ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2017年04月26日

宇部市ときわミュージアム〜世界を旅する植物館〜内覧

<4月24日(月)>


島根県吉賀町白井地区のドウノオク谷沿いにある林道の終点まで行き、さらに薄い踏み跡を辿り1030ⅿピークを目指した。

当方は13年前に白井地区〜林道終点〜1030ⅿピーク〜鞍部(標高1010ⅿ)〜弟見山を2度ピストンした記憶がある。当時は高津川支流福川川の支流白井谷川の源流探索が目的であった。

更に同年別の日に弟見山から東へ標高差で50ⅿばかり笹漕ぎで下り水源を探したが水源らしきものは見つからず崖を前にして引き返したこともあった。

その後白井地区は御無沙汰していたが、先日オトトミ谷を遡行した時帰路は弟見山に登り別ルートで白井地区へ下り白井地区を起点終点として周回出来れば難路のオトトミ谷を下らずに済むとの思いがよぎり、13年という年月の経過が気になるがとりあえず何処までいけるか試すのがこの日の目的であった。

悪路を想定し鋸、枝切ニッパー、ピンクリボン100mなどを携行した。

林道終点までは問題なく登れた。

林道終点以降は要所に古びたピンクテープがあったが、標高930ⅿ辺りから1030ⅿピークまでテープ無し。

コースは13年前と概ね同じように思えた。

急登が2か所あり。第二急登開始点までは薄い踏み跡があったがそれ以降は1030ⅿピークまでは踏み跡不明。いずれの急登も植林帯での急登であり雨天時は滑るものの、岩稜登りは無し。

ピンクリボン取り付け6〜7カ所、赤テープ張、笹や棘のある植物を刈りながら登った。

<登り>
愛宕神社前      10:18
林道終点       10:56
第一渡河左岸から右岸 11:13  ・・・標高800⒨付近
第二渡河右岸から左岸 11:20頃 ・・・標高830⒨付近
第一急登終わり    11:53
南へトラバース    距離・時間不明
第二急登終わり    15:30頃
1030ⅿピーク着    15:45
作業しながらの登り所要時間は≒5時間30分。

<下山>
1030ⅿピーク発    15:46
第二急登開始点    16:04
林道終点       16:39
愛宕神社前      17:04
下山は作業は殆どせず 1時間20分程度 掛かった。
途中で2か所ルートを間違ったが早めに誤りに気付いたので大事にならずに済んだ。

1030mピークから先は笹薮漕ぎとなる。1030mピーク付近の笹は濃くもなく薄くもなかったがその先山頂まで続く≒4〜500mもの稜線での笹の状態は不明。13年前には笹は膝位で薄かったので比較的楽に笹を漕いで山頂に達したような記憶があるが、現時点では楽観はできない。

1030ⅿピーク付近の木々は13年前では頭より高いものは少なかったが、今回は樹高は10m前後あり大きく成長していた。

1030ⅿピークからの下降点には2個の古い赤テープがあったが、新しい赤テープを張って置いた。
DSCN5265.JPG <1030mピークから弟見山を望む>

問題は残る稜線での笹の濃さ程度である。

幅30cm程度で500mの距離を普通の濃さの笹刈だと3人で作業して4〜5時間掛かるかもしれない。

この程度の笹刈を済ませておけば、当面 山頂から1030mピークまでの稜線500mは30分程度で下れると仮定すれば、弟見山〜愛宕神社までの下山所要時間は≒2時間ということになる。
 
マア1030mピークまでの今回のルートは良しとしても、次は稜線の笹次第だ。


<4月25日(火)>

宇部市ときわミュージアム〜世界を旅する植物館〜が大型連休から新装オープンする予定なので、内覧会があり公園ボランティアメンバー4人と共に出席した。

開園行事リハーサル要員として9時30分から11時までほぼ完成した館内を見学した。
バオバブ、
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ボトルツリー、パラボラッチョ、
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推定樹齢千年のオリーブなどと共に珍しい植物も展示されていた。
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老人入園料は200円。年間通し券600円、18歳以下の子供は無料とのこと。

見世物や乗り物などの公園は施設や人件費がかかり経営を圧迫する割に市民はそれほど公園に通う頻度は少ない。珍しい猿も珍しい植物も一回みればオシマイ。

下関海響館のように頻繁にイベントを開催しないと集客が追い付かず2,3年たてば赤字経営になる可能性大!!!

もっと市民の日常生活に直結した公園にしたらどうか!!!
現在アイディア温存中。。。

常盤公園のツツジも咲き始めた!!!
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2017年04月24日

2017年 カタクリ満開の弟見山

<4月22日(土)>


山友のお誘いでゲスト2人を加え4人でカタクリ満開の弟見山を屋敷林道コースから訪れた。昨年は4月15日でほぼ満開だったところからすれば今年は一週間遅れていると言える。

山友の発案で山頂での混雑を避け、駐車場満杯を考慮して林道屋敷線入口に駐車し、11時頃歩き始めた。

シャクナゲ谷コース登山口を過ぎた辺りで開花したヤマザクラに出会った。
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平地では過ぎ去った桜が、山あいでは再び楽しめるのは嬉しい。

さすがにカタクリ満開ということで、屋敷林道コース駐車場には15台が、途中に4台、林道入口に6台が駐車されてコース全体では25台の駐車があった。

路傍にはカタバミ、ネコノメソウ、二輪草、チャルメラ草、小チャルメラ草、ヤマザクラ・・・など
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が次々に現れて長い林道歩きに飽きることがなかった。

圧巻は日当たりの良い崖にピンク色の花を咲かせていた数輪のイカリソウをゲストが目ざとく見つけた時であった。
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おそらく20回近く通過した林道ではあるが、崖の上に咲くイカリソウを見上げたのは今回が最初であった!!!

昨年一人の男性が崖に近寄りしきりにシャッターを切っていたのを思い出したが、おそらくこのイカリソウを発見したのかもしれない。

林道終点の手前で下山中の防府市のK氏に昨年秋の飯ヶ岳以来再開し、しばし情報交換した所新たにいろいろなことが判った。

@シャクナゲ尾根コース700m鞍部から駐車場に直接下るルートを昨年秋に開設したが、通路に横たわる小〜中径倒木を20本程度は当方が鋸で切断除去したが、人力に頼る鋸ではどうしても切断し難い直径30~40cmもの大径倒木3,4本が通路に横たわったままになっていた。ところがある日この大径倒木が綺麗に切断して除去されていたが当時どなたがなされたのか不明であった。ところが本日出会った防府市のK氏が当該ルートに残っていた大径倒木を3,4本全部をチェーンソーで切断し除去されたことをご本人から直接聞いた。
A昨年12月に山口市徳地の要害岳・射場ヶ浴尾根コースを開設したが、その後急傾斜部に2か所ロープが張られているのを発見したがどなたがなされたのか判らなかった。このロープも防府市のK氏が設置されたことが本日出会った防府市のK氏ご本人から聞いた。
Bまた今まで当方が復活・新設した防府市牟礼峠周辺、堀溝林道周辺、太鼓ヶ岳周辺、飯ヶ岳河内峠周辺の各登山コースの殆どにおいて、防府市のK氏自らが実地に歩行されたトラッキング軌跡と説明を掲載された地形図をコースの要所要所の立木に取り付けて戴いたことも分かった。
色々な意味で防府市のK氏には大変お世話になっているわけであり、立ち話の場をお借りして改めて御礼を申し上げた。

その後山頂近くで周南愛山会のN氏にも出会い、挨拶後情報交換をした。N氏から飯ヶ岳大滝コースを歩かれた話も聞いた。N氏には当方からお礼を申し上げねばならなかったが話がはずんだせいでお礼するのをまた忘れてしまった。

展望所手前の肩の辺りから、カタクリの若葉が目立ちだした。昨年も登山道の両サイドの笹が一層幅広く刈り払われた跡にもカタクリの新芽が顔をだしていた。

昔には松の木があった展望所には日影がないので、弟見山まで行き昼食を採ることにした。
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さすがに14時ともなるとカタクリ見物の人は殆ど下山しており、カラクリロードに咲きそろうカタクリの花をほぼ貸し切り状態でゆっくり鑑賞し、写真も撮った。
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当方がやぶと雑草と岩塊に覆われた林道屋敷支線を遡り林道終点から藪と低木と格闘しながらようやく縦走路へ達したのは10年位前の頃だった。

あの時縦走路から聞こえたクマよけ鈴の音は今でも鮮明に記憶している。
あれから10年・・・・

7、8年前まではたった数輪のカタクリの花しか見られなかったこの弟見山が県内随一のカタクリ名所になったのは、山頂付近の笹薮を数年かけて定期的に刈り取られてきた防府市の自然観察会の皆さまのご尽力があったとK氏から聞いた。昨年秋には笹刈を終えて下山される地元の鹿野町大潮地区の方々に出会った。このメンバーの中にシャクナゲ尾根コース鞍部から駐車場に直接下るコース一帯の山林持主の石川氏がおられ新コース開設の許可とアドバイスを頂いた経緯がある。更には駐車場を整備拡張された土建業者の話も聞いた。
駐車場に至る轍跡が酷い車道も昨年綺麗に整備された。

帰りは縦走路を辿りシャクナゲ尾根コースを下った。

シャクナゲ尾根コースで通路を塞ぐ倒木を切断すべく本日は鋸を携行してきたがこの倒木は既に切断除去されていた。この作業も防府市のK氏が行われたのだろうか???

谷コースを下る時桜の花びらが雪ように降ってきたシーンには思わず足をとめしばし見入った。
この場所は数十回通過しているが桜吹雪にであったのは今回が初めて。

天候に恵まれ、いろいろな山野草などにも恵まれ、旧知の山友との出会いもあり、本命のカタクリも満開もゆっくり鑑賞できた上に、山頂では美味なる差し入れを2人の同行者から頂き、至れり尽くせりの山行であった。下山後ゲストから美味なる茶菓の接待がありお陰でリフレッシュして帰路に着いた。

諸々に感謝、感謝、感謝。。。。

連休後半にゲストをご案内する十種ヶ峰山勺コースの資料をひと眠りした後作成した。今年のピークは一週間遅れの連休後半と予想されていた。5月6,7日に山勺祭りが予定されている。

<4月23日(日)>


好天。体はだるかったが9時から12時まで公園ボランティア活動。

2,3年前から整備してきた松の木コーナーで会長夫妻が桜の苗木を植えるのを手伝った後、周囲の羊歯と雑木を刈り払った。

昨日作った資料を使って十種ヶ峰山勺コースの説明をした。応募者3人あり。
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2017年04月20日

茶臼山はツツジ満開

<4月18日(火)>


ツツジが見ごろとの山友からのお誘いがあり下松市茶臼山に登った。

本年2月4日に下松市吉原川源流コースから茶臼山〜葉山〜深切山〜鷲頭山を周回した時に、ツツジの咲くころの茶臼山の良さを聞いていたので満を持して出かけた。

集合場所の降松神社に参拝し安全祈願した後、妙見本宮降松神社由緒を読んで特に印象に残ったのは祭神が天之御中主(アメノミナカヌシ)尊であったことだ。これについては後述する。

今までカーナビを使った経験がなく、せっかくの新車搭載の最新型カーナビではあったがマニュアルを読んでも目的地を入力できなかったので降松神社への道順はパソコンのでルート検索で調べメモを作り携行した。

案内板に導かれて細い舗装道を登ってたどり着いた降松神社には、真新しい道が消防本部裏手(県道63号恋路交差点右折)から車で進入できるようになっていた。

出発が遅かったので吉原川源流と思しき小滝付近
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で昼食を採り、赤い実の房つけたマユミ
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の群生地を通り抜け稜線に達した後、13時30分頃ピンク色に染まった山頂に着いた。
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晴れた山頂ではしばし休憩を忘れてピンクのツツジ越しに見える360度大パノラマを堪能した。
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DSCN5209.JPG <笠戸大橋ズーム>

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今咲き誇るものもあれば、開花を待つ蕾もあるツツジは、山頂から標高差で15m下までぐるりと山頂を囲んでいるのでおそらく1ヵ月後でも満開状態が維持されるように思われた。

多数のベンチが山頂付近に多数配置されており、あらゆる角度からでも座って絶景を楽しめるように配置が工夫されており、整備された方の心配りが有り難く感ぜられた。

またベンチの制作方法が多種多様であり、いろいろの観点から創意工夫されているように思われた。

光市から登ってこられた年配男性はほぼ毎日登られるとのこと。当方も近所に住んでいれば頻繁に登りたくなるのは間違いないであろう。

見飽きることはない絶景を追って山頂周回路を3周した。

下山は大谷山(標高276m)経由で稜線を下った。
このコースはよく整備されており歩きやすいだけでなく歩く楽しさをも感じさせてくれた。山菜として人気の高いアブラコシを教えて貰い天ぷら用に持ち帰った。
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大谷山からも南方向は180度の視界がある絶景スポットで、ここから眺められる四熊ヶ岳は完全な山型
DSCN5222.JPG <四熊ヶ岳>

であったのは強く印象に残った。

大谷ダムへの分岐までのコースは良く踏まれており整備も十分行き届いていたが、それ以降の稜線ルートは歩行者は若干少ない様子であった。稜線から吉原川側に下る最後の10mだけが枯竹に通行を邪魔されたが、この稜線コースはなかなか味わい深いものであった。

こんなに素晴らしい茶臼山が近くにありながら今まで知らなかったのは一体何故だったのか???
少なくともツツジのシーズンには毎年訪れたいものだ!!!

山友にご案内のお礼を述べ無事に帰宅し入浴後食したアブラコシの天婦羅はなかなか美味であった。
諸々に感謝、感謝、感謝。。。


<4月19日(水)>

午前中はネギ畑の草取りと、雑草除けのシートを空地に張った。

この時期2週間も草取りをしないと、雑草が一気に蔓延る。
雑草の生命力の強さにはいつもながら感心する。


<天之御中主(アメノミナカヌシ)尊>

アメノミナカヌシという神様は15.6年前に馬野周二先生の著書によってその存在を知った。
ホツマツタエ、ミカサフミにもアメノミナカヌシに関し記載がある。

通常の神社では祭神は天皇か天皇に所縁のある方々、歴史的に著名な方々が多い。

4月18日に訪れた降松神社の祭神は天之御中主(アメノミナカヌシ)尊であったので、19日に祭神としての天之御中主尊を調べてみると、妙見社系神社では天之御中主尊を祭神としている…とのことであった。

参考までに、降松神社の由緒を記載以下にしておく。
〜〜〜降松神社の由緒〜〜〜
一、御祭神 天之御中主尊
一、御神徳 創造の神、厄除開運の神、星の神
 推古天皇三(595)年、都濃郡鷲頭の庄、青柳浦の一松の樹に大星が降り、七日七夜輝いて、『我は天之御中主尊なり、三年ならずして、百済国の王子来朝すべし、その擁護のために天下りし』と云う宣託あり。同五(597)年三月二日、大内氏の祖先、百済国の聖明王の第三子である琳聖太子が来朝し、桂木山に御神霊を祀り北辰妙見社とたたえ、鷲頭の庄の氏神となる。以来青柳浦を降松と改められる。<以下省略>
〜〜〜降松神社の由緒抜粋終〜〜〜
下松の語源:青柳浦→降松→下松 と変化した。

次に、
天之御中主(アメノミナカヌシ)尊とはいかなる存在であろうか???

『ホツマツタエ』『ミカサフミ』に、天之御中主(アメノミナカヌシ)尊に関する記述があり、現在語訳文を以下(1)〜(6)に掲載する。

(1)『ホツマツタエ』14綾12頁
五元素のウツホ・カゼ・ホ(陽の類の3元素)と、ミズ・ハニ(陰の類の2元素)がバランス良く混じってヒト(人)が生じた。クニタマ(地球)に初めて発生したヒトをアメナカヌシ(ミナカヌシともいう)のカミ(先祖神の意)という。その子孫がクニタマ(地球)の各地に繫栄した。

(2)『ホツマツタエ』16綾14頁
最も初めのヒトの誕生は、五元素のウツホ・カゼ・ホとミズ・ハニの混ざり合いから生じた。この後にはヒトの男女の性交によって子供が生まれてくる。イモオセは女性男性を意味する。

(3)『ホツマツタエ』18綾10頁
オシデ文字でかかれた原文をカタカナで表し、現在語訳文を併記する。

アイウエオ ウツホカゼホト ミズハニノ マジワリナレル ミナカヌシ

日本語の母音のアイウエオは五元素のウツホ・カゼ・ホとミズ・ハニを表していた。五元素つまりアイウエオが混ざり合って最初のヒトであるミナカヌシが生じた。

(4)『ミカサフミ』20頁
初代アマカミとなったクニトコタチよりも以前には、穴居生活を営んでいて文化レベルも低かったからヒト以前の時代と呼ぶことができる。20世代(ホツマツタエでは23世代)にもわたってミナカヌシの世の中が続いた。

(5)『ミカサフミ』54頁
大宇宙の始まりがあってからクニタマ(地球)も生成して、私たちの先祖神のミナカヌシが生まれ、これを元として多数の人々が生まれてきた。

(6)『ミカサフミ』120頁
ヲ(陽)の極まりのヒ(太陽)から齎されたヒ(光)に生ずるウツボが動いてカゼになった。カゼはまたホを生じる。一方クニタマ(地球)のドロドロしたツチも分離してミズとハニとに分かれて、五元素の全てが揃った。そして五元素が混じりあって生じたのが、アウワ(アメミオヤ及び宇宙の中心を意味する)の発露としてのヒトの最初のミナカヌシである。

上記(1)〜(6)から見れば、天之御中主(アメノミナカヌシ)尊は“地球で発生した最初の人間”といえそうだ。


馬野周二著『日本に亡国の音が聞こえる』によれば、
日本の王家の出自はアマノミナカヌシであって、それ以来23代目の国常立(クニトコタチ)尊が八人の王子を諸国に天降らせ、その行く先で王国を建てるようにした。それはトホカミエヒタメの八字を冠するクニサッチの尊である。このトホカミエヒタメの八音は、神道の祝詞にも伝わっているし、またフトマニと呼ばれる同心円盤上に書かれた神名の中の一セットとなっている。この八人の皇子のうち、エの尊は近江に、タの尊は日高見に、そしてトの尊は富士に降り、その系統が連綿と今日まで伝わっている。この三家系は相互に非常に絡み合っていて、常にその中に一人を天皇として中心に据えている。もちろん彼らの統治は太古から日本全国に及んでいた。

同著の第6図日本の神代系図 によると、日本王家の系図は
アメノミナカヌシ
 ↓
23代
 ↓
@クニトコタチ
Aエのクニサッチ(琵琶湖)
Bトヨクンヌ
Cウビチニ=スビチニ・・・男女結婚の始まり、三々九度、ひな祭りの始まり
Dオオトノチ=オオトマエ
Eオモタル=カシコネ
Fイサナミ=イサナギ
Gアマテラス
Hオシホミミ…中国の殷周革命時代
Iニニキネ…紀元前1000年
Jホホデミ
Kウガヤフキアワセズ
L神武
 ↓
歴代天皇
となっている。

日本の天皇家は地球初の人をルーツとして気の遠くなるほどの長い年月で連綿と現在に続いている。

天皇騎馬民族説などは学者のたわごとにすぎず、それを信奉している小沢一郎などもたわけ者にすぎない。
posted by ヤマおやじ at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

吉賀町柿木・白井 オトトミ谷のトチ・サワグルミ巨木

<4月15日(土)>


山友からオトトミ谷のトチ・サワグルミ巨木を見に行くお誘いがあり、防府市→徳地町→鹿野町→県道3号→島根県吉賀町柿木・白井地区を目指して7時過ぎに出発した。

途中徳地町では雷鳴が鳴り豪雨となり中止を一瞬考えた程であったが鹿野町に入ると雨は小やみとなり、集合場所の白井地区黒淵に着いた9時15分には雨はすっかり止んでしまった。

待ち時間で周囲を散策していると、数羽の燕が飛んでいるのに気が付いた。
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今から60年前頃には燕は何処の町でも何処の家でもなじみ深い鳥であったが、最近は余程環境が良い場所でしか姿が見えない。

農薬の散布や大気汚染が燕を遠ざけたのではないだろうか?

雨が上がったので予定通りオトトミ谷を遡行することにした。愛宕神社の手前の舗装道から山側の畑にカタクリの花が見えた。標高530mのここでは見事な花弁が開いていた。
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地元の中年男性に挨拶すると、最近は土日はおろか平日でも登山者が増えて来たとのこと。
愛宕神社の千年杉に一礼し敬意を表したあと 栗園の先の橋を渡りオトトミ谷へ入った。
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何と10ⅿばかり進んだ時点で早くも濃い笹原が行く手を阻んだ。オトトミ谷入口から当分の間は比較的歩きやすいコースが続くと勝手に想像していたが、甘い考えだった。

笹原の上の微かな踏み跡を頼りに20ⅿあまり笹原を進んだ後、沢に下りた。

ここからも歩けそうな場所を探しながらピンクテープがある方向を頼りに沢の中、右岸,左岸を渡り歩くはめになった。沢の水量はかなり多く岩伝いに遡行するにも苔むした岩から水中に滑り落ちないよう細心の注意が必要であった。右岸から左岸、左岸から右岸への渡渉も頻繁に起こった。傾斜の緩い場所では蔓が絡まった濃い笹にしばしば足を止められた。

オトトミ谷の入口から10分も進んだだけで、この谷の遡行が想定外の難路であることをいやがうえにも思い知らされた。

暫く悪戦苦闘した後 注意して見ると昔の通路らしきものが現れ始めようやく周囲を眺める余裕が出てきた。

延齢草の姿も沢を上るにつれて増えてきた。
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沢に横たわる岩の苔の上に猫の目草が咲いていたのは珍しい風景だった。
DSCN5142.JPG <岩の苔の上に咲く猫の目草>

沢に横たわる倒木には苔の中にナツエビネも育っていた。
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炭窯跡が現れ始め3つ目の炭窯跡を過ぎてさらに進むと、沢の両側に高木が増え始め標高≒750ⅿ辺りで左側斜面にトチの巨木1がついに姿を現した。
DSCN5144.JPG <トチの巨木1;下部>
DSCN5145.JPG <トチの巨木1;上部>

さらに進むと標高≒770ⅿ辺りで右側斜面にサワグルミの巨木が直立していた。
DSCN5155.JPG <サワグルミ巨木;下部>

DSCN5156.JPG <サワグルミ巨木;上部>

目視ではあるが樹高は40ⅿ近くあるのではないだろうか?
DSCN5157.JPG <サワグルミ巨木;根本〜梢>

ある記録ではオトトミ谷の2本のトチ巨木の胴回りは4.43mと4.86ⅿとのこと。

更に歩を進め標高≒790ⅿになると、枝をひときわ大きく張りだしたトチの巨木2が左谷に現れた。
DSCN5158.JPG <トチの巨木2>

周囲には巨木たちが高さを競うように林立していた。
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オトトミ谷入口からここまで来るのに3時間程度掛った。
取りあえず第一目標であるトチ・サワグルミの巨木に会えたので一安心した。

更に沢を登って見たが、V字谷の幅が狭まり、沢の傾斜も増してきた。オトトミ谷の下りも難路であり体力の消耗も考えて此処から下山することにした。

下りも一歩もおろそかにできない難路の連続であり、笹を握っての急斜面下降では雨で濡れた土を踏んで滑り尻餅をついてしまった。幸いにも左手で握った笹のお陰で2m下の沢への滑落は免れたが、衝撃でストックの最下段が曲がってしまった。

問題は最も難儀な谷の入り口の500〜600mであったが、どうにか無事に通過できた。下りは≒2時間かかった。

正直な所2度とこの谷は下りたくない心境になった!!!

濃い笹薮の先に水田を囲むトタン板が見えた時ようやく安堵して歩を進めることができた。

岩も斜面も滑り易く、蔓が巻き付いた濃い笹藪、2〜3ⅿ進む度に進むべき進路を立ち留まって探す複雑なルート、数えきれない右岸・左岸渡渉などは、比較的整備された登山道に慣れ親しんだ当方にとっては今まで十数年の(中低山)山行の中では最難関コースの一つだと感じた。ただこのルートには落差の大きな滝は一つもなく高巻が不要だった所は大いに助かった気がする。

オトトミ谷の登りではトチ・サワグルミの巨木に会えるという明確な目的があり、体力的にも余裕があるが、この谷を下る時には目的意識は希薄で気が緩みがちとなり、体力も消耗している点などで下りは御免こうむりたい。

とは言え、先行者によるピンクテープや邪魔になる枝の除去などがあったお陰で、初めての難路オトトミ谷遡行であったにもかかわらず無事故でピストンできた…と実感した。

これらの先行者のご尽力に感謝、感謝、感謝。。。
同行されたY氏へお礼を申し上げた。

翌朝目が覚めた時、愛宕神社→オトトミ谷→縦走路→弟見山→北方稜線→ドウノオク林道終点→ドウノオク林道→愛宕神社という周回コースが実現可能なれば、オトトミ谷は上るだけで下らないで済む!!!・・・と気が付いた。

何故なら、当方は13年前に、愛宕神社→ドウノオク林道→ドウノオク林道終点→北方稜線→弟見山というルートで2回弟見山に単独で登り下った記憶があったからである。このルートの核心部はドウノオク林道終点〜北方稜線(標高差230ⅿ、急峻な道なき道)であり、途中植林帯を通過した記憶がある。しかし13年前であるのでその後の経年変化等もあるだろう。

13年前ではドウノオク林道は綺麗に整備されていたが、今では荒れているかもしれない。
13年前では背丈しかなかった灌木類も大きく成長しているであろう。

この周回コースは 夢 かもしれない!!!


<4月16日(日)>


15時〜17時30分で常盤湖を歩いて一周した。

4月13日に整備した松林コーナーで桜とのコラボを写真に撮った。
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桜の花は殆ど散っていたが、沢山の花をつけた桜の木も数本あった。
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今年ほど散った桜の花びらを多数見たのは今まで無かった。
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常盤公園のシャクナゲはかなり開花していた。
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2017年04月14日

周南山(仮称)周辺で案内板を設置す

<4月11日(火)>


本年3月30日のヤマちゃん日記で
『日本人のD1b型とケルト人のR1b型は、ヴュルム氷河期(1万年前)以前から生きている旧人類。旧人類は現行人類とは思考と発想の点で異なっている!!!』と記載した。

要は、“ヴュルム氷河期(1万年前)以前から生きている旧人類と現行人類とは思考・行動パターンが全く異なる”というのである。

ヤマちゃんおやじお得意の道草かもしれないが・・・その理由をいろいろ思っている内に、ヒントらしきものを思い出して調べ一つの仮設を思いついた。

調査・仮設作成の対象は『旧人類と現行人類の差異のルーツ探索』であった。
ここでいう旧人類とは、縄文人とケルト人である。

参考にしたのは足立育郎著『波動の法則』と足立育郎著『真地球の歴史』だ。

2013年4月15日のヤマちゃん日記『地球の他星人第2次移住』から一部抜粋転載する。

〜〜〜転載開始〜〜〜
赤字の部分に注意してください。
【他星人移住最終回 第二次第八期=1万年前・・・世界各地に栄えた文化】

他星からの移住の最終回は1万年前、FIDA(フィーダ:惑星連合)での大規模な調整計画の下で行われました。8つの星座と一つの惑星から100年をかけ、各星1000万人ずつ、合計9000万人が地球の各地に移住しました。

具体的にはケフェス座から当時300万人の地球人が住んでいた東北アジア、現在のロシア地域に移住があり、小熊座からは300万人の地球人が住んでいた南米南部のアルゼンチンに、獅子座からは100万人の地球人が住んでいた中南アジアのインド地域に、大熊座からは100万人の地球人が住んでいた北アフリカのアルジェリア地域に、琴座のベガ星からは60万人の地球人が住んでいたヨーロッパ南西部のスペイン、ポルトガル、イタリア、南仏、ギリシャのあたりに移住がありました。カシオペア座からは50万人の地球人が在住していた南米北西部のコロンビア地域に、オリオン座からは300万人の地球人が在住していたアフリカ中部のスーダン地域に、プレアデス星団からは150万人の地球人が在住していたイスラエル、アラビア半島、リビア、エジプト、イラクなどの地域に、金星からは150万人の地球人が在住していた北欧のデンマーク地域や欧州中部に移住がありました。

移住した他星人たちが地球人達と交流することはありませんでした。5000年の間に9つの大文化を生み、人口は地球人8900万人を含めて地球全体で最大32億8600万人となりました。

一地域では地球史上最大の9億3000万人のアフリカ中部(現在のスーダン中心)に栄えたオリオン座星人の文化を始め、7億5000万人で南米の北西部(コロンビア中心)に栄えたカシオペア座星人の文化、また6億6000万人のイスラエルを中心にアラビア半島アフリカ北部に栄えたプレアデス星団人の文化、3億4000万人でアジア中南部(インド中心)に栄えた獅子座の文化、2億4000万人で南米南部(アルジェンチン中心)に栄えた小熊座の文化、1億4000万人で北欧(デンマーク中心)に栄えた金星人たちの文化があります。更に6000万人で東北アジア(ロシア中心)に栄えたケフェス座星人たちの文化、4300万人で北アフリカ(アルジェリア地域中心)に栄えた大熊座星人たちの文化、3400万人でヨーロッパ南西部(スペイン、ポルトガル、イタリア、南仏、ギリシャ地域中心)などで栄えた琴座星人たちの文化等があります。

これらの文化の足跡はそれぞれの地で全て土中の深さ4〜7メートル位のところに埋まっています。少なくとも現代の地球文化より平均400年以上は宇宙との調和がとれて進んでいたにもかかわらず、このようなグローバルな大文化が5000年前ほとんど30年くらいに間に壊滅してしまいました。原因はやはり原子核戦争でした。

<文化の絶滅と生存者達>
1万年前から最初の300年は平和でした・それ以降4700年はグローバルな交流を行っていましたが、こぜりあい程度の争いはありました。結果的にはポジティブ文化の小熊座、大熊座、琴座、カシオペア座、おうし座プレアデス星団、金星などとネガティブ文化のケフェス座、獅子座、オリオン座等との対立が激化し、グローバルな原子核戦争に発展しました。

地域別に生存者をみていきますと、東北アジアでケフェス座星人500万人、地球人200万人。南米南部で小熊座星人300万人、地球人100万人。中南アジアで獅子座星人400万人、地球人200万人。北アフリカで大熊座星人400万人、地球人60万人。ヨーロッパ南西部で琴座星人500万人、地球人40万人。南米北西部でカシオペア星人500万人、地球人60万人。アメリカ中部でオリオン座星人1000万人、地球人400万人。アラビア半島、アフリカ北部でプレアデス星団人1000万人、地球人40万人。北欧、中欧で金星人1000万人、地球人300万人という内訳でした。

1万年前に1540万人であった地球人は5000年前に8900万人となりましたが戦争の影響で1400万人まで減少しました。この時の生存者は他星人6500万人と地球人1400万人の合計7900万人でした。この人達が現代の私達の祖先であり、戦争以前は交流がなかった両者が新たに交流を開始し、今日56億人にまで増加したのです。

この第二次第八期の最終移住は他の移住と異なる大きな特徴がありました。それは移住してきた他星人達は全員がFIDA(惑星連合)の計画によって何らかの人工的な処置が施されているアンドロイド(ヒューマノイド)であったということです。


<現代地球人の原点>
それぞれの文化の壊滅後、今から5340年前以降、地球上の全ての地域の宇宙人と地球人はその地域で交流をし、結婚もし,まったく新しい文化を形成し始めました。その後宇宙からの移住はありませんので現代の地球人の原点は1万年前に移住した8つの星座の34種類の星の人々と唯一の太陽系惑星人である金星人の計35種類の宇宙人と各地域で生活していた地球人(地球で発生した魂と肉体)との混血人種であると言えます。

〜〜〜転載終〜〜〜

問題は一万年前に地球に移住してきた他星人達はは今までの移住と異なり、“全員が何らかの人工的な処置が施されていた“所です。

一方、『波動の法則』から抜粋転載すると、
〜〜〜転載開始〜〜〜
<人間のボディの構造>
地球の人間のボディの構造は8層の振動体からなっており、一番中心に@AHANP体があり、それから順番にAHCIN体BEHTEL体CASTLAL体DMENTAR体ECOSAL体FKECI体GCHOAD体と、原子核の集合体(EXA PIECO≒魂)の構成要素と同質(振動波)ですが、その層の順番が異なります。それらのうち、HCIN体とKECI体の振動波の層だけは生まれた時からボディと原子核の集合体(EXA PIECO≒魂)が結ばれていませんが、他の層は全てメビウス状にねじられながら全部つながっているとのことです。
<中略>

そこで前述のHCIN体とKECI体の件に戻りますと、なぜこの2層だけが繋がっていないのかの理由があります。実はこれがきちっとつながっていると宇宙の本質からの(JEFISIFIM)の層と同調し情報が入り、エネルギーを自由にコントロールできるようになりますが、現在の地球人のようなエゴの顕在意識では、自我が強すぎて悪用してしまう可能性のある不調和な振動波のため、繋がらないのです。
〜〜〜転載おわり〜〜〜

<ヤマちゃんおやじの仮説>

これからは、ヤマちゃんおやじの仮説です。

1万年前に第二次第八期の最終移住は他の移住と異なる大きな特徴がありました。それは移住してきた他星人達は全員がFIDA(惑星連合)の計画によって何らかの人工的な処置が施されているアンドロイド(ヒューマノイド)であったということです。

日本人のD1b型=縄文人=とケルト人のR1b型は、ヴュルム氷河期(1万年前)以前から生きている旧人類とのこと。

1万年前よりも以前に生存した旧人類は、FIDA(惑星連合)の計画によって何らかの人工的な処置が施されていないアンドロイド(ヒューマノイド)だったのです。

よって、自我が強かった第二次第八期の最終移住者は全員が、エネルギーを自在にあやつらせない目的で、FIDA(惑星連合)の計画によってボディのHCIN体とKECI体が原子核の集合体(EXA PIECO≒魂)と結ばれないように処置されたのではないか???!!!

換言すれば、1万年前に地球に移住し現在の人類の元となった地球への第二次第八期の最終移住者は、ボディのHCIN体とKECI体が原子核の集合体(EXA PIECO≒魂)と結ばれていないために宇宙の本質(宇宙心)と同調できず自我が一層強くなり過ぎたので、何らかの混乱があれば直ちに略奪行為に走るという習性が身に着いたのではないだろうか???!!!

しかし、縄文人とケルト人は1万年前以前から地球に住んでいる旧人類なので、ボディのHCIN体とKECI体が他のボディ層とともに原子核の集合体(EXA PIECO≒魂)と結ばれているので宇宙の本質(宇宙心)と感応できるので地震などの大混乱でも略奪行為に走ることはないのでは!!!???

<4月12日(水)>

太鼓ヶ岳〜周南山(仮称)〜苔谷山(仮称)〜望海山(仮称)周辺ルートで案内板を取り付けた。

3年前くらい前までは、この近辺では大平山〜望海山(仮称)〜大谷山、石砂谷〜大谷山〜望海山(仮称)、城山〜望海山(仮称)くらいしか登山ルートはなかった。

しかし2〜3年前ごろから、
@牟礼峠〜堀溝林道〜綾ヶ峰
A綾ヶ峰〜太鼓ヶ岳〜周南山(仮称)
B周南山(仮称)〜苔谷山(仮称)〜石砂谷林道〜望海山(仮称)
C牟礼峠〜堀溝林道〜大平山
D牟礼峠〜嶽石岳〜大谷山〜大平山
等を自ら整備した後、かなり数の普通登山者が上記新ルートを通行するようになったが殆どの分岐点で案内板が不足していたので通行者のとって上記@〜D間の相互接続関係が不明であった。

今年3月30日に一部の分岐点で案内板を設置したが、今回はその続編として、太鼓ヶ岳、
DSCN5097.JPG
周南山(仮称)登山口、周南山(仮称)
DSCN5087.JPG
、苔谷山(仮称)、石砂谷林道との合流点で新たに案内板を設置した。

経費節減のため材料は廃材を充てたが、マジックペン、透明ペイントと結束針金は購入した。

その後、石砂谷林道から望海山(仮称)に登る新しいルートを探索した。

2年前に新設された作業道を利用して、終点から標高差で≒20ⅿ程度道なき道を這い上がり、石砂谷〜望海山(仮称)ルートに合流し、合流後5分足らずで望海山(仮称)山頂に達することができた。

従来の苔谷山(仮称)〜石砂谷林道〜望海山(仮称)コースに比べて約10分程度の時間短縮になると感じた。

最後に綾ヶ峰に登り、展望立木の登り口に書いていた『危険』という文字を消し、『自己責任で』という文字に書き換えた。折角なので新装なった展望立木の天辺に登り360度の大パノラマを満喫した。大気の状態が良くかなり遠くの峰々が見渡せたのはラッキーであった。
DSCN5098.JPG <大蔵岳ズーム>

DSCN5099.JPG <十種ヶ峰ズーム>

DSCN5101.JPG <弟見山方面>

DSCN5102.JPG <馬糞ヶ岳、金峰山>

DSCN5105.JPG <徳山湾、仙島>

DSCN5106.JPG <熊野牧場牛舎、大津島>

DSCN5109.JPG <防府市東>


DSCN5110.JPG <防府市西>

DSCN5111.JPG <矢筈ヶ岳>

DSCN5112.JPG <右田ヶ岳>

DSCN5113.JPG <西鳳翻、東鳳翻>

DSCN5115.JPG <竜門岳、真田ヶ岳、物見ヶ岳、高羽ヶ岳>

DSCN5116.JPG <大蔵岳、十種ヶ峰、高岳山>

展望立木の過去3年間の実績からすれば概ね後今後3年間程度は登れるだろう。

<4月13日(木)>


9時から12時まで公園ボランティア活動。久しぶりに遊歩道の整備をした。松林スポットでは満開の桜の木が見えるように視界を邪魔する雑木を20本ばかり除去したので、景観が一段と良くなった。

20時から2時間ほど、無料WEBセミナー『米メディアの闇とトランプ政権の本質』を視聴した。講師は最近とみに存在感を増した感のあるあの藤井厳喜氏であった。

藤井厳喜氏の講演をWEBとはいえ無料で視聴できるとは!!!
昨年までとは隔世の感がある。。。主催者はPRIDE & HISTORY社であった。

結論的に言えば、米国の大手メディアはグローバリスト=世界金融連合=ウオール街=の手先にすぎず、絶えず大衆の洗脳に励んでいる実態が藤井厳喜氏によって具体的に示された。

日本の主要メディアの報道は所詮米国大手メディア報道のコーピーに過ぎず、日本の主要メディアも、絶えずグローバリスト=世界金融連合=ウオール街=を擁護するたちばで大衆の洗脳に励んでいる米国大手メディアと同等な存在であることは自明の理だ。

ジョセフ・ユージン・スティグリッツといえば、2001年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者、コロンビア大学教授であり、グローバリスト擁護派とみられているが、スティグリッツ教授でさえも
『自由貿易により米国の中産階級は没落した』
と明言したことを藤井厳喜氏は教えてくれた。

米国に限らず、日本でもどの国でも『自由貿易により中産階級は没落した』のであり、マスコミや経済専門家、役人や安倍首相までもが自由貿易を崇め奉っているのは奇異であり滑稽でもある。

彼らは『無条件に自由貿易は良いことだ』と頭から信じ込んでいる。これもグローバリスト=世界金融連合=ウオール街=による洗脳の見事な結果である。

皆が常識だと疑わない事は、実はマスコミによる洗脳が見事であったという証明だ。

即ち…常識は嘘・・・

マスコミは肝心の所で大嘘を報道し、大衆を洗脳し、嘘を常識に変える!!!

毎日堂々と大衆の知る権利を侵すのはマスメディアだ!!!

マスメディアの余命はあといくばくであろうか!!!

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2017年04月09日

2017年4月8日 猫の目草、残雪、弟見山雪渓&カタクリの蕾、飯ヶ岳大滝

<4月7日(金)>


午前中はリアルインサイトからの動画をメモを取りながら視聴した。
・マスコミの時代は終わった
・学校もマスメディアも思考力と洞察力が著しく欠如
・学校とマスメディアに情報を頼る時代は終わった
・新しい時代を生き抜くためには、各人で思考力と洞察力を磨く以外に道はない
…などなど

ヤマちゃんおやじは2007年7月の弊ブログ開設以来、マスコミによる洗脳・扇動活動の非難に明け暮れていた感がある。また、

マスコミによる洗脳・扇動活動を支配する勢力としてのワンワールド=国際金融連合=イルミナティ=ウオール街の奥の院=の悪業も最大の非難・攻撃対象としてきた。この考え方の根底には馬野周二博士の著作があり、ヤマちゃんおやじは馬野周二博士の著作に共鳴した一人の老人だということだ。

またリアルインサイトからの動画では、
@ワンワールドとは“世界は一つの存在であるとする思想を持つ勢力”であり、ウバイドワンワールドとイエスズ会がワンワールドに該当する。
Aウバイドワンワールドは、無私無欲の存在であり、黄金ファンドの専管権を有する。イエスズ会はファンドへの羨望と欲望を有す存在であり、搾取で蓄積したファンドを所有する。ウバイドワンワールドとイエスズ会は対立する存在。
B国際金融連合(ユダヤ)は自ら単独では生存できず、ワンワールド(ウバイドワンワールドとイエスズ会)に寄生し、ワンワールドから使役される存在。国際金融連合(ユダヤ)は、双方(ウバイドワンワールドとイエスズ会)のファンドを一般社会で運用して利鞘を稼ぐ。
Cfollow  the money(金の流れを追えば事件の真相に迫ることができる)という手法でお金を追っても、見えるのは国際金融連合(ユダヤ)の策謀であると錯覚してしまう。
・ ・・・・・etc
と解説されていた。

馬野周二博士のワンワールドに関する主張は30年にわたる米国滞在で得られた特殊ルートから得た知見を基に展開されたものと推察するが、欧米では最も高度な分析手法としてfollow  the moneyが珍重されてきたのでひとえに馬野周二博士の主張を非難できない所がある。今でも馬野周二博士は日本でいや世界でもっとも傑出した歴史(社会経済)思想家だと感じている。

とは言え、平成29年4月7日にワンワールドと国際金融連合に関する当方の理解が約20年ぶりに拡大・深化したのは自分にとって記念すべきエポックだと感じた。これもひとえに有料情報提供サイト『リアルインサイト』へ加入したお陰であるのは間違いない。

<第3回タラの芽採り>


13時から18時頃までタラの芽採りに没頭した。最初に訪れた場所では、先行者が採取済であった。2番目の採取場所は法面を標高差で30m程度アップダウンしてかなりの数を採取できた。三番目の場所では先行者の陰はあったが少しの収穫があった。四番目の場所では先行者の陰はなくかなりの収穫があった。今回はシーズン真最中なので落穂拾いだろうと予想していたが、意外と先行者の活動が少なかったようだった。


<4月8日(土)>


<猫の目草、残雪、弟見山カタクリの蕾、飯ヶ岳大滝>

Y氏からのお誘いで周南市鹿野町 屋敷林道〜シャクナゲ尾根〜莇ヶ岳〜縦走路〜弟見山〜屋敷林道支線〜と周回しその後 R315〜飯ヶ岳大滝をピストンした。

出発点の屋敷林道入口では霧雨が強まったが、Y氏、A氏と3人で歩き始めシャクナゲ谷を登った。

猫の目草がぼつぼつ表れ始め登るにしたがって数を増し、
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ついに絨毯状に群生した猫の目草が現れ第一の想定外に遭遇した。
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名前が判らない白い花にもであった。
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エンレイソウの花もあった。
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鞍部で少憩後ひたすらシャクナゲ尾根を汗をかきながら辿り霧に囲まれた莇ヶ岳に到着し昼食を採った。

雨は降らず時間があるので縦走路を辿り弟見山へ向かった。今年は寒かったのか4月初旬でも数カ所で小さな残雪があった。
白い馬酔木
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とピンク馬酔木もあった。
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雪で倒れた笹をかき分け983mピークを下る。残雪の向こうには30mもの高さの落葉樹林が霧に浮かんで見えた。
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鞍部には真新しい派手な二色テープが立木に巻かれ幹にはオトトミタニ平成29年1月・・・と彫り込まれていた。白井地区から這い上がるオトトミ谷と縦走路との合流点を示したものとおもわれ合流点付近は凄い笹薮だったが、いずれ訪れてトチ・ミズナラの巨木を拝んでみたいとおもった。

展望台の手前でカタクリの葉がポツリポツリと現れはじめた。
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しばらく進むと通路の右側に広い残雪が現れ相当下の谷間まで雪で埋まっているのが見えた。
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全くの想定外の雪渓出現で思わず三人が歓声を上げ、今までこの山系で見たこともないこの光景を写真に収めた。

山頂に近づくにつれカタクリの葉は増えてきたが蕾はなかなか現れなかったが、山頂付近でついに蕾を4つ見つけた。
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一つの蕾は薄くピンクに色ついており、日照が十分あれば4,5日以内に開花するような感じがした。
DSCN5079.JPG

昨年は4月15日あたりで満開,4月9日で七分咲き・・・との情報があったが今年は4月8日で蕾がたった4個なので満開はかなり遅れるのであろうか???

展望台に戻るも辺りは霧、霧、霧・・・

林道屋敷線分岐から滑り易い急傾斜を下るもロープのお陰で転倒することなく林道屋敷支線終点に着いた。

林道から通常では見えない多くの沢が雪解け水の白い流れで存在を主張していた。おそらくこの時期だけの特別な景観であろう。
7.8年前に比べると随分歩きやすくなったものだ・・・としみじみ実感ながら林道屋敷支線を下った。

増水した沢を眺めていると、
DSCN5082.JPG

増水時の飯ヶ岳大滝を観たくなり、夕暮れが迫るなかで大滝コースを滝まで登り豪快に水を落とす姿
DSCN5084.JPG
を目に収めた。

霧に始まり霧に終わった今回の山行は、想定外の猫の目草絨毯、弟見山山頂付近の大雪渓、蕾をつけたカタクリに加え、今まで三十回を超える当該山域登山で初めて見た幻想的な風景〜霧に浮かぶ落葉樹林〜を味わせてくれた点でも貴重なものとなった。

ご同行戴いたY氏、A氏、コース整備された方々、カタクリの保護・生育に注力された方々に感謝、感謝、感謝。。。
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2017年04月06日

大谷山〜久兼コース(仮称)〜久兼公会堂をピストンした

<4月4日(火)>


4月5日に予定の大谷山から野峠を経由せずに久兼に直接下るルートの現地確認の準備として、

@大谷山から延びるすべての稜線を太線で着色した二万五千分の一の地形図を作り
A4月3日に辿ったコースと狙うべきコースを地形図上に線で記入し印書し
B主な分岐点の標高、分岐する方向、分岐間の距離を地図に記載して、
辿るべきルートを間違わぬようにした。

この方法は昨年末山口市要害岳射場ヶ浴コース(新射場ヶ浴コース、射場ヶ浴尾根コース)を整備する際、複雑に入り組んだ支尾根の相互関係や現在位置をGPSを使用しないで現地で理解・認識するうえで大いに役立った経験がある。


<4月5日(水)>


前日作成した地図を携え、防府市大谷山から野峠を経由せずに久兼に直接下るルートの現地確認を行った。

本年4月3日には同じ目的で大谷山から下山する中で久兼に直接下るルートを探したが、当初狙った県道27号線脇の電波塔付近から西へ約1000ⅿ離れた場所に下山した。

この時実際に下山したこのコースは、下山場所が駐車地の久兼公会堂に約500ⅿも近いという利点はあったが、急傾斜が連続し麓付近のルートが判り難いワイルド気味コースであり更に最後には猪防御柵を越えなければならないという問題点があるので、一般的ルートとしては余りお勧めできないと感じた。

よって4月5日には大谷山から県道27号線脇の電波塔付近に下るコース(久兼コースと仮称)を確実に知るために、県道27号線脇の電波塔付近(標高205ⅿ)から出発して大谷山(標高559ⅿ)方向へ登ることにした。

久兼公会堂に駐車させてもらい、道中が荒れている可能性を考え鋸と剪定鋏を携行し県道27号線脇の電波塔付近の登山口を目指して歩き始めた。
DSCN5033.JPG <県道27号線脇の電波塔付近の登山口>

登山口から264ⅿピーク
DSCN5034.JPG <264ⅿピーク>

までは普通の登山道であったが、それ以降は地形図から急坂の連続は覚悟していたがやはり実際に登って見ると急傾斜の連続は相当に厳しかった。
DSCN5036.JPG <標高 320ⅿ付近>

DSCN5037.JPG <鞍部1>

DSCN5038.JPG <鞍部2>

264ⅿピーク以降の久兼コースは地籍調査目のためと思われる切り開きを辿っており、要所に赤テープを張られていた。

この久兼コースで最も気を付けなければならないと思った場所は標高490ⅿ付近の稜線分岐点だ。4月3日にはこの分岐点で西へ進んでしまい想定外の場所ヘ下降したが、県道27号線脇の電波塔付近に下るには、この分岐点で北方に下らなくてはならないことが今回はっきり判った。よってこの分岐点に二段赤テープを立木に巻き注意を喚起し、併せて立木に『右折、久兼』とマジックで書いておいた。
DSCN5039.JPG <標高490ⅿ付近の稜線分岐点>

ここから更に標高差で40ⅿ程度道なりに登ると傾斜は殆ど無くなり大谷山に至るT字路に達した。傾斜が無くなる西端辺りから北方稜線へ進む切り開きにはピンクのテープが続いているが、これは地籍調査のためのものでありここに入ってはならない。

このT字路で野峠からの登山道と久兼コースの登山道が合流する。490ⅿ付近の稜線分岐点からT字路までの距離は約250ⅿ。
このT字路付近の野峠側立木に『野峠』、
DSCN5042.JPG

久兼コース側立木に『久兼』とマジックで書いておいた。
DSCN5043.JPG

このT字路で昼食を採った。T字路の石柱には『上石砂谷』と彫り込まれていた。

久兼公会堂(標高約85ⅿ)から電波塔近辺の登山口(標高205ⅿ)まで26分、登山口からT字路(標高約545ⅿ)まで赤テープ取り付け作業を含み94分を要した。

下山は登りと同じルートを辿ったが、4月3日に進路を誤った場所で再び進路を間違いそうになったが二重赤テープのお陰で正しい方向に進むことができた。ここで立木に二重赤テープを新たに追加した。
DSCN5045.JPG <新たに追加した二重赤テープ>


4か所で赤テープを追加しながらT字路から登山口まで約50分掛って下った。

この久兼コースは4月3日に下ったルートと比べると、急坂部分が比較的短く、比較的歩きやすく、進行方向が分かり易い点でより一般的だと感じた。この久兼コースは大谷山からの下りに利用するのが好ましい気がした。もちろん大谷山へ登るコースとして利用しても大きな問題はないと感じた。

大谷山から久兼方面へ下山する場合、大谷山→野峠→久兼公会堂コースよりも大谷山→久兼コース→久兼公会堂へ下るコースの方が時間的に約40分程度短くなるであろう。

従って久兼コースを利用すれば、久兼公会堂→三上山→484ⅿピーク→細岳→綾ヶ峰→576ⅿピーク→大平山牧場→林道仏峠線→大谷山・大平山縦走路→557ⅿピーク→太鼓ヶ岳→望海山→大谷山→上石砂谷→久兼コース→久兼公会堂という10峰周回コース(歩行時間≒6.5時間)が現実的となる。

余力があれば大平山、周南山(仮称)、苔谷山(仮称)を加えてもよい。

機会があれば挑戦してみたい!!!

14時過ぎに久兼公会堂に着き時間があるので、三上山に登ることにした。
本年2月に三上山に登った時は、旧生活道の途中から左折した踏み跡状ルートをGPS所有者の先導に従い進んだので単独で果たして迷わず登れるのか自信がなかった。今回は分かり易いと思われる旧生活道を出来る限り辿って見ることにした。

旧生活道は道幅が1ⅿ程度ありルートを誤る心配がなく歩きやすい反面登山らしくない雰囲気もあり、人によって好き嫌いはあるだろう。

久兼公会堂を起点・終点とした上記周回コースの場合、ルートが正しいか否かを道中あまり心配・確認したくないので、出来るだけ幅広い旧生活道を辿りたい気がする。

山頂直前まで旧生活道を通って約1時間で迷うことなく三上山に着いた。
DSCN5049.JPG <三上山から大谷山を望む>

帰路人家の庭先に一本の桜の木に紅白の花が咲いている珍しい桜を初めて見た。

DSCN5052.JPG

これで久兼公会堂を起点・終点とした上記周回コースにトライする条件は揃った。
後は実行のみ!!!
posted by ヤマおやじ at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月04日

辻元清美義援金横流し疑惑発覚後に保守系ブログが一斉サイバー攻撃さる

<3月30日(木)>


大平山牧場周辺の600m峰周回コースの案内板取り付けと登山道草刈りの整備登山を行った。

大平山牧場の舗装道T字路を起点とするルートの案内板2枚を取り付けた。
一枚目は大平山牧場の舗装道T字路に、
DSCN4976.JPG

二枚目は林道仏峠線入口に取り付けた。
DSCN4980.JPG

今後案内板の設置を考えている580m峰三叉路、太鼓ヶ岳、周南山に赴き、案内板の設置条件を現地で確認した。

580m峰三叉路では今ある案内板で十分だと思った。
ここまでくると欲が出て太鼓ヶ岳に向かい現地を見た所、三角点から少し離れた立木に案内板を取り付けることにした。

さらに周南山(仮称)に向かう道中で、ヘルメットを脱いで休んでいる年配男性に出会った。林業関係者だろうと思って挨拶すると、何処から来たか?と聞かれたので、大平山・大谷山縦走路から来たと答えた。その男性からすればコンなところで人に出会うなど全くの想定外だったそうだ。

話のついでに、大谷山から久兼に下るコースの存在を聞くと、『電波塔のすぐ先に赤テープがあった』との答えが返ってきた。

いろいろ話をして判った事にはこの男性は、足が不自由にもかかわらず藪漕ぎが好きで帽子の破損を防ぐためにヘルメットを被っている…とのことで、当日は久兼バス停まで奥様運転の車で来て野峠まで歩き、そこから大谷山に登り望海山、太鼓ヶ岳を経て神宮林道まで新規林道を下り、大平山正面コースから浮野峠に出て江泊地区に帰る予定とのこと。

山談義は果てしなく続いたが、明るい内に帰らなくてはならないので話を切り上げ周南山に向かった。

あいにくの曇り空でいつもの絶景は見られなかったが、ここでも具体的な案内板の書き方を思いついた。

足の不自由にもかかわらず、笹漕ぎ大好き人間に徹しておられたこの男性に大きな感銘を頂いた。大谷山から久兼に直接下れそうなルートの具体性が得られたのもこの日の大きな収穫であった。

感謝、感謝、感謝。。。。。


<3月31日(金)>

リアルインサイト提供による無料動画『正史 明治維新』第三回を視聴した。
第三回動画のポイントは
@日本の国是『満鮮計略』
A崇神・応神の奉迎と大室寅之祐(明治天皇)の誕生
B波動・幾何系シャーマンのDNA
であった。

特に印象に残ったポイントは、
・地政学の要諦は『緩衝地帯の創造』
・周防国の大半は大陸からの渡来人の子孫。
・毛利氏に支配され不満を持つ大内氏卒族(中間・奴…最下層の派遣社員層=長州卒族)が日本の植民地化を狙う覇道イエスズ会に扇動され暴動を起こさないように長州卒族を集めて奇兵隊を組織し倒幕戦争に参加させ軍功を挙げさせて、長州卒族を明治政府の役人に取り立てるために明治維新が企画され実行に移された。〜〜坂本竜馬を英雄視する司馬遼太郎史観は大嘘〜〜
・中山忠光卿は下関市蓋井島で暗殺されたことになっているが、実際は朝鮮に渡り満鮮計略(満州国を五族協和の緩衝地帯とする)の実現に尽力した。
・大陸勢力の一部(長州卒族=長州陸軍)の侵略的発想=大陸特有の発想=による妨害で満鮮計略は未完状態となった。
・マッカーサーはケルト人=ウバイド人
・日本人のY染色体はD型、O型が多い。D1b型は縄文人でウバイド人と同じ旧人類で日本人の45%。O1b2型は弥生人で日本人の30%.O2型は古墳人で日本人の20%.弥生人と古墳人は大陸からの渡来人。ケルト人はR1b型。
・日本人のD1b型とケルト人のR1b型は、ヴュルム氷河期(1万年前)以前から生きている旧人類。旧人類は現行人類とは思考と発想の点で異なっている!!!
・ ・・・以下省略

大震災でも略奪が起きない日本人は外国人とは異なるがその理由は???
旧人類と新(現行)人類の差か???

<4月1日(土)>


第二回のタラの芽採り。昨年は近郊では殆ど先人にしてやられたので、今回はあまり期待しなかった。しかし今年は先行者に取られた形跡は少なく意外と多く採れた。
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次回は4月5日あたりか?しかしあまりとれないかも。。。
感謝、感謝、感謝・・・

<4月3日(月)>


降雨確率ゼロということで、大谷山〜久兼直通ルートの探索に出かけた。
3月39日に太鼓ヶ岳近辺で出会った年配男性から聞いた大谷山〜久兼直通ルートの話がきっかけとなった山行だ。

一昨年秋に悪化した手足の皮膚病は一年間の投薬と塗り薬で一時的に治癒していたが、追突によるリハビリで内服薬を止めると再び状態が悪化し始めたので、一週間前に医者を変えてみた所、内服薬はなく状態も少し良くなった。9時から2回目の診察を受けてから久兼へ向かった。

予定ルートは、久兼公会堂〜県道27号〜野峠〜大谷山〜望海山〜大谷山〜直通ルート〜県道27号〜久兼公会堂とした。大谷山〜望海山以外は初めてのコースなのでひさし振りに緊張した。悪路に備え鋸と剪定鋏を携行した。

10時50分 久兼公会堂出発
11時16分 電波塔横通過
11時20分 予定下山口通過
11時46分 野峠着、ムスビ1個食す
11時50分 野峠発
12時54分 野峠コース/直通ルート分岐通過
13時03分 大谷山着
14時22分 望海山着、ムスビ1個食す、休憩後大平山方面コースの雑草刈り取り
15時03分 望海山発
15時31分 石砂谷への下降口通過
15時45分 大谷山着、少憩
15時56分 野峠コース/直通ルート分岐通過
16時22分 旧道出現
16時40分 県道27号と大平山行き舗装道との合流点から150m程度大平山側に入った舗装道に出た

予定では電波塔近辺に出るつもりだったが、下降すべき尾根を通過しさらに西側の尾根を下降したことが判った。西側の尾根を下降する前に下降の方向を確認した際、本来ならば北へ下降すべきだと知っており本来の下降点の戻ろうと思ったのだが、目の前の下降ルートが立派に見えたのでそのまま下ってしまった、嗚呼・・・

せっかく地形図を持参していたのだが、こんな判断では・・・考え方が甘い甘い。。。

『少なくとも西側に下りさえすれば最悪でも2時間程度で久兼に出られる』という考えがあり、いい加減な判断と行動を招いたのかもしれない。
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<森友学園事件の火付け人は辻元清美のお友達>

・森友学園事件の火付け人=豊中市会議員木村真=
・豊中市会議員木村真は豊中市が森友学園小学校用地に隣接するほぼ同一面積土地(野田中央公園用地)を2000万円で入手していた事実は知っていたにもかかわらず、『森友学園は市価の十分の一の極端に安い価格で入手した』と嘘情報を発表し森友学園事件に初めて火をつけた。
・木村真は関西生コン連合を通じて辻元清美とつながっている
・旧社民党時代から現在まで辻元清美は北朝鮮系暴力組織=関西生コン連合=と深い関係がある
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=11171102176から引用する
〜〜〜〜引用開始〜〜〜〜
平成27年、大阪府に出来た7か所の保育所のオーナーは北朝鮮の資本であるといわれている。大阪府豊中市に安家(あけ)周一の「あけぼの幼稚園」がある。元審議会委員の安家は他の幼稚園を乗っ取り事業を拡大しているという噂がある。この「あけぼの幼稚園」は園児に「いただきます」と言わせない教育方針の幼稚園だ。塚本幼稚園とは真逆である。塚本幼稚園も狙われているのかもしれない。
特に安家氏は民進党の辻元清美とも親しいのは周知だという。「大阪府私立幼稚園連盟」の集まりが自民党系から、今ではすっかり社民党の左翼系になっているのは元理事長だった安家や現理事長の安達譲の影響ともいわれている。私学審議会は非公開なのになぜか民進党の国会議員がやってきた。これは審議会の委員の中にそれを漏らした人間がいたことになる。その私学審議会の委員の中に森友学園を「必ず潰してやる」と言った人間がいる・・・との情報もある。ここに認可を妨害したい左翼の豊中市市議会議員の木村真がつながってくる。木村は森友学園の土地を専門で問題化している人間だ。
〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜

<辻元清美義援金横流し疑惑発覚後に保守系ブログに一斉サイバー攻撃が>

・3月28日中山なりあき(中山成彬)‏認証済みアカウント@nakayamanariakiがツイッターでつぶやきました。
“籠池夫人とのメールで昭恵夫人の寄付はなかったことが分かったが、同じメールで辻元清美議員の疑惑が浮上して民進党は火消しに大童だ。マスコミに報道しないよう頼むに至っては何をかいわんや。辻元議員といえば東北大震災の義捐金3600億円の使途の責任者だった筈だが、報告はなされていたかな?”

別の情報では“義援金3600億円のうち1500億円が行方不明”というものもあります。その1500億円は何処に行ったのか???北朝鮮へ流れミサイル開発や核爆弾開発の原資になったという話もあるが・・・現時点では真偽のほどはわからない。。。

・問題は3月29日夜から保守系ブログが一斉にDOS攻撃というサイバー攻撃を受け閲覧不能状態に陥りました。人気ブログランキング上位の「行橋市議会議員 小坪しんやのブログ」までが、このDOS攻撃のターゲットにされてしまいました。

「Dos攻撃」によってサーバーへの大量トラフィック攻撃が発生し、ダウンに追い込まれています。
 これは、単なる業務妨害ではなく、サイバー戦争です。

 「DoS攻撃」といえば、WindowsのF5(リロード)キーを集団で連打し、ターゲットのWebサイトに過大な負荷をかけて停止させてしまうものもあれば、システム的に大量のトラフィックをターゲットのサーバーに送りつけダウンさせる攻撃もあります。

 
これらの組織的サイバーテロを実施し得る勢力は、数千人〜数万人のハッカー集団を抱えるサイバーテロ部隊を持つ中華人民共和国か北朝鮮です。

辻元清美と北朝鮮との強い関係を考慮すれば、このサイバー攻撃は北朝鮮による可能性が高いと思われます。

辻元清美に関して義援金横流し疑惑がネットで暴露された翌日に日本の保守系人気ブログが一斉にDOS攻撃というサイバー戦争を仕掛けられた所が非常に重要です。

北朝鮮と密接な関係を持ってきた辻元清美が義援金の使途不明金で追及され、その行く先が判れば困る勢力がDOS攻撃というサイバー戦争を仕掛けたのは大いにあり得る話しでしょう。

更にマスコミは、産経新聞以外は辻元清美に一切言及していません。

マスコミと北朝鮮シンパの辻元清美はグルであるのは間違いないでしょう!!!

posted by ヤマおやじ at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする