ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2014年06月30日

ネパールを救った現代の二宮尊徳 =近藤亨=

<6月29日(日)>

10時30分から17時39分まで莇ヶ岳・シャクナゲ尾根谷コースの草刈を行った。

6月24日にシャクナゲ尾根谷コースから弟見山に登った時、谷コースの雑草がかなり伸びていたが、時間の関係上草刈をはしょったので晴天の29日にしっかり草刈を行う目的で10時頃国道315号河内峠付近の屋敷林道入口に着き駐車した。

ここから≒800歩ほど徒歩ですすみ10時20分頃シャクナゲ尾根谷コース登山口に着いた。
大小本の草刈鎌を持参して10時30分頃から草刈を始めた。

今回はルートを中心に幅1mの草を刈り払うこととした。山アジサイが咲いている場所ではルートを外れていても、山アジサイの成長を期待して周囲の雑草を除去したのでその分予定外の時間が掛かった。

太陽は照りつけていたが涼風が吹きぬけ、日陰が意外とあったので、汗はかいたがそれほど暑く感ぜられなかった。

山アジサイが咲いている場所は意外と多く、その周辺の雑草除去に熱中すると本来の登山コース草刈がお留守になるので、途中からルートの雑草刈りに注力するようにした。

昨年もこのルートの草刈は4,5回やったが、山アジサイの記憶はない。いままで繁茂した木イチゴの勢いに押されて日陰の存在であったのだろうか???

谷コースでは今回5箇所くらい山アジサイの花を見つけた。その中で3箇所は、集団で花をつけており、この時期通過する人の目を楽しませてくれるのは有難い傾向だ!!!

谷コースは開始点が標高500mで谷筋に沿って北東に600m程度登りおよそ標高100mの高度を稼いだ後、本谷を離れ北に進み急傾斜をジグザグに登り標高700mの鞍部に至り尾根コースと合流する。その後シャクナゲ尾根筋を進み標高950mで莇ヶ岳・弟見山縦走路に合流する。

初めは勢い良く鎌を振るっていたが、やはり疲れが次第に溜まったので、道の駅柚木で買った柏餅を美味しく食べ昼食とした。今は亡き母親が毎年この時期に柏餅を作ってくれた子供時代を懐かしく思い出した。

14時辺りでは作業が嫌になり始めたが、まだまだ草の生えた道は100m位は残っていた。2日掛かりの草刈は嫌なので、ポカリスエットをがぶ飲みし、10m刈っては休み、その繰り返しでようやく16時前に長さ600mのコースで幅1m分の草刈を終えた。

今回も新しい発見があった。ハッカの発見である。草を刈っていると、独特のハッカの香りがしたので地面を見ると確かにハッカが生えていた。少なくとも2箇所でハッカの集団があった。

更に、薬草の“げんのしょうこ”らしき植物も見られた。“げんのしょうこ”は胃腸に効験がある薬草で子供の頃親父が採取し乾燥させた物を煎じて飲んでいたので良く知っている。この時期では特有のピンク色の花がさいていないので確証したとはいないが・・・

今まで谷コースで見つけた植物は、タラの木、ウド、ワサビ、山あじさい、ハッカ、げんのしょうこ、木いちご、ヨモギ、ふき などだ。草刈を継続していれば更に新しい有用な植物が見つかるかもしれない!!!


夕方のNHKニュースで、身元不明の認知症女性の氏名などの身元が7年ぶりにわかったと言う報道があり、警察がこの女性のパンツに記載されていた名前を誤ってコンピュータに入力したのが原因となり身元解明意が遅れたとし、この女性の夫なる人物がこのようなミスは許されないので再発防止を徹底して欲しいと語気荒く反省を求めている映像が流され、このような身元不明の認知症老人が最近急増しているが解決に決め手がなく大きな課題となっている・・・と報道していた。

いかにも警察の失態を指摘し、今の日本には難問山積だ・・・と言う印象を与えたNHK報道であった。

最近のNHKニュースでは解決方法があるのにも関わらず、あたかも未解決な課題が残っていると断定する報道スタイルが以前から気になっていた。勘ぐれば『今の政治が悪い』『安倍政権が悪い』と言う印象を植え付けていると見えなくもない。

確かに警察での名前の入力ミスは褒められたものではなく、再発防止は尤もである。

しかし良く考えてみると、この報道には大きな落とし穴があった。

認知症の疑いがある人には通常家族がいる。認知症の人は当てもなく色々な場所をさまようのは当然であり、家族としては、認知症の人の氏名・住所・連絡先が第三者に容易に判るように、例えば、それらの情報を期した布を衣服に縫い付けるなど、配慮するのが当然と思う(我が親父どのは認知症になり群境を超えて徘徊し見知らぬ家に上がりこんでいたが衣服に縫い付けられた氏名・住所・連絡先によって翌日家に戻ることができた)。

認知症の人が社会に役立つ行為をする確率は事実上ゼロであり、むしろ自分の家族や社会に迷惑を掛ける確率は相当高い。そのような認知の人の氏名・身元が容易に第三者に判れば、認知症の人の安全も素早く確保でき家庭に連れ戻すことができる上に、身元不明の認知症の人を探す手間も省け、身元不明の認知症の人を世話する機関への負担が減少するので一石三鳥のメリットがある。

上記観点からすれば、認知症の人の氏名・身元が容易に第三者に判るようにするのは、認知症の人がいる家庭では必須の義務といえる。

件のニュースで報道されたケースでは、本人の名前がカタカナでパンツに記載されていただけであった。
にもかかわらず、この認知症の女性の夫は、認知症の妻の名前・住所・連絡先が容易第三者に知らしめる7行為をせず放置し、妻が7年間も氏名・身元が不明となった原因を警察に押し付けていた。

この認知症の女性の夫は、認知症の妻の名前・住所・連絡先が容易第三者に知らしめる7行為を日常怠りなく継続すべきであった。日本では、当たり前のことが当たり前でなくなって久しい。

他人を非難する前に、先ず自分が果たすべき義務を果たしていたかが重要な点だ。
このNHKニュースでは、この認知症の女性の夫が果たすべき義務についてはなんら言及されていなかった。

自分がすべきことを棚の上に置いて他人ばかりを非難するのが最近の忌むべき風潮だ。
何か悪いことが起これば、全て政府が悪い、役人が悪い、世の中が悪い・・・のオンパレードだ。
自分が果たすべき義務は果たさず、権利の享受だけを主張する。
これは戦後になって顕著になった風潮だ。原因は基本的人権の乱用である。

北米大陸でインディアンの土地を収奪した張本人が叫ぶ人権を真に受ける日本人は、ナイーブ過ぎる。

北米大陸でインディアンの土地を収奪した米国に人権を語る資格がないと言う風な発言をした代議士は、反日マスコミから集中砲火を浴び政界から追放された。


国民の全てが上げ膳据え膳の生活を送れば国家は早晩破綻する。

国民が果たすべき義務を果たさず何から何まで国家に依存すれば、国民への社会サービスコストが急増し国家財政は大赤字になり国家は破綻する。

認知症の人の名前・住所・連絡先が容易第三者に知らしめる工夫は難しいことではない。
認知症の人着用する衣服に名前・住所・連絡先を記したもの(布など)を容易第三者に判る場所に装着すればよいのだ。

こんな簡単な対策があるにも関わらず、NHKは対策が困難だと大騒ぎしていた・・・馬鹿か!!!
反日マスコミの狙いは社会不安を煽ることであろう。。。


<6月30日(月)>

29日の7時間に渉る草刈作業の影響で腰痛を覚えたので休養に努めた。老年になるとやはり無理が利かないので、注意が必要だと痛感した。

溜まったメールを読みながら処分していると、久しぶりに快哉を上げたい情報にであった。

毎日毎日 反日マスコミから流される不快なニュース、日本を貶める報道の洪水にうんざりした日々が続いていたので、久しぶりに感動した。

参考までに以下にご紹介しておく。
情報源は、
わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」3351号014(平成26)年6月30日(月)。

〜〜〜転載開始〜〜〜
『ネパールを救った現代の二宮尊徳』 by 伊勢 雅臣

近藤亨さんは70歳の誕生日に単身ネパールの秘境に旅立った。
飢えと寒さに泣いている大勢の子供たちを救うために。

■1.70 、単身でネパールへ出発

ネパールで十数年も国際協力事業団(JICA)の果樹栽培専門家として現 地
指導をしてきた近藤亨(とおる)さんが定年を迎え、無事に帰国をした
のを祝って、東京で盛大な帰国祝賀会が開かれた。平成3(1991)年のこと
である。

ブラジルから駆けつけた学友の佐藤隆・元農相はじめ、各界の名士の祝
辞が続いた後、近藤さんが答辞に立った。激励に感謝し、JICA時代の
悲喜こもごもの思い出を語った後、最後に威儀を正して、こう言った。

「皆様、私はこれから再び、今度は一個人の奉仕活動としてネパール中で
も秘境中の秘境ムスタンへ間もなく旅立ちます。今後はJICAを離れて
全く個人の支援活動ですから、何卒(なにとぞ)一層の熱いご支援を賜り
たく切に切にお願い申し上げます。

秘境ムスタンでは、この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たち
が私どもの温かい援助の手を必死で待ち望んでいるのです。どうぞ宜しく
お願い申し上げます。」[1,p18]

思いがけない決意表明に、会場は一瞬シーンとなり、やがて満場の拍手
が湧き起こったが、それが静まると今度は騒然となった。近藤さんの奥さ
んと娘さんたちは詰め寄って、これまで何も聞かされていなかった、と憤
り、佐藤氏も友人として「家庭を守り頑張ってこられた奥さん娘さんと一
緒に人並みな家族生活を営んだらどうか」と切々と苦言を呈した。

近藤さんは、こうした猛反対を予想して、あえてこの公の場で自らの決
心を公表して、退路を断ったのである。家に帰ってから、近藤さんは家族
を集めて、声涙下る思いで堅い決意を伝えた。

「このたびの親父の我が儘をどうか黙って許してくれ。必ず、私は秘境の
貧しい村人を救うため、立派な仕事をして見せるから。」[1,p19]

決心を変える人間ではないことをよく知っている家族は、半ば諦め、半
ばあきれかえった。さらに近藤さんはムスタンでの活動費を捻出するた
め、先祖伝来の家屋敷や山林まで手放した。

平成3(1991)年6月18日、家族が見送る中を、近藤さんはムスタンに 向
けて旅立った。79歳の誕生日であった。

■2.「この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たち」

ムスタンは、ヒマラヤ山脈の北側にある。標高3千〜4千5百メートル
の高冷地で、毎秒10〜 20の強風が一年中、昼から夕刻まで吹き荒れ
る。さらに年間降雨量が100〜150ミリという超乾燥地帯でもある。 世界
でも希に見る、農業に不向きな土地であった。

住民が畑で作り、主食としているのは、裸麦、ライ麦、ソバだけで、野
菜はソバの緑の葉を茹(ゆ)でて食べる、それがなくなれば、川辺の雑草
を食べる。肉や白米は冠婚葬祭の時にしか口に出来ない。これでは栄養も
偏り、平均寿命は45歳でしかなかった。

働き手は男女を問わず、カトマンズや、国境を越えてインド、タイ、シ
ンガポールまで出稼ぎに行くが、自分の名前すら書けないので、どこへ
行っても最低賃金の重労働の仕事しか得られない。

「この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たち」というのは、誇
張ではなく、近藤さんが見てきた現実であった。

ムスタン地方の貧しさを救うべく、アメリカの自然保護団体が5年の年
月と巨費を投じて、植林を試みたが、失敗して3年前に引き上げていた。
またネパール政府がリンゴ栽培や畜産などの農業振興に取り組んでいた
が、いずれも厳しい気候条件下で失敗していた。

近藤さんは、そんな秘境の地に、70歳の老齢ながら、単身で乗り込ん で
いったのである。


■3.黄金の稲穂

近藤さんが取り組んだプロジェクトの一つに、高地での稲作がある。日
本一の水稲王国新潟で生まれ育った近藤さんは、黄金の稲穂をこの地で生
み出そうと決心した。

もともと熱帯性植物であるイネを、品種改良してきたとは言え、高地栽
培は日本でも新潟や長野などでの標高1千mが限界だった。それをいきな
り標高2750mの河川敷台地で栽培しようとしたのである。成功すれ ば、
世界最高地での記録となる。

近藤さんは、北海道や青森などの試験場を訪ねて、冷寒用品種の種子を
分けて貰い、試しに植えてみた。いずれも、出穂期、穂膨(ばあら)み期
までは順調の発育するのだが、最後はすべて「しいな(皮だけで実のない
モミ)で終わってしまう。

そんな時、故郷の農業試験場の専門家から、重要なアドバイスを得た。
稲はどんなに立派な穂が出来ても、出穂期に15度以下に気温が下がる
と、「しいな」になってしまう、というのである。

それならと、7月の初めから田んぼの上全面にビニールシートを懸け
て、保温してみようと思い立った。しかし、問題は毎日吹く風速
10〜20mの強風である。これに吹き飛ばされないように、ビニール シー
トを張らなければならない。

そこで、水田の中に、大量の竹を高さ1mほどに立て、その上に縦、
横、×字に竹を指し渡して、ビニールシートをしっかりと固定した。

3千m近い高地だが、日差しは強い。ビニールシートの下は朝でも水温
20度とむっとする温度を保った。毎日、祈る思いで水田を見た。やがて
見事な黄金の稲穂が立ち並んだ。どの株も丸々と太り、着粒数も申し分な
かった。

平成8(1996)年9月、苦節4年にして、ネパール人青年スタッフたち
と、初めての稲刈りを喜びに沸きながら無事に済ませた。その夜、近藤さ
んは感激に胸が震えて、いつまでも寝付かれなかった。


■4.石垣ポリハウス

近藤さんは、この技術を発展させて、標高3千6百mの高冷地ガミ農場
で試してみる事とした。富士山頂に近い高さである。

その矢先に、郷里の米作りのアドバイサーから再び貴重な助言が届い
た。ポリエステル波板パネルを使えば、ビニールシートより高価だが、耐
用年数は15年から20年に延びるという。

さっそく調べてみると、幸運にもカトマンズで、昨年からポリエステル
生産工場が操業を開始していた。すぐに透明パネル200枚を発注して、 車
で運べる所まで運んで貰い、そこからは一人10枚づつ背負って、人力 で
ガミ農場まで運んだ。

パネルは高価なので、少しでも安価に仕上げるために、側面を石垣で囲
い、屋根だけポリエステルパネルで張ることにした。石垣は厚さ60セン
チ、屋根側は2m、裾側は1.5mとして傾斜をつけた。石と石の隙間は
泥で密閉した。

石垣作りは家造りに使われる技術で、この地方の人々にはお手の物だっ
た。大小の岩を鉄のハンマーで打ち砕き、小さい金槌(かなづち)で手頃
の大きさに形作る。それを直線に張った縄に沿って、垂直に積み上げるの
である。


■5.「こんな高地でよくも素晴らしい稲を実らせたものだ」

石垣とポリエステルパネルの組合せは威力を発揮した。日中の強烈な太
陽光線による輻射熱がハウス内に籠もり、春から晩秋まで最低でも20度
以上、最高は35度に達した。深夜、早朝の外気温は10度前後でも、ハ ウ
ス内は常夏の熱帯〜亜熱帯の気候である。

これに自信を得て、今までの対寒冷用水稲品種ではなく、人気のあるコ
シヒカリを植えた。石垣ポリハウスの高い保温力で、これまでのビニール
よりも稲の草丈も優り、豊かな実をつけた。

正式な収量測定のために、国立作物試験場のシレスター博士にカトマン
ズからヘリコプターで来て貰った。早速、石垣ポリハウスに案内すると、
博士は驚嘆の声をあげた。「ミスター近藤。こんな高地でよくも素晴らし
い稲を稔らせたものだ」

正式な収量調査の結果に、博士は仰天した。「なんと素晴らしいことで
あろう。10アール当たり600キログラム弱、これはネパール平野部の 水田
地帯に比べて、50パーセント近く多い収量ですよ」

石垣ポリハウスは、野菜を作るのにも威力を発揮した。稲の刈り取り
後、あるいは通年使う専用ハウスで葉菜類やトマト、ナス、キュウリ、日
本カボチャ、メロンなどが次々と見事に実った。真冬でも冬野菜を作っ
て、新鮮な状態で食べることができるようになった。


■6.魚の養殖

稲作と並行して進めたのが、魚の養殖である。チベット高原を源流とし
て、雪解け水を集めながらムスタンを流れるカリ・ガンダキ川上流は、激
流のため魚が住める環境ではなかった。そのため、ムスタンではこれまで
魚を見たこともない人たちが大部分であった。

近藤さんは水稲栽培のために、溜め池を作り、冷たい雪解け水をパイプ
で引き、そこで太陽光で水を温める事を考案していた。その溜め池で魚を
養殖すれば、一石二鳥である。

ネパールの国立養魚試験場から鯉の稚魚を入手し、ニジマスは日本の十
和田湖の水産試験場から受精卵を分けて貰った。飼料は近隣でとれるソ
バ、ライ麦などに、カルカッタから入る養鶏用の海魚の乾燥魚骨を混ぜて
団子状にして与えると上々の食いつきだった。

稲作が成功した後は、田植えを終えた水田に鯉の稚魚を放し飼いした。
ハウス内の高温で育ちも良く、9月上旬までの3ヶ月あまりの間に、
2〜3センチの稚魚が10センチ前後に成長した。稲刈り直前に鯉をため
池に移し、食べたいときに池から捕って、食膳に供する。近所の子供たち
も珍しそうに魚を見に来る。

4年目の11月中旬、試しに食べ頃のニジマスや鯉を100キログラ ム、市場
に出した所、あっという間に売り切れた。牛・豚・鶏の肉を忌み 嫌うヒ
ンズー教徒の多いネパールで、魚は貴重な動物性タンパク質源とし て歓
迎されたのである。

インド国境近くでも、鯉の養殖がJICAの協力で行われていたが、生
活汚水などの影響で、味は泥臭さが抜けきれない。しかし、ムスタンの鯉
は、ヒマラヤ山麓の水で養殖しているからおいしく、ニジマスも寄生虫の
心配がないので刺身でも食べられるのである。


■7.「ムスタンのリンゴ」

加藤さんはもともと果樹の専門家で、JICA時代にムスタンの状況を
調べて、耐寒性の強いリンゴ、アンズ、ブドウ等の果樹栽培を提案してい
た。その提言に従って、ネパール政府がリンゴ栽培に乗り出したが、失敗
していた。指導すべき技師たちが、ムスタンのあまりにも厳しい気候に耐
えきれず、定住を拒んだのである。

近藤さんは、自分の提言は決して間違ってはおらず、失敗の原因は、何
がなんでもやり通すという意欲の欠如と、ムスタンの厳しい気象条件を無
視した技術指導にある、と考えた。

おりしも、リンゴ栽培に失敗したドンバ村の人々が、助けて欲しいと依
頼してきた。そのリンゴ園を実際に見て、近藤さんは驚いた。8ヘクター
ルの園地を立派な高い石垣で囲み、一番高い所に大きな貯水池が設けら
れ、通水路も立派に作られている。

しかし、葉は未だ9月中旬なのに黄色がかって小さく、所々実がついて
いる木は鈴なりに小さいリンゴが成り放題だった。近藤さんは、2,3年
のうちに、立派なリンゴ園に蘇らせてやろうと決心した。近藤さんは村の
優秀な若者数人を集めて貰い、手取り足取りの指導を始めた。

「うまい大きなリンゴを栽培するには絶対にこんなに鈴なりにならせては
いけません。一つの花群に一つ、それも一番真ん中の果実のじっくり太っ
た中心の実を一つだけ残し、後は全部間引いて捨てるのです」。

さらに丈の高い幹を切って、低い位置で実を成らせ、風にやられないよ
うにする、どの枝にも日光が良く当たるように剪定する事などと教えた。
若者たちは理解も早く、近藤さんの手足となって良く働いた。

数年を経て、立派なリンゴがたくさんとれるようになった。「ムスタン
のリンゴ」としてブランド化され、ネパールの高級スーパーでも取り扱わ
れるようになった。[2]


■8.「日本人の根性」

近藤さんはさらに、松や檜の植林、乳牛の飼育とミルクやバターの生
産、小中学校や病院の建設など、八面六臂の活躍を続けている。今も91
歳の老齢をものともせず、標高3600mの高冷地の一室に暮らしなが ら、
ムスタンの人々のために尽くしている。

こうした功績が高く評価されて、2013年にネパール民主政府から最高栄
誉となる「スプラバル・ジャナセワスリー1等勲章」を外国人としては初
めて受賞した。

ムスタンでは近藤さんを知らない人はいない。近藤さんがどこに行って
も、子どもからお年寄りまで「近藤バジェ(おじいさん)ナマステ(こん
にちは)」と笑顔で挨拶してくる。

「真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資、金品の一方的供給では
ない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をはらう
時、初めてその真価が現われるのである」と言い、「ボランティアや
NPOもこういう日本人の根性を勉強しなければいけない」と笑う。[2]

近藤さんの言う「日本人の根性」とは、江戸時代に多くの農村の復興を
指導した二宮尊徳を思わせる。その土地の自然に随順しながら、自らの工
夫と努力で豊かな生活を作り上げていく。それは自然を守りながら、豊か
な生活を作り上げるわが国伝来の道である。


■リンク■

a. JOG(825) 「ブータン農業の父」、西岡京治
30年近くもブータンで農業振興に尽くし、国王からダショーという最 高
の称号を贈られ、死しては国葬に付された日本人。
http://blog.jog-net.jp/201311/article_6.html

b. JOG(765) 朝鮮農村の立て直しに賭けた日本人
荒廃した朝鮮の農村を建て直そうと、重松は近代的養鶏の普及に取り組
んだ。
http://blog.jog-net.jp/201209/article_3.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1.近藤亨『ネパール・ムスタン物語』★★★、新潟日報事業社、H18
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4861321840/japanontheg01-22/

2. 越後ジャーナル「近藤亨さん、ネパール最高栄誉1等勲章受章 ムス
タン地区農業開発の功績認められ」
http://www.palge.com/news/h25/1/20130130kondo.htm
〜〜〜転載終わり〜〜〜

このネパール・ムスタン地区での近藤亨の快挙は、サッカーワールドカップ優勝よりも数百倍、数千倍もの価値があると感じる。

サッカーワールドカップ優勝は世界中に興奮を与えはするがあくまで与えるものは一過的な余興に過ぎない。

しかし反日マスコミは、近藤亨の快挙を報道せず、サッカーワールドカップ報道に血道を上げている。反日マスコミは、日本を貶める報道、スポーツ・セックス・スクリーンで日本を弱体化する報道には極めて熱心である ことに多くの人々は気付いていただきたい。
posted by ヤマおやじ at 23:03| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

塩村文夏都議への野次騒動の裏側にあるものは?

最近に限ったことではないが、不審な出来事が多い。

一例を挙げれば、
@2014年6月18日開催の東京都議会での塩村文夏都議への野次がマスコミで大きく採取り上げられているのは極めて異常!!!!たかが都議会での野次ぐらいで大騒ぎするほうが極めて異状。。。

A脱法ハーブが野放し状態となり死者を含む被害者が続出しているが、未だ麻薬として禁止されるに至っていない。これも国民の安全確保に対する当局の怠慢のように思える。

““「脱法ハーブ」がらみの交通事故が急増 11年ゼロが、13年は38件に”

6月24日午後8時前、東京都豊島区西池袋1丁目の路上で、大型常用車が歩道を約40メートル暴走し8人の歩行者をはね飛ばす事件があり、そのうち20代の女性1人が死亡し、男性1人と女性2人が重傷を負ました。車は歩道にあった電話ボックスに衝突し停止した。

車を運転していた飲食店経営者・名倉佳司容疑者(37)は自動車運転処罰法違反で現行犯逮捕され、「脱法ハーブを池袋周辺で買って、車の中で吸引した」と供述している。

「警察に声をかけられるまでのことは、まったく覚えていない」、「脱法ハーブは、これまでにもやったことがある」とも話した。目撃者によると、車中の名倉佳司容疑者は明らかに意識朦朧状態であったとのこと。

この事件後、古屋国家公安委員長は“脱法ハーブに対する別の呼称を全国から募集したい”という寝言じみた発言を発表しただけに終わった。

脱法ハーブを麻薬に指定し、製造・輸入・販売・使用を全面的に禁止し、違反者には厳罰(死刑)を課さないかぎり、脱法ハーブによる犠牲者は増加の一途を辿るであろう。

B 容疑者/犯人の逃亡事件が繰り返し発生している。

NHKニュースセブンによると、
2014年6月27日、警察に逮捕された男が新潟地裁から逃走し、5分後に直線距離で350メートル離れた新聞販売店で身柄を確保され逃走の疑いで逮捕された。逮捕された容疑者などが逃走する事件は全国で相次いでいて、1月には横浜地検川崎支部から男が逃走し2日後に逮捕された。逃走事件が起こる度に検察庁は容疑者の腰縄をしっかり固定するなどの対策を支持してきたが、最高裁判所によると勾留質問の際には人権を配慮して腰縄外すことが通常だという。新潟地検の青野洋士所長は「皆様に不安を与え大変申し訳なくおわび申し上げる」とコメントした。

<最高裁・日本弁護士会の正体>
容疑者・犯人の人権には格段の配慮を行い手錠や腰縄を外すという最高裁の方針には、容疑者・犯人の逃亡による社会への不安・危険増大に対する配慮は微塵も感じられない。これが最高裁の正体である。

日本弁護士会は、裁判所内で容疑者・犯人に手錠や腰縄を装着すると悪人である印象を強めるので容疑者・犯人への人権上の配慮から手錠や腰縄を外させるように最高裁判所へ申し入れた経緯がある。

日本弁護士会も容疑者・犯人屁の人権を尊重するあまり、容疑者・犯人の逃亡による社会への不安・危険増大には目を瞑っている。これが日本弁護士会の正体だ。


< 東京都塩村文夏都議への野次騒動の裏を探る>

この騒動の裏には反日マスコミが隠蔽した色々な不審点が隠されている。

1.野次の中身がテレビ報道では捏造されて報道された。
野次の音声記録では『みんなが結婚すればいいんじゃないか』とあったが、

NHKでは音声では『みんなが結婚すればいいんじゃないか』と流れたが、ニュース字幕では“結婚したほうがいいんじゃないか”と捏造して表示された。

他のテレビ、日本テレび、TBS、フジテレビ、テレビ朝日では、音声を小さくするか音声を消して、ニュース字幕では“早く結婚したほうがいいんじゃないか”とか“早く結婚しろ”などと捏造して表示された。

『みんなが結婚すればいいんじゃないか』と言う野次は、セクハラでも何でもない。しかし、“早く結婚しろ”という野次があったという捏造ニュースはセクハラと見なされる確率が高い。

NHKを初めとする反日メディアは、セクハラ問題に仕立て上げるために口裏を合わせたように字幕を捏造した感がある。

2.塩村文夏都議がツイッターで主張している「子供を産めないのか」という野次については、音源再生でも存在せず、実際にはなかった可能性が高い。

3.野次を受けた塩村文夏都議が外国特派員協会で会見し「安倍首相にコメントいただきたい」「不妊に悩む女性からは『絶対に許してほしくない』『追及してほしい』という声があった。」「他に発言した都議が名乗り出ない場合に刑事告訴排除せず」と発言している。

たかが都議会レベルでの野次のやり取りに関して、安倍総理を引っ張り出すのは何か不純な意図が感ぜられる。

4.塩村文夏都議の汚すぎるすざましい過去の言動

ウイキペディアでは
〜1978年7月6日 - )は日本のエッセイスト、放送作家、元グラビアアイドル、東京都議会議員である。芸能事務所、オフィス・トゥー・ワン所属。都議会議員になる前は『恋のから騒ぎ』に出演。「美人すぎる自動車ライター」、「美人すぎる放送作家」などとして雑誌に紹介された。都議会議員となった後は、都議会会派「みんなの党 Tokyo」副幹事長、厚生委員会 副委員長(2013年より)、動物愛護管理審議会 委員(2013年 - 2014年)、東京都議会東京多摩国体推進議員連盟、と言った活動のほか、動物愛護に関連した活動も行っている。〜とあり

まさに グラドルから東京都議員への華麗なる転身だ。。。


塩村文夏都議の汚すぎる過去は色々あるが、代表的なものは、
 
『交際中の男性に妊娠したと嘘をつき1500万円受け取った』話は、塩村文夏都議自身が過去に出演したテレビ番組で明石屋サンマに告白している。彼女は過去交際した男性からは全て慰謝料をゲットしたとも自慢していた。

東京都議選挙で借りた選挙事務所の家賃滞納のトラブル、みんなの党倫理委員長三谷英弘衆院議員との不倫疑惑、都議選挙事務所の家賃滞納200万円の内50万円を三谷英弘衆院議員が支払った話、朝日新聞社員との不倫話などもボロボロ出てきた。

別のテレビ番組(アイドルグループ・KAT-TUNの赤西との対談)で塩村文夏は、“交際中の複数の男性とは全て肉○関係を持つ、ないほうがおかしい “とも明言しており、複数の男性相手の不倫の同時進行は以前からのお家芸だったのかも知れない。

5.所属するオフィス・トゥー・ワンという芸能事務所も臭い。

この事務所には久米宏や森永卓郎が所属。久米宏は有名な反日ニュースキャスターであり、森永卓郎は“日本は軍備を持たず中国に征服されても良い、昔日本という平和国家があったとさ、といわれても良いではないか!!!”と広言してはばからない親中反日売国奴。とすればオフィス・トゥー・ワンに所属する塩村文夏都議は単なる普通の東京都議ではないだろう。むしろ塩村文夏が反日売国奴勢力の一員であることを物語っている。

これらの情報からすれば塩村文夏都議はとんでもないアバズレ反日売国奴という裏の顔が浮かんでくる。

6.塩村文夏都議と反日マスコミとのタイムリーな連携プレーと、たかが地方議会でのささいな野次を外国特派員協会と言う大舞台で過大化させた不審な実態を総合すると・・・、、今回の東京都議会でのささいな野次事件を針小棒大に捏造増大させて安倍政権の女性支持票を低下させる目的で、反日マスコミを束ねる電通が陰で策動した一大宣伝ショーであった・・・という説もまんざら否定できない気がする。

仮にそのような電通の卑しい策謀があったにせよ、塩村文夏都議の汚すぎる過去が裏目に出たので女性同情票は集まらず、目的達成はままならなかった感がある。

中国の目の上のたんこぶである安倍政権に対し、親中反日勢力は安倍降ろしに躍起となっている。

反日マスコミが騒ぐ時には、何か裏が隠されている!!!

要注意、要注意、要注意。。。。
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2014年06月27日

ゆり満開の弟見山 & 稲盛和夫はブラック企業の元祖???


<6月23日(月)>:au版しつこい回線乗り換え攻勢

夕食時に当方が契約しているインターネット回線サービスに関する確認電話があった。

女性からの質問に答えていくと、“回線そのものはNTT回線を利用するので現行契約をNTTからauに切り替えると千円/月ほど安くなる”という。

当方は『インターネット回線使用状況調査』という電話の主からの言葉を真に受けて、契約変更勧誘電話とは知らず、“料金が千円/月ほど安くなるのはいいことだ”と話した。

その後20時過ぎに、件の女性の上司と言う男性から電話があり、使用回線をからauに切り替える段取りを説明し始めた。auが指定する日時にルーターを切り替えるので、その後当方からの電話連絡で契約変更手続を開始するとのことであった。

この男性の電話応対は極めて高圧的であり、電話の内容には、NTT回線を利用することは強調するが、回線契約変更勧誘という目的をau側が一切切り出さず話が回りくどく混乱したので、電話の主にむかって“お前は日本語が話せないのか”と切り出すと、相手は感情的になったのでひょっとすれば外国人かもしれなかった・・・

そのときは、相手の余りにも高圧的電話内容に影響されて、インターネット回線サービスをNTTからauに切り替えると違約金支払いが発生することを失念していた。

実は、3ヶ月位前にもau側からインターネット回線サービス契約切り替えの勧誘があったがこの時も、契約切り替え勧誘の意図を隠して回線料金低減化のみをしつこく強調したので断った経緯があった。

その後、現時点でNTTとの現契約を変更すれば1万2千円なにがしの違約金支払いになることが判ったので、au側に回線切り替えは行わない旨電話した。その後、速達で違約金はau側が支払うとの速達郵便が送られてきた。電話の主はau回線切替専門の代理店であった。

この一連の出来事を通じてauへの回線切替を執拗に強引に進める会社の本性が垣間見えた

その理由は、
@ au側は、目的である“契約切り替え勧誘の意図”を決して明かさなかった。
A NTT回線を利用するということを強調し、あたかもNTTとauとの共同事業であるかのような印象を与えた   が、実際には両者間には共同事業に実態はなかった。
B 夕食時でも、夕食後のくつろぎ時間帯にも関わらず、auは強引の電話をかけてくる。
C 契約変更を断っても、断ってもしつこくauへの回線変更を迫ってくる。
D 特に男性社員は電話作法が身についていない。話す日本語が判り難い・・・韓国人か中国人か?要はえげ  つないのだ。日本人としての最低限の品が感ぜられないのだ。

上記から『auは日本企業としてはまともではない』と言う結論に達した。

AuはKDDIが経営するケータイ電話会社だ。
KDDIの創始者は京セラを一代で大企業に育て上げた稲盛和夫氏だ。
稲盛和夫氏は歴代民主党政権(鳩山、管、野田内閣)で内閣特別顧問を務めた実績があるので胡散臭さを感じていたので、少し調べて見た。

<稲盛和夫氏関連情報>

実業家。京セラ、第二電電(KDDI)創業者。小沢一郎とは新進党時代から親しく、また京セラの本社がある京都市を地盤とする、前原誠司の有力な後援者。妻は「韓国農業の父」と言われる禹長春の四女。

ウイキペディアによると、稲盛和夫氏の役職名は
•株式会社京都パープルサンガ代表取締役名誉会長
•京都工芸繊維大学経営協議会委員
•一般社団法人京都経済同友会特別幹事
•京都商工会議所名誉会頭
•公益財団法人稲盛財団理事長
•財団法人日独文化研究所理事
•財団法人京都大学教育研究振興財団理事
•財団法人日本経済研究奨励財団評議員
•社団法人日本躾の会副会長
•財団法人松下政経塾相談役
•財団法人大河内記念会顧問
•社団法人京都モデルフォレスト協会特別顧問
•財団法人花と緑の農芸財団評議員
•財団法人鹿児島県文化振興財団理事長
•上賀茂神社崇敬会顧問
•八坂神社崇敬会会長
•京都福祉法人盛和福祉会理事長
•京都鹿児島県人会会長
•京都大学総長顧問
•鹿児島大学学長諮問会議委員・稲盛アカデミー名誉アカデミー長
•株式会社京都放送取締役相談役
•日本航空株式会社名誉会長
•内閣特別顧問(鳩山内閣、菅内閣、野田内閣)
•財団法人国立京都国際会館理事長
•アメリカン・セラミック協会終身名誉会員
•スウェーデン王立科学アカデミー海外特別会員
•ワシントン・カーネギー協会名誉理事
•全米工学アカデミー外国人客員会員
•在京都パラグアイ共和国名誉領事
•中国友好平和発展基金会名誉顧問
•盛和塾塾長(全国61カ所、会員約5600人。経営者向けの私塾。)
と綺羅星の如く華やかである。

一方では、
『“元祖ブラック企業”、稲盛和夫氏の京セラ』
http://utsunomiyasoh.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
というブログがあった。

ヤマちゃんおやじも現役の頃、稲盛和夫氏による“アメーバ経営”なる経営書を読んだが”吉本興業の如く単なるドケチ経営でしかない“という印象を受けた記憶がある。

稲盛式経営の実態をみれば、日本航空業績V字回復の「功績」も、1万6000人の社員削減などといった社員を犠牲にしたところが大きい。

滋賀県知事嘉田氏は「びわこ宣言」を発表。東日本大震災後初の国政選挙であるにもかかわらず、原発のない社会に向けての議論は不透明なままだ、と指摘。「自民党はこれまで原発の安全神話をつくり、事故への備えを怠り福島事故に対する反省は一切なく、原発推進ともとれるマニフェストを発表した」と批判した。
びわこ宣言の賛同者には京セラ名誉会長の稲盛和夫氏、音楽家の坂本龍一氏、俳優の菅原文太氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏、脳科学者の茂木健一郎氏が名前を連ねている。

稲盛和夫氏は、日経ビジネスオンライン2013年3月25日(月)において『中国とは「徳」で接せよ』と主張した。

その言い分は、“もともと中国は数千年の歴史の中で、孟子や孔子を含めて、立派な哲学者を出しておられる。素晴らしい哲学を説いてこられたので、普通の方にもそういう素養があるんです。覇権ではなしに、王道や徳で、日本は中国とつき合っていくべきだと思います。 徳とは仁と義です。優しい思いやりの心がベースにあって、素晴らしい仕事をしながら相手を慈しみ、愛し、ビジネスを展開していく。これを続けて、日本人の立派な人間性を分かってもらえれば、彼らも日本人を尊敬してくれるんじゃないかと思っています。”であった。

こうしてみると、稲盛和夫氏のかみさんが韓国人であり、朝鮮人系反日政治家の小沢一郎・前原誠司を応援している所からすれば、稲盛和夫氏は韓国への思い入れが強い様に思われる。

また反原発を謳った滋賀県知事嘉田氏による「びわこ宣言」の賛同者の顔ぶれを見れば、いずれも反日左翼のオンパレードである。ちなみに滋賀県知事嘉田氏の支持母体は狂人左翼集団社会主党である。

稲盛和夫氏が『中国とは「徳」で接せよ』と主張した所からは察すれば、稲盛和夫氏の中国人観はまるで素人同然であるにもかかわらず、堂々と的外れな主張を臆面もなく公言していることが露見した。この厚顔・鉄面皮ぶりは日本人のものではなく、中国人・朝鮮人に通じるものを感じさせる。

以上から稲盛和夫氏は、親韓・親中の反日実業家であり、表面上は人畜無害どころか一見大功労者に見えるが、実際は相当の反日売国奴ではないかとの疑念を払拭できない!!!

<6月24日(火)>

弟見山にかたくりの実を採取に出かけた。かたくりの実を採取してシャクナゲ尾根に撒けば、からくりの花が咲くかもしれない・・・と言うアイディアが得られたからだ。実を撒いてから花が咲くまで8年掛かるという情報もあり、先の長い話ではあるが・・・・夢かもしれない。。。

7時30分過ぎに自宅を出発し、9時前にシャクナゲ尾根登山口に駐車し歩き始めた。梅雨の真っ最中であり、谷コースは10日前に草刈したにもかかわらず草が大きく伸びていたので、当初予定になかったが大鎌を振り回し谷コースの草刈をしながら登った。

今回も新しい発見があった。前回までは見られなかった山アジサイが数株見つかったことで驚いたり喜んだりした。
DSCF8279.JPG
<谷コースに咲く山あじさい>

結局11時頃まで草刈をする羽目になった。その後鞍部に至り、そこからルートに生えた笹を刈り取りながら登り13時30分頃ようやく莇ヶ岳・弟見山縦走路に着いた。ここでムスビの昼食を済ませ、先日取り付けた案内板の固定を強化した。
DSCF8280.JPG <新装なったシャクナゲ尾根コース案内板>

ここで本来の目的であるカタクリの実をとるために弟見山に向った。983mピークに登る急坂で男女のハイカーと出会い挨拶を交わした。

莇ヶ岳から登ってこられたのですか?と聞かれたので、認知症のためか咄嗟に名前を思い出せず○○尾根コースを登ってきました・・・と答えた所、シャクナゲ尾根からですね・・・と補足されたので嬉しくなった。これを聞いて、シャクナゲ尾根コースも少しは知られるようになったのか!!!・・・と一人ほくそ笑んだ。

当方が余りにも疲労困憊して見えたのかどうかは判らないが、“弟見山の山ゆりが素晴らしかったですよ”と朗報を教えてくれたので、俄然疲れが吹っ飛び足も軽くなったのは、非常にありがたかった。その後老年の単独行男性と出会う。

縦走路の途中にも散発的に山ゆりに開花が見られた。
しかし驚いたのは、弟見山展望所から山頂まで続く山ゆりのオンパレードであった。
DSCF8285.JPG  < 山ゆりのオンパレード >

少なくとも100本以上はあったのではないか!!!! これほどの山ゆりの群生を見るのは過去10年もの山歩きでも始めてであった。
DSCF8282.JPG < 咲き誇る山ゆり >

この山ゆりの群生は、『自然を愛する会』の方々が4年前から山頂付近の笹刈を続行されて来られた賜物ではないかと推定した。
DSCF8289.JPG < 並んで開花を待つ蕾 >

さていよいよカタクリの実の採取であったが、カタクリの実を納めた袋の色は薄緑から薄い褐色に変じていた為、非常に判り難くなっていた。 しかも折角カタクリの実を納めた袋を苦労して見つけても、すでに袋からカタクリの実がはじけ出て四散しているケースが殆どであった。

こんなことなら、草刈などするのではなかった・・・と悔やんでも後の祭りである。ようやく10粒ばかりのカタクリの実を拾い集めることが出来た・・・ヤレヤレ!!!

シャクナゲ尾根分岐点付近で4粒の実を植えた。残りはカミサンへの土産とした。

復路も谷コースの草刈をしながら下ったので駐車場に着いたのは18時になった。
19時過ぎに無事帰宅した。今回の累計標高差はおよそ690mであった。想定外の山ゆり群生と山アジサイに出会えたのはあり難かった。感謝、感謝、感謝!!!!


<6月25日(水)>
サッカーワールドカップ日本対コロンビアをテレビ観戦した。日本は第1戦、第2戦よりも攻撃的であったが、1−4で敗れた。世界ランクからすれば当然の結果かもしれない。系統的な守備にも問題があるし、なによりも決定力不足が最大の弱みだと感じた。

NHKを初めとするマスコミどもがはやし立てた悪くても8強〜16強、あわよくば優勝などは、全くの与太話しに終わった。所詮日本のマスコミなど無責任極まりないものだ。

ザッケローニ監督は、第1戦で日本が1点先取した後守りに入ったのは監督の指示であった事を明らかにした。これも一次リーグ敗退原因の一つかもしれない。

日本敗退の原因探しが始まっているが、ザッケローニ監督を悪者とする論調が多い。代表的なものは“、ザッケローニ監督の関心は日本チームの強化ではなく、自分の欧州サッカー界での復帰であった”、 ”ザッケローニ監督が頻繁に話を交わした日本選手は本田、長友、香川など欧州で活躍する選手ばかりであり、日本リーグ組とは殆ど会話がなく、ザッケローニ監督自らが本田、長友、香川の欧州有名チームへの移籍に積極的に関与しており、その実績をてこに欧州サッカー界での監督復帰を狙っていた”、etcがある。

往年の名選手である釜本氏は、今年1月にザッケローニ監督をぼろくそに非難していたが結果的に的中した格好だ。

ザッケローニ監督は責任を取って監督退任することになったが、退任発表の記者会見で、“今後も今までの日本チーム強化の基本方針を継承して欲しい”と語った。

日本チームは組織的プレーを強化すると言う基本方針らしいが、日本チームに最も欠けるのは決定力であり、この決定力不足を改善しないままいくら組織的プレーを強化しても世界のトップレベル=ワールドカップ決勝リーグ=には到達できないものと感じる。

さらにザッケローニ監督采配に責任があるとすれば、ザッケローニ監督を決めた日本サッカー協会幹部の責任も追及されるできではないか???人物を見る目がなかったというかどで。。。。。


<6月26日(木)>

9時から11時30分まで公園ボランティア活動。雑木を伐採した跡地にベンチを作ることとなり、当方が試作品を作る役目になった。今回は土中に杭を打ち込む作業を行った。次回には出来上がるであろう。果たして出来栄えは???
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2014年06月22日

中国大使、母校・創価大で講演のナゾ 

<6月14日(土)>
天然水の在庫がなくなったので美祢市別府弁天の池に採取に行った。別府弁天の池で観光バスに乗るツアー客が話していたのは韓国語だった。九州の観光地では韓国人は珍しくなかったが、山口県での韓国人観光ツアー客を見たのは初めてだった。

山口県でも最近は都市部ではやたらと韓国語と支邦語の観光・交通案内が溢れている。現下の情勢では、韓国・支邦は日本の領土を侵略しているというのに・・・・

韓国語と支邦語が溢れているに町は気分がめいる。そんなに観光振興させたいのか???

宿泊業、旅行業、輸送業、土産物屋などは潤うので韓国人・支邦人観光客は歓迎だろうが、日本固有の領土を韓国や支邦から盗まれても、金が儲かればよいのか?!!!奴らは守銭奴か!!!

政府、地方自治体も観光歓迎一色だ。日本にとって敵性国家である韓国や支邦からの観光客は入国を制限すべきと感じる。


このまま帰宅するのは時間的に早すぎるので大平山周辺を歩くことにした。

前々から、大平山から北北西に伸びる尾根の先にある445mピークへ果たして行けるかどうか?道らしき道はあるのか?・・・という疑問があったので、今回それを自ら確かめることにした。

大平山林道8合目付近の下の堤付近の空地に駐車し、555mピーク登山口から歩き始めた。555mピークから445mピーク方向へ向う踏み跡には赤テープがあることは既に確認していた。

暫くの間は踏み跡はかなりはっきりしていたが、しだいに雑木林の中を進む形になり踏み跡が不明瞭となる箇所が次第に増えてきた。

ルート的にはただ尾根を外さずに北西に進めばよいので迷わず進んだが、植林された場所では視界が多少開けていたので大まかな位置はそれなりに判った。

大きな人工的溝がルートに直角に切られていた場所で、牟礼側に少し下って見たが行き先は急峻な崖となっていたので引き返した。堀溝側にも明瞭な踏み跡は無かったので、この溝は防火帯なのかもしれい。

時々思い出したように古い赤テープがあった。やはり道なき道を好む同好の氏が居られたようだ。感覚的ではあるが1時間以上尾根伝いに歩き三角点がある445mピークに着いたのは13時を過ぎていた。ここからの見晴らしはない。植林地帯の北東方向に綾ヶ峰(標高615 m)が見えた。

ここで遅い昼食を採った。ここからピストンで同じコースを引き返すか、更に北西に進み牟礼峠方面に出るか、二者択一であった。雰囲気的には牟礼峠方面に出る踏み跡が存在する予感がしたので、牟礼峠方面に下ることにした。

しかし踏み跡は更に荒れてきて、岩場混じりの急な下り坂となり、赤テープを見失い、3回も引き返した。その後増えてきた古い赤テープに導かれて14時30分頃無事に牟礼峠近辺の林道に合流できた(ヤレヤレ!!!)。赤テープのお陰で大したロスなく走破できたのは有難い。

ここからピストンで引き返す予定であったが、あの荒れたコースを再び引き返す気になれず、阿弥陀寺から大平山に登るコースを通って帰ることにした。

15時頃阿弥陀寺駐車場に着き、自動販売機で買った冷えたジュースを飲み疲れを癒した。

阿弥陀寺では丁度アジサイ祭りの最中であり、日ごろは3〜4台の駐車しかない駐車場は満杯であった。拝観料を支払う入口で、大平山登山を告げると、拝観料200円を支払わないのならば境内に入らず迂回路から登るよう指示された。

DSCF8276.JPG < 阿弥陀寺のアジサイ >

過去7,8回登った阿弥陀寺コースは2年振りであり、2番目の渡河を過ぎたあたりで正規コースを見失った。確か以前の正規コースは竹薮のなかの一本道だったはずだが、今回は竹林が伐採されており道がわかりにくくなっていたので、軽い気持ちで、往路に通った尾根道の方へ登って行った。

支尾根までは簡単に登れたが、それから先は偽ピークの連続であった。標高差7〜15m程度の偽ピークが延々と続くように感ぜられた。疲れた足腰にとって、たかが標高差7〜15m程度のピークといえども登るのは非常にきつかった。

阿弥陀寺を出発して1時間30分を経過しても尚偽ピークが続くので、コース変更を後悔したが後の祭りだった。あたりは次第に暗くなり嫌気と不安が入り混じり始めたが、一番気をつけたのは、“尾根道を外さない”とことであった。

尾根道を掘溝側へ外れると、それこそ見知らぬ谷に迷い込みとても明るいうちには林道へ出れないであろう。反対に尾根道を阿弥陀寺コースへ外れると、場所によっては急峻な崖が待っており薄暗くなると危険である。

2回ほど尾根道を外したが、いずれも20m程度進んだ所で気がつき、引き返し事無きを得た。17時過ぎに見慣れた550mピークにたどり着き安堵し、17時30分頃無事に駐車場所に着いた。

阿弥陀寺コースを登っていれば、16時30分頃には駐車場所に着いていただろう。
途中から尾根道へ登ったものだから、阿弥陀寺から2時間30分も掛かったので、1時間も長くかかった勘定になる。その理由は、偽ピークが多く、尾根道とはいえコースが屈曲していた上に、疲れが加わったためであろう。

いずれにしても、今回初めて通過した555mピーク〜455 mピーク〜牟礼峠コースは、下りはよしとしても、登りはよほどの健脚者・モノ好きでないと辟易するのではなかろうか???

それにしても、阿弥陀寺〜大平山正規コースを途中から見失ったのは腑に落ちない。認知症が更に進行したのか??? 竹薮伐採で正規コースを見失ったのは不思議としか思えない。。。

最近の阿弥陀寺〜大平山コースと大平山林道との合流点付近では草ボウボウとなっていることから推測すれば、阿弥陀寺〜大平山コースを歩く人が少ないのかもしれない。

機会があれば、大平山側から阿弥陀寺へ下っていけば当方が迷った場所がハッキリするかもしれない。


<6月15日(日)>
10時からサッカーワールドカップ日本対コートジボアール戦中継を観戦した。
素人目にしても、4年前の日本サッカーから何ら進歩していなかった感があった。
途中出場した遠藤の投げやりなプレーには、腹が立った。
彼の顔からは、“勝つ”という強い意欲・表情は見られなかった。
こんな無気力な人間を大事な戦いに投入する指揮官の技量にも疑いがわいた。


<6月16日(月)>
家庭菜園で茄子、オクラ、ミニトマトを植え、スイカに追肥した。


<6月17日(火)>
9時から公園ボランティア活動。あいにく小雨がぱらついていたが、市役所公園緑地課の職員への現地説明があるというので、彼を待つ間に小雨の中で雑木を10本程度切り倒した。
その後雨足が強くなり10時過ぎに作業をやめた。


<6月19日(木)>
最近癌が見つかり治療を開始したという親戚の見舞いにいった。
健康占いをして、健康回復のおまじないの仕方を紙に書いて渡し概要を説明した。
この効果が出て本人が回復に向うことができれば幸いだ。

帰りに立ち寄った食堂で食した えび天定食は値段(700円)の割には、太さ2センチ長さ12センチ位の車えびの天婦羅3本と3種の小鉢、味噌汁つきで、結構美味であった。

この近くでは車えびの養殖をしており、店の看板目玉メニューだと言える。
この車えびは、おそらく中国、韓国からの危険な輸入品ではないだろう。


<6月20日(金)>
サッカーワールドカップ日本対ギリシャ戦中継を観戦した。

第一戦とは異なり、日本チームはボールを支配し優位に立ったかに見えた。惜しいシュートもかなりあった。しかし、リスクを犯して積極的に攻撃するという姿が殆ど見えなかった。

決定力の無さは従来チームと変わりはない。特にロスタイム4分の間、日本はボールを回すばかりで積極的な攻め・シュートが見られなかったのには大きな失望を覚えた。

これでも前評判は、『優勝を狙う』、『悪くてもベスト8だ』と言われていた。馬鹿も休み休み言え!!!

最終戦のコロンビア戦で“奇跡”が起きない限り日本の一次リーグ通過は出来ないだろう。前回優勝のスペイン、過去3回優勝のイングランドも一次リーグで敗退した。日本が一次リーグで敗退しても実力通りでしかない。

『実力がなくても優勝を期待すれば優勝が実現する』という考えがあったとすれば、『平和、平和と叫んでいれば平和が得られる』という馬鹿げた思考と同じだ。


<集団的自衛権容認を遅延させる公明党の裏に中国あり>

集団的自衛権容認に関して与党内調整がもたついている。

自民党が連立を組む公明党が、“自国の安全が損なわれるおそれがある”云々と言う文言において、“”『おそれ』と言う言葉が不明確なので日本が戦争を始める歯止めにならない“として、ひたすら反対し時間稼ぎしている。

この公明党の言い分は、子供騙しでしかない。仮に、集団的自衛権を容認できる具体的なケースを明記し限定してしまえば、敵がその具体的ケースを回避して攻めてくれば日本は集団的自衛権を適用できなくなるので集団的自衛権容認を決議した意味がなくなる。

このような馬鹿げた理由を真に受けて文言を変えるとする動きが自民党内にあるという報道が至極当然の如くなされた。

この風景をみれば、“戦争を知らないオメデタ政治家連中が集団的自衛権容認という言葉遊びをしている”感がある。

また公明党は、“党内では集団的自衛権容認への議論が不十分なので直ちに同意できない”として今国会会期末までの合意は不可能としている。集団的自衛権容認は遅くとも一年前から決まっていた事であり、検討時間不足は単なる怠慢でしかない!!!

尖閣列島での領空・領海侵犯が頻発している非常時において、日本の安全保障に重大な影響を与える集団的自衛権容認に関して党内議論が遅々として進まないと自任する公明党は、もはや反日政党でしかない。公明党には政権に参画する資格はない。


中国駐日大使館HPには、『程永華駐日大使が創価大学で講演 温かい歓迎受ける』と言う見出しで、

2014年6月13日午後、程永華駐日大使は招かれて創価大学で「伝統を受け継ぎ、黄金の橋を共に架けよう」と題する公開講演を行った。創価大学の教師、学生ら1000人余りが程大使の講演を聴いた。 ・・・・と記載されている。

程永華駐日大使は日本における中国スパイの総元締めといわれている。
創価大学とは創価学会の大学である。

創価学会は、フランスから核兵器技術を盗み出し北朝鮮に渡したかどでフランスではカルトに指定されている。この情報は日本では全く報道されていないので、殆どの日本人は知らないであろう。多くの自民党の先生がたも知らないのではないか。。。

カルトとは、宗教や宗教団体に対して使用する場合は、個人の自由や尊厳を侵害し社会的(一般他者との人間関係)に重大な弊害を生じさせている集団、つまりは、反社会的な団体であるとする意味に用いられる。

歴代駐日中国大使は日本に5万人いるとも言われる中国人スパイの総元締めである。
この時期に何故中国人スパイの総元締めである程永華駐日大使が創価大学を訪れ講演したのか???

ブログ:博士の独り言U;http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-2779.html
創価「中国大使」か〜2014/06/17(火) 22:56:00 [カルト対策]〜から転載する。

〜〜〜転載開始〜〜〜
中国大使、母校・創価大で講演のナゾ 公明党へのメッセージか

 日中関係の緊張が続くなか、程永華・駐日中国大使の行動が憶測を呼んでいる。

公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長が創立した創価大学で講演したのだ。池田氏の初訪中40周年を記念して同大キャンパスを訪問したというが、集団的自衛権の行使容認をめぐる自民党と公明党の協議が行われている最中だけに、別の目的もあったとの見方もある。以上、冒頭より/ 夕刊フジ 平成26年6月18日号 購入紙面(2面)より「個」の日記の資料として参照
-------
傀儡組織の「創価学会」引き締め役

 創価学会が擁する「創価大学」(創立1971年)。同大学は、池田大作氏(当時会長)が先行的なライバル教団であった、立正佼成会の「立正大学」をヒントに模して創立した(元学会員諸氏)との指摘が有る。

 いわば、特有の「総体革命」と創価学会教の「広宣流布」推進のために、教団独自のつながりを個々に持つOBを各界へと送り込むことで、「池田センセイ」と教団をプロテクトさせるに足る人脈的な環境作りをなす。それと同時に、中国共産党の傀儡・対日工作広報組織として機能することを「延命の糧」ともしている「サティアン」とも指摘すべき施設である。

重要な洗脳・工作拠点

 その意味で、中国共産党の側からすれば、創価大学は積年の対日工作の上での重要な洗脳・工作拠点と認識して差し支えなく、留学生の名目のもとに少なくとも延べ500名を超える中国共産党員、または同党員の子息らを受け入れ、キャンパスにおける日本人信者学生らへの日常的な「日中友好」洗脳の他、各国からの交換留学生らへの「好中洗脳」を展開する場にもなっている。

 いわば、創価大学のキャンパスは。創価学会教の独自の洗脳の他に、対中好感洗脳までも受けられるとという、全国でも“貴重”な多重洗脳の場にもなっている。はまり込むほどに抜け出すのが難しくなる「集団洗脳」とは、一体どういうものか実際に体験してみたい。一生を台無しにしてみたい。そう思われる方にとっては格好の学びの「場」にできるのかもしれない。

中国共産党員の信者たち

 元創価学会信者諸氏によればだが、創価学会の教団内では、かなり以前(少なくとも80年代初頭には)「中国の13億人が(創価学会教の)信心をするようになれば世界広宣流布は一気に進む」。「すでに中国共産党にも同士(信者仲間)が結構いる」。「ここだけの話だぞ」と。職業幹部層からそうした情報があれこれと流れていたとのこと。

 無論、教団の虚勢誇示のための情報戦の一つと謂えるのかもしれないが、たとえば、胡錦濤氏が国家主席当時に、胡錦濤氏池田大作氏が握手を交わす写真が支那の歓楽街のあちこちに掲げられていたと。また、創価タレントの一人として知られる芹洋子氏らを、何と“お忍び”で訪ねて来たとされる事跡などをたどれば、「その一人」と元信者らから指摘されている同氏もまた創価学会の「同士」である可能性はゼロとは謂えまい。

表題の程永華氏もまた

 同様に、表題の程永華氏もまた「同士」の一人である可能性も窺える。「創立者と創価大学の世界交流」(小出稔)(2011年8月)氏には、程永華氏の創価大学への留学の経緯(概要)に触れこう綴られている。

(以下、参照)

 「4月に正式に中国駐日大使になられた,程永華氏。本来なら,程永華閣下とお呼びするのが相応しいのでしょうが,夏のサマーガイダンスでは,あえて,程永華「先輩」と呼ばせて頂いています。というのも,氏は,創価大学への交換留学生の一人であったのです。有名な歴史となりましたが,1975 年4月,戦後中国から日本へ初めての国費留学生6名が,創価大学に正式に受け入れられました。これは,創立者が1974 年12 月に周総理とお会いされてから,わずか5か月の非常に短い間でした。まだ中国は文化大革命の時代,日本も1970 年の日米安全保障の運動から,5年しかたっておらず,学生運動も尾を引いていました。中国から過激な思想をもった学生が来たら困るというような世論が残っていた時期です。もちろん,日中国交正常化以後だったので,本来なら中国からの国費留学生は国立大学が受け入れるべきでした。しかし,日本では受け入れようとする大学がなく,すでに日本にいて日本語を勉強していた,大変優秀な中国の学生達であったのに,4月になっても入学ができませんでした。そこで,前年に周総理とお会いしている池田先生に,中国大使館から助けを求める連絡が入ったのです。「そういうことでしたら,若い大学ですが,創大に」と,先生自身が身元引受人になって戦後初めての中国留学生受け入れが実現しました。

(以上、参照)
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 如何に美辞麗句で文面を織りなそうとも、その実態を良識語へと翻訳すれば次の通りであろう。

 いわば、当時は、自国民の虐殺、また虐殺に暮れた文化大革命のその余韻に満ち、チベット、東トルキスタンでの暴虐さらにという時期に、国内の他大学が支那からの留学生受け入れにいささかの警戒に資していたとしても不自然ではない年代にあった。それにもかかわらず創価大学では、中国共産党が織りなす惨劇の実態に全く触れず、あたかも留学生受け入れのパイオニアであるがごとくに自己宣伝していたに他ならないのである。

 表題紙面は、「聖教新聞によると、程氏は13日に東京・八王子の創価大キャンパスを訪れ、創価大、創価女子短大の学生、教職員を前にこう呼びかけたという」として。「「未来に生きる青年の皆さんには、中日両国の友好に尽くされる池田先生の信念を真剣に学び、継承していただきたい」との言辞を紹介している。

 いわば、創価学会中国共産党支部「幹部」としての“激励”の意味も有ったのであろうと。この一介の庶民が推察したとしても不自然ではあるまい。その「13日の講演終了後には全員で「創大生歌」を合唱したと聖教新聞は伝えた」としている。
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「傀儡組織としてもっと機能を」と

  以上の程大使の行動について、紙面は、「中国事情に詳しい評論家の宮崎正弘氏は「日本の防衛力強化は、中国の国益に反する。程氏としては『公明党には連立政権にとどまってもらい、集団的自衛権を含むさまざまな問題で踏ん張ってほしい』というメッセージを伝えたかったのではないか」と推測する」と。

  「創価学会内部では、池田氏が日中国交正常化に貢献したと位置付けられており、「創価学会は中国と特別な関係にある」(学会幹部)のは周知の事実。それだけに、中国包囲網の構築を進める安倍晋三首相を牽制してほしいという見立てだ」と紹介している。

  的を射た指摘ではないか。政権への寄生を何としても維持してもらい、中国共産党にとっても邪魔この上ない安倍首相の足元を抑え込み、あわよくば転覆させてほしい。そのために、(我が)創価学会は中国共産党の「傀儡組織としてもっと機能を」と。ネジを締めに「母校」創価大学へ入ったと。そう見なせば判りやすくなるのかもしれない。公明党の連立からの分離と。その後の創価学会の宗教法人取り消しを。
〜〜〜転載終わり〜〜〜

中国スパイの総元締めを熱烈歓迎する教団を支持母体とする政党が日本の集団的自衛権容認に反対している様は、公明党は日本の安全保障など眼中になく逆に中国のスパイに成り下がっている立派な証拠だ。

反日マスコミ共は、創価学会婦人部が集団的自衛権容認に反対しているので公明党として慎重な態度をとっている・・・と尤もらしい解説を並べている。しかしこれは、公明党が中国の手先となって集団的自衛権容認に反対している事をカムフラージュするためのガセネタとだと感じる。

自民党が、“集団的自衛権容認を邪魔するのならば連立を解消する”というシグナルを送れば、公明党は瞬時に賛成する可能性が高い。

公明党が連立内閣から外れれば一番困るのは誰か?

政権党という甘い蜜の味を知った公明党は、自民党との連立を解消してまで集団的自衛権容認に反対するつもりは毛頭ないだろう。
公明党が自民党との連立解消となれば、いままで公明党から中国に垂れ流れされてきた安倍内閣閣議情報がストップすることになる。中国も公明党の自民党との連立解消を望んでいないのではないだろうか???
とすれば、土壇場で公明党が集団的自衛権容認に同意し連立を維持する可能性が少なからずある。


<情勢の変化による憲法解釈の変更は当然の行為>

さて、マッカーサー憲法が日本に押し付けられた時、反対したのは日本の自衛権放棄を問題視した日本共産党だけであった。ということは、マッカーサー憲法が日本に押し付けられた時には日本の自衛権すらも憲法は認めていなかったということになる。

しかし北朝鮮が南朝鮮になだれ込んだ朝鮮動乱が勃発するに及んで、マッカーサーは事実上自らが制定した(平和)憲法の解釈を突如豹変させて、時の吉田首相に警察予備隊(後の自衛隊)と言う自衛軍の創設を命じた。

この時点で(平和)憲法の解釈は大きく変更されたのである。

今、集団的自衛権容認に関して、“憲法解釈が時代の変遷に応じて変化するのはけしからん”と主張する勢力が公明党を含め少なからず存在する。

しかし(平和)憲法を事実上自らが制定したマッカーサー自身真っ先に、憲法解釈を変更し日本の自衛隊創設を命じている事実からすれば、“憲法解釈が時代の変遷に応じて変化するのはけしからん”と主張するのは愚論であり、如何に彼らが(平和)憲法の生い立ちと解釈の変遷について無知であるかを如実に物語っている。

憲法を含め法律は人間が作るものであり完全なものではない。よって時代の変遷によって憲法解釈が変化するのは当然の流れである。要は解釈の変化の内容の良し悪しである。

集団自衛権は国連をはじめ世界中で認められているので何ら問題はない。
集団自衛権を問題視する方が、問題なのである!!!

問題は、一般庶民はおろか、日本をリードする政治家の大多数までもが
日本の正しい歴史=大東亜戦争は日本が国際コミンテルンの策謀に嵌められて引きずりこまれた戦争=
を知らずして、外国から洗脳された捏造歴史=日本はアジアを侵略した=しか知らないという無残な現実である。

“歴史は勝者が勝者にとって都合が良いように作り直される”という歴史の本質を知らない日本人が如何におおいことか!!!

邪馬台国の所在は特定できていない。何故か???
”(捏造に満ちた)中国の歴史書の内容が正しい”と歴史学者達頭から信じ込んでいるからだ。

振り込め詐欺に容易に引っかかる被害者を笑えない!!!
大多数の日本人、首相経験者までも“日本は侵略国であった”という外国のプロパガンダ・洗脳をそのまま疑うことなく信じているからだ。。。

日本は、小悪人には目ざとく気がつくが、大悪人には全く気がつかない。

日本で5万人のスパイを放ち反日活動に日夜邁進させている共産主義独裁国家中国と、日本は友好関係を結ぶ必要は全くない。

日本と中国との関係は、最小限の国交に止めるべきだ。むしろ中国は日本の仮想敵国だと認識しなければならない。

日本が中国との友好関係を保つことは、世界を相手に横暴・略奪を進める中国の共犯者に日本が名前を連ねることになるからだ。
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2014年06月13日

敬遠中国こそ日本繁栄の道!!!


<6月9日(月)>

9時から11時ごろまで家庭菜園で次期作物栽培のために畑を耕作し、石灰と肥料をまいた。
撒いた肥料は、牛糞、鶏糞、化成肥料。
オクラ、茄子、ミニトマトを植える予定。

<6月10日(火)>

公園ボランティア仲間(Y氏)と弟見山・莇ヶ岳に行った。

かねてから、当方が整備した“シャクナゲ尾根コースを歩いて見たい”という話しがあったので、梅雨の合間に出かけることにした。

7時頃出発し、いつものルートで8時30分ごろ駐車場に着いたが、Y氏の車が新車だったので大事をとって河内峠の国道脇に駐車し直した、9時頃歩き始めた。

錦川源流部を周回する9時間コースと、シャクナゲ尾根コースをピストンする3時間コースの内、9時間コースをY氏が希望されたので屋敷林道を詰めて弟見山に這い上がったのは11時過ぎであった。

Y氏は植物に関心を持っておられ、道端で珍しい植物を見つけては写真を撮っておられた。
本来はカタクリの花が全盛の時に案内する予定であったが、つい失念してしまったので季節はずれの感があった。

日照は殆どなかったので発汗は大したものではなかったが、折角重たいビールを担いできたので、荷物を軽くする狙いもあって弟見山展望所で一杯やった。

DSCF8271(1).JPG <山頂で見た赤い実>

展望所から弟見山山頂にかけて歩きながら、“最盛期ならばここら一帯で数千株のカタクリの花が見られた”と説明していた所、Y氏が足を止めて“カタクリの実があった”と叫んだ。

DSCF8273.JPG < カタクリの実 >

何!!!!・・・・良く見ると何か実のようなものが沢山見えた。
カタクリの実をこの目でみたのは初めてであり、想定外の驚きであった。

雨雲が垂れ込めていたので、12時前に休憩もそこそこにして縦走路を莇ヶ岳へ向って進んだ。

13時10分頃莇ヶ岳直前で見覚えのある男性と出会い挨拶をした。互いに登山ルートと下山ルートを確認していると、この男性は例のシャクナゲ尾根コースがお気に入りの人だと思い出したので、コースの宣伝と踏み固めをお願いして分かれた。

自分が開設整備した登山コースのファンが居られるのはあり難い上に気持ちがよい。

5,6人の年配女性が下山を始めた莇ヶ岳に13時15分頃到着した。
ここでも互いの登山コースと下山コースを確認したので、機会があればシャクナゲ尾根コースを歩かれるよう宣伝しておいた。

雨雲に囲まれた山頂からの展望は限定されており、雨雲が吹き寄せて来つつあるので、落雷を危惧して急いで昼食を採り、下山することにした。

縦走路を950mピークまで引き返し、シャクナゲ尾根コース分岐点で、持参した新規コース案内板を立ち木に取り付けた。持参した新規コース案内板は、10cm×40cmの板に「R315・屋敷林道40分」と黒書した上からニスを2回塗りしたもので昨日、シャクナゲ尾根コース開設一周年を記念して作成したものだ。

標高700mの鞍部から谷コースを下った。Y氏は、タラの木が多いことに気がつき、天婦羅にするといって多数生えているウドの若芽を摘み、野生化したワサビの葉を噛んだりしていた。

Y氏から木イチゴを教えてもらった。なんとそれは、ヤマちゃんおやじが仇のように伐採していた棘のある大きな植物だった。木イチゴならば全滅させてはならず、今後は少し手加減することにした。


その後屋敷林道を下り国道315号線の河内峠に15時頃着き、16時過ぎに無事帰着した。


<敬遠中国こそ日本繁栄の道!!!>

2012年10月04日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/295432079.html に
<40年間の日中友好の中身は> == 中国ボロ儲け、日本は大損 ==
という見出しで、日中友好の有害さを記載した。

40年間の日中友好の中身は、日本が圧倒的な持ち出しであり、中国は圧倒的な利益を享受したが、とどのつまり日本の尖閣列島の領海・領空は中国からの侵略に絶えず侵されている。

この期に及んで平和馬鹿が多い日本の政治家・国民は、ようやく中国が野蛮的ごろつき国家だと少しは気がつき始めた。

結論から言えば、日本は中国と国交回復し一方的な中国支援活動をすべきではなかったのだ。

日本が中国という国に、多額の資金援助をつぎ込み無償の技術供与を与えても、中国と言う国は、それらの支援を有効に生かし国民全体の福祉利益向上に資するための能力を有せず、単に個人的利益の追求や国家としての他国支配の野望実現しか実現できない、野蛮的ごろつき国家であることが、ようやく最近になった世界の中で認められるようになった。

中国の正式名称は「中華人民共和國」であり戦前は「中華民國」であった。中華人民共和國は日本では中国と呼ばれるが、日本以外の国はシナ(支邦)と呼んでいる。戦前の日本は、シナ(支邦)と読んでいたがこれが正しい呼び名だ。

支は支店の支であり、枝である。支邦とは枝国(えだぐに)であり、中心となる国ではない。支邦は日本(本店)から見ると支店であったのだ。

中国五千年の文明と言われているが、漢族は先住民族大東族が生み育てた偉大な文明を、大東族を追い出した後につまみ食いしただけなのだ。大東族は、日本人、チベット人、蒙古人、満州人、山東省人などの先祖に当る。多くの日本人が尊敬する孔子は山東省の出身であり大東族であり、漢族ではない。また古代中国の殷帝国は大東族の国であった。

殷の紂王が愛姫である妲己の歓心を買うため、その言うがままに日夜酒色に耽り、民を虐げた(とされる)故事が『酒池肉林』の語源として一般に伝わっているが、これは漢族の十八番である歴史改竄の大成果である。

実際の殷の紂王は名君であったが、殷を侵略し滅ばした漢族は、『酒池肉林』故事という大嘘話を捏造して、偉大な文明を生んだ大東族国家であった殷を悪者に仕立て、侵略者漢族をあたかも正義の解放者と見せ掛け世界を騙したのである。

白を黒と言い黒を白と主張するのが、古来からの漢族の習性である。嘘をつかないと自分の悪事が露見するからだ。昨日のニュースで、ベトナム漁船に中国の国家海洋局艦船が意図的に衝突し沈没させた映像がベトナム政府から発表された。中国政府は、『ベトナム漁船が中国の国家海洋局艦船に向って衝突してきた』と真逆な発表した。

中国は、今も昔も嘘だらけの国である。。。。。


朝目が覚めたら第一に“自分の上位にある者を如何にして失脚させて自分が後釜に座るか”しか考えない漢民族が、あの偉大な文明を作り上げられるはずがない。

漢民族の十八番は、「嘘も百回言えば真実になる」だ。このような真誤・善悪を区別できない民族に偉大な文明を生み出せるわけがない。

中華とは世界の真ん中を意味し、シナの周辺国は全て野蛮国なので自由に征伐してもよく、シナの周辺国はシナの支配下に入り貢物を捧げよ・・・・と言う意味を含んでいる。

中華とは全く傲慢な独善的な自己中心的呼称である。


日本はこんな「中華人民共和國」とは絶縁すべきである・・・これがヤマちゃんおやじの持論であった。

最近、

“敬遠中国こそ(日本)繁栄の道!!!”

という一文を
わたなべりやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」3302号2014(平成26)年5月12日(月)から入手し、意を強くしたのでご紹介する。

〜〜〜転載開始〜〜〜
「敬遠中国」こそ繁栄への道 by 伊勢 雅臣

中国を敬して遠ざけると日本は繁栄するという歴史法則

1.『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』
元中国籍・石平氏(拓殖大学客員教授)の新著の『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』というタイトルには思わず唸らされた。「目から鱗」というべき斬新かつ骨太の歴史観がかくも簡潔明瞭に語られているからである。

我が国が繁栄したのは、平安時代、江戸時代、明治の文明開化期、そして戦後の高度成長期である。そのいずれの時期も、我が国は中国とはほとんど接触がなかった。

逆に不幸だった時期は、近代では昭和12(1937)年に始まった支那事変から大東亜戦争敗戦までの期間、それから直近のデフレによる「失われた20年」であろう。前者は満洲への進出から泥沼の大戦に入り込み、後者は中
国への企業進出と安価な中国製品流入が国内にデフレ不況と高失業率をもたらした。

こうして見ると、「敬遠中国」すなわち「中国を敬して遠ざけると日本はうまくいく」という経験則は、ほとんど例外なく我が国の歴史を貫いていることが分かる。

問題は「なぜか」ということだが、石平氏は各時代の歴史を遡って、その「なぜ」を探り出し、そこから我が国の今後、行くべき道を示唆している。本稿ではその概要を紹介したい。


2.聖徳太子以来、中国とは別の道を歩んだ日本
「敬遠中国」の元祖は聖徳太子である。太子は西暦607年、隋の皇帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」との書を送った。日本天皇と中国皇帝を同じく「天子」と呼んで、中国の皇帝のみ
が世界の中心であり、周辺国はその臣下として、国王であることを認められるという中華思想、冊封体制から脱却した宣言であった。[a]

その後、聖徳太子の理想を大化の改新で追求した天智天皇は、同盟国の百済を守るべく、唐・新羅の連合軍と白村江で戦い、大敗を喫したが[b]、その後は国内の守りを固め、その後の奈良・平安の時代は、我が国は大陸
での戦乱を他所に繁栄を謳歌した[c,d]。

天智天皇・天武天皇の時代には、中国式の律令体制を導入した。これは中央集権体制により、国防力を強化するためであった。しかし、中国からの脅威が和らぐと、律令体制が崩れて、貴族や寺院による荘園制がとって替わり、そこから封建制が発達していく。

この封建制が熟して太平の世を築いたのが江戸時代であるが、これは中央集権制を続けた中国とは全く別の道であった。江戸時代の日本は、当時の世界でも最高水準の教育レベルを誇り[e]、幕末に来日した多くの欧米人
たちは庶民の幸福な生活ぶりに驚嘆した[f]。これも中国から離れて、日本独自の文明を築いた結果であった。


3.中国に関わって短命に終わった平家、室町幕府

しかし、荘園制から封建制に向かう歴史の過程で中国に接近しようとした政権もあった。

<平安時代の「平安」を破ったのは「保元・平治の乱」だったが、内乱の平定に活躍した平清盛は、平安朝を乗っ取ったかたちで自前の武家政権をつくった。だが、天下を取ったあとに清盛は気を大きくしたせいか、とてつもない大事業に着手した。

彼は音戸(おんど)の瀬戸や大輪田泊などの都を整備し、中国・南宋との日宋貿易を盛んにした。清盛の手によって、遣唐使の廃止以来、中断していた中国への通航ルートが再開され、日本は再び中国に近づいた。>[1,p70]

しかし、この「親中派」の平家政権は、たちまちにして東国の田舎武士たちに滅ぼされ、以後、140年以上、中国とは疎遠な鎌倉幕府が続く。しかし、その鎌倉幕府は、元寇への防戦という形で、中国と関与せざるをえな
くなり、それが原因となって崩壊する。

鎌倉幕府を継いだ室町幕府はまた「親中派」であった。

<この室町幕府の統治体制を完成させた足利義満は、中国との「勘合貿易」を確立したことで有名である。勘合貿易とは、中国の王朝(当時は明王朝)に貢物を差し出す「朝貢貿易」のかたちをとっているから、そのた
めに義満は進んで明王朝の冊封体制に入り、明の皇帝の臣下としての「日本国王」の立場に甘んじた。>[1,p72]

室町幕府は形の上では15代、240年近くも続いたが、その冒頭から約60年間「南北朝争乱」が続き、それが3代将軍義満の時にようやく終わったと思いきや、六十数年後には応仁の乱から戦国の世に突入していく。

その後の戦国の世を、信長、秀吉が統一するが、秀吉は明の征服に乗り出して失敗。その後を家康が継いで、江戸幕府を開き、中国とはほとんど無縁の形で太平の世を築く。


4.権力者が私利私欲を追求すれば政権崩壊する

中国との交易を進めた平家および足利氏が短命ないしは弱体政権に終わり、中国を敬遠した鎌倉幕府や江戸幕府が長期安定政権を築けたのは何故だろうか。以下は弊誌なりの考察である。

そもそも、政権を握った者が自ら対中貿易を目指すということは、権力を使って「私」の利益を追求する、ということだ。そこには自らの権力を「公」のために使うという使命感がない。義満が勘合貿易のために、皇室
を無視して「明の臣下としての日本国王」の立場に甘んじたのも、その私心の現れの最たるものである。

それに対して、鎌倉幕府は天下を治める責任感を持っていた。たとえば、元のフビライが「通商して好(よしみ)を結ぼう」との国書を寄せた時、一部の公家が南宋との貿易で莫大な利益を上げていたこともあって、「形だけでも属国となって、交易で利益を上げれば」との意見も出ていた。

しかし、将軍時宗は国書に「大蒙古国皇帝奉書」と上段に書いた後、小さく「日本国王」と書いてあるのに「これは無礼な」と眉を逆立てて、こう言った。[g]


「礼なければ仁(おもいやり)なく、仁なき交わりは、禽獣(動物)の交わりにもおよびません」。

ここから鎌倉幕府の元に対する戦いが始まるのだが、将軍が「公」のためには「私」の利益を無視しても戦う、という姿勢を示せば、全国の武士が将軍の下に一致団結して立ち上がったのも当然である。鎌倉幕府にはそのような「公義」の使命感があった。

江戸幕府についても、3代将軍・家光の異母弟かつ4代将軍・家綱の後見役として「徳川の平和」を築いた保科正之[h]、また天明の大飢饉でも1人の餓死者も出さなかった米沢藩主・上杉鷹山[i]の足跡を辿れば、江戸
時代の繁栄の土台として、為政者の「背私向公」があった事が窺える。

逆に足利氏のように、「公」を無視して、将軍が私益を追求すれば、家臣も同様に主君の権力を奪おうとしたり、隣国の領地を犯そうとする。そうなれば、幕府が内部分裂して、弱体化するのも当然である。そしてその結果が長き戦国時代であった。

もともと中国大陸は地方の権力者や異民族が入り乱れて、私利私欲の戦いの絶えなかった土地柄である。為政者としての理想を説いた儒家や、公のために統治を行った名君もいたが、大勢としては「悪貨が良貨を駆逐」してきた社会と言って良い。

そういう中国と、私心を持った日本の権力者が金儲けを目当てに付き合おうとすれば、日本国内も下克上と内紛で収まりがつかなくなり、その結果が政権崩壊となる。「朱に交われば赤くなる」とは、この事である。


5.敬遠中国で成功した明治、日中連携で失敗した昭和
黒船に象徴される欧米諸国のアジア侵略から、国を守るために、我が国は幕藩体制を一新し、明治新政府は近代国家建設を目指した。欧米諸国に対抗するためには、軍事的には西洋文明の科学技術を急速に導入する必要があり、政治的には西洋的な立憲民主政治の確立により国民の活力を引き出す必要があった。

そして、その対極にあったのが、旧態依然たる中国、朝鮮であった。

<総じていえば、明治期の日本は中国に対してそれほど興味をもたなかったし、中国問題への余計な関与や中国大陸への深入りを極力避けていた。いってみれば当時の日本は、目を西洋の世界に向けたまま、文明としての「中華」にも、国家としての清国にも「敬して遠ざける」姿勢を貫いた。
まさに「敬遠中国」である。

明治期の日本が成功した理由の一つは確実にこうした対外姿勢にあったのではないかと思う。「敬遠中国」の外交路線を貫いたおかげで、日本は中国との紛争や中国の内乱に巻き込まれることなく国内の富国強兵に専念できたし、力を集中させて最大の脅威であった帝政ロシアとの決戦に備えら
れた。>[1,p84]


しかし、文明開化の成功によって、わずか半世紀で世界の五大国の一つにのし上がった日本が世界を見回してみると、改めてアジア・アフリカのほとんどが欧米諸国の植民地に搾取されている現状が再認識される。「陸軍のドン」元老・山県有朋は、第一次大戦勃発に際して、次のような意見書を政府に送っている。


{今日の世界政治の重要な動因は人種闘争であるから、西洋諸国が戦後再び極東に関心を注ぐようになる。そうすると白人種が提携してアジア人に立ち向かうようになる恐れがある。したがって、わが国としては白人種の将来の攻勢にそなえて、日中の提携をこの際、固めなければならない。}
[1,p91]

人種差別と戦おうという道義心から、有色人種、その中でも最大の中国と連携しようというアジア主義が芽生えてくる。しかし、日本人の道義心からの呼びかけに、中国は応えなかった。

中国共産党はソ連の手先となり、蒋介石は米英ソの支援を受けて日本と戦った。香港やシンガポール、マレーシアの華人社会は、英国の植民地支配の手先として現地住民を搾取する側に回っており、日本軍と戦う方を選
んだ。

そして大東亜戦争の敗戦。満洲や中国・朝鮮に移住していた日本人は命からがら、逃げ帰ってきた。日本企業も現地に設備・資産を残したまま撤退。こうして日本近代史の最大の悲劇は、中国への関与から引き起こされた。


6.「敬遠中国」で高度成長、「日中友好」で「失われた20年」
戦後の日本は米ソ冷戦の狭間で自由主義陣営に立ち、ソ連陣営に入った中国とはまったく関係を持たなかった。日中平和友好条約が締結された昭和53(1978)年までの約30年間、日本は江戸時代や明治時代に戻ったような「敬遠中国」の時代を迎えた。

しかし、まさにこの「敬遠中国」の時代において、日本は廃墟から立ち上がり、奇跡の高度成長を成し遂げ、自らを世界屈指の経済大国・民主主義先進国へと変貌させた。1950年からの30年間は、日本にとって安定と繁栄の時代であった。

しかも、この30年間における日本の経済成長と繁栄は、ほとんど「中国要素」とは無関係に達成された。[1,p109]

しかし「日中友好」が持て囃された1980年代以降、日本の政治・経済とも、おかしくなり始める。それまで日本の首相は普通に靖国参拝をしていたのが、1985(昭和60)年の中曽根首相の参拝を機に、中国が批判の声を上
げ、日本にとって最大の外交問題の一つに発展していく。

尖閣諸島も、中共政府は当初「棚上げ」にしていたのにも拘わらず、1992(平成4)年に「領海法」という国内法で「中国の領土」と規定。その後、声高に主張を始め、調査船などの侵入を繰り返す。

経済面でも、日銀の円高政策もあいまって、多くの日本企業が中国進出し、安価な中国製品を日本に逆輸入することで、国内がデフレとなり、失業率も高まった。さらに中国政府は当初は日本企業を積極的に誘致してい
たのに、経済が発展すると、手のひらを返したように反日暴動の標的とする。

「敬遠中国」から「日中友好」に転換した途端に、日本の政治も経済もおかしくなり始めたのである。


7.「敬遠中国」こそ繁栄への道
中国共産党は文革などで自国民を数千万人単位で殺した、中国史上でも最悪の政権の一つである。現代でも内に汚職が蔓延し、外ではウィグル、チベット、内モンゴルを搾取弾圧し、日本、フィリピン、ベトナムの領海を掠め取ろうとしている。

そんな中国を敬遠して、我々はどこに道を求めるのか。ここで石平氏は中国と北朝鮮・韓国を除けば、その周辺はすべてが日本の友好国ないしは潜在的友好国である事を指摘する。

台湾、アセアン諸国、オーストラリア、インド、中近東諸国、モンゴル、中央アジア諸国。さらにその外側のアメリカ、欧州諸国も同盟国、友好国である。これにロシアを加えれば、逆に中国こそが「陸の孤島」になってしまう。中国を敬遠した方が、世界のほとんどの国と親交を結ぶ事ができる。

もう一つ、石平氏の指摘する重要な進路は、「内なるフロンティア」である。戦後の高度成長は自動車、鉄鋼、エレクトロニクスなどの内なる技術革新によってもたらされた。今後も医療、エネルギー、環境、農業などでの技術革新によって日本経済をさらなる成長軌道に乗せることができよう。

「中国と結ばなければ、日本は世界から孤立する」というのは、中国および国内親中勢力によるプロパガンダに過ぎない。歴史が教えているのは、「敬遠中国」こそ繁栄への道、という事である。


■リンク■

a. JOG(311) 聖徳太子の大戦略
 聖徳太子が隋の皇帝にあてた手紙から、子供たちは何感じ取ったのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog311.html

b. JOG(808) 歴史教科書読み比べ(10) 〜 白村江の戦い
 老女帝から防人まで、祖国防衛に尽くした先人の思い。
http://blog.jog-net.jp/201307/article_7.html

c. JOG(831) 歴史教科書読み比べ(13) :記紀万葉 〜 日本文明への自信
「国史編纂が始まるのは、自国の文明度への自信が生まれ始めた時」
http://blog.jog-net.jp/201401/article_4.html

d. JOG(843) 民とともに作った世界最大の大仏
 聖武天皇は民と共に大仏を作ろうと、「一枝の草、一にぎりの土」を、
と呼びかけた。
http://blog.jog-net.jp/201404/article_1.html

e. JOG(030) 江戸日本はボランティア教育大国
 ボランティアのお師匠さんたちの貢献で、世界でも群を抜く教育水準を
実現した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog030.html

f. JOG(680) 江戸時代の庶民は幸福だった
 貧しくとも、思いやりと助け合いの中で人々は幸福に暮らしていた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h22/jog680.html

g. JOG(207) 元寇 〜鎌倉武士たちの「一所懸命」
 蒙古の大軍から国土を守ったのは、子々孫々のためには命を惜しまない
鎌倉武士たちだった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog207.html

h. JOG(277) 保科正之 〜 清冽なる名君
 保科正之は、会津藩領民に仁政を施し、将軍家綱の後見役として「徳川
の平和」の礎を築き上げた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog277.html

i. JOG(130) 上杉鷹山〜ケネディ大統領が尊敬した政治家〜
 自助、互助、扶助の「三助」の方針が、物質的にも精神的 にも美しく
豊かな共同体を作り出した
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog130.html

j. JOG(053) 人種平等への戦い
 虐待をこうむっている有色人種のなかでただ一国だけが発言に耳を傾け
させるに十分な実力を持っている。すなわち日本で ある。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog053.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1.石平『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』★★★、PHP新書、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569816215/japanontheg01-22/
(本誌での引用ページ数はKindle版のため概数です)
〜〜〜転載終わり〜〜〜

『中国は日本の最も重要なパートナーの一つ』『日中友好』と発言する輩は、地位・名声にかかわらず、とんでもない売国奴ということになる。

自らの企業利益のために日中友好を叫ぶ財界人もとんでもない売国奴ということになる。





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2014年06月09日

平和馬鹿の源流探し

<6月3日(火)>


9時から12時まで公園ボランティア活動を行った。最近では、活動内容は松を主体にした眺望スポット作りに特化している。この活動は2人で月2回に限られている上に、作業は全て人力で行うばかりでなく、伐採した雑木を一箇所に集め集積する作業も行うので、進捗は着実ではあるがそのスピードは決して速くはない。

作業場所に着いた時点で、眼前に広がる湖面や遠景に一種の感動を覚えるようになったのは、当事者の欲目からだけではないと感じる昨今である。

当初5月の連休には一般に披露できるかもしれないという安易な期待は甘かった。おそらく夏休み後半に一般へ披露できればオンの字かもしれない。

とはいえ目標を持った活動なので停滞することは無い所で安心感がある。もう少しの辛抱である。

<6月4日(水)>

預かっている小ぶりな家庭菜園でジャガイモを収穫した。今年は昨年に比べて全体的に小ぶりなジャガイモが多かった。ジャガイモは連作を嫌うので今年栽培した場所では、隣の建物の陰の影響で日照時間が少なくなった影響を受けたものだと推察した。

とはいえ、たった3m四方の狭い土地で、何がしかの肥料を与え、苗を植えるだけで殆ど労力もエネルギーもかけずに5ヶ月を経過すれば約20kgものジャガイモが採れたのは全く『有難い』の一語に尽きる。自然の恵みは何と素晴らしいものなのか。

天の恵みと、地の恵みと、人の営みのお陰だ。
とはいえ、悟りを得ていない通常の人間が『ジャガイモ』、『ジャガイモ』、・・・と何万回唱えても『ジャガイモ』が空中から現れる訳ではない。しかるべき時期に、しかるべき耕作地で、しかるべき水と養分を与え、しかるべき太陽光がなければ『ジャガイモ』は収穫できないのだ。

平和を実現するための手立て・行為を全て放棄し、単に『平和』、『平和』、・・・と唱えているだけで平和になれると錯覚しているおめでたい”平和ボケ”たちは、国会デモなどをやめて野菜作りを実践して、しっかりこの確たる摂理を学んでほしいものである。

『平和になる原因を積極的に揃えるから平和という結果が得られるのであり、平和は唱えるだけで得られるものではない』・・・・と。。。。

この平和馬鹿たちは、思考能力を失っているのであろう。おめでたい”平和ボケ”たちの言動は、人の言う話を疑うことなく鵜呑みにして信じてしまう習性に起因するようにも思える。

県内でも全国的にも、オレオレ詐欺のような詐欺に騙される事件が後を絶たない。マスコミは新しい手口が次々に出て来るのが原因が・・・・という馬鹿げた解説をしている。

そんなことはない。

この種の詐欺に騙される人は、人の話の内容を疑うという習慣がなく、聞いた内容を全て信じて鵜呑みにするからだと感じる。もしくは、人は悪いことはしないという性善説を頭から信じ込んでいるのかもしれない。

残念ながら日本以外では(最近では日本でも)、“騙される奴が馬鹿なのさ”である。

換言すれば、 “危険に対する感受性がない”ということにもなる。だからおめでたい”平和ボケ”たちには、“詐欺師に騙され危険があるかもしれない”という警戒心が存在しないので、詐欺師のせりふにコロリと騙されるのである。

終戦までの日本には、おめでたい”平和ボケ”たちは極めて少数派であった。しかし現在の日本では、おめでたい”平和ボケ”たちは至る所に溢れている。何故か????

この疑問には後ほど触れてみる。


<6月7日(土)>

午前中に玉葱を収穫した。収穫したおよそ100個の玉葱の出来栄えは昨年とほぼ同様と思えた。
この家庭菜園の隣にも玉葱が育っていたが、やや小ぶりであった。日照条件はほぼ同一なのに育つ玉葱の大きさには歴然とした差が現れる。

玉葱の大きさの差の原因には、肥料の差、土地の地力の差などが考えられる。特に土の色に差があった。一方の土は黒っぽいが他方の土は茶色がかかっていた。

当方の家庭菜園の土の色が黒いということには明確な原因がある。この家庭菜園はもともと真砂土であり茶色であったのが、持主が永年営々と肥料(生肥、金肥)を施してきたので、土の色が茶色から黒く変わってきたのだ。

換言すれば、黒い土には地力があり作物は豊かに育つが、地力が小さな茶色っぽい土では、作物は豊かに育たない・・・・ということであろう。。。

しかし、いくら豊かな黒土であっても施肥が不十分であれば土地は年を経るに従って痩せて来て作物の出来は悪くなる。土も固くなる。土が固くなれば作物を育む土中の微生物も死滅してしまう。

とはいえ過剰な施肥は作物を駄目にしてしまうので、適切な施肥も豊かな収穫には重要な要素となる。

例外もある。蕎麦は痩せた土地で育てたものが美味であるといわれる。
まあヤマちゃんおやじのような素人にとっては、知らないことばかりの野菜作りではあるが、結構収穫があるので楽しくもあり、有り難くもある。

やはり採れたての旬の野菜の美味しさが味わえるのが最も嬉しい。


〜〜〜平和馬鹿の源流探し〜〜〜

ヤマちゃんおやじの趣味に一つに源流探訪がある。
今回は、日本の平和馬鹿の源流を西鋭夫著『国破れてマッカーサー』から訪ねてみる。。。。


<西鋭夫著 『国破れてマッカーサー』=2005年初版発行=のエッセンス>

この本のエッセンスを以下に転載します。

〜〜〜転載開始〜〜〜
あれ(終戦)から60年。
「経済復興」というスローガンを掲げ、銭のためならアメリカに苛められても、無視されても、公に侮辱され、利用されても、ひたすら「富」の蓄積に涙ぐましい努力をし、やっと世界一、二位の金持ちになった。日本はアメリカの「乞食」として生きてきたのか。
豊かな日本はアメリカに諂う精神状態から抜けきれない。上目遣いで卑屈な生活を続けると、それが日本の「面(つら)」にでるのだ。

 日本国民は、第二次世界大戦中、アジア・太平洋戦で、敵軍米兵が尊敬の念を持たずにはいられないほどの「国を愛する心」と「誇り」に支えられた勇敢さで死闘を繰り広げ、数百万人の犠牲者を出し、敗れた。

 日本国歴史上、前代未聞の敵軍による「日本占領」が始まる。
 国破れて、占領が始まった一九四五(昭和二十)年の真夏から、「無敵の日本帝国がなぜ負けたのか」と国民は自責の病に冒され、惨敗の理由探しに苦しんだ。「精神力では勝っていた」と占領の屈辱を耐えた。餓死寸前の食糧危機の中で自分を慰めるかのように、この念仏を呟き、「富」の蓄財に奔走した。
 「富」の魔力に惑わされ、「富」に真の幸せがあると錯覚し、日本国民は形相物凄く「富」を追及した。戦勝国アメリカが「世界一素晴らしい」アメリカ国内市場を日本の企業に提供し手呉れた。「日本のために」「経済復興のために」と。
 しかし、「富」という甘い麻薬への代償は、日本が最も大切にしていた「大和魂」を失う事だったとは国民誰一人として気づかなかった。この危ないからくりに気づいて警告を発した人がいたとしても、「極右」とか「軍国主義者」と罵倒を浴び、無視されただろう。
 アメリカに物を売って日本は金儲けをした。
 アメリカにとっての見返りは、日本人の服従。日本人の勇敢さ、戦闘心、「武士道」。脈脈と絶えることなく流れ続けた日本国の歴史、歴史に育まれ、成長してきた愛国心と誇り。即ち日本人の「魂」
 この無形の「見返り」をまんまと日本から取り上げたアメリカは、「また、勝った!」と思っている。銭では計れない、赤字・黒字決済簿に出てこない「誇り」を、アメリカは敗戦直後の虚脱状態にあった日本国民の心の中から、永久平和と民主主義という甘い言葉で誘い出し、アジア・太平洋の「征夷大将軍」マッカーサー元帥の密室で薬殺した。
 その死体が憲法9条。第九条は「愛国心」の墓。
 富める国の真っ唯中にありながら、忘れ去られた墓。誰も訪れない無縁墓地。

 ブランド物の美しい服で着飾り、美味しいものを食べ、多額の金を使い世界へ物見遊山に行き、またハイ・テクの小道具で日常生活を楽しんでいる富国日本の人々の心の中にはペンペン草が生えているのだろう。
おのれを顧みず、国の歴史となんらに絆も持たず、国の栄光と失望、夢と後悔、誇りと反省などには目もくれず、ひたすら「物・富」を追いかける今の日本の姿は、飢えていた五歳の私と同じではないのか。 
我々の「誇り」は第九条の中に埋葬されている。

日本国民は、戦後、第九条があるから日本が「平和」でおられたと信じている。そのように教育されてきた。今でも、そう教え込む。

アメリカは自国の国益を護るため、自国の安全を確保するため、あの勇猛日本、あの「神風特攻隊」を生み出す日本、国のために玉砕する日本人を二度と見たくなかった。我々日本人から「命をかけても護らなければならないもの」を抹殺しなければ、いつまた日本が息を吹き返し、強い国になり、太平洋で、アジアで、アメリカの進出を邪魔するかもしれない、アメリカに報復するかもしれないと恐れていた。
日本の文化から、日本の歴史から、日本人の意識から、「魂」を抜き去り、アメリカが「安全である」と吟味したものだけを、学校教育で徹底させるべし。マッカーサー元帥の命令一声で、日本教育が大改革をさせられたのは、アメリカの国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ。
アメリカが恐れ戦いた「日本人の愛国心」を殺すために陰謀作成された「洗脳」を、日本は今でさえ「平和教育」と呼び、亡国教育に現を抜かしている。

一九四六(昭和二十一)年の春、アメリカから教育使節団が来て、日本の学校教育を二週間ほど見学し、日本の生徒には「日本語は難しすぎる」と判断し、「日本語をローマ字にせよ」と迫った。五十年後の一九九七(平成九)年、文部省は小学校一年生から、ローマ字ではなく英語を教えると発表した。
「新文明開化」の夜明けか。これを「国際化」と言うのか。

アメリカの「マインドコントロール」は天才的だ。操られている日本国民は十二歳か。日本占領の独裁者マッカーサーが「日本人は十二歳だ」と公の場で明言した。

あの口うるさいアメリカ、自動車部品を一個、二個と数えるアメリカ、コダック、富士フィルムを一本、二本と数えるアメリカが、日本の「教育」に文句を言わない。一言も注文を付けない。日本の教育は今のままでよいと思っているからだ。アメリカは日本教育改革がここまで成功するとは思ってもいなかった。
アメリカは日本を見て、自画自賛している。「日本占領」はアメリカ版の成功物語。マッカーサーは今でもアメリカの英雄だ。

「日本占領」は、日本の未だ終わりのない「惨敗の物語」。敗戦国となり、「一億総懺悔」をさせられ、隣国から、世界中から絶えず罵倒され、「謝れ」と言われ、国際平和、国連、ユネスコ、ODAという有名無実の名の下に多額の金を巻き上げられ、その上「劣悪な国民」の烙印を押され、永い永い年月が経った。

一八六八(明治元)年の明治維新以来、「富国強兵」を国の目標とし、日本は世界史上まれに見る「国作り」に大成功を収めた。当時、欧米の植民地に成り下がっていたアジアで、日本が征服されなかったのは、「強兵」がいたからだ。「富国」となった今、日本には「強兵」がいない。今アメリカ軍の強兵が日本にいる。

一九四五年から一九五二(昭和二十七)年まで続いたアメリカの占領中、アメリカは日本を信念も自信もなくしてしまう国に仕立て上げ、自衛もできない丸裸の国にした。アメリカに頼らなければ生きてゆけない国に仕立て上げた。日本中にあるアメリカ軍の大きな基地は、日本が「提供」しているのではなく、アメリカ軍が戦利品として「没収」したものだ。アメリカ占領軍は、未だ日本から立ち去らず、「属国・植民地」の動静を監視している。その監視費用(年間五千億円)も日本が出す。「広島と長崎の夏」の前、日本の国土に外国の軍事基地はなかった。他国の基地があるのが異常なのだ。

それどころか、職業軍人マッカーサーが妄想逞しく、争いのない「天国」を夢見て、六日間で綴った作文を「侵すべからざるの聖典」、憲法と崇め、いかに世界が、日本の現状が激変しようとも、マッカーサーの「夢のまた夢」にしがみついているのが、今の日本の姿。腹も立てず、侮辱も感じず、今の日本が「平和の姿」だと一人善がりの錯覚をしている。

日本の首相も侮辱を感じないのだろう。首相が「参勤交代」をするかのようにアメリカを訪問し、ワシントンDCにあるホワイト・ハウスに招待され、その後必ず隣りのバージニア州アーリントンにあるアメリカの聖地、国立墓地と無名戦士の墓に詣る。連れていかれる。この墓地にアメリカの英霊が眠っている。日本の首相は花輪を捧げる。かっての敵に、敬意を払うことは礼儀を弁えた大人の姿だ。日本にもアーリントン国立墓地に匹敵する厳粛な場所がある。ところが、首相が帰国して、祖国の英霊が眠っている靖国神社に足を運ぶのか。運ぶ首相もいる。だが、近隣諸国の感情を逆撫でしてはいけないと細心の気を配り、あたかも悪いことをしているかのように人目を避け、終戦記念日を避け、こっそりと英霊に黙祷する。近隣諸国は、待ってましたとばかり「戦争犯罪人を擁護している」と日本を攻撃する。

日本の兵士たちは、理由はどのようなものであれ、祖国日本のために死んでいった。この人たちに敬意と謝意を払うのは、生きている日本人としての礼儀だ。日本国の首相としての「誇り」も、いや、その「意識」もないのだ。アメリカの大統領も日本に来る。彼らは靖国神社に表敬訪問しない。そんなものが東京にあるのも知らないのだろう。あってはならないと思っているのかもしれない。ここに、アメリカと日本の真の関係が見える。繰り返す。「日本占領」は、アメリカ外交史上最高の「成功物語」。
〜〜〜転載終わり〜〜〜

敢えて再度引用する。

"職業軍人マッカーサーが妄想逞しく、争いのない「天国」を夢見て、六日間で綴った作文を「侵すべからざるの聖典」、憲法と崇め、いかに世界が、日本の現状が激変しようとも、マッカーサーの「夢のまた夢」にしがみついているのが、今の日本の姿。腹も立てず、侮辱も感じず、今の日本が「平和の姿」だと一人善がりの錯覚をしている。”

憲法9条を護持する勢力の真意は????

単なる無知、平和馬鹿か??? それとも反日売国の確信犯か???

九条の会なるものが無数に存在し全国的に憲法9条護持運動を展開している。宗教界も平和志向からかそれとも秘めたる不純な動機からか、憲法9条護持を掲げている。労働団体は概ね憲法9条護持派だ。学者、文化人とよばれる人達の中にも憲法9条護持派が圧倒的に多い。九条の会なるものの発起人の一人に三木元首相夫人の三木睦子が名を連ねているのを見ても、いかに米国による洗脳効果が大きいか=いかに洗脳され易い馬鹿(自らの思考能力を放棄した人)が多いか=一目瞭然である。


中国が首相の靖国神社参拝非難を開始して当時の中曽根首相は直ちに参拝を取りやめ、以来、小泉元首相と安倍首相を例外として殆どの首相は靖国参拝を自粛したのは、日本のリーダーまでも日本人としての誇りも矜持も捨て去った腹立たしい現象だった。

最近では祝日の国旗掲揚は殆ど見られなくなった。ヤマちゃんおやじが小中学生時代には祝日には各家庭で国旗が掲揚されていたものだ。

歴史教科書にも、ヤマちゃんおやじが習った教科書には、日本が国力を傾けて朝鮮に建設した当時世界最新鋭の水豊ダム・発電所の写真が掲載されその説明もあった。当時の大人たちの多くはは“日本はABCD包囲網による経済封鎖してやられた”と語っており、日本がアジア諸国を侵略したという話は殆ど聞いたことがなく、日本が大東亜戦争を戦って一時的にせよ米英に勝ったのでアジア諸国の独立気運醸成に貢献したと言う声のほうが多かった。


しかし今の教科書は「日本はアジア侵略に奔走した」との内容ばかりだという。

南京大虐殺は完全な捏造事件であり、当時を知っている人達が元気な間には全く聞かれなかった。南京大虐殺という文言が世間に流れ始めたのは、当時の南京事情を知る人達が第一線を退くか、死亡した後の1970年代初頭であった。当時の南京事情を知る人達が元気な間に、南京大虐殺という完全な捏造事件を発表すれば大嘘がたちどころに露見するからであった。

このように日本人に対する洗脳は、大東亜戦争経験者が引退した後に占領軍が引き揚げたかなり後になって加速され始めた感がある。

第二次世界大戦勃発を陰で火をつけた国際コミンテルンはスターリンによって1943年に解散させられたが、それ以降はソ連、中国など民族単位での共産主義拡充活動は引き続き活発に行われた。

スターリンは暴力革命に走った日本共産党経由による日本での共産革命を諦め、日本社会党に日本共産化の希望を託した。共産革命に成功した中華人民共和国(中国)も、日本を利用しながら共産化する作戦で日本の左翼勢力と連携活動を始めた。


マッカーサーが敷いた日本弱体化路線に乗っかって、中国が朝日新聞や創価学会、部落解放同盟、社会党などの左翼革新勢力、反日マスコミどもと協働して、日本での共産政権樹立を狙った反日活動に注力し始めたのが、1970年代初頭ではないかと感じる。

換言すれば、マッカーサーが敷いた平和憲法を徹底利用して日本弱体化を進めてきたのが中国共産党とその日本の仲間(スパイ)たちである。

換言すれば、今の日本の国を挙げての平和馬鹿振りは、マッカーサーと中国共産党と国内反日勢力との合作の結果であり、日本国政府もその片棒を担いでいることになる。


だから反日網は強大な勢力を誇っているのだ。反日活動を煽っているのは左翼勢力ばかりではない。保守政党といわれる自民党内にも、政府内にも洗脳から目覚めていない平和馬鹿がうようよいるので=外務省、文部省、財務省、法務賞、厚生労働省など=始末が悪いのだ。

GHQによってたった6日間で作られた夢のまた夢の絵空事憲法である現憲法が諸悪の根源だと言う認識を国内に隅々まで拡散させる必要があると痛感する。

それでも現憲法に固執する勢力は、正真正銘の反日売国奴としての烙印をおされることになるだろう。

アングロサクソン民族の怖さは、洗脳されたものが洗脳されことに感ずかないほど巧妙な罠を仕掛ける能力に長けている所である。

シナ人は大胆に悪事を働くので彼らの悪事は判り易い。

しかしアングロサクソンの企図する悪事は、被害者からみても悪事に見えず一見正義にも見えるのでその危険度はシナ人以上かもしれない。

明治維新以降日本は、欧米人の有する知識・技術は吸収してきたが、アングロサクソンの企図してきた悪事の歴史を学び、彼らの企図する悪事を読み明かす能力は学習範囲外であった。アングロサクソンが知識の切り売りはしても、彼らの奥の手までもアジアの新参者日本にに公開することはないのは当然であろう。

世界歴史そのものからアングロサクソンの企図してきた悪事は秘匿されてきたが、第二次世界大戦以降、かれらの企図してきた悪事の一端が世の中にすこしずつ漏れ始めてきた。しかし殆どの人達は、彼らの悪行に気が付いていない。

とはいえ、米軍プレゼンスが後退するアジア地区において、中国がその隙をついて領土・領海・領空拡大を図っている脅威に対しては、日米同盟を初めとする欧米諸国との連携は極めて重要である。

いずれにせよ、日本はマッカーサー憲法の呪縛から逃れ早急に自主憲法を定め核武装を実現しないと、中国の属国に成り下がるであろう。

仮に日本が中国の属国に成り下がった場合には、米国の属国である今日本よりも各方面で一団と劣悪な状況に置かれる予感がする。。。。。





posted by ヤマおやじ at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月04日

ミヤマキリシマを求め久住山、涌蓋山に登る

<5月30日(金)>

登山道整備が一段落したのを機会に5月20日以来更新していないブログを22時前まで書いた。もう少し文をコンパクトにして更新頻度を上げるのが好ましいような気がするが、最近はブログをはじめた2007年当時と比べるとブログ更新への熱意が下がったのは正直な感想である。

最近では、ブログを書き終えた後は、『これで当分更新をしないでよい!!!』と思い気が楽になるのが偽らざる心境である。

5月31日(土)か6月1日(日)あたりにひさし振りの久住山近辺でミヤマキリシマを見に行く計画を2,3日前から作っていた。高速代をケチるためには出来れば休日が好ましい上に、ミヤマキリシマの見頃も外したくない・・・という少し欲張った思いもあった。

当初案では、6月1日(日)には山開きが予定されており久住山では混雑が予想されるので、山開きの前日の5月31日(土)に登山者が少ない赤川登山口から久住山に登る予定にしていた。

また、メールマガジン「ゆうゆう山旅」2014年6月号39号によれば、ミヤマキリシマ鑑賞の穴場として涌蓋山の紹介があり丁度5月下旬から6月初めが見頃であろうと紹介されていたので、午前3時頃出発し仮に赤川登山口駐車場が満杯であれば、第二候補として涌蓋山に登り、ここでも駐車場が満杯であれば第3候補として由布岳に登る案を考えた。

ところが、5月30日にブログを書き終えたのが10時前であり、5月31日(土)の3時出発は無理になったので、6月1日(日)の3時頃出発することになった。

<5月31日(土)>

登山準備して18時頃就寝した。


<6月1日(日)> 久住山、涌蓋山ダブル登山

2時過ぎに起床し、朝食を済ませて2時40分ごろ自宅を出発した。

宇部ICに入り、北九州JCから東九州自動車道を経て行橋市、椎田道路、国道10号、宇佐ICを通り湯布院ICを出て、やまなみハイウエイ経由で牧ノ戸峠を越え6時20分頃久住山赤川登山口に着いた。

途中牧ノ戸峠の瀬の本側駐車場では20〜30台程度の空きがあり“おかしい”と思い乗り入れたが、やはり初めての赤川登山口から登るために瀬の本方面に向ったが、満杯のはずの牧ノ戸峠駐車場が空いていたので一瞬不思議に思った。


<久住山 赤川コース周回>

40台程度収容可能な赤川登山口駐車場(標高1050m)には、既に3台の車が駐車していた。急登りの連続に備えて菓子パン2個をコーヒーと共に喉に流し込み、脚絆を付けて二本ストックを使い6時30分頃駐車場を後にした。

DSCF8186.JPG <赤川登山口駐車場>

6時38分に扇ヶ鼻分岐へ左折しひたすら林間コースを進むと7時5分頃目の前に、扇ヶ鼻、肥前ヶ城、久住山の雄姿が現れ雄大さに感激する。
DSCF8190.JPG  <扇ヶ鼻(左)& 肥前ヶ城>

DSCF8192.JPG  <肥前ヶ城(左) & 久住山>

目指す扇ヶ鼻はまだはるか先だ。ここで写真を撮っていたら年配の女性がサッと追い抜いて行った。かなりの健脚らしい!!!

さらに20分程度登ると笹原になかに見頃と思えるミヤマキリシマの群生がちらほら見えてきた。
DSCF8194.JPG <扇ヶ鼻中腹のミヤマキリシマ>

振り返れば久住高原の牧歌的風景も美しい。更に20分程度登ると振り返れば阿蘇山が見えてきた。

いったん林の中を西にトラバースし、いよいよ最後の急坂が始まった。段差は大きくなり、木につかまらないと登れなくなり、ついにロープ無しでは登れない箇所が現れた。予め急坂は覚悟していたので3回程度立ったまま休んだ程度で意外とあっさり山頂付近の大岩に達し、8時20分に扇ヶ鼻(標高1698m)に着いた。

久しぶりの名山からの眺めはやはり一級品だった。
DSCF8201.JPG <阿蘇山 & 根子岳>

しかし扇ヶ鼻北面にあるミヤマキリシマの群生は一面の茶色であったのでいささか落胆した。この時点で何故 牧ノ戸峠駐車場が空いていた理由がはっきり判った!!!

8時25分頃久住山へ向けて扇ヶ鼻を後にした。途中で登山道に小さな緑色の虫が沢山いるのが異様に思えた。途中で出会った年配の男性は、“ミヤマキリシマは見えないが見えるのは虫ばかり”と嘆き節をつぶやき、あたかも虫害でミヤマキリシマが全滅したような口振りであった。

時間が早いせいか、はてまたミヤマキリシマのピンクが殆ど見えないせいか不明ではあったが、登山者はパラパラで久住山山開き(今年は大船山で開催)にしては異様に少なかった。

8時40分ごろ星生山分岐を過ぎ、9時5分ごろトイレがある広場に着いた。
DSCF8208.JPG <急峻な久住山南斜面>

9時12分頃久住別れを通過し、9時48分ごろ久住山頂(標高1786m)に着いた。

此処は3回目だが、何時来てもここからの景色は素晴らしい。すこし霞がかかっていたが、阿蘇山、祖母山など360度の大パノラマに暫し時を忘れ見入っていた。
DSCF8232.JPG <贅沢な眺めの一等三角点久住山>

ここで早めの昼食を採り、赤川ルート下りの難所に備えた。

10時頃久住山頂を出発し、赤川ルート下りに入った。急な岩場を慎重に下っていると5人の一団が登ってきたので挨拶を交わした。久住山山頂付近でのミヤマキリシマの開花状況を聞かれたので正直に“茶色一色”だしかし、扇ヶ鼻4〜5合目のミヤマキリシマは良かったと伝えた。彼らは落胆の色は余り示さずやはり時期尚早かと言うような反応であった。

急な岩場が結構長く続く上に、潅木地帯に入っても急坂は一向にやむことはなかった。こんな険路でも再び7,8人の一団が登ってきた。

その後年配男女2人連れが登ってきた。ミヤマキリシマのことを聞かれたので、一面茶色と答えた所、『見事なミヤマキリシマ開花に出会うのは10年に一回だ』と男性がのたまった。それだけ難しいのであれば仕方がない・・・と妙に納得させられた!!!

山頂から50分程度下った所で急にしっかりした木製階段が現れた。少し大げさではあるが、『地獄で仏に出会った』感があった。
DSCF8234.JPG <地獄で仏=木製階段>

喜びも束の間で再び急な岩場道の連続だ。

10人程度の一団が登ってきた。その後5,6人の年配の男性の一団が登ってきた。
その後また年配男女2人連れが登ってきた。

不思議に思ったのは、赤川直登コースの方が扇ヶ鼻コースよりも険路だと思えるのに何故赤川直登コースを登る人が多いのか????

ヤマちゃんおやじは、扇ヶ鼻コースの方が赤川直登コースよりも断トツに楽だと感じたからだ。。。

階段が嫌いな人は、階段が殆ど麓まで続く赤川直登コースは敬遠するのが正解だと思った。
反面扇ヶ鼻コースでは階段は殆どない。

しかしいずれのコースも雨天時や雨上がり後は、登山道の黒土が滑り易いのでストレスが大きいだけでなく、疲れも危険も大きくなるものと感じた。

中腹ではミヤマキリシマも見頃であった。
DSCF8237.JPG <久住山南面中腹のミヤマキリシマ>

11時24分林道に合流し、再び登山道に入るのを3回繰り返し、11時43分赤い川にかかる丸木橋を渡った。
DSCF8240.JPG <赤い川にかかる丸木橋>

ここで赤川と言うこの地の謂れがわかった。。。川が赤いからだ。温泉成分が赤い色を生ぜしめているのではないだろうか。。。

その後出発時通過した扇ヶ鼻分岐に合流し、11時55分頃満車状態の駐車場に着いた。

好天に恵まれたせいか、険路ながら整備されたコースのお陰のせいか、中級〜上級コースとも言われる赤川コース扇ヶ鼻〜久住山周回を5時間30分で無事終えることが出来た。
関係者の労に感謝、感謝、感謝。。。

やはり久住山周辺での茶色一色のミヤマキリシマがいささか残念であったので、次いで時間的にも可能な涌蓋山に登ることにした。


<涌蓋山>

瀬の本の交差点にある土産物店で黒ゴマ蜂蜜入りアイスクリームを食し疲労回復とエネルギー補給をした後、筋湯温泉方面へ向った。九重森林公園スキー場を500m程度過ぎた所にある、一目山・涌蓋山登山口駐車場に12時35分ごろ到着。

一目山・涌蓋山登山道を示す案内板がある舗装道(私道と思われた)には進入禁止の柵があった。丁度登山者が下ってきたので確かめると、涌蓋山登山道だと言うので、12時40分ごろこの登山口(標高1140m)から早速登り始めた。

事前に涌蓋山登山道を調べていたので18時頃までには帰れる見通しがあったので安心して出発できた。

登山メルマガ『ゆうゆう山旅』で案内された如く、涌蓋山までの殆どのコースで久住連山をいろいろな角度から眺めることが出来るのはなかなかな贅沢であり、さらにピンク色に染まった見頃のミヤマキリシマの群生を背景に眺める涌蓋山、久住連山の景色は絶景と言う他はなかった!!!
DSCF8243.JPG <ミヤマキリシマ & 涌蓋山>

DSCF8246.JPG <ミヤマキリシマ & 久住連山>

DSCF8247.JPG <???>

4年前に涌蓋山に登った時はガスで殆ど何も見えなかったが、今回はその鬱憤を見事に取り返して余りあるほどだった。

13時40分ごろミソコブシ山(標高1299m)に到着、家族連れ4人に出会い挨拶を交わす。
DSCF8251.JPG <ミソコブシ山から見た涌蓋山>

小憩後ここから緩やかに下り、14時頃涌蓋越に到着。樹間のルートを進み、枯れた笹原を登るとき小学生とその父兄の一団と出会う。その後5,6人の年配者一団と出会う。年配のご婦人が、“ミヤマキリシマは良かったですよ”と教えてくれたので、疲れも吹っ飛んで一気に女岳に14時33分頃到着。
DSCF8269.JPG <女岳から涌蓋山を望む>

ここでも4人の中年女性グループと中年の男性に出会う。

ここからが結構な登りとなるが、西側の斜面に広がるピンク色のミヤマキリシマの群生を眺めながらゆっくり歩を進め15時頃涌蓋山山頂に立った。
DSCF8267.JPG <涌蓋山西側斜面に広がるミヤマキリシマの群生>

標高1500mの独立峰涌蓋山からの眺望は申し分ないものだった。

15時5分去り難い気分を抑え復路を辿った。まだ登ってくる若い男性に二人であった。

帰り道も飽きるほど久住連山とミヤマキリシマの群生を眺めることが出来た。コースの殆どは危険箇所はないので景色を漫遊しながらの快適すぎるほどの歩行であった。

17時に駐車場に到着。登山開始時十数台あった車は2台に減っていた。
4時間かかる復路運転を控え、持参のクールコーヒーを300cc一気に飲みのどの渇きを押さえ、かつ、睡魔に襲われないようにした。

21時前に無事帰着した。今回の登り累計標高差は1337mであった。
飲み干したスポーツドリンクは2000cc。

お目当てのミヤマキリシマも涌蓋山リベンジ登山で丁度見頃に出会えたので申し分なかった。諸々に感謝、感謝、感謝。。。





posted by ヤマおやじ at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする