ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2012年11月30日

日本未来の党の嘉田滋賀県知事は売国婆

<日本未来の党>

嘉田滋賀県知事が旗揚げした『日本未来の党』の目玉政策は卒原発であり、10年以内(2022年まで)に原発ゼロの実現を目指すとした。2030年代中(2040年)までに原発ゼロとする民主党のマニュフェストよりも一段と早く原発ゼロを目指す事を強くアピールしている。

言うだけならば誰でも何でも言える。
漫談や娯楽の世界ならば“言うだけ”で良い。

政権公約であれば、言う内容が妥当か否かであり、内容が妥当であっても実現可能か否かが問題となる。


<原発問題はエネルギー政策であり、感情論では決めれれない>

日本での原発の可否はエネルギー政策そのものであり、福島原発事故という狭い観点から白黒を論ずべきでなく、今後の技術動向、原発の経済への影響、安全保障・国際政治との関連など国家が有する最高レベルの識見に基づく真剣かつ広範な議論を経て結論を下すべきテーマである。

今夏、民主党政権が日本のエネルギー政策策定に際して実施した意思決定スタイルは、全国各地で開催した国民会議において一部の国民から聴いた声なるものを纏めて『2030年代中に原発ゼロを目指すという』結論に達したものであり、反原発に大きく傾いた国民感情を基本にしている。

高名なミュージシャン坂本龍一(彼が左翼という事実は余り知られていない)が2012年7月6日に東京・代々木公園に集まった「さようなら原発10万人集会」の壇上に立ち、これだけ大勢の人が集まっているのは、原発に対する恐怖、政府の原発政策に対する国民の怒りが充満している証拠だとし、
“言ってみれば、たかが電気です。たかが電気のためになぜ命を危険に晒されなければいけないのでしょうか?たかが電気のために、この美しい日本、そして、国の未来である子供の命を、危険に晒すようなことをすべきではありません”と発言し、マスコミでも大いに取り上げられた。

一体国民のいくばくかが日本のエネルギー政策策定に必要な広範かつ深い識見を兼ね備えているであろうか????このような神様みたいな一般国民は当然1人も居ない、出席者9割程度はマスコミが精力的に流した福島原発事故の危険性だけしか念頭にない人達だ。

日常から生業にいそしむ一般国民が、今後のエネルギー技術動向、原発の経済への影響、安全保障・国際政治との関連など知るはずもないのが当然だ。

今後のエネルギー政策策定必要な広汎かつ的確な知識を知るはずのない一般国民に対し、国の将来のエネルギー政策のあるべき姿を問うこと自体、野田民主党政府が無責任であることを内外に示しているのだ。

野田民主党政府は民意を尊重した演出をしたつもりかもしれない。

“民意を汲む”という言葉は一見美しいが実に危険でもある。民意というものが如何に空しいか・・・その一例を挙げよう。

日露戦争を終結させるために賠償金なしでロシアと講和条約を結んだ時の政府や外務大臣小村寿太郎に対し、実情を知らない新聞が勝手にでっち上げた扇情的記事に刺激された国民はロシアとの講和に大反対し各地で暴動が発生した。

当時の新聞や国民は、もはや一発の弾薬を買う資金もなかった日本国庫の窮乏状態を知らずにロシアに対する戦勝ムードに酔っ払ってロシアとの講和に大反対運動をおこしたのである。

今も昔も国民が知らない情報は多々存在する。むしろ国民が知らない情報は山ほどある。まして、昨今の反日マスコミは、日本人にとって真に必要な情報は流さず、日本人を誤魔化す情報をせっせと流している。又総じて最近のマスコミは極めて不勉強でもあるが。。。


「スウェーデンは1980年に30年後(2010年)の脱原発を決めた」
「ドイツは2022年に原発ゼロを目指す」
というような脱原発報道は日本のマスコミは大きく報道する。

しかし、以下のような反原発に都合の悪い情報は一切報道しないのである。


<原発ゼロを宣言したスエーデンのその後の状態>

1980年に30年後の脱原発を決めたスウェーデンは、電気料金と温暖化の問題から、結局原発の利用を続けることに方針を変更した。今でも発電の約40%を原発に依存している。

<2022年に原発ゼロを目指したドイツの状態>

ドイツの原発ゼロは破たん寸前だ。再生可能エネルギーの技術の壁とコスト高に直面している。
加えて送電網の整備にかかるコストに悲鳴を上げている。2000年に始まった固定価格買い取り制度によって太陽光発電が急速に普及したが、買い取りで財政が成り立たなくなったのだ。

苦境に立ったメルケルは太陽光発電の買い取り価格を20%から30%引き下げ、3,4年後には中止すると言い出した。



< 原発ゼロにすれば日本だけが高価格な天然ガスを買わざるをえなくなる>

11月28日のNHKクローズアップ現代にて、日本の原発停止による火力発電の増加で天然ガス価格がそれまでの5倍に跳ね上がった状況の中でいかに天然ガス価格を廉くするかを焦点に30分報道していた。

日本の原発一斉停止以来、日本の電力会社は足元を見られて高値で天然ガスを買わされている事実があった。これに対する対策として出席した石油専門家は天然ガス供給元の多様化を挙げていた。

「報道ステーション」は、日本の電力会社が総括原価主義のためにコスト意識がなく、日本の電力会社に購買能力がないように盛んに報道しているがこれは本質をついていない。このNHKクローズアップ現代では、反日報道ステーションほどではないが、原発ゼロの難しさ・一大問題点については言及しなかった。

購入価格交渉において供給元の多様化を図ることはビジネス界では常識の常識でしかなく、わざわざNHKクローズアップ現代にて指摘するほどの価値はない。日本の公共放送を自称するNHKの取材能力を疑わざるを得ない。。。このような無能な公共放送が国民から視聴料を強制的に徴収する資格はないと思う!!!

WEDGE infinity http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2377によれば
(引用始め)
4年前の大統領選ではオバマ大統領は、中東、ベネズエラへの原油依存度を下げるために、10年以内に中東、ベネズエラからの輸入量以上に原油を節約すると宣言した。

近年米国ではシェールガスとシェールオイルの増産によって米国の中東、ベネズエラへのエネルギー依存度が大きく減少し、「米国は10年以内に世界1位の産油国になる」と国際エネルギー機関が予想するほどになった。米国の中東へのエネルギー依存度が大きく減少した事実は日本のエネルギー政策にも当然大きな影響を与える。

日本は石油の80%、天然ガスの20%をホルムズ海峡経由で輸入している。米国の中東での存在感が薄れ、不安定化が増すと、原油価格に大きな影響を与える可能性がある。シェールガスの生産増の天然ガス価格への影響が米国でしか見られないように、新興国での天然ガス需要増が続く中ではシェールオイルの生産による天然ガス価格への影響は小さい可能性がある。

 原油価格が上昇した場合には、天然ガスも石炭の価格も上昇する。脱原発を目指し、原子力というオプションを日本が失っていたならば、化石燃料の中で多様化を図っていたとしても、欧米諸国以上の打撃を日本だけが受けることになるだろう。(引用終わり)


<原発ゼロ は日本のエネルギー安全保障を危うくさせる>

米国が世界一の産油国となりもはや中東からの石油資源を必要としなくなった時には、米国はもはやペルシャ湾近海や地中海に大艦隊を派遣する必要性は大きく減退する。よって中東情勢は混乱する可能性が高まる。

賢明にも欧州はペルシャ湾経由を必要としないように20年も前から着手しパイプラインを地中海方面に敷設し終わっているので仮にホルムズ海峡が閉鎖されてもそれほど大きな影響はない。

日本は石油の80%、天然ガスの20%をホルムズ海峡を通過し、インド洋を渡り、マラッカ海峡を通り、南シナ海、東シナ海を通過する長大なシーレーンを経て輸入しているのである。

日本が輸入する天然ガスの45%は南シナ海、東シナ海を通過して輸入されている。

中国は米国と世界覇権を争うために南シナ海、東シナ海を自国領海とすべく着実に実績を築きさらに海軍力増強に必死であることは、前回のヤマちゃん日記に記載した。


<原発ゼロは日本のエネルギー安全保障上極めて危険>

南シナ海、東シナ海が中国領海となれば、日本に必要とされる石油、天然ガスの大部分が輸入されるシーレーンは中国の支配下に置かれることとなり、日本は無言有言の脅しをもろに受けることになる。・・・原発ゼロは日本のエネルギー安全保障上きわめて危険な状況をもたらす。

今回の衆議院選挙の結果で日本が原発ゼロを決めたとすれば、日本のエネルギーは中東の政治不安の影響や中国からの恫喝を受けざるを得ない長いシーレーンを経て輸入される石油・天然ガス主体となり、エネルギー安全保障上きわめて危険な状況に自らを追い込むことになる。

中国は日本が中国の言うことを聞かないと日本のタンカーが南シナ海や東シナ海を通過するのを許可しないと脅迫するのは、今回の反日デモ、日本企業焼き討ちという所業を見れば明らかである。

ロシアからの天然ガス輸入増大という選択肢もあるが、パイプライン敷設などの巨額なインフラ整備投資が必要となる上に、ロシアから足元を見られ高価格な買物にならざるを得ずメインの対策にはなりえない。


<原発ゼロによって、石油断絶による日本の危機が加速される>

いったんイラン周辺が戦争状態となればホルムズ海峡は封鎖され、日本への石油の80%天然ガスの20%は輸入がストップし日本の産業活動、日常生活は大混乱に見舞われるのは間違いない。戦乱が177日以上長引けば石油備蓄はゼロとなり、事実上日本は死活問題に直面する。

近未来でホルムズ海峡は封鎖されると、原発ゼロの場合では、日本の電力使用量の43%がストップするが、原発を稼動する場合では、日本の電力使用量の14%がストップするだけで済む。

原発という発電の選択肢があれば、石油・天然ガス供給元から足元を見られ高値で購買せざるを得ないという問題は大きく軽減される。


<風力発電や太陽光発電による原発ゼロ化は、現実的に困難>

原発をゼロとして風力発電や太陽光発電のような持続可能エネルギーで代替可能とする論調が多いが本当か???これは単なる期待に過ぎない!!!

どだい、風力発電や太陽光発電はエネルギー密度が小さい上に、天候・日照時間の影響を受けるので、あくまで少量の補完電力でしかありえず、原発や火力発電のような出力が安定したベース電力にはなりえない。

風力発電や太陽光発電を原発の代わりに置換するには、過大な発電設備を設置しなければならず、ダダでさえ発電単価の高い風力発電や太陽光発電単価を一層増大させるので経済的に大きな負担となるのは少しでも発電を知っている人であれば容易に断言できる。

今でさえ日本の電力価格は世界中で高いが、原発ゼロとなれば電気料金は大幅に(100%以上)上昇することは必死であり、日本の産業界に甚大なる損害を与えることになる。これを大いに喜ぶのは中国、韓国、欧米を始め今まで日本産業に脅威を感じていた国々だ。もちろん国民の生活も高い電気代に悩まされることになる。


<発電と送電の分離では電力料金は大きく下がらない>

発電と送電を別々の会社にして自由競争化すれば、全てが解決するような宣伝が行われているが、これによる電力価格抑制効果は天然ガスの購入価格高騰に比べれば一桁小さい程度であり、本質的な対策ではない。

発電と送電を分離することでむしろ発電会社も送電会社もコスト競争で疲弊し、設備更新もままならず設備は老朽化する一方となり停電が頻発するようになり、長い目で見れば国民にとって大きな禍根をもたらすであろう。


<日本の安全保障面からみた原発ゼロの危険性>

さらに日本の安全保障面から原発ゼロを考察する。
北朝鮮や中国のようなゴロツキ国家は、既に核兵器を保有し日本に核兵器を落とすミサイルも保有している。

日本は核兵器三原則というもので核兵器の保有も使用もできないでいるが、日米安保条約による米軍の核の傘の下に入りどうにかゴロツキ国家からの核兵器による恫喝を免れている。

在日米軍は今後グアムあたりまで撤退する公算が強い。こうなると日本は核兵器なくしては対等の外交は成立しない。何故中国国家主席たる胡錦祷が貧乏ゴロツキ国家北朝鮮の将軍様を恭しく出迎えたのか・・・北朝鮮の核兵器が怖いからである。。。。

原発からは核兵器の主要原料であるプルトニュームを副産物として発生するので、イザとなれば日本の技術力をもってすれば核兵器の生産は短期間で可能になる。ミサイルも日本は人工衛星打ち上げビジネスに参入できるほどの実力を有している。

しかし原発ゼロとなると副産物としてのプルトニュームが発生しない。よって天然ウラン鉱石を輸入して巨大なウラン濃縮プラントを建設してウラン235だけを分離濃縮して濃縮度70%以上の濃縮ウランを作らなくてはならなくなり、核兵器保有までかなりの時間を要することになる。

尖閣諸島はもとより、沖縄だけでなく日本全土を支配下に置く長期計画を持つ中国から見れば、日本が自前の核兵器を早期に保有するのを極力邪魔するのは当然の行為である。

日本が原発ゼロを実現すれば、核兵器の主原料であるプルトニュームが入手困難になるので中国は大賛成なのである。


< グリーンビジネスも夢の世界>

再びWEDGE infinity http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2377から引用する。
(引用始め)
 ワシントンポスト紙が日本の民主党が掲げる原発ゼロ戦略を夢と呼ぶのは、それだけ、現実を見据えていないということではないのか。化石燃料を依然中心に置く欧米の現実路線とは対照的だ。

野田首相は脱原発とあわせグリーンビジネスも選挙の争点として挙げたが、欧米では太陽光発電関連メーカの破綻が相次いでいる。中国製太陽電池に課税を決めた米国政府に続き、欧州委員会も中国製太陽電池を不当廉売の疑いで調査している。

 不振は太陽電池メーカだけでない。かつては世界シェアの3分の1を保有していた風力最大手のデンマーク・ベスタスの生き残りに関する報道も欧州では出始めた。現在交渉を行っていると報道されている三菱重工との提携が失敗した場合に生き残れるか疑問視する見方が出ているのだ。株価は2008年に付けた最高値の、ほぼ30分の1に落ち込み、2015年に償還される社債の金利は20%近くになっている。

 野田首相は、欧米の再エネ関連企業が中国企業に追いつめられている状況を知ったうえで、グリーンビジネスで経済成長が可能と信じているのだろうか。(引用終わり)

野田ドジョウが欧米の再エネ関連企業が中国企業に追いつめられている状況を知ろうと知るまいと、
グリーンビジネスで日本経済成長が可能と野田が表明しているのは、結局中国企業のためだった・・・ということになる。


<女川原発は東日本大震災と大津波を受けたが無事クールダウンに成功している>

日本の原発は全て危険か???NOである。。。
女川原発1・2・3号機は東日本大震災と大津波を受けトラブルが発生したが無事クールダウンに成功している。

福島原発では度重なる内外からの指摘にも拘らず、津波対策を怠ったために原子炉のメルトダウンを引き起こした。

女川原発並の震災対策と大津波対策を講じていれば、簡単に福島原発事故は起こらないという実例が東日本大震災ではっきり示された。

スエーデンとドイツの原発ゼロ化の実情を見れば、『原発ゼロは言うは易く行なうは難しい』ことがはっきりしてきた。

結局原発ゼロは日本の将来にとっても、『言うは易く行なうは難しい』ものであるのは間違いない!!!

長期的に見れば、原発は好ましくはないと思う。しかし短期的には原発ゼロを国策として決定すると上記の如く日本にとってマイナス面が余りにも大きすぎる。

原発ゼロを国策として決定すると日本国民にどのようなメリットがあるのか???
得られるのは原発ゼロ信奉者の自己満足である。

さらに言えば、原発ゼロを国策として決定すると喜ぶのは、中国や韓国だ。。。
高値で天然ガスを売れる産出国やサプライヤーも大いに喜ぶだろう。


日本にとって不利なことが多い原発ゼロか否かを国政選挙の焦点にするのは、全く無意味だ。あわよくば日本人の原子力アレルギーを煽って原発ゼロを唱える政党への投票を誘う下心の現れだとすれば納得できる。

日本を誤った方向に導き日本を弱体化させる邪心を持った反日政党や反日勢力が今回の衆議院選挙の争点を原発ゼロに無理やり導いているのであれば、その狙いは納得できる。。。

日本が原発ゼロ政策と採ると喜ぶのは誰か???

暴騰する天然ガスの大量輸入により日本の國際収支が赤字化し、日本の産業と国力が疲弊し、日本の安全保障能力が低下するのを期待しているのは、中国である。東日本大震災を祝った韓国人も日本の衰退を喜ぶであろう。


嘉田滋賀県知事は、“日本政治の品性が問われる”などと、説得力ゼロの文学的表現で『10年後の原発ゼロ』を正当化した。

小沢グループは早速嘉田滋賀県知事の日本未来の党と事実上合体した。亀井なるものが起こした政党2つも日本未来の党と連携した。


原発ゼロ政策を掲げるのは、日本未来の党、民主党、社会民主党、共産党、生活が第一など左翼系かリベラル系の政党だ。反日マスコミも原発ゼロを選挙の争点に誘導しているきらいがある。

彼らは日本国民よりも、中国様のご意向の方が大切らしい!!!
彼らは中国様のご意向を受けて、敢えて原発ゼロを選挙の焦点にしている様に見える。


彼らにとって不本意な、デフレ脱却、憲法改正、侵略国家中国に対する国防力増強などが今回の選挙の争点になることを恐れている。

今回の選挙の主要な争点は、デフレ脱却、憲法改正、米軍が後退した後、侵略国家中国に対する日本の国防力増強であるべきだ。

上記観点から、『原発の早期ゼロを掲げる政党は間違いなく反日政党』だといって間違いはないと思う。
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2012年11月27日

山上を走る林道探し & 宮崎正弘著『習近平が仕掛ける尖閣戦争』を読んだ

【山上を走る林道探し】

昨年12月に飯ヶ岳(周南市鹿野町)に登った際、南西方向の山上付近をほぼ水平に走る林道が気になり、以降所在地探しに関心を抱いてきた。

山口市徳地町の津々良ヶ岳周辺の林道にあたりを付け今年になって現地に赴いたが見当違いであることがわかった。

その後地図とにらめっこして山口市徳地町大原湖に注ぐ野父川を遡る林道の延長線が山上付近をほぼ水平に伸び、その後 半五郎川沿いに急降下しているものと推論(予想)した。

この予想したほぼ水平に走る林道部分は2万5千の一地形図には記載が無く白紙状態であった。よって11月17日(土曜日)に現地に赴き予想が正しいか否かを確認することとした。

11時ごろ大原湖から佐波川に変わる出合地区の駐車場に駐車し、11時5分に歩き始め今年新設された橋を2つ渡り道なりに進み祖父地区に至り、古い橋を渡り目指す林道へ入った。

予想を覆すアスファルト舗装道路は野父川沿いに北東に延びていた。11時30分頃野父川を渡り『ニッセイ大原の森』と書いた看板がある所で舗装道は終了しダート道になった。

さらに10分程度歩くと『21世紀記念分収蔵林』と書いた看板が現れた。滑山国有林1.65haを平成13年から平成92年まで造林する者は徳山市黒髪石材と書いてあった。

さらに5、6分歩くと見晴らしが良くなり、南西方向を振り返ると大原湖が眺められた。

DSCF6890(1).JPG < はるか南西に大原湖が >

さらに7、8分歩くと『ニッセイ徳地の森』と書いた看板が現れた(11時55分)。大手生命保険会社である日本生命が賛助会員を募り2.8 haの国有林を借りて造林している様子であった。

しばらく歩いていると右手からドンドンという音が聞こえ始めた・・・・何と新しく林道を開削している重機の音であった。。。。さすが県下第一の広さを誇る滑山国有林だけのことはある!!!

2万5千の一地形図では1時間ばかり歩いた12時5分頃で林道終点を迎えるはずであったが、林道は果てしなく上方へ延びている様相なのでドンドン進んだ。

12時43分頃野父川の源頭を越えて道が水平になり少し進むと、左側に飯ヶ岳らしき山並みが見えてきた。飯ヶ岳の左側には三ツヶ岳(標高970m)、野道山(標高924m)も見えてきた。

さらに歩くと南東に石ヶ岳(標高970m)も見えた。高度630〜690mで南方に約500m程の長さで稜線付近を走るこの林道部分からは飯ヶ岳山頂がはっきり見えたので、探していた林道に間違いないと確信した。

12時57分頃標高675m付近の鞍部から林道は急傾斜で南西方向に下り始めた。
丁度太陽の光が強く照りだしたので鞍部付近の空地で遅い昼食を採った。

13時5分頃急傾斜の林道を下り始めた。半五郎川上流沿いの高度600〜500mではタラの木が結構見つかった。比較的新しいトラックの轍があったので、この林道は多少荒れてはいるが結構利用されている感じがした。

13時56分頃左手に山神と書いた額を持つ鳥居と小ぶりな神社を見送り、14時頃半五郎川と滑川の合流点付近に至り、出合地区から三本杉にいたる道路に合流した。

此処から駐車位置までは1km足らずであり時間が余るので三本杉を経て飯ヶ岳登山口にいたる道を歩いて奥に辿ることにした。

滑川には深い淵はないが、水が綺麗なので水深3mの底まで見えるのが魅力的である。川のほとりには目視で樹高50m以上もある杉の大木もあった。右手に日暮川、密成川を見送り三叉路を左折して滑地区に入り鬼ヶ河内川との合流点に至ったのは15時20分頃であった。

この近くには鉱山があり選鉱・貯蔵設備などが見受けられた。住居が2,3軒あり電線と電話線はここで終了となっており、老婆が畑仕事をしているのが見えた。

雀谷山登山の帰りと思われる男性に出会い挨拶する。新しいバイオトイレで用を足し、ここから引き返し16時50分ごろ無事駐車場に着いた。

累計登り高度差は590m、歩行距離は約20km。


所在がはっきりしなかった稜線近くを走る林道を1年がかりで試行錯誤の末にようやく所在をつきとめ、実地に歩くことが出来たのでそれなりに満足できた。

今年は、林道歩きでも新しい発見があった。
@ 津々良ヶ岳(徳地町)に殆どヤブ漕ぎなしで登れる下ヶ原林道を初めて歩き
A 津々良ヶ岳近傍の729mピーク付近の稜線を走る俄河内林道支線を初めて歩き
B 飯ヶ岳から南西方向に見える稜線近傍をほぼ水平に走る林道(野父林道と仮称)を初めて歩いた。

<情報の怖さ・おぞましさ & インテリジェンスの重要性>

2万五千分の一の地形図に掲載されていないが4tonトラックが通行可能な林道を実際に歩きながら情報の怖さ・おぞましさを改めて感じた。

結果的に見れば2万五千分の一の地形図は、野父林道に関する限り誤った情報を与えていたことになる。

仮に2万五千分の一の地形図を絶対正しいものだと思えば、今回の林道探しは考えもしなかったであろう。

しかし実際にヤマちゃんおやじは飯ヶ岳山頂から南東方向の稜線近辺にほぼ平行に走る林道を何回も見ていたので、2万五千分の一の地形図は一部誤っている可能性があると思い、その結果実地に林道の所在を確かめる行動を取ったことで地図上では存在しないことになっていた林道を実際に歩くことができたのである。

ヤマちゃん日記では数回言及したと思うが、『情報とはガセネタかもしれないし事実に一致するかも知れない』ヌエみたいな掴み所のないものなのである。

“2万五千分の一の地形図だけの情報で判断すれば、飯ヶ岳山頂から南東方向の稜線近辺にほぼ平行に走る林道は存在しない”という結論に達する。

“@2万五千分の一の地形図だけの情報とA飯ヶ岳山頂から南東方向の稜線近辺にほぼ平行に走る林道という異なった経路から得られた2個の情報から判断すれば2万五千分の一の地形図の情報が完全に正しいといえなくなり、飯ヶ岳山頂から南東方向の稜線近辺にほぼ平行に走る林道は延長された野父林道である可能性が高い”という結論が得られる。

ここで重要なのは異なった2つの経路から得られた情報が一致するか否かを判定する行為である。いわゆる情報の裏を取るという行為である。

異なった2つの経路から得られた2つの情報が一致すれば情報の信憑性は高いと判断できる。
一方異なった2つの経路から得られた情報2つの情報が異なれば、一方の情報または双方の情報は信頼するに値しないガセネタである可能性が高い。

IT関連の諺に“ゴミを入力すればゴミの結果(誤った結果)が得られる”というものがある。人間の判断を例に示せば、”誤った情報を基に判断を下せば誤った結果が得られる“ということになる。

人は重大な決定を行う際には、判断の基となる情報を吟味する必要がある。
ガセネタを基に判断すれば、誤った判断を下し結果的に予期した結果は得られない。
正しい(信頼するに足る)情報を基に判断すれば、正しい判断が得られ予期した結果が得られる。

欧米では、信頼するに足る情報をインテリジェンスと呼称し、ガセネタかもしれないし正しい(信頼するに足る)情報カも知れない信頼性不明の単なる情報をインフォメーションと呼称し明確に区別する。

軍事作戦に使用される情報がガセネタであれば百戦百敗となり、信頼するに足る情報(インテリジェンス)を用いて作戦を立てた戦いは百戦百勝となるのは明白である。

近年の日本では、インテリジェンスもガセネタも味噌も糞も一緒にして情報と呼ばれており、情報の信頼性を詮索しない傾向がある。

テレビ番組である食品が健康に良いと聞くと、翌日には健康に良いとテレビで放送された食品はスーパーでは売り切れになることが常態化している。

多くの日本人は反日売国マスコミが流すガセネタを簡単に信じ込んでしまい、挙句の果てには反日売国奴政党である民主党の本性を知らずに選挙で民主党に投票し政権を取らせてしまった。

今や日本のマスコミやマスコミに登場する知識人や専門家は、全員がガセネタを流す反日勢力だと疑わなければならない!!!!

大学教授、高級官僚、専門家、高名な文化人などは反日分子ではないかと彼らの宣伝文句の内容を疑う姿勢が必要である。

そのためには、反日売国マスコミが流す報道とは別ルートの報道ないしは情報を入手する必要がある。

一例を挙げれば、こと中国に関しては、宮崎正弘氏が発する情報ほど的確なものは匹敵するものがないと信じている。


【宮崎正弘著『習近平が仕掛ける尖閣戦争』を読んで】

11月25日に、『習近平が仕掛ける尖閣戦争』を一気に読んだ。
11月26日には、もう一回読み直した。

宮崎正弘氏は以下の3つの理由から、習近平が尖閣戦争を仕掛けるものと結論している。

@第一の理由は習近平が無能なるが故に
決断力に乏しい習近平総書記が政治局と軍の強硬派に振り回される。無思想ゆえにタカ派に政局をリードされ、危険なのである。
A第二の理由は、いよいよ崖っぷちにきた中国経済のバブル崩壊が始まり、貿易は急減して労働者の失業が急増し、社会不安が増大している。不動産価格と株式は大暴落した。
B第三の理由は、大規模な反政府暴動が中国全土で起きるだろうが、これを回避し国内の矛盾を対外問題とすり替えるには日本に戦争を仕掛けることしか思いつかない。このあたりが中国の政治家の限界で、「民度の低い国民を統御するには戦争しかない」と短絡的に考えるだろう。第18回中国共産党大会で新しく総書記となった習近平の登場により、中国はもっと反日的になって軍事大国の道をひた走るであろう。


<中国の百年計画>
長期的に北京が尖閣を奪取しようとするのは戦略目標である。
中国は、軍事的には百年計画とも言えるほどの長期目標を持っており、その最終目標は米国と覇権を争いつつも、いつかは世界帝国になることである。

かってのジンギスカンは世界初の大帝国を打ち立てた元の高祖となった。明も清も巨大な版図を誇った。今は宇宙時代、米国と対峙するには核兵器に保有が最優先課題となる。


中国は大陸間弾道弾を大量に保有するが、ミサイルと長距離爆撃機のみならず、深海から潜水艦発射が可能な戦略ミサイルを持ちたくて仕方がないのである。このためには南シナ海の聖域化が必要であり、南沙も中沙も表面的には資源や漁場の確保と屁理屈をつけているが、本心は核戦力の聖域の確保である。

この目標を実現するために戦略的要衡として日本の尖閣諸島がどうしても必要なのだ。

内容を全て記述するわけにはいかない。
宮崎正弘氏の著作と比べれば、反日マスコミが流す中国報道は全くガセネタでしかない。

中国の信頼できる情報を手っ取り早く掴むには宮崎正弘氏の著作を購読されるのをお勧めする。

宮崎正弘著『習近平が仕掛ける尖閣戦争』の購読はこちら!!!
http://www.amazon.co.jp/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3%E3%81%8C%E4%BB%95%E6%8E%9B%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B0%96%E9%96%A3%E6%88%A6%E4%BA%89-%E5%AE%AE%E5%B4%8E-%E6%AD%A3%E5%BC%98/dp/4890632999/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1354024800&sr=8-1
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2012年11月22日

晩秋の飯ヶ岳 & 日米共同離島「奪還」訓練を中止させた野田の大売国奴

【晩秋の飯ヶ岳で滝をめで ヤブを漕ぐ】

11月19日に飯ヶ岳(周南市鹿野町、標高937m)を歩いた。
10月25日にも飯ヶ岳に登ったが、黄葉は始まったばかりであった。

黄葉のベスト時期としてはもう少し早い時点で行くべきであったが、あちこちの山を歩いている間に機会を逃した感がする。黄葉はなくてもメタボ対策の運動だけでも良い・・・という軽い気持ちで臨んだ。

8時過ぎに出発し、9時35分頃国道315号河内峠付近の開きスペースに駐車した。
国道315号を鹿野側に150m程度下り右折し林道(標高565m)に入り、飯ヶ岳登山口を右に見送り荒れ気味の林道を終点まで進み滝の落口に達した。

DSCF6858.JPG < 3段目の滝 >

昨年12月にこの滝を初めて見た。この滝を左手に見ながら崩れ易い崖を木々に掴まり這い上がるとかすかに踏跡あり、これを左に進むと稲妻形に登り滝の中間部に至る。ここからかすかな踏跡を辿り滝の最上部に至り、谷沿いに踏跡を50m程度遡った時点で北方の支尾根に向かい方向転換し、ヤブ漕ぎして標高差で25m程度登れば本来の登山道に合流する。

このルートを滝見ルートと呼称し以降三回利用してきた。ただしこのルートには滑落や落石の危険があるので一般向けではない。あくまで自己責任の下で細心の注意を払って臨むルートであることを付言しておく。

昨年12月初旬ネット検索した時点では、この滝を見たという記述は見つからなかった。
このルートと本来の登山道との合流点の立木に青いビニール紐の束が結束されているのは、このルートを通った先人が居られることを意味する。

10月25日に登った際通路を邪魔する立木や笹を切り払っていたので踏跡も順調に進めた。
例によって、赤テープの場所で笹漕ぎして標高差5m下の谷に下り一段目の滝の上部に立つと莇ヶ岳の雄姿が正面に見える。

一段目の滝の落差は目視で凡そ10m(直滝部8m+傾斜部2m)、その上に落差4m程度の小さな2段目の滝があり、その上にかなりの落差がある3段目の滝がある。

踏跡に戻り稲妻形に登ると踏跡は消え3段目の滝の途中(滝の上端から7m程度下方)に出る。従来はここから右側の道なき道を這い上がり滝を高巻くのだが、今回は滝(斜滝)の右端に密生した笹をロープ代わりして掴まれば滑落することなく登れることが判ったので初めて直登した。

3段目の滝は凡そ直滝部16m+傾滝部4mの合計20mの落差があり、その上に2m長の平坦部と落差約2mの小滝があることが今回直登して初めて判った。
DSCF6861.JPG <3段目の滝の上部にある傾滝部4m >

この小滝も滑り易く手懸りが無いので右端に生えた笹や潅木を握って乗り越えた。

結局この滝は厳密には連続する四段滝であり、その合計落差は目視でおよそ32mだった。
この滝の最上段からは真正面に莇ヶ岳の雄姿が見えるのも初めてであり気に入った。。。。

DSCF6860.JPG <3段目の滝の最上部から見える莇ヶ岳>

この滝の幅は概ね4〜5mもありこの辺りの滝としては落差・幅で特筆に価すると思うが余り知られていない・・・・・

水量が多い時にはかなり豪快な滝の姿を見せてくれるのではないだろうか!!!!

藪を漕いだ後の登山道は急傾斜でも有難い。11時35分頃山頂に着き、ローソンで買った298円の小型弁当を食べたがこれが結構旨かった。

急に空が暗くなり小雨もぱらついてきた。ただちに下山することも考えたが、西方を見れば雲間から日が射していたので晴天になると判断した。少し待っていると薄日がさしてきたので、11時45分頃ブナ林コースを下ることにした。

10月25日には茂っていた笹が綺麗に刈り取られていたのは有難い。やはりブナ林の黄葉は終わっていた。ようやく黄葉が見え始めた分岐点を通過し、13時5分頃徳地町滑登山口(標高590m)に着いた。幸いにもこの頃になると天気は快晴に変じた。

DSCF6868.JPG < ようやく見え始めた黄葉 >
 
ここから飯ヶ岳山頂を目指して再び登り返した。高さが40mに達すると思われた滑松(なめらまつ)のすらりと伸びた姿は飯ヶ岳だけでしか見られない貴重なものだ。

DSCF6870.JPG < すらりと伸びた滑松 >

分岐点の手前で左折するルートがあり綺麗に笹が刈り払われていたので、進入禁止の虎ロープが張ってあったが軽い気持ちで進入した。

結構綺麗な紅葉に釣られてどんどんトラバース道を進み終に谷を挟んだ対岸に辿り着いた。この尾根伝いは滑松の生育地であり笹が駆り払われており、東方向の展望が得られた。

DSCF6880.JPG < トラバース道の紅葉 >

当初ここから引き返し分岐点に戻ることにしていたが、笹が綺麗に刈り払われた道が稜線上方に延びているので軽い気持ちで稜線を登って行った。滑松の生育地は高度が次第に高くなっても続いていた。

DSCF6885.JPG < 滑松の生育地 >

笹が駆り払われた道が突然無くなるのを予想していたが、滑松の生育地が終った所で笹ぼうぼうの道になってきた。さあどうするか????

笹はびっしり生えているが笹の下には結構幅広な道が続いていた。さらにこの道はかなり上方で登山道に合流することをうすうす知っていたので、そのまま笹を掻き分け稜線を登ることにした。

しかし行けども行けども笹薮の稜線はどんどん上に続いていくばかりで終点が見えてこない。はじめは2本足だけで進めた笹薮道は傾斜が増してくると両手で笹を掴んで登らないと進まなくなった。凡そ35分間休まず笹漕ぎした所で鞍部に達し、正規の登山道に合流できた。

14時35分頃二度目の山頂到着を果たしそのまま正規のルートで無事下山した。

今回は、
@ 飯ヶ岳東麓の滝の全貌を掴めた 
A 正規ルートの西側の稜線を辿る笹薮ルートを初めて通過した
  という新しい成果が期せずして得られた。感謝、感謝、感謝。



【日米共同離島「奪還」訓練を中止させた野田の大売国奴】

11月5日から始まった毎年恒例の日米共同統合演習「キーン・ソード」で実施予定だった日米共同水陸両用演習が突然中止になった。

当初の予定では、沖縄県の無人島・入砂島で陸上自衛隊・米海兵隊共同で離島「奪還」訓練が行われる計画だった。

政府筋は中止の理由を「高度な政治判断」と説明しているが、報道によると尖閣諸島をめぐり、対立が激化している中国への配慮のため、野田佳彦総理が決断したという。

早速、キャンベル米国務次官補が外務省幹部に、「理解しかねる」と強い不快感を示した。
米国外交筋のみならず国防省筋も「中国を牽制するための訓練なのに、本末転倒だ」と疑問を投げかけたという。

中国(支邦)人は、今も昔も、『相手が下手(したて)に出ればますます増長し高飛車な行動をとり要求をエスカレートさせ、相手が強い態度に出ると卑屈になり態度を和らげる』という猿もどきの人種である。

ヤマチャンおやじも、首相官邸に抗議のメールをした。

先の支邦事変においても、支邦側が一方的に引き起こした理不尽な暴挙に対し、日本側が紛争拡大を憂慮するあまり厳しく追及しなかったことで、支邦は日本を腰抜けだと馬鹿にして通州大虐殺を敢行し日本人二百数十人を見るも無残に虐殺した。

この通州大虐殺が契機となり日本の世論が激昂し、日本が支邦との本格的戦争に突入することとなった。日支間紛争の初期の段階で日本が確固たる態度を執っておれば、支邦は恐れをなし更なる暴挙を企図せず、日支間の本格戦争に至ることは無かった可能性が高い。

朝日新聞の誤報に端を発した「教科書書き換え騒動」で、教科書検定基準の中に「国際理解と国際協調の見地から必要な配慮」という「近隣条項」を入れたいわゆる「宮澤談話」、あるいは官憲による強制連行の証拠はなかったにもかかわらず、あったかのような「配慮」を示した「河野談話」。

 いずれも状況は好転するどころか益々悪化し、大きく国益を損なう結果となっている。

一昨年の尖閣諸島付近での中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件でも同様な愚行を繰り返した。明らかな違法行為にもかかわらず、中国の強硬な反発にたじろいだ民主党管政権は、逮捕した中国人船長を処分保留で釈放した。漁船も返還、違法行為を撮影したビデオさえ公表しないという「配慮」を見せた。

 この「配慮」で日中関係は好転するどころか、日本は「脅せば譲る」というメッセージを与えてしまった。尖閣国有化以降の中国の頑なな外交姿勢はこのメッセージが誘因となっている可能性がある。

11月21日には、尖閣諸島において中国監視船は終に日本の領海を侵し4時間以上領海内に侵入した。

これは、日本が確固たる反撃を取らないことを見越した上での侵略行為である。

これに対し日本政府は何をしたのか???
外務省の一局長が中国公使に抗議したのみである。
百歩譲っても、玄葉外務大臣が駐日中国大使を呼びつけ厳重に注意すべき重大事件である。。。。。

領海を侵し侵入する全ての艦船に対しては、銃撃を含む侵入阻止行動を行うのが万国共通の常識である。

民主党野田政権は何故この国防上の常識を実行しないのか???
答えは単純明快・・・・民主党野田政権には日本国を守るという意思が欠落しているからだ。。。。

中国や韓国に頭が上がらず、日本の領海・領土が侵されても正当な抗議も出来ない民主党野田政権は、日本人のための政権ではなく、中国人や韓国人のための政権だということがここでもはっきり証明された。

民主党の隠された党是は日本国解体であることは、鳩山政権と管政権において内閣官房参与を務めた平田オリザ(日本の劇作家、演出家。劇団青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人。現在大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授、首都大学東京客員教授、日本劇作家協会理事)が明言している。

日本では選挙があるので、日本国解体を国民に知られることが無いようにいかに演出するかが(演出家である)僕の仕事だ、と平田オリザがうそぶいていたのをどこかで聞いた記憶がある。

この売国奴野田政権の重大な安全保障上の手抜きを声を大にして非難するマスコミも文化人いない!!!!

元々が売国奴であるマスコミも民主党と同じく日本の領海・領土が侵犯されても痛くも痒くもないのであろう!!!!

野田の言うことは全くの出鱈目が目立つ。

民主党自体が政権目当ての野合集団であるにも拘らず、太陽の党と日本維新の会の統合を野田は野合だと決め付けた。

有権者には、表面的な情報やマスコミ情報にとらわれず、物事の本質を読み取る姿勢が必要です。

選挙に向けた売国奴マスコミの捏造報道がエスカレートしつつあります。
彼らの放つ捏造報道を信じてはいけません。

今の殆どマスコミの編集権は反日勢力が握っています。

反日マスコミが非難・攻撃する政治家や政党は、日本人の味方です。
反日マスコミが褒め称え・擁護する政治家や政党は、日本人の敵です。
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2012年11月21日

往く秋を追う & TPPの危険性

【往く秋を追う=高瀬湖】

11月15日10時頃になって周南市鹿野町の飯ヶ岳に登るつもりで出かけたが、麓に到着した時点で雨が激しく降ってきた。30分程度道の駅で様子を見ていたが一向に晴れる気配が無いので雨中登山を諦め、色々考えた末 島地川ダム(高瀬湖)周辺の紅葉を眺めにいった。

最盛期よりも少し早かったがかなり進みつつある紅葉を見ることができた。
DSCF6833.JPG

【往く秋を追う=小五郎山】

11月18日(日)に岩国市小五郎山(標高1162m)を訪ねた。

5時10分頃自宅を出発し、途中周南市四熊ヶ岳山麓で金名水30リットルを頂いた後、下山予定地である金山谷鉱山登山口(島根県吉賀町六日市金山谷地区)へMTBをデポするために向かった。

深谷川を金山谷地区へ向かって遡る細い道では対向車が来ないことを念じながらヒヤヒヤして進んだが、丁度離合場所で一台の乗用車とすれ違っただけで金山谷鉱山登山口に着き折畳式MTBをデポして幸いにも対向車と出会うことなく引き返し、向峠登山口駐車場(山口県岩国市錦町)に8時15分頃着いた。

駐車場では 丁度マイクロバスから一団が降車し準備体操をしていた。一行が出発した後 8時40分頃、地元野菜売り場のおばさん達に挨拶をしながら駐車場を後にし登山口へ向かった。

8時40分頃登山口で先行した件の一団(29人)に追いついた。挨拶を交わすうちにどうも見覚えのある顔があったので話しを続けていると、複数の知人が所属している中高年専属の登山クラブの面々であった。

久しぶりに再開した知人と会話しながらゆっくり登り11時35分頃頂上に着いた。遅い人とペースを合わせて登ったので汗を殆どかかなかったのは新しい発見であった。

件の一団と並んで昼食を採ったので、色々なおかず、菓子、果物を沢山頂き恐縮すると同時に、集団で登山するメリットを実感した。

この中高年専属の登山クラブにも高齢化の波が進み80歳代のメンバーが増えてきたので、このまま推移すれば会の解散もあり得る・・・と懸念されていた。

知人からしきりに当該登山クラブへの入会を勧められたのは、80歳代の大先輩から見れば、ヤマちゃんおやじは10歳も若いのでお誘いを受けたのかもしれない。。。

部外者が余りしゃしゃり出てはいけないと思い、早めに一団と分かれて金山谷鉱山コースから12時10分頃下山開始した。

しっかりした足取りで登ってきた若い男性と出会い挨拶する。滑り易いルートにも拘らず殆ど滑った形跡が無いところからすると、彼は相当の熟練者ではないかと感じた。

最近降った雨で滑り易くなった急な坂道を慎重に下り鉱山跡を過ぎ、増水気味の甲羅ヶ谷右股最上流部を多少のスリルを感じながら渡った。
DSCF6839.JPG <甲羅ヶ谷右股最上流部>


登山道の曲がり角辺りで登山道を外れ谷側に立木を掴みながら慎重に下ってみた所、甲羅ヶ谷右股の下方には急峻な谷が長い滝となって下っていく様子が落葉した木々の間から垣間見られた。

一瞬谷底まで下りたい誘惑にかられたが、さらに標高差で50m程度下らなくてはならない上に、いったん初心者が不用意にゴルジュ(狭く切り立った岩壁に挟まれた谷)に入り込むとどんな危険が潜んでいるかも判らないので、元の登山道へ引き返した。

ちなみに西中国山地で甲羅ヶ谷は最も登攀性の高い沢登りコースの一つ、といわれていることは以前から承知していた。。。。。

次いで増水気味の甲羅ヶ谷左股最上流部もかなりのスリル感で備え付けのロープの助けで渡り終えた。

さらにロープがある短い岩場を登っていると、3人の中高年の男性が登ってきた。彼らは岩場の上部でロープを掴んだまま待っているので、しかたなく岩角を捜し掴んで三点確保しながら登るはめになった。彼らは自分達だけでロープを独占しているので当方にロープが無いのが判らない様子であり、この態度から判定すれば彼らは2流以下の腕前ではないかと感じた。

左手の谷には、大きな岩の上を水流が幅広く滴り下る岩滝が見えた。本年9月初旬に通過した時には水流は見えなかったが、この水流は2日前の降雨によるものであろう。


空身で展望岩に登ると、対岸の白旗山周辺の稜線がくっきり眺められた。黄葉の時期であればこの辺りは素晴らしい景観を与えてくれるらしいが、残念ながら木々は早冬の風情であった。今度こそ黄葉絶好調の時に是非訪れたいものだ!!!!

DSCF6847(1).JPG <展望岩から見た対岸の黄葉、白旗山方面>

修験の為の精舎があったとされる寺床を過ぎ急坂を一気に標高差300mも下り、13時30分頃MTBをデポした場所に着いた。

金山谷鉱山コースが通過する山の所有者であり、登山コース開設に尽力された山本誉さんとおぼしき年配の男性が丁度歩いて来られたので、本人確認後コース開設のお礼を述べた。

金山谷鉱山コース開設のきっかけは、甲羅ヶ谷の沢登りに魅せられたベテラン登山者から登山コース開設の希望を聞かされたからだと山本誉さんは話された。

大木がある別ルートを新たに開設したい気があるが、何せ老人一人の力ではどうにもならないという話もされていた。。。

山本誉さんご自身は林業に見切りをつけ若い頃から広島市で定年まで働いた後故郷の金山谷に帰ってきたとき、何か故郷のためになる事をやりたい気分になった矢先、登山道開設の話が持ち上がったのでタイミングが良かったと話されていた。

仮に山本誉さんが地元に残り林業に従事していたら、とても登山道開設など不可能であった、と述懐されていた。

鉱山跡についても色々話を聞いた。平安時代から金、銀、銅を含む鉱石が採掘されたといわれている。

甲羅ヶ谷に下ろうとして止めた話をした所、絶対に谷に下りた場所から登山道に戻らなければならない(絶対に谷を登ったり、下ったりしないこと)と注意された。

いったん家に帰りかけた山本誉さんが再び戻って来て、先日九州の佐世保から来た男性が金山谷鉱山コースを登る途中痙攣を起こし歩けなくなり、救出のために消防や警察を呼んだりして大騒ぎになった話をされた。

去りがたい雰囲気ではあったが再度お礼を述べたあとMTBに乗って山口県側道路を通って向峠駐車場へ向かった。

山口県側道路を通るのは3回目であるが、中々趣きを感じる。
途中この秋最高の紅葉・黄葉を見たがカメラにおさめることなく通過したのは、心残りだ。

DSCF6848.JPG


14時15分頃向峠駐車場に着き、無事17時15分頃無事帰着した。
累計登り標高差は776mであった。感謝、感謝、感謝。。。。



【 TPPの危険性 】

衆議院選挙を前にして、政策論争の一つにTPP加入の是非がある。

TPP加入賛成論者は尤もらしい理屈を並べ立てている。


ここで過去を振り返って郵政民営化の推移をみるのも有益であろう。

何故なら、日本には“済んだことは水に流し詮索しない”という好ましくない性癖があるから同じ失敗を繰り返し易いからだ。。。。

郵政民営化論争においても立派な屁理屈が並べ立てられ正当化された。
小泉首相は、郵政民営化の是非を掲げ衆議院を解散後 選挙に大勝し、郵政民営化を断行した。

ヤマちゃんおやじの記憶では、当時の小泉首相は、行政改革の本丸として『郵政民営化により郵政にかかわる公務員が民間社員となるので公務員の大幅削減が実現する』という殺し文句を強調した。

この殺し文句は尤もらしく聞こえたので、ヤマちゃんおやじは単純にも得心して小泉氏に投票した。

後々良く考えてみると、郵政民営化の如何に関係なく、郵政サービスを受ける国民はその対価を支払わねばならない。対価の支払先が郵便局から民営化後の郵政公社に変わっただけである。

郵政民営化は、年次改革要望書(米国政府が米国経済発展のために改善が必要と考える日本国の規制や制度の問題点について日本政府への要望としてをまとめた文書)において、米国政府から永年に亘り実現を強要されてきたが、歴代政権は賢明にもこれを後送りしてきた。

郵政民営化は、小泉首相時代になって米国ブッシュ大統領からの強い要請があって本格的に議論され、自民党内でも激烈な論争を引き起こしたが、小泉首相の政治手腕が功を奏し終に実現した。

米国が郵政民営化を強要した真の狙いは、郵貯が保有する300兆円の個人資産の合法的奪取にあったといわれている。

その証拠に、郵政民営化法案が国会を通過した直後、米国政府高官が『これで郵貯の持つ3兆ドルが我々のものになった』と欣喜雀躍した事が挙げられている。

郵政民営化前の郵政省が郵貯の個人資産を管轄する時代では、郵貯の個人資産は道路公団など日本国内の特殊法人への融資の原資になっていた。

ところが郵政民営化が実現すると、郵貯の有する個人資産3兆ドルの資金運用先として米国債を購入すれば米国の国債の有力な買い手となり、償還が終われば又新しい米国債を買わせれば米国は半永久的に郵貯の有する個人資産3兆ドルを事実上我が物の如く使うことが出来るからだ。

郵政民営化に際し、郵政省管下の郵政組織には資金運用スキルが無いので高度な資金運用能力を有する外部機関の介在が国会で議論された。

日本のマスコミでは隠蔽されたが、郵政民営化後の郵貯資金運用業者として、米国のヘッジファンドであるゴールドマン・サックスが指名を受けたという情報もある。

郵政民営化を進める小泉首相を大々的に補佐した当時の竹中平蔵総務大臣兼郵政民営化担当大臣は、その後ほとぼりが冷めた時点でニューヨークに高級アパート数棟を購入している。この購入代金は郵政民営化強行突破の謝礼だという情報もある。当然小泉氏へも莫大な謝礼があったはずという見方もある。

換言すれば、“小泉氏や竹中氏は、米国政府が渇望した郵政民営化の真実の狙い(郵貯300兆円の事実上の奪取)を隠蔽してあたかも日本の行政改革のために郵政民営化を行うのだという宣伝文句を創作して選挙に臨みそして選挙に勝ち郵政民営化を実現した”、ということになる。


事前には中々真相がわからない!!!
悪知恵が働く者が 簡単に尻尾を出す筈が無いのだ!!!

論理で戦えば賛否両論で双方に理があるので白黒つけ難い。

よってより有権者としてのより良い判断には、理屈以外の情報を判定を動員する必要がある。



【 TTPが日本国民に有害であると判定する理由 】

1.反日マスコミがTTP加入に加担している。
  反日マスコミが異常に反対する事項は、日本国民にとって善である。
  反日マスコミが容認したり、推奨・擁護する事項は、日本国民にとって極めて有害だ。

  内閣府がTTP加入による経済効果(第2回目)を10年間で2.7兆円のGDP増加と試算した。マスコミ(朝日新  聞以外)は10年間と言う文言を敢えて省略し1年間で2.7兆円のGDP増加があるかの印象を国民に与え   TPP加入に加担した。また野田首相もマスコミに近い表現を行い国民に誤った印象を与える作為をした。

  この試算は色々な条件仮定を行ったシミュレーション結果であり、条件が変われば答えも変わる。
年間 2700億円のGDP増加は、日本の年間GDPの0.07%に該当しこの数字は誤差範囲でしかない。

2.郵政民営化で辣腕を振るった竹中平蔵がTTPに大賛成している。
  反日売国奴の大御所たる竹中平蔵が推奨するTTPは、日本国民にとって極めて有害である。

3.過去に日本が外国の甘言によって実施させられた国際化、グローバル化は全て日本に害毒を与えたものば  かりだ。TTPは関税をゼロとするグローバル化だ。

  一例を挙げれば、株式市場の国際化である。
  株式市場の国際化によって、日本有力企業での外国人の持ち株比率が大幅に増加した結果、人材を宝とし  中長期観点から経営を行う日本式経営が阻害され、人材を単なる物としか見ない米国式の短期志向経営が  主流になった。

  さらには、民間企業での株主への利益配分が重要視され過ぎ、派遣社員の増加を助長させ貧富の差を拡大  させた。

  ゴールドマン・サックスなど外国のヘッジファンドが日本の株式市場においてあこぎな不正株式売買(株  価の不正誘導、コンピュータ操作によるスライス売買など)を横行させて暴利を貪るのが常態化し、日本  の株式市場の健全な発展を阻害した。

  日本の証券取引等監視委員会はこれらの不正株売買を見てみない振りをしている!!!


  11月20日夜のNHK番組で東京株式市場での売買の高速化を報道していたが、ゴールドマン・サックスなど  外国のヘッジファンドが日本の株式市場においてあこぎな株式売買(株価の不正誘導、コンピュータ操作  によるスライス売買など)を横行させている現実は一切報道されなかった。こんなボロ報道しかできない  に高価なNHKに視聴料を強制的に徴収する資格はない!!!

  グローバリズムの世界拡充は、イルミナティのワンワールド(少数の国際金融支配者グループのトップ集  団が全世界の人民を隷属的に支配する世界政府)実現のための世界戦略そのものである。

4.関税の撤廃とは国家主権の撤廃を意味する。

  日本は江戸時代末期に先進各国との間で貿易規制緩和という美辞麗句に引っかかり、輸入関税は低いが輸  出関税は高いというような不平等条約を不用意に締結し、以降約50年間余り日本が産業上極めて不利な立  場に立たされたという厳然たる失敗の歴史がある。

  この頃から、規制緩和や自由貿易にかかわる関税自主権の放棄が日本政府に対する殺し文句として使われ  ていたことには注目する必要がある。

  日米修好通商条約は、安政5年6月19日(1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条  約であり、徳川幕府が日本を代表する政府として調印した。

  日本初の総領事として下田に赴任したタウンゼント・ハリスが江戸幕府相手に交渉した日米修好通商条約  の目的は自由貿易であった。ハリスとの交渉に先立ち、幕府はオランダとの間で日蘭追加条約を結び、貿  易規制の緩和を認めていた。ロシアとの間にも同様の追加条約を結んでいた。

  この日米修好通商条約はアメリカ側に領事裁判権を認め、日本に関税自主権がなかったことなどから、一  般に不平等条約といわれる。

  この条約において、アメリカ人をはじめ国内在住の欧米人に対して主権がおよばない外国人居留地制度が  日本国内に設けられ、日本は自国産業を充分に保護することもできず、また関税収入によって国庫を潤す  こともできなかった。

  とくに慶応2年5月(1866年6月)の改税約書以降は、輸入品は低関税で日本に流入するのに対し、日本品  の輸出は開港場に居留する外国商人の手によっておこなわれ、外国商人は日本の法律の外にありながら日  本の貿易を左右することができた。さらに悪いことには、こうした不平等条項を撤廃するためには一国と  の交渉だけではなく、最恵国待遇を承認した他の国々すべての同意を必要とした。

  この条約の不平等的な性格は日本の主権を侵害し、経済的にも国内産業の保護育成の大きな障害となっ   た。明治維新後、新政府は条約改正を外交上の最優先課題として外国との交渉を進めるいっぽう、国内法  の整備、秩序の安定化、軍備の強化等に取り組み、この不平等条約が解消したのは日本が日清戦争におい  て清国に勝利した後のことであり、1899年(明治32年)7月17日に日米通商航海条約が発効したことによ  り失効した。

  いったん外国と結んだ不平等条約の改正に、日本は血のにじむような苦労を重ね、日米修好通商条約調印  後46年後になってようやく実現にこぎつけたのであった。

  このように先人が苦労を重ねてようやく手に入れた関税自主権をTPP=第三の開国=と軽々しく称して碌な  議論もせずに簡単に放棄するのは愚の骨頂でしかない。

  
5.米国との交渉によって日本に都合の悪い条項を取り除くという論理があるが、今までの歴史で日本が米国  相手に有利な交渉を勝ち取った例は皆無である。日本人ほど人の良いノー天気な国民は世界中に存在しな  い。

  倫理観が欠ける米国人、西欧人や倫理観が無い中国人、朝鮮人など人種と、人の良いノー天気な日本人は  根本的に人種が異なるのだ。

日本と言う国の存続を願うならば、
TPPに賛成する政党、TPPに賛成する衆議院議員候補には絶対投票してはならない。
posted by ヤマおやじ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月15日

米国大統領選挙は茶番劇 & 山本五十六、開戦当時の外務省は売国奴説 

【タマネギの植付け】
11月12日(月)午前中に先日耕し石灰と肥料撒いた畑にタマネギ100本を植えた。タマネギの植付けはカミさんに任せた。

自分は別の畑で秋ジャガイモを掘り出し、土を耕し石灰を撒いたあと牛糞、鶏糞、化学肥料を撒いて整地した。一週間後にホウレンソウを植える予定。

今年初めて植えてみた秋ジャガイモの出来は、夏ジャガイモに比して寸法は概ね小ぶりであった。

狭いながらも家庭菜園を始めて早1年3ヶ月が過ぎた。
開始当初は、畑が雑草に覆われるのを防げればよい といったスタンスであった。
しかし、収穫を重ねるうちに欲が湧いて来た。

もっと収量を増やしたい、もっと大きく育てたい、もっと美味にしたい・・・・人間の欲は次々と膨らんでくる。

昨年収穫したスイカは初めての作付けとしては量・味共にマアマアであった。
今年は更なる増収を狙って素人なりに工夫を凝らしたつもりだったが、結果は散々で味は昨年を下回り、カラスにスイカを突かれたこともあり収量も少なかった。

スイカ作り、ジャガイモ作りも簡単に成果が得られるものではない。
素人が簡単に美味しいスイカを沢山栽培できるほど、スイカ作りはヤワなものではない。。。。

まして家庭菜園よりも桁外れに複雑な国の安全保障ともなれば、平和平和、戦争反対、基地反対、武器・戦力放棄などと叫ぶだけの市民団体(=反日団体=)によるお題目称えだけで日本の安全は到底実現できないのは自明であろう。

支邦は日本固有の領土である尖閣列島ばかりか琉球諸島までをも日本から奪う意思を益々強めている。

しかし、“戦後の日本が戦力を持たないので外国から侵略されることは無い”という馬鹿説を真面目に唱えている市民政党(=反日政党=)が日本に存在し、その市民政党(=反日政党=)を支持する国民が数百万人も存在するのも現実である。

憲法9条を守る会というとんでもない会に入会するおめでたい人/売国奴もいるノも現実。。。。



【米国大統領選挙に想う=米国大統領選挙は茶番劇=】

米国大統領選挙の3ヶ月前ごろから日本のマスコミは連日米国大統領選挙関連の報道を執拗に行った感がある。

まる一年かけて実施される米国大統領選挙が如何に民主的に行われるか?
如何に国民の声が米国大統領選挙の反映されるか?
など民主主義政治のショーウインドウとして米国大統領選挙を強く日本国民、いや世界中人々に印象付ける狙いがあったのではないだろうか????

“米国流の民主主義と資本主義こそが世界中に実現されるべき最終像である”としたグローバル主義である。

世界最強の軍事力を有し、圧倒的に世界最大のGDPを誇る超大国米国の大統領ともなれば世界最高の権力を保有するものと一般的には思われている。

“世界最高の権力者である米国大統領は、米国民によって選挙で選ばれる”というのが、世界の常識であろう・・・・・この一般常識なるものが曲者である!!!!

この世界の常識である米国大統領選挙は大トリックであり大茶番劇だと ヤマちゃんおやじは想う。

ヤマちゃんおやじはしばしば、『米国大統領は単なる番頭であり、隠れた真の最高権力者の単なる操り人形=番頭=でしかない』と記載してきた。

何故そのように記載してきたのか?????

馬野周二著『日本に亡国の音が聞こえる』(昭和62年5月28日第1刷発行)という本がある。

馬野周二氏(うまの しゅうじ、1921年- )は、日本の技術者、著作家。工学博士、技術士。専門分野(化学)の論文、報告書の他、国際政治や国際経済についての著書を多数執筆した。父親は内務省官僚であり、朝鮮総督府の高官であった。山口県に生まれる。1931年、小学校4年生の時に父親の退官に伴い、朝鮮半島より内地(愛媛県松山)に戻る。1946年、慶應義塾大学工学部応用化学科卒業。慶應義塾大学工学部大学院在学兼東京大学第一工学部付属試験所嘱託。1949年、通商産業省に技官として入省。1961年、通商産業省(課長)を退任後、ニューヨーク工科大学教授に就任。米内務省のプロジェクトを指導。

特にエネルギー問題に造詣が深く、『石油危機の幻影』、『石油危機の解決』はその雄大な視点で注目された。その後『アメリカ帝国の大謀略』、『大恐慌』、『栄枯盛衰の科学』などで壮大な“馬野歴史工学”を展開。國際問題や日本の運命に警鐘的な発言を行っている。

ルーズベルト米国大統領の女婿カーティス・ドールが著した『操られた私の義父・ルーズベルト』(歴史再評価委員会刊)という本がある。馬野周二氏はふとしたきっかけでこの本を入手し、今まで秘密にされてきた重要情報を入手した(その後に馬野周二氏監訳の下で日本語版が出版された)。

馬野周二著『日本に亡国の音が聞こえる』から、米国大統領選が紙芝居であるという記述を引用しよう。

(〜引用始め〜)
バーナード・バルークという名を読者はご存知ないかもしれない。しかしこの人物は第一・二次大戦を通じて、米国の金融経済と国際政治を動かした一握りの「怪人」たちの首魁である。

政治家として脚光を浴びようと熱望していたプリンストン大学長ウッドロー・ウイルソンを引き上げて大統領に当選させ、彼をして第一次世界大戦に参戦させ、自らは戦時生産局長官として辣腕を振るい、その間に二百万ドルの資産を二億ドルに増やした男である。

いったい米国大統領ともあろう者を、いかに富豪とは言え一介の株屋が作り出すことなど出来るはずがない、こう読者は思われるに違いない。日本人ならば誰しもそう思うはずである。しかし、米国ではそれは可能であるだけでなく、多くの大統領はそのように選ばれてきた。

東部エスタブリッシュメントの富豪たちは、米国社会のほとんどのポイントを抑えている。彼らの承認と援助を得ないでは、資金もマスコミもついて来ない。

逆に彼らの十分なバックアップを得れば、大統領当選は容易になる。米国大統領選が紙芝居であると見ても大した誤りではない。観客は子供すなわち衆愚である。

ドールの語るところによれば、内々の会合では、バルークは大統領ウイルソンをプードル犬のように引き回していたという。当然だろう。バルークはウイルソンの真の主人なのだから。

英国の世界最大客船ルシタニア号に爆弾を積み込んでドイツ潜水艦に撃沈させ、アメリカ大衆の対独感情に火をつけ、ウイルソンに対独宣戦させたのは、やはりバルークの力が大きかったものと思われる。

バルークとその一味はフランクリン・ルーズベルト大統領を製造した。ニューディール政策から第二次世界大戦、そして國際連合、IMF、世界銀行までのシナリオを書き、演出した秘密グループの首魁こそバルークである。

書店に並んでいるニ十世紀の書物は、真実から離れた、実にわらうべきものだ。
すべてはこの世紀の工業超大国アメリカの政治中枢に巣食った、この数名の者達によって
操られてきた。秘密団の名簿は変わっているが、からくりは今日でも何ら変わっていないのだ。
〜引用終わり〜

先日紹介したロバ−ト・B・スティネット著『真珠湾の真実』では、真珠湾攻撃を行うように日本に仕向けた張本人はフランクリン・ルーズべルト米国大統領だと結論されている。

しかし、フランクリン・ルーズべルト大統領の女婿カーティス・ドールが著した『操られた私の義父・ルーズベルト』では、フランクリン・ルーズべルトルーズべルトを陰で操ったのが秘密団の首魁バルークら一握りの怪人たちであったと述懐された。

馬野周二氏は、バルークを首魁に戴く秘密団の名前をイルミナティと呼び、結局二十世紀の革命と戦争の究極の仕掛け人はイルミナティであり、その動きは、結局3000万人の犠牲を要求した。広島、長崎の原爆は、彼らが作り出し使用させたものであり、べトナム戦争もまた然りである・・・・と結論付けている。

大統領選挙で当選した大統領が裏で秘密団から操られる図式は、もはや民主主義ではない。
よって一年もの長きにわたり争われる米国大統領選挙戦は、あたかも民主主義をやっていますよ〜と見せかけるショーであり、茶番劇とよばれても反論できないであろう。

日本からみれば、ドナルド・レーガンは一介の俳優から大統領になったように見えるので、“さすが民主主義の本家米国”だという印象を与えるかもしれない。しかし、ニクソン大統領の言によれば、ドナルド・レーガンは若い時分から某有力政治団体に入会しニクソン氏とともに集団生活を営み、将来の大統領候補として将来を嘱望されていた・・・・この情報を知る一般人は極めて稀であろう。

またバラク・オバマ現米国大統領は黒人ではないか?
“黒人が大統領になれるのは米国が真の民主主義国家である証拠”だという意見があるかもしれない。

しかしながらバラク・オバマ大統領の母親は、ディック・チェイニーやジョンソン元大統領、トルーマン元大統領という名門の遠戚を持つれっきとした白人女性である。

番頭である米国大統領が真の主人様=イルミナティ=に楯突くとどうなるのか???
待っているのは突然死(暗殺)か、政治的な死(失脚)である.

米国第35代米国大統領ジヨン・F・ケネディは南部都市ダラスにおいて白昼堂々と銃で狙撃され暗殺された。
ジヨン・F・ケネディ大統領を狙撃したとされるリー・オスワルドは惨劇の2日後にはマフィアとジャック・ルービン(元警察関係者)に射殺された。暗殺真相究明委員会(ウォーレン委員会)は、射撃はすべて「後方から」リー・オズワルド一人によって行われたと結論したが、大統領は前から撃たれたという明らかな証拠があり真相は不明である。

米マフィアとの仲違い説など諸説紛々であるが、ヤマちゃんおやじは、ケネディ大統領が隠れた真の最高権力者=イルミナティ=の逆鱗に触れる行動をとったため殺されたものと感じた。

最近になり、当時ケネディ大統領が財務省に対しドル紙幣発行を命じたことが判明した。ドル紙幣の発行は連邦準備銀行(FRB)の専権事項であった。

日本のマスコミは、連邦準備銀行を米国の中央銀行にあたると紹介し、あたかも日本の日銀であるかのような印象を与えている。しかし連邦準備銀行(FRB)の正体は、実際には国際金融エスタブリッシュメント(ロスチャイルド系銀行オーナー団=イルミナティ=)が株式の大半を保有する私企業であることは余り知られていない。

米国ドルは基軸通貨であり、基軸通貨米ドル紙幣発行権は無尽蔵ともいえる金の生る木であることはいうまでもない。

連邦準備銀行(FRB)は口座に100億ドルと記帳するだけで、100億ドルの価値が得られ、印刷代を造幣局に支払うだけで1ドル札以上の米ドル紙幣発行を独占的に行うことができるのである。

ケネディ大統領は、国際金融エスタブリッシュメント(ロスチャイルド系銀行オーナー団=イルミナティ=)が独占する連邦準備銀行(FRB)特権である紙幣発行権を奪い財務省に代行させようとしたのだ。

米ドル紙幣発行権という金のなる木を取り上げられると一番困窮するのは誰か?・・・・・連邦準備銀行(FRB) 特権を支配する国際金融エスタブリッシュメント(ロスチャイルド系銀行オーナー団=イルミナティ=)しかいないのは明白だ。

米国の最高権力を支配できるだけでなく全世界をも動かす力を有する影の支配者である国際金融エスタブリッシュメント(ロスチャイルド系銀行オーナー団=イルミナティ=)からすれば、大統領狙撃暗殺の実行と事件の隠蔽などは朝飯前でしかないだろう。

リチャード・ニクソン大統領はウオータ・ゲート事件で失脚させられ任期中に辞任した最初の大統領になった。ウオータ・ゲート事件では電話盗聴を指示した罪を問われた。

電話盗聴の現場ではあたかも犯行を露見させるような稚拙なミスが散見された。実際に電話盗聴を指示したのはニクソン大統領の外交の右腕として大活躍したヘンリー・キッシンジャーであったとする情報もある。

ヘンリー・キッシンジャーは、イルミナティの主要メンバーであることからして、ニクソン大統領がイルミナティの意向に沿わない行動を取ったので政治生命を絶たれたという説がある。この説は一般には余り知られていないことからすれば、イルミナティによる懲罰という可能性が高い。ニクソンが大統領を辞任されただけで暗殺されなかったのは、イルミナティに対する反乱がケネディ大統領ほど大きくなかったためだとも言われている。

いずれにせよ米国政府高官は、イルミナティが牛耳る国際関係評議会『CFR』の信認を受けなければ政府要職に就任できないという不文律があり、早い話が民主党/共和党のいずれの候補が大統領になってもイルミナティにとっては大勢に影響は無い。

馬野周二氏によれば、
(〜引用はじめ〜)
この機関CFRは奥に入れば入るほど秘密となり、中核部分は全くわからない。そしてこの中核部分で、イルミナティの国際政略が議決され、米英はもちろん世界のエージェントたちに指令が出される。エージェントといっても、決して小者ではない。各国政府、経済界、マスコミの最高位者のグループである。<中略>

CFRの下部機構は世界各地にいろいろあるが、日本が入っている重要なものは、日本では三極委員会といわれている、トリラテラル・コミッションだろう。日本の委員はこれがイルミナティ機関であるなどとは露ほども知らず、米、欧の有名人と一列になったと大喜びなのだろうが、日本の破壊にまんまと使われているのではないか。

イルミナティは、このように、フランス革命以来、大恐慌から第二次世界大戦まで世界史を動かしてきたことを、読者は肝に銘じる必要がある。
(〜引用おわり〜)

米国大統領選挙は見かけ上立派な民主主義を印象付けるが、事実上イルミナティが牛耳る政府は民主主義どころではなく、一般民衆を奴隷として一握りの上位者が支配する専制政治そのものであろう。

イルミナティをインターネットで検索しても、陰謀論に搭乗する架空の組織であり既に消滅したとする内容が殆どである。世界中の情報・通信をも支配するイルミナティが、インターネット如きに自らの本性を露にすることなど到底ありえない!!!!


【山本五十六、開戦当時の外務省は売国奴説】

日本帝国海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六海軍大将が、売国奴的な行動をしたことは10月31日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/299797938.html
に記載した。

戦後行われた東京裁判は、平和に対する罪という国際法上では存在しない罪状を戦勝国が捏造して無理やり行った違法裁判である。この東京裁判は当初戦争を起こす気が無かった日独をイルミナティが画策して無理やり戦争に引きずり込んで起した第二次世界大戦の実態を隠蔽するために、戦勝国があたかも日本が侵略戦争を始めたが如く印象付けるために世間を欺くために開いた裁判である。

この違法な東京裁判を屁理屈を並べて正当化して、日本を貶めた張本人が東大法学部教授横田喜一郎であったことは以前に記載した。彼もイルミナティの指令を受けた小物のエージェントであった可能性もある。

この唾棄すべき東京裁判において、陸軍からは6人が死刑の宣告を受けたが、海軍軍人への死刑はゼロだった。第二次世界大戦の主戦場となった太平洋での戦争の主役は陸軍ではなく圧倒的に海軍であったにも拘らず、海軍からは東京裁判で死刑を宣告された軍人がいないのは尋常ではない。

日本の海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きをする。それは敵である米軍に手ごころを加え、まるで日本が負けることを目的としたかの如き戦いぶりであった。

緒戦において日本軍の兵の士気、優秀さ、空母、戦艦、航空機など兵器や物量の点においても日本の戦力は充分にアメリカを凌駕できるものであった。

にもかかわらずこのような負け方をせざるを得なかったのは、戦略や作戦に携った司令官や参謀たちの多くが無能であったという以上に、敵と密通し日本が敗北することを望んだ奸たちがいたからに他ならない。日本は戦う前にすでに敗れていたのである と考えざるを得ない。


【山本五十六連合艦隊司令長官による反日売国行為】

1.山本五十六は海軍軍令部の強い反対を押しきって真珠湾攻撃を強行したが、日本機動部隊航空機360機は、石油500万バレルを貯蔵した石油タンク、海軍工廠の乾ドック、機械工場、修理施設という戦略的施設を全く攻撃せず、浅瀬に並んだ老朽化戦艦などの艦艇と航空基地に並んだ航空機を攻撃しただけで、敵主力空母4隻は攻撃どころか発見も出来ず、山口多聞少将が進言した二波、三波の攻撃も南雲忠一中将が採用せず早々に退避したことである。最高責任者であった山本五十六も、”泥棒でも逃げる時は怖い"と発言し部下が進言する二波、三波の攻撃を却下した。

主な指揮官は、南雲忠一中将(第一航空艦隊司令長官)、草鹿龍之前少将(第一航空艦隊参謀長)、源田実中佐(第一航空艦隊参謀)

2.山本五十六長官発案の珊瑚海海戦でも米海軍に手ごころを加えた。
井上中将は米空母「ヨークタウン」に止めを刺さず北上し撃沈しなかった。日本海軍はこの戦いで海からのポートモレスビー攻略を断念した。井上成美中将と第四艦隊が、残った空母「瑞鶴」一隻の航空兵力だけでは、上陸作戦を援護するには不十分と判断したからである。また井上が機動戦について一撃離脱をすべきと考えていたことも影響している。しかしこの判断は、戦略的大失敗であったとされる。
ちなみに、真珠湾攻撃でも一撃離脱に終始している。

主な指揮官は、井上成美中将(第四艦隊司令長官)、原忠一少将(第四艦隊空母指揮官)

3.山本五十六が海軍軍令部の強い反対を押しり強行したミッドウェー海戦では、圧倒的に優勢な戦力を保有しながら戦力を小出しにし、稚拙な作戦目標立案(ミッドウェー島攻略と同時に敵機動部隊殲滅という二兎を追う稚拙な作戦)により連合艦隊を大敗北に導いた。

ミッドウェーで山本長官がなぜ空母部隊のみを突入させ、自らは戦艦とともに500KM後の安全圏にいたのかは一種の謎であった。空母を中心とする機動部隊本務はそもそも制空権の獲得であり、敵機動部隊の撃破もその一環であるが、逆に攻撃を受けた時には艦隊防御能力は極めて低い。日本海軍の誇る戦艦「大和」「武蔵」「長門」など高い防御能力を持った戦艦群ははるか後方にあって、連合艦隊司令部の護衛などという戦略的に無意味な任務に就いていた。

主な指揮官は、南雲忠一中将(機動部隊司令長官)、草鹿龍之肋少将(機動部隊参謀長)

4.ソロモン海戦でガダルカナル大敗北の原因を作った。
主な指揮官は、三川軍一中将(第八艦隊司令長官)、南雲忠一中将(機動部隊司令長官)、草鹿龍之助少将(機動部隊参謀長)、原忠一少将(軽空母「龍驤」指揮官)

山本五十六連合艦隊司令長官は、重大失敗を重ねた指揮官である南雲忠一中将(機動部隊司令長官)、草鹿龍之助少将(機動部隊参謀長)、原忠一少将(軽空母「龍驤」指揮官)などを罷免することなく懲りずに乾坤一擲の大作戦に重用している。

これらの度重なる失敗により、日本海軍は空母、航空機、熟練操縦士の殆どを失った。
これほど日本海軍を故意に弱体化・壊滅に導いた山本五十六連合艦隊司令長官は、どう見ても日本を米国に売り渡した売国奴としか見えない。

戦後阿川弘之が山本五十六を名将と褒め称える小説を書いたが、彼は売国奴山本五十六のイルミナティの手先であった実像を隠蔽する使命を帯びたものと推測される。阿川弘之も反日売国奴の一人に該当する。


真珠湾攻撃に関してはさらに不可解な事件が発生している。

日本の機動部隊による真珠湾攻撃開始前のワシントン時間12月7日午後1時に、米国へ宣戦布告の最後通牒文書を手渡すように野村駐米日本大使ら日本大使館員は本国の東郷外務大臣から訓令を受けていた。ところが野村、来栖大使が実際にそれをハル国務長官に手交したのは午後2時であり、その時真珠湾はすでに猛火と黒煙に包まれていた。この最後通牒の手交の遅れが”日本は卑怯な奇襲を行った”として全米を怒りの火の玉た化し開戦派は3%から90%へ急上昇しただけでなく、JAP憎しの合言葉として長い間日本の名を辱めることとなった。

この最後通牒の手交がなぜ遅れたかについてはもっともらしい説明がつけられている。

日本から送られる13通の最後通牒電報を受信・解読中の12月6日午後8時半頃になって南米に転勤する寺崎大使館員の送別会が行われ大使館員達はしこたま痛飲し、翌朝7時30分頃になって残りの1通の電文を解読しタイピング作業を始めた。午前11時過ぎに最後通牒の手交時開が午後1時であることがわかり、大使館は騒然となった。だが日本の外務省から秘密保持のためタイピストを使わぬよう指示されていた日本大使館では、慣れない奥村一等書記官がタイプを打ち続け、終了したのが真珠湾攻撃開始後の1時25分、ハル長官に野村、来栖大使が手交したのは1時55分であった。

この外務省、日本大使館の動きは全く理解に苦しむ奇怪なものである。

外務省は何故前日13通翌日たった3行の短い1通を2日に分けて送信したのか?・・・14通を前日に一括して送信すれば最後通牒手交の遅れは生じなかった。外務省はこのような非常時に何故寺崎一等書記官の移動を発令したのか?

外務大臣からの重要な訓令を受けたにも拘らず日本大使館の緩慢な仕事振りはサボタージュにも等しい。

戦後ポルトガル駐在公使だった森島守人が、帰国するなり吉田茂外相にこの最後通牒手交遅延の責任を明らかにするよう進言したが、吉田は結局この件をうやむやに葬り去ってしまった。吉田茂こそ日本を敗北に導いた元凶のひとりフリーメーソンであった。当時の日本大使館員たちは戦後いずれも「功労者」として外務次官や駐米、国連大使となり栄進した。

以上の日本海軍の手抜き戦争と外務省による最後通牒手交遅延は、米国側から見れば大殊勲であった。戦後日本で何ら非難されることがなかったことは、山本五十六ら日本海軍最高幹部と外務省/日本大使館はルーズベルト大統領等に一致協力して米国の参戦を正当化するのに大いに貢献したので、戦勝国からは何らのお咎めを受けず、外務省関係者にいたっては大出世というご褒美を貰ったことになる。

山本五十六ら日本海軍最高幹部と外務省/日本大使館やこれらを隠匿した吉田茂は、イルミナティの手先=反日売国奴=であった可能性が高い。

戦時中の日本ならイザ知らず、現在の日本にはイルミナティの手先はいないだろう・・・と思う人がいるかもしれない。

ところがいるのである。一例を挙げれば、三木、中曽根、宮沢、小泉、管、前原、野田・・・・・ウヨウヨいる。TPPに賛成を示す輩もそうだ。。。。



【TPP交渉参加の怪】

TPPなるものは、日本にとって百害あって一利なしといわれて久しい。ISD条項やラチェット条項は日本の国家主権を放棄して米国に譲り渡すものであり極めて危険である。

なのに、管も野田もTPP交渉参加を重要課題に掲げている。
この行為は、日本を食い物にするイルミナティの手先そのものである。

ちなみに保守本流だとしてファンであった桜井よし子氏はTPP交渉参加賛成とのこと。
いままで桜井よし子氏は日本人の味方と思っていたが、TPP賛成を主張することからすれば反日となる。

口では美辞麗句をいくら並べても、TPP賛成であれば反日という烙印を押さざるを得ない。。。


【解散 総選挙:あなたならどうする???】

年内解散が決まったとのこと。次の選挙では、マスコミや各党の詭弁に誤魔化されずに本当に日本人のための政治を行う政党・政治家に投票したい。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成24(2012)年11月13日(火曜日)        通巻第3811号 読者の声に政党・主要政策関連図なる図があった。

◆政党・主要政策関連図(仮)◆
       自 民 公 石 維 生 社
消費税増税  △ ○ ○ ○ △ X X
TPP推進  △ ○ △ X ○ X X
脱原発    X △ X X ○ ○ ○
憲法改正   ○ △ △ ○ ○ ○ X

自主防衛推進 ○ X X ○ ○ ○ X
地方分権   ○ △ △ ○ ○ ○ △

成長重視   ○ X △ ? ○ ○ X
公共事業   ○ △ △ ○ △ ○ X
行政改革   △ X △ ○ ○ ○ X
規制緩和   △ X X ○ ○ ○ X
年金積立制  △ X X ? ○ △ X
日銀法改正  ○ X △ ? ○ ○ ?

道州制    ○ △ △ ○ ○ △ X
首相公選制  X  X  X ○ ○ X X

中々自分の主張する政策に全て合致する政党はないようだが、ある程度重点思考で決めなくてはならないようだ。。。。。

TPP反対と憲法改正賛成に焦点を絞れば、自民、石原、生活 ということになる。

自民党はイルミナティの影響力を受け易いと仮定すれば、石原、生活ということになるが・・・・


さて、あなたならどうする〜♪♪♪
posted by ヤマおやじ at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月09日

島根県益田市匹見町 大神ヶ岳 & 赤谷山

【タマネギ植え準備】

タマネギを植える前準備として、11月6日午前中に畑を耕し肥料を撒いた。
縦3m横4mの広さしかないが、鍬を使って自分の力で耕すので40分程度の時間が掛かった。

その後石灰を撒き、畝を掘り、牛糞、鶏糞、配合肥料を撒いた。

昨年11月末に植え今年春に収穫したタマネギのサイズは概ね小型であったので、今年はサイズアップを狙って新たに配合肥料を使うことにした・・・・・果たして結果は如何に?????

何もせずボケーとしていると体が鈍りボケも進むが、程度の広さの畑仕事は格好のボケ対策となると信じ込んでいるので一向に苦にならない。。。。。



【大神ヶ岳 & 赤谷山】

広島・島根県境の益田市匹見町の辺鄙な場所にある大神ヶ岳(標高1177m)、赤谷山(標高1181m)は中国百名山という本に紹介されており7〜8年前から知っていたが、何となく今まで登る気がしなかった。

登山口に車を乗り入れるルートは2つあり国道488号または県道六日市匹見線を経由するが、いずれのルートも対向車との離合が困難なほど道幅が極めて狭いので、対向車に出会うとガードレールの無い屈曲した狭い道を最悪で30〜40mも後退しなければならなかったことから 今まで敬遠してきた所が大きい。

先週旧羅漢山に登った際、南西方向に安蔵寺山の手前に特異な形状(懸崖)を見せる山が印象に残った。帰って色々調べてみるとその山が大神ヶ岳だということがわかった。

また道幅の広い林道大向長者原線(広島県廿日市吉和、以前のヤマちゃん日記では”大町谷林道”と勝手に呼称していた林道)を通れば、極端に道幅が狭い国道(酷道)488号を殆ど通らず登山口に行けることは4年前頃から判っていた。

林道大向長者原線を経て大神ヶ岳登山口に至る三坂三郎林道は9年前MTBで5年前に軽自動車で各一回通過した事があるが、道路状況は殆ど記憶に無く普通乗用車で通過する自信は湧いてこなかった。

しかし大神ヶ岳への登山意欲はむしろ高まるばかりで色々思案した結果、林道大向長者原線終点まで乗用車で進み、それ以降の三坂三郎林道は車載可能な折畳式MTBに乗り換えて登山口に至ることを思いついた。

朝8時に林道大向長者原線終点に駐車し、折畳式MTBに乗り換え9時30分頃に登山口に着けば、大神ヶ岳〜赤谷山を縦走ピストンして13時30分頃登山口に戻り、15時頃駐車位置に帰ることができることが分かった。

週末は天候が崩れるということなので、11月8日(木)は公園ボランティア活動日であったが山行を優先させて朝5時に出発した。

周南市四熊ヶ岳山麓に立ち寄り銀名水20リットルを頂き、8時頃林道大向長者原線終点付近の空地(標高850m)に駐車し、折畳式MTBを車から降ろし組み立てた後8時5分頃ペダルを踏んで出発した。

DSCF6811.JPG <折畳式6段変速MTB at大神ヶ岳登山口>

国道488号を250mばかり下った後右折して橋(標高800m)を渡り三坂三郎林道に入った。以前の記憶ではかなり狭いボロ道のイメージがあったが、なんと道幅は1.5〜2車線もあり舗装もされていた。

林道は突然終わる可能性もあるので、そのまま折畳式MTBに乗るか、傾斜がキツイ時は歩いてMTBを押して進んだ。林道の傾斜は緩やかであったので予想に反し概ね5割はMTBに乗って進むことが出来た。

およそ4Km進んで橋(標高910m)を渡ると道路の勾配は次第に大きくなりMTBを手で押して進んだ。三坂三郎トンネル入口(標高1020m)までは急勾配の登りが続くがトンネルを出ると一気に標高差70mを下り9時20分頃登山口(標高950m ;5,6台駐車可能)に着いた。

長い林道で密かに期待していた黄葉はほとんど見られなかった。少なくとも登山口までの三坂三郎林道は全て舗装されており、道幅も小型普通乗用車であれば対向車と概ね問題なく離合できることを実地に確認できた。

施錠したMTBを草叢に倒して隠し、直ちに山葵天狗社の鳥居を潜り登山道へ踏み込んだ。

平岩と呼ばれた大岩の横を通過して9時47分頃山葵天狗社の祠にお参りし安全を祈り、くぐり岩を潜り、三坂大明神の祠が鎮座する懸崖(大岩)の正面下部に9時53分頃着き左に回り10時3分頃大神ヶ岳山頂に着いた。



懸崖の天辺に岩と枯木と杉が共存する狭い山頂は一人立つのがヤットだ。

南西から南にかけて吉和冠山、広高山、後冠山、寂地山、右谷山、小五郎山などが、
南西には安蔵寺山、白旗山などと共に次に縦走予定の1170mピークや赤谷山も見渡せた。

DSCF6776.JPG <大神ヶ岳から1170mピーク、赤谷山を望む >

狭い山頂ではあるが岩や杉は細長く東に伸びており、東端に移動してみると北東には広見山、旧羅漢山、十方山などが良く見えた。。。。


意外だったのは右谷山と峰続きと思われた小五郎山があたかも陸の孤島のように独立峰に見えた所であった。帰宅して地図を見たところ、右谷山から小五郎山へ続く稜線の最低鞍部は実に標高830m程度と小五郎山山頂から330mも標高が低いことがわかり納得できた。

非常食のチョコレート5,6片を口に入れて空腹を紛らわしながら10時15分頃山頂を後にし1170mピークへ向かった。踏跡を何気なく辿ったつもりたが、どうも進む方向がおかしいと気がついたがいずれ正しい方向へ向かうものと信じてさらに進んだ。

さらに進むも道は一向に1170mピークへ向う気配は無く、むしろ1170mピークから離れて懸崖の周囲を右巻きに回っていることが漸く判った。そのまま進めば三坂大明神の祠が鎮座する懸崖(大岩)の正面下部に再び至ることが確実に予測されたので、そのまま懸崖の左側を進みようやく1170mピークへ向う縦走路に入った。

ここで10分程度ロスした原因は、大神ヶ岳から下山する際に分岐があったのにもかかわらず、自分勝手に半ば自動的・盲目的に分岐を右折したからだった。

分岐点では行先を確認してから分岐するのが山歩きの基本であるが、今回この基本を忘れ何も考えず無造作に右に分岐しコースを誤ったのは全くのケアレスミスだった。

10時53分頃360度の眺めが得られる1170mピークに着き、しばし四囲の景色に見入った。

DSCF6784(1).JPG < 吉和冠山、広高山、後冠山、寂地山、右谷山を望む > 


10時58分頃赤谷山へ向かうトラバース道に進んだ。木の陰から小型犬を抱いて歩く年配男性が姿を現したので挨拶した。小型犬は登りでは自力走行したが、下山では抱っこさんになったとのこと。

さらに進むと巨大な岩塊(最大高さ≒70m程度か?)の立岩が姿を現した。

DSCF6808.JPG < 立岩 >

ロープが渡された急な細い道を登り切り立岩の頂を左に見送り、ロープが渡された急な坂道を下り登り返し11時20分頃赤谷山山頂に着いた。

山頂からの眺望はないので、昼食を取るべく立岩へ向かい狭い立岩の天辺に登った。四囲の眺めだけでなく、眼下に広がる錦秋のパッチワークも見頃であった。

DSCF6803.JPG < 立岩眼下に広がる錦秋のパッチワーク >

余りにも狭すぎる立岩の天辺では、落ち着いて食事を取る余裕も無いので、多少広い笹原がある1170mピークへ向かいそこで昼食を採ることにした。

11時45分頃1170mピークへ着きローソンで買った弁当を食べた。廉価だが美味!!!!

眼前の高井山や広高谷に思いを馳せながら、改めて360度の大パノラマに見入った。

DSCF6794.JPG < 広見山、旧羅漢山、十方山方面を望む >

一瞬ここで昼寝をしていたい気分に駆られたが思い直し、12時頃1170mピークを後にし、山葵天狗社の祠で150円の賽銭を見て釣られて150円の賽銭を捧げて下山し13時頃登山口に着いた。

13時20分頃三坂三郎トンネルに入った後はMTBに乗って一気に林道を下り13時45分頃三坂三郎林道入口に着いた。MTBに乗らず徒歩で林道を下れば恐らく90分程度は掛かったはずなので、MTBによって1時間近くの短縮が出来たと感じる。

2年前の同時期で中津谷川の黄葉が素晴らしかったのを思い出し、中津谷川を出会橋まで約4.5km MTBで下ったが河原の黄葉は殆ど落葉していた中で出会橋付近のモミジは頑張っていた。

DSCF6812.JPG < 出会橋付近のモミジ >

14時ごろ再び出会橋から中津谷川沿いにMTBのペダルを踏んで国道488号を登り、14時45分頃駐車位置に帰り着いた。

DSCF6816(1).JPG < 林道大向長者原線終点付近の黄葉 >

シャツを着替え、MTBを折り畳み車に積んで15時5分頃林道大向長者原線を引き返し帰路についた。この林道から見た目が女鹿平山の黄葉は丁度見頃であった。

DSCF6817.JPG < 女鹿平山を望む >

吉和PAで見かけた紅葉は今秋で最も紅く感じられた。

DSCF6827.JPG < 吉和PAで見かけた紅葉 >

17時頃周南市鹿野町大潮の喫茶店『さくや』に立ち寄り、前回品切れとなった念願の“松茸入りキノコうどん”にようやくありつけた。

店の主人自らが裏山で採った松茸、ナメコの他にシメジ、舞茸がふんだんに盛られたうどんは今年最高の味に思えた。大潮産新米で作ったおムスビの味も良かった。。。。

DSCF6828.JPG < 松茸入りキノコうどん>

山歩きや渓流釣に詳しい店の主人とも30分くらい話らい楽しい時間をもてたことでうどんの味も一段と美味しく感ぜられたのかもしれない。。。。

19時過ぎに無事帰着した。予定どうりに行かないこともあったが、予定に無い良いこともあった大神ヶ岳&赤谷山登山の諸々に感謝、感謝、感謝。。。。。
posted by ヤマおやじ at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月05日

【公園ボランティア活動】 & 【堆肥大安売り】 & 【広見の三本栃】

【公園ボランティア活動】
11月2日の午前中は公園ボランティア活動で公園内雑木林の間伐を行った。

直径30cmもの広葉樹を刃渡り25cmの鋸(手動)で伐採しようとしたが、鋸の歯が幹に食い込み鋸を引き出すのに大苦戦した。およそ15分間の悪戦苦闘の末どうにか切り倒すことができたので一安心した・・・・エンジン駆動のチェーンソーであれば3分で片がつくのだが、チェーンソーを持たないのでやむをえない!!!!

公園内に住み着いた野良猫5匹が日向ぼっこをしていた。少なくとも一年前から野良猫たちは住みついている。さらに最近では子猫が二匹増えたようだが。。。。

野良猫に餌をやらないように随所に立札が設置されているのだが、野良猫たちが餓死せず丸々としているのは、定期的に餌をやっている不届き者がいるからに相違ない!!!

猫を捨てる人が最も悪い。野良猫をかわいがる気持ちも判らないでもないが、野良猫が増えれば、糞尿による臭気や衛生面の被害や、飼いネコや人への伝染病や寄生虫の感染などの被害が大きくなるので、野良猫に餌をやるのも良くない。

人目を避けるためか、公園内雑木林の奥まった場所に野良猫の寝場所を作り、そこで餌をやっている人もいるようだ。。。。

野良猫をかわいがりたいのならば、自宅に引き取り、糞尿処理、避妊手術や予防接種なども責任もって実施すべきであろう。軽い気持ちで後々の問題も考慮せず野良猫に憐憫の情を掛けるのは思慮不足な行為でしかない。



【堆肥大安売り】

11月3日は県立農大学園祭で恒例の堆肥販売コーナーに出向き、堆肥15袋を買った。
ここでは市販価格400円相当の堆肥が100円で買えるので毎年多くの人が集まる。

ヤマちゃんおやじも かみさんと二人で3年前から買い始めた。
昨年までは9時開園に合わせて出向いていたが、多数の人がラッシュして大混雑する上に堆肥を運ぶ一輪車も不足するので車まで重い堆肥を老骨に鞭打って担いで運ばねばならずいささか苦痛であった。

今年は昨年を反省し意図的に遅く出発し11時ごろ会場に着いたので、混雑は一切無く、余っていた一輪車を使って楽に堆肥を車まで運べた。

その代わり、農産物即売場ではめぼしいものは売り切れとなり買うものはなかった。
焼き芋売り場に行ったが、3時間待ちというので諦めた。


【島根県益田市匹見町の三本栃を訪ねる】

11月3日から鼻水やクシャミが出始めた。急な冷え込みで風邪を引いた。
早速ビタミンCを多量に摂るべく、カボスを丸ごと絞り紅茶に注ぎ蜂蜜を加えたホットドリンクを一日二回飲んだ。

11月3日夜の時点では何となく倦怠感があったので11月4日の朝体調が悪くなければ山に行くことにして就寝した。

11月4日4時ごろ目覚めたが倦怠感は消滅していた。天気予報では山口県では午後雨であったが、広島県では午前中晴れ午後曇りだったので、恐羅漢山近辺(恐羅漢山、旧羅漢山、三本栃、台所原)を訪れることにした。

5時20分頃出発し、牛小屋駐車場(標高960m)に8時頃到着。

DSCF6723.JPG < 牛小屋駐車場付近の紅葉 >

準備体操後8時15分頃立山コースに入った。汗をかくと風邪がひどくなりそうので、余り汗をかかないように登った。

高度を稼ぐにつれ遠くの錦秋の山肌が見えてきた。標高800m前後では丁度広葉の最盛期だと思われた。

後方から熊除け鈴の音色がかすかに聞こえてきた。ゆっくりした規則正しい音色から推測すれば、ゆったり確実に歩を進めるかなりベテラン登山者だろうと推定した。汗を多くかかないために1180m付近で少憩していると、熊除け鈴の主の姿がゆっくり近づいてきた。

挨拶する顔を見て驚いた・・・・・遠目ではてっきり老爺と思っていたが実はおばさんであった。
彼女は何処まで行くのかと聞いてきた。恐羅漢山、旧羅漢山、三本栃、台所原と答えると、彼女は恐羅漢山、台所原、天杉山、ホタノコヤ、中の甲林道、夏焼峠を廻り、途中で今年の冬山に備え岩倉山方面へ向かい前回の冬山で迷った鳥越峠付近のルートを実地検分するという・・・・・やはりベテランが通うルートだった。。。

熊さんに出会わなければ良いが・・・と言い残し大ベテランおばさんは先に出発した。

9時25分頃恐羅漢山(標高1346m)着。雪が見られた山頂付近はすっかり冬枯れモードだったので唯一つ残った紅葉が一層鮮やかに見えた。
DSCF6725.JPG < 恐羅漢山山頂の紅一点 >

阿佐山、三瓶山など高い頂だけが雲海の上に見えたのは初めての風景だった。葉を落とし見通しが良くなった北東方向には、浜田市三隅火力発電所の高いスタック(排煙塔)がはっきり見えた。

9時32分ごろ旧羅漢山に向かい出発し10時頃旧羅漢山着。北側の大岩に登り北北西から南西に広がる雄大な眺め・・・広見山、半四郎山、寂地山、白旗山、大神ヶ岳、赤谷山、安蔵寺山、高岳山、燕岳、青野山、十種ヶ峰など・・・に見入った。
DSCF6734(1).JPG < 旧羅漢山から安蔵寺山方面を望む >

10時10分頃いよいよ旧羅漢山から広見林道に向かう初めてのコースに入った。笹は刈り取られ要所にピンクのテープが張られた道を安心して尾根筋を下った。

尾根道を離れ谷筋に入るとルートは踏跡クラスとなり屈曲しながら進むので、時々振り返りコースが見えにくい場所4箇所に赤テープを張り帰り道での間違いを防いだ。

ルートに気を取られていたので、肝心の三本栃は見つからないままドンドン下り、壊れた丸太橋が半ば沈んだ沢を渡り(ハゲノ谷)林道終点に達した。こうなれば林道をさらに下り、ついでに広見川本流沿いに走るメイン道路まで行くことにし11時30分頃広見川本流が流れる三叉路(標高820m)に着いた。

なんと三叉路には真新しい案内板『益田市指定文化財 天然記念物 広見の三本栃』があるではないか!!!!

赤テープ張りに気を取られて、三本栃を見過ごしたのだ!!!
ここでボリュームを上げてラジオを鳴らしながら熊除けとし、日当たりの良い場所で弁当を食べた。

若い男性が上流側林道から降りて来た。広見山からの帰途であろうか。。。
コンクリート橋の対岸の紅葉を眺めていると、元気な挨拶が聞こえてきた。
若い男女がヤマちゃんおやじが下ってきた道からやってきた。

三本栃を見たか?と聞くと 『見た』というので、どの辺だ?と聞けば、『ここから20〜30分歩いた右手にある』 と教えてくれた。

半四郎山に行くという二人は、上流側の林道を登っていったが、途中で男性が引き返してきて『この素晴らしい自然を(乱開発から守り)子孫に残さなければならないですね』と大声で叫んだので、当方も『そのとおりです』と答えた。

今では無人となった広見地区に新規に林道が建設される可能性は少ないだろう と思った。。。

広見川は広見山(標高1187m)に源を発し広見地区を流れた後 深いV字谷である裏匹見峡を形成して下り匹見町山根下で匹見川本流と合流し益田市横田で高津川と合流し日本海に注ぐ。

戦後の林業最盛期には80人を超す児童が広見小学校に通っていたという広見地区には現在民家は無い。昭和38年の豪雪時には広見地区は交通が3ヶ月間遮断され完全に孤立し陸の孤島になったのを機に離村者が激増し昭和45年12月に廃村に追い込まれた。

ちなみに2008年2月に発生した恐羅漢スキーヤー遭難事件では、禁止区域でスノーボードに打ち興じた余り遭難した7人は廃校となった広見小学校を偶然に見つけて避難し廃材を燃やして暖をとったので死を免れ九死に一生を得ることが出来たのは記憶に新しい。。。

11時40分頃ハゲノ谷を詰めて三本栃のそばを通過して旧羅漢山に登るコース(旧羅漢山から広見林道へ下ったコース)を歩き始めた。歩き始めて25分を経過した12時6分頃に大岩を渡る場所で右手上方に10m離れて確かに三本栃らしき大木が見えたが、一本の栃が倒れ二本栃になっていた。。。

辺りに案内標識らしきものはないが、登りでは見えやすいが、下りでは見過ごしやすい場所に三本栃(二本栃)はあった!!!

インターネットで見た範囲では広見の三本栃に関する情報には、二本栃という記述は無かったので、一本の栃が倒れ二本栃になったのは比較的最近の出来事かもしれない。
DSCF6753.JPG < 三本栃〜二本栃 >

三本栃であった時には、幹の周囲は8.5mあったそうだ。二本栃となった今 目視ではあるが幹の長径は2m以上はあった。地上に倒れた幹も長さは目視で30m近くあった。

最も感心したのは、二本栃の根元に寄生した、最大差渡し1m20pもの苔が生えた四段重ねのキノコ(巨大なサルノコシカケ?)であった。
DSCF6749.JPG < 巨大な四段サルノコシカケ? >

次に感心したのは、魚の鱗に似た樹皮の見事な皺であった。
DSCF6748.JPG < 魚の鱗に似た樹皮 >

いずれも さすが推定樹齢450年といわれるだけある代物だった。

左右を沢に挟まれた支尾根の登りは以外に急であり延々と続く。旧羅漢山に連なる稜線で休んでいると、若い男性が下ってきた。

この山域で4人の若者に出会ったのは、人気がある証拠かもしれない!!!
13時25分頃年配夫婦2組がいた旧羅漢山に到着しそのまま進み13時50分頃恐羅漢山に着いた。

かなり年配の夫婦からスキーゲレンデに下るルートを聞かれたので道順を教えてあげた後台所原に向かった。

途中60人程度と出会ったが、今までこれほど多数の人とこのルートでであったことはない。
恐羅漢山〜台所原ルートの良さがようやく一般に知れ渡ってきたのかもしれない!!!

標高が1000mに近くなってようやく黄葉が見られたので一安心した。
DSCF6760.JPG < 台所原付近の黄葉 >

14時40分頃台所原平着、管理道を急ぎ歩き夏焼峠を経て16時頃牛小屋駐車場に着いた。

折角ここまで来たので、深入山へ回って紅葉を見ることにした。
恐羅漢山山麓の二軒小屋から国道191号に出る道では、丁度黄葉が見頃であった。

16時25分頃 深入山南口登山道前の駐車場着、空は曇っていたがここの紅葉、黄葉も見頃であった。
DSCF6764.JPG < 深入山山麓の紅葉・黄葉 >

今回の累計登り標高差は1181mであった。風邪気味ではあったがそれほど無理なく歩き回れたのは気候に恵まれ発汗が少なくなったのが奏功したのかもしれない。。。。

今年も素晴らしい黄葉、紅葉を拝めたのは有難い、感謝、感謝、感謝。。。
posted by ヤマおやじ at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする