーヒーは舌が焼ける程熱かった。コーヒーはドリップ後再加熱してポットに入れたのが功を奏したようだ。

昼食後心機一転し羊歯をかき分け再度ルートを探した所、赤テープが見つかり暫く登った所で、道は高さが最大で1mもある羊歯の群落に阻まれた。
DSCN6878.JPG <通路を塞ぐ羊歯の群落>

DSCN6877.JPG <羊歯刈り後>

結局密集した羊歯に覆われた急傾斜で標高差≒30mにもかかわらず、羊歯狩りに約一時間を要した。

この部分は今年3月8日時点では羊歯はそれほど密集していなかったので通過しただけであったのだが、9か月も経てば様相は一変していた。やはり日当たりの良い場所は要注意だ!!!

ようやくたどり着いた支尾根で想定外の光景が展開した。

何と尾根から北下方へ新たな幅2mものルートが開設されていた。地籍境界に比し伐採幅が広いので新規ルート開設だろうと思った。
DSCN6879.JPG <新規幅広登山道>

ルートに沿って支尾根の立木は全て伐採されているので、見晴らしが非常によく登山道としては魅力あるものに思えた。
DSCN6880.JPG <見晴らしが良い新規幅広登山道>

個人にせよ、団体にせよ、今時新たな登山道を開設される気概に敬服したい。

いずれこの新しい登山道を麓まで歩いてみたくなった。

その後、一の瀬〜山上山〜矢筈ヶ岳ルートとの合流点まで進んだが時計は16時近くになっていた。
DSCN6881.JPG <西から見る山上山>

DSCN6882.JPG <岩峰(右)と矢筈ヶ岳>

今年3月8日に整備した効果もあり、件の大密集羊歯以外は余り荒れた個所は無かった。

やはり登山道整備は少なくとも年に1、2回定期的にやっておけば大きく荒廃することはないので整備労力も少なくて済む・・・ということがようやく実感できるようになった。

下山前に16時頃飲んだコーヒーはまだ40度Ⅽ近くの暖かさを保っていた。10時に入れたコーヒーが6時間後でも暖かく飲めたのは朗報だ。

今回は予想外の羊歯狩りに時間が掛かり、山頂どころか半分の標高までしか登れなかった。
しかし想定外の新登山道に出会えたという収穫があった。

別に山頂を極めなくても、自然に親しく接するだけで良いのだ!!!


参考までに石原左コース入口までのアクセスを記しておく。

@防府市真尾、大歳神社入口駐車場(無人、無料、4,5台)に駐車させていただく
A小川沿いに道を砂防ダム上流方向へ進む
B三番目の砂防ダムを過ぎた辺りのY字路で左側の道へ入る(道路の左側に赤テープあり)
DSCN6887.JPG <Y字路>

DSCN6886.JPG <ここで左側の道へ入る>

C≒40ⅿ進み(赤テープあり)、
DSCN6888.JPG <40m進んだ所、ここで左側の沢を渡る>

D左折し沢を渡る(対岸に赤テープあり)
E上流へ8ⅿ進み、左上方にある幅広い赤テープがある雑木から斜面を登る
DSCN6890.JPG <左上方の雑木に付けた幅広赤テープ>

以降はピンクテープに従い道なりに辿ると、一の瀬〜山上山〜矢筈ヶ岳ルートとの合流点に至る。

posted by ヤマおやじ at 12:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

世界一危険な普天間第二小学校移転を2回も阻止した基地反対闘争プロ市民団体

<12月7日(木)〜12月9日(土)>

強い寒気の来襲で部屋にこもり、2007年7月から開始したブログ『ヤマちゃん日記』の内容別リストを作成するため、とりあえず@山歩きA水源探訪B滝について調べ始めた。2008年まで1年分だけ調べたが3時間程度の時間を要した。リスト完成はいつになるやら???

<12月10日(日)>


20時から21時まで無料WEBセミナー『日本人がしっておくべき反日組織国連の正体』を視聴した。講師はあの藤井厳喜氏であった。

大多数の日本人は、国連と言えば〜国際的な諸問題を解決するという崇高な使命を帯びた権威ある国際組織〜として有り難がっているように見受けられる。

ヤマちゃんおやじが40才台のころ、後輩社員が“国連は国際問題を解決する最高機関であり、国連に問題を持ち込めば国際問題は直ちに解決する”と 神ががった信頼を国連に置いているのを知り驚愕した記憶がある。

近年では旧民主党代表の小沢一郎なども“国連中心による政治・外交・安全保障”としばしば主張していた。

国連の下部組織であるユネスコが世界遺産を認定する関係もあって、日本では国連は素晴らしい世界に冠たる組織だと思われている。

藤井厳喜氏の指摘を待つまでもなく、以前からヤマちゃんおやじは国連は役立たずな糞組織だけ出なく、捏造情報で日本を貶めるための主要な国際的舞台だと気が付いていた。

より詳しくは
ヤマちゃん日記2007年10月23日『国連至上主義は国の主権放棄につながる危険思想』
http://yamatyan369.seesaa.net/article/62022979.html

ヤマちゃん日記2015年10月22日『日本は国連の敵国!!!』
http://yamatyan369.seesaa.net/article/428301588.html

日弁連も国連を舞台にして日本を貶めています。
2013年11月18日のヤマちゃん日記『反日左翼勢力日弁連の罪業』
http://yamatyan369.seesaa.net/article/380584647.html

2016年4月7日のヤマちゃん日記
『国連女子差別委員会委員長はド左翼弁護士林陽子、即刻罷免を!!』
http://yamatyan369.seesaa.net/article/436335140.html
を参照されたい。

今回のWEBセミナーの要旨は、
1.国連の英語名称はUNITED NATIONS(連合国)であり、第二次世界大戦で日独伊の枢軸国と戦った戦勝国連合を意味する。が日本の外務省は意図的に『国際連合』と翻訳し国民を欺瞞した。

2、国連は1946年に発足したが、当時の加盟条件は『1945年3月1日までに日本に宣戦布告している事』であり、発足当時から反日であった。

3.国連憲章には敵国条項があり、日本は国連の敵国に指定されている。
敵国条項とは、国連憲章第53条、第77条1項b、第107条に規定されている。
「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項を無効に、または排除した場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止できないとしている。また敵国の侵略政策の再現に備える地域的取極がなされている場合も、安保理の許可がなくとも敵国に対して軍事的制裁を課すことができる。

その内容を端的に言えば、第二次大戦中に連合国の敵国であった国が、戦争の結果確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を科すことができる、としている。

4.国連は世界平和に貢献してこなかった。
北朝鮮の核ミサイル入発保有、シナによるチベット、ウイグルの侵略支配、ユーゴスラビア内戦、シリア内戦等々。独立国チベットはシナによる侵略を受けた際国連へ助けを求めたが国連は何もせず結局シナがチベットを侵略支配するに至った。

5.腐敗と浪費が著しい国連の下部組織ユネスコ。
レーガン大統領はユネスコを監査させたところ1400万ドルの使途不明金があった事が判明し、米国は1986年ユネスコを脱退した。

6.国連を舞台にした調査無し無審査で極左勢力と結託した反日活動の数々
@日本の性奴隷(慰安婦)を世界中に宣言した『国連クマラスワミ報告』
A国連拷問禁止委員会による『日韓合意見直し勧告』
B国連人権委員会による『テロ防止法案反対表明』
日本には共謀罪が存在しないために国際犯罪防止を目的とした『パレルモ条約』に過去十年間も入れなかったが、『テロ防止法案』成立によって世界で188ヵ国が加盟している『パレルモ条約』に世界で187番目にようやく加盟できることになった。
NHKや民放、朝日、毎日などマスコミと、共産党、民進党など野党は『テロ防止法案』は共謀罪の再来だとして一大反対キャンペーンを張り国会審議に圧力を加えてきたきたのはつい最近のことである。換言すれば、NHKや民放、朝日、毎日などマスコミと野党は国際犯罪防止を目的とした『パレルモ条約』への加盟に断固反対したこととなり、NHKや民放、朝日、毎日などマスコミと野党の正体は反国民組織=反日組織=だと断定できる。
C国連人権委員会特別報告者は『日本に言論の自由は無い』と非難
シナでは共産党政府を非難する情報はネットから常時監視・削除され国民に触れることはない。シナでは巨額な国防費を上回る予算が国民の生活監視や政府反対意見の抑え込みに費やされている。
日本程言論の自由が保障されている国は珍しい。

ユネスコでの世界遺産登録決定にお祭り騒ぎで大喜びしている日本人関係者が多いが、名所旧跡の価値はユネスコ認定とは無関係だ。ユネスコが認定しなくても価値あるものは価値があるのだ。

北朝鮮による日本人拉致問題で国連は何の貢献もない。
尖閣諸島でのシナの領土侵犯に対しても国連は無力だ。
日本は国連で敵国条項の適用対象国であり、常任理事国にもなれなかった。
なのに国連分担金は米国に次いで第二位であり、こんな役立たずな反日糞国連に日本の外務省は毎年250憶円もの巨額な分担金を支払っている。常任理事国のロシアでさえ年に100億円程度なので、日本はさしずめ年に50億円程度に減額すべきだ。外務省は血税を年に200億円もどぶに捨てているのだ=外務省は国賊=


<12月12日(火)>


山友からのお誘いで山友のゲスト2人と防府市の牟礼峠→嶽石山→大谷山(真尾)→堀溝林道→牟礼峠で周回した。

今年の冬の寒気は強く、国道2号線沿いの山々は雪で覆われていた。
山道では枯葉の上に雪があり坂道では非常に滑り易くなり、途中で簡易アイゼンを装着した。急坂を上ったが汗は殆ど出ず、寒風が吹きすさぶ尾根道では絶景鑑賞もそこそこにしてひたすら2時間も登り、
DSCN6857.JPG

切通しで昼食を採った。
DSCN6864.JPG <落葉と雪のコラボ>

今回は、熱く温めたムスビの外側からカイロを2枚貼り、その上に小型毛布を巻いてザックインナー内に収納したので、ほくほくのムスビを食べることができたのは一つ進歩した。

コーヒーは前回と同じスタイルで保温したが、ポットに入れる前に煮沸加温しなかったので40度程度の温度だった。やはり煮沸加温すべきだ。

道中全て雪に囲まれたのは今シーズン初であったが、寒中での良い運動になった。
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DSCN6874.JPG <魚止めの滝>

<12月13日(水)>


夕方のNHKニュースで、沖縄県の普天間基地に隣接する普天間第二小学校に米軍ヘリコプターから重さ8KGものガラス窓枠が落下し学童が軽傷を負ったと報じ、NHKは小学校が危険にさらされる元凶は普天間基地そのものと言わんばかりの映像を流し続けていた。

その後このガラス窓落下を契機に再発防止が採られるまでは普天間基地の全ての航空機の飛行禁止などが地元では叫ばれ始めている。

学校の危険性に関し表面上ではNHKの報じる通りであるが、元々普天間基地は無人の原野に作られた。

その後普天間基地の周囲に民家が建てられ、1969年に普天間第二小学校はわざわざ普天間基地境界線に密着して建設されたのである。

何故危険な普天間基地に密着して小学校が建設されたのか通常では理解できない。
しかし普天間基地の危険性をことさら宣伝する目的で普天間第二小学校をフル活用する下心があったとすれば、納得できる話ではある。。。

1981年頃普天間基地での航空機事故を契機に普天間第二小学校のより安全な場所への移転が計画されたが、基地反対プロ市民による強硬な反対により、普天間第二小学校の移転は阻止された。

1988年にも普天間第二小学校の老朽化に伴い再びより安全な場所への移転が計画されたが、再度基地反対プロ市民による強硬な反対により、普天間第二小学校の移転は阻止され苦渋の選択として普天間基地に密着した従来場所(世界一危険な小学校)に再建された。



平成21年04月10日衆議院 外務委員会 8号から安次富修衆議院議員の発言を以下に転載する。
〜〜〜転載始め〜〜〜
普天間第二小学校というのがあります。普天間基地のすぐそばにあって、これもまた世界で一番危険な小学校だと言われております。
二十年前(1988年)になりますけれども、当時 、私は宜野湾市の市会議員をやっていて 、この普天間第二小学校が当時老朽化が激しかったものですから、現地で改築するか、それとも、フェンス沿いですから、移転させるかという話がありました。
大体三百メートルそのフェンスから遠ざけて、キャンプ瑞慶覧の中に、一部返還させて、そこに普天間第二小学校を少しでも普天間基地のフェンスから遠ざけようということで、移転の構想が持ち上がったわけでありますけれども、
当時の革新市長は 、第二小学校が出ていく 、そういうあれはない 、基地こそ出ていけと言ったんですね。 基地こそ出ていくべきだと。ところが、当時自民党系の私たち市会議員は、いや、現実を考えた場合、少しでも危険から遠ざけるべきじゃないかということで、移転を提言したわけでありますけれども、
とうとう現地での第二小学校の全面改築ということになりました。それが現実的に今も続いているわけであります。基地は出ていかなかった。現実として、今、普天間第二小学校も危険にさらされているということであります。
 ̄〜〜〜転載終〜〜〜

換言すれば普天間基地反対プロ市民達は、普天間第二小学校の危険回避を犠牲にして普天間基地反対闘争を優先したのだ。

さらに言い換えれば、普天間第二小学校がより安全な場所に移転すれば、普天間基地反対闘争の有力なネタが無くなるのを普天間基地反対プロ市民達は恐れたのである。

詳しくは沖縄在住者によるブログ『狼魔人日記』
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/795f8177fbfe5977b2fc307c3b90b2c2
を参照されたい。

普天間基地が無くなれば一体だれが喜ぶのか????

尖閣諸島を日本から分捕り、沖縄を日本から独立させて西太平洋をまず支配しようとしているチャイナだ。

普天間基地反対プロ市民達の背後に中国共産党政府が控えていることを見逃がしてはならない。

NHKは中国共産党政府お抱えの宣伝放送局なので、普天間第二小学校移転に普天間基地反対プロ市民達が猛反対して頓挫させた事実を隠蔽するのである。

この事実を隠蔽し報道しないNHKは国民の知る権利を明らかに侵害している。

先日最高裁は、NHKには国民の知る権利を護る目的があり、その目的達成のためには広く国民から受信料を強制的に徴収する法的根拠がある旨の判決を下した。

よって偏向報道によって国民の知る権利を頻繁に侵害しているNHKには、広く国民から受信料を強制的に徴収する法的根拠はないことになる。


<12月14日(木)>


一か月半ぶりに公園ボランティア活動に参加した。
ここ5年間で伐採してきた原野に残った木の切り株の除去を始めた。

完成の暁には、ここに草を植え子供たちが走り回る空間ができれば…と願っている。
この日は開墾鍬と鋸、枝カッターを使い、株五個を除去した。
意外と重労働であった。


<12月15日(金)>


四国電力伊方原発三号機運転差し止め訴訟判決文(広島高等裁判所)を調査した。
五百ページ弱の大ボリュームなので読むだけでも時間が掛かり現在進行中。
いずれ調査結果を記載予定。

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2017年12月11日

千石岳周回 : 地球温暖化二酸化炭素説という詐欺芝居

<12月6日(水)>

有料WEB配信サービス“インペリアル・アイズ12月号”を視聴した。

内容は
<1>満鮮経営〜聖地を護りし者〜
<2>陸英修殺害の真実〜鄭潤会失踪の謎〜
<3>統一国家『高麗??』建国の謎
<4>Q&A
であった。

有償コンテンツの内容をみだりに広報すれば営業妨害になるので詳述はできないが、マスコミが伝える北朝鮮情報とは全く次元が異なる内容であった。

しかし少しだけ言及してみよう。

バンアレン帯というものがある。
一般通念では、地球の磁場にとらえられた、陽子、電子からなる放射線帯をバンアレン帯おいい、太陽風や宇宙線からの粒子が地球の磁場に捕らわれて形成されると考えられている。

Q&Aの部では、落合氏は、“バンアレン帯は大気圏核実験により発生した放射線の微細ゴミが集まったものであり、地球の異常気象の元凶は大気圏核実験による放射能”だと断言した。


現在、地球温暖化や異常気象の原因は大気中の二酸化炭素濃度の増大とされており、世界中で二酸化炭素の排出量を抑制すべく2015年12月12日COP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)で2020年以降の温暖化対策の国際枠組み『パリ協定』が正式に採択された。

合意されたパリ協定の内容は、全体目標として掲げられている「世界の平均気温上昇を2度未満に抑える(1.5度に抑えることが、リスク削減に大きく貢献することにも言及)」に向けて、世界全体で今世紀後半には、人間活動による温室効果ガス排出量を実質的にゼロにしていく方向を打ち出した。
そのために、全ての国が、排出量削減目標を作り、提出することが義務づけられ、その達成のための国内対策をとっていくことも義務付けされた。

今世界中で、『地球温暖化や地球異常気象の原因は大気中の二酸化炭素濃度の増大』が絶対的真実として半ば常識になっています。

その中で2017年6月1日米国のトランプ大統領は、COP21パリ協定からの離脱を宣言し、世界中からごうごうたる批判を浴びました。

ヤマちゃんおやじは、トランプ大統領によるCOP21パリ協定からの離脱の報に接し直ちに喝采を送りました。その理由は地球温暖化・異常気象の原因を二酸化炭素と断定するのは間違いだと感じていたからでした。

ヤマちゃんおやじはIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)といういかがわしい団体が“地球温暖化二酸化炭素説”を打ち出した時分からうさん臭さを感じていた。

その後地球温暖化二酸化炭素説は大嘘であり、背後に大きな秘密が隠されているという思いが強くなり、大嘘だと確信するに至った。

北極の氷の量は減っていますが南極の氷の量は増えています。
地球温暖化・異常気象の原因が二酸化炭素濃度の増大であれば、北極の氷も南極の氷も減らなければなりませんが、実際には南極の氷は減っていませんのです。おかしいでしょ・・・換言すれば、地球温暖化・異常気象の原因が二酸化炭素濃度の増大ではないのです。。。

ヤマちゃん日記では、地球温暖化二酸化炭素原因説は大嘘だとして、
2011年4月12日『二酸化炭素地球温暖化説の大嘘!!!』
http://yamatyan369.seesaa.net/article/195461969.html
2011年12月16日『地球温暖化の真の原因は核実験による放射能!!!』
http://yamatyan369.seesaa.net/article/195461969.html
にその根拠を記載してきた。

今回落合莞爾氏が“地球温暖化・異常気象の原因は大気圏内核実験による放射能”だと断定したので、ヤマちゃんの推察と概ね一致する結果となりいささか気分が良くなった。

大体国連が咬んでいる所が曲者である。国連は地球にとって害虫でしかないからである。

所詮国連は世界金融連合=グローバリスト=イルミナティが世界支配のために作った隠れ蓑に過ぎないのである。

トランプ大統領は、地球温暖化二酸化炭素原因説は大嘘だと見抜き、COP21パリ協定から離脱した。

賢明なのはトランプ大統領であって、世界金融連合=グローバリスト=イルミナティによる地球温暖化二酸化炭素原因説という宣伝をろくに検証もせず、イルミナティによる洗脳を頭から信じ込んだCOP21パリ協定加盟国196ケ国政府はさしずめ大馬鹿者でしかない。

マスコミに洗脳された大馬鹿が賢明なトランプ大統領を非難している・・・現在の世界の構図が読み取れる。


しかし、EU諸国では経済未発展の東欧諸国が持つ二酸化炭素排出権があるので、今後ドイツやフランスが実際に二酸化炭素排出量を全く削減しなくてもEU全体では二酸化炭素削減目標を達成できる事実は一切報道されていない。だからフランスやドイツはCOP21パリ協定に大賛成なのです。

地球の異常気象を引き起こした責任は、大気圏核実験を多数回実施した米国、ロシア、英国、フランス、中国が負わねばならないのである。

自分たちの犯した罪を無罪の世界各国に押し付ける狡猾な核兵器保有国家!!!
これが白人国家、漢人国家の汚い特性です。

このように実際の世界は嘘に満ちた汚いのです。表には裏があるのです!!!

このように、この世界は嘘が蔓延していますが、誰もその大嘘を疑わず信じています。
マスコミの報道を皆信じているからでしょう。

報道を疑いましょう。世の通念を疑いましょう。


<12月9日(土)>


足の裏のヒビ割れが再び発生したのでしばし山歩きを自重していたが、医者の進める養生を続けた所完治ではないが状態が良くなったので、山友からのお誘いを受け千石岳(標高630m)に登った。

寒波来襲で積雪も心配したがそれ程悪天候でもなく11時頃周南市高瀬、高瀬サンスポーツランド駐車場(標高155m)を出発した。

今迄千石岳へは全てピストンであり,今回の周回コースへは初挑戦であった。しかし山友は周回コースを熟知しており安心して同行した。

あまりはっきり記憶していないが、中島先生のガイドブック“山口百名山”に従って初めて千石岳に登ったのは10年以上も昔だったような気がする。

県道鹿野夜市線を少し歩き左方の石橋を渡り、銀杏の実が落ちた狭い山道を這い上がり、高瀬八十八カ所霊場巡りの五番石仏を拝みながら『今日は石仏さん』と声を掛け、六番石仏・・・
DSCN6851.JPG

DSCN6852.JPG <屋根付き石仏>

と順次登山道に沿って尾根筋を進み次第に高度を稼ぎ、手入れされた茶畑の傍を通過して見覚えのある西迫上集落に着いた。

案内板に従い右側の登山道に入り再び尾根道を登り林道登山口に着いた。何と四台の車が駐車していたが一台はトラックであり、無線工事業者の車だと推量した。

九合目あたりで振り返れば島地川ダムがしっかり見えた。
DSCN6853.JPG

13時頃着いた山頂では十数人の工事業者により新しい無線塔の工事が行われており、山頂周辺は作業でかなりぬかるんでいた。

昼食を終えた工事業者が下山したので空いた東屋で昼食を採った。

今回は山頂でも熱いコーフィーが飲めるように多少工夫してきたので丁度実地テストとして飲んだコーヒーの温度は推定で50度以上はあり、少し冷まさないと熱くて飲めない程でまあ大成功と云えメデタシメデタシであった。

同行のお二方にもおすそ分けしたところ好評を頂いた。
当初は有名(高価)なスタンレーの保温ポットを買う予定にしていたが、買わずに済んだことになる。

山頂からの眺望は曇天にもかかわらず非常によく、
DSCN6854.JPG
遠く国東半島や由布岳、鶴見岳までも望遠できた。
DSCN6856.JPG

DSCN6855.JPG

暫し山座同定に興じたあと整備された登山道を下り西峰に向かった。

ここから通常の周回ルートではない北西の尾根を下り林道に出るルートをとったものの、しだいに踏み跡も薄くなったが山友の持つスマホにより進むべき方向が示されたので当方はただ剪定鋏で枝を払いながら下山するだけで良かったので気は楽であった。

しかし断崖状の急斜面に出会った時は地形を見て崖の周囲を回り少憩後、谷底に急降下する小径を発見して下り無事林道に合流できたので若干のワイルド感はあった。

その後西峰からの下山道まで林道を登り返し、正規の周回ルートを下った。西登山口の直前からは鉄製の手摺・階段が設置してあり急坂での安全確保がなされていたのはさすがであった。途中から石仏を追って荒れた旧道に分岐して程なく車道(高瀬〜安養地)に出て駐車した高瀬サンスポーツ広場に着いた。

今までの千石岳登山はピストンばかりであったが、今回周回コースを初めて回ってなかなか良いコースだと つくずく実感した。感謝、感謝、感謝。。。
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2017年12月05日

中国に戦わずして勝つ道 ; 右ヶ谷散策

<12月2日(土)>

山友、山友のゲストと3人で島根県吉賀町柿木、右ヶ谷周辺を散策した。

右ヶ谷とは莇ヶ岳北面の谷であり、過去4回右ヶ谷から莇ヶ岳へ登ったことがある。
その他に、弟見・莇縦走路の983ピークから右ヶ谷川まで登山道(現在は藪化し通行不可)を下降したこともある。4回は右ヶ谷川から莇ヶ岳方面、弟見・莇縦走路へ登ったもので、いずれも道なき道を進み最後は猛烈な急傾斜笹薮と1〜2時間もの悪戦苦闘の末縦走路に立ち莇ヶ岳へ登った経緯がある。

そもそも当方が右ヶ谷へ関心を持ったのは、莇ヶ岳でしばしば出会っていた周南愛山会N氏から“右ヶ谷には三段滝がある”と聞き、三段滝の所在を探りたくなったからである。

よって右ヶ谷の主だった沢を一つ一つ遡れば三段滝に遭遇するはずだと思い至り、せっせと右ヶ谷へ通い沢詰めに励んだのが2011年秋であった。
より詳しい記録は以下を参照されたい。
2011年11月1日ヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/233022120.html
2011年11月3日ヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/233301094.html
2011年11月18日ヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/235817401.html

今回の散策はもともとは右ヶ谷から莇ヶ岳へ登るルートの下見であったが、日没が早い12月2日では、安全第一に徹し右ヶ谷キャンプ場から莇ヶ岳第二新道最低鞍部(標高840m)を目指し行ける所までボチボチ歩くこととなった。

草が綺麗に刈られている広いキャンプ地を横断し、古びた橋を渡り右ヶ谷川に沿って遊歩道を進んだ。予想に反し遊歩道の笹は刈り取られており、第一の二股までは概ね快調に進めた。

遊歩道は次第に崩落個所が現れしばしば沢の中を進む恰好となったそれでも遊歩道終点の第二の二股(標高≒600m)まで
DSCN6849.JPG <第二の二股>
はそれほど苦労する場面はほとんどなく、谷川の淵
DSCN6843.JPG
や散在する古木
DSCN6844.JPG

を眺めたりして豊かな自然の中を散策できた。

やはり莇ヶ岳の島根県側には人工林は殆どなく手付かずの自然が残されているのが実感できた。

第二の二股で小休止し、左側の沢に進むこととした。
ここから先は踏み跡もない道なき道を沢に沿って進むことになる。

第二の二股から200m程度すすむと右側に小滝が現れ右側を登り若干平坦な場所(標高≒670m)で少憩した。

行く手にはV字谷を埋める岩隗の間を沢水が流れ下り一見遡行不可能に見えるが実際はそれ程の難所ではなく岩伝いに問題なく登れるのであるが、下から初めてこのゴルジュ
DSCN6847.JPG
を見上げる人にとっては大きな威圧感を与えるであろう。

丁度昼時となったので軟らかい冬の日差しを浴びながらゆっくり昼食を採った。沢を見下ろすと落葉した古木の梢には青い空が広がる様はさすが右ヶ谷!と褒めたくなる程の眺めが展開していた。
DSCN6850.JPG <苔むす古木>

天気は快晴であり更に1時間程度は登れる余裕はあったが、道がしっかりした別の谷を訪れることとなりここから往路を引き返した。

より下流の広い谷に入り、かなり踏み込まれた作業道を辿り巨木を眺めながら高度を稼ぎ作業道終点に達しここから引き返した。

結果的に具体的なターゲットを設定しない気儘な山歩きとなったお蔭で、手付かずの右ヶ谷の豊かな自然の中にゆっくりと浸れた最近稀な山歩となった。

これからは目標を持たないゆったりした山歩きをメインにしたいと実感した一日となった。


<何故日本は大東亜戦争に巻き込まれたのか?>

今年も12月8日を迎える。マスコミはこぞって嘘の歴史番組を流し大衆の洗脳に余念がない。

1941年12月8日(日本時間)、 第二次世界大戦:でマレー作戦・真珠湾攻撃し日本が米英に宣戦布告した。

真珠湾には米国海軍の最新鋭航空母艦三隻(エンタープライズ、レキシントン、サラトガ)は存在せず、米国太平洋海軍の主力戦力を叩くという山本五十六帝国連合艦隊司令長官による真珠湾奇襲作戦の戦略目標は達成されなかった。日本海軍の暗号を解読し真珠湾攻撃を事前に知っていたルーズベルト大統領と米軍首脳は三隻の空母を真珠湾から真珠湾攻撃の11日前と4日前にそれぞれ真珠湾を出港させてにいたのである。真珠湾攻撃で日本軍が撃沈したのは退役寸前の老朽戦艦、艦船ばかりだった。しかも真珠湾は遠浅であり、これらの攻撃を受けた艦船は早期に修理されて戦場に復帰している。

真珠湾作戦で、石油タンク群、修理ドックは攻撃されなかったのは山口多聞少将が進言した第二波、第三波攻撃を却下し早々に戦場を後にした真珠湾攻撃機動隊司令官南雲忠一の大失敗だと言われている。もともと水雷艇の経験しかなく航空機による攻撃の経験がゼロの南雲忠一を機動部隊司令官へ抜擢したのは山本五十六連合艦隊司令長官であり、無能な南雲忠一をミッドウエー海戦でも再び機動部隊司令官として重用し日本帝国海軍のトラの子の航空母艦四隻と艦載機の全てを失わせた原因を作ったのはひとえに山本五十六連合艦隊司令長官だ。山本五十六は米国での対日参戦マル秘作戦と連動してそれまで帝国海軍作戦計画になかった真珠湾攻撃作戦を急遽持ち出しごり押しして実現させた経緯があり、ヤマちゃんおやじは軍神と崇められているが山本五十六こそ米国のスパイを務めた人物だと思っている。

山本五十六元帥売国奴説の詳細は2012年10月31日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/299797938.html
を参照されたい。


米国のルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知らされていた。日本帝国海軍の暗号はすでに解読されていたからである。しかし、ルーズベルト大統領は米国太平洋艦隊司令官のキンメル大将には日本軍による真珠湾攻撃作戦情報を一切知らせず、日本帝国海軍が攻撃するにまかせ戦艦アリゾナ沈没外、航空戦力の八割喪失などの大損害と2000名以上の戦死者を故意に出させ、米国内の九割を占めていた反戦気運を一挙に対日参戦に逆転させたのである。

スニーク・アタック(卑怯な奇襲、真珠湾を忘れるな・・・これが対日戦争の合言葉になった。

戦争開始において宣戦布告を行う義務はないのは、軍事分野では常識であるが一般大衆にとっては“日本憎し”という激高を引き起こすには十分であった。

しかし、上には上がいる。当時のルーズベルト大統領の周辺の中枢部にはソ連のスパイが政府高官として多数潜入就任しルーズベルト大統領を支配していたことが終戦後60年も経てベロナ文書で明らかになった。

当時のソ連首相のスターリンは、ドイツと日本から挟撃されソ連が敗れることを非常に恐れていた。当初日本はまず東南アジア方面に進出しインド洋を制しドイツを共同して中東方面を経て西欧、ソ連を包囲殲滅する作戦を立てていた。スターリンは米国に潜入させたスパイ(大統領補佐官、閣僚、次官クラス)を動員してルーズベルト大統領を支配誘導し議会に諮ることなく対日参戦を画策させ実現させ、日本に放ったスパイのゾルゲ、朝日新聞記者でコミンテルンのスパイの尾崎秀実(近衛内閣のブレーン)を通じて当時の近衛首相を動かして日中戦線拡大へ導いていった。

かくしてスターリンの構想通りに歴史は動き、日本は日中戦争へ深入りし、米国との戦争へ突入していったのである。これでスターリンは安心して、満州周辺に投入した東部戦線の大兵力を西部戦線へ移動投入し対ドイツ戦で勝利を得たのである。

こうしてみるとスターリンという政治家はとてつもない大物と思える。

この大戦中米国はソ連国内でのドル紙幣印刷を可能にするため、ドル紙幣印刷機と紙幣印刷用の特殊インクをロシア領内上空まで運びパラシュートで投下させた事実がある。

また当時の米国で何故ルーズベルト大統領周辺に大統領補佐官、閣僚、次官クラスの大物ソ連スパイが多数堂々と潜入し就任できたのか???不思議ではないか???スターリン独力では米国政府中枢部へのスパイ潜入は困難であったであろう。スターリンの権力はせいぜいソ連国内か共産圏国家に限られていた。

米国内で隠密裏に大統領補佐官、閣僚、次官クラスの大物ソ連スパイを要職に登用させるには強大な力を持った勢力が介在したとしか思えない。

資本主義と共産主義の双方に顔が利く強大な勢力といえば、國際金融連合=ワンワールド=イルミナティしかない!!!

世界最初の共産主義国家ソ連を創り出したのは、國際金融連合=ワンワールド=イルミナティであることは殆ど知られていない。レーニンなどは単なる暴力革命家にすぎない。この事実は隠されてきたからである。

戦争で大儲けをする一派以外、戦争を好む人は無いであろう。職業的軍人ですら自らの生命を失う可能性が大きい戦争を好まない。まして一般市民が戦争を好むはずがない。

しかしマスコミはこぞって戦争反対、戦争は悲惨だ!!!と繰り返し宣伝しているには奇異な現象だと感じてきた。

憲法9条を守る会は戦争を憎むあまり、戦力保持を禁じた日本国憲法9条の死守を強く訴えている。

現在の地球よりも一万年も進歩している文明を保持する米国シャスタ山の地下都市テロスにおいてさえもシルバー艦隊なる一種の軍隊が存在し市民には一定期間の兵役義務があることから察すれば、一切の戦力放棄を謳った日本憲法9条は極めて非現実的だと断言できる。

憲法9条を守る会の会員の多くは、戦争によって肉親を失ったり(湯川レイコ氏)や戦災によって家と家族を失った人(ノーベル物理学賞受賞の益川敏英氏)の如く、戦争がもたらす被害に反対されているのであって、戦争による被害を発生させないためには戦争を行う戦力を持たなければ良いという考え、結局戦力を持たなければ戦争は起らないという願望に飛躍しただけだ。

戦争による被害絶滅→戦争を起こす元となる戦力を禁止する→戦力を持たないように憲法で規制する・・・という三段論法の罠に陥っておられる人が大多数ではないだろうか。

憲法9条を条文を以下に掲載する。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
即ち憲法9条は、
“戦争と、国際紛争を解決する手段としの武力の行使は永久に放棄する”と謳っているのである。

憲法9条によれば、“他国が日本の領海・領空を侵略しても日本は国土防衛のための戦争もできないし、侵略軍から国土を防衛する戦力を持ってはならず、他国の侵略を傍観する他はない”と言うことになる。こんな無責任な憲法を共産党以外の政党は受け入れたのである。

この9条が包含する問題点に対し、日本国憲法が制定される際、日本共産党だけは“日本は自衛権は持つべきだ”として日本国憲法制定に反対した。
しかし現在の日本共産党は憲法9条改正絶対反対を貫いている。
憲法成立時の日本共産党は日本のことを大事に考えていたが、現在の日本共産党は、日本のことを大切に思っておらず、日本を侵略する他国のために憲法9条改正反対を唱えている売国奴政党だと断言できる。

こんな売国奴政党である現在の日本共産党が推薦する東京都知事に100万票も投票する東京都民が存在すること自体一見不可思議である。東京都民は現在の日本共産党の本性を見抜く力が無いのだろう。

日本に戦争を仕掛けようとうずうずしている国家(シナ)が近くに存在するにもかかわらず、日本は侵略から国民と財産を守る戦力・軍隊を持ってはならないと規定する憲法9条を変えないほうが日本国民としてはよほどどうかしているのである。

日本が正式な軍隊を保有すると困る国がある。それは日本と国境を接する国であり、具体的には、中国、韓国、北朝鮮、ロシア、米国などである。

これらの国の中で、日本の軍隊保有特を特に嫌がる国は中国(シナ)と米国だろう。

よくマスコミは“隣国同士は仲良くしなければならない”…と言っているが、これは子供だましの戯言に過ぎない。古来隣国こそが自国の安全保障上最も危険な国なのである。

確かに個人レベルの話ならば、隣近所とは仲良くした方が良い。しかし国家レベルとなれば話は別であり、隣国こそが安全保障上最も危険な国となる。国境を越えて侵略してくるのは隣国しかないからだ。

マスコミは戯言で日中友好を説く。政治家の中にも日中友好を説く人物があるが、裏で何があるか分かったものではない!!!

さて、日本は先の大戦において、戦争に巻き込まれて敗北し甚大な損害と塗炭の苦痛を被ったが、東京裁判において日本は侵略国家との烙印を押され加害者としての判決を下され連合国の支配を受けて完全に無力化され、将来性のない堕落国家への道に突き落とされた。

戦争を起こしたくてウズウズしている勢力(國際金融連合=ワンワールド=イルミナティ)が残念ながら世界には存在する。彼らは戦争を起こしたい本心を悟られないために、マスコミを使って戦争反対を宣伝しているように思えてならない。一般国民も軍人も戦争を好んでいないので、通常ならば戦争反対を叫ぶ必要性は無い。戦争反対、軍隊反対、軍備反対が大事ではなく、戦争に巻き込まれないことが最も重要なのである。

日本は先の大戦に際しては戦闘状態の不拡大方針に徹してきた。日本には世界大戦を戦う軍事力もなければ、強い経済力もなかったからである。日本から世界を相手に戦う積極的理由は存在しなかった。にもかかわらず戦争に巻き込まれたのは何故か?


<中国に戦わずして勝つ道>


その答えをメルマガ『NPO百人の会 2017年12月3日』から
以下に転載する。
〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜
Message body
皆様

下記を転送します。

私のコメント:
私の勉強不足かも知れませんが、シナの挑発に乗って
シナ大陸に軍を進める日本政府(軍部主導)には、
蒋介石との戦いは英米との戦いであるとの認識が見られ
ないことです。
河合栄次郎は「シナとの戦いを進めると米国と戦争する
ことになる。そして米国と戦端を開けば、彼らは徹底的に
日本を攻撃し、中途半端な勝ち方で矛を収めることはない。」
と予言しています。
しかし軍部は河合氏の言論を圧殺します。
この動きは軍部の読みが甘かったというよりは、日本人が
国際政治感覚に鋭さがない。と見るべきではないでしょうか。
軍事力を背景とする中国の強引な勢力圏拡張の現実に直面し、
そして
北朝鮮は核ミサイルの開発に狂奔し、日本列島は水爆で海に
沈めるとの恫喝を受けながらも、憲法9条死守を唱え、国会では
モリ/カケで安倍政権崩壊を狙った論戦を延々と続ける
野党。この現実を見ると、日本民族の特徴は変わっては
居らないとの感慨です。

奥中 正之

〜記〜
-----Original Message-----
From: 伊勢雅臣 [mailto:jog_step@jog-wing.net]
Sent: Sunday, December 3, 2017 8:04 AM
To: ok5733ma@hicat.ne.jp
Subject: JOG(1039) 中国に戦わずして勝つ道 〜 北野幸伯『中国に勝つ 日本の大
戦略』を読む

■■ Japan On the Globe(1039)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

The Globe Now: 中国に戦わずして勝つ道
〜 北野幸伯『中国に勝つ 日本の大戦略』を読む

 同盟戦略によって「中国に戦わずして勝つ道」がここにある。
■転送歓迎■ H29.11. ■ 51, Copies ■ 4,,Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/


■1.国際政治で次々と予測を当ててきた秘密

 弊誌に何度も登場いただいている国際関係アナリスト北野幸伯(よしのり)氏の3
年ぶりの新著『中国に勝つ 日本の大戦略』[1]が出版された。北野氏は、以下のよう
に重大な国際情勢の変化を予測しては、次々に的中させてきたという実績がある。

・2005年『ボロボロになった覇権国家』[2,a]で「アメリカ発の危機が起こる。アメ
リカの没落は近い」 → 2008年、リーマンショック

・2007年『中国ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日』[3,b]で「アメリカ一極主義と、
ドイツ、フランス、ロシア、中国・多極主義の戦い」→ 2014年のクリミア併合以
降、中露が事実上の同盟に。

・2008年『隷属国家日本の岐路〜今度は中国の天領になるのか』「4,c」で「尖閣か
ら日中対立が激化」→ 2010年に尖閣諸島中国漁船衝突事件、2012年に反日暴動

・2012年『プーチン最後の聖戦』で「プーチンが戻ってきて、アメリカとの戦いが再
開される」[5,d] → 同年、プーチン、大統領に再選

 北野氏は、その予測の秘密を2014年の『日本人の知らない「クレムリン・メソッ
ド」-世界を動かす11の原理』[6,e]で明らかにしている。予測を当てるには、それ
なりの原理があるのである。そして『プーチン最強講義』[7,f]で指摘した中国の
「反日統一戦線」の策謀をどう打ち破るのか、を追究したのが、今回の新著である。

 氏は新著の目的を次のように設定する。

__________
本書の目的は、第一に、尖閣、沖縄を守りつつ、日中戦争(実際の戦闘)を回避する
こと。
第二に、やむを得ず戦争(戦闘)になっても、勝てる道を示すことです。[1, p19]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この2つの目的設定に、北野氏の戦略思想家として深みがよく窺える。というの
は、何事も欲得づくの中国は勝ち目のない戦いは仕掛けない。したがって、戦争に
なっても日本が勝てる道を示せば、第一の「日中戦争(実際の戦闘)を回避」する確
率も高まる。

 これこそが日本にとって最上の「中国に戦わずして勝つ道」である。詳細は、この
本を読んでもらうとして、ここではその呼び水として「同盟」の意味について考えて
みたい。『中国に勝つ 日本の大戦略』の柱は「同盟戦略」にあるからである。


■2.各国の同盟国を増やすための虚々実々の駆け引き

 本書の前半で、氏は中国の「反日統一共同戦線戦略」がどのように生まれたのか、
それを安倍総理がどのように打ち砕いたのか、を俯瞰する。いつもながらのテンポの
良い北野節で、国際政治上の事件の背景に、各国の思惑がどうぶつかり合って、どん
な結果を生んだのか、を示していく。目からウロコの連続だ。

 例えば習金平が打ち上げた「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」。アメリカの緊密
な同盟国であるイギリスが、アメリカの制止を無視して AIIBに参加することを
決めた。「イギリスが入るのなら、私たちも許されるだろう」と、フランス、ドイ
ツ、イタリアなども雪崩を打って参加を決めた。

 親米国家群がアメリカの言うことを聞かなくなって、これは「アメリカが覇権を喪
失した象徴的事件」だと、北野氏は指摘する。しかし、そこで日本だけはアメリカを
裏切らなかった。これが、結果的には、アメリカの完全没落を阻止し、日米関係を好
転させるきっかけになった。

 それまで安倍総理の靖国参拝で米国からもバッシングされて、孤立していた日本
は、この一事でアメリカからの評価が急上昇した。そこに見られるのは、各国が同盟
国を増やそうと、虚々実々の駆け引きを展開している姿である。


■3.「こんなもん、勝てるはずがない… 」

「同盟関係は自国の軍事力より重要なのだ」とは国際的に高名な戦略家エドワード・
ルトワックの言であるが[g]、北野氏は先の大戦で日本が負けたのも同盟戦略の失敗
にあった、と指摘する。

__________
 私が注目したのは1941年に始まった「太平洋戦争」より前、1937年にはじまった
「日中戦争」でした。
 この戦争、中国は、アメリカ、イギリス、ソ連から支援を受け、日本と戦っていま
す。・・・
 つまり、事実上、日本 VS アメリカ、イギリス、ソ連、中国の戦いである。
 私は、率直に思いました。

「こんなもん、勝てるはずがない… 」[1,p210]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「戦闘」では、日本軍は蒋介石軍も共産党軍も圧倒し、連戦連勝だった。1937年7月7
日、北京郊外の盧溝橋で何者かの銃撃により始まった衝突から、わずか5ヶ月後の12
月13日には首都南京を攻略したが、蒋介石は重慶に移って抵抗を続けた。米英ソから
の軍事支援があったからである。

 日本は仏印(ベトナム)経由の援蒋ルートを絶とうと、北部仏印に進駐するが、こ
こからアメリカとの対立につながっていく。結局、蒋介石は実際の戦闘ではほとんど
勝つことは出来なかったが、最終的には「戦勝国」の一つとなった。日本は同盟戦略
で負けたのである。


■4.「アメリカは激怒しました」

 日露戦争ではわが国は日英同盟によってイギリスから多大な支援を受けた。またア
メリカの好意的な仲介により、絶妙のタイミングで講和ができた。1905年に結ばれた
アメリカとの桂・タクト協定では「極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国に
よる事実上の同盟によって守られるべきである」と定められていた。

 それがいったいどこで日米関係はおかしくなったのか? 北野氏は「桂・ハリマン
協定破棄」がきっかけである、と指摘する。

 ハリマンはアメリカの鉄道王。日露戦争直後に来日して、ポーツマス条約によって
ロシアから日本に譲渡された民間南満州鉄道の共同経営を要求した。日本側もこれに
は乗り気で、「桂・ハリマン協定(仮条約)」が結ばれた。渡部昇一はこの協定に関
して、こう指摘している。

__________
 明治維新の元勲たちは直感的に、ハリマンの提案をいい考えだと言いまし
た。・・・日露戦争でカネを使い果たし、日本が軍事的に支配できているのは南満洲
だけ。北にはロシアの大軍がいる。これらの条件を勘案(かんあん)すれば、満州の
鉄道経営を日本だけでやろうとするのは無理があり、アメリカを入れておいた方がい
いと考えた。[1, p214]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ところが、この協定を日本政府は破棄してしまう。北野氏はアメリカから見た状況
を次のように描写する。

__________
 南満州鉄道共同経営は、中国や満州への進出を目指すアメリカにとっても非常に重
要なものでした。
 ところが、小村寿太郎外相(1855〜1911)などがこれに強く反対し、結局日本側は
「桂・ハリマン協定」を破棄します。
 アメリカは、「日本に多額の資金を援助し、ロシアに勝ったら満州利権に入り込め
る!」と言う目論見だった。
 しかし、日本は「満州の利権にアメリカは入れないよ!」と拒否したのです。
 アメリカは激怒しました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こうして日本はアメリカを敵に回すハメとなった。アメリカはわずか2年後の1907
年には対日戦争計画「オレンジ・プラン」の策定を始める。北野氏は言う。

__________
 何はともあれ、日本は、日露戦争時多額の資金援助と和平の仲介をしてくれたアメ
リカの恩に報いなかった。
 そして、アメリカの国益を尊重しなかった。[1, p215]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 アメリカの国益に鈍感だったことが、アメリカを敵に回すことになったのである。


■5.イギリスの日本への失望

 イギリスとの関係悪化は、第一次大戦で日本が地中海に艦隊こそ派遣したものの、
陸軍派兵要求を拒否し続けたことが原因、と北野氏は指摘している。たとえば、駐日
イギリス海軍武官エドワード・H・ライマー大佐はこう発言している。

__________
 我々が強い態度で状況を明確に説明し、イギリスが過去をいかに日本を援助した
か、同盟国として何をなすべきかを明確に説明し、同盟国としての義務に耐えるべき
であると強く示唆すると、日本人は我々から離れてしまう。[1, p219]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 イギリスは日本にいたく失望した。大戦中の1917年3月、大英帝国会議で配布され
た「日英関係に関する覚書」では「日本人は狂信的な愛国心、国家的侵略性、個人的
残忍性、基本的に偽りに満ちており、日本は本質的に侵略的な国家である」と書かれ
ていた。

__________
 第一次大戦の結果、イギリスは「日英同盟破棄」を決意します。
 そればかりではありません。
 大戦時イギリスを救ってくれたアメリカと急速に接近していった。
 米英はこの時から、「日本をいつか叩きつぶしてやる!」と決意し、「ゆっくりと
殺していく」ことにしたのです。
 日本は、日露戦争直後と、第一次大戦時の対応で米英を敵にまわし、「敗戦への
道」を歩みはじめていたのでした。[1,p221]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.桂・タクト協定を維持していたら

 もし日本が米英の要求に応えて「極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国に
よる事実上の同盟によって守られるべきである」との桂・タクト協定を維持していた
ら、どのような未来が待っていただろうか。

 中国での権益はイギリスと、満洲での権益はアメリカと共同で守っていたら、ソ連
や中国共産党のつけ入る隙はなかった。蒋介石も米英の後ろ盾がなければ、日本との
友好を図る以外に道はなかった。となれば日中戦争はなく、中国大陸の共産化もな
かったろう。それは中国人民のみならず、周辺諸国にとっても大きな福音であったは
ずだ。

 確かに、大東亜戦争が起こらなければ、アジア諸国の独立はもっと遅れたであろ
う。しかし日本の統治下で、台湾や朝鮮、さらには満洲が高度成長を続けることで、
アジア各民族が目覚め、もう少しマイルドな形で自治権を獲得していったかもしれな
い。そのような道を日本は失ってしまったのである。われわれ自身の同盟戦略の失敗
によって。


■7.同盟の達人・家康から学ぶこと

 こういう議論に接すると、我々日本人は国際政治における同盟関係というものが、
本当には分かっていないのではないか、という気がする。礼節と思いやり、信頼感に
満ちた日本社会で暮らしている日本人は、国際社会の群雄割拠の中で、それぞれが国
益を追求し、出し抜いたり、欺し合ったりするような関係には慣れていない。

 現代の国際社会における同盟のあり方を考えるには、戦国時代の方が参考になるだ
ろう。弊誌1036号「a]で紹介した世界的な戦略家エドワード・ルトワックは「家康
は、人類史上でも稀に見る最高レベルの戦略家だった」と述べている。[1,1458]

 天正7(1579)年、家康は信長から正室・築山殿と実子・信康が武田氏に内通して
いる事を疑われ、ために築山殿を斬殺し、信康を切腹させるという処置に追い込まれ
た。これを耐え忍んで、信長との同盟関係を優先させたことから、家康の未来が開け
ていった。

 関ヶ原の戦いにおいては福島正則や黒田長政など豊臣恩顧の武将を味方に引き入
れ、また小早川秀秋に西軍を裏切りさせて、勝利している。「最高レベルの戦略家」
は同盟の達人であった。家康から同盟に関して学べる事は、次の2点であろう。

・嫌な相手、悪辣な相手とも同盟を組まなければならない場合がある。ときにはその
相手に隷従しなければならない事すらある。同盟は好き嫌いや善悪ではなく、勝敗の
問題だからである。

・敵の中にも味方がおり、味方の中にも敵がいる。常に相手の利益を考えながら、味
方を維持し、増やしていかなければならない。


■8.「『善悪論』から『勝敗論』へ」

 家康が教えていることは、北野氏が「『善悪論』から『勝敗論』へ」と主張してい
ることにつながるだろう。同盟の相手は、「善悪」で選ぶのではなく、「勝敗」で選
ばなければならない。

 そこから、北野氏は、北方領土を奪ったロシアや、慰安婦問題で世界中にプロパガ
ンダをまき散らしている韓国を、同盟国とすべきかどうか、についても議論してい
る。『中国に勝つ 日本の大戦略』はこういう深い思索から生まれてきている。

「あとがき」で、氏はこういう。

__________
 日本も、強大な中国に勝ちたければ、明快な大戦略を持ち、10年〜20年一貫性
のある言動を取り続ける必要があります。[1, p316]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 そのためには、この『中国に勝つ 日本の大戦略』を実行する安定した長期政権が
必要であり、多くの国民がこの戦略を国民的合意として支持していくことが不可欠な
のである。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(382) 覇権をめぐる列強の野望
北野幸伯『ボロボロになった覇権国家(アメリカ)』を読む。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h17/jog382.html

b. JOG(515) 石油で読み解く覇権争い
 北野幸伯著『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日』を読む
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog515.html

c. JOG(565) ロシアから日本を見れば
 私達が抱いている自画像とは、まったく異なる国の姿が見えてくる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h20/jog565.html

d. JOG(748) 戦国時代を戦うプーチン 〜 北野幸伯著『プーチン 最後の聖戦』を読

 プーチンはアメリカの覇権に命がけの挑戦状を叩きつけている。
http://blog.jog-net.jp/201205/article_3.html

e. JOG(884) 国際社会は嘘ばかり 〜 北野幸伯『クレムリン・メソッド』を読む
 アメリカ、中国、ロシア等々、それぞれが自国の戦略に沿ったプロパガンダで国際
社会を騙している。
http://blog.jog-net.jp/201501/article_5.html

f. JOG(828)「孤立化路線」か「日米同盟路線」か 〜 北野幸伯『プーチン最強講
義』を読む
 中国がたくらむ中・韓・露・米の「反日統一戦線」に乗せられたら、先の大戦の必
敗路線を歩むのみ。
http://blog.jog-net.jp/201312/article_5.html

g. JOG(1036) 戦争と平和の逆説 〜 エドワード・ルトワックの『戦争にチャンスを
与えよ』から
「戦争ができる国」になってこそ、戦争のリスクを下げることができる、という逆
説。
http://blog.jog-net.jp/201711/article_3.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1.北野幸伯『中国に勝つ 日本の大戦略 プーチン流現実主義が日本を救う』★★★
★、扶桑社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594078753/japanontheg01-22/

2.北野幸伯「ボロボロになった覇権国家(アメリカ)」★★★、
風雲社、H17
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4938939355/japanontheg01-22/

3.北野幸伯『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日』★★★、
草思社、H19
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4794216378/japanontheg01-22/

4.北野幸伯『隷属国家 日本の岐路―今度は中国の天領になるのか?』★★★、ダイ
ヤモンド社、H20
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4478007020/japanontheg01-22/

5.北野幸伯『プーチン最後の聖戦』★★★、集英社インターナショナル、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4797672250/japanontheg01-22/

6.北野幸伯『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」世界を動かす11の原
理」★★★、集英社インターナショナル、H26
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4797672811/japanontheg01-22/

7.北野幸伯『日本自立のためのプーチン最強講義』★★★、集英社インターナショ
ナル、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4797672641/japanontheg01-22/

8.エドワード・ルトワック『戦争にチャンスを与えよ』(Kindle版)★★★、 文春
新書、H29
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■『世界が称賛する 国際派日本人』へのアマゾン・カスタマー・レビュー

■★★★★★目指すべき「国際派日本人」像(towsonさん)

 この本では、多くの国際派日本人が紹介されており、この方達の逸話を読むこと
で、いわゆる「国際派日本人」とはどういう人のことを指すのか、という実例を知る
ことができます。

 そんな中で、日本の現状を踏まえた上で、私が個人的に一番「国際派日本人」とし
て共感したのが、日露戦争時、米国を舞台に質の高い英語を武器に大活躍した、金子
堅太郎氏を始めとした、真の教養人達です。

 詳細は本書に譲りますが、この方達のような人が一人でもいれば、現代に横行して
いる中韓の醜悪なプロパガンダにも左右されずに、日本人の真の姿を伝えられるの
に、と自分の力不足を嘆かされるのと同時に、目指すべき「国際派日本人」像を示し
てくれます。

 日本政府の外交発信力に不満をお持ちの方、SNSなどを通じて、世界に日本人の真
の姿を発信していきたいと考えている方には、特に一読をお勧めします。

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■伊勢雅臣より

 日露戦争時の国際派日本人たちは、高い識見と人格力で、世界に同盟国を広げてい
きました。

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小村寿太郎外相(1855〜1911)などが強く反対し、結局日本は「桂・ハリマン協定」を破棄した。

小村寿太郎外相には裏で米国人のイルミナティ幹部(モルガン財閥)が絡んでいたとの情報があります。
小村寿太郎には、日露戦争で日本人が多くの血を流してやっと手に入れた満州権益を米国と分かち合うのが耐えられなかったのでしょうか?
それともイルミナティ幹部(モルガン財閥)からの影響が強かったのでしょうか???
いずれにしても、小村寿太郎外相主導による「桂・ハリマン協定」破棄から日米関係がおかしくなったのは否定できない。これが日米戦争の遠因ともいわれている。
小村寿太郎は第1回文部省海外留学生に選ばれてハーバード大学へ留学し、法律を学んだ。

あの山本五十六元帥もハーバード大学に留学していた。
posted by ヤマおやじ at 22:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする