ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2013年11月30日

沖縄県民の辺野古移設賛成署名数は3ヶ月で7万人を突破

宮崎正弘著『取り戻せ!日本の正氣』を読んで(3)を書く予定にしていたが、

ここ2週間の間に後から振り返ると歴史のターニングポイントと言われるような出来事が3つ起こったと感じているので記載した。

<一つ目の出来事>は、普天間基地の県外移設という反日左翼政党の民主党と同じ主張を繰り返してきた沖縄自民党県連(国会議員団)が豹変し辺野古への移転を容認したことである。

表面的には自民党の石破幹事長や管官房長官の説得によるように見えるが、実際はそうではない。先の参議院選挙に際しては、石破幹事長の説得にもかかわらず沖縄自民党県連は、選挙公約として普天間基地の県外移設を掲げたという経緯がある。
さらに、

産経新聞(2013/11/16)によれば、“「県外」議員に離党勧告 自民党、普天間移設めぐり”という見出しで、

〜〜〜米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題をめぐり、自民党の高村正彦副総裁らが沖縄県選出(比例代表九州ブロック含む)の所属議員で県外移設を掲げる3人に名護市辺野古への移設を容認する主張に転換しないと離党を勧告する方針を伝えたことが15日、分かった。
 転換の期限は今月中で、党沖縄県連の県外要求撤回と来年1月投開票の名護市長選での辺野古容認派の候補者一本化に向けた調整を加速させる。
 沖縄選出の5人の自民党議員のうち衆院議員の国場幸之助、宮崎政久、比嘉奈津美の3氏は県外移設の主張を崩していない。〜〜〜と報道された。

党是に反対して自民党所属の国会議員が、政敵である民主党の元首相鳩山が掲げた県外移設を公約にしただけではなく、自民党副総裁による離党勧告でも効き目が薄いということは、沖縄県の政治情勢は尋常ではない〜沖縄の左翼勢力に逆らうと沖縄では政治活動もままならない〜と言う一種の治外法権的実態を暗示している。

昨年末には政治的に中立であるべき那覇市役所が、オスプレイ反対集会参加のために無料バスを提供したくらいだから・・・

翁長雄志那覇市長は、保守系の市長ではあるが、普天間飛行場の辺野古への移設やオスプレイの沖縄県内の基地への配備には反対の立場を見せており、オスプレイ配備反対を求める県民大会では共同代表を務めている。

この翁長雄志那覇市長は保守の旗を掲げてはいるが、その言動はもはや反日左翼そのものだ。
沖縄タイムス、琉球新報の二大地元紙、琉球大学・琉球国際大学、共産党・社民党・民主党などの反日左翼勢力が治外法権ともいえるほどの独裁専制的権力を握る沖縄では、保守系政治家でも反日左翼的活動をしないと生きてはいけない状況に陥っていたのだ。

産経新聞以外の反日マスコミが隠蔽した報道に、“平成25年11月24日(日)に開催された沖縄基地縮小実現県民大会で辺野古移設賛成の沖縄県民の署名が辺野古移設賛成署名数は73.491人に達した”と言う事実があった。

本年8月18日の「県民の会」発足より2カ月半という短い期間で目標5万名を超える、7万超の署名が寄せられた。いままで反日マスコミは、あたかも殆どの沖縄県人が辺野古移設に反対しているかのごとき捏造報道をことあるごとに流してきた手前、正直に現実を認めて報道できなかったのであろう。

こうした沖縄県内世論の変化を受けて、普天間飛行場の県外移設を主張していた自民党の国会議員3名(国場幸之助・比嘉奈津美・宮崎政久衆院議員)は、「辺野古移設容認」へと政策を転換したのだ。

ヤマちゃん日記では、反日左翼勢力が牛耳る沖縄の実体を数回掲載してきた。基地反対を唱えるのは、尖閣列島はおろか沖縄、日本までも支配下に置きたい中国共産党政府の手先になって米軍基地反対を生業にしている県外や韓国の外来勢力であることを伝えてきた。

この沖縄の危機的状況を救ったのは、本年8月18日から始めた「県民の会」による署名活動と言う住民による直接政治行動であった。

73.491人もの辺野古移転賛成署名活動と言う直接行動が、沖縄タイムス、琉球新報の二大地元紙、琉球大学・琉球国際大学、共産党・社民党・民主党、反日マスコミなどの反日左翼勢力によるあの悪質卑劣な宣伝・スパイ行為に打ち勝ったのだ!!!

しかし、沖縄は反日左翼の金城湯池というべき特別な地域であることを忘れるわけにはならない。

普天間基地に隣接した小学校を学童の安全のために基地から遠く離れた場所に移転する計画が持ち上がった時、真っ先に強硬に小学校移転に反対したのは、沖縄米軍基地反対勢力であった。
本物の沖縄人であれば、沖縄の学童が危険にさらされるのを防ぐために小学校移転に賛成したはずである。何故彼らは小学校移転に反対するのか?

その反対理由は、小学校が安全な場所に移転すれば、米軍基地反対を叫ぶための重要なネタがなくなるからであった。

この米軍基地反対勢力は、沖縄の小学生の安全などは一切求めておらず、彼らの市民活動と言う米軍基地反対闘争の真の狙いは、中国共産党のために沖縄から米軍基地を追い出すことたからだ。

沖縄から米軍が撤退すれば、沖縄県は独立宣言し同時に中国軍が解放と称して沖縄に進駐し、沖縄は戦争なしで中国の支配下にはいる・・・これが中国と反日左翼勢力の描く日本侵略の青写真だ。

この“中国の沖縄奪取という野望”を武力行使することなく実現するためには、米軍基地は絶対に沖縄県外に移設せねばならないのだ。
だから、民主党をはじめ反日左翼勢力は、米軍基地の県外移設に固執するのである。



<二つ目の出来事>

は、中国が防空識別圏の設定に対する世界中からの反対抗議だ。
軍事ジャーナル【11月27日号】
http://melma.com/backnumber_190875_5936744/
中国空軍の敗北から転載する。
〜〜〜転載開始〜〜〜
中国が防空識別圏の設定を宣言した。2月に中国軍の羅援少将が設定を提案していたが、その時点では軍上層部は羅援の提案を無視していた。それが何故この時期に採用されたかと言えば、16日、17日と二日連続でロシアの空軍機が沖縄に接近するという事件があったからだろう。
 この二日とも中国軍機がロシア機に対応する形で沖縄に接近しており、その飛行経路は今回設定した防空識別圏と重なるのである。実は12日にロシアのプーチン大統領はベトナムを訪問しており、ロシアの最新戦闘機の供与について話し合われたという。
 今のベトナムにとって最大の脅威は中国であるから、この露越の動きはどうみても対中包囲網の形成である。その上でロシア軍機の東シナ海進出である。中国は反射的に防空識別圏の設定を宣言したのであろう。要するにロシアを牽制したのである。

 しかし中国が防空識別圏を設定するとなれば、中国が領有を主張している台湾や尖閣、そして韓国の一部も含まれることになる。設定を宣言した23日、中国の情報収集機が飛行し、そこは日本の防空識別圏でもあるから、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進し中国機に接近し監視した。
 言うまでもなく中国から見ると中国の防空識別圏を日本の戦闘機が飛行しているわけだから、中国の戦闘機が緊急発進して日本の戦闘機に接近して監視しなくてはならない。ところが中国の戦闘機は緊急発進しなかった。
 そもそも防空識別圏とは戦闘機が緊急発進する範囲を指す。戦闘機が緊急発進しない防空識別圏など何らの実効性を持たない、言わば絵に描いた餅でしかない。それを見た米軍はB52爆撃機を飛行させ、やはり中国戦闘機は発進せず、中国が宣言した防空識別圏は八方破れの陣となった。

 おそらく航空自衛隊のF15が緊急発進したのを見て中国空軍の戦闘パイロットは二の足を踏んだのであろう。中国にはJ10やJ11などF15に一応対抗できる機種はある。しかし稼働率が異様に低く墜落率が驚くほど高いと言われる。当然訓練も儘ならず、パイロットの練度も低い。
 一口にいえば、空自のF15が出撃した瞬間に中国空軍は敗北したのである。中国が防空識別圏を設定したとの報を受けても動揺せず通常の手続きに従って緊急発進した空自のパイロットや現場指揮官の勇気は称賛に値する。
 これが民主党政権だったら、岡田幹事長みたいのが、中国を刺激するなとか言って緊急発進を中止させたに相違なく、そうなれば中国の防空識別圏は公式に承認されたものとなり、中国空軍は台湾、尖閣、韓国に勢力を広げていた。安倍政権は東アジアを救ったとも言えるであろう。

 中国の制服のトップ、軍事副主席の許其亮は空軍出身である。中国の権力闘争は昨今いよいよ激化しているから、許は責任を問われて失脚するかもしれない。失脚を免れるためには失敗を糊塗していよいよ強硬策に出ることも考えられる。たとえば1996年に台湾近くに軍事演習と称してミサイルを次々に打ち込んだが、形勢挽回、窮余の一策として有り得る。
 東アジア戦争の第1ラウンドに我々は勝利したが、戦いはまだ終わってはいないのである。
〜〜〜転載終わり〜〜〜

やはり安倍政権であったからこそ、中国の罠に嵌らずに済んだのは、ラッキーであった。
これが民主党政権であったならば、中国の罠に嵌ったのは間違いない。

自民党政権であっても安倍政権でなければ、売国奴官庁である外務省が“中国を刺激してはならない”という論理を振りかざして航空自衛隊によるF15が出撃を抑えた可能性が高い。

しかし中国の挑発はまだまだ続くだろうから、安心は禁物である。


<三つ目の出来事>
は、反日売国マスコミNHKが台湾人1万人から提訴されていた裁判で11月28日敗訴したことである。

これも日本の桜チャンネルとその協力者及び台湾の有志が4年間に渡り地道に取材・抗議活動を重ねた結果、いまどき珍しいまともな裁判官の存在とあいまって、史実に反して台湾を舞台にした反日報道を捏造したNHKの事実を東京高等裁判所が認め有罪判決を言い渡した。

今まで編集権を振りかざして事実に反する捏造放送を繰り返し行ってきた反日左翼メディアNHKに今回東京高裁から鉄槌が下されたのは今までにない快挙であり、日本にも未だまともな裁判官が残っていたという貴重な証拠にもなったと言う意味で、画期的だ!!!

より詳しい記載は次回に回します。

なお12月3日(火)の国会予算審議会で10時35分頃にNHKの数々の悪事に対して日本維新の会から徹底的な糾弾質問が予定されています。

みなさんこのNHKへの国会での糾弾質疑にご注目あれ!!!
産経新聞以外のメディアは報道をしないでしょう。よって桜チャンネルなどのネットで検索するのが良いでしょう。

尚、NHKは国会審議のビデオを中国のCCTV(NHK本部に同居)にすべて垂れ流すというスパイ同様な行為も日常的に行っているとのことです。

職員平均年収が1780万円とも言われるNHKは、反日報道に邁進し中国共産党の御用放送局に成り下がっています。2ヶ月に一回はNHK職員による不祥事件が発生しています。

敵性国家である中共、韓国、北朝鮮の代弁者に終始し反日報道にひた走るNHKは、もはや日本の公共放送ではないので、強制的に受信料を徴収する資格はありません。

もうこんなNHKは解体する外はありません。

NHK解体の機は今回の国会質疑で一挙に高まる可能性があります。

例えば、NHK解体への署名が多数集まれば、NHK解体は夢物語ではなくなるでしょう。
そのためには、国民の勇気ある行動が必須であるのはいうまでもありません。


以上3つの画期的出来事は、国民がしかり行動することで初めて実現しました。

”国民による信念を伴った直接行動のみが事態を好転させる”と実感した。
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2013年11月27日

宮崎正弘著『取り戻せ!日本の正氣』を読んで(2)

ヤマちゃんおやじが小中学校、高校に通った時代(今から50年以上前)は、毎年11月下旬に防府市で行われる『裸ん棒祭り』の頃は既に初冬に寒さが襲ってきていた。

その後いつのまにか暖冬となり、『裸ん棒祭り』の時期が来ても寒さは感じなかった時代が一昨年まで続いた。しかし昨年あたりの『裸ん棒祭り』から再び寒さを感じるようになった。

今年も11月下旬ではなるが12月下旬の寒さが襲ってきている。
今までの暖冬がおかしいのであり、ようやくまともな寒さに戻ったのかもしれない。

さて、宮崎正弘著『取り戻せ!日本の正氣』は3回読み直した。読むたびにすこしづつ理解が増した感がある。

本書のエッセンスを余す所なく掲載するわけには行かないので、当方が感銘を受けた部分を一部紹介することにする。

< 保護国家としての日本>
松村剛は文芸評論家として知られているが、1960年代後半から文芸評論に興味を失い、政治、国際情勢をもっぱら論じた。

1992年に上梓された「保護国家日本の運命−冷戦後の世界の中で(PHP)」がある。松村剛はこの中で

「光は常に陰の部分が付きまとう。アメリカのさしかける傘の下で四十年以上すごして来た結果、国際社会を生き抜いていくうえで当然求められる緊張感が、この国ではみごとなほど失われた。片務的条約を結んで他国の一方的な庇護下に生きるということは、自分を相手の保護領としてしまうのに等しい」

そしてクウエートと戦後日本を比喩した。クウエートはイラクに侵攻されても指導者はサウジアラビアとエジプトへ逃げ、奪回の軍事作戦は米英主導の多国籍軍が戦った。保護領だからである。クウエートを国と錯誤して論評した日本のマスコミや「中東専門家」は基本認識が間違っている。

日本は北朝鮮の核に対しても、中国の尖閣諸島奪取行動を目の前にしても、いまもアメリカを頼りにして自分から守ろうとする気概もなく、自前の核武装からも逃げている。だから、村松が世に問うた「保護国家としての日本」という情けない状態は、安倍政権になってもまだ続いていることになる。


<GHQ政策による日本人の去勢、洗脳工作の成功に警鐘を鳴らした三島由紀夫>

戦後知識人は大恋愛小説、古典、日本精神から逃げた。代わりに文壇が追求したのはカストリ小説のほか、サスペンス、殺人トリック、社会派、都市犯罪、マネーゲーム、猟奇、失われた世代の疎外感、そしてエログロ・ナンセンスだった。いまでも文壇では「豊穣の海」を本格的に論ずる文芸評論家は少ない。怖くて評論できないか、理解不能かのどちらかであろう。

そこには恋愛の成立しないロボット社会、情緒が乏しく、ゲーム感覚としての人生が描かれ、村上春樹などが持て囃される。

死が遠景となり、日常生活の隣にない。代わりに保険、年金と長寿、医療福祉・・・・。この主因は、GHQ政策による日本人の去勢、洗脳工作の成功したからに他ならず、男は女になり、女は男になり、生存本能に乏しく、小子化社会に堕したのだ

つまり、日本人は死からの逃亡を繰り返して精神を台無しにしたのである。明日死ぬかもしれないという戦争状態がなくなると緊張を失い、ハングリー精神を欠落させ、精神が萎える。戦後の生命保険、福祉、雇用保険、生活保護は、明らかに制度的に日本人を堕落させた。

三島由紀夫の歴史的意義(割腹自決事件と檄文、昭和45年11月25日)が、軽桃浮薄な世の中に警鐘を乱打したことになる。

昨今、中国の反日運動が直接契機となって未曾有の危機に直面するや、本格的保守政権が誕生し、明るい未来がほのかに見えてくる。時代の流れは保守に味方している。正気は回復しつつある。日本にナショナリズムと危機意識が芽生え、少数ながら国学の復興が見られる。それもこれも三島由紀夫事件が原点となった。


さて、最近のニュースでは、経団連会長以下実業界の重鎮連中が大挙して中国を訪問したが密かに期待した李克強首相との面会も適わず大した成果もなく空しく帰国した矢先、中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)を含む東シナ海上空に防空識別圏を設定し牙をむき出しにした。

これを聞いた経団連会長は中国の意図が理解できないという趣旨の発言をしたが、経団連自身が中国という国の真の姿を理解せず普通の(常識のある)国だと錯覚している節がある。これもカントーリスクという対外進出で最も重要な因子を忘れたお馬鹿経営者集団というところか!!!

もう一つ。トヨタ自動車が中国でハイブリッド車を部品レベルから生産開始する決定を最近行った。

ヤマちゃんおやじはこの情報に接して、これでトヨタは終わりか!!!と感じた。
トヨタが過去数十年かけて営々と苦心惨憺してようやく実用化したハイブリッド車技術・ノーハウを丸ごと中国に盗られるのは時間の問題であろう・・・・と危惧する。

中国が川崎重工から詐欺的に新幹線技術を盗み出したのを、トヨタは知らないのか????
トヨタは中国を疑はないのか????
とすればあまりにも危機感がない!!!

これが日本を代表するメーカーといわれているのだから、そのノーテンキ振りはどーしようもない平和ボケだ!!!
posted by ヤマおやじ at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月25日

周南市高瀬湖の紅葉

< 治にありて乱を忘れた >

11月19日(火)の午前中は公園ボランティア活動として、雑木林の伐採を行った。

11月21日(木)は結果的に莇ヶ岳シャクナゲ尾根登山道の整備を行った。

この日は小春日和の好天で当初は莇ヶ岳に登りながら登山道整備を行う予定にしていた。
10時30分頃作業道終点に達し、鞍部までのルートで歩きにくく登りにくい部分に段差を付けたり、倒木を切断して木の階段を設けたりした。

11時頃下方から熊避け鈴の音と共に一人の男性が登ってきた。約2ヶ月前に莇ヶ岳山頂で出会い飯ヶ岳への鹿野側登山口をヤマちゃんおやじに聞いた男性であった。

この男性は、先月ヤマちゃんおやじが付けた目印に従って先日飯ヶ岳に登ったとのことであり、その時周回路との合流点付近で笹が刈り取られていたと言うので、その笹刈はヤマちゃんおやじが行ったことを話した。

この男性は、莇ヶ岳シャクナゲ尾根登山道では急登が少ないので気に入っており、知人にも紹介しているとのこと。彼は登りには谷コースを下山時には尾根コースを下るという。
更に彼は、最近莇ヶ岳シャクナゲ尾根コースは益々登りやすくなっている・・・との感想・感謝を口にした。
。。。。。

登山道を開設し維持管理しているヤマちゃんおやじとしてはこれほど嬉しい話はない!!!

出来るだけ多くの方々にシャクナゲ尾根コースを利用していただきたいので、こうして暇を見つけては道を整備している・・・と胸の内を披露した。

“あまり作業の邪魔をしてはいけない”と言い残し彼はヤマちゃんおやじが作ったルートを登って行った。

少し経って彼が何処の誰か?を聞こうとして姿を追ったがもう姿は見えなかった。

谷底から迂回路までの急坂に、倒木を活用して手造りの階段を設けた。

迂回路は狭く登り辛かったので、長い倒木を道の谷側に据えて杭で支え、山側を鍬で削り道幅を広くした。

作業が一段落したので時計を見ると14時を回っていた。遅い昼食をとると今さら山頂へ向う気が沸いてこなかったので、作業を続行することにした。

迂回路のおよそ半分を整備したので、この日の最後の階段とするために骨張った倒木を切断を作る途中、鋸の刃が滑って布製手袋を破り左手親指を直撃したので激痛が走った。

しまったと思い手袋を外すと後の祭りで、傷口からでる血がなかなか止まらない。傷口を2,3分押さえていると血が固まりかけたので、ザックからバンドーエイドを取り出し傷口を覆うと漸く血が止まった。

半年前までは作業中は常に皮手袋を着用していたのだが、今夏に梅雨で皮手袋が湿ってヌルヌルしたのを機に布製手袋に変えたのが失敗だった。

しかし常に非常用バンドーエイドを持参していたので、これが一人作業での止血に大いに役に立った。

やはり、起こり得る危険に対して平時から準備しておかねばならない!!!
やや大げさだが、“治にいて乱を忘れず”である。

残念ながら大方の日本人は、“終戦以来続いた平和を当然だと思う平和呆け状態に陥り、来たり繰る乱(侵略)に備える気などサラサラない”・・・嗚呼。。。。

今回バンドーエイドを持参していなければ、汚れたタオルかハンカチを使って止血せざるを得ず、傷口からのばい菌が進入を許したであろう。

一応止血に成功したのでやや安心して駐車場所である谷コース登山口に向った。

車のバンパーにメモ用紙が挟んであった。
午前中に話を交わした件の男性は光市在住であり、所属する登山クラブ名が記されていた。

またシャクナゲコースで彼とその仲間に会いたいものである。

止血した左手ではあったが、運転には殆ど支障はなく無事に帰宅した。
入浴時では左手の傷に水か浸入しないようにゴム手袋をはめて片手で頭や体を洗った。
11月25日現在、傷は化膿せず順調に回復している。

今回は迂回路を長さ30m程度を拡幅したが、残りの迂回路40mの整備は傷が癒えて天候が温暖なれば再開できるであろう。


< 晩秋の高瀬湖周辺を歩く >

11月24日(日)、左手親指の傷は時々軽い痛みはあるものの、力を強く入れて傷口が広がるのを避けさえすれば悪化することはないと思われた。

登山は駄目だがウオーキングなら問題なかろう・・・ということで、足早に去り行く晩秋の高瀬湖周辺を歩くことにした。

高瀬湖は佐波川支流島地川の上流をせき止めて作られた島地川ダムによって生じた人造湖であり、ここ数年 紅葉を見に訪れている。

なお島地川の源流は石ヶ岳(標高924m)である。

高瀬湖の下流には高瀬峡という峡谷があり、毎年11月中旬から下旬頃にはもみじが見ごろと言われていたので、ついでに高瀬峡も訪れることにした。

12時前に高瀬峡入口に着き、早速高瀬峡2.2kmを歩いて1時間で往復した。

モミジ谷付近でモミジはあったが、残念ながら紅葉はいまいちであった。
結局一番良かった紅葉は、何と・・・高瀬峡入口の民家の近くのモミジであった。
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13時過ぎに周南市高瀬湖堰堤に到着し、右岸沿いに百m程度進んだところの駐車場に駐車した。殆どの見物客は高瀬湖周回路を車で移動し紅葉を鑑賞するが、周回路を歩く少数派もいる。

最近では11月下旬が見頃であったが、今年は寒さの到来が早いのでほぼ11月24日では見頃であった。途中で出会った車は3時間でおよそ30〜40台はあっただろう。

天候も良かったので運動をかねて左岸沿いに高瀬湖堰堤から黒川橋まで4.6qを往復した。

・右岸から左岸を望む
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・堰堤から先山方面を望む
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・モミジ(1)
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・モミジ(2)
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・モミジ(3)
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・黄−紅−緑
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・山側も紅葉
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・紅−緑
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・千石岳(1)
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・千石岳(2)
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・立ち並ぶ紅葉
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・黒川橋(1)
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・黒川橋(2)
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・千石岳(3)
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黒川橋からの帰途 周回路の直近のモミジの木を数えたところ小さな木を含めて480本くらいあった。湖の反対側の周回路にもモミジは多数存在するので高瀬湖周回路のモミジはかなりの数になるだろう。

今回見えた “モミジ&千石岳の風景”はいままで見た5年間で最高だった。

いよいよ寒い冬が到来するが、おそらく今年最後となるであろう紅葉巡りはなかなか結構であった。

後で分かったことだが、平成15年から『高瀬湖クリーンウオーク』(主催:国土交通省山口河川国道事務所、共催:島地川ダム周辺環境整備地区管理協議会、和田の里づくり推進協議会、後援:周南市)が毎年紅葉の時期にあわせてコース一周約8kmにわたり開催され、島地川ダム(高瀬湖)周辺のゴミ拾いが行われていることを知った。

どうりで周回路が綺麗だったのだ!!!!
皆様方に感謝いたします。

プロ野球広島カープで”炎のストッパ−”として大活躍した津田恒実氏は、高瀬峡、高瀬湖がある周南市和田地区の出身。出身の和田中学校には顕彰碑が建てられています。
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2013年11月23日

宮崎正弘著『取り戻せ!日本の正氣』を読んで(1)


11月16日(土)木谷峡から馬糞ヶ岳に登って帰宅すると、およそ10日前に予約していた宮崎正弘著『取り戻せ!日本の正氣』(並木書房発行、1575円)が到着していた。

早めに予約したので奥行きには宮崎正弘氏直筆サイン入りであった。

並木書房に直接予約したので送料ゼロ円、代引き料ゼロ円であった。
(並木書房の電子メールアドレス:eigyo@namiki-syobo.co.jp)

入浴夕食後早速読み始めたが、山歩きによる疲労で途中で眠ってしまった。
翌日に第一回読了した。翌日、翌々日に二回目を読んだ。


< ヤマちゃんおやじの永年の疑問 >

ヤマちゃんおやじは2007年から今まで、反日マスコミが隠蔽してきた反日勢力の数々の罪業を出来るだけ発掘してきたが、反日勢力が何故かくも多岐にわたり活動しているのか???と敵ながら半ば感心する場面も多々あった。

公式の場での国歌斉唱を否定する反日政治家=管直人=が日本の首相を務めると言う異常事態は何故発生したのか????

多数の日本人が北朝鮮に拉致されたというのに、日本政府は日本独自で取り返す努力は放棄してひたすら他国に助けを求めるというだらしない国家に成り下がった。

昭和30年頃までは日本では凶悪犯罪はめったに発生しなかったが、現在の日本では凶悪犯罪は何ら珍しいことではなく日常茶飯事になった。


一々挙げればきりが無いが・・・・・

民放はもとより公共放送であるべきNHKまでもが共産党独裁国家中華人民共和国・左翼勢力の宣伝放送局に堕落してしまった。

国民を守るエリートであるはずの弁護士の集団日弁連は、“日本軍による従軍慰安婦強制”という史実に無い捏造史観を国連を舞台に宣伝し国際的に日本を貶める活動に精力的に注力してきた。

曹洞宗は左翼勢力の中枢をなす部落開放同盟に牛耳られ、一部の在日キリスト教勢力も左翼勢力と共闘して反日活動に余念がない。

論壇は今や左翼の独壇場となり、有名な映画監督や俳優は殆どが左翼思想にかぶれている。

今や劇団四季の『キャッツ』の主要俳優は韓国人が独占した。

東大法学部からは、日本を貶める学者連が輩出し、官界の反日左翼思想醸成に大きな役割を果たした。反日左翼思想の大御所であった横田喜三郎は東大法学部教授として幾多の左翼系卒業生を永年にわたり政官界に送り出し、最後には最高裁長官にまで上り詰めた。

学会では多数の大学教授が9条の会に所属し憲法改正反対を声高に唱えている。

文部省は三木内閣以来反日左翼勢力の一方の旗頭である日教組と蜜月関係を構築して、日本の教育水準の低下と歴史教育の改竄に大きく貢献してきた。文部省は最近では、反日国家である中国や韓国からの日本の大学への留学生に対する年間300億円にも達する巨額の無償援助を性懲りも無く継続している反面、日本人の大学生に対しては育英会とは名ばかりで学資を貸し付けて厳しい取立てに拍車をかけている。

内外の左翼勢力に迎合し事実に反して日本を貶める活動に狂奔した宮沢喜一や河野洋平までもが自民党総裁を務めたことは、保守政党の堕落としかいいようがない。

本来の保守勢力である筈の自民党においてさえも中国共産党と連動して、首相の靖国神社参拝に反対する有力者が少なからず存在した。主要閣僚を経験した自民党の某有力議員は,地元に江沢民の銅像建立を図った。

新潟県と新潟市は県民・市民の反対を押し切って、中国領事館用に途方も無い広さの新潟市の一等地を売却した。反日国家中国にこれまでして媚を売る必要はないのに!!!

トヨタ自動車の社長会長を務めた奥田碩は、中国ビジネスに支障があるとして、当時の小泉首相に靖国参拝を止めるように懇願した。

同時期に経済同友会代表幹事の北城 恪太郎は記者会見において、当時の小泉首相に靖国参拝を止めるよう提言したが、全国からの抗議を受けてこれを撤回し謝罪した。

・ ・・・・・
・ ・・・・・・

ヤマちゃんおやじは2007年以前は、“反日勢力は概ね左翼政党である日本共産党や社会党(当時)の周辺だろう”と推定していたが、その後の調査によって、“実は反日活動は日本中の至るところで巧妙に広範囲に着実に実施されている”という現実を知って愕然としたのが本音である。

これだけ反日活動が盛んなのは、終戦後何か相当大きな存在が反日活動を支えているからではないか????と感じていた。

第二次安倍政権が誕生するまでは、このままで推移すれば、“日本はいずれ中国の一自治州に組み込まれる”という危機感にさいなまされていたのも事実である。



< 宮崎正弘著『取り戻せ!日本の正氣』読後感(1) >

広範な内容と日本への深い理解とを含む書籍=宮崎正弘著『取り戻せ!日本の正氣』=の読後感は一々文章化できないので、思いつくままを記載してみた。

この本の真の理解は、この本を購入して少なくとも数回読み返すことで初めてその一端が得られるではないか!!!!


<日本の 正気とは??? >

宮崎正弘氏は『取り戻せ!日本の正氣』の序文において、“日本人の正しい歴史と魂を取り戻す”と呼びかけている。

とすれば、日本の 正気とは“日本人の正しい歴史と魂”ということになる。

換言すれば、今の日本には“日本人の正しい歴史と魂”が欠落している・・・・ということになる。

宮崎正弘氏は更に続けて、

安倍普三政権誕生と、その後の力強い日本外交、経済の急回復により「失われた二十年」の暗い時代が終わろうとしている。平成二十四年暮れの衆議院議員選挙と翌二十五年夏の参議院議員選挙で自民党が圧勝し、日本の前途に明るさが見えてきた。安倍政権は自民党の保守本流が主導する。

しかし、いまなお日本人の多くに名状しがたい不安が残り、政治に「何かが欠けている」と多くの人が指摘する。二〇二〇年夏の東京オリンピックが決定し、明るい展望が開け、「三本の矢」を掲げて驀進するアベノミクスの成長戦略の根幹にある「強靭化プログラム」は良いとしても一体何が欠けているのか?

すなわち、日本の深い根に生まれ育った、思想的な、あるいは哲学的主張がほとんど見当たらないことである。

日本はこれからどのように国家百年の大計(長期的戦略)のもとに進んでいくのか、アジアとそして世界といかに向き合い、最大の脅威となった中国との関係にどう自立的に対応するのかという世界史的な大目標が、まだ曖昧として見えてこないのである。

西尾幹二は、「憂国のリアリズム」(ビジネス社)の中で米中の狭間に立たされている日本が「頼りにしていたアメリカがあまりにもアテにならないと言う現実が、やがてゆっくり訪れるだろう」と予言した。事態はその通りになりつつある。

米国は「核の傘は機能している」(ライス元国務長官)と言いつつも、「尖閣諸島に日本の施政権が及んでいるということは承知しているが、尖閣諸島の帰属に関しては米国は関与しない」(ジョン・ケリー国務長官)と逃げをうった。つまり中国がもし尖閣諸島を軍事侵略しても、米国は日本のために血を流さないと示唆していることになる(もっとも、その前に日本が自衛しなければ何の意味もないが)。

しからば、なぜこういう体たらくで惨めな日本に陥落したのか?

西尾幹二は前掲書のなかで言う。
「そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向ってすがりついて生きている」からである。日本は「この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている。この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点ではないか」

言葉を換えれば、自立性を回復せよということであり、日本の正気(せいき)を蘇生させよ と主張されているのである。

「今さら東京裁判を議論する必要などない。東京裁判がどうだこうだと議論し、東京裁判について騒げば騒ぐほど、その罠に嵌ってしまうからである。日本国民全員がより上位の概念に生きているのだという自己認識さえ持てば、それで終わるのである。西尾のいう「上位の概念」とは、日本の伝統的思想、その宗教観と歴史観の再構築である。
<中略>

安倍普三は岸信介の嫡孫という毛並みの良さだけではない。彼に流れる熱い血は吉田松陰、高杉晋作、三島由紀夫の伝統を引き継ぐ熱血である。そこに潜む正気(せいき)に国民は期待したのだ。

安倍の奇跡のカムバック劇と自民党の大勝、アベノミクスの発動、円安、株価急上昇という明るさが戻り、逆に中国はシャドウバンキングと不良債権の爆発を誘発して経済が真っ暗になった。韓国経済も沈没寸前となった。

これは奇跡というより、「神風」ではなかったのか?


< 世が乱れると、正気(せいき)が復活して政治を導く >

沈没寸前の日本に正気が蘇ろうとしている。

正気は狂気の対語と考えられがちだが、そうではない。正気(せいき)と呼び、「しょうき」と呼ぶのは狭義である。よく「正気の沙汰か」などとあるのは二義的意味を広義に適用させて使用しているにすぎない。

正気の対語は「邪気」。「破邪顕正」(邪説を打ち破り、真理を広める)は、このことから生まれた日本的熟語である。

日本は長い歴史のなかで、世が乱れると、正気が復活してまともな精神が政治を導くという時代が出現する。<中略>

信長、秀吉の狂気ともいえる独裁専制政治に対して「正気」は建国の理念を追求する清廉なまつりごとを求めた。明智光秀は狂気の主殺しをやったという秀吉以後の解釈は間違い で、天皇伝統を破壊する動きを見せた信長を誅した義挙である。教養人で読書人でもあった明智光秀はまさに狂気の独裁に堕した信長への正気の諫言、その挑戦だった。したがって勝利の打算や政権の掌握という計画性はない。政治の有効性を度外視しての行動をとったのである。

宮崎正弘氏は『取り戻せ!日本の正氣』において、日本の歴史上で「正気」を実践した英雄たちの列伝を追っていく。<中略>


< 天才数学者岡潔が伝えたかったこと >

岡潔は日本を代表する数学者だった。しかし日常を飾らず奢らず、生活はいたって質素で、しかし日本民族の滅びを憂慮して、愛国の弁をつづり訴え続けた。

最近も日本民族論の本質を簡潔明瞭に描いた「日本民族の危機−葦芽よ萌えあがれ!」(岡潔著、日新報道)が復刊された。このなかでも瞠目すべき箴言が並んでいる。

戦後教育の無内容と左翼教条主義の悲惨さが子供たちから精神を奪い、戦後日本をここまで堕落させ、存亡の危機に立たさせた。どうやって日本を救うのか、さまざまな論説が保守論壇で行き交うが、すでに半世紀も前に天才数学者が予言していたのだ。日本を救うのは「情」の哲学である。

この本で岡潔は訴えた。

「真我が自分だということに目覚めるにはどうすれば一番早いか。<中略>日本民族は心の民族で、その中核の人たちは自分が心であるということをはじめから知っていた」「日本民族はアメノミナカヌシノミコト(天御中主命)から数えると、三十万年にはなると思う」「だから日本民族は、私は、他の星から来たのだろうと思います」(このあたりは三島由紀夫「美しき星」の比喩に似ている)

ところが戦後教育で、日本は米国から、わが国の文化、歴史、伝統と絶縁するようなアメリカ人デューイの勧告を容れ、じつに奇妙な、欲望を抑える必要がないという教育を施して、つまりは日本の心が荒みきった。

売春を「仕事」としてビジネス化する若い女性の心理は日本人の伝統的思考にはなかったのではないか。同棲も婚前交渉もタブーではなくなった果てに、いまや女が男をあさり、男はイクメンとかの主夫業。道徳的退廃から道徳の課愛滅状態に陥った。

あまりにも享楽的で刹那的で、生命尊重だけが価値観の中軸にある国家は共同体とは言えず、しかも道徳的に退廃するしか道は残されていない。岡は早くから日本民族の心の衰退が日本の衰退につながることを見通していたのだ。

岡は戦後GHQや日教組などという短絡的、短期限的なパースペクティブではなく、もっと歴史に対して巨視的であり、スパンが長い。遠く仏教伝来はもちろん、明治維新の近代化が非日本的だと説くのである。

つまり岡は「日本民族は知が不得手であり、情の民族であるから、理性主義、合理主義、物質主義、共産主義に汚染される」。じつに嘆かわしいとして、これらの無明と情操を区別せよと訴えたのである。


もう一つ大事なことを岡潔は「風欄」に中で述べている。それは男女の差である。岡が奈良女子大へ赴任して最初に大いに戸惑ったのは、女性が岡の講義内容を「さっぱり分かってくれない」という異端との遭遇であった。そこで調べると、「男性と女性とはちがった、ひじょうにちがったところのある生物であるということが」はっきりと認識できたと告白している。

閑話休題。。。。


< ヤマちゃんおやじの感想 >大いに感じる所が多数あった。

一例を挙げれば、
広島の平和記念公園の原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と刻んである。
過ちを繰り返さないと言っているのが日本人とすれば、誠に理不尽だとヤマちゃんおやじは以前か不審にら思ってきた。


『原爆を落とされたから日本人は一億玉砕を免れた、戦争終結が早まった』などという連合国サイドからの言い訳があるが、広島に原爆が投下された時点では日本は既に戦争終結を目的として中立国ソ連などと交渉を開始していたことからすれば、詭弁となる。

原爆投下に対して米国内でも反対意見が存在した中で、ルーズベルト亡き後副大統領から大統領に昇格したトルーマンは、終戦後においても強大な米国を日本だけでなく世界中に印象つけるために敢えて原爆投下を決定したのである。広島に飽き足らず長崎にも原爆投下したのは異なったタイプの原爆の威力を実地確認するためでもあった。

原爆を落としたのは疑いなく米軍であるのに、何か核兵器によって民間人を大量殺戮した事が、日本人の責任に帰せられてしまうかのような印象を多くの人が受けるのはごく自然な反応である。

1952年(昭和27年)8月6日、原爆死没者慰霊碑の除幕式が行われた。慰霊碑に安置してある石棺には、姓名の判明した被爆死没者約27万5230柱(2011年8月6日現在)の過去帳がおさめられている。 石棺に刻み込まれた「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」という碑文を書いたのは被爆者のひとり、雑賀忠義広島大学教授。
 
当時の浜井信三市長は、「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」と述べた。

当時の浜井信三広島市長は世界平和を願うという理想主義を高らかに掲げているように見えたが・・・・果たして???

浜井信三という人物を追ってみると、
浜井信三は1931年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業し1932年9月広島商工会議所に入り、1935年には広島市役所へ移った。1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により、広島市大河町(現・南区)の自宅にて被爆したが当時の役職は配給課長であった。

原爆投下に対して日本政府は1945年8月10日、スイス政府を通じて下記の抗議文を米国政府に提出した。

朝日新聞(1945年8月11日) によれば、

 (抗議文)
本月六日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり広島市は何ら特殊の軍事的防備乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非らず、

 本件爆撃に関する声明において米国大統領「トルーマン」はわれらは船渠工場および交通施設を破壊すべしと言ひをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以つてこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは技術的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知してをるところなり、

 また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問はず、すべて爆風および輻射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨虐なるものと言ふべきなり、 

 抑々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約附属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三條(ホ)号に明定せらるるところなり、

 米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の与論により不法とせられをれりとし、相手国側において、まづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遙かに凌駕しをれり、 

 米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民家などを倒壊または焼失せしめたり、
而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す ・・・とある。

                       
浜井信三は1947年4月、公職選挙による最初の広島市長となり、同年8月6日に第1回広島平和祭と慰霊祭をおこない、平和宣言を発表した。この時はGHQによる占領統治時代であったため、いかに検閲で平和への思いが消されないようにするかに苦労したというが、式典には、当時の片山哲首相、占領軍総司令官のマッカーサー元帥が異例のメッセージを寄せた。これは、米国に媚び諂い迎合し、米国の占領政策に合致した式典であったなによりの証拠である


特筆すべきは東京裁判の判事として日本無罪論をとなえた、ラダ・ビノード・パル氏が昭和27(1952)年11月この碑文に疑問表明し、 「『過ちは繰返しませぬから』とあるのは日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭であり、落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。・・・」

しかし、それにたいしてこの碑文の決定に関わった広島大学の雑賀忠義広大教授がパル判事に「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」という内容の抗議文を送った。
この抗議文の世界市民という文言が曲者だ・・・・反日左翼の常套語だ。。。。

1970年2月に複数の広島市民が「原爆慰霊碑を正す会」を発足させた。会長の岩田幸雄氏は、「碑文は屈辱的で20数万人の犠牲者の霊を冒涜しているので抹消を求める」と宣言。10万人署名運動を展開した。
これに対して当時の広島市長・山田節男氏は「碑文は変えない。碑文の主語は世界人類であり、人類全体への警告、戒めである」と公式発言しました。

当時の広島市長・山田節男氏が言う世界人類とは一体誰か????
世界人類とは感覚的には判るが具体的には、碑文の主語としては全く不明でごまかしでしかない。世界人類と反日左翼の常套語の世界市民はよく似ている。。。

広島、長崎はある意味特殊な街で、子供たちは学校の勉強する時間を割いてまで、小学生から高校生まで徹底的に『平和学習』と言う名の洗脳教育を受けさせられている といわれている。

何故日本が戦争したのか? とか具体的な学習は一切なく、徹底的に「平和は大切」「平和は大切」と教え込まれている。

平和平和と唱えるだけで平和が訪れればこれほど楽なことはないが、実際には平和を唱えるだけで平和が訪れるほど世の中は甘くない。

現在の地球よりも一万年も進化したレムリア文明国家テロスにおいてもシルバー艦隊が存在しているのだ。

広島は反日左翼の牙城でもあり、日教組の牙城でもあった。今でも広島高裁は左翼思想に近い判決で高名である。

北米大陸に移住した欧州人は米国人となりはインディアンから土地を奪い、インディアンを狭い地域に押し込めた。しかし米国は、あつかましくも他国に対し人権の尊重を強要するのだ。

やはり、擬似平和運動の裏にはGHQと反日左翼勢力との共同作戦の存在が窺われる。

原爆投下という戦時国際法に違反する理不尽かつ卑劣な攻撃を受けながら、なお原爆投下した米国に60有余年間の跪く日本の姿は正しく尋常な姿ではない!!!!

この異状を報道しないマスメディアも異状なら、これを放置する日本の政治家も極めて異状というべきだろう。

これらの諸諸の異常さに気が付かない多くの国民が存在することも極めて大きな異状=平和馬鹿=だ。

これでは、中国、北朝鮮、韓国から理不尽な攻撃を受けるのは当然の結果かもしれない。。。

米国は今やデフォルトの淵にある。米国予算の削減の第一候補は軍事費である。米軍が軍事行動は事実上起こさなくなれば、好戦的国家が安心して侵略攻撃を仕掛けてくる可能性が高まる。

日本が従来通り平和ボケに陥っておれば遠からず後悔するはめになるだろう。
しかしその時後悔しても『時既に遅し』である。

早く多数の日本人が『自分のことは自分で守る気概』を持たねばならない時期が来たようだ。

二つ目は、男女共同参画運動ですすめるジェンダーフリー運動に対し、岡潔氏は、”男と女は全く別の生物だ”と断言し、はっきりジェンダーフリーにノーと言明していることだ。男女共同参画運動/ジェンダーフリー運動はイルミナティが世界的に推進している邪悪な運動であるのを岡潔氏は早くから喝破していたのには恐れ入った。。。


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2013年11月18日

木谷峡から馬糞ヶ岳へ & 反日左翼勢力日弁連の数々の罪業

< 莇ヶ岳整備登山 >

11月14日(木)は前日登った飯ヶ岳から黄葉が眺められた莇ヶ岳・シャクナゲ尾根に赴いた。10時20分頃シャクナゲ尾根谷コース登山口を出発した。

実際にシャクナゲ尾根を登ってみると、遠くはなれて眺める風景と実際に登ってみる風景は相当異なることがわかった。

遠くはなれて飯ヶ岳から眺めたた莇ヶ岳・シャクナゲ尾根の風景は黄葉一色で錦秋そのものであったが、実際に登山道を登りながら目にする風景は黄色、紅色、茶色、緑色のまだら模様となる。
DSCF7528.JPG < シャクナゲ尾根(1)>

しかし高度が高くなるにつれて木々の葉が殆ど枯れ落ちたことにより周囲の稜線がはっきり見え始めるという良い部分も現れてきた。

標高750m付近と800m付近のコースの西側に紅葉が見られたので、少しでも目の保養になるべく視界を遮る笹原を刈り取った。
DSCF7530.JPG < シャクナゲ尾根(2)>

DSCF7532(1).JPG < シャクナゲ尾根(3)>

DSCF7533.JPG < シャクナゲ尾根(4)>

第3のベンチ付近では、木の落葉により明るい視界が得られた。縦走コースとの分岐点を過ぎて100m程度莇ヶ岳方面へ進んだ所で島根県側の谷を見るとそれこそ錦秋の最中と感じられた。反面莇ヶ岳山頂付近の黄葉は峠を過ぎていたのでそのまま下山し県道3号線沿いに島根県側の黄葉を眺めたくなった。

第3のベンチに座りムスビ2個を食し直ちに尾根コースを辿り駐車位置に戻った。
空模様は曇り始めていたが県道3号線へ向い、工事用車両とすれ違いながら島根県右ヶ谷キャンプ場を目指した。

小峰峠を島根県側に3〜400m過ぎた辺りの例年鑑賞するスポットでは、黄葉は丁度見ごろであった。
DSCF7541.JPG < 県道3号(1)>

DSCF7542.JPG < 県道3号(2)>

黄葉が見ごろの右ヶ谷キャンプ場に着いた時には、残念ながら天候が曇りとなり風景はくすんで見えたので、キャンプ場の周囲を散策しただけで帰ることにした。
DSCF7544.JPG < 右ヶ谷キャンプ場 >


< 岩国市 木谷峡から馬糞ヶ岳へ >

11月16日(土)には、以前から関心があった木谷峡から馬糞ヶ岳へ登るルートに初めてトライした。

馬糞ヶ岳へは秘密尾コースから3回、長野山コースから5回程度登っているが、木谷峡からのコースはいずれ挑戦したいという思いがあり、前日テレビで木谷峡の宮モミジが丁度見ごろだと報じたので実行することにした。

9時頃出発し山口市〜仁保〜徳地町〜周南市須々万〜国道434号経由で木谷原駐車場に11時25分頃着いた。国道434号に隣接し10台程度が駐車可能な駐車場には3台に車があった。ここから約1km先にも2,30台収容の駐車場があり、ここまでは対向車との離合は問題なく進入できる。
DSCF7552.JPG < 木谷峡(1)>

DSCF7557.JPG < 木谷峡(2)> 

最初の駐車場から丁度見ごろの黄葉を眺めながら木谷峡沿いに県道錦鹿野線を歩き始め、黒滝を左に見送り家族連れなど20人くらいの歩行者とすれ違いながら進み宮モミジで有名な大固屋(標高280m)に12時30分頃着いた。モミジのシーズンなので20人ばかりの観光客が黄葉の風景を楽しんでいた。
DSCF7560.JPG < 宮モミジ(1)>

DSCF7564.JPG < 宮モミジ(2)>

DSCF7568.JPG < 大固屋 >

橋を渡り鹿落しの滝へ向う県道錦鹿野線から左折して林道木谷島の谷線に入った。ここからは自分にとって初めてのコースだが予想に反してこの林道はアスファルト舗装されており、排水用の側溝も完備していた。

林道入口に工事作業中という看板があったが、道路には落ち葉が殆ど無いのはかなりの通行車両があるということだと思われた。

民家跡と思われる石垣を2箇所過ぎ高度を稼ぎ林道を進む中で周囲の山にはほぼ見ごろの黄葉・紅葉も点在しており目を楽しませてくれた。13時30分頃見晴らしの良い場所で遅い昼食をとった。左下には工事資材小屋があった。地図を見ると沢に掛かる橋を渡り南に向きを変えて進む大曲(標高500m)はあと少しだとわかった。

大曲を過ぎてさらに高度を稼ぐと北方に水ノ尾山(標高983m)が次第に見えてきた。
DSCF7574.JPG < 水ノ尾山方面 >

少なくとも2時間程度の林道歩きは覚悟していたが、途中で大型コンクリートミキサー車2台に出会ったのにはいささか驚いた。

標高670mあたりで林道は西に大きく向きを変えて支尾根の稜線沿いに進み平家岳方面の展望も開けてくる。標高710mあたりの林道の南側の沢底では工事中の砂防用堰堤にコンクリートが打設中であり、大型コンクリートミキサー車がここまではるばる登ってきていた(13時50分頃)。
DSCF7576.JPG < 林道(1)>

林道はさらに高度を上げており馬糞ヶ岳登山口を示す標識が無いので終に林道終点に達したが、踏み跡を探すも存在しなかった。北側には急峻な崖の下に細い渓流があり、前と南側は急峻な崖が尾根に続いていたので、登山口は少し林道を戻った場所にあると判断し200歩引き返した所でコンクリート舗装された道が南側にあり進入禁止の鎖が掛けられていた。

不精をして地形図を見なかったが、登山コースは林道の南側に記載されていたので鎖を潜りコンクリート道を登ったところガラ道に変わり5分くらいで鞍部付近の平坦地(標高810m)に出た。

踏み跡を辿り南方に緩やかに登ると、14時20分頃 錦帯橋用材備蓄林 と書いた杭に出会った。一帯の檜植林の樹高は3m程度であったがこの辺りは日当たりが良いので50年後には立派な用材となるであろうと感じた。
DSCF7577.JPG < 錦帯橋用材備蓄林 >

さらに踏み跡を進んだがどうも方向がおかしいので後退してみると、色あせたテープが見えたのでそちらに進み終に笹薮に突入した。暫く踏み跡を進んだが、急に踏み跡を見失った。日没が早いので15時過ぎには下山しなければならないので、しかたなく独自判断で谷を詰めた後道なき急登を進み手前の稜線に出てトラバースして漸く登山道に合流して15時10分頃馬糞ヶ岳山頂に到着した。

2箇所のルート間違いによる時間ロス20分程度を含んではいるが、駐車場から3時間40分、大固屋からは2時間40分掛かったことになる。

15時15分頃開始した下山では後学のために本来のルートから下ったので、往路で踏み跡を見失った場所が判った。本来は踏み跡を見失った場所から尾根側に登らなくてはならなかったが、赤テープが近くに無かったのでつい強引に谷を詰める我流ルートで突破した形となった・・・まだ、まだルートファインディング能力は未熟ではある!!!
DSCF7585.JPG < 林道(2)>

15時35分頃錦帯橋用材備蓄林杭を通過し、15時41分頃林道に合流し、日没を恐れ小走りに林道を下り16時35分頃大固屋に着き、17時20分頃薄暗くなった駐車場に着いた。下山は急いだので2時間5分で済んだ。

このルートでは林道歩きが約2時間と長く、登山道歩きは40分程度しかない。まあその点では平家ヶ岳登山に似ている。

帰路は周南市から国道2号線を通り由良ICから山口宇部道路に入り19時15分頃帰着した。
条件にもよるが、国道2号経由が10〜15分程度時間短縮になる感じがした。


初めてのルートで2箇所のルートミスはあったもののどうにか無事に目的を達することができたのは有難い。もう少し判断に慎重であらねばならないが、諸々に感謝、感謝、感謝。。。。



< 反日左翼勢力日弁連の数々罪業 >

本年10月14日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/377526142.html
の<『従軍慰安婦に軍の強制なし』と言う証拠が戦時中の米国に有った>において、
<参考:戸塚悦朗と日弁連の罪業>
国連人権委員会に『従軍慰安婦は性奴隷であった』という嘘の報告を最初に行ったのは何と日本人弁護士戸塚悦郎だった。戸塚悦朗による国連ロビー活動は、92年から95年の4年間で海外渡航18回、うち訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と執拗に繰り返された。戸塚弁護士らの異常な活動の結果、96年に彼の性奴隷説が国連公式文書に採用された。

日本人の戸塚悦朗弁護士こそが「慰安婦=性奴隷」という国際謀略の発案者だった。戸塚は自分のその発案について次のように自慢げに書いている(『戦争と性』第25号2006年5月)。
〈筆者=戸塚=は、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発(IED)」の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した〉〈それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した。〉

なお日本弁護士連合会(日弁連)は1992年に戸塚悦朗弁護士を海外調査特別委員に任命(1997年3月まで)
していたので、日弁連と戸塚悦朗弁護士は同じ穴のムジナといえる。<以下省略>
を記載した。

簡単に言えば、日弁連が戸塚悦朗弁護士を海外調査特別委員に任命して国連の場を利用して、実在の証拠が無かった「慰安婦=性奴隷」という国際謀略を実行させたのである。

今回、日本人弁護士の慰安婦問題に関する悪質な画策情報を得たので
“わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3129号 2013(平成25)年11月16日(土)”から転載する。

〜〜〜〜転載開始〜〜〜〜
━━━━━━━━━━━━━━━
慰安婦問題、日本人弁護士の画策
━━━━━━━━━━━━━━━
阿比留 瑠比

慰安婦問題を考えるときに、いつも思い出すのが平成8年10月、取材に訪れたインドネシア・ジャカルタ郊外で見た異様な光景だ。当時、日本政府への賠償要求のために元慰安婦の登録事業を進めていた民間団体の事務所に、日本人支援者らによるこんな寄せ書きが飾られていたのである。

 「反天皇制」「国連平和維持活動 ノー」

民間団体は日本軍政時代に軍の雑用係を務めた「兵補」の組織で「元兵補中央協議会」といい、慰安婦問題とは直接関係ない。インドネシア人がこの問題に取り組むのはまだ理解できるとしても、なぜこんなスローガンが出てくるのか−。

疑問は、タスリップ・ラハルジョ会長の話を聞くうちに氷解し、背景が理解できた気がした。彼が、こんな内情を明かしたからだ。

「東京の高木健一弁護士の指示を受けて始めた。『早く進めろ』との催促も受けた」

ラハルジョ氏は、高木氏自筆の手紙も示した。高木氏といえば、社民党の福島瑞穂前党首らとともに韓国で賠償訴訟の原告となる元慰安婦を募集し、弁護人を務めた人物である。

11年8月には、今度はロシアで高木氏の名前を耳にした。戦後も現地に留め置かれた残留韓国人の帰還事業に関する対日要求について、サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長に話を聞いたところ、こんな言葉が飛び
出したのだった。

「東京で大きな弁護士事務所を開いている高木弁護士が、『もっと日本から賠償を取れるから要求しなさい』と教えてくれた」

そして、かつて福島氏と同じ弁護士事務所に先輩弁護士として勤務し、高木氏とは大学時代から続く「友人」であるのが民主党の仙谷由人元官房長官だ。

仙谷氏は菅内閣の官房長官に就いて間もない22年7月、突如として日 韓両国間の個人補償請求問題を「完全かつ最終的に」解決した日韓基本条約(昭和40年)とそれに伴う諸協定についてこう異を唱えだした。

「法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか」さらに、日韓併合100年に当たっての菅直人首相(当時)による屋上 屋を架す「謝罪談話」や、必要性のない古文書「朝鮮王朝儀軌」引き渡し などを主導した。これらは結果的に、韓国側の無理筋の対日謝罪・賠償要求や文化財返還要求の正当化に利用された。

一方、慰安婦募集の強制性を認めた5年8月の河野談話の根拠となった、日本政府による韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査に、福島氏がオブザーバー参加していたことは10月24日付当欄でも指摘した通りであ
る。慰安婦訴訟の当事者であるにもかかわらず、何食わぬ顔をしてだ。

河野談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は17年の産経新聞の インタビューに、こう憤っていた。

「弁護士らが韓国で火をつけて歩いた。どうしてそういうことをやるのか。腹が立って仕方がない」

高木、福島、仙谷各氏は「人権派弁護士」として名を売ってきた。人権派と聞くと、とりあえず眉につばを塗りたくなるゆえんである。(政治部編集委員)

産経【阿比留瑠比の極言御免】2013.11.15
〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜

産経ニュース2013.10.12 09:59
戦時徴用賠償 世論工作し「日本発」の動きを促す、韓国
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131012/kor13101210060003-n3.htm
によれば、<中略>

韓国政府は2005年8月、元徴用労働者問題などの日韓請求権に関する官民合同委員会を開設。「慰安婦」などの賠償請求権は、1965年の日韓請求権協定に含まれないとする一方で、日本側が拠出した3億ドルの無償経済協力には「個人財産権、強制動員の被害補償問題の解決金などが含まれている」とする見解をまとめた。今後もこの立場を変えるのは難しいとみられている。韓国政府筋は「司法判断が韓国政府の従来の立場を超えており困惑がある」ともらす。

 そこで原告団は世論を喚起しようとしている。“標的”となっているのが日本の法曹界やメディアだ。日本国内から、「日本は賠償すべきだとのムードを作り出すのがねらい」(原告団関係者)という。

 特に韓国の原告側弁護団が重視しているのが日本弁護士連合会(日弁連)との協力関係。日弁連は近年、「戦争および植民地支配における人権侵害の救済のための共同行動」に力を注いでいる。

日弁連は2013年8月30日、ソウルの国会議員会館内で韓国側と合同のセミナーを開いた。日弁連会長、山岸憲司が祝辞を寄せ、参加した弁護士が慰安婦や戦時徴用問題の現状、課題を分析した調査報告を報告した。
 2010年にはソウルと東京で、日本の日弁連に相当する大韓弁護士協会とシンポジウムを開催。日韓両国弁護士会の「共同宣言」を出したほか、「日本軍『慰安婦』問題の最終的解決に関する宣言」を共同で公表した。
 原告団関係者は語る。
「日弁連との共闘態勢を整えたことで、日本の市民団体など日本国内の“良心的”勢力にアプローチする足がかりを得た」
 また、大韓弁護士協会は7月のソウル高裁の判決から6日後、ソウルに駐在する日本メディアを集め懇談会を開いた。協会では「日帝被害者問題の解決方法をともに模索するとともに、積極的な記事掲載を要請する会合」と位置づけている。協会は活動報告のなかで「(日本の)言論15社から21人の記者が参加し、翌日の社説などに懇談会に関する記事が掲載された」と意義を強調した。原告側は日韓での世論作りを進め、日韓両政府に圧力をかけたいとしている。戦時徴用訴訟は、日本の国際的な品位をおとしめて韓国の地位を高める“ジャパンディスカウント”に利用されている慰安婦問題とは様相が異なるが、「日本発」で事態を拡大しようという点では同じといえる。
・ ・・・・とある。

言うまでも無く、旧日本軍による強制的従軍慰安婦問題なるプロパガンダは、日本人吉田と朝日新聞の捏造によるものが出発点であり、問題化した当時の宮澤内閣の力を結集して集めた歴史資料は膨大な量にのぼり、その中には、日本 軍による強制を示す資料はただの一片もなかったとされている。

この証拠はないという 事実に反して宮澤内閣の官房長官であった河野洋平が『軍による強制があった』とする大嘘の河野談話を発表したのは、櫻井よし子氏による関係者への取材の結果確認出来たのは、“河野談話には根拠となる事実は、全く、存在せず、日 韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃 く反映されていたことだった。氏の歴史観、戦争に関する極めて、否定的な想い は、宮澤氏のそれと多くの共通項を有してもいた。”とある。

河野洋平は、“日本側が軍の強制を認めれば賠償要求はしない”という当時の金泳三韓国大統領の甘言に乗せられて事実に反する河野談話を発表したというのが真相とされている。

日弁連は事実上存在したという証拠が無い旧日本軍による強制的従軍慰安婦問題をあたかも存在したかの如く国連の場で捏造しただけでなく、インドネシア、韓国で慰安婦問題拡大を画策した高木健一弁護士の悪行にとどまらず、日弁連は2010年にはソウルと東京で、日本の日弁連に相当する大韓弁護士協会とシンポジウムを開催sて日韓両国弁護士会の「共同宣言」を出したほか、「日本軍『慰安婦』問題の最終的解決に関する宣言」を共同で公表した。

これは反日韓国勢力と共闘した完全なる反日行動に他ならない


一方1965年に調印した日韓基本条約と「請求権及び経済協力」など付随4協定において、日本が無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力をし、韓国が一切の対日請求権を放棄することで決着している。

にも関わらず、日弁連は近年、「戦争および植民地支配における人権侵害の救済のための共同行動」に力を注ぎ、日弁連は2013年8月30日、ソウルの国会議員会館内で韓国側と合同のセミナーを開いた。日弁連会長、山岸憲司が祝辞を寄せ、参加した弁護士が慰安婦や戦時徴用問題の現状、課題を分析した調査報告を報告し、韓国からの根拠の無い不当な要求に賛同して共に闘う姿勢を鮮明にした。

これも既に決着済みの問題に改めて火を着ける売国奴的行為そのものである。

弁護士と言えば悪徳弁護士も多数存在するが、一応エリートのはずである。

日弁連の中には立派な弁護士の方々もすくなからずおられるなかで、日弁連による上記数々の反日売国的行為は、昨今反日マスコミが躍起になって報道している高級レストランでの食材偽表示よりもはなはだ甚大悪質な被害・損害を国民に与えていることになる。

テロ集団オーム真理教が破防法適用を免れたのは、日弁連の力が大きく働いたと言われている。

反日マスコミと日弁連は反日左翼勢力の仲間同士なので、日弁連の邪な反日売国活動が報道されることはないのは自明である。

また民主党、社会民主党、共産党などの反日左翼政党と反日マスコミと日弁連と反日国家韓国は密接に連動連携していることも上記情報でも明らかになっている。

反日集団日弁連にも要注意!!!

反日集団日弁連の主張に反対している限り、間違いは起こらない!!!
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2013年11月14日

スパイ防止法に猛反対した日弁連はスパイそのもの

<玉葱植え>
11月11日(月)に玉葱の苗を植えた。畑作りは終わっていたので当日は苗100本を植える作業だけですんだ。後は秋ジャガイモの収穫と大根の種まきだ。

<飯ヶ岳整備登山>
前回・・・たぶん1〜2ヶ月前・・・に登った時、市境尾根ルート分岐付近で笹藪化が進んでいたので、今秋中に笹藪を刈り取らなければと思っていた。
11月13日(水)は天然水採取の日なので帰りに飯ヶ岳で整備登山を行った。

10時40分頃国道315号河内峠付近の路肩に駐車し、新調した枝カッターを手に飯ヶ岳市境尾根ルートに入った。

先ず驚いたのは、登山口に向う林道の整備作業が行われていたことであった。下山時に確認した所、従来荒れるにまかされていたこの林道は滝の落ち口まで、落石・立木は除去され、凸凹の路面は平坦にされていた。

通常は林道を詰めて滝を見ながら道なき道を登ることが多いが、今回は久しぶりに正規の市境尾根ルート登山口から登ったが、2箇所ある急傾斜は無半端ではなく休憩しながら登るはめになった。

笹藪化は市境尾根ルート分岐のかなり手前から始まっていた。1〜2ヶ月間放置していたので笹藪化は20m程度進んでいた。
DSCF7485.JPG <笹藪化したルート>

2時間程度掛かってようやく笹藪化したルート30mの笹を刈り払った。
DSCF7486.JPG <刈り払い後のルート>

13時20分頃山頂到着。前日降った雨のせいか、日本海、瀬戸内海の一部などかって記憶が無いほど遠くまではっきり見えた。
DSCF7488.JPG <高岳山、弟見山>

せっかくなので西に進み周回コースを下り分岐点からブナ林コースを登ることにした。中腹では黄葉が進んでいた。ここで2番目に驚いたのは、数箇所の急坂に新しくロープが設置されていたことだ。前回は無かったので、ここ1,2ヶ月以内に設置されたものだろう。

山口市徳地滑地区からの登山道は、この5,6年で相当精力的に整備されてきた感がある。よほどしっかりした整備主体が存在しているものと確信せざるを得ない。
DSCF7508.JPG <滑松と黄葉>

なにせ山口市徳地地区には森林セラピーなるキャッチフレーズで各種の行事が開催されているので、その一環なのかもしれない。
DSCF7510.JPG <紅葉(1)>

DSCF7513.JPG <紅葉(2)>

それに引き換え、河内峠から飯ヶ岳へ登るルートは阿東町側と鹿野町側から2つあるが、徳地滑地区からのコースと比べると整備状況は手薄だと認めざるを得ない。河内峠の阿東町側からのコースは入口の林道は草ボウボウであり、山頂付近の分岐点は背丈を越える笹薮に覆われている。

それに引き換え、河内峠の鹿野町側からのコースは今回分岐点周辺の笹薮を刈り払ったので、河内峠の阿東町側からのコースよりは綺麗になったと自負している。

ブナコースの急坂も半端ではないが、ロープの設置は殆ど無い所からすれば、ブナコースは下りに利用されるのがお勧めなのかもしれない。
DSCF7520.JPG <ブナコース(1)>

DSCF7522(1).JPG <ブナコース(2)>

下山は市境コースを外れて滝に下る道なき道を通った。林道は滝(三段滝;落差約25m)の落ち口の5m手前まで整備作業がなされていた。この林道整備は一体何のためか???

林道入口には、入山時には存在していなかった“通行禁止”札を掛けた鎖ゲートが設置されていた。これが3つ目の驚きであった。


帰途、前回松茸入りうどんを食したお食事処『旬の里』に立ち寄り今回は“松茸入り徳佐牛牛丼”を食した。今年三度目の松茸だ・・・・結構美味であった。1800円也。
DSCF7525.JPG < 松茸入り徳佐牛牛丼 >

松茸の量は、松茸入りうどんの方が若干多かった気がした。。。。



<反日左翼メディアNHKのオスプレイ嫌い>

夕方のNHKニュースでフィリピンの台風被害地で救援活動するする自衛隊の画像にオスプレイが写っていたが、オスプレイ配備反対キャンペーンを執拗に張ってきたNHKは、オスプレイの活躍に言及することは無かった。

交通網が寸断された被災地で、ヘリコプタと飛行機の長所を兼ね備えるオスプレイの活躍は格好なものであるはずだが、反日左翼メディアNHKの体質が浮き彫りにされた一瞬であった。


<国民の知る権利を現に侵害しているのは反日マスコミ>

安全保障の機密情報を外部に漏らした国家公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案が衆院本会議で審議入りした。特定秘密の指定対象について〈1〉防衛〈2〉外交〈3〉スパイ防止〈4〉テロ対策――の4分野と定めている。

共産党、社会民主党、日弁連など反日左翼勢力は、藤原紀香まで動員して“国民の知る権利が侵害される”という宣伝文句で反対キャンペーンに狂奔している。最近になって民主党も反対色を鮮明にした。


<スパイ防止法に猛反対した日弁連はスパイそのもの>
スパイ防止法が国会審議されたときも、上記反日左翼勢力は“国民の知る権利が侵害される”という宣伝文句で猛反対し、メディアもこれに賛同したのでスパイ防止法は廃案になり、その結果『日本はスパイ天国』と揶揄される現実を招いた。

真に国民にとって必要な情報は隠匿し、日本や日本国民を駄目にする情報だけを国民に提供する反日マスコミの所為は、国民の知る権利を侵す最も大きな存在だ。

日弁連は、ありもしない従軍慰安婦なる妄言を性的奴隷として国連の場で宣伝しあたかも真実であるように見せかける運動を主催した。

この日弁連の卑劣な行為は、日本に対する売国行為でありスパイ活動そのものだ。
日弁連は自ら行っているスパイ活動が露見するのを恐れ、スパイ防止法案に猛反対した。

今回日弁連などの反日左翼勢力が特定秘密保護法案に反対するのは、スパイ防止法案に猛反対した理由と全く同じだ。日弁連などの反日左翼勢力がスパイ活動を日常的に行っている事実、安全保障など特定の秘密の外部漏洩に関与している事実が露見すると困るからだ。

国民の知る権利を現に侵害している実体は、日弁連のお友達である反日マスコミだ。
この日弁連や反日左翼勢力のあつかましい態度は、本来の日本人のものではない。


<背乗り>
本来の日本人でない人物が日本人になりすます方法はいろいろある。

@日本に帰化するか、
A在日が通名を使っているか、
B日本人の戸籍を改竄し日本人なり済ましているか、か
のいずれかだ。

あのいまわしい日本赤軍のメンバーは、実は日本人の戸籍を改竄し日本人なり済ました韓国人であったそうな・・・・・道理で日本赤軍の異常な残虐性が納得できた。。。

民主党の元首相管直人や前原誠司の大学時代の以前の情報は欠落している。
“本物の前原誠司少年が父親の自殺後に消えたことで有名なあの舞鶴市”という情報もある。と言うことは、今の前原誠司は別人で韓国人???

背乗り(はいのり)という警察用語があり、工作員が他国人の身分・戸籍を乗っ取る行為をいう。
身寄りの無い日本人が背乗りに狙われるという。


ウン千万円という投資詐欺に引っかかる老人が多いらしい。
マスコミは“手口が巧妙”と宣伝している。
しかしヤマちゃんおやじは思う。

“日本人は疑うことを知らない” “疑っても疑いが浅く、騙しに引っかかる“
”お人よし馬鹿なのだ” “馬鹿だから騙される”

昭和57年8月の朝日新聞ニュース誤報をきっかけにして、日本の教科書検定について中国からの内政干渉が強まった。中国から日本の教科書内容にいちゃもんがつけられ国会で質疑が行われた。

自民党議員が『日本の教科書内容に中国があれこれと注文をつけるのは内政干渉ではないか?』と質問した。時の外務省条約局長であった栗山尚一は『内政干渉に当らない』と答弁した。質問した自民党議員は“何故内政干渉に当らないのか”という肝心な質問を発することなくあっけなく了承した。国会議員ですらこのテイラクなのだ!!!

その後この栗山尚一は外務事務次官に昇進し、駐米大使を勤め上げ最後には宮内庁参与となり天皇陛下に御進講する身分にまで成り上がり、最近まで反日マスコミNHKに時々出演していた。

端的に言えば、大多数の日本人が“疑うことを知らないお人よし馬鹿”ということだろう。

だから一般的日本人は(ヤマちゃんおやじも含め)理不尽な反日左翼の宣伝にもコロット騙される!!!
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2013年11月09日

晩秋の恐羅漢山、台所原、砥石郷山、深入山を歩く


11月9日(金)の天気予報は快晴だったので、晩秋の山巡りに出かけた。

4時起床、諸準備後5時過ぎに出発し、一路広島県山県郡安芸大田町の牛小屋登山口に向かい、8時頃到着した。木戸山トンネル出口から阿東町野坂トンネル出口までは深い霧の中の走行となり予想外の時間が掛かった。

8時10分頃肌寒い中を新調のフリースを着用して立山コースから歩き始め、9時15分頃ガスに囲まれた恐羅漢山山頂(標高1346m)に着いた。唯一残った紅葉を除くと山頂付近はすっかり冬のたたずまいであり、視界はほとんどなかったので小憩後次の予定地 台所原へ向った。

DSCF7431(1).JPG < 山頂に残った紅葉 >

山頂付近から標高1100mあたりまでは落葉した木々の合間から今まで見えなかった風景が見えたのは新鮮であった。

高度が下がるにつれて木々に残った黄葉が少しずつ増えてきた。

DSCF7437.JPG  < 台所原に下る道中(1)>

DSCF7438.JPG < 台所原に下る道中(2)>

10時15分頃台所原(標高970m)に到着頃丁度太陽が顔を出した。黄葉の中に残っていた紅葉が太陽の光で一段と映えたのは有難かった。

DSCF7444.JPG < 台所原 >

ここでムスビ2個を食しカロリー補給をし、次なる目標の早手の峠に向った。

日没が早くなった中でもう一山登る予定なので足早に管理道終点を目指した。管理道終点で女性1人年配男性3人と出会い挨拶する。何処から登り何処へ行くのか?と聞かれたので、立山コースから登り深入山に行くと応えた。高枝切断道具を持参した男性に何に使うか?と聞くと、今日は整備登山だと言うので感心し、ご苦労様と感謝の念を伝えた。

今回はダブルストックで登るためか、管理道終点から早手の峠までの急登もあまり苦にならなかった。11時20分頃夏焼峠に着いたが、急にすぐ隣にある砥石郷山に足をのばす気になった。

3つの偽ピークを経て11時55分頃砥石郷山山頂(標高1177m)着。

DSCF7448.JPG < 砥石郷山山頂 >

すかさず下山し12時20分頃夏焼峠に着き13時頃牛小屋駐車場に着いた。

実は朝牛小屋駐車場へ向けて車を走らす途中で、“餅の木駐車場辺りで車を降りて出会滝まで散策する”事を思いついたので、深入山に向う途中で観光バスを含め十数台が駐車した餅の木駐車場に車を停め散策に向った。

DSCF7455.JPG < 餅の木駐車場周辺 >


餅の木駐車場から歩いて三段峡最上流部に入り、20分も歩くと右側に待望の出合滝(高さ14m、幅6m)
が現れた。先日来の降雨のためか昨年見た時よりも豪快な姿であった。

遊歩道から踏み後を辿って河原に降りて見る姿も高所の黄葉を背景にしてなかなか迫力があり、往復40分を費やして来た価値はあった。

DSCF7462.JPG < 出合滝 > 

この遊歩道の入口には何の標識も無いので“知る人ぞ知る”という感じである。昨年三段滝から樽床ダムまで歩いた時この遊歩道入口に気が付かず2時間あまり大回りした後ようやくその入口を知ることが出来た 事を思い出した。

深入山キャンプ村駐車場には14時10分着。お目当ての栃の実饅頭を買い、付近の黄葉/紅葉をしばし鑑賞した。

DSCF7464.JPG  <  深入山(1) >

DSCF7469.JPG  < 深入山(2) >

14時35分頃南登山口を出発し、さすがに疲れが出始めた体を休めながら登り15時15分頃深入山山頂(標高1152m)についた。

360度大パノラマの山頂には新しく山座同定案内板が2箇所に設置されていた。
条件が良いと大山も見えるようだ!!!!

DSCF7474.JPG < 山座同定案内板 >

西側の山座同定案内板では記載された15山の中で9山に登ったことがあり、東側の山座同定案内板では記載された13山の中では8山に登ったことがあったのにはそえなりに満足を覚えた。

下山は林間コースを取り、登山道に散在する石や木の根を事前に避けながら半ば走る感じで下ったので16時頃登山口に着いた。

夕日に輝く黄葉をカメラに収め16時30分頃家路に向かい19時20分ごろ帰着した。

DSCF7479.JPG < 夕日に輝く黄葉 >

累計標高差は996mだった。

朝こそ曇天であったものの昼前から晴天に恵まれたうえに、結構な黄葉/紅葉を見れたのは有難かった・・・・諸々に感謝、感謝、感謝。。。
posted by ヤマおやじ at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月07日

反原発勢力のついた大嘘がチェルノブイリ訪問でバレタ。。。

< 公園ボランティア活動 >

11月5日(火)の9時から12時まで公園ボランティア活動をした。

今参加している公園ボランティア活動には二種類あり、一つは参加者7名による雑木林の伐採であり、他の一つは参加者2名による遊歩道作成と松を中心とした景観地整備である。

雑木林の伐採作業は単なる立木の伐採であり、何らかの明確な目的は見えていない。
ただ立木を切り倒し、伐採した木をチッパーに投入しチップにするだけである。

反面 遊歩道作成と松を中心とした景観地整備の方は、参加者が選んだ具体的な目標があり、目標達成を目指して作業するので自ずと達成感も大きいものとなる。

11月5日の公園ボランティア活動は、遊歩道作成と松を中心とした景観地整備だった。木々の落葉のせいか、常盤湖を望む景色は以前よりもかなり拡大して見えた。

現在の所 松だけを残し他の雑木は全て伐採している。
景観を損ねないために以前切り払った雑木を木倉に集積する作業も並行して行っている。

更に、地面から突起した切り株も除去しなくてはならない。
やるべき事は沢山あるが、一つ一つ片付けて行けばいずれ完成するだろう。


< 縄ハシゴ >

木登り用縄ハシゴは自宅の庭木でテストして実行可能と思われる一つの方式を得た。その後もインターネットで調べたところ、高知海上保安部が発表している新しい方法を知った。この方式は、ロープでステップを形成するので横木を必要としないのが特徴であった。

ロープワーク解説書には、さらに移動式木登りツールもあった。この方式は縄ハシゴではなく簡易ハーネスとロープを使用するところに特色がある。

今の所 木登り用ツール・方法として3種類の候補を得たことになる。
いずれも登山用ロープが必要である。

近いうちに3種類の候補で実地テストをして最終版を決定したい。


<本年9月チェルノブイリを訪れた福島第一原発事故で被災した人30人が見たものは?>


本題に入る前に今までの反原発活動をおさらいをすると、

反日マスコミは反原発報道だけに特化して反原発感情を日夜懸命に煽っている。

民主党政権も時の首相管直人の下で、東日本大震災・福島原発事故を逆手にとって“日本から原発をなくする”という日本滅亡計画の実現に本気で取り組んできたことが、最近だんだん判ってきた。

事故発生当時の民主党政権は、専門的科学者の意見を無視して、科学的に根拠の無い住民避難区域=警戒区域=を独断的に設定した。

中川八洋教授(筑波大学名誉教授)によると、
要するに、福島セシウム被曝線量が人間の健康に被害を及ぼすという巨大な嘘〔非科学〕をでっち上げるために、菅直人や文科省は二つの犯罪を思い付き実行しました。第一の嘘が、「警戒区域」の設定。

これによって、放射線医学の専門家が線量計をもって現地に入るのが自動的に禁止されます。嘘がバレナイようにする措置です。このため、「福島の双葉町/大熊町ですら超微量なセシウムしかなく、居住は可能」という科学的な事実がいっさい隠蔽されました。いわゆる証拠隠滅です。

しかし実態は渡部昇一氏(上智大学名誉教授)によれば、実際にも大熊町や双葉町での外部被曝線量は、年間で2〜5ミリシーベルトなのですよ。自然放射線と同じ。三朝温泉地区に比べれば、数百分の一の線量。福島での「帰還困難区域」が正しいのなら、ラドン温泉の三朝温泉〔鳥取県〕とか玉川温泉〔秋田県〕とかの旅館や近隣の住民は、「帰還困難区域の住民」として、今すぐ、強制退去させるべきでしょう。


また、,
諸外国の基準値の1/10という非常識な食品放射能基準値を強引に決定し福島県産食品に関わる風評被害を意図的に増大させた。

ちなみに飲料水などの食料品に対する放射線基準値を諸外国の1/10と言う非常識な値に決定したのは当時の小宮山洋子厚生大臣である。
NHK出身の小見山洋子厚生大臣は、「日の丸と君が代を見たり聞いたりすると反吐が出る」と発言した、骨の髄まで真正の共産主義者として有名であり、世界基準からすれば何ら問題の無い福島県産食品をあたかも猛毒食品の如く忌避させたのである。


民主党政権が任命した原子力規制委員会の田中俊ー委員長には、日本原子力研究所(原研)時代に安全研究の実務経験が無く原発の安全評価の分野で田中委員長は素人同然であるという決定的な欠陥がある上に、共産党系の原研(日本原子力研究所)労組の幹部を長くつとめた筋金入りの共産主義者であった。

島崎委員長代理は共産党機関紙『赤旗』への寄稿で知られている。原子力規制委員会委員の渡辺満久・東洋大教授」は部落解放同盟や社民党とのつながりがあり福島みずほと共に原発廃絶運動に参加していた人物であるが、活断層に関しては専門家ではない。

また本年10月26日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/378636636.html
『反日マスコミが敢えて報道しなかった除染1ミリシーベルトの大愚』によると、時の民主党政権が決定した『1ミリシーベルト以下の被爆線量とする除染が終わらないと避難者が自宅に帰れない』というのも全く科学的根拠が無いデマであったということが露見した。

NHKをはじめとする反日マスコミが、“一般の住民が多数参加している”と大々的に宣伝した反原発デモの主力は革マル派などの職業的反日左翼集団と日当を支払って動員した労働組合員だったことが判明している(★関西合同労組★部落解放同盟全国連合会 ★北海道高教組★関西合同労組jR総連 ★東京東部労組 ★三里塚現地闘争本部  ★アジア共同行動日本連絡会議 ★戦争を許さない市民の会 ★労組交流センター ★JR貨物労組 ★女性会議ヒロシマ★広島県教職員組合 ★全学連 ★全学労連  ★法政大学文化連盟 ★東京公務公共一般. ★9条改憲阻止の会  ★福島県教職員組合★三里塚芝山連合空港反対同盟 ★東京西部ユニオン.★日本ジャーナリスト会議 ★マスコミ関連九条の会連絡会 ★日本マスコミ文化情報労組会議 ★中核派…山本太郎 ★革マル派…枝野幸男 ★ソフトバンク…坂本龍一 ★原水爆禁止日本国民会議…坂本龍一  ★ソフトバンク労組 ★反原発自治体議員・市民連盟 ★素人の乱 ★教職員組合 ★動労千葉 ★日本共産党 ★社民党 ★緑の党 ★全労連 ★全労連女性部 ★日大全共闘 )。

大江健三郎や坂本龍一などの憲法9条を守る勢力も反原発に異常な執念を燃やしている。


一々上げればキリがないが、民主党がどさくさに紛れて『国民に原子力発電は絶対悪だ』という過った固定概念を植えつけてきたという現実がある。

余談だが、管直人元首相がしばしば韓国の済州島へ祖母の墓参に帰るという情報は以前から知っていたが、最近管直人元首相の祖父も韓国の済州島から日本へ来たと言う情報を得た。

”日本列島は日本人だけのものではない”とうそぶき日本の安全保障に大きな悪影響を与えた鳩山由紀夫元首相の母親は韓国人だった・・・という情報も3年前から知っていた。

民主党議員には日本人名を持つ韓国からの帰化人が多い。個人情報がうるさくなったのは、韓国出身を知られたくない帰化国会議員のために法制化されたような気がしてならない!!!

しかし、先の衆議院選挙で圧倒的支持を受けた自民党が、民主党が残した原発ゼロという負の遺産を粛々と継承しているのは真の保守党としては解せない行為に見える。

今の自民党には少なくとも日本の指導者層としての矜持が欠けている。
反日マスコミ、反日勢力に洗脳された国民世論をまともに恐れている感がある。


いよいよ本題に移ろう。

わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3118号
2013(平成25)年11月5日(火)
『美しき勁き国へ 原発恐れず議論の時』櫻井よしこ
から引用する。

〜〜〜〜引用開始〜〜〜〜
原発事故で被災した福島・浜通りの人々約30人が9月、チェルノブイリを訪れた。
そこで彼らが見たのは日本で報じられてきた放射能汚染に苦しむ荒廃した町とは全く異なる、よみがえった町と子育てにいそしむ人々の姿だった

ウクライナの首都キエフでは国立放射線医学病院を訪れ、原発事故の健康被害についても学んだ。同病院が原発職員や周辺住民約2万3千人を27年間追跡調査した結果、他地域の住民との間にがん発生率で有意の差はなかったとの分析に、浜通りの人々は驚いた。チェルノブイリの放射線拡散量は福島の50倍といわれているのに、である。

ウクライナは実は広島と長崎の体験に学び、被曝(ひばく)者手帳の配布と定期診断で人々の健康データを一括管理してきた。浜通りの人々のまとめ役として訪露したNPO法人ハッピーロードネット理事長の西本由美子さんは「チェルノブイリは広島、長崎から学んだ。なぜ、福島はチェルノブイリ、さらには広島、長崎に学べないのでしょう」と問う。

こうした事例に学ばず科学に背を向けたことが、不必要な恐怖を引き起こした一因であろう。たとえばCT検査1回で10ミリシーベルトの放射線量を受けることが明らかな中で、安全のためには1ミリシーベルト/年を超えてはならないというかのような過度な恐れが、今も人々を福島から遠ざけている。人の戻らない故郷は廃虚となる。

ウクライナは1986年の原発事故後、90年に原発を全廃した。すると経済が破綻し、自殺者が急増した。旧ソ連の崩壊でウクライナは共和国として独立、93年、安全性を高めて原発を再稼働させ、経済と人々の暮らしを立て直した。現在15基が運転中で、さらに2基を計画中である。

放射能も原発も、正しく恐れることが大事だ。恐れすぎ、厳しく規制しすぎることの負の影響はかつてのウクライナ、現在の福島に見てとれる。浜通りの人々は深刻なのは放射能汚染よりも情報汚染であることを知ったという。


日本で今顕著な情報汚染は汚染水問題だろう。汚染水はALPS(多核種除去設備)で処理し、希釈して海に放出するのが国際社会のとっている方法であり、人体への被害を示すエビデンスはない。

だが、国も専門家も世論の反発と不信の前で、科学的に処理すれば汚染水は安全だと説明できない。他方大半のメディアは反原発の視点で非科学的な汚染水報道を続ける。

これでは汚染水問題はおろか、原発、エネルギー政策、アベノミクス、ひいては日本の安全保障政策など、まともに論じられるはずがない。

日本の原発の安全性は3・11の後、顕著に高まりつつある。安全重視を大前提として、日本経済および安全保障にどれほど原発が必要かを広く論ずるときではないか。

原発の停止によって電力会社が支払う燃料輸入代金が増大化し、日本は2011年、30年ぶりの貿易赤字に陥った。12年度の赤字幅は8・2兆円に膨らみ、13年度の燃料費はさらに3・6兆円増える。

日本の1次エネルギーの海外依存率は今、92%、1973年の石油ショック時より高い。一気に40年前に引き戻された状況で、いかにしてアベノミクスを成功させるというのか。

燃料輸入を続けるにしても、シーレーン(海上交通路)には危険要因がついて回る。日本の原油輸入の83%は中東に、うち80%はホルムズ海峡に依存するが、シリアの内戦は言うまでもなく、イラン、イラク、アフガニスタン、エジプト、リビアなど、中東の政治情勢は極めて不安定である。いつも安定して輸入ができるとはかぎらないのである。

加えて、経済成長、人口増加要因などから米、中、欧州、インドなどの諸国はエネルギーの安定供給を目指して原子力推進に走っている。21世紀は間違いなく原発推進の世紀である。

東アジアに限っても、現在稼働中の原発は、中国17、韓国23、台湾6である。建設中を加えるとおのおの、71、32、8になる。日本が原発から撤退しても、わが国周辺で優に3桁の数の原発が運転される。

いかにしてこれらの国々の原発の安全性を高めるかは日本の命運にもかかってくる。その技術に今、他のどの国よりも貢献できるのが日本である。

世界展開する商業用原子炉メーカー4グループで、日本企業3社が中核を占め、情報公開や安全性で共通基盤を有する日米欧の3極体制を作り上げている。韓国、中国、ロシアの企業グループも存在するが、彼らの原発もめて、最重要の原子炉圧力容器は、世界の8割が日本製鋼所の技術に依拠している。

また、核非保有国として日本は唯一、核燃料サイクルの保有を認められ、ウラン濃縮および核燃料の再処理を許されている。これは日本が平和に徹してきたこと、核燃料サイクルの構築に関して公正さと透明さを保ってきたことへの高い評価と信頼の証しである。

世界は日本を原子力でも核問題でも信用しているのである。それだけの信頼を国際社会から寄せられていることを肝に銘じたい。そのうえで日本と自分たちへの信頼を取り戻したい。

汚染水にも原発の事故処理にも、厳しく、しかし、あくまでも科学的に公正な検証を加え、政府も関係者も、世論の反発におびえるのでなく、正しく説明し続けることが大切である。日本こそ原発を必要とし、その技術を介してアジアと世界への貢献を求められていることを、明確な表現で国民に説き始めてはどうか。産経ニュース 2013.11.4
〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜

最近小泉元首相がおそまきながら反原発発言を繰り返している。

小泉元首相は“古い自民党をぶっ壊す”と言う芝居がかった台詞で有名ではあるが、派遣社員の適用範囲を一挙に全産業分野に拡大させて日本から中間層をなくし少数の大金持ちと多数の低所得者を発生させ所得格差を著しく拡大させた。

歴代内閣が後送りしてきた郵政民営化を自民党内反対派に刺客を立ててまでごり押しし成立させて、300兆円もの日本の個人資産を米国に売り渡す道を切り開いた。

さらに小泉元首相は女系天皇を提案している。こうしてみると小泉元首相は、中国からの靖国神社参拝非難を頑としてはねつけた事以外は総じて反日政治家であった。

単純なヤマちゃんおやじは、小泉元首相が中国からの靖国神社参拝非難を頑としてはねつけたのに感激して小泉元首相のファンになったような気がする。しかしその後の小泉元首相による反日的政策に気が付いたのはおよそ5年前であった。

ある情報に拠ると、小泉元首相の父親は在日朝鮮人だった・・・とあった。

馬野周二氏は、“反日的行動をとる人物の多くは、外国のDNAを持つ人か、霊的に外国人であった人である場合が多い”と言っていた。

血が外来であろうが、霊的に外国であろうが、反日は反日である。
日本人のDNAを持っていても、外国のスパイに脅かされて反日活動に走る場合もあるだろう。

およそ40年前にオイルショックが起こり、日本の主婦の多くがマスコミに乗せられてトイレットペーパー買いだめに走った。全く情報操作に弱いのである!!!

先の衆議院選挙で東京地方区から、山本太郎というトンデモ反日低能野郎が衆議院議員に当選した。

山本太郎には反日左翼の選挙プロがついて応援したが、反原発運動を叫ぶ山本太郎に対し“俳優という職を辞してまで反原発運動に身を挺する所が素晴らしい”といって票を投じた大馬鹿有権者が大勢いたので最終的に当選した。

これは選良ではなく選悪である。選挙権は宝の持ち腐れどころではなく、とんでもない凶器になる例だ。

最近ロトシックスの当選番号を教えるという詐欺に引っかかり数千万円騙し取られた人達が結構いる。
専門家は”犯人の手口が巧妙だ”といっているが、こんな馬鹿な詐欺に引っかかるのは大馬鹿の証拠だ。

この種の日本人の多くは人を疑う事を忘れたらしい。

彼らは、『日本には反日勢力が沢山おり,鵜の目 鷹の目で日本人を食い物にしようと企んでいる』ことを知らないのだろうか????

保守革新を問わず政治家もあまり当てに出来ない。

頼るべきは自分だけではないのか!!!

そのためには、先ず他人の言を軽々しく鵜呑みにしないことである。
posted by ヤマおやじ at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月05日

木登り用縄ハシゴ試作 & 廉価牛糞

<木登り用縄ハシゴ試作>

最近 木登り用縄ハシゴ作りに挑戦している。

折角苦労して登った山頂では立木のため視界が殆ど無い というケースが結構多い。
本来山頂からの視界は良かったが、立木が生長したため折角の視界を遮るケースも多い。

立木に登ればもっと良い視界が得られると思うが、立木に素手で登れるケースは多くない。
大体 立木の最も低い枝まで3m以上もある場合が多く、簡単には立木に登れない。

ヤマちゃんおやじは、いっぱしの高所恐怖症ではあるものの、木に登るのはそれほど苦にならない。

よって”視界の良くない山頂で比較的簡単に立木に登れたらばかなり良い風景が得られるだろう”としばしば思ってきた。目標は3m程度の枝に登れるものとした。当然登山に携帯できるものでなくてはならない。重量も大きいもの、かさばるものでも駄目だ。

最近ロープワークの本を眺めていたら、ロープを使用した木登りツールが紹介されていた。
これに触発されて試作1が出来たので、11月2日に資材を購入して試作し(試作1)家の庭木でテストしてみた。

試作1は、ロープで輪を直列に作り先端を木の枝に掛けて上部を固定し、ロープで出来た輪を足で踏みながら体を上に持ち上げる縄ハシゴ方式であった。

結果は思わしくなかった。
登山靴を履いたまま登ることを前提にしていたが、2段目以降のロープで出来た輪の中に登山靴の先端を入れることが出来なかった。

試作2は、寝ている時にヒントを得たもので、細いワイヤーを丸めて踏台とし、そのワイヤ数個を垂直方向に1本のロープに固定した形式だった。

“ワイヤで出来た輪ならば楕円形の輪ができるので、登山靴の先端は輪の中に入れられるだろう”という期待があった。

登る時に重心が移動するので縄ハシゴが大きく左右前後に揺れることになり、2段目以降の楕円形の輪の中に登山靴の先端をすんなり入れることが難しく実用的ではなかった。

この時点で、純粋な縄ハシゴ方式ではだめであり、登山靴でも確実に踏むことが出来る『堅い横木』がないと駄目だという結論に達した。

試作3は横木を2本のロープに数個連結した方式とした。
11月4日に横木を作る雑木を雑木林で入手し幅30cm程度に切断した物を横木として上下方向に30cm間隔で2本のロープに数個連結した本格的縄ハシゴを作った。

高さ3mの庭木の枝に試作3を固定して登って見た。どうにか登れたが、やはり横木を踏む動作時で重心が移動し、ハシゴが傾く傾向(横ブレ)が残った。

更に改善欲を出して、重心移動によるハシゴの横ブレを小さくするために横木の上下方向間隔を20cmへと10cm狭くし横木数を増やした所、横ブレはかなり改善した。さらにハシゴの最下段を幹にロープで固定した所 少しではあるが横ブレはさらに改善した。

試作3ハシゴを使って昇降を数回繰り返した結果、どうにか登れる感触が得られた。
問題が無いわけではない。横木をロープから外す時に、結束が固くかなり時間が掛かり、解体に15分程度の時間を要した。

DSCF7425.JPG <試作3ハシゴ>

横ぶれはかなり残るものの登れないことは無い。実際には太さ10mm程度の登山用ザイル15mを購入しなければならない。高所の枝に縄ハシゴを固定し撤去する方法の確認も残っている。できればハシゴ/ロープが切れた場合の予備ロープ/ハーネスも備えたい。
それも出来るだけ廉価なもので・・・・

とはいえ、実用への最も核心部分での手がかりを曲がりなりにも得たのでそれなりの目標を達成できたと感じた。。。



<廉価牛糞>

11月3日(日)には山口県立農業大学校で農大祭があり、市価の1/3と言う安値で購入できる牛糞を買いにいった。

ここ4年は毎年この廉価牛糞を買ってきた。今年は朝からあいにくの雨天であったが、駄目もとで9時半ごろ会場の防府市牟礼の山口県立農業大学校に向けて出発した。

例年入口の3,400m手前から出来る車の列が無く、すんなり牛糞売り場に着いた。
小雨だったのでトランク収納最大の十袋を購入することとした。10kg入り一袋で100円なので、2箇所のパイルは殆ど売り切れ寸前であった。例年は3パイル(1パイルは1トン程度の牛糞山)だが今年は雨天なので2箇所のパイルではあったが、廉価牛糞は雨天にもかかわらず相当な人気だ!!!

中には軽トラック持ち込みで30袋も購入するプロ級も居る一方で、10〜15袋を自家用車に積み込む人が最も多い。

スコップ、一輪車、袋などは大学校側で用意されているので車さえあればよいが、自分で袋詰めして車まで運搬しなければならない。

7袋目を詰め込んでいる時、雨が大降りになったが登山用レインウエアを着用していたので作業を続行し10袋を詰め込み車に運んだ。

カミさんはレインウエアを着ていなかったのでかなり濡れたようだ。それでも花の苗を買いに別会場まで足を運んだカミサンの園芸への関心は半端ではないようだ。

予定では帰りに国道9号線に回り松茸入り徳佐牛牛丼を食べることにしていたが、雨に濡れたカミサンが早く帰りたいというので中止となった。

まあまたの機会にすれば良い。その代わりに,山口市秋穂の食堂でエビフライ定食を食した。
大振りな車えびの天婦羅3匹と味噌汁他4品のおかずがついて700円とはメッケものだろう。

なにせ山口市秋穂は車えびの大養殖場で有名なのだから、車えびの天婦羅はプリプリして美味であった。

縄ハシゴも曲がりなりにもマアマアできた。
廉い牛糞も買えて有難い・・・・感謝、感謝、感謝。。。
posted by ヤマおやじ at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月03日

サツマイモの収穫

11月1日10時頃〜12時頃にサツマイモを収穫し、次に植える玉葱のための畑作りを行った。

過去3年の実績からすればサツマイモは安心して収穫できる。
もともと痩せた土地にでも育つのが特色であり苗を植えた後は収穫まで農作業として何もしないですむのが大いに気に入っている。

サツマイモの蔓が盛大に繁茂しており、取り払うのにかなりの労力を要した。
本来は鎌で蔓を刈り取るところだが、枝切断用カッターで代用した。

今年も豊作でミカン箱3.5杯ぶんの収穫があった。

DSCF7422.JPG <収穫したサツマイモ>

10月末まで実をつけてくれた茄子3本を引き抜き、次にはほうれん草を植える予定だ。

夏の終わりに植えたジャガイモは今の所順調に育っている。

鍬の先が少しでもサツマイモに当ると傷がつくので細心の注意をしたつもりだが、およそ80個の内3個ばかり大きく切断してしまった。

その後玉葱を植える準備の一環として、15,6平米の畑を鍬で耕し、石灰、牛糞、油粕、配合肥料を撒いた。やはり鍬で耕す作業が一番体に堪えた。

DSCF7424.JPG < 玉葱用に耕し、施肥した畑 >


12時過ぎに作業終了。
春先までは自家製サツマイモが食べられるであろう。

天地の恵みは偉大であり、有難い。
感謝、感謝、感謝


posted by ヤマおやじ at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする