ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2014年08月31日

日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄してくれない!!!

<8月28日(木)、8月29日(金)>


8月27日の600m峰大周回の疲れで足腰が痛くて、体全体がだるかったので2日間休養をとった。

8月28日には、木曽川の源流である鉢盛山(標高2447m)登山ツアーの申し込みを行った。先着20名で締め切りなので選外かもしれない。

<8月30日(土)>


天候は晴れだったので、再び綾ヶ峰と605m峰(望周南山:仮称)を訪れて風景をゆっくり眺めることとした。

大平山には防府市民農園があり、ここからの眺めも結構良いので車を降りて見た。丁度畑作業中の年配の男女に挨拶したのを機に、20分程度家庭菜園で話しが弾んだ。

途中伸びた草を刈りながら進んだので2時間後の12時頃綾ヶ峰に到着。

綾ヶ峰からは四囲の山々の稜線がはっきり見えるという幸運に恵まれた。

西鳳翻山の後ろに花尾山(標高669m)らしき特徴あるシルエットが見えたので感動した。直線距離で70q程度離れているが大気の状態が良かったのであろう。

東鳳翻山と西鳳翻山との間には桂木山(標高702m)らしきシルエットも見えた。さらに大蔵岳(標高834m)も見え、十種ヶ峰(標高989m)も見えた。これらの4山を綾ヶ峰から見たのは初めてだ。

まさか瀬戸内の山から、大蔵岳や十種ヶ峰が見えるとは全く想定外であったので驚きでもあった。眺めを邪魔する枝を少々切り払った。

空気が澄んでくる晩秋から春先までは、もっと沢山の山座同定が出来る期待が沸いてきた。

続いて、605m峰に赴いたが、雲の発生により遠くの峰々は見え難くなっていたので残念であった。眺めの改善が出来ないものか???と言うテーマで山頂付近を巡り歩いてみたがやはり、北東側は物理的に千石岳位までが限界だと思えた。

<8月31日(日)>


美祢市別府弁天の池に自然水採取に行った。通常は帰りにどっかの山に登って帰るのだが、疲れている様子なのでそのまま家に帰り、メルマがを読み、読んだ電子メールを削除した。


<日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄してくれない>

という面白いフレーズを発見し共感を覚えたので、
 わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」3412号
2014(平成26)年8月31日(日)核」が日中開戦を抑止する(69):平井修一から
転載します。

“戦争はいやだ” “戦争反対”と何百万回唱えようが戦争に巻き込まれるのが戦争の怖さである。いわゆる平和バカはこの辺がわかっていない!!!

〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜

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「核」が日中開戦を抑止する(69)
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          平井 修一

マット安川氏の「ずばり勝負」8/15から。ゲストは織田邦男(KunioOrita)元・空将。氏は1974年、防衛大学校卒業、航空自衛隊入隊、F4戦闘機パイロットなどを経て83年、米国の空軍大学へ留学。90年、第301飛行隊長、92年米スタンフォード大学客員研究員、99年第6航空団司令などを経て、2005年空将、2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官)、2009年に航空自衛隊退職。

              ・・・

安川 ゲストに元空将の織田邦男さんを迎え、近隣諸国を見据えた安全保障問題についてお聞きしました。また、自衛隊の変遷や、そこで行われる教育哲学などについても幅広くお聞きしました。

*安倍首相の「地球を俯瞰する外交」は素晴らしい

織田 安倍さんの「地球を俯瞰する外交」は、私は素晴らしいと思います。この9月に訪問国が49カ国に達し、短期間にこれだけトップ外交をやった人は見当たらないと思います。

安倍さんの、良好な安全保障環境を醸成していくという方針は安全保障の1つの大きな柱で、その政策は成功していると思います。これは敵を少なくして、味方を多くするということです。憲法9条さえ守っていれば平和
でいられるというのは、本当に幻想だということを分かってもらわなければいけない。

日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄してくれない。現実としてどう対応するか。だから味方をつくる、敵を少なくする、あるいは日米同盟を緊密化する、また我われの自助努力も行う、そういう複合的で包括的な対応が望まれます。

ちなみに、安倍さんが乗る政府専用機は航空自衛隊が持って運用しているんですが、あまり知られていません。先日、政府専用機の元部下に会ったら、日本に帰ってきて非常に違和感を覚えたと言っていました。

「安倍さんの外交について、現地の報道では絶賛されているのに、日本ではほとんど報道されていない、日本のメディアというのはいいことは伝えない」、と。

今は「安倍降ろし」で、安倍さんがいいことをしたというのを伝えないのかもしれませんが、メディアの姿勢はおかしいと思います。是々非々でやらなければ。

最近のメディアを見ていると、非常にヒステリックでおかしいなと思います。例えば集団的自衛権の時も、徴兵制が始まるとか、際限のない軍拡競争につながるとか。

徴兵制なんてあり得ない。それは100年前の話です。近代的な軍隊は少数精鋭でなければダメで、徴兵制で質がバラバラになると逆に迷惑です。そういうことを知らない人が、こうした報道を見ると、「ああそうか」と
思ってしまいます。

*「上の句」だけで「下の句」を言わなくなった日本人

戦後のトラウマかもしれませんが、日本人は「下の句」を大切にしなくなりました。つまり、「上の句」ばかり。例えば「自由」という上の句には、「責任」という下の句がある。「権利」には「義務」という下の句が
ある。上の句と下の句があってこそひとつです。

平和は叫ぶけれども、平和をつくるための努力はしない。公務員削減をしろと言うけれども、サービスは低下しても構わないとは言わない。国民年金は払わないけれども、老後は自己責任とは言わない。給食費を払わない親は、自分の子どもには昼食を食べさせなくてもいいとは言わない。

万事そうです。非武装と言うのであれば、もし敵が襲ってきたらその時はしょうがないから死にましょうと言わなければいけない。集団的自衛権に反対する人は、集団的自衛権なしでなぜ安全が確保できるのかということを言わなければいけない。下の句がないために、冷静な議論が阻害されていると思います。

下の句というのは厳しいものです。私は米国のニューハンプシャー州に行った時にビックリしました。友人がニューハンプシャー州には州税がないと言うんです。そこで州議会で何か減らさないといけないと議論した結
果、消防署をなくした。州税を取らないという上の句に対して、下の句は火事が起こったら自分で消せと。これはひとつの民主主義の姿だと思います。日本人はそこまで熟していない。(以上)

               ・・・

GHQ製自虐脳、9条平和ボケ痴呆症の除染は本当に難しい。織田氏の経歴を調べていたら、「激しくなる中国機の領空侵犯、撃墜できる法整備を」との記事もあったので、ごく一部を紹介する。

               ・・・

5月24日と6月11日、日中の防空識別圏が重なる公海上空を飛行する自衛隊の情報収集機、「OP-3」および「YS-11E」に対し、中国軍戦闘機「Su-27」が異常接近を繰り返すという事例が発生した。東シナ海での中国機の活動はますます活発化している。

仮に中国戦闘機が尖閣諸島の領空を侵犯した場合、国際慣例に従い、中国戦闘機に着陸を命じ、聞かざれば警告射撃を、さらに命令を無視すれば直接射撃により、着陸を強制する実力措置をとらねばならない。それができてこそ、領空主権であり、実効支配していると言える。

*撃墜という怖さが侵犯を抑止する

他方、領空侵犯機に着陸を強制することは非常に難しい。飛行機の場合、首に縄をかけて引っ張ってくるというわけにはいかない。「亡命」する意思があれば別だが、相手操縦者に強制着陸命令に従おうという「意思」がなければ強制着陸の誘導には従わないだろう。

3月にトルコ空軍が指示に従わないシリア空軍のMIG-23を撃墜したように、「撃墜」という最後の手段が担保されて初めて相手操縦者に着陸を強制させることが可能になる。「撃墜」されるかもしれないという恐怖感に
よって、こちらの誘導に従うわけだ。

最後の手段である「撃墜」が担保されていないことが相手に分かると、相手は思うがまま領空を侵犯し、そして悠然と帰っていくに違いない。それでは実効支配しているとは言えない。

空自の場合はどうか。自衛隊法84条「領空侵犯に対する措置」は次のような規定になっている。

「防衛大臣は、外国の航空機が国際法規または航空法その他の法令の規定に違反してわが国の領域の上空に侵入したときは、自衛隊の部隊に対し、これを着陸させ、またはわが国の領域の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる」

この「必要な措置」の解釈について、これまで国会答弁で迷走が繰り返されてきた。通常、自衛隊法が示す各種行動は、それぞれ権限が規定されている。だが、不思議なことに「領空侵犯措置」だけ権限規定がないからだ。

自衛隊創設当初の昭和29年4月20日、衆院内閣委員会で増原惠吉防衛庁次長が次のように答弁している。

「着陸させるということも一つの方法、あるいは信号その他の方法によっては要域の上空から退去させるのも一つの方法である。これに応じないで領空侵犯を継続するような場合には現在の国際法における通常の慣例その他に従い、場合によっては射撃することもありうる」

昭和44年4月17日の通常国会本会議では、佐藤栄作総理大臣が次のように
述べている。

「侵入機に対してはまず警告を与えるのがほぼ慣習法化している。その結果、領空侵犯を悪天候や器材の故障など不可抗力者であることが判明した場合は別にして、侵入機が敵性を持っていると信ずべき十分な理由がある場合は、領空外への退去、指定する地点への着陸等を命ずることができ、侵入機がこれに従わない場合、領空内ではこれを撃墜することもできる」

*自衛隊の手足を縛ってしまった1人の官僚

ところが昭和48年6月15日、衆議院内閣委員会で久保卓也防衛局長が一転して次のように答弁した。

「武器を使用することは外国と異なり、(自衛隊は)緊急避難及び正当防衛の場合にしか使用できないことになっている」

総理大臣の答弁を、一官僚の政府委員がひっくり返すのも日本ならではだが、不幸にも現在はこの解釈が定着している。つまり、着陸を強要するための危害射撃はできないというわけだ。

自衛隊法策定に係わった法律の専門家は、次のように述べている。

「国家、国民は国際法規(国際慣習法)や条約の遵守義務があり、条約を締結すれば国際法上の権利、義務が発生し、国内法上の効力が生じる。領空主権については国際慣習法が確立されているために、権限規定として定める必要はないという共通認識が自衛隊法策定当時においてはあった」

だがその後は、自衛隊法策定当時の共通認識とは裏腹に、自衛隊の活動についてはすべて法律の根拠を要するものとされ、「法律に明示されていないことは何もできない」というポジティブリストの解釈が定着した。(以上)

                ・・・

この情けない現実を改めるために自衛隊員が何人殺されればいいのだろう。小生が生きているうちに「まともな国」「普通の国」になるのかどうか。本当に除染は難しい。ため息が出る。(2014/8/27)
〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜


<映画界は赤が多いですね>


わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」3412号2014(平成26)年8月31日(日)の読者の声を読んでいたら面白い文があったので、転載します。

〜〜〜〜転載初め〜〜〜〜

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読 者 の 声
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 1)「まこと」様が 大林宣彦監督に、雪だか雨だかの映画を撮ってもらいたい、ということを書いておられましたが、大反対です。

なぜなら、大林宣彦監督は平井氏の所謂 確信犯の「赤」だからです。

因みに従兄弟の平田オリザ氏は、かの有名な売国奴 鳩山由紀夫氏が総理大臣だったときの、スピーチライター。友愛の海。

大林宣彦氏は、長岡市の花火映画をつくる時に、朝日新聞が捏造した慰安婦を内容に色濃く入れ込もうとしていましたが、史実とは違う、という抗議に対して、「慰安婦のことを入れないなら、こんな映画はつくる意味がない!」と発言。

そのことを問題にした長岡市の市議に、裁判に訴えるぞ、と脅迫した御仁です。

津川雅彦氏が言われるように、映画界は赤が多いですね、菅原文太氏もそうですし、吉永小百合さんも。
                                     ( やまとなでしこ)
〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜


ヤマちゃん日記2013年12月3日
http://yamatyan369.seesaa.net/article/382671048.html
に、大林宣彦の反日左翼振り の一端を紹介しました。

大林宣彦監督は名匠?と呼ばれているようですが、とんでもない映画監督ですね〜〜〜〜

大林宣彦監督は“共産主義を信奉する人はインテリである”という罠にひっかった哀れな人物としか思えない。。。。。。
posted by ヤマおやじ at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月28日

大平山周辺十一峰周回で1日累計登り標高差1525m累計下り1457mを達成


雨が止んで2日経過したので、かねてから暖めていた“矢筈ヶ岳・大平山周辺十一峰周回で一日累計登り標高差1723mに8月27日に挑戦した。

当初登山開始を5時に予定していたが、家内が5時は真っ暗だと言うので5時30分目途とした。スポーツドリンクは過去の経験から2リットルとし、内1.5リットルは氷結させたものとした。

当初予定コースは、累計登り標高差を最大にすべく案出した。

矢筈森林公園登山口→矢筈ヶ岳→牟礼峠→綾ヶ峰登山口→綾ヶ峰→大平山牧場→林道仏峠線→大平山・大谷山縦走路→607m峰→新規林道最高点→無名峰1,2→605m峰(望周南山:仮称)→無名峰1,2→新規林道最高点→望海山登山口→望海山→大平山・大谷山縦走路→607 m峰→新規林道最高点→林道新宮線出合→林道新宮線始点→大平山・大谷山縦走路→大平山駐車場→大平山→555m峰登山口→555m峰→大谷山(防府市)→牟礼峠→矢筈ヶ岳→矢筈森林公園登山口 予想所要時間は15時間であった。

主なピークと標高m:@矢筈ヶ岳461、A綾ヶ峰615、B576m峰、C607m峰、D無名峰(1)615、E無名峰(2)600、F望周南山(仮称)605、G望海山616、H大平山631、I555m峰、J大谷山(防府市)445


この中で、@矢筈ヶ岳→牟礼峠、A綾ヶ峰登山口→綾ヶ峰、B新規林道最高点→無名峰1,2→605m峰(望周南山:仮称)、C555m峰登山口→555m峰、D555m峰→大谷山(防府市)→牟礼峠は、ヤマちゃんおやじが独力で整備したので今回の周回コースがより現実的に可能になったものと勝手に自己満足している。

二つの大谷山が表記されているが、大谷山は標高559mで防府市と周南市の境にあり、大谷山(防府市)は標高445mで防府市堀溝地区と牟礼地区の間の稜線上にある。

1日で全コース周回は到底無理であると予想していたので、当初は、時間切れの場合は最後の矢筈ヶ岳登山(2時間30分)は中止することとしていた。この場合、牟礼峠から矢筈森林公園登山口まで約二時間も歩いて帰ることとなるが・・・・

27日は4時起床、簡単な朝食をとり4時40分ごろ出発した。がら空きの道路を快調に走りすぎて矢筈森林公園登山口への進入場所を間違えて5時30分頃矢筈森林公園登山口に着いた。念のため鋸と鎌を持参して5時40分ごろ矢筈森林公園登山口駐車場所から歩き始めた。

途中振り返って見えた朝焼け気味の右田ヶ岳の姿は初めてだ。
DSCF8325(1).JPG <朝焼け気味の右田ヶ岳>

有り難いことには急坂に新たに5、6箇所ロープが設置されていたので大いに助かった。

6時50分頃展望岩に到着し朝日に輝く防府市街、瀬戸内海を一望できた。
DSCF8328(1).JPG <展望岩からの眺め;左>

DSCF8329(1).JPG <展望岩からの眺め;中>

DSCF8330(1).JPG <展望岩からの眺め;右>

7時10分頃矢筈ヶ岳山頂着。
DSCF8335.JPG <矢筈ヶ岳山頂>

そのまま牟礼峠に向かう。7月に当方が急坂に一箇所ロープを設置したが出来ればもう一箇所追加したい場所があった。下の大岩を7時50分頃通過。
DSCF8338(1).JPG <下の大岩からの眺め>

8時10分頃牟礼峠着き、堀溝林道を通り綾ヶ峰登山口に向う。真尾川にかかる滝は水量が多いので普段よりも少しばかり立派に見えた。滝を眺めながら菓子パンを食べカロリー補給する。
DSCF8341.JPG <牟礼峠>

DSCF8343.JPG <このコース唯一の滝>

道沿いのゆりの花、黄色い花が出迎えてくれた。
DSCF8345.JPG <百合>

DSCF8346.JPG <黄色な花>

DSCF8348.JPG <道路に生えた げんのしょうこ>

9時10分頃綾ヶ峰登山口着。
DSCF8349.JPG <綾ヶ峰登山口>

ここから林道から北方に離れ標高差170m程度上の大平山牧場・綾ヶ峰縦走路(単なる境界の切り開き)を目指すことになる。昔は生活道だったと思われる幅1m程度の溝状の通路を塞いだ倒木2本を切断し、10時頃大平山牧場・綾ヶ峰縦走路に合流し、10時20分頃綾ヶ峰(標高615m)に到着した。四等三角点の傍に赤白の旗が立て掛けてあったのも新たな発見だった。
DSCF8351.JPG <綾ヶ峰三角点>

山頂の周囲は立ち木に囲まれ展望はゼロだ。早速安全性を確かめながら高さ5mほどの立ち木に登って見た。この立ち木には登り易いように当方が十数本の横木を枝に固定した経緯がある。
DSCF8159.JPG <見晴らし用ステップ付き立ち木>

設置以後3,4ヶ月経過しているので部材が一部劣化している懼れがあったが天辺まで登れて360度の視界が得られた。大平山から見え難い北方、北西部の景色が眺められるのが特徴だ。しかし、時間の経過と共に部材や結束したロープが劣化するので三点確保の如く慎重に安全性を確かめながら登らなくてはならない。この立ち木に登るのは、あくまで自己責任の下での行動となる。
DSCF8036.JPG <立ち木天辺からの眺め>

10時35分ごろ綾ヶ峰を出発し大平山牧場・綾ヶ峰縦走路を通り576m峰を経て大平山牧場T字路に向い、11時5分ごろ大平山牧場T字路着。舗装道路を久兼方面へ約100m進み右折して11時10分頃林道仏峠線入口着。
5分位休憩しムスビ一個を食した。
DSCF8371.JPG <林道仏線入口>

DSCF8372.JPG <月見草>

林道仏峠線を約70m進んだ曲がり角で立ち木の赤テープを目印にして11時20分頃山の中に入った。
DSCF8373.JPG <山の中への入口>

赤テープに従い踏み跡を辿り支尾根に達した後東南東に進み標高575m付近のピークで大平山・大谷山縦走路に合流した。

その後大平山・大谷山縦走路を大谷山方向へ進み11時58分頃四等三角点がある607m峰に到着した。
DSCF8374.JPG <607m峰三角点>

ここから大平山・大谷山縦走路を離れ南東方向へ踏み跡をたどり新規林道最高点に合流し30m程度進んだ曲がり角で新規林道を別れ赤テープが示す山道に12時1分頃入った。

赤テープに従い稜線を進み615m峰から東方向に向きを変えて稜線を進み次のピークを過ぎて、周南方面に向って180度の展望が得られる605m峰(望周南山:仮称)がある3番目のピークに12時25分頃に到着した。
DSCF8079.JPG <望周南山(仮称)からの眺め>

ここからは長野山、平家ヶ岳、馬糞ヶ岳などの西中国山地西部の脊梁、千石岳、金峰山、四熊ヶ岳、烏帽子ヶ岳、周南工業地帯、黒髪島、大津島、姫島、国東半島、佐田岬半島までも見え、眼下には湯野、苔谷の家並みも眺められる。

この景色の良さは好みにもよるが、ヤマちゃんおやじは望海山よりも遥かに優れていると感じたので今年春に踏み跡の草木を刈り払い、赤テープを貼って見知らぬ人でも曲りなりにもこの素晴らしい眺望スポットに到達できるように最小限かもしれないが3、4日掛けて整備したつもりである。また眺めを邪魔する枝や立ち木も一部切り倒し視界を広げる作業も別途3,4回行った。

ここでムスビを食べ冷たいスポーツ飲料をガブ飲みした。スポーツ飲料の残りは少なくなったが、大平山の自動販売機で補給できるので心配はなかったからだ。予定ではこの後新規林道を北東方面に下り白房の登山口から望海山へ登り大平山・大谷山縦走路を通って四等三角点がある607m峰に再び戻る段取りであったが、時間的に無理なので省略することにした。


12時30分頃605m峰(望周南山:仮称)を出発し往路を引き返し新規林道最高点へ戻り、今度は新規林道を西側に下り13時頃林道新宮線に合流した(標高470m付近)。
DSCF8384.JPG <林道新宮線への合流点>

林道新宮線を大平山方面に登りながら途中綺麗な山水が流れ出ていたのでペットボトルに詰め万一に備えた。13時25分頃林道新宮線始点の三叉路に到着。
DSCF8386.JPG <林道新宮線始点の三叉路>

ここから林道に入り20m程度進んだ所で、赤テープに従い再び大平山・大谷山縦走路に入り13時43分頃大平山駐車場に到着した。この部分も相当荒れていたので今年春2回整備した。
DSCF8387.JPG <林道入口>

DSCF8388.JPG <大谷山・大平山縦走路入口>

DSCF8389.JPG <大平山駐車場入口>

ここから大平山山頂公園へ向い自動販売機設置場所に13時55分頃到着した。疲れもかなり溜まっていたので冷たい缶コーヒー、栄養ドリンクを飲み、新しいスポーツ飲料350ccを購入し、10分位休憩した。

ここで16時頃までに牟礼峠まで到着しない場合は矢筈ヶ岳の再登山は止めることとした。また牟礼峠で再び矢筈ヶ岳登って下る体力があるかどうかを判定することとした。

14時15分頃大平山山頂に到着しふくらはぎと太ももを按摩し、チョコレートを食した。
ここからの眺めは瀬戸内海方向は絶品だが、北方の眺めは立ち木に遮られているのが残念である。

14時20分頃大平山を出発し、池の堰堤を渡り舗装道路に合流し、下の堰堤から20m程度下った辺りで赤テープに従い、555m峰登山口から555m峰~大谷山(防府市)~牟礼峠に至る縦走路に14時35分頃入った。
DSCF8392.JPG <第二堰堤を望む>

DSCF8393.JPG <555m峰登山口>

14時50分頃555m峰を通過し、赤テープと通過空間確保のコース整備によって軽快に下った後、切通しを横断して下り、真田ヶ岳方面が望めるピークを通過して少し登り返し15時25分頃三角点のある大谷山(防府市)に着いた。
DSCF8396.JPG <大谷山(防府市)三角点>

ここから10m程度西へ進んだ所で2、3m南側に進むと小ぶりな岩があり、コース整備の一環として邪魔な枝を除去して一寸した眺望スポットに仕立てた。
DSCF8397.JPG <大谷山眺望スポットからの眺め>

大谷山(防府市)から先は初めの5分くらいは比較的なだらかな稜線下りだが、次第に岩稜伝いの道に変わり傾斜も大きくなってくる。

大岩の南側を迂回する通路は急峻な岸壁の側面を通過するが、迂回路の前半の岩陰に生えている羊歯の中には透明で無音な蜂が生息しており、ヤマちゃんおやじは今年7月にこの羊歯を刈った時この蜂に刺されて医者へ通った痛い思い出がある。

これから下では羊歯の中に急坂が隠れていたが、7月中旬にこの群生した羊歯を刈り取り、8月中旬に長さ20mのロープを設置した。更に14,5m下ると、矢筈ヶ岳方面と防府市方面の眺望が得られる一寸した岩場があり、15時40分頃に到着した。
DSCF8403.JPG <岩場からの眺め>

この岩場の3mくらい上方に北側に向う迂回路を作ってあり、急な岩場通過を回避できるようにしてある。

15時50分頃ピンク色のテープを貼った分岐点を通過した。
DSCF8406.JPG <トラバース分岐点>

この分岐点から北へトラバースすると谷を隔てた支尾根に至り、この(険しい)支尾根を下ると渓流の右岸に出て最終的には直進ルートと合流する。下山の場合はこの分岐点を直進する方が楽だ。

大岩からこの分岐点までの下りの15分部分がこの縦走路の一番の難所と言えるだろうが、特に危険な場所という意味ではなく、岩稜交じりの急坂が連続すると言う意味での一種の難所といえるのではないか。。。

16時2分頃林道堀溝線の舗装道路に出て、16時10分頃牟礼峠に着いた。

DSCF8407.JPG<林道堀溝線への出口=一部の檜の葉が茶色に変色している所=>

道路脇に座りふくらはぎと太ももを按摩して、チョコレートを食べ冷たいスポーツドリンクを飲むと未だ行ける感じが強くなったので、16時15分頃矢筈ヶ岳に登り始め矢筈森林公園登山口に下ることにした。

16時37分頃人工構造物とも思わせる下の大岩を通過し、17時18分頃人工構造物とも思わせる上の大岩を通過して、17時36分頃矢筈ヶ岳に到着し、18時38分頃矢筈森林公園登山口に無事到着した。
DSCF8410.JPG <あけび>

DSCF8413.JPG <当日二度目の矢筈ヶ岳山頂>

DSCF8415.JPG <暮色濃い右田ヶ岳>

あと30分到着が遅れれば暗闇が増す谷筋ではヘッドランプ点灯を要したと思われた。

やはり、望海山登山をパスしたのは正解であった。一番の誤算は、1時間も要した帰りの筈ヶ岳から森林公園登山口までの下山であった。40分程度で済むと思っていたが、傾斜がきつい下りの連続だったので当然の結果であろう。


延13時間に及ぶ矢筈ヶ岳・大平山周辺十一峰周回では、当初狙った1723mを下回った累計登り標高差1525m(当日の一日累計下り標高差は1457m)で幕を閉じた。当日は累計で1525m登り、累計で1457m下ったこととなり、両者の合計値は2982mとなった。

ヤマちゃん親父の今まで記憶にある中で最も大きな一日累計上り標高差は白山登山での1452m(当日の一日累計下り標高差は274m、両者合計1726m)であったので、数値的には今まで累計標高差の自己記録を大幅に伸ばしたことになる。

右田ヶ岳に一日4回登れば累計登り標高差1600mに達するだろうが、飽き性のヤマちゃんおやじには向かないので実施する気になれない。

しかし今回のコースであれば、再度挑戦したい気はある。まあ、人それぞれ好き嫌いはあると思うが・・・

まあ、今回の周回コースは大平山周辺での最大の1日累計登り標高差を狙ったものであり、苦しくもあり幸運に恵まれた感もあったが、初挑戦の周回コースでもあり、自分が整備したコースを5個も含んでいたので思い入れがあった所もあり、結構楽しめた所もあった。

どなたが実施されたのか判らないが。矢筈森林公園登山口〜矢筈ヶ岳山頂コースで新たに多数箇所設置されたロープのお陰で体力がその分温存された気がする。このロープ設置者に大いに感謝したしたい。厚く御礼申し上げます!!!

また疲労が溜まった最後の矢筈ヶ岳登山では、途中で涼風が吹く場所で数回小休止した。さらに、小形で長柄の鎌を木に引っ掛け腕を使って体を引き上げてピッケル代わりに使い、疲れた足腰を腕力で補ったので時間ロスを最小限に出来たものと感じている。

疲れた体で最後の牟礼峠〜矢筈ヶ岳登山では1時間20分程度で登り予想時間を10分少なくできたのは、道中多用したふくらはぎと太ももの按摩と共にこの道具のお陰かもしれない。次回からはこれを専用化した道具を正規に補助用具として利用したい気分になった。

蒸し暑く大汗をかいたので、スポーツ飲料を2500cc、自然水200ccを消費し、缶-コーヒー及びドリンク剤各一本を飲み、チョコレート1箱、菓子パン1個、ムスビ2個を食した。

入浴時ふくらはぎと太ももをマッサージし、ビール500ccを飲み写真画像整理後就寝。
カメラの不調により、一部以前に撮った写真を含めて掲載しました。

今後機会があれば更なる案内板やロープの設置も実施したい気がして来た。
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2014年08月25日

国会事故調査委員に反原発活動家田中三彦を紹介した?自民党代議士=塩崎恭久

<8月20日(水)、21日(木)> 
高校野球観戦

<8月22日(金)>

午前中 家庭菜園のスイカを引き揚げた。大2個小2個のスイカを採集した。
今夏は11個のスイカを家庭菜園から戴くことができたのは、誠に有り難かった。

昨年カラスに3個のスイカを突かれた失敗したので、今年はカラス対策として畑の周囲と上方に白い細引きを張り巡らせたおかげでカラスによる被害はゼロであった。
直径30cm以上の大玉も採れたのは、今夏が始めてだ。
その代わりに、長雨によるスイカの破裂が4個も発生した。長雨でスイカが水分を沢山採りすぎると破裂するとのこと。

おかげさまで今夏はスイカを飽食できた・・・・感謝、感謝、感謝

スイカの後には大根を植えるために耕作を開始したが、強い日差しと以上に高い湿度のため発汗・疲労が著しくなったので30分足らずで中止した。


<8月23日(土)>


昨日に続き晴天なので、懸案であったシャクナゲ尾根コース整備登山に出かけた。

7月29日に登山した際、台風12号で発生した倒木が通路を邪魔していたからだ。
ただ熱中症にならないように、途中で疲れが大きくなれば整備作業を中止することを予め決めていた。

10時前にシャクナゲ尾根谷コース登山口に到着。
この地区では夏にはアブが多数いるのを知っていたので、車中で防虫スプレーを全身に噴きかけた。

車のドアを開けると十数匹のアブが車に侵入してきた。車の外に出るとアブに加えて多数の藪蚊がズボンの周囲を取り囲み飛び回っていた。

いやな予感がしたが、スパッツを着用し、鎌と鋸と枝カッターを携え谷コース登山道に歩を進めた。

本年6月29日には5時間余り掛けて登山道入口から第一ベンチまでの約700mの草刈をしていたが、歩行には支障はないもののルートの草はかなり伸びていた。今回の整備登山の眼目は倒木処理であったのだが、ルート上で伸びた草を放置できず2,3時間をめどに草刈をしながら登ることにした。

この時期の虻はしつこい!!!

防虫スプレーの匂いが弱くなると気にせずシャツの上にもズボンの上にも血を吸おうと躍起になっても取りつき吸い針を立ててくる。

刺された痛みで瞬間的に手を動かすとシャツの上で虻を叩いて殺していた。
このようにしてこの日は5,6匹の虻を殺した。

12時40分頃ようやく第一ベンチに到着したが、この時すでに足腰にはかなり疲労感があった。ムスビ2個を食し、草刈鎌をベンチに残して鞍部へ向った。

13時頃に鞍部に到着したがいつもは直ちに尾根コースを登り始めるのだが、今回は疲労を感じ鞍部に設置した第二ベンチに腰を下ろし、ポカリスエットを飲み暫し休んだ。

13時25分頃第一の倒木切断除去作業を開始し20分後に処理を終えた。
DSCF8322.JPG <倒木撤去前>

DSCF8323.JPG <倒木撤去後>

2番目の倒木は重量が大きいので、倒木を迂回する通路を新しく作った。
引き続き、第3、第4、第5の倒木を切断除去した。

尾根コース上にも笹が新芽を出しかなり伸びていた。いずれ笹刈も行わなければならないだろうと思いながら、笹の一部を登りながら刈り取って行った。

疲れた足腰を引きずりながら15時10分頃第3ベンチに到着。
氷の浮かんだポカリスエットをがぶ飲みし暫く休憩した。

ここから引き返す選択もあったが、鋸とポカリスエットのみ持参して莇ヶ岳に登ることにした。

6番目の倒木は固い木質であり、切断にやや手間取ったがどうにかやっつけた。

16時頃莇ヶ岳着。やはり標高1000m級の山らしく、縦走路出合〜莇ヶ岳は暑さは感じられず、時折吹く涼風は疲れを和らげてくれた。

17時頃駐車場所に戻り、虻の攻撃を避けるためスパッツを着用したまま車を発進させた。
不思議にも車の中には十匹くらいの虻の死骸があった。締め切った車に残された虻たちは高温のため亡くなったものと思う。スポーツ飲料は1500cc消費。
DSCF8324(1).JPG <下山時見つけた植物>

今回の整備登山では6箇所で倒木処理を行うことが出来たのでまあ良しとしよう。

秋になって笹を刈る予定。出来れば排水溝も整備したいが、やればきりがないので無理はしないつもり・・・・

入浴後夕食時ビール1000ccを呑んで直ちに就寝。


<8月25日(月)>

高校野球準決勝観戦。


<国会事故調査委員に反原発活動家田中三彦を紹介した?自民党代議士=塩崎恭久 >

福島第1原子力発電所(1F)の事故原因に関して2012年7月5日に国会事故調査委員会報告書が発表された。

発表当時ヤマちゃんおやじはこの国会事故調査委員会報告書の内容をザーと読んだが、“抽象的表現が多く、科学的に分析された事故調査報告書の体をなしておらず、恣意的見解に基づく政治的色彩の濃い反原発宣伝報告書だと”即座に感じたのを今でも鮮明に記憶している。

若い頃ヤマちゃんおやじは、事故調査分析について多少実践で学んできた経緯がある。
科学技術的事故分析調査では、FTAやFMEAなどの手法が一般的であるが、この国会事故調査委員会報告書ではこれらの科学的解析手法について言及が全くなかった。

この内容では国会事故調査委員会と言う名前が泣いている!!!

国会事故調査委員会報告書では『津波の前に発生した地震で原子炉が破壊された可能性を否定できない』と結論つけていた。


まあ反日売国奴集団の管内閣が任命した国会事故調査委員にはろくなものがいないだろうと当時は納得していた。


ところが、
“2014年5月14日、政府、日本原子力学会の事故調査委員会(事故調)、日本機械学会などの代表者が参加した日本学術会議主催のシンポジウムで、元国会事故調委員の田中三彦氏を除く全員が、事故は地震による配管破断ではなく、津波によって引き起こされたと明言した。各報告書も、原子炉と主要配管はマグニチュード9の大地震に耐え、配管破断事故は起きていないと結論づけた。“
ことがわかった。

問題は元国会事故調委員の田中三彦氏と言う人物である。

国会事故調査委員会の委員は、ウイキペディアによれば、
委員長
•黒川清(医学博士、東京大学名誉教授、元日本学術会議会長、元内閣特別顧問)
委員
•石橋克彦(地震学者、神戸大学名誉教授、元東京大学地震研究所助手)
•大島賢三(独立行政法人国際協力機構顧問、元国際連合大使)
•崎山比早子(医学博士、元放射線医学総合研究所主任研究官)
•櫻井正史(弁護士、元名古屋高等検察庁検事長、元防衛省防衛監察監)
•田中耕一(化学者、株式会社島津製作所フェロー、ノーベル賞受賞)
•田中三彦(科学ジャーナリスト)
•野村修也(中央大学大学院法務研究科教授、弁護士、コンプライアンスの専門家)
•蜂須賀禮子(福島県大熊町商工会会長)
•横山禎徳(社会システム・デザイナー、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム企画・推進責任者)
参与(2012年2月9日任命
•木村逸郎(京都大学名誉教授、財団法人大阪科学技術センター顧問)
•児玉龍彦(東京大学アイソトープ総合センター長)
•八田達夫(大阪大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授
であった。

この委員の中で原子炉の専門家は木村逸郎氏だけであり、他の委員は原子炉に関しては素人同然である。木村逸郎氏は、“福島第一原発事故の大元は(地震ではなく)津波である”との見解を示しており、“安全性は厳しく追求されるべきであるが原子力発電はエネルギー源として将来も活用すべきである”と正論を表明されている。

問題は津波ではなく地震によって原子炉が破壊されたと頑強に主張する田中三彦なる科学ジャーナリストという人物の素性である。

ウイキペディアによれば、
田中三彦は、翻訳家、科学評論家。元原子炉製造技術者。
経歴:栃木県生まれ。1968年東京工業大学工学部生産機械工学科卒業。同年バブコック日立入社、福島第一原子力発電所4号機などの原子炉圧力容器の設計に関わる。1977年退社。サイエンスライターとして、翻訳・科学評論を執筆。「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」呼びかけ人。2012年、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員・・・とある。

ここからは、ヤマちゃんおやじの私見となるが、
バブコック日立と言う会社は、もともとボイラーや熱交換器のメーカであり、原発が主力ではない。バブコック日立は東芝、日立、三菱重工などの原発主契約メーカーの下請けとして原子炉圧力容器や格納容器を製作する機械加工組立会社である。したがってバブコック日立で原子炉圧力容器の設計に携わったとする田中三彦は、原子炉圧力容器の設計技術者であっても原子力発電、原子炉に関しては専門家ではないと思う。

換言すれば、バブコック日立で原子炉圧力容器の設計に携わったとする田中三彦は、主契約メーカーであった日立が定めた原子炉圧力容器の設計諸元・仕様に従い圧力容器を製造加工し組み立てるための単なる製造設計を行う技術者であった可能性が極めて高い。この原子炉圧力容器の製造加工組み立てのための製造設計を行う技術者には、原子力発電・原子炉に関する高度な専門的能力は必要とされていないので、福島第一原発4号機の原子力圧力容器での設計業務従事という経歴は、原発の核心的技術とは殆ど無関係だと断言できる。

例えを挙げて説明しよう。自動車にはベアリングと言う部品が使われる。自動車メーカーの設計技術者は、用途に応じてベアリングの仕様・諸元を定め、ベアリングメーカーに発注する。発注を受けたベアリングメーカーは自動車メーカーから与えられたベアリングの仕様・諸元通りにベアリングを製造し自動車メーカーへ納入する。自動車メーカーは、下請けや他社から納入された他の部品とともにベアリングを組み込み車を完成させる。この際でベアリングメーカーには、ベアリングの設計能力は必要だが、車の設計能力は求められない。

原子力圧力容器と言えども所詮、原発の一部品に過ぎない。車に例えれば、ベアリングの設計技術者(田中三彦)が知るはずもない車全体の性能・機能(原発の機能・安全性)を臆面もなくあれこれ勝手にしゃべっているに過ぎない。
〜〜〜私見終わり〜〜〜

更に、田中三彦なる人物は、2011年4月4日に、田原総一郎が司会したテレビ番組で、孫正義とともに出演して、“地震で原発が破壊された”と強弁し、“地震の多い日本では原発は絶対駄目だ”と強調し、孫正義が唱える原発ゼロ・自然エネルギーによる発電をしっかり応援していた。

この時、孫正義が“我々素人は原発については良くわからないが、原発の設計に携わった田中三彦さんという原発の専門家が原発は危険だと断言しているのだから間違いない”といっているYUTUBEが残っている。これから見ても、原発ゼロによる太陽光発電でボロ儲けを企んだ孫正義と田中三彦はグルであることが判った。

再度言うが、田中三彦なる人物は圧力容器の設計技術者であって、原発技術者、原発専門家ではない!!!!

孫正義は田中三彦が原発の専門家といったが大嘘であった。

東北大震災発生直後孫は10億円寄付すると大見得を切ったが、実際には自分の息の掛かった財団に株を提供しただけとも言われている。孫正義が経営する携帯会社ソフトバンクの基地局数は会社発表数の半分程度だったそうな。

原発ゼロの会(共同代表は河野太郎、近藤昭一)なる胡散臭い団体があり、2014年1月15日に台湾を訪問し原発ゼロをアッピールした。この時、河野太郎、近藤昭一、阿部知子ともに田中三彦も出席していた。

こうなると田中三彦は完全なる反原発活動家であることがわかる。
管内閣は、日本での原発ゼロを定着させる目的で田中三彦を国会事故調査委員会の委員に選んだと思わせるに十分な人選だ。


因みに、管内閣が任命した原子力安全規制委員会メンバーも、極めて反原発色の濃い人選である。田中委員長は労組組合長を務めた反原発主義者。島崎委員長代理は赤旗(共産党機関紙)へ優先的に投稿するほどの左翼思想・反原発思想の持主であり、根拠もなく活断層であると断定する偽科学者兼反原発活動家でもある。
地質学者としての資質を疑われている渡辺委員は反日政治家福島みずほと共に原発ゼロ運動全国行脚に参加する反原発活動家であることが知られている。

問題は未だある。完全なる反原発活動家田中三彦を国会事故調査委員会の委員に紹介した人物は、実は自民党の塩崎恭久衆議院議員だと言う説がある
https://twitter.com/hashtag/%E5%A1%A9%E5%B4%8E%E6%81%AD%E4%B9%85)。

ヤマちゃんおやじは、塩崎恭久衆議院議員は曲者で反日ではないかと疑ったことがある。
塩崎恭久は、第一次安倍内閣の官房長官を務めたが、安倍政権末期の非常に苦しい時に反日勢力・反日マスコミからのいわれのない安倍非難大合唱に対し官房長官として反駁することは一切無くむしろ半ばそれを肯定するような姿勢をとったからである。

反日勢力・反日マスコミからのいわれのない安倍非難大合唱に呼応して当時の安倍首相に公然と反旗を翻した石破茂(現自民党幹事長)とて同罪である。

余談だが、“石破茂は絶対に首相にしてはならない人物”だと最近言われ出した。

やはりようやく“石破茂は反日勢力だ”とわかり始めたのかもしれないが・・・・

ウオール街に支配された反日マスコミが、先の自民党総裁選で“石破茂優勢”を流したことからしても、石破茂の反日は確固としたものであろう。

塩崎恭久は高校時代から中核派の活動家であった ことを自慢していたらしい。

麻生内閣の官房長官を務めた河村健夫も、自民党員でありながら外国人への参政権付与を主張する反日政治家である。


わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」3404号2014(平成26)年8月23日(土)から、櫻井よしこ氏による「反原発」元国会事故調委員の非常識
を転載する。

〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜
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「反原発」元国会事故調委員の非常識
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            櫻井よしこ

3・11から4度目の暑い夏のいま、福島第1原子力発電所(1F)の事故原
因に関して、専門家の結論は明らかだ。5月14日、政府、日本原子力学会の事故調査委員会(事故調)、日本機械学会などの代表者が参加した日本学術会議主催のシンポジウムで、元国会事故調委員の田中三彦氏を除く全員が、事故は地震による配管破断ではなく、津波によって引き起こされたと明言した。各報告書も、原子炉と主要配管はマグニチュード9の大地震に耐え、配管破断事故は起きていないと結論づけた。


田中三彦氏だけは、1Fが大地震の衝撃に耐え抜いたという事実をいまだに認めたくないせいか、「権威ある国会事故調の報告書の結論を否定するのか」との主旨の発言をした。/span>

7月18日、原子力規制委員会の「第6回1F事故の分析に係る検討会」で中間報告書(案)が公表された。規制庁の職員による詳細な現地調査と電子記録の検証によって、地震で配管が破断したとの国会事故調の結論を否定する内容だった。

いざこざはこの検討会から起きた。ここに出席した北海道大学教授、奈良林直氏に、激しい表現で任を辞するよう求める穏やかならざる文書が、7月23日付で田中氏らから突きつけられたのだ。

右の文書は元国会事故調ワーキンググループ?の共同議長の田中三彦、石橋克彦両氏、協力調査員の小倉志郎、伊東良徳両氏の連名で、原子力規制委員会の田中俊一委員長とこの事故分析検討会の外部専門家である奈良林氏に送りつけられた。写しが、衆議院原子力問題調査特別委員長の森英介氏と参議院原子力問題特別委員長の藤井基之氏、及び報道各社に送信された。

奈良林氏といえば、1Fの事故の経緯を最も冷静かつ科学的に分析した一人である。当初、菅民主党政権はメルトダウンを否定し続けた。それをいち早く指摘したのが奈良林氏だった。その後も氏は、反原発か原発推進か
という類の不毛なイデオロギーには左右されず、一貫して科学に基づく知見、分析を発表してきた。

畳とバケツ

田中氏はその奈良林氏を解任せよという。理由は、前述した検討会での氏の発言が問題だというのだ。田中氏は、奈良林発言は「国会の信託を受けて」「(福島原発)事故の直接的原因の調査に当たった『国会事故調・
ワーキンググループ?』の調査活動を著しく侮蔑」し、「調査結果を貶めるもの」で、「到底看過できるものではない」と書いている。

問題とされた奈良林氏の発言は、「一部国会事故調の聞き取り調査で発言を強要するようなことが行われていたと聞いている。不正にも関係するので、こういった発言の正しさ、根拠、そういったものも明らかにしてもらいたい」というものだ。

これでは部外者にはよくわからない。そこで田中氏が解説を加えている。
奈良林氏が「福島第一原発1号機原子炉建屋4階の出水事象に関」して、「『畳のような形でジャっときた』という目撃者証言が、『不正に強要されたものである』と主張した」というのだ。だが、前述の奈良林発言をよ
く見れば、氏は事態の調査を求めているにすぎない。

なぜこの発言が問題なのか。ここで論じられている事象は、大地震発生後ではあるが、津波はまだ押し寄せていない段階のものだ。畳のような幅広さで大量の水が溢れ出てきたという発言が真実なら、この時点で配管が破断されていたことを意味し、国会事故調の報告書の主張と合致する。
「畳」発言が国会事故調の結論の根拠となっているのである。しかし、右の証言をした人物は、実はこう語っていた。

「『バケツの水をひっくり返したようなもの』というのが私の感覚として一番近い。国会事故調の際に、先方から『例えば、畳のような大きさのものか』と言われたので、そのようなものかもしれないというような表現をした。国会事故調にはそう記載された」(1F事故の分析に係る検討会」第2回会合議事録20頁)

畳の幅で水が流出したのか、それともバケツの水程度の少量だったのか。
両者の違いは非常に大きい。配管が破断したのか、上の階のプールの水が揺れてダクトの中を流れ落ちてきたかの違いと言ってよい。証言者は「バケツの水」が正しいと言っている。

つまり、国会事故調の報告書とは反対に、地震段階では原子炉は全く損傷を受けていなかったのだ。

もし、配管が損傷を受け原子炉内の高温高圧の熱水が漏れていれば、辺り一面はもうもうたる湯気でおおわれ轟音が発生するが、そのような証言はない。

実際は逆で、1号機では津波に襲われるまで非常用復水器が作動し 続けて、原子炉の圧力を約15分で75気圧から46気圧まで下げ、その後70気 圧まで戻している。配管破断があれば、このように運転員の操作によって
圧力を下げたり上げたりできない。

配管破断は起きていなかったのだ。

専門家に発言撤回を求める

奈良林発言に激しく反応し、氏の解任を要求した田中三彦氏は原発反対の立場に立つ。奈良林氏の疑問が徹底的に解明されれば、田中氏らが描いた国会事故調の、1号機はまず地震によって配管が破断された、日本の原発
は危ない、というシナリオが突き崩されかねない。これは反原発派にとって到底受け入れ難いことだろう。それが、奈良林氏への激しい攻撃の理由ではないか。

それにしてもおかしいのは、国会事故調の権威を前面に押し出す解任要求文書に、委員長の黒川清氏の名前も押印もないことだ。黒川氏は、田中氏らが奈良林氏を「外部専門家としての資質を完全に欠いている」と断罪し、解任を求めたことを、果たして承知しているのだろうか。

さらに深刻なのは、事務局である原子力規制庁の行動だ。彼らは田中氏らの抗議に慌てふためき、奈良林氏に、「謝罪文を書いて発言を撤回し、それを公表するように」と要求した。

「選りに選って原子力規制庁が私にこのような要請をすること自体、原子力規制委員会の独立性を脅かすもので受け入れられません。規制委員会の独立性は尊重、保証されなければなりません」と奈良林氏は憤る。

国際社会において原子力規制機関を構成するのは文字どおり専門家である。最重要視されるのは科学的視点だ。反原発勢力に批判されて、専門家に発言撤回を求めるなどといった、日本の原子力規制庁の現状は改めるべきである。「規制庁は事業者のみならず、反対派の虜にもなってはいけない」との奈良林氏の指摘こそ正しい。

最後に、国会事故調の調査資料は国会図書館にあるが、非公開だ。1Fの事故関連資料の全公開が再発防止の力となる。国会事故調の資料公開を急ぐべきだ。

『週刊新潮』 2014年8月14・21日号
日本ルネッサンス 第618回
〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜

国民の立場からすれば、自民党から塩崎恭久のような反日勢力を排除するのが自民党再生の鍵だと感じる。



<安倍首相と反日勢力との戦い>

すでに安倍首相と反日勢力との戦いは始まっている。

今朝のニュースで、石破自民党幹事長が、“自分が考える集団的自衛権容認に基ずく安全保障構想と異なるものを要求されるならば安倍首相が奨める安全保障担当大臣就任を断る”と言う趣旨の発言をしていた。

石破自民党幹事長自身が集団的自衛権容認交渉を進めてきた立場上、自らの構想と異なる場合云々は、安全保障担当大臣就任を断るための口実に過ぎない。

石破自民党幹事長自身が安倍首相に公然と反対する姿勢を崩さないのは、石破のバックに反日勢力が控えている証拠であろう。

この反日勢力は、国内の反日勢力、中国・韓国、米国政府、であり、この反日勢力の黒幕は米国政府を操るニューヨーク・ウオール街の国際金融銀行資本であろう。
主な国内ニュースの裏には、常に反日勢力があり、その裏にはニューヨーク・ウオール街の国際金融銀行資本家の意思があることを常に思うことが自らを護る上で肝心な事だと思う。

日本の主権=日本国家=日本国民=を護ろうとする安倍内閣は、国家、国民、国境を否定する国際金融銀行資本家にとっていやな存在であり、自分の出世以外には何の信念もない(外部から操り易い)石破茂が日本の首相になるのが国際金融銀行資本にとって好ましいからだろう。

石破茂が今回安全保障担当大臣に就任し自民党幹事長の椅子から去れば、自民党次期総裁の椅子も遠ざかると見ているのではないだろうか。だから石破は安全保障担当大臣就任をどうしてもはねのけたいのであろう。

ニューヨーク・ウオール街の国際金融銀行資本家としては、石破茂が自民党幹事長をもう一期務めた後自民党総裁に就任するのを願っているのであろう。



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2014年08月20日

日本の仏教に見る日本人の弱点

<8月13日(水)>


実家の墓参りに行った。

仏壇の前で、般若心経と仏説阿含経をあげた。

<日本の仏教に見る日本人の弱点>

晩年の父が原始仏教に関心を持っていたので、原始仏教経典である阿含経を読経した。

阿含とは、サンスクリット・パーリ語の「アーガマ」の音写で、「伝承された教説、その集成」という意味がある。

お釈迦様は存命中には教えを文字の形で残すことを禁じられた。お釈迦様の死後三ヶ月経過後、直弟子・高弟らが集まりお経の編集方針が決定され、その後釈迦様の秘書の役を長年務めたアーナンダ(阿難、仏の十大弟子の一人)の口頭伝承の記憶をもとに初期のお経が作られた。阿含経はこの初期のお経の一つである。


原始仏教とは、
初期のインド仏教。釈迦の開教から部派の分裂が始まる前までの仏教。ほぼ釈迦の教えがそのまま遵奉されていたとみなされている。

大雑把に言えば、お釈迦様が自ら説かれた原始仏教の中身は、『人間が輪廻のサイクルから脱却し活きながら現世で仏陀(真理を悟った者。すべての煩悩を打ち消し,完全な真理を実現している者。覚者。)になるための具体的修行方法(正勤如意足根力覚道)の開示・教示』であった。

お釈迦様が説かれた原始仏教(後に、上座部仏教=小乗仏教=とも呼ばれた)に従って修行に専念するためには、厳しい戒律を守り職業を持たず食物は托鉢に頼らざるを得ない生活スタイルを守る必要があった。経済力もない上に肉食妻帯している一般大衆=在家信者=には容易に受け入れ難いものでもあった。

在家で職業を持った一般大衆に対し仏教を広めるには、お釈迦様が始めた修行一点張りの仏教から教義を変更させる必要があった。

そこで釈迦入滅後600〜700年後に、釈尊の精神(菩提心=釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説)にならって在家のままで善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにも仏陀として道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という大乗仏教が上座部仏教から分裂した。

お釈迦様直伝の上座部仏教からムリヤリ分裂した手前もあって大乗仏教側は、『人間が輪廻のサイクルから脱却し活きながら現世で仏陀になるための具体的修行方法(正勤如意足根力覚道)』を伝授して貰えなかった。

やむを得ず大乗仏教側は、『厳しい修行をせずとも在家のままで善根を積めば(気の遠くなるような)遠い将来に仏陀になれる』という内容の大乗仏典を大量に創作した。大乗仏教側は、“上座部仏教(原始仏教)は輪廻からの脱却という個人の欲求を優先させて他人救済を後回しにする小乗(小さな乗り物という意味)仏教だ”と貶し、自らを“他人救済を個人の欲求よりも優先する大乗(大きい乗り物という意味)仏教”だと正当化しPRした。

反対に上座部仏教(原始仏教)側は、大乗仏教を“仏陀になる修行法を持たない偽仏教だ”と非難した。

数万巻あるとも言われる仏典の多くは、釈迦入滅後600〜700年以上も後に書かれた大乗仏典(『般若経』・『維摩経』・『法華経』・『華厳経』・『無量寿経』など)であり、お釈迦様が直接説かれた仏教の教えとは遠くかけ離れている。

これに対して,大乗仏教の教えを説く大乗仏典の中身は「大乗仏教とは在家で善根を積むだけで楽に仏陀になれるスグレモノ宗教ですよ!」という一種の大乗仏教コマーシャルといえる。念仏を唱えるだけで仏陀になれるという宗派もある。

実際には、コマーシャルを何万回唱えても求める商品は手にすることはできないのだが・・・・

“『平和』『平和』と唱えていれば平和が訪れる”とい現在の平和バカ に相通じるものを感じるが。。。。。

浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗、法華宗、日蓮宗、創価学会などは大乗仏教の系統だ。

しかし日本では大乗経典を依教とする大乗仏教宗旨の信者が圧倒的に多い。日本で原始仏教を信じている人は極めて少数派だ。

日本の大多数を占める大乗仏教信者は、自らが信ずる仏教の教えはお釈迦様が直伝の仏教だと信じて疑いないいだろう。しかし実際に大乗経典を書いたのはお釈迦様の直説とは縁もゆかりもない赤の他人だったとは、全く想定外ではないだろうか???

換言すれば、大多数の日本の仏教信者は、偽の釈迦様の教えを本物と思っているのだ!!!


何故か???

五時教判という言葉がある。

支邦の僧侶で実質的に天台宗を開いた智(ちぎ、538年 - 597年)が、一切経を五時八教に分けたものである。日本へは最澄が紹介した。これを日蓮が採用し、法華経が最高の教えであるという根拠とした。

智は、”お釈迦様は最初に華厳経を説き、その教えが難しいため人々が理解できなかったとして、次に平易な阿含経を説いた”と断定した。お釈迦様は、人々の理解の割合に応じて、方等経、般若経を説き、最後の8年間で法華経と涅槃経を説いたとする。そして最後に説いた法華経が釈迦のもっとも重要な教えである・・・としている。

最澄が五時教判を紹介して以来今日まで仏教学の専門家を除けば、一般に日本では五時教判による結論が脈々と受け継がれている。

智による五時教判の最も大きな誤りは、“数万巻にも上る膨大な仏典(お経)をお釈迦様自身が説かれたものだ”と誤解している点である。

次の誤りは、五時教判はあくまで智による仮説に過ぎない内容を日本では絶対的な事実だと信じ込んでいた所である。丁度支邦の歴史書の内容は絶対真実だと疑わない日本の学者と同じである。歴史書は権力を握った者を正当化するための嘘の記述に満ち溢れているというのが偽らざる真実でsるというのに・・・・

当然、法華経が最高の教えであるというのも大嘘である!!!
法華経を依教とするのが日蓮宗である。

仏教学によれば、お釈迦様が実際に説かれた仏教の教えは、阿含経、法句経にしか記載されていないのである。換言すれば、『阿含経、法句経以外の法華経などの夥しい大乗仏典の内容は、お釈迦様が実際に説かれた仏教の教えではない』偽者仏教なのである。


日蓮も、何の内容もないコマーシャルだらけの法華経を最高の教えだと信じた所などフツーの人物だったのかも????

仏教学上の当然の嘘が日本では今もって広く認識されているのはこれまた不思議である。

日本ではどんな嘘でもいったん世の中に定着すれば正当化されるのかもしれない。

若しそうだとすれば、これは極めて危険なことである!!!!


良く言えば、“清濁あわせ呑む”といえるかもしれない。。。
悪く言えば、“内容を問わず何でも事実だと信じ込む、ノーテンキ馬鹿”



今まで、現在の日本の平和バカ振りは、反日マスコミの情報操作が原因だと思っていた。しかし上記から推察すれば、日本人には“他人の言を疑うのは悪徳だ”というDNAを持ってるのかもしれない!!!!

日本人はinformationとintelligenceの区別がつかないのかもしれない。

Informationとは、単なる情報であって、ガセネタかもしれないし事実の情報かもしれないので、重大な行動を起こすに際してはその情報の信憑性を確認する必要がある。

Intelligenceは重大な行動を起こすに際してそのまま判断に使える信憑性の高い情報である。

日本人は疑いを持たない人種かもしれない!!!

振り込め詐欺などは、日本人だけが引っかかるのではないだろうか???

問題は、一般大衆だけでなくリーダーであるべき人達も情報に疑いを持たない所だ・・・

〜〜〜<日本の仏教に見る日本人の弱点>終わり〜〜〜



その後、唯一の持ち山の境界を確認した。

小学校時代の同級生に出会い、近況を話し合った。

<8月14日(木)>

高校野球観戦。
帰省した家族と会食した。

<8月15日(金)、8月16日(土)>
高校野球観戦

<8月17日(日)>


帰省した家族の出迎え。

<8月18日(月)>

帰省した家族と山口県西部を漫遊。川棚温泉で瓦蕎麦を食べ、角島大橋を渡り角島の綺麗な海を眺め、長門市に回り青海島の鯨博物館、鯨墓を見物した。

時々集中豪雨にあったが、観光地ではいずれもお日様が拝めラッキーな一日であった。


<8月19日(火)>

高校野球観戦

<終戦記念日に思う>

デジタル大辞泉によると終戦記念日とは、

昭和20年(1945)8月15日に第二次大戦が終結したことを記念する日。昭和57年(1982)には、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された・・・とある。

日本は大東亜戦争で情報戦に負けて戦争に引き込まれ300万人以上もの日本人が死んだ・・・いや殺された。

日本では少なくとも10年位前から、日本を大東亜戦争に引き込んだ極悪人が誰かが判っている。

何故日本政府は、日本を大東亜戦争に引き込んだ極悪人どもを非難しないのか????

いじめ問題でも、苛められた生徒への同情はあるが、“加害者は卑怯者の糞悪人だ”という論調は皆無だ。

昔は青少年に対し“不良”という言葉が使われたが、今は“ヤンチャ”という言葉で青少年犯罪者は過保護されている。

今の日本では極悪犯人は弁護士や偽文化人が過剰弁護して罪を大幅軽くさせるが、被害者には泣き寝入りしかない。


ヤマちゃん日記では、断片的ではあるが、大東亜戦争勃発のあらかたの真相を記載してきた。

本当の極悪人を白日の下に曝さなくてはならない。。。


<「真の近現代史観」>


今回は、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成26年(2014)8月20日(水曜日)弐 通巻第4318号 日本の「真の近現代史観」から転載する。

〜〜〜〜転載始め〜〜〜〜
(読者の声3)歴史問題が政治問題として大きくなってきた。まさにイタリヤのクローチェの述べたように「あらゆる歴史は現代史」である。

そこで日本攻撃の道具となっている日本悪者史観や日本人の分裂工作史観は終わりにしなければならないが、代替の歴史観が必要だ。

そこで私が6年前に発表した「真の近現代史観」を以下紹介
します。ご参考まで。

これは平成20年度アパ歴史論文で田母神空将につぐ社会人優秀賞を受賞した歴史論です。審査委員長は渡部昇一先生です。日本国民の民族歴史観の常識として理解し広め、継承していただきたい。

なおこの歴史観の各論は、アマゾン電子本で「シナ事変の真実」など7種類掲示している。著者名索引は落合道夫。また動画歴史講座は 索引:tkyokinken、多くの方が視聴しており、総アクセス数は28万回を更新中。


「真の近現代史観」 
  
 東京近代史研究所 代表    落合道夫

序言:
最近、戦前のソ連の宣伝本「カニ工船」が売れているという。ソ連の崩壊で共産主義運動の犯罪性が世界的に証明されたというのに大変な時代錯誤である。映画「最後の早慶戦」では最後の「海行かば」の大合唱の史実が隠蔽されているという。これはどういうことなのだろうか。今日本は内憂外患こもごも来るという難局に差し掛かっているが、これらの原因の多くは今も続いている占領憲法以下占領政策にある。
しかし国民には戦後史の真実が隠されているように思う。そこで国民は日本の難局を解決するために、真の近現代史を学びなおす必要がある。ただし歴史を学ぶというのは従来のような反日イデオロギーで歴史を決め付けるのではない。
歴史事件を具体的な因果関係でつなぐことである。歴史の連鎖では結果が新しい原因となる。そこで今後の日本の真の独立国家としての進路を考えるには、まず大東亜戦争を正しく理解しておくことが必要である。

1.戦前の歴史:
戦争は突発することはない。そこには大きな時代の流れと指導者の決断がある。そこで大東亜戦争を巡る極東の近代史を四大要因から考えてみたい。第一は白人の植民地主義である。現代の日本人には理解がし難いが、戦前の世界は白人が支配していた。インドネシアなどは三百年にわたり殖民地にされオランダの圧制の下で収奪されていた。このため二十世紀に入ると支配者の白人と民族独立を望む現地人との対立が尖鋭化していた。この中にあって日本は最後に残された有色人種の独立国として国際社会で健闘していたので、白人からは邪魔者として憎まれ、有色人種からは希望の星として頼りにされ尊敬されていたのである。
第二は米国の西進植民地主義である。米国は西部開拓が終ると太平洋に向かって勢力を伸張しハワイ王国を滅ぼし米西戦争で独立したフィリピンを武力占領して植民地化し、さらに支那満洲への進出を企図していた。このため大陸に先行する日本は邪魔であり、日本が満州国を建国すると「満洲国不承認」宣言を発表して日本への敵意を明かにしたのである。
第三は支那の混乱である。1912年外来の満洲人の清王朝が衰退すると、支那は複数の軍閥が抗争する戦国時代に入った。これは蒋介石ら国民党軍閥にとっては支那民族の復権と国家統一の機会となったが、同時に統一権力の不在は諸外国の国際工作の場となった。日本も日清、日露戦争以来支那には権益を持っていたので特にソ連の極東工作に巻き込まれることとなった。
第四は大東亜戦争の真の原因である独ソ戦の影響である。即ちソ連のスターリンはヒトラーの著作「我が闘争」からソ連攻撃の近いことを予想していたので、東西挟撃を避けるために、東部国境の反共勢力である蒋介石軍閥と日本を無力化することを謀った。それが反共勢力同士の戦争であり1936年の西安事件を始まりとする支那事変である。
本来、蒋介石も日本も戦争を望んでいたわけではなかった。蒋介石は国共内戦勝利で支那統一の五分前といわれた有利な状況におり、日本もソ連を警戒していたので大陸の戦争をする意志はなかったのである。
それなのに蒋介石は西安事件で逮捕され脅迫に屈してソ連の傀儡となると、通州日本人大虐殺事件など執拗な対日挑発を起こした。これに対して日本は上海事変の反撃から大陸の全面戦争に引きずり込まれスターリンの狙い通りの展開となった。
ソ連は蒋介石側に三億ドルという天文学的な軍事援助を与え四千名にのぼる赤軍軍事顧問団を多数の軍用機、武器弾薬とともに送っている。この戦争にかねてから日本の弱体化を狙っていたルーズベルトが便乗して日本の講和仲介要請を断ると蒋介石に大々的な軍事援助を与えるのである。
そして三年後さらに経済封鎖して日本の反撃を挑発したのが太平洋戦争である。
ソ連は日本軍をさらに南下させるために米国の支那満洲への野望を利用しハルノート原案を提供するなど日米の戦争を画策した。
日本軍は少数であったが精鋭であり独立を望む現地人の援助を受けて圧倒的に優勢な白人植民地軍を撃破した。そして解放したアジア諸民族にそれまで宗主国が禁じてきた民族主義による独立準備教育を行った。日本軍は勇戦したが原爆まで投下されて降伏した。
しかし日本人は敗北したが大東亜戦争は正しい自衛戦争であったことを知っておくべきである。

2.戦後史(ソ連崩壊前)
日本の勢力が失われた極東はどうなったのだろうか。一言で言って米国の思惑通りにはならなかった。それどころか米国の油断によりソ連が強大化したため米ソの対立が始まり冷戦が長く続くことになる。
ソ連は戦争中、米国のルーズベルトの容共主義を利用して115億ドルに上る莫大な軍事借款を取り付け独ソ戦に勝利したが、その間に米国の高度な軍事技術や原爆製造技術まで窃取し、欧亜に版図を大々的に拡大することに成功した。このため戦前とは比べ物にならない危険な大国となった。
米国のウェデマイヤー将軍は「第二次大戦の唯一の勝利者はルーズベルトやチャーチルではなくスターリンであった」と述べている。(引用抜粋:同将軍著「第二次大戦に勝者なし」)
ソ連は戦争が終わると戦時中の親米方針を一変させ天文学的な軍事借款を踏み倒し世界各地で米国に厳しく対立した。1946年英国のチャーチルは「鉄のカーテン」演説でこのような戦後世界を作るために戦争をしたのではないと嘆いたが後の祀りであった。米国の西進支那満洲進出戦略については、ルーズベルトはヤルタ会議でスターリンに、米国の腹の傷まない日本の領土や帝政ロシアの支那利権、90万トンに上る膨大な武器を代償に、満洲の代理占領と戦後の蒋介石支持を取り付けていた。米国はその後蒋介石を傀儡に支那満洲を支配するつもりだったのである。
しかしスターリンは米国のハラを見抜くと何度も蒋介石支持を確約した上で代償を先取りし満洲を占領すると、一転違約して満洲を毛沢東に渡してしまった。米国の原爆投下の威嚇もソ連に地上戦を恐れる本音を見抜かれていたので効果はなかった。そしてソ連に支援された毛沢東は内戦で米国が支援する国民党蒋介石軍を撃破してしまった。この結果1949年米国は支那の全拠点から追い出され、長年の支那満洲を狙う西進アジア政策は失敗に終わった。
そこでマッカーサーは「支那の共産化と喪失は米国太平洋政策百年の最大の誤りであった」と総括した。太平洋戦争の米国の真の目的が日本の占領ではなかったことは重要である。また支那は37年ぶりに統一され戦前のような列強の工作の場ではなくなった。白人の植民地主義については、日本が降伏すると宗主国は殖民地の再建をはかり旧植民地に来襲した。米英は大西洋憲章で殖民地の独立を約束したが嘘だった。白人はアジアの殖民地を失うと欧州の一小国に成り下がるので強引に植民地を再建しようとした。しかしこの時代錯誤の再植民地化に対して現地側は日本軍の教育を受けた青年たちが日本軍の残した武器を持って立ち上がり自ら独立戦争を開始したのである。
戦況は多くの近代兵器を装備する白人宗主国側に有利となったが、ソ連が民族独立運動に介入し武器を送り反米闘争に利用し始めたので、米国はむしろ民族主義政権による独立を望むようになり白人諸国に圧力をかけた。このためオランダはしぶしぶインドネシアの独立を認めたのである。
ベトナムでは既にソ連が糸を引くベトナム共産党が殖民地独立運動を指導していたので仏の再植民地化は失敗し撤退した。
印度をはじめとする広大な国のアジアの殖民地も独立した。米領フィリピンも独立した。結局米国は日本を追い詰めたために反撃されその影響でアジアは独立し、欧米の植民地体制全体が崩壊したのである。
このためあるアジア在住の仏人は「日本は一般的には第二次大戦で敗北したとされるが、アジアのこの一角では勝利した。戦後この地域は一変した」と述べている(C・ソーン著「太平洋戦争とは何だったか」)。このアジア諸民族の独立運動がアフリカや南米の植民地独立に伝播しさらに米国の黒人の公民権回復運動を支援し今日の多数の独立国からなる世界を作ったのである。

3.日本近代史:
こうした戦後世界の変化に対して敗戦した日本はどのように対応してきたのだろうか。日本は降伏するとまず占領軍の厳しい軍事独裁下におかれ世界から遮断され徹底的な破壊を受けた。ここで重要なのは総司令部の中にスターリンの指示を受ける多数のソ連人、ソ連関係者、米国共産主義者が入り込んでいたことである。しかし当時の米国は戦争中の親ソ政策の延長でソ連に無警戒であった。
占領行政というと占領軍が破壊された日本を再建したように思う人がいるが米国のその後の対日政策の転換後の記憶が上塗りされたための勘違いである。彼らの日本占領の目的はあくまでも彼らの戦争目的の完遂であった。
米国の太平洋戦争の目的は、支那満洲支配のために邪魔な日本を二度と立ち上がらせないことであった。他方ソ連の目的は将来の米国撤退後における日本の共産化であった。両者は同床異夢であったが、当面の日本破壊では一致していた。
かれらの占領政策の核心は日本民族の共同体の破壊であり、日本人の生存、生活、再生における伝統と連帯の断絶であった。そして重要なのはこれらの破壊政策を日本人に後から戻されないように相続制度を変更したことである。仏人のトクビルが指摘しているように人間の社会構造の基礎は相続制度にある。
古来、日本人は戦争や飢饉などの生存の危機に対応して子孫が生き延び復活できるシステムを作ってきた。それが家制度である。
だから相続は平等ではないし平等であってはならないのである。なぜなら平等にすると全滅するからである。これは救命ボートの定員問題に似ている。全員がボートに乗れば全滅する。
しかし半数だけでも助かればその後子孫が増えて血族として復活する可能性が出てくる。ここには個体の生存よりも血族の継続を重視する人類の究極の知恵が見えるのである。そこで敵は日本人の相続制度を平等主義に変えて一時的な個人の欲得を利用し、全体の破壊政策を修正させないように仕組んだのである。
これは仏革命やその後の共産革命でも見られた左翼の定番政策であった。このため日本は今少子化が止まらず戦前の美しい家族愛が失われ道徳が乱れて苦しんでいるのである。

4.日本正常化の機会と回避、挫折
日本が占領軍に破壊されている間に極東情勢は急速に変化した。
このため戦前のアジア政策を引きずる米国の日本占領政策は時代遅れになってきた。米国では中共の支那統一で大陸から追い出されると「支那が失われた」という悲痛な叫びが国中で上がった。これと同時に米国が邪魔だった日本を占領支配する意味は失われ、かえって武装解除した日本の国防代行が大きな負担になってきた。
さらにスターリンが1950年米国の注意を欧州方面からそらすため朝鮮戦争を起こすと、米国では身勝手にも「アジアはアジア人に守らせろ」の声が上がりだした。
日本を再軍備して米軍の犠牲を減らそうというのである。
そこでダレス国務長官は1950年来日し吉田首相に再軍備を許可した。対日占領政策の基本である日本非武装化方針を百八十度転換したのである。これとともに東京裁判による日本軍人の処刑はピタリと停止し二度と再開されることはなかった。
しかし吉田は占領憲法や経済困窮などを理由に再軍備を拒否した。だが吉田の真意は別にあった。すなわち、米国が戦前以上の30万の日本軍の再建を求めるのはそのうち10万を朝鮮に国連軍名目で派遣するハラと読んだからである。すなわち米国の極東政策の失敗を日本の青年の血で尻拭いをさせられてはたまらないということである。ただし吉田は独立国家の自衛は当然の権利と考えていたので後年は核自衛を主張した。
米国は日本政府の自衛反対を知って困惑し、それまでの占領政策を矢継ぎ早に変更し始めた。まず1951年占領軍総司令部のマッカーサー将軍を更迭した。
これは彼の影響力が日本の再軍備に有害と見たのである。マッカーサーは早速米議会で「日本の戦争は自衛のためであった」また「憲法九条は日本人が作ったもの」と証言し日本政府が再軍備しやすいように誘導した。
そして1952年には日本に再軍備させるべくサンフランシスコ講和条約を作り独立させた。このため同条約にはベルサイユ条約のような敗戦国の国防制限はない。しかし日本政府は用心深く再軍備をせず警察予備隊を創設しただけであった。このため米国は止む無く講和と同時に日米安保条約を締結した。
そして1953年10月には国務省のロバートソン次官補が与党幹部の池田勇人を招き再軍備を要請した。これに対して池田は以下の理由を挙げて断った。
a)兵役対象の青年は米占領軍により何が起ころうと二度と武器を取らないように教育されたから反対する。
b) 婦人、特に遺族は大切な人を捧げたのに戦後大迫害をうけたので絶対に反対する。
c)それでも軍隊を作ると米占領軍が共産主義を広めたので、軍隊が共産主義クーデタを起こす可能性がある。(抜粋引用:「吉田茂とその時代」J・ダワー著)

米国は占領政策を反省するしかなかった。日本軍を千人でもよいから残して置けばよかったのである。そこで会談直後米政府はニクソン副大統領を東京に派遣し、日米協会の昼食会で占領憲法の第九条は誤りであったと公式に声明を出させた。
朝鮮戦は1953年スターリンが急死すると休止状態になり、日本軍の出兵の可能性は低くなっていた。しかし日本政府は憲法を改正せず再軍備しようとしなかった。日本の左翼マスコミはソ連の影響を受けて反政府的であり占領状態の正常化に反対した。
このため国民は国際情勢の変化を正しく知らされないまま、日本に開放された米国の市場を利用してひたすら経済復興にまい進したのである。
こうして戦後第一の占領体制正常化の機会は失われた。警察予備隊の後身の自衛隊は名前から分かるように軍隊ではない。軍法会議など万国共通の軍隊の基本機能を持っていないからである。

5.ソ連崩壊と日本の正常化:
この後日本は経済発展を続けたが、政治やマスコミ、文化界の価値観は占領時代初期の左翼的な反日のまま固定していた。そこに世界史的大事件が起きた。それは1991年のソ連の自滅である。ソ連は人類初の理想主義国家として誕生したが、70年後に崩壊して分かったことは未曾有の大犯罪国家であった。
この事実が分かると、それまで日本で支配的であった左翼は勢力を失った。もともと左翼思想は曖昧な妄想であり、左翼運動は冷酷な現実主義者が妄想的共産主義者を利用して権力を握り私利私欲を満たす詐欺運動であった。
この単純なカラクリは英国のG・オーウェルが「動物農場」で風刺している通りである。ソ連が崩壊すると国際社会では新しい二つの動きが現れた。一つは国際経済が国境を越えて諸国民の生活に大きな影響を与えるようになったことである。
それが文化的社会的な反発を招きいま大きな問題になっている。
もう一つは米ソの冷戦で押さえつけられていた各国の民族主義が盛んになったことである。この結果世界は核兵器の拡散とあわせて米国一国では管理が難しい状況になりつつある。
そして米国はすでにアジアには地理的利権がなくイデオロギー的な対立も消えたので、日本の価値もなくなりアジアから防衛線を下げる動きが出ている。占領体制を墨守してきた日本にとって大変危険な状況になっている。

6.日本の課題:
そこで日本の政治を見ると国際社会の激しい変化に正しく対応してきたのだろうか。
日本の与野党やマスコミの行動は、ともに日本の独立や建国を祝わない、共同体の犠牲者である靖国神社の英霊に感謝しないという点で共通である。
これは半世紀以上も前の反日占領体制を占領軍に代わって続けているのと同じである。だとすると彼らは占領体制を変えたくないのではないか。そのためマスコミは戦後世界の変化と冷厳な現実を国民の目から覆い隠してきたのではないか。
しかし外国による横田めぐみさんらの国民拉致、竹島領土侵犯事件などの被害が明らかになり、もはや隠しおおすことはできない。このため国民の間には占領体制をいつまでも続けようとする与野党に見切りをつけ、新しい政治勢力に日本再生を期待する声が上がっている。
その場合、核となる政策は占領軍に奪われた国民国防制度と家制度の回復であろう。その正常化が他の分野も芋蔓式に正常化してゆく。1953年日米会談で池田勇人はロバートソン国務省次官補に「日本人が自分を守るのは自分しかないことに気づくには相当の時間がかかるだろう」と述べた。(抜粋引用「吉田茂とその時代」)
またある米国GHQ要員は離日時に日本は長い歴史のある国だから、独立を回復すれば占領軍に破壊されたものを復旧させてゆくだろうと述べたという。今、その時が来ているのである。 
 (落合道夫)
〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜

戦後69年も経ったのに未だ、“日本はアジアで侵略戦争をした”という馬鹿げた首相談話を継承しているのは日本政府として極めて無責任さを感じる。

もっと国民がしっかりせねば政治家・政府は動かじ・・・と思う!!!
posted by ヤマおやじ at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

大平山・大谷山・牟礼峠縦走ルート開通 & 忍者蜂?!発見

<大平山・大谷山・牟礼峠縦走ルート開通>

8月12日(火)は曇天ではあったが、大平山の北方555mピークから西北西に445mピークを経て牟礼峠に至るルートの整備を行った。

7月20日にこのコース整備作業で蜂に刺されて以来、8月8日(金)に半日整備作業を行って以来二回目、合計五回目の整備作業となった。

今回は7月20日に蜂に刺された場所を再び通過するので、上着を2枚着て、防虫スプレーをふりかけ、足には脚絆を、防虫ネット付き帽子を着用し防護体制を固めて、大平山林道9合目辺りに駐車し、555mピーク〜牟礼峠縦走コースに10時頃入った。

445mピークの約400m手前のピークから、西鳳翻山、東鳳翻山、山口尾、真田ヶ岳、龍門岳、物見ヶ岳、高羽ヶ岳、日暮ヶ岳方面などが眺望できたのを今回始めて気が付いた。このコースを歩き始めて5,6回になってようやく四囲を眺める余裕が生まれたのかもしれない。
DSCF8311(1).JPG <龍門岳、真田ヶ岳、物見ヶ岳、高羽ヶ岳などを望む> 


このピークを下り登り返すと、445mピークまでは当方が新しく切り開いたルートとなる。其処から先はポツリポツリと赤テープはあったものの踏み跡も殆どない雑木林であった所を、先月から幅6〜70cm程度の通過スペース確保すべく切り開いてきた所だ。

屈曲点前後では新しい赤テープを貼り付け、通過し難い場所では枝を刈り払いながら進んだので、四等三角点があった445mピークに着いたのは12時前になった。

445mピークから10m程度に西に進んだ地点の稜線上には、瀬戸内海方面を眺められる眺望スポットとなるよう、前々回作業時に視界を邪魔する枝葉を刈り払った小ぶりな岩場がある。ここで昼食をとった。
DSCF8313(1).JPG <445mピークビューポイントからの眺望1>
DSCF8315.JPG <445mピークビューポイントからの眺望2>



東側は大平山、南側は瀬戸内海、三田尻湾、防府市街が、西側は秋穂の南端あたりまで見えた。もっと良い眺望を得るには周囲の雑木を伐採すれば良いのだが、集中豪雨時の崖崩壊災害防止を考えて、南面での雑木は一本も伐採しなかった。

ここからはなだらかな下りとなるが稜線には次第に露岩隗が増えて、傾斜も段々急になってくる。445mピークからおおよそ300m程度下った所で、稜線に大きな岩隗が積みあがった場所に出くわす。ルートはこの岩隗の南側を下っている。

7月20日に蜂に刺されたのはこの岩隗の南側を下っていた時だった。7月20日では右腕に何かの激痛を覚えたが蜂の姿も見えず、蜂の羽音も聞こえなかったので、枝に生えた棘に右腕が刺さったものと認識していたので作業を続行し、帰宅後傷口を消毒することナシに入浴したので傷口からばい菌が侵入し、蜂毒と反応して右腕の下半分が腫れる上がるに至った。

今回も再び蜂の襲撃を予想して、通路の周囲の羊歯を慎重に刈り始めた。一分後に何か透明に近い体長1cmくらいの蜂に似た昆虫が数十匹羊歯の周りを無音で飛び始めたのを発見したので、羊歯刈りを中止し、急いで2、3m上方の稜線まで一気に退いた。

7月20日にはこの無色透明で無音な蜂に刺されたのだと直感した。7月20日には蜂の巣の存在など眼中になく羊歯の刈り払い作業だけに熱中していたので、無音で無色透明な蜂の突撃に気が付かなかったものと推察した。

7月20日に刺したのは、やはり蜂であったが、この蜂は無音、無色の曲者であった。
無音、無色のこの蜂は、まるで忍者のようだ・・・”忍者蜂”。。。。

どうも羊歯の奥にこの忍者蜂の巣または、巣の入口があったものと思う。

ほとぼりは冷めるまで、稜線上の岩隗の間を通過するルートを探したが、いずれの方向も急峻であることがわかった。

15分後“忍者蜂”がいなくなったのを確認して、“忍者蜂”が出て来たと思われる付近を足早に通過して、その後始まる急峻な下り坂に長さ15mのロープを設置した。
DSCF8321.JPG

さらに距離にして10m程度下り、8月8日に牟礼峠から登り始め到達したビューポイントに着いた。

これが550mピークから牟礼峠に至る縦走路整備が一応完成した瞬間となった。

このビューポイントは西側に堂々たる矢筈ヶ岳の全景が見え、南側には防府市街、北西側には龍ヶ峰、東鳳翻山方面なども見えた。
DSCF8316.JPG <矢筈ヶ岳>
DSCF8319(1).JPG <山上山方面>
DSCF8320.JPG <防府市街>


555mピークから牟礼峠に至る縦走路は、黙々と稜線を登るか下るかの馬鹿尾根的なルートとも思えなくはないが途中、3箇所あるビューポイントは、数少ないアクセントを与えてくれるであろう。

ともあれ、555mピークから牟礼峠に至る縦走路は曲がりなりにも開通にこぎつけることができた。

555mピーク〜牟礼峠に至る縦走路の整備記録を調べてみた。
6月14日はコース下見としてコース整備作業は行わず555mピーク〜牟礼峠に至る全コースを歩いた。
実際に整備作業を行ったのは、7月12日、7月16日、7月20日、8月8日(半日)、8月12日の4.5日である。

先行者が要所に赤テープを貼ってくれていたので、コース選定作業は殆どせずに済んだ。このコース整備は、先行者とヤマちゃんおやじとのコラボレーションといえるだろう。

この555mピーク〜牟礼峠に至る縦走路を今後何人通過するだろうか????
この整備作業中出合った人はいなかった。この山域で出会った人は一人もいない。
昨年のシャクナゲ尾根コース整備の時も、初めの2ヶ月間は誰にも出会わなかったが・・・・

この登山道整備は、ヤマちゃんおやじの自己満足のために実施したと言うことも出来る。
しかし整備者としては、出来るだけ多くの方々がこのルートを通過してくれるのは、ありがたいことである。しかし強制はできない。

時間があれば、分岐点での標識設置、急坂対策などやることは沢山ある。まあボチボチやるとしよう。

8月14日早朝目が覚めた時、ふと四等三角点が設置されている445mピークにはれっきとした山名があったのではないか?思い、中島先生の本“山口県百名山”の後ろの方を見ると、防府市445m大谷山と記載されていた。標高559mの大谷山の方は知られているがこの山は防府市と周南市の境界線上にある。防府市の地形図を調べて見たがこの二山以外に大谷山という山名はなかったので、445mピークの山名は、大谷山だと断定した。

大平山から555mピークに至るコースは既に本年春に開通済みである。

よって、この縦走路は、『大平山・大谷山・牟礼峠縦走コース』と呼ぶ方が判り易いかもしれない。。。
posted by ヤマおやじ at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月11日

反日5人衆;河野洋平、小和田恒、中曽根康弘、石破茂、孫正義

<8月10日(日)>

台風11号が直撃する予想を信じて9日(日)には簾を巻き上げ固定したが、朝起きてみると台風は四国に向ったとのことで幸いにも暴風雨の直撃は免れた。

最近来た2つの台風のお陰で外出を控えたので、『日本の敵〜グローバリズムの正体〜』を3回目を読み直す丁度良い機会となった。

何しろ、年とともに記憶力は退化し、反面くだらない情報は山ほど入ってくるので、名著と決めて購入した書籍は少なくとも三回は読まないと身につかない。

渡部昇一、馬渕睦夫共著『日本の敵〜グローバリズムの正体〜』では実名入りで、日本の敵として批判された人が4人あったの記憶している。実名ではないが誰かと簡単に特定できる注釈で日本の敵として批判された人の中に孫正義があったのもはっきり記憶している。

実名入りで、日本の敵として批判された人が4人は、河野洋平、小和田恒、中曽根康弘、石破茂です。同著から要点部分を以下に引用する。

〜〜〜〜〜引用開始〜〜〜〜〜

<河野洋平の反日罪状:>

従軍慰安婦問題が韓国、中国、米国、国連などで喧伝・非難されるのは、河野談話で謝罪したからです。あの人物(河野洋平)に桐花大綬章を与えたまま、従軍慰安婦問題はありませんでしたと言っても、世界には通用しません。ですから個人的には河野さんには何の恨みもないけれど、やはり勲章を一度は取り上げる政治的なパーフォーマンスが必要です
<中略>
敗戦後関東軍が持っていた毒ガスは、そっくりソ連軍に渡しました。それが中国でどう埋められたは知りませんが、日本には責任がない。全部渡したのに,何故それを掘り返し無毒化する責任を日本が負わなければならないのか。これも従軍慰安婦と同じ構図の問題です。

中国に言われて、毒ガス処理にODAで金を出してしまいました。通常のインフラ整備のODAとは別枠とされ、「遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」という条約まで作って支援しています。

あれは遺棄したのではなく、関東軍が引き渡したのです。その資料も山形県でどっさり見つかりました。それなのに、何千億円も使っている。化学兵器の処理を中国に約束したのも当時外務大臣であった河野洋平という人物です。桐花大綬章なんてとんでもない。このことも告発し続けなければなりません

処理費用はもう兆の単位に達したと思います。河野さんが外務大臣の時、北朝鮮の拉致問題解決のためと称して、五十万トンのコメ支援をやりました。それで拉致被害者家族に対して、コメ支援をすれば必ず事態が打開できます、私が政治責任をとりますと言って北朝鮮にコメを支援したのに、何も進展しなかった。進むはずがないのがわからないくらい、甘い人です。また政治的責任を取っていません。

彼にはコリアンマネーが入っていると疑われても仕方がないでしょう。海外から手を突っ込まれているのは民主党も同じでした。



<小和田恒の反日罪状:>

しかもその(小和田恒の)間違った解釈が国会答弁に残っている。昭和六十年十一月、当時外務省の条約局長だった小和田恒さんが、土井たか子社会党委員長の質問に答えて、『(東京)裁判を受諾している』と言ってしまった。ですから外務省の対応要領も、必然的に東京裁判史観にならざるを得ないのです。

裁判と訳せないのは、動詞を見ればわかります。第十一条の後半『日本国で拘禁されている日本国民にこれら諸判決が課した刑を執行するものとする(carry out  the sentences)です。日本政府は講和条約締結後、いわゆる戦犯の釈放に務めました。東京裁判を受け入れたのなら、そんなことが出来るはずがない。日本が受け入れたのは「諸判決」ですから、すでに処刑になった人以外の刑は全面的に減じられています。例えば「A級戦犯修身禁固刑を言い渡された賀屋興宣さんは釈放され、第二次・第三次池田内閣の法相に就任しました。「A級戦犯禁固七年」だった重光葵さんは改進党総裁となり、鳩山一郎内閣で副総理兼外相に任命されます。
<中略>
従って第十一条は、どう逆立ちしても小和田答弁のようには読めません。外務省は秀才の集まりですが、十一条の解釈については、バカじゃなかろうかと思います。東京裁判の有効性を信じている立場で外交交渉をしているから、「勝者の言い分をひっくり返せば世界秩序を乱す」と怖がっているのでしょう。

ですから私は、「裁判を受諾している」という発言を撤回しない小和田さんの名前を挙げて、失礼ながら国賊と呼んで批判しているのです


<中曽根康弘の反日罪状:>

さらに、そのことに気が付かなかった当時の中曽根康弘首相の責任も重大です。中曽根内閣で起こったことですから。日本がもはや東京裁判に縛られていないことを示すには、パーフォーマンスが必要です。

小和田さんはただちに全公職から解任する。それから中曽根さんから大勲位を剥奪、褫奪することです。一度は取り上げないと日本国としての態度が明確にならないのです。


<石破茂の反日罪状:>

歴史認識問題で日本には言論の自由がない事に、一般の日本人も気が付いています。田母神問題がいい例です。二〇〇八年アバグループが主催した第一回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞を受賞した田母神俊雄空幕長に対して、当初は、麻生首相をはじめ、みんな喜んで、本当に祝福されていました。私は選考委員長でしたからよくわかります。ところがある時点を境に、突如、雲行きが変わりました。マスコミから総攻撃が始まると、すぐに辞めさせられてしまった。私は、どこが田母神攻撃の本当の発信源だったのか知りたい。恐らくアメリカだったかもしれません

田母神論文には、日本の言い分がよくまとめられていました。「日本だけが侵略国家だと言われる筋合いはない」、日本は悪くなかったっと言っただけで、首相官邸と浜田靖一防衛相が電光石火の早業、たった二時間で更迭を決めてしまった。

たまたま当時、私は防衛大学校で教鞭をとっていましたので、来校した制服組の幹部に訊ねると、苦しい答弁をしていました。防衛大臣が田母神さんに辞表を書けと迫ったが、それに従わなかった。だからこれはシビリアンコントロールに反したので、降格されたのはやむを得ない、と言う詭弁を弄するわけです。自衛官が政治的に中立であるべきなのは、公務員が政治的に中立性を要求されるのと同じで当然のことですが、田母神さんの場合は特定の政党や政治イデオロギーの普及を試みたのではなく、歴史解釈について持論を述べただけです。すると追い討ちをかけるように、自民党の今の幹事長が「文芸春秋」で、自衛官は思想的に中立でなければならないと主張した。そもそも人間が思想的に中立であることなど、論理的に不可能です。

石破茂という人は、自衛隊の味方かと思っていたけれど、田母神さんがシビリアンコントロールに背いたなどと書く。「文芸春秋」も昔なら田母神さんに書かせたはずですが、今ではリベラルになってしまった。文春が取り込まれた代わりに、元文春の人たちがやっている「WILL」が、田母神論文を掲載した。

私はあれ以来、石破茂という人物を信用しない。その前からおかしいとは思ってました。あるシンポジウムで、南京大虐殺があったというのを聞きましたから。日本を悪い国だと思っているわけです。

石破さん以外にも、自民党の保守と言われる人でも、中国を必要以上に弁護する人が少なくない。中国当局の工作に引っかかった臭いがします。
〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜

<ヤマちゃんおやじの感想>

・河野洋平の馬鹿悪業ぶりはかねてから承知していた。しかしコリアンマネーにどっぷり浸かっていたとは今回初めて知った。

河野洋宅は高い塀に囲まれた豪邸とのこと。身に覚えがなければ何も過剰警戒する理由はないはず。河野洋平は、自らの悪事が露見して怒り狂った大衆から住居が襲撃されるのを恐れているのか??? 


・中曽根康弘には汚い噂が沢山ある。彼の真骨頂はやはり自らの信念も見識もない単なる“風見鳥”であろう。

・小和田恒の悪行は比較的最近になって判ってきた。
 小和田は、従来の正統な外務省見解を押し曲げて、屈辱的な自虐外交へ大きく舵を切らせた張本人として日 本史上最大級の極悪人・売国奴の一人といえよう。

日本外交とともに 岡崎 久彦 22(7月2日付け 読売新聞26面)には、小和田恒の左翼売国奴振りが見事に暴露されている。

〜〜〜要旨引用開始〜〜〜
岡崎 久彦は日本の外交評論家・政治評論家。防衛法学会顧問。NPO法人「岡崎研究所」代表。元外交官
学歴
•1930年 関東州・大連生まれ
•1949年 府立高等学校卒業、東京大学法学部入学
•1953年 ケンブリッジ大学経済学部入学
•1954年 同卒業
•1956年 同大学院経済学研究科修士課程修了
職歴
•1951年 外務公務員I種試験合格
•1952年 外務省入省(欧米局第三課)
•1953年 英語研修(ケンブリッジ大学)
•1956年 国際協力局第一課
•1958年 国際連合局政治課
•1960年 在フィリピン大使館三等書記官
•1962年 在フランス日本国大使館二等書記官
•1965年 国際連合局政治課
•1966年 大臣官房国際資料部資料課長
•1967年 同分析課長
•1969年 同調査課長
•1971年 在米国大使館参事官
•1973年 在大韓民国日本国大使館参事官
•1976年 中近東アフリカ局外務参事官
•1978年 防衛庁参事官(国際関係担当)
•1981年 在アメリカ合衆国日本国大使館公使(ハーバード大学研究員)
•1982年 調査企画部長
•1984年 情報調査局長(初代)、駐サウジアラビア日本国特命全権大使(10月-)
•1988年 駐タイ日本国特命大使
•1992年 外務省退官、博報堂特別顧問
•2002年 NPO法人「岡崎研究所」創設
•2007年 安倍晋三首相の日本の集団的自衛権保持の可能性について考える私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員(4月- 会は2008年6月24日の最終報告書提出で解散)

・岡崎氏の回顧
天皇皇后両陛下が即位後初めての海外訪問として1991年秋東南アジア諸国を歴訪されることが決まり最初の訪問国がタイになった時であった。

外務省本省から、バンコクで予定されていた天皇陛下のお言葉として、真っ先に先の戦争で日本のした行為を謝罪する案が出た。私は反対でした。
タイには日本に謝罪を求める気持ちなど無いことを知っていましたから。
タイ外務省に確認し、何も謝ってもらう必要はない、とのタイ側の意思を本省に伝達しました。
 
抵抗していたら小和田恒次官がこれで勘弁してくれと言ってきたのは、
天皇陛下が、まず日本とタイがいかに仲がよかったかと、お言葉をずっと述べられる。そして最後に、全東南アジアに向けての発言として、最後に全東南アジアに向けての発言として、「先の誠に不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう平和国家として生きることを決意」 という言葉を述べていただく ことにした''、という。

 この箇所はタイではなく全東南アジアに向かっていう部分なのだから、タイ大使としては反対しにくい。私は一時、辞表を書くことも考えたけれど、それで黙っちゃった。最初の案を書き直させただけでも意味があったのかなあ。
〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜

小和田恒外務次官は、天皇に“日本は悪い国であった”と大嘘をしゃべらせたことになる。別の言い方をすれば、天皇を使って自らの邪な所信を世界に発信させたのである。

民主党小沢一郎が習近平副主席をスケジュールを変更させて無理矢理天皇に謁見させた事例と、自らの願望達成に天皇を利用した点でよく似ている。

昭和天皇は、皇太子の小和田恒の娘雅子との結婚に強く反対された事実がある。昭和天皇は、小和田恒の本性をしっかり認識されていたからだ。小和田一家に関するネット情報は全て汚らしい。一々挙げればきりがないが。。。。小和田恒の祖父の墓に関する忌まわしい噂は、“小沢一郎の先祖の墓は日本にはない”とよく似ている!!!

小和田家の人々が東宮御所に車で横付けし頻繁に宿泊しているというずうずうしくも不敬な事実からすれば、小和田家の人々が生粋の日本人とは異なる外国系であることを窺わせる。

昭和天皇が強く反対された皇太子の小和田恒の娘雅子との結婚が何故実現したのか????

皇太子妃候補からいったん外れた小和田恒の娘雅子が何故皇太子妃にもぐりこんだのか????

大きな疑問がある。当方の得た情報では、高円宮と民主党国会議員らが暗躍していた形跡がある。

  しかしことは皇室に関わるので軽々しく論じるわけにはいかない。
  疑問を持った人がいろいろ調べて自ら判断すべき事柄かもしれない。

小和田恒が81歳という高齢にもかかわらず、国際司法裁判所判事を務めているのは、何か途方もない悪事を企んでいるのかもしれない。

渡辺氏、馬渕氏が強調するように、小和田恒を全ての公的職務から追放し罷免すべきです

小和田恒の公職追放署名運動を早速実行に移すべきと強く感じる。


・石破茂

以前からいかがわしい人物だと思っていた。第一に人相がわるい。半白眼で下からねちっこい視線で睨み上げ、ねっちこい口調でもったいぶっった語り口は、いかにも曲者である。人相上、半白眼には邪な思考の持主が多い。

石破茂はかって、外国人参政権保有に賛成していた。5,6年前には、中国共産党幹部と同じ考えを披露したこともある。極めつけは、先の自民党総裁選で反日マスコミがこぞって石破茂をヨイショした所だ!!!

先の参議院選挙での自民党大勝を石破茂の功績とする声があるが、全くおかしい。先の参議院選挙での自民党大勝の原因は、安倍晋三への国民の信頼であった。

反日マスコミがヨイシする石破茂も日本の敵だ。。。

石破茂を野に放てば何をするかわかったものではない!!!

だから安倍首相は石破茂を身近に置いて勝手なまねをさせない腹つもりなのかも知れない。

孫正義は別途記載予定。。。
posted by ヤマおやじ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月09日

緊急連絡:本日20時〜23時「世界を動かすものの正体?!」インターネット放送予定


日常的に報道されるニュースや、今まで発行された数千冊の歴史書を読んでも、皮相的な情報は得られますが、「世界を動かすものの正体?!」は長い間隠蔽されてきました。

「世界を動かすものの正体?!」に関する知識がなければ、マスコミが垂れ流す洗脳情報に惑わされるばかりで人々は誤った判断を下し、誤った行動に走る危険に晒されます。

最近に至り、ようやく「世界を動かすものの正体?!」が暴かれるようになりました。
その内容が今日インターネット放送(YouTube)で無料で視聴できるのは素晴らしいことです。

日本を貶め、日本の弱体化を進めてきた複雑多岐にわたる勢力の黒幕=元締め=は一体誰だったのか???

日本を無理矢理大東亜戦争に引きずり込んだ影の主役は誰だ???
・ ・・本日明らかになります。

パネリストの方々も錚々たるメンバーが顔を揃えています。



< 「世界を動かすものの正体?!」インターネット放送予定 >

<日本文化チャンネル桜 からお知らせ>
 闘論!倒論!討論!2014
テーマ:「世界を動かすものの正体?!」
@@@@@@@@@@@@@@@@@@

国際金融資本や石油メジャー等々と現在の世界情勢について、陰謀論ではない真摯な議論を展開する番組です。
放送予定日:8月9日(土)20時00分〜23時00分
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/
「YouTube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

パネリスト(50音順敬称略)
@@@@@@@@@@@@

片桐勇治(政治アナリスト)
田中英道(東北大学名誉教授)
田村秀男(産経新聞社特別記者・編集委員兼論説委員)
浜田和幸(参議院議員)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
宮崎正弘(作家・評論家)
渡邉哲也(経済評論家)
司会:水島総(日本文化チャンネル桜 代表) 




<8月8日(金)>

ゆっくり西日本に滞在し大雨を降らせた台風12号はようやく去った。
しかし台風11号が再び日本に接近中である。

最近10日ばかりは、蜂刺されショックと台風による雨天によって山歩きはゼロなので腹回りは太るばかりであった。

8月8日の天気予報は曇り後雨であったが、朝方は日の光も射していたので、降雨になれば引き返すつもりで防府市牟礼峠〜445mピークの登山道整備に出かけた。

11時前に牟礼峠付近の空地に駐車し、鋸、枝カッター、大型剪定はさみを携え445mピークを目指し登り始めた。

すべり易い南側尾根ルートを避け北側尾根ルートを辿り、11時30分頃展望岩に着いた。

この展望岩から正面に矢筈ヶ岳の全貌が眺められ、南側には防府市街も眺められるので、このコース随一の眺望スポットと思う。

前回蜂に刺された445m直下からこの眺望岩までの部分が唯一未整備の部分であった。

案の定雨が降り出したが、豪雨ではなく降ったり止んだりであったので、眺望岩付近にザックを置き、未整備部分のルート確定と通過の邪魔になる雑木切りを慎重に行った。

多少の試行錯誤はあったが、12時過ぎに前回迷った場所に到達し、ルートつくりは終わ一応った。
これで今回の目的は最小限達成したことになる。

前回何故ルートを見失ったのか????

何のことはない、伸びた枝が視野を狭めた影響も多少あったかもしれないが、木に張られた赤テープが白く変色していたので、たった5mしか離れた場所からでも見えなかったからだ。


まあ、上手くいかない時というものは、そんな些細なことでも大問題になるという格好の例ということだろう。。。

蜂対策として重ね着した上着が雨でびしょ濡れになったのを機に、早々に12時30分頃引き揚げた。

残り作業は、急坂でのロープ設置、テープ貼りがあるが、まあボチボチやるとしよう。

帰りに真名地区から445mを眺めて見たが、ここから見る445m峰は急峻な名峰?!に見えた。

ということは、この地元では445m峰に対してしっかりした名前が付いていたのではないだろうか???

コース整備完了の暁にはいずれにしても、牟礼峠〜445m峰〜555m峰登りコースは楽ではなく、なかなかのコースとなるであろう。
posted by ヤマおやじ at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月06日

”原爆投下は戦争終結を早めるものだった” というインチキを検証

本年8月6日は広島に原発が落とされて69年になった。

2007年11月2日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/64147114.html
から、原爆開発の出発点から広島への原爆投下までを時系列推移を振り返ってみた。

あわせて、
”原爆投下は戦争終結を早めるものだった”
というインチキを検証してみた。

〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜

<原爆開発>

1939年2月7日 著名な理論物理学者ニールス・ボーアは、ウラン同位体の中でウラン235が低速中性子で分裂すると予言し、同年4月25日には、核分裂の理論を米物理学会で発表した。この時点ではボーアは自分の発見が世界にもたらす事に気づいていなかった

@ 1939年、ナチスから逃れてアメリカに亡命した物理学者のレオ・シラードたちは、当時研究が始まっていた原子爆弾をドイツが保有することを憂慮し、アメリカが原子爆弾開発を行うことを大統領へ進言する手紙を著名なアインシュタインの署名を添えて送った

A 1939年9月1日には第二次世界大戦が勃発

B 1941年7月、イギリスの亡命物理学者オットー・フリッシュ(Otto Robert Frisch)とルドルフ・パイエルスがウラン原子爆弾作成のために必要なウランの臨界量の理論計算と、ウラン原子爆弾の基本原理をレポートにまとめ、MAUD委員会(MAUD Committee, イギリス原子爆弾開発委員会)に報告した(Frisch-Peierls memorandum)。そこで初めて原子爆弾が実現可能なものであり、爆撃機に搭載可能な大きさであることが明らかにされた

C 1942年6月、ルーズベルトはマンハッタン計画(DSM計画)を秘密裏に開始させた。総括責任者にはレズリー・グローヴス准将を任命した。1943年4月にはニューメキシコ州に有名なロスアラモス研究所が設置される。開発総責任者はオッペンハイマー。20億ドルの資金と科学者・技術者を総動員したこの国家計画の技術上の中心課題はウランの濃縮である。テネシー州オークリッジに巨大なウラン濃縮工場が建造され、

D 2年後の1944年6月には高濃縮ウランの製造の目途がついた

E 1944年9月18日、ルーズベルト米国大統領とチャーチルイギリス首相は、ニューヨーク州ハイドパークで首脳会談した。内容は核に関する秘密協定であり、その中では日本への原子爆弾投下の意志が示されていた。その他、核開発に関する米英の協力と将来の核管理についての合意がなされた。(ハイドパーク協定)

F 1944年9月1日に原子爆弾投下実行部隊である第509混成部隊の隊長を任命されたポール・ティベッツ陸軍中佐は、12月に編成を完了し(B-29計14機及び部隊総員1767人)、ユタ州ウェンドバー基地で原爆投下の秘密訓練を開始した。1945年2月には原爆投下機の基地はテニアン島に決定され、部隊は1945年5月18日にテニアン島に移動した。

G 1945年4月12日のルーズベルトの急死により、トルーマンが大統領に就任

H 1945年4月27日に開かれた米軍の目標検討委員会で、原子爆弾を投下する都市の選択は、第1回会議にて定められた選定基準により、まず17地域が「研究対象」に選ばれた。選定基準の要約は以下の通り。

 1.市街地が約4.8キロメートル以上の直径を持ち、市街地周辺にも居住地が広がっていること。

 2.投下目標は、東京から長崎の間に位置している都市とすること。
 3.目標とする都市が、高度な戦略的価値を持つこと。

東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、下関、山口、八幡、小倉、熊本、福岡、長崎、佐世保が候補都市となった。上記17都市及び地点の内、既に空爆で破壊した都市は除外するべしとされた。

「研究」の中で、投下目標は原子爆弾の「爆風の効果」が分かるような地勢を備えるべしとの条件が加わり、1945年5月11日の目標検討委員会第2回会議では、投下目標は京都・広島・横浜・小倉の4都市に絞り込まれた。その後、「アメリカと親しい日本」をつくる上で「千数百年の長い歴史があり、価値がある文化財まで破壊する可能性があり、それらが数多く点在する京都への投下は、戦後の国民の反感が大きすぎる」との配慮から、京都への原爆投下は問題であるとして、京都市が除外されて新潟市が加えられた。ただし、京都盆地に位置し、原爆の効果を確認するには最適の京都への投下を強く求める将校、科学者も多く存在した。

I 1945年6月14日に京都・横浜を目標から外し、その後新潟も外され、長崎が再登場した。最終的な投下目標は、広島・小倉・長崎に決定された。

・ なお、6月1日の会議では原子爆弾の投下目標地点イメージについて、周囲に労働者の家屋が広がっている軍需工場地帯で、原子爆弾投下の事前警告は行わないことが決定されている。最終決定投下目標 広島・小倉・長崎

J 日本への原爆投下反対の動き

a. 1944年5月16日にボーアはチャーチルと会談したが説得に失敗、同年8月26日にはルーズベルトとも会談したが同様に失敗した。逆に同年9月18日の米英のハイドパーク協定(既述)では、ボーアの活動監視とソ連との接触阻止が盛り込まれてしまう。ボーアは翌年1945年4月25日にも科学行政官バーネバー・ブッシュと会談し説得を試みたが、ルーズベルトに彼の声が届くことはなかった。

b.1944年7月にアーサー・コンプトン(シカゴ冶金研究所)が発足させたジェフリーズ委員会が原子力計画の将来について検討を行い、1944年11月18日に「ニュークレオニクス要綱」をまとめている。そのなかで、原子力は平和利用の開発に注力すべきで、原子爆弾の都市破壊への利用をすべきでないと提言している。しかしこの提言も生かされることはなかった。

c. ドイツ降伏後の1945年5月28日には、米国に核開発を進言したその人であるレオ・シラードが、バーンズ長官に原子爆弾使用の反対を訴えている。シラードは、7月17日にも原子爆弾使用反対の書簡を科学者たちと連名で提出したが、流れを変えることはできなかった。

d. 1945年6月11日には、シカゴ大学のジェイムス・フランクが、グレン・シーボーグ、レオ・シラード、ドナルド・ヒューズ、J・C・スターンス、エウゲニー・ラビノウィッチ、J・J・ニクソンたち7名の科学者と連名で報告書「フランクレポート」を大統領諮問委員会に提出した。その中でフランクは、社会倫理的に原爆投下に反対し、原子爆弾の威力を各国の前でデモンストレーション(砂漠か無人島にて)で示すことにより戦争終結の目的が果たせると提案しているが、この提案は政府に拒絶された。またフランクは同レポートで核兵器の国際管理の必要性をも訴えていた。

e. 1945年7月20日に軍人としては、ヨーロッパ戦線を勝ち抜いたアイゼンハワー将軍が、対日戦の勝利にはもはや原子爆弾の実戦使用は不必要であることをトルーマン大統領に進言している。マッカーサーも原爆投下に反対した

f. また政府側近でも、バードのように原子爆弾を使用するとしても、事前警告無しに投下することには反対するものもいた。
しかし結局、これら一連の原子爆弾投下阻止の試みが、ルーズベルト大統領やトルーマン大統領の決意を動かすことはなかった。

K 1945年7月15日ニューメキシコ州アラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で最初の原爆実験が実行された。この原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadget) と呼ばれた

L 1945年7月25日、トルーマン大統領は原子爆弾投下の命令を発令した。


<原爆投下直前・当日>

@8月2日、グアム島の第20航空軍司令部から、テニアン島の第509混成部隊に以下に示す極秘野戦命令が通達された。
作戦命令書13号  1945年8月2日
1. 攻撃日       8月6日
2. 攻撃目標     広島中心部と工業地域
3. 予備第2目標   小倉造兵廠および同市中心部
4. 予備第3目標   長崎市中心部
5. 特別指令     目視投下に限ること

A  8月4日、B-29エノラ・ゲイ号[1]は最後の原爆投下訓練を終了して、マリアナ諸島テニアン島北飛行場[2]に帰還した。

B 8月5日21時20分、第509混成部隊の観測用B-29が広島上空を飛び、「翌日の広島の天候は良好」とテニアン島に報告した。[3]同時刻、テニアン島ではブリーフィングでポール・ティベッツ陸軍大佐がエノラ・ゲイの搭乗員に出撃命令を伝えた、「今夜の我々の作戦は歴史的なものだ」。

C 翌日未明8月6日午前0時37分、まず気象観測機のB-29が3機離陸した。ストレート・フラッシュ号は広島へ、ジャビット3世号は小倉へ、フル・ハウス号は長崎である。午前0時51分には予備機のトップ・シークレット号が硫黄島へ向かった。
続いて午前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイがタキシングを開始し、1時45分にA滑走路の端から離陸した。
その離陸2分後の午前1時47分、原子爆弾の威力の記録を行う科学観測機(グレート・アーティスト号)が、更に2分後の午前1時49分には写真撮影機(#91 or ネセサリー・エビル号)の各1機のB-29も飛び立った。
即ちこの日、6機のB-29が原爆投下作戦に参加し、内3機が広島上空へ向かっていたことになる。

テニアン島から目標の広島市までは約7時間の飛行で到達できる。
午前6時30分、兵器担当兼作戦指揮官ウィリアム・S・パーソンズ海軍大佐、兵器担当補佐モーリス・ジェプソン陸軍中尉、爆撃手トーマス・フィアビー陸軍少佐らが爆弾倉に入り、リトルボーイの起爆装置から緑色のプラグ(安全)を抜き、赤色のプラグ(点火)を装填した。
作業を終えたパーソンズはティベッツ機長に「兵器のアクティブ化完了」と報告し、機長は「了解」と答えた。機長は機内放送で「諸君、我々の運んでいる兵器は世界最初の原子爆弾だ」と、積荷の正体を初めて搭乗員全員に明かした。

この直後、エノラ・ゲイのレーダー迎撃士官ジェイコブ・ビーザー陸軍中尉がレーダースコープにブリップ(輝点。正体不明の飛翔体)を発見した。通信士リチャード・ネルソン陸軍上等兵はこのブリップがIFFトランスポンダ(敵味方識別装置)に応答しないと報告した。エノラ・ゲイは回避行動をとり、高度2,000m前後の低空飛行から急上昇し、午前7時30分に8,700mまで高度を上げた。

さらに四国上空を通過中に日本軍のレーダー照射を受け、単機の日本軍戦闘機が第一航過で射撃してきたが、被弾はなかった。この日本軍戦闘機(所属不明)はハーフターンして第二航過で射撃を試みたが、射撃位置の占有に失敗した。

エノラ・ゲイ号は危機を回避し、目的地への飛行を再開した。
午前7時過ぎ、エノラ・ゲイ号に先行して出発していた気象観測機B-29の1機が広島上空に到達した。クロード・イーザリー少佐のストレート・フラッシュ号である。イーザリー少佐は上空が快晴であることを確認し、四国沖上空のエノラ・ゲイ号に作戦可能の連絡を入れた。「天候晴れ、歴史的爆撃作戦に支障なし。視界10マイル、高度15,000フィートの雲量12分の1」この時点で、投下目標は広島に絞られた。原子爆弾の投下は目視が厳命されており、上空の視界の情報が重要であった。なおこの観測機は日本側も捕捉しており午前7時9分に警戒警報が発令されている。

午前7時31分、このB-29はそのまま広島上空を通過離脱していたため、警戒警報は解除された。

午前8時9分、エノラ・ゲイ号は広島市街を目視で確認した。

午前8時10分、日本側では3機のB-29が広島県に侵入したことを捕捉した。数分後、広島の中国軍管区司令部は警報発令の準備指示する。その間、エノラ・ゲイ号は既に広島市上空に到達していた。高度は31,600ft(9,632m)。まず原子爆弾による風圧等の観測用のラジオゾンデを吊るした落下傘を三つ落下させた。青空に目立つこの落下傘は、空を見上げた市民たちに目撃されている。

午前8時12分、航法士セオドア・ヴァン・カーク陸軍大尉がイニシャル・ポイント(IP)に入った事をティベッツに報告、機は直ちに自動操縦に切り替えられ、爆撃手トーマス・フィアビー陸軍少佐に操縦が渡された。フィアビーはノルデン照準器に高度・対地速度・風向・気温・湿度等のデータ入力を開始した。エイミング・ポイント(AP)を相生橋にロックオンした彼は「やったぞ」とティベッツに報告した。

午前8時13分、日本側では再度広島に警戒警報が発令された。「中国軍管区情報、敵大型機3機が西条上空を西進しつつあり、厳重な警報を要す」

午前8時15分17秒、核爆弾リトルボーイが自動投下された。投下目標(AP)は、広島市の中央に流れる太田川にかかる相生橋であった。この橋は川が分岐する地点にかけられたT字型の橋であり、上空からでもその特徴がよく判別できるため、目標に選ばれた。3機のB-29は投下後、熱線や爆風の直撃による墜落を避ける為にバンクして進路を155度急旋回した。再び手動操縦に切り替えたティベッツはB-29を激しい勢いで急降下させ、キャビンは一時無重力状態になった。
リトルボーイは爆弾倉を離れるや横向きにスピンし、ふらふらと落下した。間もなく尾部の安定翼が空気を掴み、放物線を描いて約43秒間落下した後、高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。

広島への原爆投下によって、一般市民十数万人が死亡し、広島という都市が壊滅された。

帰島

原爆の爆風はエノラ・ゲイにも襲い掛かった。エノラ・ゲイはひどく揺さぶられ、ティベッツは日本軍の高射砲による対空射撃と勘違いして「高射砲だ!」と叫び、フィアビーも「くそ! 撃ってきたぞ!」と叫んだ。しかし間もなく核爆発の衝撃波であると気付いた。

午後2時58分、エノラ・ゲイ号は快晴のテニアン島の北飛行場に帰還した。12人の搭乗員は出迎えた数百人の将兵らに祝福された。戦略空軍総司令官カール・スパーツ少将から、ティベッツ大佐には栄誉十字章が、他の12人には銀星章が与えられた。

その日は夕方から、第509混成部隊の将兵や科学者らによって、深夜まで盛大な祝賀パーティが催された。
原爆投下時、撮影機はカラーフィルムで撮影していたが、テニアン島に帰還後、現像に失敗したためにその記録は失われた。そのため、爆発から約3分後に別機の科学調査リーダー、ハロルド・アグニューにより8mmカメラによって撮影されたキノコ雲の映像が、世界初の都市への原爆投下を捕らえた唯一の映像となっている。

〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜


<日本への原爆投下への見解の検証>

“日本に原爆が投下されたことは、第二次世界大戦を早く戦争を終結させるためにやむを得なかった”という説明がまことしやかに行われる。

何も知らない人は『御もっとも。御説の通り』と納得するあろう。事実大多数の日本人はかりでなく、殆どの世界中の人がそのように信じている。

上記記載の
J 日本への原爆投下反対の動きe.をより詳しく記述すれば、

『そもそも日本は1945年1月の時点で米軍のマッカーサー将軍に講和提案を行っていた。マッカーサーは直ちに交渉するようにルーズベルト大統領に具申したのだが、ルーズベルトがその提案を退けた』ことが、カーチス・B・ドール氏(ルーズベルト大統領の女婿)の著書『操られたルーズベルト』(英語版原著は1982年発行、日本語翻訳版は1992年発行)という本に書かれている。

非軍事施設を攻撃して民衆を殺傷することは戦時国際法で禁止されている。


ということは、“日本に原爆が投下されたことは、第二次世界大戦を早く戦争を終結させるためにやむを得なかった”という説明は詭弁であり、日本への原爆投下を正当化する洗脳であったことになる。

戦後GHQは、日本への原爆投下が戦時国際法違反であることを検閲で押さえ込んだので、 “日本に原爆が投下されたことは、第二次世界大戦を早く戦争を終結させるためにやむを得なかった”という詭弁がいつのまにか常識になってしまった。

戦後50〜70年近くなってようやく第二次世界大戦はイルミナティ(国際ユダヤ金融資本家グループ)が支配下の各国首脳を陰から動かして始めたことが判明し、第一次世界大戦もイルミナティが引き起こしたこことも最近判明しているが、世界中の多くの人はこの事実を知らない。

その理由は、世界の主要通信・メディアを牛耳っているイルミナティが自らの悪事を隠蔽し、詭弁で以って他者に戦争責任を押し付けているからである。

その詭弁の一例を挙げれば、“日本はアジア諸国を侵略し,南京大虐殺事件を起こし、韓国女性を強制的に従軍慰安婦にした、などなど”である。しかし実際には,南京大虐殺事件も従軍慰安婦強制も存在しなかったことが一連の研究で証明されている。

連合国は広島への原爆投下前に既に戦争に勝っていたのだ。では日本への原爆投下の目的は一体なにであったのか????

馬野周二著『日本に亡国の音が聞こえる』からその理由を以下に引用する。

〜〜〜〜引用開始〜〜〜〜
日本での原爆投下の目的は『アメリカの御威光のため』である。

戦後世界をイルミナティ自らの意思に従わせるためには単に戦争に勝つだけではいけない。

圧倒的な心理操作が必要だ。

その目的のために世界を覆う国際機関、国連、IMF、世界銀行などを作る一方、旧敵国、すなわちイルミナティに復讐する可能性があり、何よりもイルミナティ思想を撃破しうる思想的背景を持つ、ゲルマンと日本人を、心底から畏怖させておく必要があった。

つまりルミナティが憑依し、その物理力を利用するアメリカの威光を極大にしておかねばならなかった。


この彼らの戦略が今日の日本人に対して完璧に成功したことは、読者が見られる通りである。今日の大多数の日本人は、アメリカの御威光に平伏しているといってよい。それは恰も、徳川幕府の葵の御紋に町人共が平伏したのと同様である。
〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜

プラザ合意でアメリカの言いなりに1ドル360円が1ドル250円とさせられ大幅な円高となっても、日本は何一つ反駁せずに受け入れた。

アメリカの命じるままに日本は金融自由化を進めた結果日本の一流会社の株式の多くは外国人投資家が所有することとなり、それまでの中長期志向の日本式経営を捨て去り短期的利益を追求するアメリカ型経営が幅を利かすようになり、一時世界でトップクラスであった日本企業の国際競争力は大いに損なわれると同時に、アメリカ型経営の特徴でもある(何時でも従業員の首切りが可能な)非正規社員制度が瞬く間に日本を席巻し,年収200万円以下の低所得労働者を大量に発生させるに至った。

アメリカの進める3S政策によって、金と物とセックスによって日本国民は愚昧化され、それらの奴隷となった。


<広島平和記念式典>

朝8時から広島原爆投下69周年の平和記念式典が行われ中継映像を見た。

広島市長挨拶で、“平和憲法の下で今日まで平和であった日本の平和主義を今後も護って行きたい”という趣旨の挨拶があった。この挨拶に大きな疑問が生じた。

終戦後今まで日本が戦争に巻き込まれなかったのは、戦力を放棄した平和憲法があったためではなく、日本に米軍が駐留し、日米安保条約が存在したからである。

終戦直前、ソ連は北海道領有を主張し、中華民国は九州の領有を主張したが、米英の反対で実現しなかった。

仮に終戦後日本に米軍が駐在せず、日米安保条約がなければ、日本は周辺国から侵略を受けた可能性は極めて高い。

原爆は何故日本に投下されたのか???

日本に原爆がなかったから、日本に原爆を投下をしても、連合国は日本から原爆攻撃を受けることがありえなかったからである。

仮に日本が原爆を保有していたら、連合軍は日本からの原爆による報復を恐れて日本に原爆を投下しなかったはずである。

元寇の役において、日本の武士団が必死で戦い国を護ったので,蒙古軍と朝鮮軍は堪らず撤退した。
仮に日本の武士団が丸腰で防戦しなかったならば、日本は蒙古の属国にされていたことは容易に想像できる。


戦力を放棄した憲法9条を信じ丸腰で『平和』『平和』と唱えているだけで平和が実現するならばこれほど簡単なことはない。

この日の平和式典で平和憲法護持を訴えた広島市長の平和馬鹿ぶりにあきれてしまった。

終戦後69年も経ったのだから、政治家たるものはもっとしっかりした歴史認識を持たねばならない。

これが日本の大都市の首長だと思うと情けなくなった。

イルミナティ/反日勢力による洗脳がよほど巧妙だったせいか???

この不勉強な広島市長は、日帰り出張を繰り返し年間600万円の政治活動費を領収書ナシで請求した変な議員と大して変わらないのではないか???
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2014年08月04日

上海福喜食品事件の真相

上海福喜食品が、使用期限切れの食肉を使っていた問題映像が報道された7月23日以来10日以上経過した現在関連する報道は沈静化した。

一連の報道の中でヤマちゃんおやじが奇異に感じたことは、この盗撮映像の公開をあの共産党独裁国家である中国政府が許可した所であった。通常であれば自国の恥部をさらけ出す映像を中共政府が許可するはずがないからだ。

中国で発信/受信された情報は全て当局が検閲し中国にとって不利となる情報は国内外には流通させない体制をとっている。そうしないと一党独裁の共産党に対する不満が一挙に全土に波及し一大暴動に発展して共産党独裁政治体制の土台が揺らぐからである。

上海福喜食品問題が報道されて以来マスコミの視点は、果たして今後中国産食品の安全が担保されるか否かに集中していた嫌いがある。

かなり前だと思うが、東大教授が『中国製食品は品質管理がしっかり行われているので安全だ』という趣旨の発言をし中国からの食品輸入を推奨していたのをしっかり覚えている。

2007年12月から08年1月の間に、河北省の「天洋食品」が生産した冷凍ギョーザを食べた千葉、兵庫の3家族、計10人が中毒症状を起こし、うち子供1人が一時重体になった毒ギョーザ事件が発生した。

昨年には大手流通が自主開発したプライベートブランド食品に安全性に問題がある中国産食品が多量に使用されている事実が週刊誌で話題になリ、ヤマちゃん日記でもその一部を紹介した。

以降ヤマちゃんおやじは、コンビニ弁当を買うのを一切止め、今ではムスビしか買わないようになった。

中国産食品に詳しいといわれる専門家はテレビ報道にて、『日本の中国からの食品輸入額は魚介類や野菜など年間9000億円にも達し今後も日本はこれに依存しないわけにはならない。中国食品工場の監視システムなど日本からの監視体制強化で品質管理を徹底させれば安全性は解消される』との見解を示していた。本当だろうか???


  
わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」3382号 2014(平成26)年8月1日(金)私の「身辺雑記」(128)〜平井 修一〜から引用する。

〜〜〜〜引用開始〜〜〜〜
支那通の近藤大介氏の論考<「上海福喜食品」事件の本質は習近平政権に
よるアメリカ叩き! 次に「危ない」のは中国の日系企業か!?>(現代ビ
ジネス7/28)はとても示唆に富んでいた。いやはやプロはすごいなーと感
じ入った。以下要約。

              ・・・

上海福喜食品が、使用期限切れの食肉を使っていた問題が、日本でも波紋
を広げている。今回の事件の本質は、明らかに習近平政権によるアメリカ
叩きである。

問題を一つひとつ整理していこう。まず、日本人にはなかなか理解できな
いかもしれないが、中国では今回のようなことが日常茶飯事的に行われて
いる。「どこでもやっていそうなことがたまたま発覚した」という感覚な
のである。

私は上海在住の知人(中国人メディア関係者)に事の重大さについて聞い
てみた。彼が私に返してきたメッセージは、次のようなものだった。

今年に入ってからの中国における5大食品事件は、以下のとおりだ。

○灰で作ったラーメン
○殺虫剤入り鍋料理
○ウジ虫入りチョコレート
○ネズミ肉で作った餃子
○ろうそくを流し込んだ果物


ほかにも、避妊薬漬けのキュウリとか、毒入り粉ミルク、農薬だらけのお
茶など、発覚する毒食品は枚挙にいとまがない。それに較べては今回の事
件は、事件としてはベスト5はおろか、ベスト20にも入らない「ささいな
事件」だ。


上海福喜の工場の従業員が、隠しカメラの前で、「期限切れの食品を食べ
たって、死にはしないだろう」とコメントしていたが、そのとおりだ。こ
の国には、食べたら死ぬ食品が溢れているのだから〉

このように中国においては、日本では想像もできないほどずさんな食の安
全管理のもとで人々は生活しているわけである。だから日本人が「上海福
喜はひどい」と怒るのも分かるが、「なぜよりによって上海福喜が、この
タイミングで生贄として選ばれたのだろう?」という疑問も成り立つ。

上海福喜食品は、世界最大の食肉加工グループであるアメリカのOSIグ
ループが、上海に作った会社である。上海市の公的書類によれば、1996年
4月4日に、上海市嘉定区馬陸鎮陳村村陳宝路58号に、21000平方メートル
の工場を作った。営業期限は2036年4月3日まで。中国との合弁会社ではな
く、この時代には珍しい100%独資会社である。

当時の上海を牛耳っていたのは「上海閥」の総帥・江沢民元主席である。
上海浦東新区が開発される前の1996年に、これほど立地のよい場所に、東
京ドームの半分ほどの巨大な工場を、アメリカの独資で作れるというの
は、当時の国家主席である江沢民のバックアップがなければ不可能だ。

アメリカはこの工場を稼動させたことによって、ケンタッキーやマクドナ
ルドの店舗を中国全土に展開していったわけである。

つまり、上海福喜は、江沢民時代の米中友好の象徴的工場なのである。

だが、折りしも現在、習近平主席は「江沢民派の一掃」を狙った権力闘争
の真っ只中にある。「汚職幹部追放」の名の下に、江沢民派の大物幹部た
ちを、次々に血祭りにあげている。

中国最大の経済都市である上海は、これまでつねに中南海の権力闘争の
「本丸」のひとつとなってきた。もともとは江沢民「上海閥」の牙城だった。

いまの上海は、「上海閥」「団派」「太子党」(習近平派)が入り乱れた
群雄割拠の戦国時代なのである。趨勢で言えば、習近平派が「上海閥」と
「団派」を駆逐している最中である。(平井:習は団派・胡錦涛の傀儡
で、実は胡VS江の戦いだという説もある)

それに加えて、習近平主席は現在、「アメリカ憎し」の気分でもある。7
月9日、10日に北京で開かれた第6回米中戦略・経済対話については、この
コラムでも詳述したとおりだ。

すなわち、習近平主席が「中米で新たな大国関係を構築しよう」と再度持
論を述べたところ、ケリー米国務長官が、「もうその話は何遍も聞いた
が、本当に中国がそうしたいのなら、まず行動で信頼できる国になれ」と
突き放したのである。

習近平が国家主席になってからの約1年半で、公の場においてこれほど恥
をかかされたことはなかった。私はこの時点で、「近く中国国内のアメリ
カ企業が狙い打ちされるのではないか」という予感がした。

現在、中国のマスコミは、習近平政権に恐れおののいている。潜入ルポ番
組は、政府の意向なくしては難しくなっている。そんな中で上海衛視
(TV)が、政府からの「指令」もなく、アメリカ企業に対して「1ヵ月の潜
入取材」などできるはずもないのである。


最後に予言めいたことを言うと、次に「危ない」のは、中国の日系企業で
はないか。象徴的な「悪の日系企業」が作られることは、容易に想像がつ
くのである。中国に進出している3万3000社の日系企業は、この時期、心
して工場の点検などを怠らないことが必要だろう
。(以上)
〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜


問題はいろいろある。

先ず第一に、中国人の価値観・モラルは平和馬鹿にどっぷり使った日本人には全く想像できない点である。

上述のように、今年に入ってからの中国における5大食品事件はいずれも日本人の想定外の食品である。この現状は品質管理以前の問題である!!!!!

換言すれば中国人は自分の利益となれば善悪に関係なく何でも実行するということだ。
とはいえ、最近の日本では中国人のような日本人が出現し始めているが・・・・
よって日本人の命を預ける食品・食料の安全性を、何をするかわからない中国人に依存することは、極論すれば自殺行為だとおもう。

第二に、日本には中国から食品を一切輸入しない時期があったということだ。40年前までは当然魚、野菜は全て国産品であった。中国から年間9000億円もの食料を輸入しているということは、大胆にいえ中国からの年間9000億円に達する食品輸入によって日本国内でそれに該当する雇用が失われている ことになる。

第三に、食品は戦略物資である。魚野菜などの生鮮食品がなければ人間は生活できなくなる。生鮮食料品は命の綱である。世界的な天候不順の拡大、世界的な砂漠化の進展、世界的な水不足の進展、中国での水質悪化の進展、魚類の乱獲による海産資源の減少化などを考慮すれば、近い将来世界的に見れば食料不足・食品不足は確実に起こる。そうなれば、中国からの生鮮食料品の輸入はゼロとなるのは間違いない。

上記三点からすれば年間9000億円にも達する中国から食品輸入は、日本にとって、食の安全性、日本産業の空洞化、および食料安全保障の点で極めて危険な所業でしかない。

スーパーの野菜売り場を覗いてみても野菜の値段はそれほど安くはない。中国からの輸入野菜であっても消費者の手に渡る段階では国産野菜の価格と比べそれほど安くはない・・・せいぜい10%安いくらいではないか???

日本には水も耕地もある。日本産食品を優先的に食べるようにすれば、日本の地方の活性化に繋がる。何も潜在的に有害な生鮮食料品をわざわざ遠い中国から輸入することはない。

中国からの食品輸入を歓迎するものは誰か????
食品輸入業者・商社と流通業者である。彼らは中国からの食品輸入が増えるほど儲けも膨らむ。

一般国民は、値段が安くても衛生上悪質な食品は望んではいない。
材料を全部国産にして100円値上げしたチャンポンが、安いが危ない中国産食品を使用していた時よりも,良く売れた事実からも判る。

一般国民は、値段が多少高くても衛生上問題のない食品を望んでいる。

食品の輸入増大によって日本の地方は耕作放棄地がどんどん増えている。いったん荒地になった耕作地は元へ戻すに歯多大な労力と時間を要す。

中国からの食品輸入は日本国民にとって何のメリットもない。中国からの食品輸入増大は商社と流通を儲けさせるだけだ。

よって日本は国民のために中国からの食品輸入を大幅に減らすべきだ。
同時に日本は、食糧安全保障のために今後10年をめどに食料自給率80%を達成する必要があると感じる。

欧米先進国は、歴史の教訓として少なくとも70%以上の食料自給率を達成している。そのために先進国は膨大な補助金(例えば米国では年間1兆円以上)を国内の食糧生産者に注ぎ込んでいる事実は日本では殆ど知られていない。

TPPなどはくそ食らえ・・・・だ。
TPPはグローバリズムの最たるものであり日本の敵であることは、渡部昇一、馬渕睦夫共著『日本の適〜グローバリズムの正体〜』に記されている。。。。


一番問題なのは、『原発ゼロ』だ。

ペルシャ湾、インド洋、南シナ海、東シナ海でいったん事あれば、これらの海域を通って数珠繋ぎ状態で日本に運ばれる石油・天然ガスタンカーは全て停止し、石油備蓄1ヶ月を使いきった後では日本は直ちにエネルギー断という窮地に陥るのだ。日本の社会経済活動は95%が停止する。当然日本国は産業は壊滅し企業は破産し国は滅ぶ。国民は餓死の淵を彷徨い、長期的には食料輸入も出来なくなりウン千万人もの命が失われる可能性がある。

しかし原発を稼動させれば日本の社会経済活動は60%程度の停止で済む。日本は壊滅を免れる可能性はある。

日本の首相を務めた細川、小泉は今でも原発ゼロを叫んでいる。・・・・大馬鹿か!!!!!

細川、小泉は、日本のエネルギー安全保障についてなんら知識を持ち合わせていない。
もしくは、細川、小泉は、日本の破滅を望んでいるとしか思えない。。。。

こんな国益無視の輩が日本の首相になれたのが、今日本の現状であり、大問題でもある。
こんな国益無視の輩を日本の首相にしたのは、世界金融資本家の連中=イルミナティ=にとって最良の選択だったのであろう。。。なぜなら、世界金融資本家の連中=イルミナティ=は日本の滅亡を狙っているからだ。

イルミナティは前回の自民党総裁選で石破か石原を当選させる段取りをしていたと感じる。
なぜなら、石破か石原ならば細川、小泉のように日本の国益を躊躇なく損ねてくれるのは間違いなかったからだ。一例を挙げれば、石破と石原が反日勢力である舛添を東京都知事候補に推薦したことからも、石破と石原の本性が垣間見えてくる。

しかし神風が吹き、決選投票で三番人気の安倍晋三が自民党総裁に当選した。

安倍内閣がエネルギー安全保障対策と食料自給率アップを精力的に進めてくれれば、日本の危機はすこしばかり遠のく可能性がある。。。。

今後イルミナティ傘下の反日勢力は、総力を挙げて安倍下ろしに邁進するであろう。

肝心な事は、日本の敵=イルミナティ=が糸を引く反日勢力による反安倍キャンペーンに、日本国民が安易に乗せられないことだと思う。
posted by ヤマおやじ at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月02日

佐世保女子高生殺害事件に想う

<7月31日(木)>
車をカミサンが使う予定があったので自宅でパソコン相手に過ごし、昼寝もした。
インターネットやメルマガから佐世保女子高生殺害事件に関する情報を探し、いろいろ考えさせられた。

<佐世保女子高生殺害事件に想う>

最近起こった佐世保女子高生殺害事件は、初めは男を巡る怨恨関係が原因ではないか?と疑っていたがどうやら2人の間には怨恨関係はなく、加害者の人体解剖志願 という猟奇的事件の様相を帯びてきた感がある。

佐世保女子高生殺害事件とは・・・2014年7月26日に長崎県佐世保市で発生した殺人事件。犯人は当時15歳の女子高生で(事件二日後の7月28日に16歳の誕生日を迎えた)、被害者も同級生の女子高生であった。犯行現場は加害者の自宅マンションで、後頭部を鈍器のようなもので数回殴り、ひも状のもので首を絞めて殺害した。県警によると遺体は首と左手首が切断されていたという。犯人の女子高生は今春より元を離れて一人暮らしをしており、その一人暮らしをしているマンションで犯行が行われていた。
・・・・

☆インターネットでは、佐世保女子高生殺人事件に関してかなり突っ込んだ情報が掲載されていた。

その一部を紹介すると、

・加害者の女子高生は長崎県でも有名な進学高校の一年生であったが、今秋からオーストラリア留学が予定されていため事件発覚まで3日しか登校していなかった。加害者は中学時代にはスピードスケート((500m)長崎県少年少女代表選手として、長崎県成年男子スピードスケート代表選手,1000m)の父親と共に第69回国体冬季大会(平成26年1月28日〜2月2日日光市で開催)にも出席したこともある。当時加害者の母親(東大卒、平成25年10月急死)は04年から2期8年佐世保市教育委員を務め、長崎県スケート連盟会長も務めていた。加害者の兄もスケート選手であったことがある。

・加害者の女子高生は小学校6年の時に同級生の給食に毒物を混入しているのを男子生徒に見つかり大問題となった。このとき加害者は、見つけた男子生徒に対し「ぶっ殺してやる!」とか「殺してやりたい」と言っていたという。加害者の父親は佐世保市内で弁護士事務所を開きその代表を務める有力者で県立○○高校のPTA会長を務める名士であり、加害者の母親は佐世保市の教育委員を務めていた。加害者の父親の父親は地元新聞のオナーであり有力者であった。この給食への毒物混入事件は加害者の両親がもみ消しに奔走し報道されることはなかった。この時だけではなく、加害者の両親のモンスターぶりは地域では有名であり、加害者の兄の学校に乗り込んでは、学校の経営方針にまで口出ししていたという。
つまり加害者兄妹はどんな問題行動を起こしても、モンスター両親が学校や相手の家に怒鳴り込んで、むしろ被害者や学校を脅したりするのが日常的になっていたようです。

・加害者は小学校卒業式でも問題を起こしたが、このときは母親が土下座して謝り外部に知れることはなかったとのこと。

・加害者はその後も猫を解剖するなど奇異な行動を繰り返しているが、いずれも父母がもみ消しに奔走し新聞沙汰にはならなかった。

・加害者の母親は平成25年10月に51歳で急死し、加害者の父親は妻の死後2ヶ月後20歳以上も年下の妊娠した女性と結婚した。

・今年に入って加害者は父親の寝込みを野球バットで襲い頭蓋骨が陥没し歯が砕ける重傷を負わせていた。

・加害者の父親は2014年7月5日(土) 九大ピアノの会 Summer Concert 2014で愛の喜び クライスラーを演奏したという。

・被害者の女子高生は友達の所へ行くといって自宅を出て、加害者のマンションを訪れ加害者から鈍器のようなもので頭を数回打撃された後、絞殺された。死体は頭、手首が切断され、腹部にも切り裂かれた跡があった。逮捕後加害者は“人体を解剖してみたかった”と話しており被害者へわびる言葉は発していない。

・長崎県佐世保市で高校1年の同級生を殺害したとして女子生徒(16)が逮捕された事件で、発生前の6月、県の児童相談窓口に寄せられた情報に「女子生徒は人を殺しかねない」との内容が含まれていたことが31日、県関係者への取材で分かった。県は生徒名が伏せられていたとして具体的な対策を取らなかったが、医師は名乗っていた。県と、報告を受けた県議会は、相談を放置した可能性もあるとみて対応が適切だったかどうか、経緯を調べている。
 県関係者によると、女子生徒を診察した精神科医が6月10日、相談窓口がある佐世保こども・女性・障害者支援センターに電話で連絡。精神状態の不安定さを懸念し「小学生の時に薬物混入事件を起こし、中学生になって父を殴打した。小動物の解剖をしている。このまま行けば人を殺しかねない」と相談。対策を求めたが、女子生徒の氏名は明かさなかった。精神科医の名前は明らかにしていたという。
県警は31日夜、殺人容疑で女子生徒の実家の家宅捜索を始めた。

などなど・・・

☆NHKをはじめ民放各社もこの事件には余り深入りせず避けている感がある。
 新たに発見される事実は加害者にとって不利な情報ばかりなので、NHKをはじめ民放各社は加害者を庇う立場 で報道を控えているように思える。

 昨年B787という最新鋭旅客機でバッテリー系統の故障事故が多発した。当初マスコミ各社はバッテリーを製造した日本メーカーに問題があるとして連日ニュース報道を盛んに行っていた。ところが問題の原因疑惑が韓国メーカーに及んだとたんに、マスコミ各社はこの報道を一切取りやめたという経緯がある。やはりマスコミ各社を牛耳る在日にしてみれば、身内である韓国に関する悪い情報は報道したくなかったのだろう。

 NHKを始めとするマスコミが、加害者に関する情報の報道を控えるのは、NHKを始めとするマスコミは加害者の味方であることを如実に示している。換言すれば、NHKを始めとするマスコミは日本人を殺めた加害者を庇っていることになる。

 丁度NHKと朝日新聞が、韓国人・朝鮮人犯罪者の名前を必ず通名のみで報道して韓国名を隠し、恰も韓国人・朝鮮人犯罪者が日本人であるかのように見せかけているのと似ている。NHKと朝日新聞は韓国人・朝鮮人犯罪者を庇っていることと同じだ。

☆ 一番の問題は加害者が悪いことをしたと思っていない所ではないか!!!!

別の言い方をすれば、人体解剖という自分の興味/欲望を満たすために躊躇なく人を殺したことになる。

加害者の親は、本来ならば悪事を働いた我子に注意すべき所を、何を勘違いしたのか学校関係者に怒鳴り込みモンスターペアレントとして事件のもみ消しに奔走した。この親の行為が我子を甘やかすことになり、善悪の区別が付かない歪な性格を持つ子供に成長させた。

同級生の給食に毒を混入させたり、父親の寝込みを襲い野球バット殴りかかり重傷を負わすなどの行為は尋常ではない。加害者は“自分は何をしても罪に問われることはない”と思い込んでいた感がする。そうだとすれば、加害者は立派な殺人犯罪予備軍だ。

まさしく精神科医が予言指摘した通り、加害者の高校一年生の女生徒は、つい同級生を殺し、死体を切り刻むというむごい犯罪を犯してしまったこことになる。

この精神科医の警告は、加害者の人権を尊重するというこことで無視され、結局殺人鬼の思うままに一人の女子高校生の命が唯々諾々と奪われてしまった。

今の日本では、加害者の人権は大きく尊重されるが被害者の人権は殆ど無視されている

弁護士、人権団体、マスコミ、文化人、学者等は加害者の罪を少しでも軽くするように一生懸命努力するが、被害者の人権を擁護する者はほとんどいない。犯人の罪を出来る限り軽減するように、弁護士が検察への答弁の仕方を加害者に伝授するので始末が悪い。被害者は、せいぜい再発防止を訴えて泣き寝入りするしかない!!!
   

平成9年に発生した「酒気薔薇聖斗(さかきばらせいと)事件」では当時中学3年生だった少年(14歳)が小学生5人を襲い2人を殺した。殺された男児(11歳)の 切断された頭部が中学校正門に置かれ、口の中には「酒気薔薇聖斗」名の犯行声明文が挟まれた極めて残虐な事件であった。この犯人の少年は、結局、精神鑑定後、医療少年院送致となり17年には退院し社会復帰している!!!

平成16年また同じく佐世保市で起きた「同級生カッター殺人事件」では、当時小学生の少女(12歳)が放課後学習ルームに同級生の友人である女児を呼び出しカーテンを閉めて床に座らせ、手で目を隠し背後から首と左手をカッターナイフで切りつけ、死亡させた。加害者の少女は 事件後、自立支援施設に送致され、現在21歳となり社会復帰している!!!

日本では『少年法』の存在によって、青少年であれば殺人という重大犯罪を犯しても、なんら罪を問われず堂々と社会に復帰できるのだ。

日本では、青少年で精神鑑定でOKが出れば、殺人のやり放題なのです!!!

皆さん、おかしいと思われませんか?????

加害者に優しく、被害者に冷たい今の日本は狂っていませんか???

これが法治国家なのか????


今回の事件で加害者の氏名も加害者の親の氏名も全く報道されず隠蔽されている。
インターネット上からも、加害者とその親に関する情報が次々と削除された事実がある。

人命を何よりも尊重する米国では、たとえ子供であっても重大・残虐な事件を起こした場合、成人と同じ刑法が適用されます。本人はもちろん、家族までもその名前、写真まで公表される。

日本でも、殺人などの重大犯罪を犯したことが確定した後では、少なくとも加害者である殺人の氏名と親の氏名は公表すべきである。

凶悪な犯罪を犯した子供に育ててしまったということで、加害者の親には、社会に対する責任がある。


昭和23年CHGの指導下で現行少年法が制定された当時の日本では、第二次大戦後の混乱期であり、食料が不足する中で孤児などが生きていくために窃盗や強盗などをする少年が激増し、また成人の犯罪に巻き込まれる事案も多かった。当時のこれらの非行少年を保護し、再教育するために現行少年法が制定されたものであり、少年事件の解明や、犯人に刑罰を加えることを目的としたものではなかった。

今回の佐世保女子高校生殺人事件,酒気薔薇聖斗事件及び佐世保市で起きた同級生カッター殺人事件は、現行少年法が対象とした『終戦直後で食料が不足する中で孤児が生きるためにやむを得ず犯した犯罪』とは全く次元が異なる。

今回の佐世保女子高校生殺人事件,酒気薔薇聖斗事件及び佐世保市で起きた同級生カッター殺人事件は、自らの興味・欲求を満足させるべく当初から殺人を目的とした確信的殺人犯罪なので、現行少年法の適用対象範囲外であり、米国の如く犯人が子供であっても成人犯罪と同じ取り扱いにすべきと考える。



<8月1日>

家人が家庭菜園から持ち帰ったスイカを切った所 熟れすぎで腐りかけていた。
ということは,早めに収穫しなければならない。

よって、熟れたと想われるものを採りに行き、3個収穫して帰った。

とりあえず、一番熟れた感じのスイカを切ってみるとまあまあスイカとして食べられた。

その中に高さ30cmもの大きなスイカがあったので、とりあえずその大きさに感激した。
DSCF8310.JPG

大きなスイカの味は2,3日後には判明するだろう。。。
posted by ヤマおやじ at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする