ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2016年01月29日

甘利大臣を嵌めた黒幕は???

<1月26日(火)>

17時15分から全豪オープンテニス男子準々決勝が錦織(世界ランク7位)とジョコビッチ(世界ランク1位)との間で行われ実況中継を視聴した。

あわよくば錦織の勝ちも期待されてが、錦織があっけなく3−0で敗れた。
テレビ解説者は勝ったジョコビッチを褒めていたが、ヤマちゃんおやじは、錦織の第一サーブミス連発が敗因だとおもった。

多くの国際試合では日本人が負けた場合、解説者は日本選手の敗因について殆ど言及せず、勝者を褒めるだけで解説を終える。

負ける原因があったから負けたのである。しかし日本の解説者は日本選手の敗因を明確に指摘しない。このような解説では日本選手はあたかも運が悪くて負けたような印象/錯覚を与えるので、本人の為にもならないし、視聴者に対しても嘘の解説をしたことになる。

換言すれば、解説者は選手を甘えさせていることになる。だから世界レベルでの実力がつかない状態が続くことになりはしないか???

素人目には錦織敗因は、錦織の第一サーブが肝心の所で入らなかったからだと感じた。

ここぞという大事な場面では第一サーブをバシッと決めるのが一流選手の証である。
ランキングが下位の錦織の第一サーブが入らないのではマトモナ勝負にならなかった。

錦織選手も世界ランキング7位という世界のトップクラスなので、第一サーブの重要性は当然知っていよう。

錦織選手はジョコビッチのセカンドサーブでも相当てこずりポイントを奪えず、逆にポイントを奪われる場面が多かった。

ジョコビッチのセカンドサーブは錦織のバックサイドでは高くバウンドし、センターサイドでは速いサーブでエースを2本も奪った。身長の低い錦織用に工夫したジョコビッチのセカンドサーブであった。

錦織選手は試合の合間に太ももの応急手当を受けていた所から察すれば、本調子ではなかったかもしれない。

更に言えば、40−ゼロからジョコビッチに逆転を許したゲームが2,3あったことも精神的に追い込まれる原因になった可能性がある。

とはいえ、4大大会で準々決勝まで勝ち進むことは並大抵のことではない。実力者の錦織選手ならばこそだろう。

尚 ジョコビッチとフェデラーで争われた準決勝では、ジョコビッチが絶好調で3−1で勝った。


<1月27日(水)>


運動不足解消の為、羊歯刈りを兼ねて防府市の矢筈ヶ岳に一の瀬から山上山(石鎚様)コースから登った。

10時30分頃から残りの羊歯刈りを行った。尾根筋には通常羊歯は生えないのだが、このコースではやたらと羊歯が多い。尾根筋に成木が少ないので日当りが良く羊歯の生育に適しているからかもしれない。

DSCN1770.JPG <羊歯に埋まったコース>

12時30分頃ようやく残りの羊歯を刈り終えた。
DSCN1772.JPG <羊歯刈り後>

DSCN1773.JPG  <羊歯刈り後>

DSCN1774.JPG  <羊歯刈り後>


先日作業したルートを分岐まで進み、刈り残した羊歯を刈り取った。

昼食後時間があるので、雪が残っている矢筈ヶ岳に14時から登ることにした。
大岩を過ぎたあたりから雪が残り滑りやすくなっており、注意しながら慎重に登ったので山頂に着いたのは15時であった。ロープや打ち込んだ楔(枯れ松)があったのでどうやら登れた感じがした。

下山は一層滑り易いので久しぶりに緊張感を持って下ったので一の瀬まで1時間半位掛った。途中松の倒木の枝(羊歯に隠れていた)に躓いて転倒したが幸いにも大事に至らずに済んだ。

この松の倒木の枝4本は持参の鋸で切断しておいた。

これで当分の間、山上山(石鎚様)〜一の瀬直通分岐では羊歯に邪魔されず通過できるだろう。

両手の皮膚病の具合は完治していないが、今回の羊歯刈り作業で悪化した兆候は見られなかった。序々にではあるが、治りつつあるようだ。


<甘利経済産業大臣辞任の怪>

1月21日発売の週刊文春で甘利経済産業大臣収賄の記事が発表されるという触れ込みで問い詰められた1月20日に甘利大臣は、実情を調査して1週間後に報告を行うと言明した。

1月22日以降はこの事件のニュースが飛び交った。

ヤマちゃんおやじはこのニュースを聞いた途端何か変だ!と感じた。

週刊文春によると、贈賄側の建設会社Sの担当者I(一色武)が綿密に計画して手集めた証拠写真・録音テープなどを自ら週間文春に持ち込んだことである。

一般に贈収賄事件では、事件発覚を恐れて贈賄側も収賄側も事件を隠蔽するのが常である。

しか今回の甘利経済産業大臣に関わる事件では、贈賄側が自ら証拠を携えて名乗り出ているのである。これに異常・疑問を感じない人間はよほど『薄のろ』であろう。

“何か裏がある!!!”と疑って掛るのがメディアとしての責任ある態度だ。

さしずめ、この怪奇事件を疑うことなく単なる贈収賄事件として認識し、軽率にも自社週刊誌に発表した週刊文春やその報道の出所を確かめもせずそのまま報じた日本のマスコミ各社も無責任な『薄のろ』メディアだ・・・ということになる。


この事件報道には上記以外に多くのいかがわしい点がてんこ盛りである。

第一に、週刊文春が匿名とした当該建設会社名を、シナの新聞“中央社”が『薩摩興業』だと早くも1月21日に実名で報道している点である。日本で隠されていた建設会社名をシナの新聞が何故知っていたのか???・・・・大いなる疑問である。シナがこの事件の実行を指令したのならば、当該建設会社名が『薩摩興業』とわかっていたのは当然であろう。

第二に、この事件を暴露した一色武と大金を受け取ったとされる甘利経済産業大臣の公設第一秘書清島健一一家4人が1月20日以降姿を消した点である。

第三に、贈収賄という不正を質すのであれば、この事件を暴露した一色武は警察に届けるのが筋であるが、週刊文春という左翼系週刊誌にネタを持ち込んだのも不審である。

第四に、この事件を暴露した一色武は、はじめに読売新聞にネタを売り込んだが不審に思った読売新聞は取り上げなかったので、やむなく一色武は週間文春に売り込んだという情報がある。

第五に、公設第一秘書清島健一は2013年11月14日に大臣室で一色武と甘利大臣の面会をセットし『週刊文春』の記者を同行させて写真を撮らせている。この時の証拠写真が週間文春に掲載されていた。いくら公設秘書だとしても大臣室で贈賄者である一色武を甘利大臣に面会させ『週刊文春』の記者を同行させて写真を撮らせのは極めて不用意に思える。

第六に、千葉県の建設会社薩摩興業(株)が神奈川県の甘利大臣事務所に何故陳情するのか??? 陳情は通常地元選出の代議士に頼るものだが・・・

第七に、建設会社S=薩摩興業(株)=に関わるいかがわしい情報である。
千葉県建設業協会には薩摩興業(株)の名前がない。その代わり日本共産党とのつながりがある千葉・中小企業家同友会に=薩摩興業(株)=は加入している。

薩摩興業(株)の資本金は1000万円、従業員5名、代表者=寺床博好、型枠大工業、電話番号:047-492-3311住所:〒270-1415 千葉県白井市清戸272。
薩摩興業(株)総務担当の一色武は資本金よりも2割も多い1200万円を礼金として公設第一秘書清島健一に支払ったとされている。社長の寺床博好の同意が無ければ総務担当者一色武の一存で動かせるような金額ではないだろう。

代表者=寺床博好は、2007年9月10月11月に各40万円合計120万円を『大日本青嵐同志社』(2012年9月28日解散)へ寄付している。

第八に、贈賄を暴露した一色武なる人物の身元はしっかりしていないであやふやだ。
@一色武が使用していた名刺には、“政治結社○○○社 総括参謀  一色武”と書いてあった。 政治結社○○○社は八王子市にあった『大日本青嵐同志社』であり、住吉系暴力団だという情報もある。
A一色武は、甘利大臣に接近する目的で、甘利大臣の父親の元秘書が前理事長を務めいていた、NPO「国際人権教育推進センター」に目をつけて、NPO「国際人権教育推進センター」副理事長という嘘の名刺を作ったが甘利大臣の関心を引くことには失敗した。
B次に全国に後援会を欲しがっていた甘利大臣の心理をついて、一色武は「千葉に甘利大臣後援会を作る」という話を持ちかけまんまと甘利明大臣に接近することに成功し、一色武は後援者のひとりとして、甘利事務所の半ば身内のような存在となっていった。その後2013年5月には甘利明大臣の秘書の大和事務所所長の清島健一氏にUR交渉の相談をして、3ヶ月後にはURから補償金およそ2億2,000万円を手に入れることに成功した。
2014年4月4日には甘利明大臣の後援会「千葉県甘山会」発会式パーティーが行われたが集まったのは薩摩興業社長寺床博好氏が動員した30名足らずという少人数だったとのこと。ここでも薩摩興業社長寺床博好と一色武のコラボが見られた。
C甘利事務所に献金に来た企業の総務担当者=一色=は、何度か苗字を変えている在日コリアという情報もある。

第九に、公設第一秘書清島健一にも怪しい部分がある。2002年から江田憲司衆議院議員の秘書を勤め、江田憲司氏落選後2005年頃甘利事務所に移った渡り秘書となり、2011年公設秘書となり、現大和事務所所長。永田町では『金の匂いを嗅ぎ分ける男』として評判であり大変な酒豪だそうな。


他にも情報はいろいろあるが、上記情報に基づくと、あの手この手で甘利大臣サイドに接近し信頼を得た上で、甘利大臣に陳情し、解決のお礼として金品を贈った証拠を計画的に集めた薩摩興業総務担当一色武は、薩摩興業社長寺床博好とグルであり、大臣室での証拠写真撮影をセットした公設第一秘書の清島健一も、一色武、寺床博好とグルであった可能性を否定できない。これに週間文春も加わった複合詐欺事件の様相が浮かび上がってくる。

背景にはシナ共産党スパイからの指令があった可能性を否定できない。甘利大臣を辞任させて安倍政権の人気を落とし、今年夏の参議院選挙で大敗させるのがシナ共産党の狙いと推定される。恐らく夏の参議院選挙前に、第二の甘利大臣が犠牲になるかもしれない。さらに第3の犠牲者も準備完了でありシナ共産党からの指令で週刊誌での発表を待つだけであろう、

最終的な狙いは、第一次安倍内閣が参議院選挙後の大敗によって辞任に追い込まれたパターンの再現ではないか????あの時もマスコミが反安倍の大合唱を一斉に唱えたのである。

安倍政権が倒れれば、シナ共産党の思うままに日本を操ることができる。

いずれにしても、日本のマスコミが、甘利大臣政治資金問題を暴露した、在日コリア系暴力団だったという一色武の出自に全く言及せず、問題建設会社名を隠している事は、『怪しい』の一言に尽きる。

少なくとも『週刊文春』は国家転覆罪を問われるべきではないか!!!!

『週刊文春』は、ベッキーと下衆の極みとの不倫などの芸能人ゴシップだけを報じていればよいものを、シナのお先棒を担ぎ売国行為に手を染めてしまった。

『週刊文春』らの悪業が週刊新潮などまともなメディアによって暴かれんことを期待したい。。。

残念ではあるが、後援会作りに目がくらみ、素性不明な人物に取り込まれた甘利陣営の脇の甘さが悔やまれる。

結局1月28日夕方甘利大臣は辞職決意を表明した。

自民党の有力政治家といわれた甘利氏がこのテイラクである。平和呆けもここまで来れば日本国の危機といえよう!!!

まあ、元首相がシナのハニートラップに引きかかった割には危機感・反省が無い。自民党は余程褌を締めてかからないとシナのスパイにかき回されて国を取られるぞ。。。


<北朝鮮がまたぞろミサイル発射準備中>

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2016年01月26日

北朝鮮水爆実験の真相WEBセミナー

1月下旬の1月21日(木)〜25日(月)には寒波襲来ということで専ら自宅でおとなしくしている。

物は考えようで、読書の絶好の機会でもあり、落合秘史シリーズ、『金融ワンワールド』の3回目、『天皇とワンワールド』の4回目を読み理解を深めた。読むほどに大変な内容だとつくずく実感した。

幸いにも気分転換として、全豪オープンと大相撲初場所が開催されているのでテレビ観戦を満喫できた一方で、運動不足が少し心配ではある。

<大相撲 10年振りの日本生まれ力士優勝>

1月24日(日)には、奄美大島で115年振りに雪が降り、大相撲初場所では大関・琴奨菊が10年振りの日本生まれ力士の優勝を飾った。

ヤマちゃんおやじは、大相撲4日目ごろから、琴奨菊の相撲の変化に気がついた。兎に角今場所の琴奨菊の相撲は休まず攻め立てる『速攻の連続』が目に付いた。

対稀勢の里戦では、立会いでは琴奨菊が劣勢となり、稀勢の里の仕掛けたいなしに引っかかったが、素早く体を180度近く回転して体勢を立て直し、稀勢の里を押し出して勝利をもぎ取った。負けた稀勢の里の顔からは怪訝な表情=今日の琴奨菊は今までの琴奨菊ではない!まるで別人だ!=が窺えた。


初場所を通じて琴奨菊が攻撃の手を緩めて休んだりする場面は一日たりともなかった様な気がする。そして終盤では3横綱を倒し、ついに14勝1敗で優勝賜杯を手にした。

昨年までは大関豪栄道とともに角番の常連大関だった琴奨菊が、初場所ではまるで別人のような相撲を見せた。

優勝するまで琴奨菊快進撃の理由ははっきり判らなかった。それまでは昨年7月に結婚した奥さんが幸運を連れてきたのか!!!!・・・ともおもっていた。

<吉祥天女>


吉祥天女という星のしたに生まれた女性と結婚した男は幸運に見舞われる・・・という言い伝えが占星術にあるからだ。吉祥天女の運を持つ女性がたとえ結婚していても○○関係を一度でも結んだ男性は幸運に見舞われるというので、多くの男性が吉祥天という星のしたに生まれた女性に参拝九拝して○○関係を申し込む・・・という話(某作家)を聞いたことがある。某作家の話によれば、結婚した吉祥天女性と関係ももっただけでも相応のご利益があった男性が実際にいたとのこと・・・・

反対にその女性と結婚すれば、彼女と結婚した男性が悪運に見舞われるという、悪女の星を持つ女性もいるそうだ。

たまたま偶然かもしれないが、三役まで昇った力士が結婚後、相撲で大怪我(相手は横綱)をして復帰したものの完治せずとうとう十両でも負け越し、ついに廃業に至ったケースもある。


琴奨菊優勝後いろいろ優勝の秘話がテレビで報道され大盛況である。
秘話には3つの成功要素が挙げられていた。
@琴奨菊は半年前から体幹を鍛える科学的トレーニングを行っていた
A精神面を強化するルーティンの採用;琴バウアーなど
B半年前に結婚した奥様の内助の功

ヤマちゃんおやじは、これに『相手の反撃を許さぬ休みの無い速攻の連続』を追加したい。換言すれば、強い精神力と適切に鍛えられた体力が琴奨菊に備わっていたからこそ『相手の反撃を許さぬ休みの無い速攻の連続』が実現できた・・・ともいえる。

更に追加すれば、『優勝とか勝つとかは一切考えず自分の相撲をとることだけを考えた。“勝とう”とかの雑念が入ると体の動きが硬くなる』と琴奨菊は語っていた。雑念の払拭も勝因の一つではなかったのか???

昔の剣の達人クラスともなれば、『無念夢想』の境地の重要さを挙げている。

親方連中はとにかく稽古稽古を連発している。稽古しないと強くはなれない。同じ稽古をするにしても考えた稽古をしないと単なる自己満足に終わってしまうであろう。

今回の琴奨菊優勝は、今後の角界の稽古に新風を巻き起こすかもしれない。


さて、1月26日の午後5時から錦織圭が世界ランキング1位のジョコビッチとベスト4をかけて対戦する。素人目にも錦織圭が勝つチャンスはかなりあると感じている。


<北朝鮮の水爆実験とは何か?>

1月25日(月)に北朝鮮の水爆実験に関する西鋭夫のフーバーレポートを読んだ。

2007年8月にヤマちゃん日記を始めて以来、日本のマスコミの偏向振りを俎上に乗せ、“日本のマスコミで信頼できる内容はスポーツ結果だけだ”と言ってきた。

では何を信頼すべきか???信頼性の高い情報はどうしたら得られるのか???
長い間、その答えは信頼の置ける人が書いた著作を読むことであった。

信頼の置ける人に一例を挙げると、馬野周二氏、足立育朗氏、宮崎正弘氏、渡部昇一氏、西鋭夫氏、馬渕睦夫、三橋貴明氏、落合莞爾氏などである。

昨年あたりから新しい方法が出始めてきた。
1つは、『西鋭夫のフーバーレポート』:無料メルマが[Pride&History]
2つ目は、『リアルインサイト有料コース』
である。

フーバーレポートとは、英国元首相サッチャーが世界で最も優れた研究所だと賞賛したフーバー研究所が発行する研究報告書である。西鋭夫氏はフーバー研究所で長年研究を続けている日本で唯一の研究者だ。

上記フーバーレポートで記憶に残っている部分を以下に記す。

1.北朝鮮の金正恩とシナの習近平は不仲と伝えられているが、実際には水面下で繋がっている。

2.米国は北朝鮮には水爆を開発する力が無いと見ている。米国は北朝鮮が核爆弾実験やミサイル実験を行うのを恐れるどころかむしろ歓迎している。その理由は、北朝鮮が核爆弾実験やミサイル実験を行えば核やミサイルを持たない日本が米国に助けをもとめ依存心を高めるから、米国は日本から金を搾り取れるばかりか、米国の言うがままに日本を操れるからである。

3.シナも米国も北朝鮮に今後も存続して暴れて欲しいのである。

4.北朝鮮による日本人拉致は、日本が確固たる処置=軍事行動=を100%とらないことが判っていたので実行された。日本国以外であれば、外国から自国民が拉致されれば救出の為軍事行動を起すので、北朝鮮は拉致しない。北朝鮮は日本を完全に舐めていたのである。

5.政府の最も重要な役割は国民の生命と財産を守ることである。しかし日本の歴代政府、政治家は北朝鮮による日本人拉致に対してこれを放置してきた。マスコミも政府の怠慢を黙認してきた。国民も政府の無為無策に対し全く抗議しない。

6.何故日本は北朝鮮から舐められているのか、核兵器とミサイルを保有していないからである。日本が核兵器と核搭載ミサイルを保有しない限り北朝鮮は今後も実験を繰り返し日本を恫喝し続けるであろう。よって日本は早急に核兵器と核搭載ミサイルを保有すべきである。


7.朝鮮半島で戦争が始まれば、日本ではテロが激増するだろう。

8.マスコミはイランの核開発中止を伝えている。しかしイランは恐らく北朝鮮から原爆を購入して保有しているであろう。恐らくイスラエルも核兵器を保有している。イランの核開発中止を真に受けてイランに対する経済制裁を解除したオバマ米大統領はイランの核保有を知っていたであろうが、国民からの反対が怖いので敢えてイランの核保有を言及しなかったのである。

などなど・・・

日本の政治家や政府は、内外の反発を恐れ日本の核兵器保有を断行しない腰抜けだ。日本の政治家や政府は、自らの保身に汲々として日本の国益を大きく損ねている。国民も洗脳されて、日本の核兵器保有を罪悪だと看做している。

ヤマちゃんおやじもまた、『日本は核兵器と核搭載ミサイルを早期に保有すべき』・・・と考える。



<「16.1.6北朝鮮水爆実験の真実」特別無料Webセミナー>

本年1月6日に北朝鮮が水爆実験に成功したと発表しました。
例によって日本のマスコミは通り一編の報道しかしませんでした。
大した話題にもなっていません。
日本のマスコミは信頼できません。

しかし実際はどうなんでしょうか????
日本にとって何か重大な事実が隠されているのではないでしょうか???

さて、
「16.1.6北朝鮮水爆実験の真実」特別無料Webセミナーが来る
2月3日(水)20時〜22時に開催されます


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posted by ヤマおやじ at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

スキーツアーバス事故の真犯人は規制緩和

<1月14日(木)>


今年初の公園ボランティア活動の日であったので、久しぶりに出席した。

3人で通路を巡視した後イザ作業を開始しようとした矢先に雨が降ってきたのでそのまま解散した。


<1月15日(金)>


1月7日(木)の整備登山でやり残した防府市石鎚様(山上山)〜矢筈ヶ岳ルート250mの羊歯刈りに昼前から出かけた。

両手の皮膚病は完治していないので、作業時間を三時間程度に抑えるには、ひる前からの出発となった。

13時30分頃から作業を開始した。この時点で太枝切断用ニッパーを持参してこなかったことに気が付いた。最近は物忘れが多い!!!!

1年前に羊歯を刈った記憶があったが、通路を覆う羊歯は半端ではなかったので、以外に時間が掛った。
DSCN1767.JPG <羊歯刈り前>

DSCN1769.JPG <羊歯刈り後>

結局3時間半の作業時間で150mの羊歯を刈ったことになった。寒風が強く吹いていたのでまだ100m強残っていたたが作業をやめて下山した。

駐車場に戻って手袋を外してみると、両手の指先の皮の薄い部分から出血していた。今回は尼率からを加えないように作業したがやはり完治していないのであろう。


<全豪オープンテニステレビ観戦>

今季初のテニスグランドスラム全豪オープンが1月18日より始まり、日本の錦織圭選手は第7シードで出場した。

日本人でグランドスラム大会で第7シードとは兎に角 すごい の一語に尽きる。

一回戦はNHKBSで,二回戦、三回戦はNHK総合で中継が放映された。国会が開催されている中でもNHKは総合TVで全豪オープンテニスを実況中継した。国会審議なんかどうでもよいのか???

解説者は錦織圭選手をべた褒めしていたが、あまりべた褒めするとあっけなく負けることがあるのであまり褒めすぎないで欲しいところだ。

ヤマちゃんおやじは、20台後半に遊び半分ではあるがテニスを少しかじったことがある関係上、スポーツ番組の中では、テニスは最も関心が高いスポーツである。

素人目からしても、錦織圭選手は怪我が無ければ相当高い所までいけるのではないだろうか。。。


<スキーツアーバス事故に想う>

2016年1月19日(火)早朝 軽井沢で、乗員・乗客41人を乗せた大型観光格安スキーツアーバスがガードレールを突き破り5m下に転落し、大学生13人と乗員が2人の計15人が死亡し26人が負傷する大事故が発生した。

週末に大学入試センター試験が行われる関係で多くの大学が休講となる時期にあたり、乗客の多くは首都圏の大学生(大半が10代・20代。最年少が18歳)で、多くが車外へ投げ出され、バスの下敷きとなった。

乗客の大半は、激安・格安を謳う旅行会社「キースツアー」(東京都渋谷区)が企画したスキーツアーの客で、バスの運行は「イーエスピー」(同羽村市)が受託したものと報道された。

バスは崖に生えた立木に激突し止ったとおもわれ、車体「く」の字型に大きく変形し、事故の衝撃の大きさを物語っていた。

事故が起きたのは群馬県側から峠を越えて長野県側に少し下った国道であり、本来正常な運転が行われておれば到底このような大事故が起こる可能性は極めて低い場所であった。

バスの運転手と交代要員2人共死亡したので事故の真相解明は簡単ではないだろうが、62歳の運転手は今までマイクロバスの運転経験しか無く、『大型バスの運転が怖い』・・・といっていたとのこと。

バスの運行会社の「イーエスピー」は3年前に人材派遣会社が設立したもので、国土交通省が定めた基準価格よりも8万円安く受注していた。旅行会社「キースツアー」は、折からの暖冬でスキー客が少ないのを見越して基準価格27万円よりも8万円も安い価格19万円で受注するようにバスの運行会社の「イーエスピー」に交渉したとされている。

バスの運行会社の「イーエスピー」は、出発前の点呼も実施しておらず,目的地のスキー場に到着していないにもかかわらずバス管理表には無事到着と記載し捺印してあった。また運転手の健康診断の実施していなかった。いわば法令違反のオンパレード会社であった。

一方ツアー会社からみれば、「イーエスピー」は基準価格27万円よりも8万円も安い価格19万円で仕事を請けてくれる有り難い存在ではなかったか。。。

基準価格27万円よりも8万円も安い価格19万円で仕事を請けたバスの運行会社の「イーエスピー」は何が何でも利益を出さねばならないから、あらゆる面で経費を削減すざるを得ず、必然的に安全もおろそかになる。


1月22日の報道では、峠付近では時速40q程度の安全運転をしていたが、峠から1q下った所では、問題のバスは制限時速50qの国道(勾配5を%、エンジンブレーキ使用せよ・・・との看板あり)を時速100q程度の高速度で下っており,制御不能状態になり、ガードレールに激突後、崖下に落下したとされている。またバスの変速機はニュートラルになっていたことも判った。運転中に変速機はニュートラルであればエンジンブレーキも排気ガスブレーキも利かない状態になり、到底フットブレーキだけ高速に達したバスを減速できず、下り坂では重力で時速100q程度の高速度まで加速された可能性が出てきた。いずれにしても峠を越えた下りではエンジンブレーキと排気ブレーキを併用して時速40〜50qで運転しなければならない所を、このバスはエンジンブレーキも排気ガスブレーキも利かないニュートラルで運転されていたことが事故を招いた可能性が高い。

経験豊富なバス会社では、大型貸切バスの運転者は、大型バス運転経験10年以上の中で最優秀の運転手を充て、如何に優秀であっても55歳になると小型バスの運転手に変えるようにしている・・・とのこと。

しかしバスの運行会社の「イーエスピー」では、大型バスの運転経験の無い62歳の運転手を大型貸切バスの運転手に仕立て経費削減を図ったつもりだったが、この急造運転手がとんでもない大事故をおこしてしまった。


今回のバス事故は、大型バス運転未経験の運転手による稚拙な運転によって前途有る若い大学生が多数命を落したと思え、誠に痛ましい限りである。

事故発生以降テレビでは事故原因の解明に関する報道が連日流されている。


ヤマちゃんおやじは、このバス事故は規制緩和によって引き起こされたものだと強く感じる。

多数の人命を預かるバス運行会社は、安全運行に関わるしかるべき知識経験を有する事業体によっのみ運営されるべきである。問題は2000年に施行された貸切りバス事業の規制緩和によって、従来の許認可制から届出制になったことにより、多数の人命を預かる安全バス運行に必要な知識経験を有さない企業がいとも簡単にバス運行事業に進出し営業できるようになった事である。


今回大事故を起したバスの運行会社の「イーエスピー」は、安全なバス運行事業に必要な知識経験を持たずに3年前に人材派遣会社が規制緩和のお陰で開業したという経緯がある。

換言すれば今回大事故を起したバスの運行会社の「イーエスピー」は、バス運行に関しては素人でしかない。

バス運行に関しては素人でしかない「イーエスピー」に、多数の人命を預かるバス運営事業に安易に進出させたのは、2000年の貸切りバス事業規制緩和である。

規制緩和以前では2000社程度あった貸し切りバス会社が、2000年の規制緩和で4600社にまで2倍に膨れ上がった。4600社にまで膨れ上がったバス会社を監督する官庁である国交省では監査が追いつかず、不良バス会社が堂々と営業できることになる。

観光客という需要よりも、2倍以上に増えた供給サイド=貸切バス運行会社=では、過当競争になり如何に安い運賃で勝負できるかが生き残りの生命線となる。よって運転手の賃金も安全管理も軽視せざるを得なくなる・・・・これが貸切バス規制緩和に実態だ。

映像では新宿から長野県スキー場まで1500円というチラシもあったようだ。これは安すぎる。新幹線では東京〜長野で8200円もする。規制緩和を前提にするならば、スキーツアー会社は『新宿から長野県スキー場まで1500円という価格には安全対策費は含まれていません。運が悪い場合には生命を保障できません!!!』・・・と記載すべきであろう。


規制緩和が今回の大学生13人と乗務員2名の命を奪ったのである。

換言すれば、今回のバス事故の真犯人は、規制緩和を実行した政治家・政府役人・御用学者だ…と言えよう。

2000年当時の首相は小淵恵三、森喜朗である。規制緩和を盛んにPRした学者、評論家、マスコミも共犯者である。小泉も規制緩和を大いに進めた。

いまでも規制緩和は錦の御旗のごとく大手を振ってまかり通っているが、規制緩和自体が近年の日本では諸悪の根源ではないだろうか???

今まで自由化、規制緩和などといって日本で盛んに取り入れられてきましたが、それによって一般市民は多大な損失を蒙り、逆に大資本・欧米資本は大儲けしました。一般の日本国民にとって自由化、規制緩和ほど有害なものはありません!!!!


政治家、役人、マスコミ、大学教授などの宣伝に誤魔化されてはいけません。

日本の国の借金1000兆円という宣伝も大嘘です。したがって消費税アップも不要です。



<いよいよ中国発世界大不況の荒波が本格化>

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成28年(2016)1月22日(金曜日)弐
         通算第4786号
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から転載します。

〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜

 中国発世界大不況は避けられない見通しとなった
  レノボ、アリババで大量の首切り、ハイテク分野でも失業拡大へ
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 中国のハイテクを代表する企業が軒並み、新規採用、中途採用を控え始めた。騰訊は暫時採用予定はないと発表したのにつづき、レノボは3200名の解雇を発表した。
 百度、アリババなどネット通販ブジネスで急拡大してきた通信大手も、近日中に大量解雇を発表するという噂で持ちきりとなった(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、1月21日)。

 これまでは新規採用でも追いつけず、中国のインターネット、通信、コンピュータ産業は香港、台湾、シンガポールへ出かけて人材を募集してきたが、そうした現象も様変わりである。

 新卒の採用凍結ばかりか、業界全体で数万人の解雇が予定されていると言われ、理工系に学ぶ新卒予定者も真っ青、こうした分野の株価も急落を続けている。

くわえて石炭、鉄鉱石、セメント業界でも1000万人の雇用があるが、300万人が明らかに不要となっており、工場閉鎖、倒産が続いて、解雇どころか給料未払いという最悪の状況にある、

 株安、人民元安、輸出急減、外貨準備枯渇、銀行の不良債権が表面化するのは時間の問題となったが、北京当局は春節(旧正月=2月8日)を前に、市場に7兆円余の通貨供給に踏み切り、急場をしのぐ構え。

 春節が終わると、いよいよ中国発世界大不況の荒波が本格化するだろう

〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜

春節とは:旧暦の正月。中華圏で最も重要とされる祝祭日であり、新暦の正月に比べ盛大に祝賀される。中国や台湾のみならずシンガポールなどの中華圏国家では数日間の祝日が設定されている。

2016年では2月8日。

いまでも金融界では、原油安と中国経済不況の悪影響で大騒ぎである。

果たして春節終了時では、中国発世界大不況の荒波を受けて世界はどうなるやら!!!!
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2016年01月12日

牟礼峠〜嶽石山〜大谷山〜綾ヶ峰〜牟礼峠巡回ルート整備

<1月7日(木)>


昨年12月25日に防府市矢筈ヶ岳〜石鎚山(山上山)ルートの標高430m付近の展望スポットに倒木を活用して簡易腰掛を設けたが、腰を掛ける横木の端を落下しないよう固定する安全対策が必要であった。

よって1月7日に一の瀬から矢筈ヶ岳に登り、件の展望スポットに赴き横木の端を8番線で吊るす作業を行った。一番上の腰掛(横木)の下に、もう一つの簡易腰掛を倒木を探して作った。
DSCN1737.JPG <腰掛用横木二本>

DSCN1740.JPG <北方展望所案内標識>

下山するには早すぎたので、矢筈ヶ岳〜石鎚山(山上山)ルートで、羊歯に覆われている一の瀬への近道分岐〜石鎚山(山上山)までのルートで羊歯を刈ることにした。

いざルートに入ってみると想定外の猛烈な羊歯の一群が待ち受けていた。茂っている羊歯の大きさも半端ではなかった。これが延々と続くのでいささか閉口した。この部分は昨年羊歯を刈った記憶があるが、羊歯が猛烈に繁茂した箇所はせいぜい3箇所くらいであった。

感覚では100m程度羊歯刈りをしたが16時を過ぎても羊歯道は果てしなく続く有様なので、作業を切り上げ帰ることにした。歩測では石鎚山(山上山)まで200mもの未作業の羊歯道が残っていた。

昨年秋時点では猛烈な羊歯に覆われていた石鎚山(山上山)からの下山道の羊歯は、どなたか=地元の人達?=が刈り取られたのか綺麗に刈り取られていた。


<1月8日(金)>


家庭菜園で玉ネギに追肥を撒いた。成長した大根2本を抜き、金柑が熟れていたので数十個採取して帰った。

夕食後インターネットで登山関連ブログを眺めていた所、当方が大谷山(真尾)、555mピークと呼称している峰が、当該ブログに引用掲載されていた金光康資著「防長山野へのいざない」掲載の概念図では、それぞれ嶽石山、大谷山と記載されているのを発見した。

大谷山(真尾)に関しては某ブログにて記載されていたのを当方が借用させてもらったいきさつがある。金光康資氏は山口県の登山界では著名な方であり著書も多いので山名の信憑性は相当高いと思われた。よって当方が大谷山(真尾)、555mピークと記入し設置した案内板を正式なものに取り替える必要があると思った。


<1月10日(日)>


牟礼峠〜嶽石山〜大谷山〜綾ヶ峰〜牟礼峠巡回ルート整備

以前当方が大谷山(真尾)と記して設置した案内板を正式名称である嶽石山に書き換えた案内板と取り替えるためと、嶽石山登山ルートに設置済のロープ補強と、最近見回っていない555mピーク〜堀溝林道〜綾ヶ峰コースを巡視整備する3つの目的で朝8時前に出発した。

堀溝林道の嶽石山登山口近辺に駐車して、嶽石山登山口まで歩いて見ると、何と既に「嶽石山445m」と記した紙が風雨対策として全体がビニールで囲われて既設案内板の下に付加されていた。どなた様が行われたのであろうか・・・誠に有り難いことである。
DSCN1741.JPG <嶽石山登山口 案内板;某氏が取り付け>


当方が以前設置した「大谷山・大平山」と記した案内板を撤去することなく嶽石山登山口であることを明示されたこの方法は、最初に案内板を設置した当方を大いに感動させてくれた・・・という点からも感謝感激であった。。。

堀溝林道から嶽石山へ登るルートは、非健脚者にとってはなかなか厳しいものがあるので当方が登り用として設置したロープは大いに助かった。

高度が上がるにつれて新しい羊歯が目立ってきたので剪定鋏で刈りながら登った。嶽石山から西方へ135m程度下った展望スポットでは立木に「展望所」という案内板を取り付けた。
DSCN1745.JPG

DSCN1743.JPG <展望所からの眺望:パノラマ写真につきクリックで拡大を>


ルートが判り難い場所には赤テープを貼り、芽を吹いたヒコバエは出来る限り刈り取りながら進んだ。ヒコバエといえども放置しておけば4,5年経過すればで通行の邪魔になるからだ。

やがて四等三角点がある嶽石山に着いたところで、再び驚くことになった。当方昨年が取り付けた誤った案内板(大谷山)の上に、「嶽石山445m」と書いた新しい厚紙を囲んだ風雨避けのビニール包みが被せてあったので再び感謝した。
DSCN1747.JPG <正式名称案内板;某氏が取り付け>

驚いたのは当方が大平山北方の周回コースとして選んで整備したコースに加えて、嶽石山、大谷山、綾ヶ峰、大平山、鼓ヶ岳、望海山に通じる全ての登山ルートが赤線で示された上に要所要所に目印/コメントが付された2万5千分ノ一の地形図が風雨避けのビニールに包まれて近くの立木に貼り付けてあった事だ!!!
DSCN1748.JPG <案内地図;某氏作成・取り付け>

この地域の総合的案内地形図を作られ貼られたお方は、恐らく当方と同じ周回コースを思案されたお方は又は、当方のブログ「ヤマちゃん日記」を読んで戴いたお方かもしれない。いずれにしても非常に有り難い案内地図を作られ貼って頂いたことになる。この案内地図を作成し貼られたお方に深甚なる感謝を申し上げます!!!

道すがら、ひょっとするとこのお方はあの小野田市のK氏ではないかとも思ったりした。

剪定鋏を片手に握り登っていると、前方から若い男性2人が下ってきた。挨拶するとコース整備有難うございます、おかげで快適な山行が出来ます・・・と返礼されてつい嬉しくなった。何処から登って何処へ下るのですか?と聞けば、大平山から牟礼峠に下り、さらに牟礼峠から矢筈ヶ嶽に登る・・・という答えがあった。これはヤマちゃんおやじのお勧めコースではないか!!!! 当方が整備した登山コースを歩かれる人がいるのは嬉しいの一語に尽きる!!! ご安全に!!!と声をかけて2人と別れた。


通路塞ぐ倒木を3本切断除去し、やがて大谷山(555mピーク)についた。ここでも立木に「大谷山555m」と書かれた案内標識が貼られていた。
DSCN1751.JPG <大谷山名札;某氏作成、取り付け>

別の立木には、嶽石山と同じような案内地図が貼られていた。
DSCN1752.JPG <大谷山の山頂立木に貼られた案内地図>

一見この案内地図は嶽石山と同じような案内地図ではあったが、良く細部を見ると、大谷山の立木に貼られた案内地図には、大谷山を中心にして新たに松尾山、三上山が追加されており、太鼓ヶ岳(607m峰)の東方に林道横断、に加えて展望地まで記載されていたので、これまた感動した。太鼓ヶ岳(607m峰)〜610m峰〜展望地コースは、以前は踏み跡程度だったのを一応登山コースとして東方が整備したので愛着があったから感動はひとしおであった。

木漏れ日を浴びながらムスビ2個の昼食をとった後、大谷山から堀溝林道に出て綾ヶ峰にいたるルートを巡視し、草刈、赤テープ追加、倒木処理などのルート整備を行った。

綾ヶ峰山頂にも懇切丁寧な案内地図が立木に貼り付けてあった。
DSCN1765.JPG  <綾ヶ峰山頂立木の懇切丁寧な案内地図>

2ヶ月振りに展望用立木に天辺まで登った。階段として使う横木や結束したロープが腐食していないかをチェックしながら登った。今の所体重65kg程度ならば天辺まで登れることがわかった。いずれは、防府市に申し出て少なくとも高さ8.3m以上の展望台が出来れば素晴らしい景観が得られることは太鼓判を押したい程だ・・・・

山頂に作った手製ベンチ2脚は余り格好は良くないが、座るにはまだ十分役立つ。
30分程度立木からの景観を愛でたあと、山頂で棘のある植物を刈り払い、往路を引き返した。

夕日を浴びながら堀溝林道を下り駐車位置に着いたのは17時30分過ぎであった。

今回の登山路巡視整備ほど感激したのは今までに無い。

修正案内板と、懇切丁寧なルート案内地図を立木に貼られた方には深甚なる感謝を申し上げたい。本当に有難うございました。

一昨年以来大平山の北方・西方峰々を巡回するルート及び牟礼峠〜矢筈ヶ岳〜一の瀬ルートの整備を行ってきたが、ようやくかなりの人様が歩かれるようになったのは喜ばしい限りである。

今後も体が動く限り上記ルートの巡回整備を継続する意欲が再度湧いてきた良き日であった。
posted by ヤマおやじ at 20:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

大村智教授、一期一会のノーベル賞

<平成28年の正月>


大晦日は紅白歌合戦を観た。後半1時間位は寝ていたようだ。

最も印象に残ったのは、水森かおりが空中で大きな鳥に乗って演歌を歌ったシーンだった。
鳥の下方にレッカー車のブームみたいな長い棒が見えたので仕掛けの中身は予想できたが、何となく大きな鳥に乗ったような気分になった。

1月1日は、実業団駅伝を、1月2日、3日は箱根駅伝を観た。
時速20kmの速さで1時間以上も走り続けるランナーにただ感心するばかりである。

以前防府市に鐘紡が存在し駅伝を走る陸上部員が路上で練習している後を少し遅れて自転車で追走したことがあったが、その速さはペダルを全力で回転させなければついていけなかったほどであった。当時2,3分間しか追跡できなかったほど苦しかった記憶がある。

<本年初の山行>


1月4日は、年末からひたすら5日間飲んで食う生活から離れる目的で,山行することにした。本心は島根県の安蔵寺山(標高1265m)にしたかったが、雪道運転がこわくなり、結局近くの周南市鹿野町の莇ヶ岳に行くことにした。

ヤマちゃんおやじは高校生までは周南市の山間部に住んでいたので、晴天であっても日陰の道では雪が溶けないで氷結することを身にしみて経験していたので、冬には極端に雪道の凍結を恐れる傾向が強いのであろうか。。。。

この日は凍結どころか、白いものは風景に現われなかった。恐れた雪道は杞憂でしかなかった。

林道莇線終点の駐車場には車は無かった。
最近見た日本百名山一筆書きの田中氏の影響からかもしれないが、2本ストックで軽快に歩き始めたが、後半の急坂では5,6回も休み1時間掛けてようやく山頂に着いた。

元気な頃は50分で登ったものだが、発汗の少ない冬場でさえ最近では1時間も掛るようになったのは、老化現象の進行のせいであろう。

登山ルートには、新たに階段が設けられ手板。周南愛山会の皆さま方による継続的なルート整備作業の一環と思われた。

この7,8年で莇ヶ岳登山ルートは大きく発展的に整備されてきた。以前は正直言ってただ登りがキツイ山に過ぎなかったが、今では山頂からの眺望、避難小屋設置、新規3ルート開設などで素晴らしい山となった。これらの一連のルート整備はひとえに周南愛山会の皆さま方のご尽力によるもので、ただただ感謝するばかりである。

風があったので、無人の避難小屋に入り昼食をとった。
天気予報通り霧が発生していたので四囲の景色を愛でることまで着ないので、次に高羽ヶ岳に登ることとして早々と下山した。

13時頃大規模林道登山口に着き、高羽ヶ岳に登り、饅頭を食べた。ここでも濃霧により眺めは良くないので、直ちに下山した。

今回は単なる冬の2ピークハントであった。
それでも、老人ボケ防止には多少なりとも効果があったものと信じる。

<落合秘史>


年末から落合莞爾氏著「金融ワンワールド」を読み返している。

博覧強記そのものとも思える落合莞爾氏の論理展開を容易に理解できず、ひたすら読み返すばかりである。

ことしは、落合莞爾氏著の3冊を読み返すだけで読書は十分だと感じている。
これも多少は、呆けた頭の訓練になるものと密かに期待している。

<老化の進展?!>


1月6日には、奥歯の痛みが増したので歯医者に行った。化膿していたので処置してもらった。歯医者さんは、骨が細くなっているという。

秋口から皮膚病が悪化し、両足の踝から膝まで腫れあがった。

どうも一昨年あたりから体の不調が目立つようになった。加齢による体に衰えであろうか???

これからは、如何にして衰えていく体と付き合うか・・・がポイントになるような気がする。この期に及んで漸く健康体のありがたさが実感できるようになった。

閑話休題

<大村智教授、一期一会のノーベル賞>

昨年ノベル医学生理学賞を受賞された大村智教授に関し、国際派日本人養成講座というブログに掲載された情報を読んで感動した。

参考までに以下に転載します。

〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜

No.932 大村智教授、一期一会のノーベル賞

「自分はもっと何かをしなければ済まない」という初志が、多くの人々の助言、助力を呼び寄せた。

■転送歓迎■ H27.12.27 ■ 44,684 Copies ■ 4,121,175Views■


■1.「自分も学び直そう」

 大村智(さとし)が東京・墨田区の夜間高校で物理と化学の試験を監督している際、ふと目にしたのは、一人の生徒が鉛筆を握っている手の指に油がこびりついている事だった。

 改めて生徒たちの姿を見ると、洋服の所々に油をにじませている生徒もいる。昼間は働き、夜はこうして勉学のために登校してくる。大村は改めて、その姿に感動した。

 大村は自分の高校生時代の生活を思い出した。裕福な農家の長男として生まれ、何一つ不自由なく過ごした高校時代は、勉強などしないでスキーや卓球に明け暮れていた。高3の2学期からは受験勉強をしたが、大学に入ってからも、勉強に打ち込んだ覚えはない。

 昼は油にまみれて働き、夜はこうして必死に勉強に取り組んでいる夜間高校の生徒たちを見て、自分はもっと何かをしなければ済まないという気になった。大村は胸の奥から湧き上がるようなエネルギーを感じた。「自分も学び直そう」。


■2.信条は「一期一会」

 今年のノーベル医学・生理学賞に輝いた大村智・北里大特別栄誉教授が研究者への道を歩み出したのは、この瞬間だった。

 大村は、12月7日、ストックホルムでの受賞記念講演で、信条としてきたのは「一期一会(いちごいちえ)」だと語った。茶会に臨む際に「一生(一期)に一度の出会い(一会)と考えて、真心を尽くせ」という茶道の心得である。

 この夜間高校での生徒たちとの一期一会の出会いで、「自分はもっと何かをしなければ済まない」という初志を抱いた事が大村が研究人生を踏み出すきっかけとなった。この時に「生徒たちも頑張っているな」という程度の思いで終わっていたら、今回のノーベル賞もなかっただろう。

 その後の大村の研究人生も、この初志を遂げるために様々な人々との出会いを大切にし、それらの人々に導かれ、助けられて、ついにはノーベル賞に至ったのである。


■3.出会った人々の助言助力で研究者の道に

 夜間高校の教師から研究者への転身の過程でも、大村は出会った様々な人々に導かれた。

 教師となった2年目の春、山梨の実家に帰った時、大学時代の恩師を訪ね、学び直したいという決意を伝えると、学者仲間の東京教育大学教授の小原哲二朗を紹介してくれた。小原への紹介状を得て、その講義を聴講するようになった。

 小原の研究室に出入りしているうちに、大村が夜間高校の教師をしながらも、本格的に化学の研究をしたいという希望を持っていることから、有機化学の分野では世界的に知られている東京理科大学の都築洋二郎の研究室に大学院生として入るのがいいのではないか、と勧められた。

 その勧めに従って、ドイツ語などを猛勉強し、東京理科大学の大学院修士課程に入学したのは、昭和35(1960)年4月だった。昼は大学院で勉強、夜は高校の教師、週一日の高校の研究日を金曜日として、金土日の3日間は大学で実験をする、という生活が始まった。

 都築の研究室では、核磁気共鳴(NMR)を応用して有機化合物の構造を調べるという、当時の最新技術を研究する幸運に恵まれた。ただし、NMR装置は当時、東京工業試験所に1台あるだけだった。人づてで、この装置を夜間だけ使わせて貰う、という許可を得て、徹夜の実験を繰り返した。

 研究室では、細かな指導は講師の森信雄から受けた。森は大村を弟分として可愛がり、実験のやり方から論文の構成まで面倒を見た。徹夜でNMR装置を使って集めたデータをもとに、森の指導を受けながら、最初の研究論文をまとめた。

 都築は「日本語で論文を書いても外国人は読めないから実績として認めないし、研究成果も正当に評価してもらえない。論文は必ず英語で書きなさい」と指導していた。それで論文は英語で書いて、学会の欧文誌に投稿しようということになった。都築の教えを守って、大村はその後に発表した11百編近くの論文の95%を英語で書いた。

 こうして大村は研究者の道を歩み始めた。その過程で、出会った人びとは大村のために助言・助力を惜しまなかった。大村の「自分はもっと何かをしなければ済まない」という真剣な志ちが伝わったからだろう。


■4.「だったら世界を目指せばいいじゃないか」

 大学院修了の目処がついた頃、山梨大学の助手としての採用も内定した。父親は大村が地元に帰ってくることには喜んだが、秘かに将来を心配し、山梨でも学識のある偉い先生に相談にいった。

 大村の経歴を見た先生は「この経歴だったらあまり将来性がない。せいぜいよくても大学の講師どまりだろう。このまま高校教師を続けて、将来は校長にでもなればいいのではないか」と言った。

 父親は大村にその意見を正直に伝えた。大村は思った。「日本では講師どまりかもしれない。だったら世界を目指せばいいじゃないか。その方がやりがいがある」。

 昭和38(1963)年4月、大村は山梨大学工学部発酵生産学科の助手として赴任した。しかし東京で最先端の研究をしていた大村にとっては、ここでの研究は手応えがなかった。そこに東京の北里大学樂学部で化学の研究員を一人募集しているのが、どうか、という話が持ち込まれた。

 条件は大学新卒者と同じということだったが、大村は「やります」ときっぱり返事をした。


■5.北里柴三郎の「大医は国を治(ち)す」

 昭和40(1965)年4月から、大村は北里研究所での勤務を始めた。この研究所は、近代日本が生んだ傑出した医学者・北里柴三郎が創設したものである。大村は北里柴三郎の業績を調べてみて驚いた。各種の資料を読めば読むほどその偉大さに敬服し、深く傾倒していった。

 北里柴三郎は明治18(1885)年、ベルリン大学の主任教授ロベルト・コッホのもとに派遣され、研究に打ち込んだ。日本が開国して間がないので、祖国の名を欧米に高めようと、「世界的な学者になるつもりで勉強している」と語っている。

 やがて世界で初めて、破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を開発した。共同研究者のベーリングは第1回のノーベル生理医学賞を受賞したが、北里は惜しくも逃した。

 北里の名声は欧米に広まり、いくつもの有名大学から誘いを受けたが、断固として断り、帰国した。明治天皇から「帰朝の上、我が帝国臣民の概病(結核)に罹るものを療せよとの恩命あり」とその理由を述べている。

 帰国後は北里研究所を創設して、ペスト、赤痢の病原菌の発見など世界医学史上に残る研究業績を上げつつ、伝染病患者の治療、各県の衛生担当者の教育、免疫血清の製造と、大車輪の活躍をした。「大医は国を治(ち)す」が北里の若い頃からの志だったが、それを見事に実現した一生だった。[a]

 大村のその後の歩みはまさに北里の足跡とよく似ている。北里との出会いが大村に指針を与えたのだろう。


■6.ティシュラー教授の誠意に打たれて

 大村は北里研究所で次々と成果をあげていった。他大学や企業からも誘いの声が掛かるようになったが、化学、薬学、医学、細菌学などにまたがる学際的な研究のできる環境に満足していたので、誘いはすべて断った。

 安月給で、研究用の材料を自腹で買ったり、部品は自分で手作りするなど、待遇は不十分だったが、研究のやり甲斐を感じていた。

 東京大学から薬学博士号も授与され、昭和44(1969)年、34歳にして助教授に昇進した。周囲からアメリカへの研究留学を勧められ、大村は自分を売り込む手紙を5つの大学に送った。

 驚いたことに、すぐに電報で週給7千ドルで客員教授として迎えたいという返事が、東部の名門ウェスヤーレン大学のマックス・ティシュラー教授から来た。英文で多くの論文を発表していた大村の名前はアメリカでも広まっていて、他の大学からも手紙で返事が来た。なかには週給1万5千ドルなどという誘いもあった。

 しかしティシュラー教授の誠意に打たれて、週給では最低だったが、ウェスヤーレン大学を選んだ。ここからノーベル賞への道が開けていく。

 大村がウェスヤーレン大学に着任した時、ティシュラー教授はすでに化学界のボス的存在で、大物研究者が次々と訪れてくるのに、大村は驚くばかりだった。しかもティシュラー教授は彼らに大村を自分の同僚として紹介した。

 そんな形で紹介された研究者の一人が、大村をさらにハーバード大学のコンラッド・ブロック教授に紹介してくれた。ノーベル生理医学賞を受賞した権威である。大村が当時、勧めていた研究を説明すると、ブロック教授は身を乗り出さんばかりの興味を示し、共同研究を進めよう、ということになった。

 ブロックはハーバード大学でも大村のためのデスクを準備し、大村も積極的に訪問するようにした。この積極性でアメリカでも一期一会の縁を生かしていった。


■7.「泥をかぶる研究」をチームで

 2年間のアメリカでの研究留学を終えるのに際し、大村は北里研究所から頼まれていた約束を果たした。アメリカの企業から研究資金を得る、という依頼である。

 ティシュラー教授が、かつて務めていた世界第2位の医薬品企業メルク社に口利きをしてくれたので、提携交渉も順調にいった。年間8万ドル(当時の円換算で2千4百万円)の研究費を出してくれ、共同研究で得られた特許はメルク社が保持するが、北里研究所にロイヤリティを払う、という内容である。

 大村の考案した研究アプローチは、微生物が生み出す化学物質の中から人間に有用なものを見つけるというものであった。日本では伝統的に味噌、醤油、酒など、微生物を活用した発酵食品が発達しているが、その延長線上にあるアプローチである。

 1グラムの土壌の中には1億個もの微生物がおり、そこから特定の微生物を取り出しては、その化合物を調べる、という、大村自身が言う「泥をかぶる研究」を進めていった。特定の微生物を分離する人、その化合物の構造を調べる人、化合物の働きを評価する人など、それぞれの人が縁の下の力持ちとなって、共同研究を行う。

 大村はこうした共同研究体制は日本人の方が向いていると考えていたが、さらに一人ひとりの研究員によく配慮することで、チームを引っ張っていった。

 こうして、ある微生物が産出する物質で、寄生虫退治に劇的な効果を持つものが発見された。エバーメクチンと命名されたその物質は、皮膚にダニが棲みついた牛にごく微量を投与するだけで、きれいに治ってしまった。

 この薬は動物薬としてメルク社から販売されると、その後、20年間も動物薬の売上げトップを続け、そのロイヤリティで北里研究所には200億円以上もの研究費がもたらされた。


■8.「袖触れ合う縁も生かす人が成功する」

 動物の寄生虫退治に劇的な効果をもつエバーメクチンを人間の疾病にも使ってみよう、という事から、オンコセルカ症の治療薬として「メクチザン」が開発された。

 オンコセルカ症はアフリカの熱帯地域に広まっている感染症で、小さなブヨが人体を刺して吸血する際に、寄生虫を移す。その寄生虫が眼の中に入って患者を失明させる。世界で年間数千万人がオンコセルカ症に感染し、失明や重度の眼病にかかる人は数百万人と推定されていた。

 それが年に1回、メクチザンの錠剤を飲むだけで、寄生虫の幼虫はきれいに死滅してしまう。メルク社はこのメクチザンを世界に無償提供することとし、大村もロイヤリティを返上した。

 メクチザンは1987年から使用されはじめ、現在では年間2億人ほどの人々が服用している。WHO(世界保健機構)の発表では、西アフリカ諸国でメクチザンによるオンコセルカ症制圧に乗りだし、それによって約4千万人が感染から逃れ、60万人が失明から救われたとしている。

 このプログラムにより、2020年にはアフリカ全土でオンコルセンカ症は制圧できる、という見通しが立った。

 この業績に、2001年のノーベル化学賞受賞者・野依良治氏は「大村先生は多くの人を感染症から救った。医学生理学賞を超えて平和賞がふさわしい」と語っている。[2]

 大村教授はノーベル賞受賞式に旅立つ前に、大学院時代を過ごした東京理科大で講演し、成功の秘訣を「出会いを大事にすることだ。つきあいを大事にする人としない人では大きな差が出る」、「袖触れ合う縁も生かす人が成功する」と述べた。

 大村の偉業は、多くの人々に導かれ、助けられ、支えられて、成し遂げられた。まさに「一期一会」の精神で、多くの人々との出会いを大切にしてきたからだろうが、その姿勢も「自分はもっと何かをしなければ済まない」という初志に支えられていたのだろう。

 そういう志を持っていればこそ「袖触れ合う縁」を生かせる。そして、そういう人には世間も助力を惜しまないし、天も必要な時に必要な人に出会わせてくれるのだろう。
(文責:伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(463) 北里柴三郎 〜 大医は国を治(ち)す
 医の真道は人民の健康を保ち、その業を務めしめ、もって国家を興起富強ならしむるにあり。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog463.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 馬場錬成『大村智 - 2億人を病魔から守った化学者』★★、中央公論新社、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4120043266/japanontheg01-22/
2. SANSPO.COM「野依氏、大村氏をたたえる『幅広い貢献は平和賞がふさわしい』」
http://bit.ly/1OpWx9Q
大村智 - 2億人を病魔から守った化学者
中央公論新社
馬場 錬成
〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜

テレビ報道から大村智博士は地方大学卒で相当ユニークな経歴をお持ちの方だとは気がついていた。

その陰に隠れていた大村智博士の生き様の一端が新たに判ったような気がした。

かなり古い話しだが “2位ではだめなんですか?”という研究開発予算仕切りにおける、民主党レンボウ議員の暴言が思い出される。

この発言は自分の能力・経験の欠如に気がつかない馬鹿の見本であろう。
posted by ヤマおやじ at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする