ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2013年04月30日

荒れた旧登山道の4日間にわたる笹刈完了

【きっかけ】
周南市鹿野町にある弟見山(標高1085m)と莇ヶ岳(標高1004m)は山口・島根県境に沿って走るおよそ2.5kmの縦走路で連絡されている。対面の飯ヶ岳(標高937m)から見るとこの縦走路には3つのピークがあることがはっきり判るがここでは莇ヶ岳側から順に952mピーク、950mピーク、988 mピークと仮称しておく。

2万五千分の一地形図には、952mピークから屋敷川林道まで登山道を示す点線が記入してあるが、これを登った登山記録は見たことがない。たまたま本年2月22日莇ヶ岳で出会ったNさん(通称バナナ屋さん)さんから“952mピークから藪漕ぎして尾根を下り鞍部で左折して谷沿いに歩き屋敷川林道に出た”と言う話を聞いて以来、いずれこの旧登山道を歩いてみたくなった。


【第一日】
本年4月上旬には屋敷川林道(標高550m)から谷沿いの作業道を歩き、通路を遮る棘のある大型植物(大きいものは長さ3mに達する)を切り倒して行き作業道終点(標高665m)に到達した。この作業道の存在を知ったのは4,5年前たまたま興味半分にウドを探して足を踏み入れたからだった。以来地形図を見るとこの谷を詰めると952mピークに至る点線があるのが気になっていた。


【第二日】
4月18日(木)には、作業道終点から谷を詰めて急傾斜を這い上がり古い赤テープが貼ってある鞍部(標高697m)に達した。やはりこのルートをたどった先人が居たのだ!!!
予想した通り旧道の面影はなく、笹と立ち木に覆われた道らしき形跡が所どころに見出されただけであった。この日は5時間余り笹と立ち木と格闘し旧道とおぼしき場所に沿って幅30〜50cm程度の空間を作り標高800mあたりまで進んだ。


【第三日】
4月26日(金)には、新調した長柄大鎌を持参して10時頃から前回の続きを笹刈した。笹の背丈は身長と同程度となり簡単に笹刈できなくなったので、体を笹藪の中に割り込ませ片足で笹を踏みつけた状態で長柄大鎌で笹を切り取るスタイルとなった。

問題は、長柄大鎌で笹を刈り払った時地面に残る切り株が槍の穂先のごとく鋭く尖っているので歩行者が転んだ場合危険なことであった。やむおえずニッパーで尖った切り株を除去するはめになった。

標高890mあたりまで進んだ。ようやく莇ヶ岳が見え始めた。この角度から莇ヶ岳を眺めたのは最初だ。。。ムスビを食べた20分間以外は作業を17時ごろまで続けたので、翌朝は腰、腕、足は過労気味で軽い筋肉痛を起こしたので午前中は睡眠をとり疲労回復につとめた。


【公園ボランティア活動】
4月28日(日)9時〜12時まで公園ボランティア活動。
毎月二回の本来の公園ボランティア活動に加え、昨年3月以来公園キャンプ場周辺の雑木林に遊歩道を毎月二回の頻度で整備してきた。

4月28日午後に“キャンプ場に来た子供達の歓声が遊歩道から聞こえた”という電話を共同作業者から貰い嬉しくなった。公園ボランティア活動の会長さんからも“公園キャンプ場周辺に出来た遊歩道が好評だ“という市役所職員の話もあった。この遊歩道は毎月二回午前中に共同作業者と二人で作ってきたものだが利用者が増え好評を得たのはこの上ない喜びであった。

長柄大鎌の代わりになりそうな長柄剪定鋏を購入するも、笹を刈ると刃がボロボロになる可能性を考慮して中国製の安価なものを選び、カミさんを拝み倒して先日大枚をはたいて長柄大鎌を買ったばかりなので自分のポケットマネーから代金を払った。


【第四日】4月29日(日)は旧登山道の最後の笹刈にすると心に決めて新調の長柄剪定鋏を持って5時30分頃出発した。国道9号線の山口市宮野から木戸山トンネル手前まで高齢者マークの車が時40kmで大名行列の先頭を切った影響もあって6時50分時頃に河内峠付近の駐車スペースに到着し準備後7時に歩き始め、8時50分頃作業場所に着いた。作業開始前に饅頭を食べ疲労対策とし気合を入れた。

目前の偽ピークまで張り切って笹を刈り払ったものの、その先は一旦7、8m下って次なるピークが待っていた。標高差10mピッチの等高線で描かれた地形図ではこの下りがまったく予想できなかったので一瞬驚いた。しかし本当に驚いたのはビッシリと生えた笹の波が延々と続く様であった。それまでは、旧道と思しき場所では他の場所よりも笹の密度が少なく作業上有利であったが、ここから先は、旧道と思しき場所の笹の密度は他の場所と同程度となった。また笹も太めになってきた。

笹原に散乱した枯れ木が作業の邪魔になるので枯れ木は事前に除去し、邪魔になる立ち木は鋸で切り倒して進んだ。中国製の長柄剪定鋏の柄は長さ70cm程度に延長できるので切れ味は心もとないものの中腰に屈む姿勢にする頻度が少ないので腰への負担が軽くなったのは予想外に有難かった。剪定鋏で刈払った後、地面に残った笹の切り口は尖っていないので尖った部分を再度切り取る手間もなくなるという利点もあった。

12時30分頃昼飯のムスビは背を超える笹に囲まれて立ち食いした。熊避けに携帯ラジオをつけたが一局も受信できなかったのはいささか予想外だった。ここは西端ではあるもののやはり西中国山地のド真ん中だ。13時頃ようやく目標とする952mピークが見えてきたが未だはるか先に見える、標高差は50mくらいあるだろう。

時間があれば弟見山のカタクリの花を見るという楽勝ストーリーとは縁遠く黙々と笹を刈っていたら目の前がパーと明るくなった・・・それから先は笹は無く山はきれいに伐採されていた・・・有難や〜〜〜

しかしこの幸運も長くは続かなかった。最後の標高差30mは急な傾斜地なうえに笹がビッシリ覆われていた!!!

ここで昨夜作ったデザート〜蜂蜜漬け夏みかん〜を食べ景気をつけることにした。このデザートは3,4年前疲労困憊して莇ヶ岳から帰った道で周南市から来たという女性組から貰ったものですっぱい味で当時生き返った記憶があり、疲労回復を狙って持参した。

今迄山歩きにデザートを持参したことは無かったが、今回は長時間での笹刈作業を考慮して特別に用意した。

ゴールが具体的に見えたことと、特製デザートとの相乗効果で傾斜地に密集した笹を着々と刈り払いついに15時15分に目標の弟見山〜莇ヶ岳縦走路952mピークの石柱の真後ろに到着した。

それまで6時間余り笹薮に囲まれて作業して来たので、明るく奇麗に整備された弟見山〜莇ヶ岳縦走路は一瞬ハイウエーのように輝いて見えた!!!

笹を刈り払ったとはいえ、この旧道は正式な登山ルートと比べると整備状態は数段劣る。通行者が少なければ半年も経ずに再び登山道は笹に覆われる可能性が高い。出来れば多くの人にこの登山道を歩いて戴ければ道が笹原に覆われる可能性も大きく減少するだろう。

その願いをこめて、952mピークの石柱の真後ろの笹薮入口は1m程度と幅広く刈り取り、立ち木には赤テープを巻きつけた。

作業で疲れた体ではここから弟見山のカタクリの花見物に行くには往復3時間以上を要すのでは無理だと判断し中止した。小憩後15時30分頃笹を刈終わったばかりの登山道を引き返し、刈残された笹を切り倒しながら下山した。

立派な登山道路にするにはまだまだやりたいことは沢山ある。しかし最低限の笹刈は独力でどうにか達成できたことに自画自賛ではないがそれなりに満足している。

いままで登山道の笹刈は何回も挑戦してきたが、いずれも部分的だったり、途中で止めた中途半端なものだった。しかし多少乱雑であっても今回は集中して笹刈を完遂出来たことに関して正直に嬉しい。

標高700m付近の鞍部から作業道終点へ至る区間に数箇所赤テープを貼り初めての人でもわかるようにした。18時20分頃駐車場所に着き、19時10分ごろ無事帰着した。感謝、感謝、感謝。。。。。。

最終日の29日も決して楽ではなかった。新しい武器である長柄剪定鋏が無ければ恐らく作業打ち切り時刻の16時30分(朝夕では熊に遭遇する可能性が増える)までには作業は終了しなかったと思われる。

このヤマちゃん日記を書いている4月30日でも足腰は痛く、左手の中指と右手の人指し指にはしびれの感覚が残っている。カタクリの花も見たい、独活も採りに行きたい・・・・が、当分体を休ませてやりたい。
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2013年04月25日

今シーズン最後のワラビ採り & 山田京都府知事は反日売国の輩

【今シーズン最後のワラビ採り】
今シーズン採れたワラビは昨年よりもかなり少ない。今年はスーパーに出回っているワラビも少ないとのこと。

今年もいろいろな場所に通っているが6,7年前ほど沢山採れない。4月22日には今シーズン最後のワラビ採りのつもりで今迄知っている殆どの採取場所に出かけた。

6,7年前には途中でワラビ採りの手を休めるほど沢山採れた場所は、いずれもワラビが殆ど生えていないことがわかった。

6,7年前沢山のワラビが採れていた時分と最近の状況を比較すると、沢山取れていた時分では地面には下草がなく、笹や雑木も生えていなかったが、最近では地面には草や、笹や雑木が盛大に繁茂しワラビはそれらに囲まれて数少くいひっそり生えている状況である・・・ことが判った。

換言すれば6,7年前までは、下草刈りや野焼きという里山管理作業が行われたので地面には下草、笹、雑木が人力によって除去されていたのだ。

実際に6,7年前にはあたかも金城湯池のごとくワラビが沢山採れた場所は水田跡であった。ここで出会った年配のお百姓さんは、“自分がこの水田跡を野焼きして下草や雑木を除去するのでワラビの新芽が沢山出てくるがこれを他人が来てかっさらって行ってしまう”と嘆いておられるのを本人から直接聞いたことがある。これを聞いて当方はワラビのお礼にとお金を差し出したが件のお百姓さんは、“いいから”といってお金を受け取らなかったシーンを思い出した。

最近はこの水田跡は誰も手入れをする人がいないので荒れ放題となっている。6,7年前にはこの水田跡の下流側では未だ水田で稲作が行われており、水田の周りの山裾は幅4,5m程度で全ての草や雑木は刈り取られていた(田舎用語で「下刈」=したかり、または、下木を刈る=という)。

よってこの下刈された山裾も絶好のワラビ採り場所であった。今では水田は耕作放棄され荒れ放題となり、かって下刈されていた山裾は草木で覆われているのでワラビが生える余地はない。


さらにここから2km程度はなれた場所に移動した。ここもかってはワラビがよく採れた場所であった。しかしここも草木が繁茂しておりワラビの姿は殆ど見られなかった。

続いて訪れた場所は3,4年前まではワラビが沢山採れた所であったが、今では笹が一面に生えておりワラビの姿は見えなかった。

これだけ一面に笹が地面を覆っていれば、ワラビが芽を出しても太陽の光が遮断されるのでワラビは大きく成長することなく立ち枯れてしまい胞子を撒くことができないので次年度にはワラビが芽を吹くこともなくなる。  

よって持参の鎌でワラビの天敵=笹=を1平方メーター程度刈り払って見た。すると笹原の中に一本のワラビが生えているのが見えた。このワラビの周囲の笹を刈るとまた近くにに一本のワラビが生えているのが見え、再びこのワラビの周囲の笹を刈るとまた近くにに一本のワラビが生えているのが見えた。

ワラビを採るだけの目的だったら、笹を刈り払わないので笹原に埋まったワラビが見つかることはない。しかしワラビの生育のためと思って笹を刈り払ったから笹原に埋まったワラビが見つかったのである。暫くの間 笹を刈りながらワラビが採った。結果的におよそ30平方メートルの面積に生えている笹と雑木を全て刈り取ったことになった。これで来年ワラビが沢山生えればよいが・・・・・とひそかに期待した。

これらの事情から推察すると、最近ワラビが採れなくなったのは、“ワラビの生育を邪魔する草、笹、雑木を定期的に除去する人がいなくなり、ワラビの生育を邪魔する草、笹、雑木が繁茂したのでワラビの生育がガタ落ちとなったため”ではないか????

換言すれば、農業従事者の老齢化の進展による農業人口減少が、ワラビが採れなくなった主原因だ・・・ と思う。

この仮説が正しいのであれば、来年もワラビの採取量は多くを期待できないであろう。
ワラビの採取量減少は日本の里山の衰退であり、日本の環境の荒廃でもある。

日本の農業は食料の生産と同時に日本の環境の維持保全の双方を担っている。
今のTPP是非論には、食料の生産に加えて、一体誰が里山を守るのか?一体誰が日本の環境の維持保全を行うのか???についての議論が付加されなければならない。

環境が悪化すれば日常生活も経済も成立しなくなるからだ。


【新たな売国奴知事=山田京都府知事=が発覚】

山田京都府知事が支邦人、韓国人が大勢を占める外国人留学生に永住権を与える「大学ユートピア特区」構想を発表した。


産経ニュース2013.4.12 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130412/kyt13041202030002-n1.htmによると、
“山田知事が特区構想 「大卒以上で永住権」実現性は? 京都”
という見出しで、■留学生増目指し申請へ ■今年度中に計画とりまとめ

 政府の産業競争力会議が安倍晋三首相主導の「アベノミクス戦略特区」の創設に向け検討を始めたことを受け、山田啓二知事は、府内の大学などを卒業した留学生を対象に、永住権申請の資格を付与できる特区を盛り込むよう6月までに政府に要望する方針を明らかにした。今年度中に具体的な計画をまとめ新制度が創設され次第、申請する方針。実現すれば全国に例のない特区になるが、法改正などが必要になる可能性があり実現できるかどうかは未知数だ。 (栗井裕美子)

 10日、京都経済同友会の特別委のメンバーから留学生の支援策などで連携を求められた山田知事は「留学生対策をこれまでしっかりやってこなかった。思い切った対策を講じる必要がある」とし、「優秀な人材が日本を目指さず違う方向に行くのはもったいない。特区申請時に、留学生の永住権付与を盛り込みたい」と述べた。

 その後、取材に応じた山田知事は、対象として府内の大学・大学院を卒業・修了した留学生らを想定しているとしたうえで、「日本は英語圏ではない。各国で留学生の奪い合いになるとインセンティブが必要」と述べた。

 府によると、シンガポールでは大学などの卒業後に永住権が与えられ、オーストラリアでは、看護師など政府が指定するコースを修了すると永住権を申請できるという。日本では外国人が永住権を得るには10年以上継続して在住するなどの条件を満たす必要がある。

 ただ、府内の大学や大学院の卒業・修了を条件に、日本国内の永住権を付与することには、法改正などが必要になる可能性がある。

 府の担当者は「特区に興味を持ってもらえる大学などと共同で研究を進めたい」。法務省入国管理局は「大きな改革ならば現行法では対応できない」としたうえで、「特区の内容も定まっていないので、はっきりとしたことは言えない」と話した。

 府や経済、文化など各界で作る「京都の未来を考える懇話会」は平成24年3月、少子化に備え、留学生を増加させるための優遇措置などを盛り込んだ「大学ユートピア特区」の申請を提言していた。
〜〜〜「産経ニュース」記事引用終わり〜〜〜


また、夕刊フジ 4月22日(月)16時56分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130422-00000014-ykf-soci
から引用すると、

“中韓留学生の超厚遇はおかしくないか? 京都府内の大学卒業時点で永住権構想も” という見出しで
古都・京都で、外国人留学生に大学卒業時点で永住権を認める構想が浮上して、波紋を広げている。府に「中国人に乗っ取られる」などという抗議が寄せられているのだ。そもそも、日本に来る留学生の8割近くが中国、韓国籍で、日本人学生に比べて優遇されており、国会でもしばしば議論が起きている。

 波紋を広げているのは「大学ユートピア特区」構想。京都府内全大学の学部・大学院を対象に、卒業・修了時に永住を希望する留学生が原則許可を得られるようにするもの。山田啓二知事は今年度中に政府に申請する方針で、府議会による事前の決定は必要ない。

 実現すると、どうなるのか。

 「中国人の世界乗っ取り計画」(産経新聞出版)の著書があるノンフィクション作家の河添恵子氏は「中国人が殺到するだろう。彼らは永住権を得たら家族を呼び寄せ、集まる。自分たちが社会に合わせるのではなく、社会を自分たちに合うように変えようとする。永住権を得るだけのトンネル大学・学部ができる可能性もある」と警告し、続けた。

 「中国人留学生を多く受け入れているオーストラリアでは、中国人がシドニーなど大都市に集中し、帰化する人も多い。保守系議員が当選しにくい現象も起きている。中国人移民が増えているカナダでは、交通事故が増えた。交通ルールを理解しないまま運転免許を取る人もいるからだ」

 京都府戦略企画課によると「慎重にするべき」「中国人を入れるな」などと、電話やメールによる抗議が十数件、寄せられたという。

 外国人留学生の厚遇ぶりも、改めてクローズアップされそうだ。

 例えば、2012年度予算で187億円が計上された「国費留学生」制度。1人あたり修士課程で月額15万2000円、博士課程だと15万3000円が支給される。国立大学なら学費免除、渡航費も日本政府負担だ。

 このほか、私費留学生に67億円、短期留学生に22億円など、計280億円以上の国民の税金が外国人留学生に使われている。

 独立行政法人「日本学生支援機構」によると、12年5月1日現在、留学生は13万7756人。国籍別では、中国8万6324人、韓国1万6651人で、両国で全体の約76%を占めている。国費留学生は8588人で、国籍別では、中国1411人、韓国848人、インドネシア609人…と続く。

 沖縄県・尖閣諸島の強奪を狙う中国や、島根県・竹島を不法占拠する韓国に、ここまで手厚くする必要があるのか。

 大学学長でもある、みどりの風の谷岡郁子代表は「学費を稼ぐためにアルバイトに明け暮れたり、奨学金の返済に苦しむ日本人学生や若者がいる一方、世界第2位の経済大国となった中国に手厚いのは問題。将来、納税者になってくれる日本人学生に手厚くすべきだ」と指摘している。〜夕刊フジ 引用終わり〜


【奇怪な馬鹿げた「大学ユートピア特区」構想】

夕刊フジの上記記事内容はもっともです。しかしそれ以外にもっと恐ろしいことが起こります!!!

1.住民の嘆願を無視し、加害者の人権を最優先する京都市、京都府

JR京都駅に2人のホームレスが済み付き糞尿を駅構内に垂れ流して異臭が立ち込め乗客・観光客らに長期間多大な迷惑を掛けているが、市民からの再三の抗議にもかかわらず、ホームレスの人権尊重を理由に何ら対策が取られず1年以上も放置されてたままになっている。

→ このような無法・迷惑行為を取り締まれない京都市、京都府には、外国人留学生を永住させる資格はゼロ。
  
これが革新地方行政といわれる京都市、京都府の報道されざる”ふがいない実態”だ。加害者・犯罪者の人権を必要以上に保護する反面、被害者・住民の人権は無視!!! ・・・これが綺麗ごとを叫ぶ門川京都市長と山田京都府知事の無責任かつ無能な実力です


2.日本駐在の中国人であっても中国国家動員法の適用を受けるので、支邦共産党からの指令一つで日本に永住権を有する中国人も駐日中国軍に豹変する。

2010年7月に中国共産党政府が成立させ、施行した国家総動員法(国防動員法)は、同国の国防に関わる有事にいたった場合に、国内外の支那(China)国籍者の財産の接収(没収)、同国籍者の徴兵(国内・在外を問わない同国籍者の徴兵(兵員化)と、および、同国内での外国資本の没収まで含まれています。

注目すべきは、在日支那国籍者もこの法律の動員対象となっていることです。登録されている同国籍者だけでも「687,156人(2010年12月末時点の統計)に上り、他、“観光”などで一時的に渡航して来ている者や15万人を超えたとされる同国の留学生も、「有事」発生時点での動員対象になります。さらに、後者の一時的渡航者、留学生の中から絶えない「法律上は日本に存在していない」はずの不法残留(オーバーステイ)者や、さらには、数値ではその掌握が測りかねる不法滞在者(密航者)もその例外ではありません。

さらに近年中国の手下になった韓国の実態から見れば、日本国内でいざ騒乱ともなれば、属国の在日コリアンらがそれに加わることも推察に難くない。

京都府民の安全と財産を預かるはずの山田京都府知事が、京都府の大学を卒業したと言う超簡単な条件だけで敵性国家=支那=の侵略予備軍を日本に永住させる構想を打ち出すとは、全く常軌を逸しています。山田京都府知事のこの構想は反日売国奴ならではのものと断定できます!!!

3.山田京都府知事へ「大学ユートピア特区」構想を進言した京都経済同友会の特別委のメンバー、「京都の未来を考える懇話会」は売国奴団体。

東京経済同友会は、小泉首相に靖国参拝を止めるように公式に要請した親中国売国奴団体として馬脚を現しましたが、国民から厳しい指弾を受けた後撤回に追い込まれ大恥をかいた前歴があります。この時点では”関西経済同友会は東京経済同友会と違ってしっかりしている”といわれていましたが、今では関西経済同友会も反日売国奴団体に落ちぶれたものと思えます。。。。

京都の未来を考える懇話会 に関わっている門川京都市長は 「同和と創価でズブズブ」とか揶揄されている。同和と創価は反日団体の双璧だ。

大学ユートピア特区構想の表面的理由は隠れ蓑であり、日本国民に大損害を与える邪悪な真の目的は当然隠蔽されていると思うのが常識だ。


【知事、革新系市長は概ね反日勢力】

反日知事、反日市長はうじゃうじゃいるのでとても全てを記載する気になりません。ほんの一部を挙げると、

嘉田滋賀県知事は社会民主党・民主党の支持をうけた完全な左翼であり、正真正銘の反日知事といえます。


東京ドームよりも広いと言われる新潟市民有地5000坪の一等地を、住民の猛反対にもかかわらず中国総領事館用地として中国政府への売却した泉田新潟県知事、篠田新潟市長も第一級の反日・売国奴であることを全国に知らしめました(中国では土地の売買は禁止されている。相互主義と言う観点から見ても中国への土地売却は行うべきではない。河村名古屋市長は中国政府からの土地購入申し出を拒否しているのはまともだ)。

仲井間沖縄県知事、稲嶺名護市長も第一級の反日・売国奴です。両名は中国人の先祖を持つことを誇りとして公言し、沖縄県の日本からの独立と中国への帰属を心中で渇望している輩です。


物言わぬ県民さんのコメント
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/555ba915c9525c98620790afb0c6199fによれば

稲嶺名護市長は、沖縄タイムスのインタビューに次のよう答えた。
「政府は、(普天間の辺野古移設を)、容認する皆さんがいるというが、全体ではわずかで、それを頼みの綱に(辺野古移設を)白紙に戻さないというのは民主主義国家としてあってはならない」(沖縄タイムス 2013年1月23日)〜〜〜インタビュー終わり〜〜〜

各自治体も自治労が大動員させて参加した「那覇市民大会」が1300名(主催者発表)だった。
その反対に新聞や市職労など組合が全く無視した「名護市民大会」は、実数で「那覇市民大会」の2倍の動員があった。米軍基地に対し「那覇市民大会」は「ハンタイ!」で「名護市民大会」は「容認」と全く逆の立場。

これだけを見ても「オール沖縄」が大嘘でその実態は「オール自治労・沖教組」と言うことがわかる。「オール沖縄」=「オール自治労・沖教組」であることは良識ある県民なら誰でも承知のことである。〜〜〜引用終わり〜〜〜


NHK、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、民間放送など日本の主要マスコミはあたかも「沖縄県民全体が米軍基地に反対している」と繰り返し明言している。

しかし実際は、自治労、沖教組、沖縄メディア、大学教授、県教委等から構成される“反日オール沖縄”だけが米軍基地に反対しているだけであり、多くの沖縄県人は米軍基地を容認しているのである。
”シャーシャーと大嘘をつく”これが反日左翼売国奴の専売特許だ。

反日マスコミも”シャーシャーと大嘘をつく”ので、反日左翼売国奴に間違いない!!!



翁長雄志那覇市長も反日・親支邦では負けていません。

オスプレイ配備反対、普天間飛行場の辺野古への移設反対する大会へ参加するためのバス代は那覇市が負担します。翁長那覇市長が反日・反米・親支邦活動を公然と熱烈支持しております。さすが福建省・福州市の栄誉市民でもある翁長雄志那覇市長は支邦共産党の伝道師としてのお役目を立派に勤めています!!!

2013.02.26ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130226/plt1302260708002-n1.htm によれば、
【沖縄が危ない】中国万歳!? 沖縄で勢い増す「反日」「反米」世論 という見出しで

沖縄ではいま、「反日」「反米」の機運が異常に高まっている。これまで沖縄政局といえば、保守と左翼(革新)に分かれ、「米軍基地との共存共栄」か「基地撤去」かで拮抗していたが、いまや沖縄本島を中心に「オスプレイ配備阻止」「普天間飛行場県内移設反対」という世論で一色である。

 オスプレイ配備に少しでも肯定的な発言をすれば、これまで政治的発言をしてこなかった町内会やPTAのメンバーからも糾弾される。まさに、「沖縄VS日米」という対立構図になりつつある。

 こうした運動の中心になっているのが、那覇市の翁長雄志(おなが・たけし)市長(62)である。昨年9月に開催された「オスプレイ配備反対県民大会」の共同代表でもあった。

この反日・親支邦翁長雄志那覇市長はかつては自民党沖縄県連幹事長として普天間飛行場の県内移設を推進していたが、現在は「安全保障は日本全体で考えるべきだ」と県内移設反対に転じた。

首里城公園で(平成25年)1月2日、琉球王国時代の旧正月の儀式を再現するイベント「新春の宴」が催された。式典の最後で、王府高官を演じる役者は大声で「ワン・ワン・ワンスーィ(=中国万歳)」と叫んだ。残りの役者たちも直前、高官の号令に併せて「ワン・ワン・ワンスーィ」と合唱し、一斉に北京に向かって合掌、黙礼したのである。

 これを見ていた中国人観光客は「やはり沖縄は中国のものだ、1日も早く解放せねば」と語っていたという。

 沖縄のNHKはこの日のニュースで、このイベントを何度も放送していた。皇居・宮殿では同じころ、新年恒例の一般参賀が行われていた。奄美大島(鹿児島県)以北のNHKでは、天皇陛下が新年のお言葉を述べられる様子が繰り返し放送されたが、沖縄での放送は少なかった。

 天皇、皇后両陛下は昨年11月17日、沖縄県をご訪問された。18日夜には、那覇市内で県民による「天皇皇后両陛下奉迎提灯大パレード」が行われ、約8000人の県民が参加した。ところが、沖縄の新聞やテレビは、このパレードをほとんど報道しなかった。

 沖縄のメディアが最も熱心に報道していたのは、18日朝に発生した酩酊した米海兵隊将校による民家侵入事件だった。〜〜〜引用終わり〜〜〜



何故これだけの反日売国奴的首長が大活躍するのか???

一つには、山田京都府知事が「大学ユートピア特区構想」発表という反日売国奴的行為しても、反日マスコミはこれを報道しませんので、多くの人達はこれに気が付きません。

二つ目の原因として、かりに「大学ユートピア特区構想」を聞いたとしても、一般国民は平和ボケしており危険に対する感受性が極めて低いことが挙げられます。

特に、野蛮なごろつき国家である支邦(中国)、韓国、北朝鮮に対する危機感の欠如が問題です。

こんな反日売国奴地方自治体首長が跋扈する中で、道州制という強い地方分権制度を採用すれば日本という国は、支邦人、朝鮮人に一気に乗っ取られる確率は非常に高い。

換言すれば、見掛けは日教組や大阪市職員労組と戦っている姿勢を見せても、道州制の導入などの強い地方分権制度の導入を主張している橋下徹日本維新の会共同代表の危険性も否定できない。

橋下徹氏が真っ当な国家観を持ち合わせていれば話は変わるかもしれないが・・・・


皇太子妃雅子様の入内の秘密についていろいろ調べている。どうも反日マスコミが隠蔽した深い裏〜支邦共産党スパイと日本の反日勢力との共同作戦〜が隠されているように思える。。。。
posted by ヤマおやじ at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月20日

高地タラの芽採取


平地ではタラの芽が大きく育ち過ぎて食用に供さなくなっても、標高が600m程度の高地では食用に供するタラの芽が採れることを3年前に登山の途中で偶然発見した。

以来 平地でのタラの芽採取シーズンが終わると、標高600m程度の高地で採るようにしている。

実際にこの眼でタラの芽を見た標高600m程度の高地は5箇所あるが、うち2箇所は島根県と広島県であるので通常は山口県内の3箇所で採取することが多い。

山口県内の3箇所の内一箇所はもともと余り多くないタラの木が今年は伐採されていたので、残りの2箇所を4月10日、13日に訪れた。


【高地タラの芽採取〜その1〜】

4月10日(水)にはいったんA岳の頂上に登った後、南麓にくだり林道に沿って標高650mから標高480 m辺りまで丁度食べ頃のタラの芽が見つかり(資源温存のため)適当に間引いて採取した。

手当たり次第に全部採取すると全滅するので1/3程度は残すようにしている。標高650mから標高550m位では他人が採った形跡はなかったが、標高550m位より下では先行採取者の形跡が明らかだった。

この先行採取者は全数を採取せず一部を残存させていたので、信頼できる採取者だと思った。当然のことながら、先行者が敢えて残存させたタラの芽は採取しないでいた。

いずれにしても此処で3個、あちらで2個と言う按配で採取する形となり、ほとんどの場合傾斜地に足を踏ん張り長さ5mの高所剪定鋏を使用しての採取となるので結構時間と体力を消耗する。どういうわけか、タラの木がある所には棘のある草木が繁茂しており、この棘が身体や衣服を傷つけるので事前にそれらの草木を取り除かなくてはならない。

結局13時頃から16時頃まで専念して40個程度取れたことになり、まずまずの結果だった。
登山としての累計標高差は650mであった。これにタラの芽採取のための傾斜地アップダウンを加えると800m程度になり、メタボ対策運動としても申し分ない数値だった。


【高地タラの芽採取〜その2〜】

2つ目の高地採取地としてC川の上流D川の枝谷に赴いた。標高は600〜650m位だ。ここには2回下見に行った後満を持して4月13日に行った。枝谷に沿って荒れた作業道があるが,棘のある草木が密生し道を塞いでいたので下見のときに駆り払うのに半日を要した。

ここでは、殆どのタラの木は傾斜地に育った高木であり、採取は簡単ではない。おまけにタラの木はポツリポツリと棘のある藪の中に点在しているので、タラの木のある場所に辿り着くまでで一苦労も二苦労もある。

ここでも残存させるべきものを残し採取した。高さが5m以上あり採取不可能なタラの木が多数ある。12時ごろから3時間程度採取し良形のものがまあまあ採れた。ここでは先行採取者の形跡はなかった。

〜良形のタラの芽の写真〜

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〜最大級サイズのタラの芽〜

DSCF7070.JPG

平地でのタラの芽採取は極めて競争が激しい。採取時期が少しでも遅れるとそこでは殆ど取れない。

2年ごろ前から平地でのタラの芽採取では、プロの採取者によるタラの木の枝の大量切断が流行しており、それが原因でタラの木が枯死した場所も出始めた。これは良くない流行だ。最近では一部の日本人も、資源を根こそぎ強奪する支邦人と同列になったのか!!!!

またタラの芽を手当たり次第全部採取すればタラの木は枯死し二度と採れなくなるのも問題だ。

昔のヤマちゃんおやじは手当たり次第全部採取していたが、2年前から資源温存を考え1/3程度は残すようにしている。

悪質なプロ採取者の横行を考えると、やはり人知れず採取できる場所があれば一応安心ではある。よってその場所は秘密にしておく。

人知れず採取できる場所もいずれは他人が知る所となる可能性は否定できない。
よって常日頃から、人知れず採取できる場所を絶えず探す努力が必要となる。
今年は2箇所の新しい場所を見つけた。

今年も、タラの芽・山の幸に感謝、感謝、感謝。。。。。
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2013年04月17日

岸元首相からビスケットを貰った男 & ひよこ草の天婦羅

すこし前に未来湖周辺を歩いた。今シーズンのタラの芽は平地では葉を開き食用には供さないが、散歩をかねて来年の山菜採りのための下見に歩いてみた。

高速道路の下に昨年まであったタラの木数本が伐採されていたので、当分の間採れないだろう。

今年はタラの木の伐採に会ったのは3回目だ。例年になく多い・・・“いつまでもあると思うな親と金”という諺を思い出す。。。。

ダム周遊道路が通常の散歩コースであるが、今回は公園の終点から林に入って見た所踏み跡があったので進んでいくと周遊道路法面の最上部に出た。

この道路法面の最上部は道路から標高差20m以上あるので、道路から雑木を掻き分け急斜面を登り最上部に辿り着くのはかなり難儀な作業だ・・・これを登るにはよほどの決意/モチベーションが必要となる。しかしこの踏み跡をたどれば比較的楽に道路法面の最上部に達することができたのは新発見であった。

周囲にはタラの木はそれなりに存在し、食用になるタラの芽はなかったものの、誰かがタラの木の枝ごと切り取った痕跡が多数見受けられた・・・・やはりタラの芽採取は競争が激しいのだ!!!

暫く周遊道路法面の最上部を歩いていると、下の道路から“タラの芽採りか?”と言う声が聞こえてきた。道路から年配の男が当方を見上げていた。当方が“そうだ。今年は初めて此処に来たが食用になるものはない“と答えた。

当方が“何か採れるか?”と男に聞き返すと、“ひよこ草だ”と答えてきた。さらに“どんな草か?”と当方が聞くと、“正式には「はこべ」と言う、見本を道路に置いておく”との返答があった。悪い男ではないようだし、見本を道路に置いてくれたので、道路に下りて“ひよこ草”の実物を見せて貰った。

実物を見ていると、60年位前子供の頃に“ひよこ草”を鶏に食わせていたのをジワーと思い出した。なーんだこれは草ではないか ?と思いつつ料理法を聞いた。件の男性は “天婦羅にすると良い” というので、教えられたように一掴み採取した。産毛が生えているのは偽者だとも教えてくれた。

日も傾いてきたので一緒に帰る道で、色々な話をした。「山菜は良く勉強したので自信がある」と自称した件の男性は、最近では“ひよこ草”を見つけるのは大変だが、ここでは“ひよこ草”がよく育っているのでしばしば採取しているとのこと。

ここでも昨年あたりから、タラの芽の付いた枝を丸ごと大量に切断して持ち帰る不届きな輩がいるとのこと。当方が先日聞いた“タラの芽の付いた枝を田んぼに植えて置き大きくなった時点で料理屋に売る”と言う話をすると、“このような乱獲は良くない”ということで話が一致した。

彼は昨年まで働いていたが年金がもらえるようになったので最近では好きな山菜三昧の生活とのことだった・・・年齢は65歳くらいであろう。彼はさすが山菜博士を自認するだけあって、「ヨモギの天婦羅もいける」、「タラの芽は火で炙って味噌で食べても良い」など薀蓄を披露してくれた。

“当方の出身は周南市の山奥であったが、子供の頃はタラの芽が山菜とはまったく知らなかった”と話すと、彼も山口県田布施町の出身だが子供の頃には“タラの芽”を知らなかったという。“タラの木は漆の木に似ているので、田舎の人達はタラの木が山菜だとは知らないのではないか???”と件の男性が言ったが、意外と図星かもしれないと思った。

ここで、“田布施町といえば、岸信介・佐藤栄作両元首相の出身地だが・・・”と水を向けると、件の男性は“私は子供の頃岸元首相の家の近くに住んでいたので、岸元首相の家に行くと当時としては珍しかったビスケットをよく戴いたものです”と答えた。

今でこそビスケットなど全国どこの店にでも売っているが、終戦後暫く経った当時はビスケットを売っている店は地方ではなかったので、岸元首相の家で貰ったビスケットの味は格別なものだったとのこと。


帰って採取したひよこ草を早速天婦羅にして食した所、さっぱりした野菜の味がした。
ひよこ草=「はこべ」=は 春の七草 の一つであり、薬用にも使われるとのこと。

今回も新しい発見がいろいろあった。

山菜を採る楽しみがまた一つ増えた。

感謝、感謝、感謝
posted by ヤマおやじ at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月15日

【地球への他星人第二次移住】〜足立育朗著 『真 地球の歴史』より〜

【地球への他星人第二次移住】

前回に引き続き 足立育朗著 『真 地球の歴史』から抜粋・引用する。

いよいよ、ムー大陸文化、アトランティス大陸文化が登場します。
また弥生文化、縄文文化も登場します。

〜〜〜引用開始〜〜〜

他星人たちの第二次移住は684万年前以後1万年前までの間の比較的短期間に連続して起きました。第一次と大きく異なることは地球自体の気候が安定し、空気量、気温が一定したこと。個々の星座から独自の計画により移住してきたのではなく、FIDA(惑星連合)の調整により、ほぼ同時期に複数の星座から(地球の)様々な地域に送り込まれてきたということです。調和の取れた文化が地球に生まれるように配慮されてのことでした。

しかし残念なことに結果的には全ての文化は原子核戦争による壊滅の歴史を繰り返しました。


【第二次−第一期=684万年前・・・ムー大陸文化を築く】

カシオペア座、オリオン座、おうし座のプレアデス星団

第二次の第一期は、カシオペア座、オリオン座、おうし座のプレアデス星団からの移住です。カシオペア座からはMUHU(ムー)星が中心になって684万年前に150万人が宇宙船(UFO)で東北アジアの全域に移住、人口が1000万人まで増加し、高度な文化を築きました。これが「ムー大陸文化」と呼ばれるものです。「ムー大陸文化」とはカシオペア座のMUHU(ムー)星の人々が中心になって築いた文化のことを言います。この時だけではなく以後何度も起こっています。

特筆に価するのはこの文化においては地球史上初めて結婚を含む他星人(カシオペア座星人)と地球人との完全文化交流があったことです。つまり混血種も生まれた ということです。

また地球人ホモ・サピエンスは第一期移住当時80万人であったのが,最高時には800万人になりました。600万年前、原子核戦争によりこの文化は壊滅、生存者はカシオペア座星人90万人、地球人20万人でした。

また673万年前にはオリオン座から60万人が宇宙船(UFO)で南米の中部と東部に移住し、最高時に700万人になりました。この時南米には地球人は存在しませんでした。620万年前、この文化は原子核戦争により絶滅し、生存者はありませんでした。

655万年前には、おうし座のプレアデス星団より95万人が宇宙船(UFO)で北米大陸に移住し、最高時に1000万人になりました。この時北米には地球人ホモ・サピエンスは40万人存在し、最高時には900万人になりました。両者はお互いの存在を知っていましたが文化の交流はしていませんでした。535万年前、原子核戦争によりこの文化も絶滅しました。


【第二次−第二期=302万年前・・・当時のアトランティス文化、絶滅する】

カシオペア座〜302万年前
おうし座のプレアデス星団〜245万年前

第二期には二つの星団からの移住がありました。
まず、カシオペア座から302万年前100万人が北アフリカ西部に移住してきました。この時、地球人は北アフリカの西部から東部にかけての広域に170万人存在していました。

カシオペア座星人の人口は最高時には800万人となり、地球人との文化交流も行っていました。但しこの時には結婚はありませんでした。地球人は最高時に1200万人となっていました。しかし、209万年前原子核戦争によりこの文化は壊滅し、カシオペア座星人は20万人生き残り、地球人が300万人生き残りました。

また、245万年前おうし座のプレアデス星団より100万人が今の北大西洋北部に移住してきました。これはその地域がまだ陸地として現在のアメリカとヨーロッパがつながっていた時期で大西洋がなかった時のことです。
この時の文化がプレアデス星団のATLAHNTISU(アトランティス=地球語のアトラス星=)星人が中心となって築いたいわゆるアトランティスの文化です。アトランティスの文化は地球の歴史において一回限りのものではありません。少なくとも80回〜90回は存在しました。

やがて移住者の人口が1250万人以上になり、当時100万人であった地球人の人口が950万人になった頃には、この文化は現代の地球文化より300年以上も進んだ状態となり、宇宙の法則をより理解し、波動のエネルギーをコントロールできるまでの優れた科学をもっていました。

地球人との文化交流もありましたが、195万年前、ネガティブな発想をするグループとポジティブな発想をするグループとの対立による原子核戦争でこの文化も絶滅しました。

地球上に興った文明を総計すると180万種以上になります。土に埋もれた文化が100万、海底に沈んでいる文化が80万以上は存在しています。以降はそれらの中でもムーやアトランティスの文化以上の主要な文化のみを挙げていきます。



【第二次−第三期 = 115万年前・・・宇宙の仕組みを理解する文化】

〜プレアデス、カシオペア座、金星、オリオン座〜

115万年前には、プレアデス、カシオペア座、金星から同時期にそれぞれ80万人、46万人、30万人がアジアの北東地域に移住してきました。中国、朝鮮半島、日本全域に相当する地域でした。日本では長野県、山梨県(身延)、岐阜県(飛騨高山)、神奈川県(逗子)、九州などが その主な地域でした。

これらの三文化圏の移住者達は相互に完全に交流をし、その地域に生存していた地球人50万人とも交流し、宇宙と調和した大変素晴らしい文化を築いていました。

一方、同時期にオリオン座より100万人が南米北部のベネズエラ、コロンビアの地域に移住し、その時期に存在していた40万人の地球人と文化交流をし、独自の文化を形成していました。

プレアデス、カシオペア座、金星の共同文化はポジティブな方法論を通して宇宙の仕組みを理解する文化であり、オリオン座はネガティブな方法論を通して宇宙の仕組みを理解する文化をもっており、両者は衝突するに至りました。

両者の原子核戦争により南米では75万年前にオリオン座星人800万人、地球人500万人を最高として絶滅、アジア東北部では64万年前にプレアデス星団人600万人、カシオペア座星人400万人、金星人500万人、地球人300万人を最高として絶滅しました。


【第二次−第四期 = 50万年前・・・弥生文化が生まれる】

〜 カシオペア座、オリオン座、おうし座 50万年前 〜

50万年前にはカシオペア座から30万人の人達が東北アジア地域に移住してきました。当時その地域には50万人の地球人が存在しており、両者はお互いの存在を知っていましたが交流はせず、結果的に40万年前にカシオペア座星人400万人、地球人800万人になった時点で原子核戦争により激減しました。この時のカシオペア座星人達の生存者7万人から日本の弥生文化(注5)が生まれました


(注5)<弥生文化>
カシオペア座星人の生存者7万人は同地域でカシオペア文化内での原子核戦争の影響を受け絶滅しかかっていた原地球人達と融合し、原始生活レベルから地球において新たな文化を創造することを決心しました。カシオペア座と地球の初めての本格的な融合文化、これが弥生文化です

カシオペア座の人々と原地球人との間には意識の深化レベルの格差のみならず身体機能上の差異もありましたので、それを調整するためにはカシオペア座の人々が原地球人の状態に合わせる必要がありました。

具体的には甲冑状の波動調整具を着用することにより、自らの身体波動を制御し地球人と接触交流し、徐々に生理的な融合もしていきました。生活形態についても地球人の文化のレベルと調和する形で手作業を基本とする技術で道具を開発し、集合体としての文化を築き始めました。

鉱物から金属を抽出、加工する技術、土器の製造技術の他、山や小島と同調したり、地中に設置されるなどして自然の地形と判別のつかないピラミッド状の波動エネルギー調整装置を活用する技術を祭祀の形態として伝えたりしました。銅鏡は形態波動エネルギー調整装置としての役割を果たしていました。

またAHANP(アーンプ)体、HCIN(シン)体、EHTEL(エーテル)体、ASTLAL体、MENTAR(メンタル)体、COSAL(コーザル)体、KECI(ケーシー)体、CHOAD(コアード)体=いずれも魂を構成する8つの層=のエネルギーを宝石などを使って各人で調整する方法は装身具を着用する習慣として定着しました。

稲は地球生まれ地球育ちとして地球の植物では一番高い魂がスタディしている存在ですが、弥生文化として混血した地球人の間でも食用とされました。これらの情報は当時の弥生人達の生活様式に認められる著しい科学技術上のミスマッチを説明できます。その後この時代の弥生文化は消滅に至りました。

1万年前に南米北西部、現在のコロンビア、ベネズエラ、ペルー、ブラジルに移住したカシオペア座の人々は5000年前の原子核戦争後、地球人と結婚を含む交流をし、新しい文化が生まれ始めました。その際、115万年前の波動エネルギー調整装置が数多く残存し、50万年前に同様の文化が栄えた日本に大気圏内用UFOで九州中部の熊本県近辺に30万人移住しました。

さらに、その中の10万人が北海道へ移住しました。この人々によって築かれたのがこれまでの通常の地球史で言われている「弥生文化」であり、実際は第二次「弥生文化」というべきものです
(注5終わり)。


〜縄文文化・・・プレアデス文化の地球化〜

また、50万年前にはオリオン座から30万人の人々が西南アジア、現在のインド、パキスタンの地域に移住して来ました。当時その地域には30万人の地球人が生活しており、両者はお互いの存在を知りながらも交流はしませんでした。30万年前にオリオン座星人400万人、地球人300万人となった時、原子核戦争により両者とも絶滅しました。

西南アジアのイスラエル地域には41万年前におうし座のプレアデス星団の人達が移住してきました。その地域には40万人の地球人が生存していましたが両者の交流はありませんでした。この文化も30万年前の原子核戦争でプレアデス星団人300万人地球人400万人を最高時として壊滅しました。これらの第四期の人々は全てお互いの存在を知っていましたが交流することはありませんでした。この時、現在の日本地域に生き残ったプレアデス星団人と地球人10万人からやがて縄文文化(注6)が形成されていきます


(注6)<縄文文化>

縄文文化とはプレアデスの文化が地球化したものです。プレアデスの人々は30万年前の時点で独自の文化としては消滅しました。この時のプレアデスの生存者4万人が東北アジア、日本地域に移住し現地の原地球人10万人と融合し新たな文化を築きました。これが第一次縄文文化です。

その後今から28万年前、9万年前にもそれぞれ30万人、65万人のプレアデスからの移住がありましたが、この時には原地球人との交流は発生しませんでした。

1万年前の第二次八期の計画的な移住にとって築かれた9つの文化も5340年前にはやはり原子核戦争によって消滅しましたが、生き残った人々は地球人と結婚を含む完全交流をし新たな文化を築きました。そのうちイスラエルの近辺に住んでいたアトラス星以外のタイゲタ、ケラエノ、マイア、メローペ、アルシヨネのプレアデス系の星々の人々は大気圏内用UFOで日本の中部地方へ20万人が移住し、当時のその地の地球人と融合し新たな文化を築きました。これが第二次縄文文化です。3000年前には日本中に点在していました。現在、日本で次々に発掘されている縄文時代の遺跡もこの時のものです。調査・研究が進めばこの時代の日本に中近東の文化の形跡を確認することができます(注6おわり)。

弥生文化と縄文文化は同時期に存在しており、現代の歴史観とは異なります。また、他星人の文化の地球レベルでの移動の経緯から、地球の他地域にも縄文文化、弥生文化と同様な文化が発達しました。


【第二期〜第五期=28万年前・・・同時期に絶滅した3つの星座の文化】

〜カシオペア座、オリオン座、おうし座〜

28万年前、同時期に再び、カシオペア座、オリオン座、おうし座のプレアデス星団から移住者が送られてきました。

カシオペア座からは30万人が南米南部アルゼンチン付近に移住しました。当時そこには20万人の地球人が住んでいました。お互いの存在は知っていましたが、両者の交流は起きませんでした。10万年前、カシオペア座の人たちが300万人、地球人が200万人になった時原子核戦争により双方絶滅しました。

オリオン座からは40万人が北アフリカのリビア、エジプトのあたりに移住しました。当時それらの地域には15万人の地球人が住んでいましたが、お互いの存在は知りつつも両者は交流しませんでした。10万年前、オリオン座出身の人たちの人口が600万になり人、地球人の人口が130万人になった時に原子核戦争により双方絶滅しました。

プレアデス星団からは30万人が東北アジア、日本の飛騨高山地域に移住しました。当時そのあたりには15万人の地球人が住んでいました。お互いの存在は知りつつも両者間の交流はありませんでした。10万年前、プレアデス星団の人たちの人口が300万になり、地球人の人口が120万人になった時に原子核戦争により双方絶滅しました。

同時期に地球の地域で開始された3つの星座の文化は同時期に絶滅する結果を迎えましたが、その間、他星人と地球人間の交流も、他星人間の交流、地球人間の交流も全くありませんでした。


【第二次〜第六期=10万年前・・・・カシオペア座の人達の建造物】

〜カシオペア座=10万年前、プレアデス星団=9万年前〜

10万年前、カシオペア座から40万人の人達が都市ごと、北アフリカのエジプト地域にテレポーテーションしてきました。当時その地域には30万人の地球人が住んでおり、両者は完全に文化交流をしていました。ピラミッド(注7)はカシオペア座のエネルギー調整装置(増幅など)であり、現在地表上に残っているものの中ではクフ王のピラミッドのみがカシオペア座の人たちが建造したオリジナルのものです。9万1925年前に完成した、宇宙と調和の取れたフリーエネルギーを集め増幅する形態装置の1つです。


(注7)<ピラミッド>

ピラミッド(注7)はカシオペア座のエネルギー調整装置(増幅など)です。銀河系内の時空域に偏在するCAU(カウ)に流動性を発生させることによって、通常は非物質的次元の時空元だけで流通可能な形態波動エネルギーを物質次元の時空元でも交流することを可能にします。具体的にはその頂点(ピラミッドの頂点)を中心としたエリアの波動を調和することにより、高周波化しエントロピーを減少させます。宇宙からの情報の受発信を容易にし、心身の調和を回復させ食物を含む「物質」の宇宙との調和度を高めエントロピーの増加を遅らせることもします。その他、物質的時空域のテレポーテーションに際して、必要なKEGOT(ケゴット)波、CEGIN(セギン)波、GIMANEH(ギマネ) 波などの増幅装置としての「役割」も果たします。

クフ王のピラミッドだけがカシオペア座からテレポーテーションしたものであり、その周辺のピラミッドはそれを模倣し地球上で構築されたものです。建造時は(10→○)50兆乗、(n+p=回転していない陽子と中性子の数)10の50兆乗でしたが、1994年1月21日に時点では(10→○)10万乗、(n+p)10の10万乗まで増幅機能が落ちていました。1996年の再調整により現在では再び当時の機能の60%(10→○)10億乗を回復しています。

地球の地中にはかって都市のテレポーテーション用に使用されその後は地球の波動エネルギーの調整装置(増幅など)としての役割を果たし、現在は不調和な振動波になっている逆ピラミッドは約2万体存在します。また「山」として地表から見える形で現存している正ピラミッドは約1万体存在します。他の形状の波動エネルギーの調整装置も同様に現存しています。(注7終わり)

この文化はカシオペア出身の人達が400万人になり、地球人が230万人担った8万年前、原子核戦争で絶滅しました。

また9万年前、プレアデス星団より65万人の人々が北東アジアの日本の飛騨高山地域に移住しました。その当時そのあたりには20万人の地球人が住んでいましたが、文化交流はありませんでした。8万年前の同時期にプレアデスの人々が400万人、地球人が190万人になった時原子核戦争でこの文化も絶滅しました。


【第二次〜第七期=6万年前・・・原子核戦争で全ての文化が壊滅する】

〜琴座、オリオン座、獅子座、ケフェス座、大熊座〜
6万年前には琴座のベガ他オリオン座、獅子座、ケフェス座、大熊座の北斗七星の中の4つの星から各々地球の各地に移住してきました。どの星座からも200年をかけて400万人の人々が移住してきました。

琴座の人々は地球人200万人が住んでいた南米南部アルゼンチンに移住してきました。地球人との文化交流はありませんでした。オリオン座からは地球人200万人が住んでいた南アフリカの南アフリカ共和国に移住してきました。ここでも地球人との文化交流はありませんでした。

獅子座の人々は地球人300万人が住んでいたオーストラリアの中西部に移住してきました。地球人との文化交流はありませんでした。ケフェス座の人々は地球人300万人が住んでいた北米西部、カリフォルニアその他の地域に移住してきました。地球人との文化交流はありませんでした。

大熊座からは地球人300万人が住んでいたアフリカ中部から南部にかけて広域に移住が行われ、この時期最大の文化を築くに至りました。北斗七星の中の4つの星中心の北斗の文化とも言えます。両者は互いの存在を知っていましたが文化交流はありませんでした。

琴座の人々は地球での生活で宇宙船(UFO)は使用しませんでしたが、その他のオリオン座、獅子座、ケフェス座、大熊座出身の人々は大気圏内用の宇宙船(UFO)を使用していました。現代の地球の文化より700年から800年進んだ文化でした。

各他星人間の交流はありませんでしたが、2万年前にポジティブな方法論で宇宙の仕組みを理解する琴座、大熊座の人々と、ネガティブな方法論で宇宙の仕組みを理解するオリオン座、獅子座、ケフェス座の人々との間でグローバルな戦いが起き、結果的に原子核戦争で全ての文化は壊滅し、生存者は原始生活に戻らざるを得ませんでした。

この時、琴座の1000万人中生存者70万人、その地域の地球人2000万人中生存者200万人、オリオン座の1億2000万人中生存者200万人、その地域の地球人3000万人中生存者200万人、獅子座の3000万人中生存者200万人、その地域の地球人2000万人中生存者200万人、ケフェス座の1億3000万人中生存者100万人、その地域の地球人3000万人中生存者200万人、大熊座の4億2000万人中生存者200万人、その地域の地球人3000万人中生存者300万人、合計他星人770万人地球人1100万人が生き延びました。この時代の文化の足跡は、現在、各々の地域で地下3メートルから6メートルの深さの所に埋まっています。


【他星人移住最終回 第二次第八期=1万年前・・・世界各地に栄えた文化】

他星からの移住の最終回は1万年前、FIDA(フィーダ:惑星連合)での大規模な調整計画の下で行われました。8つの星座と一つの惑星から100年をかけ、各星1000万人ずつ、合計9000万人が地球の各地に移住しました。

具体的にはケフェス座から当時300万人の地球人が住んでいた東北アジア、現在のロシア地域に移住があり、小熊座からは300万人の地球人が住んでいた南米南部のアルゼンチンに、獅子座からは100万人の地球人が住んでいた中南アジアのインド地域に、大熊座からは100万人の地球人が住んでいた北アフリカのアルジェリア地域に、琴座のベガ星からは60万人の地球人が住んでいたヨーロッパ南西部のスペイン、ポルトガル、イタリア、南仏、ギリシャのあたりに移住がありました。カシオペア座からは50万人の地球人が在住していた南米北西部のコロンビア地域に、オリオン座からは300万人の地球人が在住していたアフリカ中部のスーダン地域に、プレアデス星団からは150万人の地球人が在住していたイスラエル、アラビア半島、リビア、エジプト、イラクなどの地域に、金星からは150万人の地球人が在住していた北欧のデンマーク地域や欧州中部に移住がありました。

移住した他星人たちが地球人達と交流することはありませんでした。5000年の間に9つの大文化を生み、人口は地球人8900万人を含めて地球全体で最大32億8600万人となりました。

一地域では地球史上最大の9億3000万人のアフリカ中部(現在のスーダン中心)に栄えたオリオン座星人の文化を始め、7億5000万人で南米の北西部(コロンビア中心)に栄えたカシオペア座星人の文化、また6億6000万人のイスラエルを中心にアラビア半島アフリカ北部に栄えたプレアデス星団人の文化、3億4000万人でアジア中南部(インド中心)に栄えた獅子座の文化、2億4000万人で南米南部(アルジェンチン中心)に栄えた小熊座の文化、1億4000万人で北欧(デンマーク中心)に栄えた金星人たちの文化があります。更に6000万人で東北アジア(ロシア中心)に栄えたケフェス座星人たちの文化、4300万人で北アフリカ(アルジェリア地域中心)に栄えた大熊座星人たちの文化、3400万人でヨーロッパ南西部(スペイン、ポルトガル、イタリア、南仏、ギリシャ地域中心)などで栄えた琴座星人たちの文化等があります。

これらの文化の足跡はそれぞれの地で全て土中の深さ4〜7メートル位のところに埋まっています。少なくとも現代の地球文化より平均400年以上は宇宙との調和がとれて進んでいたにもかかわらず、このようなグローバルな大文化が5000年前ほとんど30年くらいに間に壊滅してしまいました。原因はやはり原子核戦争でした。

<文化の絶滅と生存者達>
1万年前から最初の300年は平和でした・それ以降4700年はグローバルな交流を行っていましたが、こぜりあい程度の争いはありました。結果的にはポジティブ文化の小熊座、大熊座、琴座、カシオペア座、おうし座プレアデス星団、金星などとネガティブ文化のケフェス座、獅子座、オリオン座等との対立が激化し、グローバルな原子核戦争に発展しました。

地域別に生存者をみていきますと、東北アジアでケフェス座星人500万人、地球人200万人。南米南部で小熊座星人300万人、地球人100万人。中南アジアで獅子座星人400万人、地球人200万人。北アフリカで大熊座星人400万人、地球人60万人。ヨーロッパ南西部で琴座星人500万人、地球人40万人。南米北西部でカシオペア星人500万人、地球人60万人。アメリカ中部でオリオン座星人1000万人、地球人400万人。アラビア半島、アフリカ北部でプレアデス星団人1000万人、地球人40万人。北欧、中欧で金星人1000万人、地球人300万人という内訳でした。

1万年前に1540万人であった地球人は5000年前に8900万人となりましたが戦争の影響で1400万人まで減少しました。この時の生存者は他星人6500万人と地球人1400万人の合計7900万人でした。この人達が現代の私達の祖先であり、戦争以前は交流がなかった両者が新たに交流を開始し、今日56億人にまで増加したのです。

この第二次第八期の最終移住は他の移住と異なる大きな特徴がありました。それは移住してきた他星人達は全員がFIDA(惑星連合)の計画によって何らかの人工的な処置が施されているアンドロイド(ヒューマノイド)であったということです。

<現代地球人の原点>

それぞれの文化の壊滅後、今から5340年前以降、地球上の全ての地域の宇宙人と地球人はその地域で交流をし、結婚もし,まったく新しい文化を形成し始めました。その後宇宙からの移住はありませんので現代の地球人の原点は1万年前に移住した8つの星座の34種類の星の人々と唯一の太陽系惑星人である金星人の計35種類の宇宙人と各地域で生活していた地球人(地球で発生した魂と肉体)との混血人種であると言えます。


<日本人の原点>

この5000年の初期には実にダイナミックな移動が地球中で起こりました。おうし座のアトラス星以外のタイゲタ、ケラエノ、マイア等のプレアデス星団系の人達はイスラエル地域から大気圏内用の宇宙船(UFO)で20万人が日本の中部地方へ移住しました。また南米北部のコロンビア地域からやはり大気圏内用の宇宙船(UFO)で30万人のカシオペア座系の人々が日本の九州中部の熊本県近辺に移住し(注9)、その中からさらに10万人が北海道へ移住しました。

したがって「日本人の原点」は
@おうし座のアトラス星以外のプレアデス星団の人々と現在のイスラエル、ヨルダン、イラク、シリア、サウジアラビア、エジプト周辺の当時の地球人との混血人種
  と、
Aカシオペア座系の人々と現在の南米のコロンビア、ベネズエラ、ペルー、ブラジル近辺の当時の地球人達との混血人種
から構成されているということになります。


中近東、イスラエル地域に住んでいたプレアデス系の人々20万人が日本の中部地方に大気圏内用の宇宙船(UFO)で移住し、3000年前には400万人となり、南米のコロンビアから日本の九州に20万人、北海道に10万人移住し、3000年前にはそれぞれ300万人、200万人になっていたカシオペア座系の人々を原子核戦争が絶滅させました。

(注9);日本のいたる所にカシオペア系の波動エネルギー調整装置(増幅など)、ピラミッドは地中に存在しています。九州北東部にもアジア北東部の一大混合文化圏の痕跡が現在でも残っています。弥生文化、縄文文化は過去に何回も存在しました(注9終わり)。


【肌の色と出身星座の関係】

現在の地球人の肌の色がなぜ黄色、白色、黒色、褐色、赤色であるかの根拠を示します。純粋の地球生まれの人間はどの地域(大陸)の地球人も黄色です。カシオペア座の人達も84%は黄色の肌をしていますが、その他の色は地球の歴史に関係した出身の星座の星々の人間の肌の色です。

即ち、褐色はケフェウス座、琴座の一部、オリオン座の人々の肌の色であったり、赤色は小熊座、獅子座の人々、黒色は大熊座と琴座の一部、白色はプレアデス星団、金星の人々の肌の色です。


〜〜〜〜以上で 足立育郎著「真 地球の歴史」からの抜粋引用を終えます。〜〜〜〜

【ヤマちゃんおやじのつぶやき】

大西洋のことを英語ではAtlantic Oceanという。
ギリシャの哲人プラトンは、今の大西洋にアトランティス大陸があり、高度なアトランティス文明があった と明言している。

アトランティス大陸、アトランティス文明の話を知ったのは大学3年生の頃であり、その後色々な本を読んだがいまひとつ納得できなかった。何故今の大西洋をAtlantic Oceanと呼ぶのだろうか・・・・長い間の疑問であった。

しかし、足立育朗著「真 地球の歴史」を読んで、この長年の疑問は完全に氷解した。。。。

太古今の大西洋の北部は陸地であり、プレアデス星団のATLAHNTISU(アトランティス=地球語のアトラス星=)星人が大西洋の北部の陸地に移住してきて、ATLAHNTISU(アトランティス=地球語のアトラス星=)星人中心となって築いたのがアトランティスの文化であった。

現在の地球の歴史ではその存在を否定している ムー文化 も実際には実在した!!!


足立育朗氏は只者ではない!!!

足立育朗氏は、性能が大幅に劣化したカシオペア座のエネルギー調整装置(クフ王のピラミッド)を再調整して建造当時の60%まで性能復活させた作業を担当したほどの人であります。

この記事を転記するのに12時間余りを要した。目はショボショボし、活字もぼんやりしてきたので、虫眼鏡で拡大しながら転記した。。。。。


例えば、エントロピーの増大防止 などに関しては別途記載する予定です。

これもひとえに、“読者の皆様に素晴らしい足立育朗氏と彼の著書「真 地球の歴史」の存在を知っていただきたい”と言う一念に押されての所為である。。。。
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2013年04月11日

中国猛毒食品

< 近況 >

【静御前の墓】
4月7日(日)は低気圧による暴風警報が出されていたが、午後には晴れると言う天気予報に望みを託して山口市徳佐 十種ヶ峰に向かった。

登山口駐車場で車を降りた所 気温が真冬並みになり雪が降ってきたので様子を見ていたが結局天候の回復を待つことにして、車で周遊した。

先ず『静御前の墓』と言う案内板に従い国道191号線から脇道に入り2km程度進むと林の中に静御前の墓と、母の磯禅師の墓と静御前の息子の墓とる言われる3基の墓石があった。

源義経の妾であった静御前の墓は、山口市徳佐のほかに埼玉県久喜市、新潟県旧栃尾市、淡路島にも存在する。壇ノ浦の合戦で源氏に負け平清盛の妻二位の尼に抱かれて海中に入水されなくなられた幼い安徳天皇の墓所も全国各地にある。両者に共通する所は、いずれも非業の死を迎えられた尊き方をということか????

その後島根県津和野町へ入り太鼓谷神社に参拝して、津和野川沿いに白杭峠まで北上し引き返し、山口市徳佐に戻り久しぶりの願成就温泉に入った。


【願成就温泉】

島根県津和野町から県境の野坂トンネルを出て左折すると広い駐車場を持った道の駅願成就温泉がある。周囲を山で囲まれた田舎のど真ん中の温泉だ。以前登山の帰りに立ち寄ったことがあるが夕方で多数のお客でごった返していた印象しかない。

今回は天候回復待ちという時間つぶしのために10時ごろ願成就温泉を訪れたが、近くの家族連れ、大型トラックなど運転手など結構な賑わいであった。浴場は比較的すいており、浴槽からは山桜も見え久しぶりにゆっくり湯につかり体をすみずみまで洗った。

こころなしか空は若干明るくなったが、思い出したように雨が降っていた。11時30分頃温泉を出たところで腹が減ってきた。最近徳佐町にようやくできた2軒目のコンビニで弁当と週刊文春4月11日号を買った。この週刊誌を買った理由は、禁断のレポート『「中国猛毒食品」はこうして見破れ』を読むことだった。

濃厚に味付けされた弁当を食べた後、早速件の週刊誌を読み始めた。
予想はしていたが、空恐ろしい記事に接して日本の食について改めて考えさせられた。



【〜週刊文春4月11日号「中国猛毒食品」はこうして見破れ〜 に喝采】

ヤマちゃんおやじはかねてから、安さを売り物にする外食産業などでは安くて危険な「中国猛毒食品」が常用されているのではないか???・・・・という疑いを持っていたので、週刊文春4月11日号のこの特集に飛びついたのだった。

また、5,6年前のテレビだったと思うが、東大教授なる食品専門家らしき人物が“中国から輸入する野菜は絶対安全だ!!!”と太鼓判をおしていたシーンが強烈に残っていた。

“大体NHKを含めテレビに出演する大学教授・著名人は殆ど信じない方が良い”というのがヤマちゃんおやじのモットーだ。

“東大など有名大学教授ともなれば嘘をつくことがない”“ご説ごもっとも“・・・と一般視聴者が思い込んでいるので、反日マスコミが一般民衆洗脳の目的で有名大学教授を出演させるということがここ数年間の観察でわかってきた。

いくら東大教授であってもテレビに出演してぺらぺらご高説をたれる人物は、反日マスコミの仲間だ・・・・とみなしても大きな誤りは無いと思う。

上海ガニ養殖場で人糞尿を与えるシーンを目撃した日本の食糧輸入業者は上海ガニを見るのもいやになった・・・・という話もあった。

上海ガニを絶賛する日本の観光客を見て、上海ガニ養殖業者高笑いしているのでは・・・・・
物事の表面だけしか見えず裏が見えない(裏を見ようともしない)日本人は何というお馬鹿さんなのだろうか!!!!と・・・・・


【週刊文春4月11日号「中国猛毒食品」〜週刊文春4月11日号より抜粋〜】

週刊文春4月11日号「中国猛毒食品」に関わる見出しと内容の一部を挙げてみる(〜詳しくは現物を参照されたし〜)。

・スーパー、コンビニ、外食産業・・・タブーに挑む告発キャンペーン第3弾!

・冷凍食品、おそうざい、激安ファストフードは危険がいっぱい!
・「安全検査済み」を信じるな!中国人のインチキ検査の実態!!

・中国から日本に輸入される食糧は年間8000億円にものぼる。その多くは「安さ」を売りに、身近なスーパーやコンビニに陳列される。だがなかには汚染食品も相当数混入しているはず。どうすれば汚染食品を口に入れずに済むのだろうか?食品安全の達人たちに聞いた。

・プライベート(PB)商品は中国産が多い。


東北で輸入食品会社を経営する白川(仮名)氏は、約30年にわたり、中国産食品の輸入および製造開発に携わってきた。中国産食品を卸す先は、スーパー、コンビニ、外食産業である。

そんな白川氏が中国で目撃した食品製造現場の実態を明かす。

「数年前の夏、山東省の冷凍食品工場に行きました。そこでは日本の郊外型スーパーのプライベート(PB)商品として、冷凍の白身魚フライを作っています。しかし工場内では誰も作業をしておらず、となりの敷地のテントの中で作業服も着ていない中国人のおばちゃん達が、子供を背負いながらフライを作っていたのです。だれも帽子やマスクをしていませんでした」 <中略>

「田舎の工場で働く中国人はほとんど農民です。彼らは農作業の傍らフライを作っていた。よく見ると、畑の作物に素手で粉状の農薬をまいた後、テントに戻って手も洗わず、そのまま白身魚にパン粉をつけていたのです」

白川氏が手を洗うように注意すると、作業員の一人が「なぜ手を洗わなければいけないのだ!?」と怒って言い返したという。

「農村部の中国人には、手を洗う習慣などはほとんどないのです(白川氏)。

農薬まみれの不衛生な食品が日本の店頭に並んでいるのかと想像すると、寒気を覚えてしまう。白川氏によると、日本の大手スーパーや外食産業の監視の目をかいくぐって、粗悪な食品を作る中国の工場は今なお多いという。

そんな猛毒食品の輸入を防ぐのが、食品検疫検査だ。ところが、国が定める「モニタリング検査」「命令検査」「自主検査」の三つでは全輸入品の約10%でしか検査できておらず、残りの9割は検疫をスルーしているのが現状である。しかも検査自体を中国の検査機関に任せているケースも多い。 <中略>

白川氏は現地でも必ず自分で検査する。
中国の検査機関に任せて安心していると、検査結果を偽造することがある。製造から出荷まで徹底的に管理・監視しないと中国から安全な食品は輸入できない。<中略>


“プライベート(PB)商品は中国産が多い”
中国産商品を使用している商品のリストが2ページにわたりリストアップされているがここでは省略する。

リストを見ると、プライベート(PB)商品荷も中国産が多いことに気づく。なぜなのか。
「プライベート(PB)商品は安さが売りなので、原材料も製造法も安きに流れる傾向がある。またプライベート(PB)商品はメーカー名が表に出ないので、大手ではなく三番手、四番手のメーカーにお願いすることが多い。メーカー側もコストを安く抑えて生産しなくてはならないので、中国の工場を使う場合が多いのです(大手スーパー幹部)。

長く続いたデフレの影響もあり、最近はプライベート(PB)商品を強化するスーパー・コンビニが増えている。2013年2月期でプライベート(PB)商品の売上が数千億円を見込むほど市場は拡大している。


中国産食品を見破るポイントは、「産地表示の見方」だと話すのは、食品ジャーナリストの椎名玲氏。

まず産地表示の詳しい商品を選んでください。たとえばうどんの場合、『国産小麦100%使用』と商品の表面に明記してあるものがよい。

ずるい会社では、たとえ讃岐うどんと書いてあっても、国産の小麦粉を何%使っているかは明記しません。中国から小麦粉を輸入して国産と混ぜて日本で加工すると“讃岐うどん”になってしまうからです。同じことは中国からの輸入量が多い そば や 梅 にも言えます。<中略>


様様な具材が入っている加工食品にも注意が必要だ。食品をミックスさせたものに関しては、一種類の場合には表示義務がある。二種類以上となると重量が50%以上あるものに表示義務が生じる。例えば三種類以上の野菜を使った『ミックス野菜』などではどれも50%を超えなければ表示義務はありません(食品表示アドバイサーの垣田達哉氏)。

例えば肉団子の場合、原材料名が『鶏肉(国産)、たまねぎ、にんじん』と書かれている商品があります。一つの商品だけ国産をアピールして、他の具材は外国産の場合が多い。たとえ中国産の材料が入っていても、原産国名を具材ごとに明記してある商品を選ぶほうが安心です。

値段も一つの目安だ。国産のにんにくは一個約200円するが、中国産は三個で100円程度、安さに飛びつく前に、産地を確認することも大切だろう。

冷凍食品や野菜を買ってきて加えるだけで料理ができる「合わせ調味料」にも注意が必要だ。「合わせ調味料の中に入っている他の野菜には表示の義務は無く、安い中国産食品が入っている場合が多い。たけのこの土佐煮やきのこの炒め物など、お弁当の具がセットになっている冷凍食品も同じです。手間を省くお手軽商品の中には、中国産が潜んでいるので注意してください(同前)。<中略>

そして最も気をつけたいのが、野菜の水煮をはじめ、漬物など「中国の水」を多く使った商品だ。

中国の水質について、松井三郎京都大学名誉教授はこう語る。「中国では大きな河川の水質データは公表されていますが、農業用水のデータは公表されていません。工場排水が流れ込む農業用水の安全性には問題があります。

水質汚染の影響に敏感なのは野菜です。土壌汚染も時間が経てば経つほど蓄積されていく。そうすると地下水への影響も出てくる。中国で地下水の汚染レベルを調べようとしても『国家機密』ですといって地方の役人はデータを提供してくれない。おそらく調査すらしていなのでしょう」。


本誌(週間文春)が先週号で報じたように、日本向け野菜が大規模栽培されている山東省ノビニールハウス地帯では汚染された農業用水をそのまま使用している。うなぎの蒲焼や魚介類も汚染された海で漁獲された可能性が高いのでできれば避けたいところだ。

多くのスーパー・コンビニを調査した中で。最も中国産食品が少なかったのは高級スーパー。中国産が多い落花生や漬物、桃の缶詰、山菜やたけのこの水煮にいたるまで細かく産地表示され、ほとんど国産だった。


とはいえ、一般の消費者が高級スーパーへ通うのは経済的負担が大きい。たとえ中国産でも安い品物を選びたいと言う方のために野菜や魚介類の除毒方法を紹介しよう。

野菜や果物に関しては、流水でこすり洗いしてください。野菜用のスポンジを用意すると、表面の有害物質を落とすことができます。しいたけは流水でよく洗った後、水に10分ほどつけてください。ほうれん草や小松菜は数十秒間ゆでること。根菜類はゆでこぼししたほうが良いでしょう。沸騰したお湯に有害物質が溶け出すので、ゆでたお湯はすててください。

肉や魚は熱湯に入れ、表面に熱を通すこと。これで食材表面に付着した大腸菌を殺菌できます。貝類のあさりとハマグリは一晩塩水にしっかりつけてください(椎名氏)。


スーパーやコンビニの食材の中で、中国産かどうか判らないものがある。それは弁当や惣菜類だ。「弁当に使われる漬物や煮物などは中国産が多い。店内で弁当やお惣菜を作っている会社はほとんどなく、出来合いの商品が工場から運ばれてきます。加工品なので表示義務もない。でも惣菜の表に食品表示のシールを堂々と貼っていないものは避けましょう。
中国産に限らず食品添加物を多く使っている可能性があります(同前)」。

またプロでも判定しにくいのが外食産業だ。
「たとえば牛丼屋で肉が国産と書かれていても、たまねぎや紅生姜はわからない。何も書いてなかったら輸入物と考えたほうがいい。これらは輸入量からして中国産だと考えられる。加工した鶏肉の輸入量も多い。居酒屋では、生の焼き鳥でなければまず中国産です(前出・垣田氏)。

実際業務用スーパーへ行くと、肉・魚介類、野菜、漬物など、数多くの中国産製品が置かれていた。「激安のファストフードや社員食堂でも中国産食材を沢山使っています。安い社員食堂で原産地を気にする人は少ないからです。外食産業も表示義務がないので、直接聞かないとわからない(前出・椎名氏)」。

今回本誌(週間文春)は主な大手スーパー・コンビニ、外食産業二十社以上に対して、使用している中国産食品と安全管理について質問した。だが具体的な商品・食材名を回答した企業は数社のみ。安全管理については、多くの企業が「輸入の際は自社で検査を行い、現地で残留農薬などの検査をやっている」と言う回答であった。

中には高額な検査機械を使って、自社で残留農薬検査や動物の抗生物質、放射能検査まで行っている企業もあった。だがそのような例はごくわずか。

前出の松井教授は、中国での検査についてこう語る。
「日本でさえ、きちんとした分析検査技術を持っている公的な機関は各都道府県にひとつしかない。こうした分析には一台三千万円から五千万円する分析器が必要です。民間の検査機関でも、そんな機器を備えているところは限られている。日本でここまでの検査ができないのに、中国でできるわけがありません」。

本誌は引き続き、大新聞やテレビが決して触れない中国産食品の最大のタブーを報じていく(以下次号)。
〜週刊文春4月11日号より抜粋終わり〜

この記事を見て、もうコンビニで弁当などの食料品を買うことをやめる決心をした。
外食も敬遠した方がよい。
山歩きの弁当は自分で作る。ノンアルコールビールはコンビニで買って良いだろう。


【何故日本は危険な中国産食品を輸入禁止できないのか?】

支邦(中華人民共和国=中国)から飛来する汚染物質PM2.5の環境濃度は基準値をオーバーしても、政府もマスコミも文化人と称される有名人も誰一人汚染物質PM2.5を撒き散らす支邦(中華人民共和国)を批判しないし、抗議もしない。

日本人の健康が支邦(中華人民共和国=中国)から飛来する汚染物質PM2.5によって悪影響を受けることが明白になっているにもかかわらず、支邦に言うべき事を言わないのは・・・日本と言う国は一体どうなっているのだ????

毒入りギョーザが日本に輸入されその原因は中国側にあったにもかかわらず、日本政府は支邦からのギョーザ輸入を禁止しなかった。

米国は国民の健康を守るために中国からの玩具輸入を禁止し、韓国から魚介類・海産品の輸入を禁止した。

いささか旧聞に属するが、米国のブッシュ大統領が来日した際、日本の国を守って亡くなった英霊が眠る靖国神社に参拝し敬意を表したいという意向を示した。各国元首が他国を訪問する際真っ先に祖国を守った英霊が眠る霊廟に参り敬意を示すのが礼儀として通例となっているからだった。

しかしブッシュ大統領の靖国参拝の希望を聞きつけた当時の日本外務省は、“ブッシュ大統領が靖国神社に参拝すれば支邦(中華人民共和国=中国)のご機嫌を損ねることになる”といって強硬に反対してブッシュ大統領の靖国参拝を阻止した  ことがあった。外務省は何が何でも“支邦(中華人民共和国=中国)のご機嫌を損ねない”ことしか念頭になかったのだ。

これがわが国の外交を司る外務省の実態だ・・・・少なくとも、独立した主権国家の政府が取るべき態度ではなく、日本の外務省は支邦外交部の出先機関にすぎない事がここでも判明した。当然この事実は反日マスコミによって報道されることはなかった。

反日マスコミどころか、第3次中曽根内閣で内閣官房長官を務めた後藤田正治は戦前内務省で高等官を勤めた人物であったが、歴代首相と内閣官房長官の靖国神社参拝に反対したほど、保守党の自民党でもひどい状態であった。後藤田正治は日中友好協会会長も勤めたほどだった。。。。

後藤田正治はA級戦犯が靖国神社に祭られているのを問題視したが、これは中国(支邦)の日本への内政干渉をそのまま繰り返したものであり保守政治家の言としては論外であった。A級戦犯は戦勝国が国際法に違反して開いた東京裁判で決定されたものであり、昭和28年の国会において戦犯の名誉回復が全会一致で決議された事実からすれば、A級戦犯の靖国神社合祀は全く問題はない。

どうも最近の日本には(厳密にいえば田中角栄内閣発足時以降)、日本国民の幸せよりも支邦(中華人民共和国=中国)のご機嫌を損ねない方が優先される風潮が強い。

現在の支邦という国は、日本にとって戦略的互恵関係とはほど遠い“どうしようもなく野蛮で倫理観ゼロの国である”という認識を持つ必要がある。

日中友好という不毛の合言葉は、田中角栄氏が政敵を破る目的で採用した日中国交回復に原点がある。

首相の座に着くという夢を一時捨てていた田中角栄氏に日中友好、日中国交回復の策を授け自民党総裁選に打って出させた黒幕は当時の支邦首相周恩来と朝日新聞社長広岡知男と支邦共産党のスパイだった王泰平であり、北京への密使をつとめたのは周恩来と親しい池田大作(創価学会名誉会長)と竹入勝彦公明党委員長であった。

国民よりも支邦のご機嫌伺いの方を最優先する現在のおかしな姿日本の原点は、田中角栄内閣発足だと、ヤマちゃんおやじは最近思うようになった。

極言すれば、日本は当時の支邦首相周恩来の仕掛けた罠にまんまと嵌ったままで今日に至っているのだ。

公明党の山口委員長は昨日、憲法改正は与党合意の範囲外だとして、憲法改正への反対姿勢を明らかにした。日本が現憲法を改正して真っ先に困るのは支邦・韓国・北朝鮮、日本の反日勢力であるのは明らかである。ようやく公明党の本性〜親支邦・反日政党〜を現したということか。


“安ければ安いほど良い”という思い〜信仰〜が一般国民にある限り、悪品質な中国産品が輸入され続けるであろう。

流通とか商社は安さを売りにして外国製品を輸入することで、国内産業を衰退に追い込んできた。本来生産者が消費者に直接製品やサービスを提供すれば、流通とか商社は社会が必要としない存在でしかない。

例えば漁船の燃料費が高騰しても、流通業者は魚の価格を上げないので漁業者は赤字経営となり最悪の場合廃業に追い込まれる。流通業者がいなくなれば、燃料費高騰はお客へ一部負担をお願いすることも可能になる。

言い方を変えれば、商社や流通業者は自らの利益のためだけに営業しているのであり、本音では生産者や消費者の利益などはどうでも良いのだ。

何故国民にとって危険な中国産食品がかくも盛大に日本に輸入されるのか????
政府は危険な中国産食品を何故輸入禁止しないのか???


その理由の一つ目は、“支邦(中華人民共和国=中国)のご機嫌を損ねない”という日中友好信仰だ。日中友好を旗印に掲げる政治勢力の存在だ。これは周恩来の仕掛けた罠である。

その理由の二つ目は、国民のひたすら求める安さ信仰だ。安いものにはリスクがあることを知らねばならない。

その理由の三つ目は、国民のひたすら求める安さ信仰につけ込んで自らの利益を増やすだけの商社、流通業者のエゴだ。

その理由の四つ目は、規制緩和のせいだ。規制緩和以前の日本では輸入品の防疫検査は入念に行われていた。20数年前までは、例えば船から荷揚げされたコンテナは全数開かれ検査された。かりに危険なものが混在していれば直ちに摘発されたものだ。しかし米国から強制された規制緩和という美名の下で輸入品の防疫検査などは年々縮小・廃止されてきた。規制緩和は国民の安全を著しく軽視するものだ。規制緩和で長距離バス事故が急増した例もある。

その理由の五つ目は、現在の大部分の政治家や政府役人は国民のことよりも先ず自分達の保身を第一に考えるようになった。


米国の主導するTPPを受け入れれば、危険な遺伝子組替食品含有を表示すること自体が関税障壁として禁止されることになる。TPPを受け入れれば、国民の生命と財産を守るという国家としての最小限度の主権も発揮できないことになる。

換言すれば、TPPの隠された本質とは国家主権の放棄であり、関税撤廃の例外の有無などではない!!!

おそらく安倍首相はTPPの隠された本質を知っているかもしれないが、訪米・日米首脳会談実施の絶対的条件としてオバマ大統領がTPP参加を安倍首相に強要したものではないかと推定している。安倍首相の訪米スケジュールがなかなか決まらなかったのは、安倍首相が当初TPP参加に反対していたため米国が嫌がらせをしていたからだと思う。

反日メディアNHKは、安倍首相がオバマ大統領に世界的に著名ななゴルフパターをお土産に贈った ともったいぶって報道したが実際に安倍首相が持参したオバマ大統領へのプレゼントはTPP参加だったのだが・・・

日本の歴代首相には就任にあたり、米国から踏み絵の儀式が執り行われる。この踏み絵を踏まないと米国での信任は得られないのだ。

何故日本は米国の言うがままなのか????
やはり安全保障という一国の根源的機能を米国に全面的に依存させられているからだ。

現日本憲法9条では日本は戦力を持ってはいけないことになっている。その代わりに米国が日本を守ってやるということなっている。しかし軍事行動として米国が日本を防衛するには米国議会の承認が必要となる。
国民の大半が自ら国を守る覚悟がない平和ボケ国家の防衛のために、米国人の貴重な生命を米国は投げ出すであろうか???自問自答すれば答えはおのずと判ることである。歴史上 条約なんぞあって無きが如し である。


かっての米国と異なり現在の米国は世界の警察の役割を果たす国力を失ってきたので、今や日本の安全保障は日本が中心となってやらねばならなくなってきた。そのためには、日本の戦力保持を否定した現憲法の改正か現憲法の廃棄がぜひとも必要になる。

何党であれ、現日本憲法改正に反対する政党・勢力・個人は、外国勢力による日本支配を望む連中である事は明らかである!!!!


来る参議院選挙では、いくら反日マスコミや有名人達が叫ぼうとも、憲法改正反対を唱える政党に投票するのは究極の自殺行為となろう。。。。
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2013年04月06日

山道で聞いたチェロ生演奏 & 山菜採りpartU


【山道で聞いたチェロ生演奏】

3月中旬以降山菜採りが始まり山登りは休店状態だ。

今年はワラビの芽吹きが遅れている。
タラの芽は例年よりやや早い感じがする。

3月30日(土)午前中には山菜を求めて山口市まで足を伸ばしたが収穫はゼロ。

山道を通っての帰り道、突然チェロの音色が聞こえてきた。この道は過去数十回通っているが人に出会ったのが5,6回であり、当然のことながらチェロの音を聞いたのは初めてであった。曲はスコットランド民謡アニーローリーだった。

延命の滝という滝場があり多数の石仏が祀られている庵(小型の寺)の前の道でいすに座り演奏に夢中になっていた初老の男は、当方が通りかかったので驚いて演奏を止め何故演奏しているのか説明し始めた。

この庵の持ち主であった知人が最近亡くなったので、その威徳をしのんでチェロを演奏していたのであり決してチェロの練習をしていたのではない・・・とのことだった。

世の中何が起こるか全く予想できない!!!



【山菜採りpartU】

3月31日(日)には終日 遠隔地(2箇所)のタラの芽の下見に出かけたが、いずれも時期尚早であり一週間後が取れ頃だということがわかった。

4月1日(月)午前中はかみさんの実家にある家庭菜園で雑草退治した。心配していたジャガイモは殆どが芽を出したのを見てひと安心!!!

4月4日(木)には近郊の山菜採りに出かけた。タラの芽は多少採れたがワラビの芽吹きは依然少ないものの、例年採れる場所でようやく10本程度のワラビがとれた。

例年タラの芽が採れる場所に行くと、何と“タラの芽採りかね?”と言う声が聞こえてきた。

今迄タラの芽採りで他人に出会ったことはないので一瞬びっくりしたが、その声の主には見覚えがあった。タラの芽が付いた枝ごとまとめてごっそり切り取る爺さんであった。

かなり沢山のタラの芽が入ったビニール袋を持った爺さんは、“この場所ではまだタラの芽は小さいので採らないほうが良い”と牽制してきた。

採るなと言われれば採るわけにも行かず、“タラの芽が付いた枝ごとまとめて切り取ってどうするのか?”と当方が聞いた。

“水気のある田んぼに植えて置くとタラの芽が成長し食べ頃になるので、料理屋が採りにくる。”との返事があった。やはり彼はプロのタラの芽採りだと思った。

また、“都会からタラの芽を取りに来た人達はタラの芽を全部採るのでタラの芽の木が枯れてしまう、木に一つしかない芽をとると木が枯れてしまうので、それは採ってはならない。枝に2つ以上の芽がある場合は採っても木は枯れない・・・困ったことだ!!!”とのたまった・・・・この爺さんはやはりプロだった。

当方もタラの木の全滅を防ぐために昨年あたりからタラの芽を全部採らないで、1/3~1/4は残すようにしていたので、彼の意見に同感し、賛意を示した。

当方がタラの芽を取らないのを確認したこの爺さんは自分が沢山持っているので悪いと思ったのか、自ら急斜面を登り成長したタラの芽を5,6個探し摘み取り当方にくれた。

爺さんは、“明日家内が東京に住む娘のところに行くので、田舎の土産にタラの芽を採った。通常は夫婦二人でタラの芽を味噌汁に入れて食べるていどなので多く食べられるものではない”という。

確かに夫婦二人の食べるタラの芽は少ないかもしれないが、昨年この爺さんがごっそり枝ごと切り取った場所ではタラの芽の木は立ち枯れ絶滅したのは自分の目で確認している。恐らくこのタラの芽の大部分はは料理屋に渡ったのは間違いない。

この爺さんの所にタラの芽を料理屋が買いにくるとなると、一種の商売である。この場所のほかにもタラの芽が採れる場所は20箇所程度知っているが、殆どの場所は他人も知っているので競争になる。採取のタイミングが1,2日遅れるとその場所では殆ど採れない。タラの芽の人気が高いので、競争が激しいのであろう。。。。

幸いと言うか、ヤマちゃんおやじだけが知っている採取場所が今のところ2,3箇所あるので一応安心ではある。しかし団塊の世代がいっせいに退職し暇をもてあます爺さん予備軍達が、タラの芽探しに熱を上げる可能性もあり安心できない。

一昨年1箇所、昨年は2箇所、今年も1箇所の新しい採取場所を発見した。やはり絶えず新しい場所を探す努力と、タラの芽の全滅を防ぐために全数採取せず2〜3割は残すことが必要だと思う。


4月5日(金)の午前中は公園ボランティア活動をした。ちょうど公園の桜が満開で花びらが風に吹かれて空に舞う中で、密生した雑木を伐採し、焼肉の匂いが流れてくる中で繁殖した竹を皆伐した。

作業を終えて帰る時には、家族連れで焼肉で花見をする風景に出会った。やはり焼肉の匂いは本物だったのだ!!!

公園ボランティア活動を終えると直ちに、車で1時間半かかる遠隔地のタラの芽採りに向かった。昨年新たに発見した場所で先週の下見で丁度採り頃だと判断したからだ。

13時45分頃駐車場着、帰宅時間が遅くなりそうなのでコンビニで買ったムスビを食べながら林道を1時間くらい歩き標高550m位の所から採り頃のタラの芽が見えてきた。

他人が先に採取し何も無いことも危惧していたが、幸いにも誰かに先取りされた形跡はなく結構採れた。最高鞍部を通過して林道を下り17時30分頃駐車場に着いた。

約12000歩も歩いた林道の標高差は480m、山菜採りのために上下した急斜面の累計標高差は少なくとも100m程度はあったであろう。合計標高差は600m近くあり一寸した中低山登りと同等であった。

19時ごろ帰宅し風呂に入り、タラの芽の天婦羅で2本平らげた缶ビールはしっかり汗をかいた体に心地よく吸い込まれた。

山の幸、もろもろに感謝、感謝、感謝。。。

なお 〜他星人による地球への移住、第二次第一期〜第八期〜は近いうちに掲載予定です
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2013年04月04日

古希 & 地球では過去数百回の核戦争があった〜その一〜

【古希】

先月29日に古希を迎えた。3人の子供達から予想もしなかった金一封を頂き驚きかつ感激した。近所に住む長女からは特大イチゴ入りのイチゴ大福を貰った。早速電話をして礼を述べた。

3人の子供達の育児はかみさんまかせっきりだったので、かみさんにお礼を言った。

どうにか大過なく古希を迎えることができたのは、ひとえに親兄弟、家族、親戚、地域社会、恩師、友人、諸先輩・同僚・部下などなど関係を戴いた皆様方のお陰である。改めて皆様方に感謝したい。

古希(70歳)の次は喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)等がある。

果たして何時まで生きるであろうか????

延命治療までして見掛けの寿命を延ばしたいとは思わない。年をとれば体が弱り最後は食欲が無くなり死に至るのが自然である。

癌も老化現象でありこれを無理して治す必要は無いと思っている。年寄りが高価ながん治療を受け多少の延命を得たところでいずれにしても死ぬのである。現役世代が支える医療保険原資をいずれ近い間に死ぬのが確実な老人が延命医療に使うのは無駄と思う。

年寄りが病気で死ぬのは自然の成り行きであり、これを医療行為で一時的にせよ延命させるのは社会悪だとも感じる。老人に対する医療は、痛みを緩和する緩和ケアで十分である。

しかし世間では“国民の2人に一人は癌で死ぬので癌を早期に発見しがん治療を行いましょう”と宣伝して、老人のがん治療を推奨しているのは、癌という自然の老化現象を公金をかけて逆行させるものであり、年間35兆円もの膨大な医療福祉費が国家財政を困窮させているという意味では反社会的行為だと思う。

できる限り加齢によるボケなどで家族に迷惑をかけたくない。

10年前からほぼ週一回山歩きをしている理由の一つは、“ボケをできる限り回避したい”からである。

当方の親父は定年退職後五反ばかりの田んぼを耕し農業をしていたが、耕運機の操作を誤り転落して足の骨を骨折した。子供達が相談して父に農業を辞めるように進言した。

その進言を受けて父は農作業をしなくなったが、ボケが急速に進行した。健脚だった父は勝手に出歩き隣村の人家に上がりこみパトカーで家まで送り返されたこともあった。

心臓が弱くなった年老いた母は、勝手に出歩く父をタクシーに乗って追いつき連れて帰る日々を繰り返したとのこと。

ある日当方と父が長話をした後、父から“ところであなたはどなたでございかしたか?”と聞かれ唖然とした記憶がある。

母は認知症になった父の徘徊・外出への対応には相当苦労したが、父は死ぬ直前まで自分で食事も用便もできたので、その点では母に迷惑を掛けなかった。

ヤマちゃんおやじは、父の認知症の実態をよく知っていたのでかみさんには認知症・病気などで出来る限り迷惑を掛けたくない気持ちが少なからずある。

ヤマちゃんおやじが死ぬ時期はわからないが、できれば死ぬ直前まで自分の身の回りのことは自分でできる状態でいたい。

あと何年山歩きができるか判らない。山歩きができなければ散歩でも良い。散歩ができなくなれば、家の中で頭と体を動かしボケの進行をできるだけ抑えるのが、余生の第一の目標だと痛感する。



【地球では過去数百回の核戦争があった〜その一〜】

通説では、地球上で最初に原爆を落とされたのは広島と長崎だと言われている。

これを疑う人は、三流の情報/知性しか持ち合わせていない日本のマスメディアからは“とんでもない大嘘つき”と呼ばれるかもしれない。

古代ヒンズーの叙事詩マハバータラ等には、核爆弾、エネルギー補給を必要とせず数千キロも飛翔できる空挺、レーザ光線武器、中性子爆弾を想起させる具体的描写が満ち溢れている。

第2次世界大戦末期 原爆開発の事実上の責任者であった米国物理学者オッペンハイマー博士は、人類史上初の原爆完成といった記者連に対し、「(遠い過去には存在したが)ただし現在においては最初の原爆だ」・・・ と答えた。

オッペンハイマー博士は、古代インド言語であったサンスクリット(梵語)にも造詣が深く、上記発言は恐らく古代ヒンズーの叙事詩マハバータラ等の内容を知っていた上でのものと思われる。


【古代大陸、古代大陸文明】

ヤマちゃんおやじは20歳ごろからアトランティス大陸、ムー大陸、レムリア大陸という古代大陸・古代大陸文明に大きな関心があった。

なぜならそれらの古代大陸では、空飛ぶ円盤(UFO)が日常的に利用されており、エネルギーも地球のような化石燃料ではなく無尽蔵な宇宙エネルギーを利用しており現在の地球文明よりも遥かに進んだ文明をもっていたといわれていたからだった。

大学生となって物理学を専門課程で3年間学んだが重力の発生原因や重力制御・克服に関しては何ら回答を得られなかった。反面古代インドでは、重力の発生原因を“冷たい磁気”と明言しておりこの分野でも現在地球文明の無力さを実感させられた。

以降 アトランティス大陸、ムー大陸、古代大陸に関する書籍(殆どが1000円前後の単行本)は目に付く限り購入して読み漁った。



足立育朗著『真 地球の歴史』は 著者が惑星連合(FIDA)や銀河連合(FILF)の担当者から得たメッセージだけに基づいて記載されているもので、地球の歴史に関しては現在入手し得る断トツの情報源だと感じている。

『真 地球の歴史』からいくつかを引用する。

現在流布されている通説を大まかに言えば、“ホモサピエンスの起源は今から400万年前頃(諸説あり)アフリカ北東部に発しアラビア半島を経て順次世界各地に分散・移住し各国民族へ発展していった”と言うものである。白人の皮膚は白く、黒人の皮膚は黒いなど皮膚の色などの人種の身体的特徴はそれぞれの地域での環境へ適応する過程で生じたものとされています。

素人目からすれば、白人と黒人のルーツが同一とはとても思われませんが・・・・



『真 地球の歴史』では、“現地球人の先祖の八割は他星生まれ”となっています。

〜〜〜〜〜引用開始〜〜〜〜〜
地球で生を営んできた人の魂および肉体のルーツは必ずしも全てが地球に起源するものばかりではありません。むしろ他星から移住してきた人が多くの比率を占めています。

現在地球に住んでいる方の中で地球に生まれ、地球育ちの魂と肉体をおもちの方は全体の約20%です。約80%は他星生まれということです。

他星からの大規模な移住の歴史は大きく第一次と第二次に分けられます。


【第一次第一期=約40億年前:地球を最初に訪問した他星人】

地球を訪問した最初の人達はケフェウス座のクモス星の人々でした。
クモス星は約150億年前に誕生した、現在の地球より100万年位宇宙の仕組みを理解している進んだ、調和のとれた文化をもった星です。

約40億年前の当時は現在の地球より500年位進んだ文化を持っていました。現在の地球から約3万5500光年離れた銀河の重心近くに存在しています。

約40億年前は地球が今の場所にテレポーテーションする前で銀河の重心近くにありましたので470光年位の距離しか離れていませんでした。

1100年にわたり、延べ800万人のクモス星の人々が宇宙船(UFO)で訪問し、地球を視察し調査しました。この時は移住はせず、調査の段階にとどまりました。

そのころの地球の状態は生命体としては原始生物のみが存在していました。海はありましたが空気は現在の地球の約2%で、95%は二酸化炭素でその他は約数%でした。地球の地表面の平均温度は摂氏6度位でした。


【第一次第二期=約37億年前:地球を二番目に訪問した他星人】

地球を訪問した二番目の人達は小熊座(251億年前誕生)の北極星の人々でした。約37億年前のことです。北極星は約188億年前に生まれ現在の地球よりも5300万年以上進んだ文化を持った星です。当時は今の地球より約5万年以上進んだ文化を持っていました。現在は地球から5万光年位の距離に位置し、当時は約50万光年の所に位置していました。

北極星の人達も宇宙船(UFO)で訪れ約400年にわたり、延べ200万人が調査に訪れしました。地球はまだ人が住める状態ではなく、植物の原始生物が生存しているのみでした。当時の地球の地表面の平均温度は摂氏17度位でした。

その後約10億年の間、地球を訪れた他星人は一人もいませんでした。


【第一次第三期=約26億4000万年前:宇宙船で地球に移住した人達】

約26億4000万年前獅子座のレグルス星の人達が宇宙船(UFO)で地球に着陸しました。レグルス星は約100億年前に誕生し、現在は今の地球より500万年位進んだ文化を持っています。その当時は地球の今の文化より500年位進んだ文化でした。

この時期に地球は草木、花類も茂り、動物も哺乳類、魚類、昆虫類なども存在し、地表面の平均温度も現在と同じ摂氏21度位でした。

空気は現在とほとんど同率に存在していました。レグルス星の人々は約130年間調査をした上で移住を開始しました。50万人位の人々が約50年かけ8000人乗りの船(宇宙船)で延べ60艇を使って毎年移り住みました。

移住してきた人達はレグルス星がテレポーテーションするに当たり、準備の整っていなかった人達でした。宇宙との調和度がまだ○一回の状態になっていない人達で本人たちの了解の上で移住してきました。
そして現在のアジア大陸のモンゴル共和国の辺り、80ヶ所に分散して生活を始めました。当時そこには森、林、湖が存在していました。

またその頃地球のこの地域には約26億年前に発生した地球生まれで地球育ちの人々が10万人位存在していました。いわゆる原始生活であり、火を利用する段階に至っていませんでした。地球上全体の原地球人は150万人位でしたがレグルス星人との文化の差が大きかったために交流はありませんでした。

モンゴル地域の原地球人は約70万年後に500万人位の人口になり、その文化は現在の地球の文化より遥かに進んだ状態となり、”宇宙の全ての現象が波動である”ことを理解していました。乗り物も重力をコントロールする方法で移動するものが開発されていました。

地球全体で最終的に原地球人は約3億人まで増加し、6000ヶ所位の地域に広がった文化となり各々独自に発展していました。しかし宇宙の法則をネガティブな方法論で理解して調和度が上がっていく魂(勢力)とポジティブな方法論で理解して調和度が上がっていく魂(勢力)の衝突による原子核戦争で絶滅しました。

一方、レグルス星人達も移住時の50万人の人口が約11万5000年後に250万人位になり、やはりネガティブとポジティブの激突により、原子核戦争で絶滅しました。

この期間を通じ原地球人と、レグルス星人はお互いの存在を知っていましたが、一切交流せずに終わりました。これが地球に存在した最初の文明と呼べるものです。

約48億5300万年の地球の歴史の中では地表面平均温度や空気量の状態により何度か長期間人間が棲息できない時期がありました。

このような環境的理由により、その後約8億数千万年の無人状態が続きました。地球上の陸地には植物として草木が存在しましたが花はありませんでした。また、動物は両生類のみで海にはわずかな魚類が存在していました。空気の量は現在の約7分の1に減少し地表面平均温度は19度位でした。つまり、生態系としては約26億4千万年前より人類が住みにくい状態になりました。


【第一次第四期=約17億3474万年前:大熊座の北斗七星その他の星より移住】

空気が現在とほぼ同じ状態になり平均温度が21度に戻った17億3474万年位前には、大熊座の北斗七星その他の星から計3種類の異星人が移住してきました。

移住してきたのはやはり、まだ宇宙との調和度が○一回の状態になっていない人達で了承の上でそれらの星々から移ってきました。

約400年間に90万人位が移住し、オーストラリアの北部に定住。約90万年の間に人口は580万人位となり、すばらしい文化を築きました。しかし約120万年後に原子核戦争により絶滅しました。

移住者が地球にやってきた頃、オーストラリアの北部には地球生まれの原地球人が約10万人住んでおり、地球全体では300万人位生存していました。約90万年の間に人口は最大8000万人位まで増え現在の地球の文化より約50年進んだ状態になりました。これらの地球生まれ地球育ちの人達も約120万年後にやはり原子核戦争で絶滅しました。


【第一次第五期=約13億4378万年前:琴座のベガ星その他の星より移住】

空気量現代比1対1、地表面平均温度摂氏21度位であった約13億4378万年前に琴座のベガ星その他の2種類の星から約10万人が160年位かけて現在の北ヨーロッパ地域(スカンジナビアのあたり)に移住してきました。500人乗りの宇宙船(UFO)で延べ200艇に乗ってやってきました。

移住してきたのはやはり、まだ宇宙との調和度が○一回の状態になっていない人達で了承の上で移住してきました。

約90万年の間に400万〜500万人位の人口となり、素晴らしい文化を築きましたが、方法論の違いから原子核戦争になり絶滅するに至りました。

移住者がやってきた頃、北ヨーロッパのその地域には約20万人の原地球人が存在していました。地球上全体では約90万人が8ヶ所に点在して独自の文化を築いていましたが、400万人の人口に増加した頃、ベガ星人達の原子核戦争の影響で同時期に絶滅しました。この頃の文化は現代文化より60年位進んだ文化でした。


【第一次第六期=約7億4635万年前:カシオペア座の3種の星より移住】

現在の北アフリカの東西にわたる広範な領域に約80万人(9万人単位で9箇所に分散)が90年位かけて移住してきた。

移住してきたのはやはり、まだ宇宙との調和度が○一回の状態になっていない人達でした。その後約70万年の間に人口は1800万人位まで増加し、現代地球文化と同じ位まで発展しましたが原子核戦争により絶滅しました。

当時原地球人は同地域に約60万人点在しており、70万年位後には約500万人となりましたがカシオペア座星人達の原子核戦争に巻き込まれて絶滅しました。


【第一次第七期=約6億3134万年前:オリオン座ペテルギウス星その他星より移住】

カシオペア座文化の絶滅より約1億1000万年後の6億3134万年前にオリオン座の4種類の星から約210年かけて60万人位が現在の北アフリカの地域に移住してきました。当時の平均気温は21度位、空気の量はほぼ現在と同じでした。

移住してきたのはやはり、まだ宇宙との調和度が○一回の状態になっていない人達でした。これらの人々は茶褐色の肌をしており、一方当時この地域に存在していた約30万人の原地球人は黄色の肌をしていました。

この時初めて地球人と他星人の交流が始まり、オリオン座星人から文化的な影響を受けるようになりましたが、結婚などはありませんでした。オリオン座星人約1300万人、地球人約400万人のなった130万年位後、この時もポジティブな方法論をとっている魂(勢力)とネガティブな方法論をとっている魂(勢力)の激突で原子核戦争後絶滅しました。


【第一次第八期=約6億2746万年前:おうし座プレアデス星団の6つの星より移住】

オリオン座文化の絶滅より258万年位後の6億2746万年前におうし座のプレアデス星団の6つの星から約90年かけて56万人位が現在の中部ヨーロッパ近辺に移住してきました。

内訳はアトラス星人11万人、アルシヨネ星人9万人、メローぺ星人9万人、マイア星人9万人、タイゲタ星人9万人、ゲラエノ星人9万人。移住者達の宇宙との調和度はやはり○一回に至らない人達でした。

プレアデス星団の人達が移住してきた当時、地球人も新たに発生しており、この中部ヨーロッパ地域にのみ約50万人が生存していました。その他の地域は気候的に生存不能な状態で人間が生活できる状態ではなかったため一人も存在していませんでした。

約90万年後地球人は500万人位に増加していましたが文化のレベルは現在より約400年遅れた状態で、お互いの存在に気づいてはいましたが、プレアデス星団人とは全く交流しませんでした。

移住後90万年でプレアデス星団人達の文化は現代の地球文化より60年進んだ状態になりましたが、やはり核戦争を起こし絶滅するに至りました。当時の人口は1150万人以上だったようです。この時原地球人も核戦争に巻き込まれ絶滅しました。


【ホモサピエンスの起源】

その後地球では、6億1480万年前、南米のペルー近辺に新しく地球人が発生しました。現代文化レベルをもった地球上の最初の人間ホモサピエンスの魂と肉体の起源です。

80万年の間に50万人が30ヶ所に点在しました。その後、1000年の間に急速に文化も進み、現代地球文化より60年進んだ状態になり人口も800万人に増えましたが、これも原子核戦争で絶滅しました。


【1億2658万年前の地球のこと】

1億2658万年前は地球がFIDA(惑星連合)に所属していた時期であり、2345万年の間地球は宇宙で大活躍していました。この時地球はEVHA(エウ゛ア:愛と感謝と互恵をベースとした意識と意思)の段階の文化の進化度でした。宇宙との調和度は(10→○)の100乗と相当高いレベルにあり、自我と欲望の振動数波は0.0001%でした

その後地球は大幅に星の魂としてシフトダウンし続けました。例えば、1億313万年前に地球がFIDA(惑星連合)との同調が不可能になった時は文化の進化度はEGHO(エゴ:自我と欲をベースとした意識と意思)となり、宇宙との調和度は−2、自我と欲望の振動数波は22%でした。

さらに1億310万年前の地球の文化の進化度はEGHO(エゴ:自我と欲をベースとした意識と意思)、宇宙との調和度は(10→○)の−2乗、自我と欲望の振動数波は42%でした

最終的にはこの時も地球では原子核戦争となり、地球人による最も高度な文化社会は絶滅するに至りました。この時の文化レベルが今までの地球歴史上最も進んだレベルでした。
〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜

この後地球への他星人の移住は第二次第一期から第八期まで続きます。

今回は第一次第一期から第八期までで紹介を終えます。

『真地球の歴史』の内容は発展途上星でEGHO(エゴ:自我と欲をベースとした意識と意思)文化真っ盛りの地球で流布している一般常識から見れば、奇想天外に思われるかもしれないが、ヤマちゃんおやじは直感でその内容は真実であると思う。


他星人が何故地球に移住するのか???
彼らが移住好きなのではありません。彼らが移住する必然性があったからです。

星にも魂があり、鉱物、植物、動物、人間と同じように絶えず色々なことを経験し学習しています。星の魂が一定のレベルに達すると、次の魂の学習に相応しい場所にテレポーテーション(移動距離が数光年〜数万光年以上という遠隔地移動)します。

星全体が遠隔地移動を行うテレポーテーションは現在の地球の宇宙ロケットのような原始的方法では不可能です。テレポーテーションでは移動元で星の全ての存在物が一旦CAU(カウ)の海=エネルギー=に戻され、移動先の星と同調できる振動数になっているものだけがテレポーテーション後に元の状態に再生されます。目的地の星と不調和な振動波では目的地に着いたとしても元の状態に戻ることができず、CAUのエネルギーに戻されたままになります。

星がテレポーテーションを行う時期はある程度高い文化を持った星では事前に判っていますので、目的地の星と同調できない(宇宙との調和度が低い○一回クラスの)住人達は、本人の了解の上で本人の振動波に適した星(例えば地球)に宇宙船で移住することが行われました。

現在の地球語で”エゴ”が我欲としての意味を持っていますが、宇宙語EGHO(エゴ:自我と欲をベースとした意識と意思)に由来するのかもしれません!!!

ある本では、“地球は宇宙の罪人の流刑地だった”としていますが、それよりも魂の発達レベルが低い人達の移住先というのが妥当だと思います。

〜〜〜それにしても、地球上の文明が滅んだ原因は原子核戦争ばかりなんですね〜〜〜

現在地球で進行中のグローバリズム、国際競争力、貿易自由化・TPP・FTA・EPA、際限なき経済成長、強者のみが栄える社会などはEGHO(エゴ:自我と欲をベースとした意識と意思)そのものだと思う。


地球も近い将来 銀河系の重心近くにテレポーテーションするといわれている。テレポーテーションが起これば、EGHOに凝り固まった人達は宇宙との調和度が低いのでテレポーテーション先でエネルギー(cau)に変換されたままの存在となり再出発するともいわれている。

今の地球では各国政府は宇宙船(UFO)の存在を否定し、現在世界最高レベルの科学技術をもってしてもUFOの飛行原理さえわからず(米国で学会・産業界の最高の頭脳レベルを集め秘密裏に入手したUFOを分解し調査したが何一つ解明できず全くお手上げ状態だった)、とうていUFO建造など夢のまた夢に等しいので、事前に宇宙意識の低い人達を適当な星に移住させる手段が無い。

あわよくば、惑星連合(FIDA)や銀河連合(FILF)が救いの手をさし出してくれるのか???? それとも自助努力だけなのか????

足立育朗氏は、テレポーテーションの際仮に“CAUのエネルギーに戻されたままになるにしても、CAUとは宇宙の究極の意識と意思であるECHOの愛と調和の振動波そのものであると言えるので、地球の方々が恐れたり不安になったりするような状態にはなりません”と明言しているので一応安心ではある。。。。

【地球への他星人の移住は第二次第一期から第八期】の紹介は次の機会に譲る。
posted by ヤマおやじ at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする