ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2012年10月31日

名将と謳われた山本五十六帝国海軍元帥・大将はとんでもない大売国奴か?!

ロバート・B・スティネット著『真珠湾の真実〜ルーズベルト欺瞞の日々〜』を2回読んで

2010年の正月に初めてこの本を読んだので、今回読んだのは2回目となる。

当時真珠湾には戦艦などの老朽艦艇だけが停泊しており、サラトガなど米海軍の最新鋭空母3隻全てが真珠湾から遠く離れた場所に退避していた事実から、米国が日本海軍の真珠湾奇襲攻撃を事前に知っていた可能性が高いことは以前から知っていた。


1回目の読書では、

『1940年10月7日米海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラム少佐が作成した“米国にとって都合が良い時に日本から米国に戦争を仕掛けてくるように日本を挑発するために作成された八項目の行動計画”がルーズベルト大統領に提案され、ルーズベルト大統領がその行動計画全てを直ちに実行に移した結果、米国の計画(策略)通りに日本が誘導され真珠湾攻撃を敢行するに至った』 という事実が豊富な資料とインタビューで実証された所が特に印象に残った。

それまでは、『米国は日本による真珠湾攻撃を事前に知らなかった』が通説であり、その根拠として
@日本側の暗号は真珠湾攻撃時には米国で解読されていなかった。
A仮に日本の暗号が一部解読されていたとしても日本海軍は真珠湾攻撃において無線通信の一切を禁止してい たので真珠湾攻撃の秘密は保たれた。
の2つの理由が挙げられていた。

真珠湾攻撃の時高校在学中であった著者ロバート・B・スティネットは、卒業と同時に海軍に志願入隊し1946年まで太平洋、大西洋で従軍し多くの軍功を挙げ多数の勲章と大統領感謝状を授けられた。戦後はオークランド・トリビューン誌の写真部員兼記者を勤めた後、1986年『真珠湾の真実〜ルーズベルト欺瞞の日々〜』の執筆活動を開始するために新聞社を退社し、17年間にわたる公文書の調査及び米海軍暗号解読者達への直接インタビューを積み上げて1999年12月7日に発売に漕ぎ付けた。

ルーズベルトのジレンマ(米国は他国の戦争に介入しないという大統領選挙公約があり、一方では英国首相チャーチルから米国の参戦を強く求められていた。よってルーズベルトは、日本が先に米国に攻撃を仕掛け日本から米国に宣戦布告させるように仕向けることが出来れば、米国民は参戦に同意するであろう・・・と考えた)を解決した答えが、情報の自由法に基づく請求により入手可能となった途方も無い数の文書の中に記録されている。


著者ロバート・B・スティネットが執筆に当たり参考にした史料や記録はいずれも戦前から数十年間のわたり米海軍本部地下金庫に埃を被って眠り続けたものである。それを「情報の自由法」に,よって一日でも早く公開する様に繰り返し繰り返し執拗に申請してついに機密文書の指定を解除させて閲覧に漕ぎ付けたという、スティネットの熱意は特筆すべきであろう。。。。


2回目の読書では、以下について感じる所があった。

1. 日本海軍が使用した数種の暗号と日本の外交暗号の殆どが日米開戦前の時点で米軍に解読されていたことが、機密文書と暗号解読者へのインタビューによって明らかになった。

2. 真珠湾攻撃作戦において連合艦隊司令長官山本五十六大将は、太平洋周辺に多数配置された無線監視局による無線傍受解析によって真珠湾奇襲作戦が事前に露見するのを防止するために、作戦にかかわる全艦船に対し緊急時以外の無線交信の一切を禁止していた。

ところが、真珠湾奇襲攻撃部隊の指揮官であった南雲忠一中将自らが僚艦との無線交信を多用し連合艦隊司令長官山本五十六大将による無線交信禁止令を率先して破っていた事実が米軍の暗号解読資料から判明した。

1941年11月以降21日間に米国側に傍受された電報129通のうち60通を真珠湾奇襲攻撃部隊指揮官南雲忠一中将自らが発していた。米軍から南雲はおしゃべりだとして有名であった。

このことだけからでも南雲忠一中将はとんでもない売国軍人だと断定できる。。。。

3. 真珠湾奇襲攻撃部隊指揮官南雲忠一中将は、攻撃機が保有する暗号表を出撃前に廃棄させるという鉄則の徹底を怠ったので、米軍に捕獲された攻撃機から暗号表が米軍の手に渡るという大失態を犯した。


さらには、海軍軍令部総長の永野修身大将までが無線封止の禁を破り、機動部隊の攻撃目標が真珠湾であるとの電報を発し、米軍側に傍受された。何と、帝国海軍の最高責任者たる軍令部総長自らが軍の秘密保全を破ったのである!!!!

太平洋戦争において、米軍は日本海軍の暗号を殆ど解読していたので、戦う前に日本海軍の攻撃意図、配置などが判っていたので真珠湾攻撃以降では米軍は有利に戦争を進めることが可能になった。ちなみに帝国陸軍での暗号解読率は5〜10%だったといわれ、帝国海軍 の暗号解読に対する警戒心の低さが浮き彫りになった。


日露戦争時代の帝国海軍と比較すれば、帝国海軍将官の士気の著しい低下は目を覆いたくなるほど低い!!!!

5.   真珠湾攻撃における最も重大なミスは、日本機動部隊航空機360機は、石油500万バレルを貯蔵した石油タンク、海軍工廠の乾ドック、機械工場、修理施設という戦略的施設を全く攻撃せず、浅瀬に並んだ老朽化戦艦などの艦艇と航空基地に並んだ航空機を攻撃しただけで、敵主力空母4隻は攻撃どころか発見も出来ず、山口多聞少将が進言した二波、三波の攻撃も南雲忠一中将が採用せず早々に退避したことである。

帝国海軍指揮官として恥ずべき南雲忠一中将を真珠湾攻撃の中枢を荷なう第一機動部隊司令官という要職に充てたのは他ならぬ連合艦隊司令長官であった山本五十六大将であった。

1941年11月19日山本五十六大将は、当事帝国海軍の攻撃目標になかった真珠湾攻撃を多数の反対意見を退けて、海軍連合艦隊司令長官として急遽自ら指揮を執るなどとして辞職をちらつかせてまで強引に主張した。いざ日米開戦となり真珠湾攻撃が決定されると山本五十六大将は前線から数千キロ離れた瀬戸内海に浮かぶ戦艦長門で将棋をさしながら観戦していた。

連合艦隊司令長官山本五十六大将は、“南雲なら二波、三波攻撃をしないだろう””南雲に任せるほかは無い”言い真珠湾の最重要戦略目標を攻撃しなかった南雲を庇うような(海軍連合艦隊司令長官らしからぬ)無責任発言を残している。


歴史を後世から省みて見て、『こうすべきであった』、『ああすべきであったなど』などと批判するのは簡単だといわれている。

しかし多少でも知恵がある人ならば上記第5項は、国運をかけた乾坤一擲の一大決戦を預かる軍の指揮官として絶対に許せない行為だと断言できる。。。。

連合艦隊司令長官であった山本五十六大将は、“挽回の機会を与える”という詭弁をつかって真珠湾の最重要戦略目標を攻撃しなかった南雲中将・草鹿龍之助少将らの無能将官・将校を罷免せず、1942年6月5日に行われたミッドウェー作戦でも無能であり、しくじることがわかっている南雲忠一中将や草鹿龍之助少将を最も重要な機動部隊に起用し、自らは後方400キロの北西海上で旗艦「大和」や戦艦「長門」「陸奥」などとともに主力部隊にとどまり、将棋を指しながら これまた高見の見物をしていたのである。

案の定、南雲らの稚拙な采配のもとで、日本海軍は機動部隊の中核をなしていた航空母艦4隻とその艦載機を一挙に喪失する損害を被り、ミッドウェー島の攻略は失敗し、この戦争における主導権を失った。

米機動部隊の陣形が空母中心におよそ1.5qの距離を保ち、1隻ごとに巡洋艦、駆逐艦を多数配置して輪陣を組み空母上空に濃密なる弾幕を張り、防御能力を最大限に高めていたのに対して、日本の空母は2隻並んでいる上にわずかの駆逐艦を横に配置しているだけであった。これでは空母に対する防御が手薄であり、米機にとっていかにも攻撃しやすい陣形になっていた・・・・この日本艦隊の無防備な陣形は米軍機に対して攻撃してくれと叫んでいるようなものだ!!!

戦後山本五十六海軍元帥・大将は多くの書籍などで名将として描かれている。


ヤマちゃんおやじは山本五十六が名将どころか、従来日本海軍の攻撃目標になかった真珠湾攻撃を強引に主張して実際に米国との戦争を開始させて日本を戦争に導きアメリカの参戦を引き出した後、戦力的には米国とほぼ互角であった日本帝国海軍を無残に連戦連敗させて主力空母を壊滅に導き、米海軍が早期に立ち直る機会を与えた超売国奴ではないかと疑わざるを得ない!!!

米海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラム少佐が米国にとって都合が良い時に日本から米国に戦争を仕掛けてくるように日本を挑発するために作成された八項目の行動計画”がルーズベルト大統領へ提案されたのが1940年10月7日。

1940年11月下旬には山本五十六帝国海軍大将が真珠湾攻撃検討開始を明言していた・・・・何となくマッカラムと山本五十六が繋がって見えてくる。。。。

広大な北西太平洋を誰にも発見されずハワイの真珠湾まで機動部隊を進め長躯奇襲を掛けるという山本五十六の真珠湾攻撃作戦は、誰が考えても無謀でしかない。

しかし、米国が広大な北西太平洋で一切の船舶を通行させずかつ、北西太平洋を真珠湾に向かって隠密行動をとって進む日本帝国艦隊が米国によって発見されてもハワイに駐留する米国太平洋艦隊が迎撃体制を取らなければ、真珠湾奇襲攻撃は100%成功することになる。

ロバート・B・スティネット著『真珠湾の真実〜ルーズベルト欺瞞の日々〜』によると実際に米国は、北太平洋を航行する船舶を南太平洋を通過するように強制し、日本海軍の発する電報を解読して北西太平洋を真珠湾に向かって隠密行動をとって進む日本帝国艦隊を発見・追跡し日ごとにその進路を知っており、ルーズベルト大統領と少数の米軍幹部には知らされていたが、肝心の米国太平洋艦隊司令官にはこの情報は一切知らされなかった。米国太平洋艦隊は座して日本軍の攻撃に曝されるように仕向けられていたのだ。。。。

あくまで仮説ではあるが、山本五十六帝国海軍大将は、日本帝国艦隊が発見されて米国が知る所となっても、米国太平洋艦隊はこれを迎撃しないことが事前にわかっていたのではないか?????
だから誰が考えても無謀な真珠湾攻撃を山本五十六は(米国の利益ために)主張し実現させたのではないか!!!!

換言すれば、山本五十六帝国海軍大将が強引に企画提案し実現した真珠湾奇襲は、米国ルーズベルト大統領一味と事前に示し合わせた『出来レース』ではなかったのか?????

また山本五十六帝国海軍大将は、真珠湾奇襲以降のミッドウエー海戦等において南雲中将・草鹿龍之助少将らの無能将官・将校を罷免せず虎の子の機動部隊を任せることで有力空母全てを失わせることによって、優勢な戦力を誇る日本帝国海軍をわざと負けさせて戦力を消耗させた。

この仮説に従えば、名将と謳われた山本五十六帝国海軍大将はとんでもない大売国奴となる!!!

この他に、山本五十六帝国海軍大将大売国奴説を窺わせる情報がたくさんあることが判ったが相当のボリュームがあるので、次回に譲ることにする。。。。
posted by ヤマおやじ at 20:56| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月29日

秋の読書、山歩き、収穫

【10月24日(水)】

朝から夜までロバート・B・スティネット著『真珠湾の真実〜ルーズベルト欺瞞の日々〜』を読んだ。

この本は2年前に初めて読んだが、10月23日のヤマちゃん日記でこの著書から引用したのを契機に再度読みたくなった。

B5版536頁を集中して朝から夜まで休まず一気に読んだのでさすがに目が疲れたが、新たな疑問と発見があったので近日中にヤマちゃん日記に記載する予定です。。。。。


【10月25日(木)】

週末は悪天候になるというので、兎に角どこかの山に登ることとし、鹿野町の飯ヶ岳(標高937m)に登った。

国道315号線河内峠(周南市鹿野町側)から登るコースは、昨年11月に3段滝(7m+3m+20 m目視、ヤマちゃんおやじが勝手に3段滝と命名)があるのを知って以来結構お気に入りのコースとなった。

ちなみに、国道315号線河内峠(山口市徳地町側)から登るコースもあり、このコースも中々良い。

その他に山口市徳地町三本杉近辺の登山口から登るコースもあり昨年11月山頂から登山口まで下り三本杉に到り、再び登山口までとって返し、沢登コース、ブナ林コースを登って山頂に立った経緯があり、このコースも人気がある。

10月25日は、
河内峠(鹿野町側)→ 林道 → 3段滝最下段 → 右側巻道 → 3段滝最上部 → 周南市/山口市境稜線 →山頂 → 周回コース → 分岐1 → ブナ林コース → 山頂 → 周南市/山口市境稜線 → 林道 → 河内峠(鹿野町側)というコースを取った。

3段滝に至るコースは登山ガイドブックには記載は無いが踏跡らしきものはあり、昨年11月に二回訪れ要所にテープを張った経緯がある。3段滝最下段に至る林道は荒れ果て最後の30mは半ば藪化しかかっていたので藪を切り払いながら進んだ。枝を折った形跡があり誰か同好の士が通過した様子が覗われた。

3段滝最下段から滝の右側を巻くルートは急傾斜な上に足場も悪く更に落石の危険もあるので、あくまで自己責任で登るルートであることを念のため明言しておきます。

周南市/山口市境稜線を走る登山道には笹がかなり生えていたので、笹を刈り払いながら登った。

通常1時間程度で登れる所だが、笹を刈りながら登ったので2時間近く掛かった。いつも他人が整備された登山道を使わせてもらっているので、たまにはご恩返しの一端をするのは当然という殊勝な気持ちで作業した。。。。

天気は快晴であり山頂からの眺めは中々良かった。莇ヶ岳から弟見山に至る縦走路の鞍部(標高約925m)から鈴ノ大谷山(標高1036m)らしき秀峰がくっきり見えたのは新発見であった。

DSCF6714.JPG < 925m鞍部から見える秀峰 >

昨年11月から気になっていた眼前の山並の頂上付近を走る林道がいやでも目に入ったので、山頂三角点から林道に向かう線の角度を測定した。

黄葉はようやく始まった感じであった。11月中旬頃が見頃と思われるので再度訪問する予定だ。

DSCF6702.JPG < 山頂の紅葉 >

DSCF6708.JPG < ブナ林の黄葉 >

帰りに鹿野町大潮にある喫茶店『さくや』に立ち寄り、念願の『松茸入りキノコうどん(1000円)』を注文したが午前中にお客さんが多数訪れ売り切れになったとのこと・・・・残念!!!

帰宅後 林道の新たな角度データを用いて地図で探した所、先に推定した津々良ヶ岳に至る山口市徳地町下ヶ原林道ではないことが確定したので、新しい林道候補が得られた。

累計登り標高差は630mであった。登山道の笹を刈り払ったので運動量は結構なものになったと思う。感謝、感謝、感謝。。。。。


【10月27日(土)】

町中へ出る用事があったので、天気予報は曇り後雨であったが、津々良ヶ岳に至る下ヶ原林道から見えた700m級無名峰の山頂付近を走る林道の所在を調べるべく、山口市阿東町地福下地区の俄河内川上流右岸の林道を歩いた。

2万五千分の一地形図を見ると、俄河内川上流から東側に林道らしき点線が記載されており丁度くだんの700m級無名峰に繋がっていたからである。

国道9号から国道489号に入り右折し、俄河内川に沿って細い舗装道路を進み道幅が車一台分になったので三叉路に邪魔にならないように駐車し此処から徒歩で進むことにした(10時45分頃)。50mも歩くと林道俄河内線に合流しさらに奥へ進んだ。この林道は概ねコンクリート舗装されているだけでなく、山から流れ下る水を一時的に蓄えるインバース枡が道路脇に適宜設置されている本格的なもので普通乗用車でも支障なく通過できることが分かった。

わざわざ道を引き返して車で林道を登る手もあったが、そのまま歩いて行った。弘法大師という案内柱を右に見送り駐車位置から約2qで分岐に達し林道俄河内支線と書いた立派な石柱が現れ(11時14分頃)、左側に進みコンクリート舗装の林道俄河内支線を登った。

分岐から約300m進んだ地点に車5,6台は駐車可能な小さな広場が現れた。普通乗用車でも此処までは問題なく進入可能と思われた。コンクリート舗装はさらに200m程度続くがその後はダート道となる。

分岐からおおよそ1q進んだ所で左に大きく曲がるルートが現れたがパスして直進した所200m程度進んだ所で林道終点となったので、引き返し11時45分頃左に大きく曲がるルートに進んだ。

今迄林道はかなり歩いているが、急に林道終点を迎えるケースも少なくない。角を曲がる度に林道終点を予想して進むが、林道は北にトラバースした後 峰を旋回して明るい稜線に出た。

幅が2〜4mの広い林道が稜線の概ね10m下を緩やかに登って行き山の頂を回って反対側に出ると眼前に標高700m級の頂が3つ見えてきた(12時30分頃)。

立ち止まって眼前の山々を眺めてみるとどうも、津々良ヶ岳のピーク2つと、牛頭山のように見えた。さらに目を凝らすと、下ヶ原林道の一部=標高630m付近=(ここから700m級無名峰の山頂付近を走る林道がはっきり見える)が見えた。

確認のために3つのピークを結ぶ直線が磁北線となす角度を測り記録した。ここから約150m進んだ所で林道は終った。今回は林道の所在が一発で実地検証できたのは喜ばしい!!!!

ここから北へ約1km位尾根道を進めば無名峰729mピークに至るはずであるが、そこに至る踏跡らしきものは見つからなかった。カロリーメイトを食し水分補給をした後、近くのピークに登りかけた所 雨がパラついてきたので中止し帰ることにした。

12時45分頃レインウエア上着だけ身につけ一気に林道を下り、13時35分頃小さな広場を通過し、林道俄河内支線の石柱を左に見送り、弘法太師案内柱で左折し300m程度進み弘法太師札所に参拝し(14時5分)、再び林道に還り14時30分頃駐車位置に着いた。

帰りは正規な道を通り国道489号に出て国道9号を山口方面に向かった。

途中『松茸うどん』の看板を見つけたので、今年初の松茸の香りを味わうことにした。肉うどんの中に確かに小さな松茸の細切れが5,6片入っており一瞬ではあるが松茸の香りが味わえた。。。。。。800円也!!!

今年は松茸が不作らしく中位の大きさの松茸1本が6800円で売られていた。太目の松茸4本で22000円だった。昨年は大豊作だったため今年の半値で買えたそうだ。松茸は高価すぎて手が出ないので合わせ柿400円を土産に買った。。。

【10月28日(日)】
午前中公園ボランティア活動をした。

【10月29日(月)】
10時から12時30分頃までサツマイモを収穫した。

地表を這うつるの成育が余りにも立派なので、ひょっとすると地下のサツマイモまで栄養が行き渡らないのでは???という懸念があった。

つるを除き実際にサツマイモを掘り始めてみると予想外の豊作であった。

今年収穫したサツマイモは適度に細長く適度に太い本来の形状であり、昨年の球状の形状と比較すれば進歩が見られた。収穫量はおおよそ60kg程度あった感じで昨年の2倍も採れた勘定になる。

DSCF6722.JPG < 収穫したサツマイモ >


しかし何故今年が豊作なのか???原因は全く判らない・・・・結果良ければ全て良し!!!

つるを植えて以降収穫まで半年間何もしていないが、見事な収穫となり、天の恵み・地の恵みに感謝するとともに自然の持つ素晴らしい力に驚嘆した。


今週は中々忙しかったがかなり充実した週でもあった。
諸々に感謝、感謝、感謝!!!
posted by ヤマおやじ at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月23日

林道クイズ & 日本は侵略国家ではなかった & 反日勢力の巣窟としての東京大学法学部 & 日本最大級の反日売国奴 元東京大学法学部主任教授横田喜三郎


【林道クイズ】

昨年周南鹿野町の飯ヶ岳(標高937m)に登った際、念願の南東麓に懸かる滝の存在は確認できたが、山頂から見て西南西方向の山の頂上付近を左から右へ登る林道(長さ推定300〜600m)が印象に残り、その所在場所がずっと気になっていた。

大山と異なり周辺の中低山での黄葉時期は10月下旬〜11月中旬と思われ多少時期尚早であるので、この林道の所在を現地に赴き確かめる目的で地形図を改めて眺めてみた。

昨年山頂に登った情景を思い出し、国土地理院によるデジタル地図にて
@ 地図上で林道が見えた方位を定めて山頂からその方向に直線を引き、
A 直線と交差する林道を探した後、
B 頂上から林道を見た大まかな俯角を手書きスケッチで書いて@Aと合わせ考慮してみた所、
この林道クイズの回答の一つの候補が、山口市徳地町大原湖に注ぐ下ヶ原川沿いに遡り津々良ヶ岳に至る下ヶ原川林道の標高670m〜700m部分かも?と思った。

今まで系統だった考えなしにただ何となくフィーリングで林道位置を探していたのでほぼ一年間も進展しなかった嫌いがあったが、多少系統立てて検討した結果、具体的な回答が得られた。

しかし、飯ヶ岳山頂から見た林道の方角はあくまで1年前の記憶による推定データであって確たる保証は無いので、この回答が正しいか否か実際に検証する必要があった。10月20日に下ヶ原川林道を実地に訪れた。

途中で浮気をして、一年前から関心があった729mピークへの登山ルート前調査を行った。
林道途中の鳥超峠(標高575m)から北西方向へ1km程度尾根筋に沿って登れば729mピークに着くことは分かっていた。

初めはかすかに踏跡らしき形跡はあったが、鞍部を過ぎて登りに掛かると全く道なき道となった。やがて急な登り道に猛烈な笹薮が待っていた。立ちふさがる小潅木はわざわざ持参した重量1.5kgのニッパーで切断しながら進む羽目になった。

3m進んでは休みさらに3m進んでは休む の繰り返しで中間ピークに辿り着いた。

ほぼ北側に710mピークが見え、林道らしき道路もはっきり見えた。北西方向で標高差80m上方に729mピークが見えたが道なき道をここから往復すれば2時間ばかり掛かるだろうと推定した。時計は2時30分を回っていたので、残念ではあるが此処で引き返すことにした。

いよいよ、“津々良ヶ岳に至る下ヶ原川林道の標高670m〜700m部分”が飯ヶ岳から見えた道路か否かを検証するために、さらに下ヶ原川林道を登って行った。

“下ヶ原川林道の標高670m〜700m部分”を実際に歩いてみた。
ところが、林道の最高点(標高708m)からは確かに飯ヶ岳ははっきり見えたが、最高点以外からは、殆ど飯ヶ岳は見えなかった。。。。。。

飯ヶ岳から見えた範囲の林道の推定長さは300〜600mだったと思われたので、残念ながら“下ヶ原川林道の標高670m〜700m部分”のいう回答候補は、間違いである公算が大きくなった!!!!

16時過ぎに林道を下り始め、獣除けに歌を歌いながら2時間ほど歩き、暗くなった6時過ぎに無事駐車場に着いた。

又最初からやり直すつもりで、近い内に飯ヶ岳に登り、林道の見える角度をしっかり測定することにした。



【浜田市中国電力三隅火力発電所】

2011年10月1日に奥匹見峡〜野田百本松〜野田原の頭〜天杉山〜中川山〜台所原〜恐羅漢山を縦走し往復した帰り道、三の滝付近の966mピークを少し下った所で北西方向の遥か彼方に白い縦長な(
円筒状)構造物が見えたがその正体は不明であった。

その後2012年10月9日に恐羅漢山・旧羅漢山・十方山縦走を行なった時、恐羅漢山山頂から北西方向の木々の間から遥か彼方に白い縦長な構造物が再び見えた。

その後色々調べた結果、いずれの場合も方位的には浜田市三隅町にある中国電力三隅火力発電所の煙突が該当することが判った。

中国電力三隅火力発電所の写真に写っている煙突の高さ推定で100m程度と推定された。

常日頃から疑問を考えていると、いずれの日かその疑問が晴れる日が来るという実例だと感じた。。。


【反日勢力とは??? 反日勢力の定義】

反日とは、日本国民のためにならない行動を取ることであり、日本国の独立国家としての主権を放棄する言動・行為であり、日本の国益を無視または軽視する言動・行為。

反日勢力とは、日本国民のためにならない行動を取る個人または団体。または、日本国の独立国家としての主権を放棄し、日本の国益を無視または軽視する個人または団体。

ヤマちゃんおやじは、反日勢力だと断定する目安を持っている。
少し大げさだが、その目安を“ヤマちゃんおやじ反日断定基準”と呼ぼう。

“ヤマちゃんおやじ反日断定基準”

反日断定基準1.世界で類を見ない非常識憲法である現日本国憲法を後生大事に護持する。
        戦力を放棄した憲法9条を金科玉条の如く崇め奉っている。
        『9条の会』の呼びかけ人と賛同者等など。。。
反日断定基準2.国際法に違反して行われた東京裁判を正しい裁判だと誤解し、本来存在しない戦争犯罪人(戦        犯)への処罰を妄信して戦犯の靖国神社合祀に反対する。支邦からの内政干渉に同調し、首        相など政治家の靖国神社参拝を非難する。東京裁判で下された“大東亜戦争で日本はアジア        諸国を侵略し多大な迷惑をかけた”という誤った判決を妄信し、日本を貶めること(自虐史        観)に賛成する。
        
        〜〜〜大東亜戦争を戦った日本はアジア・アフリカ諸国から感謝された(始め)〜〜〜
終戦10年後の1955年インドネシアのバンドンでアジア・アフリカの29ヵ国が集う第一回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)が、開催された。この会議は第二次世界大戦後に独立したインドのネルー首相、インドネシア大統領スカルノ、中華人民共和国首相周恩来、エジプト大統領ナセルが中心となって開催を目指した。

この会議において、会議参加国の代表達は、“いま、こうして我々が米英などの白人国家と対等に話ができるのは、大東亜戦争で彼らと戦った日本のおかげだ。もし日本があれだけの犠牲を払って戦ってくれなかったら、我々は今もイギリスやオランダの植民地のままだった。日本は今後ともアジアのリーダーとして頑張ってもらいたい”と賛辞を浴びせたというのだ。

記念すべき第一回バンドン会議は、このように日本への評価、感謝、賞賛が確認される場であったというのだから“と感謝されたのである。
〜〜〜大東亜戦争を戦った日本はアジア・アフリカ諸国から感謝された(終わり)〜〜〜

反日断定基準3.日本の国旗、国歌に敬意を示さない。
        公的場所での国旗掲揚、国歌斉唱に反対する。
反日断定基準4.天皇制を否定する。または、女系天皇を容認する。
反日断定基準5.1)共産主義政権樹立を画策する。または共産主義・共産国家を礼賛する。
        2)ワンワールド構想(イルミナティ)による世界独裁政府樹立を画策する。またはワンワールド構想を礼賛する。またはイルミナティ(CFR=米国外交問題評議会)に協力する。
反日断定基準6.国民の生活または国益よりも商売を優先させる言動を取る。
反日断定基準7.在日外国人への選挙権付与に賛成する。または1000万人外国人移民受け入れに賛成する。
反日断定基準8.男女共同参画運動に賛成する。または男女別姓に賛成する。
反日断定基準9.日本人の言論の自由を奪う人権擁護法案または類似法案に賛成する。
反日断定基準10.TPPのISDS条項によって日本の主権を放棄することになるTPP加盟に賛成する。



【現日本国憲法の虚構性】
〜〜〜〜〜憲法前文 と 憲法九条〜〜〜〜〜
憲法前文には『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』と明記され、
憲法九条には、
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は正義と秩序を記帳とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
とあり、憲法前文と憲法九条とを併せていわゆる平和憲法を構成している。

この平和憲法は、“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を否認している”のである。

“地球上の全ての国が平和を愛し、公正と信義にあふれているという前提条件”があって初めて、日本は戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を否認できるのである。

憲法九条信奉者は、“平和憲法を護持していれば他国から侵略されることはない”、“もしある国が他国を侵略すれば世界中から非難されて侵略した国は存続できなくなる”という論理を展開する。

しかし、現実どうであろうか????

第2次世界大戦後、アジア、アフリカでは多くの国がかって搾取・支配された欧米宗主国から独立を勝ち取った。

しかし、中華人民共和国と朝鮮人民共和国(北朝鮮)は第2次世界大戦後においても、侵略戦争を起こしてきた。

中華人民共和国(中国)は、1949年にウイグル族が居住する新疆ウイグルに武力侵攻し、1950年にはチベット族が居住する旧チベットを侵略し、いずれも中華人民共和国の版図に加えた。中華人民共和国は他民族侵略戦争をを民族解放と詐称している。

朝鮮人民共和国(北朝鮮)は1950年、大韓民国(南朝鮮)との国境を越えて武力侵略し大韓民国を飲み込み朝鮮統一支配を図るべく一時的には釜山まで迫ったが、米軍などからなる国連合軍の反撃に逢い、38度線まで推し戻されここで休戦となった。

1968年に尖閣列島近海で石油ガス資源が埋蔵されているという情報が発せられた。1971年中国は、日本古来の領土として認めてきた従来の態度を一変させて、尖閣列島は中国領土だと宣言し始め、最近では沖縄県までも中国の領土であると強弁し始めた。

中国は、南沙諸島や西沙諸島、台湾とその北東海域に位置する日本の尖閣諸島、フィリピンのミスチーフ環礁、マレーシアのラヤンラヤン島の領有権も主張し、その一部は既に中国によって武力支配されている。


韓国は1952年のリショウバンライン設定以降、日本古来の領土である竹島を武力を用いて侵犯し実効支配している。

2010年11月ロシアのメドベージェフ大統領は、民主党政権が日本の領土保全に関心がないと見るや、ロシア元首として初めて国後島(日本がソ連に対し返還を求めている北方四島の一つ)へ強硬上陸しロシアの領土の重要な一部だと強調した。


第2次世界大戦後においても、国家間で領土を巡る武力抗争が存在し、日本の平和憲法の前提条件となった“平和を愛する諸国民の公正と信義”なる条文は砂上の楼閣でしかなかったことになる。

武力を持たなかったウイグルやチベットは、圧倒的な軍事力を持つ中国から侵攻を受けて属国化され、民族のアイデンテティまでも漢民族から抹殺されつつある。

このような冷厳たる事実からすれば、“戦力や軍隊を持たない国は侵略されない”という平和憲法=憲法九条信奉者の論理は全くの詭弁であったことが立証された。


産経ニュース金曜討論「憲法9条」 櫻井よしこ氏、福島瑞穂氏2012.8.31において、社会民主党党首福島瑞穂氏は、他国からの攻撃にはどう対応するか?という問いに対して、
“憲法9条守れば攻撃されず、 憲法9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される”と答えている。
一方、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、
“『憲法9条を守れば外国から攻撃されない』というような意見を政治家が口にすれば国際社会の笑いものになる。政治家の責務は日本国民の命、領土・領海、いわゆる国益を守ることだ。相手が攻めてこないとの前提に立って、対策を講じないのは知的怠惰の極みだ”と反論している。

ヤマちゃんおやじには、『憲法9条を守れば外国から攻撃されない』という福島瑞穂氏の見解は、何ら説得力を持たない空論だとしか思えない。『憲法9条を守れば外国から攻撃されない』という見解は単なる仮説であって実際にその仮説が正しいと検証されたものではない。

検証されない仮説を正しいものだと信じ込み、他人に押し付けるのは、少なくとも知的レベルが相当低い人か、又は最初から他人を騙す意図で嘘をつく大嘘つきの確信犯でしかない。

『九条の会』を支持するネットでは、『憲法9条を守れば外国から攻撃されない』という仮説が堂々と主張されている。又、“第二次世界大戦において日本はアジア諸国を侵略し苦しめたので、その反省に立って不戦を憲法で規定し世界に誓う必要がある”といった自虐論調が共通して見られる。




<日支事変では戦争を嫌がる日本を中華民国が無理やり戦争に巻き込んだ>

【西安事件】
1936年12月12日に中華民国西安で張学良が蒋介石を拉致監禁した事件。この事件によって、それまで「日本軍は軽い皮膚病、共産党は重い内臓疾患」と例えて当初は国共内戦での勝利を抗日よりも優先していた蒋介石が、その後の共同抗日と国共合作を最優先するように態度を一変させた。蒋介石の息子の蒋経国が留学中のソ連に政治的人質に捕られ、帰国を条件に国共合作を認めたという。
この時中国共産党は、圧倒的な戦力を保有する蒋介石軍による攻撃を受け壊滅寸前にあったが、西安事件により息を吹き返すきっかけを与えられた。ソ連の指導者であったスターリンは、日本軍を支邦大陸に釘付けさせることが出来たことで、当初の狙い通り満州国境に配置していたジューコフ将軍旗下の極東ソ連軍100万人の何割かをドイツと戦う西部戦線に振り向けることが可能になった。

張学良の父親であった満州の軍閥のトップ張作霖が乗った列車が爆破され重傷を負いまもなく死亡した。この張作霖爆死事件は、長い間満州に駐屯した関東軍の参謀・河本大作大佐の策略だと信じられていたが、スターリンの命令にもとづいてソ連陸軍特務機関員が計画し、日本軍の仕業に見せかけたことが最近露見した。

当時のソ連首相スターリンの謀略は、アジアでは日本と中華民国を戦争させて中国共産党に漁夫の利を得させながら、極東ソ連軍を西部戦線に投入して対ドイツ戦を有利に進めた。

スターリンは米国のルーズベルト大統領政権内にもスパイを潜入させて、日米戦争を引き起こしソ連が日独から挟撃されるのを防止し、稀代の戦略家として辣腕を振るった。

スターリンは、“日本の下級軍人は勇敢で強いが、上級将校は無能者そろいだ”と日本軍の実情をしっかり見ていたらしい!!!!

【盧溝橋事件】
日支事変(日中戦争)の発端となった盧溝橋事件は1937年(昭和12年)7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件であり、國際コミンテルン(ソ連共産党)の指令により中国共産党軍が引き起こしたことが中国共産党の内部文書に記載されていたのが偶然露見した。

ソ連共産党、中国共産党からすれば、日本と中華民国が本格的に戦争を始めれば双方が消耗し弱体化するので共産軍は労せずして覇権を握ることが出来る(漁夫の利)ので、日本と中華民国を戦争に引きずり込んだ。

【通州事件】
盧溝橋事件の後、1937年7月29日に冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)が日本軍部隊・特務機関及び日本人居留民を襲撃し、日本人260人を見るもむごたらしい方法で虐殺した通州事件が起こり、日本国民は激昂した。

【日本が大幅譲歩し和平会議を呼びかけた】
日本は戦争を回避するために通州事件の後10日も経過していないのに、支邦(中華民国)に大幅な譲歩をして和平を呼びかけた。
ところが8月9日に予定されていた和平会議は、当日支那保安隊が海軍陸戦隊の大山中尉を上海の共同租界・越界路のモニュメント路上で惨殺してぶち壊した。


【大山事件】
1937年8月9日上海共同租界・越界路のモニュメント路(碑坊路=各国人が自由に通行できる通路)を一等水兵・斎藤 與蔵が運転する車で通行中の陸戦隊第一中隊長海軍中尉・大山勇夫は武器を携行していないににもかかわらず道路上にて多数の保安隊に包囲せられ、次いで機銃小銃等の射撃を受け、無念にも数十発の弾丸を受けて即死した殺害事件が発生した。東亜同文会1938年出版の『新支那現勢要覧』に掲載された日本海軍上陸隊の捜査結果には「大山は後頭部の銃撃が致命傷で即死であり、死亡した後にもなお中国保安隊は更に死体にダメージを与え続け、頭部は二つに割れ、顔の半分は無くなり、内臓が飛び出し、心臓の位置には拳大の穴が空いていた」とあると言及されている。上海市長や6カ国からなる停戦協定共同委員会は支那側に謝罪と停戦協定を守るように勧告したが、支那は戦争を始めるつもりであり、謝罪するどころか、大山中尉と斉藤一等兵が自動車に乗り虹橋飛行場に来て場内に進入しようとし発砲したので保安隊と銃撃戦となったという虚偽の捏造に終始した。その証拠として支那側は支那人囚人を射殺し事件発生後数時間後に飛行場内に放置してアリバイ工作を行った。。。


【第2次上海事件】

大山中尉惨殺事件と、その後の支那側の態度に危険を感じた海軍は、警備のために陸軍の応援を要請したが、不拡大方針を頑なに貫こうとする参謀本部の石原完爾少将は「上海に陸軍を出すと戦火が拡大するので出せない」と断った。

仕方がないので海軍は、陸戦隊を1,200名程増派したが、追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、既に国際租界の日本人居留区は支那の保安隊に包囲されていた。

その夜のうちに支那軍は上海付近の鉄道の民間使用を禁じて軍用に切り換えて国際租界に向けて12万の大軍を送り込んだ。

8月12日、上海に送り込まれた支那の大軍は、日本人居留区を包囲していた保安隊に取って代わった。

当時、上海にいたのは海軍陸戦隊4,000名のみで、とても支那の大軍を相手に出来なかったため、海軍は改めて陸軍の派遣を要請した。

緊迫した情勢の中、8月13日、日本政府はやっと陸軍の派遣を決めたが、これから準備するために到着するのに約20日は掛かる。

したがって、海軍陸戦隊には、「絶対に先に手を出すな」と指令したが、この日に支那軍は上海への攻撃を開始した。過 [編集]
8月13日午前10時半頃、商務印書館付近の中国軍は日本軍陣地に対し機関銃による射撃を突然開始した。日本の陸戦隊は応戦したが不拡大方針に基づいて可能な限りの交戦回避の努力を行い、また戦闘区域が国際区域に拡大しないよう、防衛的戦術に限定したほか、中国軍機が低空を飛行したが陸戦隊は対空砲火を行わなかった。列強各国の調停の申し出を期待したためである。
午後4時54分には、八字橋方面の中国軍が西八字橋、済陽橋、柳営路橋を爆破、砲撃を開始し、日本軍は応戦した。午後5時には大川内上海特別陸戦隊司令官が全軍の戦闘配置を命令し、戦闘が開始された。

翌14日には支那軍が上海市街を爆撃し、キャセイホテルやパレスホテルにも落ち、支那人や外国人に死者1741人、1868人の負傷者を出した。支那は、この爆撃を日本軍の仕業と世界中に宣伝した。


あまりの暴虐さに日本政府は「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばして南京などにある支那軍の飛行場や前線基地を叩き、上海などに居た日本人の命を永らえさせた。これが世に言う『渡洋爆撃』であった。

15日、日本側は正式に松井石根大将を司令官とする上海派遣軍を編成。これにより、日中戦争は本格的に華中にまで拡大した。

上記の如く日支事変は、一方的にシナが日本を攻撃したことが明瞭である。しかし、日本の教科書では盧溝橋事件だけが日本が中国を侵略した事件だとして記載されているだけで、【通州事件】、【大山事件】、【第二次上海事件】の如く一方的にシナが日本を攻撃した事件は一切記述されていない
のである!!!!

これらの事実が国民に広まれば、日本が中国で侵略戦争を行ったという大嘘がばれるので教科書には掲載されなかったからであろう。


【フライイング・タイガー部隊】
フライイング・タイガー部隊は日中戦争時にルーズベルト大統領の後ろ盾を受け中国国民党軍を支援したアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group; AVG)の愛称であるが、戦闘機(100機)や100名パイロット、200名の地上要員は米国政府が用意しており、実質は義勇軍の名を借りた米国の対日戦闘部隊であった。 

1937年7月、米陸軍航空隊シェンノート大尉が退役して中国空軍を指揮
1937年12月、南京陥落

1940年12月21日、モーゲンソー財務長官、シェンノートらが
米軍人による日本爆撃を立案。「木と紙でできている日本家屋には焼夷弾が効果的」と意見一致。

1941年5月、統合参謀本部(JB)が対日奇襲作戦「JB355」を策定。

1941年7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名。

7月25日、在米日本資産を凍結

8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止

8月下旬、シンガポールに米人パイロット等三百人が集結。
計画では9月下旬に奇襲爆撃決行。しかし機体の到着が遅れた。

11月26日、ハルノート提示

12月7日、真珠湾攻撃

日本が対米開戦したのが、1941年12月8日である。
米国政府は、実質上日米開戦(宣戦布告)の4年も前から相当量の義勇軍=ライイング・タイガー部隊=を中国に派遣していたことになる。

中華民国軍として兵籍に入った義勇軍のほとんどは米軍人で退役の形をとりましたが、米軍復帰は約束されており、真珠湾攻撃前の姑息な方法によるアメリカの参戦であり、中立違反です。



【日本は米国大統領フランクリン・ルーズベルトにより無理やり対米戦争を開始させられた】

日米開戦前夜、日本が絶対に呑めない条件を列記したハルノートなる最後通牒を米国が日本に突きつけたことで、日本は対米戦争(太平洋戦争)に追い込まれた。

ハルノートを突きつけられたら小国のモナコでさえ、米国との戦争を始めただろうといわれている。

当時の米国大統領フランクリン・ルーズベルトは大統領選挙で外国が起こす戦争には介入しないという公約をしていたので、英国や中華民国から米国参戦の要請があったにも拘らず参戦できなかった。当時の米国はリンドバーグ大佐らによる反戦運動が盛んであり世論は米国の参戦に大反対していた。米国大統領フランクリン・ルーズベルトとすれば、日本が米国に攻撃を仕掛けない限り米国の参戦は不可能な状況にあった。

< 『操られたルーズベルト』 >
『操られたルーズベルト』著書というがある。著者はルーズベルト大統領の長女の娘婿だったカーチス・B・ドール氏であり、その著書は間近に見たルーズベルトの私生活から公務、政治上の裏話が描かれている。

『操られたルーズベルト』第二部 パールハーバーの謀略 より引用する。
元情報:http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060724
(引用開始)
パールハーバーの謀略
  カーチス・B・ドール アンソニー・ヒルダー

はじめに

 1941年12月7日のパールハーバー攻撃に至った出来事の真相を、あなた方に知らせることが出来る機会を得たことを、私は大変嬉しく思います。この攻撃は、合衆国政府の高官層の中で動いていた「汎世界銀行カルテルその代理者(イルミナティ)たちによって引き起こされただけでなく、待望され歓迎されました。平和を愛する日米両国民の上に落ち掛かったこの惨劇を回避する為に、事前に十分な警告が可能であったことは、当時よく分かっていたのです。

 この同じ「汎世界銀行カルテル」当事者は、国際警察軍と世界統一通貨を持つ、国際連合タイプの統一世界政府による世界独裁制――人民の解放でなくその奴隷化のための――を画策した。彼らは日本とアメリカの偉大な文化と伝統を貶め、破壊する方途を探していたのです。世界平和を推進するという見せ掛けの下に、意図的に第二次世界大戦を起こしたのでした。

 その同じ国際線総謀略者とその手先は、中国を毛沢東とその追従者に渡すために、第二次大戦の終了を故意に遅らせました。中国大陸にあなた方の敵を作り上げつつある間に、彼らは国際共産主義に東ヨーロッパを手渡してしまったのです。

 彼らは赤色ロシアに北朝鮮を取り込ませるために、意図的に戦争を長引かせました。そしてあなた方の咽喉部の戦略的重要地を彼らに与えるべく、樺太と千島を売り渡したのです。

 無辜の男女、子供を大量殺戮し、ベビーベッドに寝ている赤ん坊を生きながら焼いた広島と長崎への原子爆弾の投下を命令したのは、アメリカにおける外交問題評議会(The Council on Foreign Relations 以下CFRと略す)と一身同体の、これらの戦争謀略者たちでした。この残忍な凶行を上回るものは、ただドレスデンの虐殺(訳注・アメリカ・イギリス空軍の爆撃による。死亡者は38万人に上った)があるのみです。日本政府が和平への公式の提案を行った後に――私は繰り返す、後に――広島と長崎の破壊が命令されたことを、私は以下に示すつもりです。

       コロンビア特別区ワシントン リバティロビー 委員長 カーチス・B・ドール大佐
(引用終わり)


<『真珠湾の真実〜ルーズベルト欺瞞の日々〜』>

米国では情報公開法の成立により、1990年代ごろから多くの非公開政府文書が公開され始めた。ロバート・B・スティネットは公開された膨大な情報から丹念に関係資料を拾い出しようやく日米開戦にいたる隠匿された歴史の真実にたどり着き『真珠湾の真実〜ルーズベルト欺瞞の日々〜』という著書に纏め上げた。

ヤマちゃんおやじは2008年1月に『真珠湾の真実〜ルーズベルト欺瞞の日々〜』を読んだ。
良く纏まったブログhttp://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060723
から一部引用すると。

(引用開始)
なんとしても参戦したいルーズベルト大統領とその側近たちが考えたことは、日独伊三国同盟の一員である日本に働きかけることでした。

日本が米国に対して戦争を仕掛けてくれば、同盟国であるドイツに対して米国が参戦できる正当な理由になります。
そして、世論を参戦に向けてさせるためには、ある程度の犠牲を覚悟してでも、日本側から先制攻撃をさせることが必要だったのです。

ドイツへの挑発
この矛盾を解消するために、敵国から攻撃を受けて、仕方なく「参戦せざるを得ない」状況をつくる必要がありました。

ルーズベルトは、まずドイツに対し挑発をしかけます。
米軍駆逐艦グリヤーがドイツ潜水艦を追跡し、その位置をイギリス軍機に通報して、爆雷攻撃をさせました。
英軍機が給油のためにその場を離れた後も、グリヤーは探査を継続したため、ドイツ潜水艦はグリヤーに攻撃をくわえました。

これは明らかな米国の中立義務違反です。しかし、この事件をルーズベルトは次のように全米向け演説で報告しています。

「私は、ドイツ潜水艦が、何らの警告なしに、撃沈の意図をもって、米国の駆逐艦に対して先制攻撃をしかけた、というまぎれもない事実を、皆様に報告する。」

ルーズベルトはこのような挑発を1年以上も続け、1941年10月には「ドイツ戦艦および潜水艦は、見つけ次第これを攻撃すべし」という指令まで出しています。

しかしヒットラーは、ドイツ海軍に対し、米軍軍艦への攻撃は避け、自衛に徹するよう命令しており、ルーズベルトの罠にひっかかりませんでした。
やむなく次のスケープゴートとして選ばれたのが、日本です。

対日戦争挑発行動計画
1940年10月、ルーズベルトがもっとも信頼する2人の軍事顧問、海軍情報部長のアンダーソン大佐とノックス大佐宛に作成された一通の覚書には、米国の新しい外交政策が提案されていました。
それは日本を挑発して、米国に対し明らかな戦争行為をとるよう企図したものであり、知日派で知られるワシントンの海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラム海軍少佐が作成した八項目からなる覚書です。 
アーサー・H・マッカラムは、1940年9月27日の日独伊三国同盟締結に絶好の機会を見いだしていました。彼は単なる知日派ではなく、永年日本に居住し日本人の性格や思考形態を熟知していました。

日本を追いつめて、アメリカに宣戦布告させれば、自動的にドイツ・イタリアも対米参戦せざるをえなくなり、ルーズベルトの公約を破ることなく、アメリカはドイツと戦えるのです。
マッカラムの提案した八項目の覚書とは、以下のような内容です。
A 英国と交渉し、太平洋地域、特にシンガポールの英軍基地の利用許可を得る。
B オランダと交渉し、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の基地および物資の利用許可を得る。
C 中国の蒋介石政権に可能な限りの援助を行なう。
D 遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を極東、フィリピン、またはシンガポールに派遣する。
E 潜水艦艦隊二隊を極東に派遣する。
F 現在、太平洋に配置している米艦隊主力をハワイ諸島近辺に維持すること。
G オランダが日本の経済的要求、特に石油供給に関して不当に屈しないように主張すること。
H 英国による対日禁輸措置と協力して、アメリカも日本に対する全面的な通商禁止を行なう。

その後の日本への挑発は、ほぼこの提案通りに実行されていきます。
A 米国は英国の太平洋における軍事基地の利用許可を得ました。
B オランダとの軍事協力に関しては、日本軍の無線盗聴に関して緊密な協力体制が築かれました。
C 蒋介石への軍事援助も一段と強化されました。米軍は、最新鋭戦闘機とパイロット約100名、地上要員約200名が、義勇兵を装って蒋介石軍に参加していたのです。これは米国民の知らないうちに行われ、しかも完全に中立義務違反でした。
D 極東への重巡洋艦隊派遣は、翌41年7月、豊後水道に2隻の巡洋艦を接近させるという形で実現しています。豊後水道は帝国海軍の練習海域であり、海軍の駆逐艦が発見して、日本政府は「国際法違反だ」と駐日大使グルーに抗議を行なっています。
E 潜水艦艦隊二隊の極東派遣は、マニラへの潜水艦24隻の配備として、年明けに実行されました。
F 太平洋艦隊のハワイ駐留も継続されました。詳しくは後述します。
G オランダによる石油その他原材料の禁輸も原案通り実施されました。
H 対日禁輸措置ですが、米国の完全禁輸は、1941年7月に実行されています。しかし、この完全禁輸の前の時期には、米国は石油輸出を制限しつつも、日本への輸出許可を与えていました。これにより、7月の時点では、日本海軍は2年分の石油備蓄をしていす。当時は、日本の空母10隻に対して、米国の太平洋艦隊は7隻であり、当面日本の優位が続くと見られていました。しかし米国は、2年後には100隻の空母を建造して反攻に移れると計算していました。つまり、日本に2年分の石油備蓄を許したのは「戦争を決意させるには十分だけど、最終的に勝利を得るのは不可能」という周到な計算の結果であったようです。

囮になった太平洋艦隊
Fでの米艦隊ハワイ駐留は、日本に軍事的威嚇を与えると同時に、絶好の攻撃目標を与える事を狙いとしていたようです。そもそも米艦隊の母港は真珠湾ではなく、西海岸でした。しかし、1940年4月、訓練のために一時的にハワイに駐留したとき、ホワイトハウスからそのまま当分ハワイに留まることを指示されています。
リチャードソン提督は、ハワイには基礎的な訓練施設も、補給施設も、補修設備もなく、また兵員を家族から離しておくことによる士気低下も考えて、艦隊を西海岸に戻すことを要求していたのですが、ルーズベルト大統領はそれを許しませんでした。
リチャードソンは、直接大統領に会って、ハワイに留まることの不合理さを訴えましたが、聞き入れてもらえません。
リチャードソンは「日本は軍人が支配しており、艦隊をハワイに置くことの軍事的意味を見抜くはずなのに、大統領とハル国務長官はこの事を考慮に入れていない」とこぼしていたと言います。
ルーズベルトに逆らったリチャードソンは、41年2月の太平洋艦隊創設とともに更迭され、海軍少将ハズバンド・E・キンメルが後任に指名されました。キンメルは何も知らされないまま“囮”にされ、最終的には真珠湾攻撃の責任を追求されて降格されてしまいます。

米国の最後通告
対日挑発のとどめとしてルーズベルトが突き付けたのが、1941年11月26日、ハル国務長官が提示したハル・ノートでした。
ハル・ノートの骨子は、アメリカが日本と不可侵条約を結ぶ条件として、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益の全てを放棄することを求めるものです。おおまかに説明すると以下の10の項目によってできています。
1.英中日蘭蘇泰米間の不可侵条約締結
2.仏印の領土保全
3.日本の中国印度支那からの撤兵
4.日米の中華民国の承認(蒋介石国民党政府以外の政府の否認)
5.日米の海外租界と関連権益の放棄
6.通商条約再締結のための交渉開始
7.米による日本在外資産凍結解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄(日独伊同盟の破棄)
10.本協定内容の両国による推進である。
日本政府が「受け入れがたい」と問題視したのが項目3、4、9で、これを最後通告と解釈した日本政府は、翌日、米国との交渉の打ち切りを決定。12月7日の真珠湾攻撃に踏み切ります。
ちなみに、実際には、ハル国務長官は「90日間の停戦を骨子とする緩やかな妥協案」を作成していたのですが、ルーズベルトは、財務次官ハリー・デクスター・ホワイトが作成していた対日強硬提案の方を採用しました。ホワイトはソ連のスパイであり、ソ連人民内務委員部の工作員だったパブロフの指示に従って、この外交案を作成したことが明らかになっています。
また、このハル・ノートの内容は米国議会には秘密にされていました。当時、共和党議員の90%、民主党議員の50%が戦争に反対していたのです。議会に内緒で、戦争を挑発するような内容のハル・ノートを提示したことは、「議会のみが宣戦布告の決定をなしうる」という米国憲法を大統領が自ら踏みにじったものだと、共和党下院議員ハミルトン・フィッシュは批難しています
(引用終わり)



【九条の会賛同者のなかで大学教授が圧倒的に多い】

第二次世界大戦終戦後、戦勝国が敗戦国日本に押し付けた亡国憲法(現平和憲法)を未来永劫に護持する反日団体である『九条の会』の賛同者715人の内、大学教授などの大学教員が334人を占めており、弁護士91人を抜いて断トツだ。

『九条の会』に賛同する政治家は、日本共産党委員長志位和夫、元日本社会党委員長土井たか子、社会民主党党首福島瑞穂、日本共産党前中央委員会議長不破哲三、社会民主党政策審議会会長阿部知子と日本で共産革命を狙う政党の幹部が揃い踏みしている。

共産革命を狙う左翼政党である共産党、社会民主党、旧社会党は、日本が平和憲法を護持して戦力を有さないのは大歓迎であるのは当然である。

しかし、『九条の会』の賛同者715人の内、大学教授などの大学教員が334人と全体の約半分を占めているのは極めて異常だ。これらの大学教授らは何ら高い見識を有しておらず、国民のことなど眼中に無いただの狂信者集団にしか見えない。

『九条の会』の賛同者の中で大学教授などの大学教員が334人を占めており、その中で東京大学が24人、一橋大学が16人、名古屋大学が13人、早稲田大学が13人、東京都立大学が11人、法政大9人、立命館9人、以下省略・・・東京大学が群を抜いている。。。。

“日本共産党の最高幹部は東大出身者に限られる”という不文律があるという!!!


【 最大級の反日売国奴 = 元東京大学法学部主任教授 横田喜三郎 >

1.横田喜三郎は国際法から見て存在しない『平和に対する罪』をでっち上げたGHQに賛同し、東京裁判を正当化した。

第二次世界大戦中及び終戦後の一定期間においては、戦争は国家の基本権であって、戦争の勝負に関係なく戦争を行った罪で戦争に関わった個人が裁判にかけられることは国際法上では存在しなかった。

現在においても国際法上A級戦犯は存在し得ないのは、世界中の國際法学者の中の常識であるとされている。

2.にもかかわらず横田喜三郎は、「戦争犯罪論」なる書籍を出版し何の法的根拠も無い感情論から『平和に対する罪』があたかも正当性を有するが如く弁護し、“日本はアジア諸国に対し侵略戦争を行った”と断定し、国際法的に根拠の無い東京裁判を無理やり正当化した(東京裁判史観の正当化)。

法学をかじった学生が「戦争犯罪論」をほんの少し読んだだけでも、この書籍の論理が矛盾に満ちたものであることが分かったと当時の法科学徒が述懐している。

横田喜三郎は後に文化勲章を受賞するが、この時期密かに「戦争犯罪論」を回収していたとの情報がある。

3.横田喜三郎は、東京裁判を全身全霊で擁護したばかりでなく、一九四八年までは自衛隊を完全否定し、昭和天皇の戦争責任を追及する。と同時に、天皇制の廃止も盛り込んだ『人民主権主議論」を唱えていました。
 
 一九四五年に刊行した著書『戦争の放棄』では非武装論を展開、憲法九条を第二項を完全軍備廃止と解釈するとともに、戦後の民主主義の理解を誤らせる基をつくりました。

3.東大法学部で横田喜三郎の指導を受けた東大法学部卒業生は、横田喜三郎が捏造した誤った東京裁判史観を信奉し、各界に進出して新たな罪悪を積み重ねていった。

自由民主党衆議院議員加藤紘一は東京大学法学部出身であるが、横田喜三郎が捏造した誤った東京裁判史観を後生大事に信奉し馬鹿丸出し振りが識者間では物笑いになっている。

九条の会賛同者に東京大学教授が圧倒的に多いのは、反日売国奴横田喜三郎による影響が色濃いく残っているものと思われる。

特に法律家の横田喜三郎が、法文を無視して、精神的などという論理で戦勝国に賛成するのは、時流に乗るのを生業とする単なる風見鳥でしかない。しかし、この風見鳥が最高裁長官にまで上り詰めたのは、いかがなものか????

外務省、文部科学省、厚生省、財務省、経済産業省などのエリート官僚には東大法学部出身者が多い。反日売国奴横田喜三郎を師と仰ぐ東大法学部出身者官僚が広く東京裁判史観の害毒に冒されて国政の舵を取っていく危険は、想像に難くない!!!!

そういう意味で、反日売国奴元東大法学部主任教授横田喜三郎は、日本最大の反日売国奴の一人といっても過言ではない!!!

東大教授だからといって安心してはならない!!!!

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2012年10月15日

公園ボランティア活動ニュースで2分間放映さる & 大賑わいの伯耆大山


【公園ボランティア活動ニュースで2分間放映さる】

10月11日午前中は公園ボランティア活動を行った。
現在の作業は間伐した木を機械を使ってチップ(小さな木片)に変える仕事だ。

今までは間伐した木を林の中に積み重ねていたが、公園内での美観を考えると他の好ましい方法がないか?と問題があった。

市役所公園担当と公園ボランティア会長が色々協議した結果、市内の木材会社から遊休機械(チッパー)を借り受け公園内に設置し、間伐した木を機械を使ってチップにすることになった。

作業を終え家に帰りビールを飲んで一休みしていると、会長さんから“夕方のNKH山口ニュースで公園ボランティア活動が放送される”という電話があった。

2分間程度の短時間ではあったが、公園ボランティア作業映像と会長インタビューが確かに放送された。

映像には他の3人と共に作業中のヤマちゃんおやじが二回写った。
今までテレビ映像に写ったことはなかったが、特に感じる所はなかった。
売国反日マスコミNKHへの怒りが根底にあったのかもしれない。。。。

防塵用マスクをしていたので顔をはっきり写らなかったが、映像で見る限り腹の辺りが出っ張っていたのがショックだった・・・・メタボ対策には励んでいるつもりだったからだ。。。

ご丁寧にも翌朝のNKH山口ニュースでも放送された。



【大賑わいの伯耆大山】

昨年の10月8日には西日本で最も紅葉が早いといわれる石鎚山に登ったので、今年10月14日(日)には中国地方最高峰の伯耆大山に(標高1729m、以下大山と称す)登ることにした。

大山の紅葉は通常10月下旬あたりがベストといわれているが、天気予報では余り好天ではないようなので、紅葉としては時期尚早を承知の上で10月14日(日)に決行した。

大山周辺には過去4回訪れている。大山弥山が二回、大山三鈷峰・ユートピア・象ヶ鼻・天狗ヶ峰が一回、大山滝・矢筈ヶ山が一回でいずれも夏季であった。

10月14日は、2時出発、7時10分頃大山寺駐車場に着き、トイレ、体操などの準備を終え7時25分に駐車場を出発し、夏山登山道に向かった。

大山寺橋を渡った駐車場は満杯で、多くの登山者が準備中であった。
紅葉シーズンのためか、はたまた“登山は美容と健康に良いという宣伝文句のためか山ガール装束をまとった若い女性の姿が多いのにいささかびっくりした。

一合目、二合目を通過し三合目で小休止する。
山頂で御来光を拝んだ人達が下山してくるのに出会う。三合目を過ぎた辺りから美保湾、米子市街など下界の眺めが見え始めしばし足を休めて風景に見入った。今まで夏山登山道は二回登っているがいずれもガスがかかりこのような景色は見たことがなかったので感動もひとしおであった。

9時頃六合目避難小屋に着きで小休止した。このあたりでは黄葉がかなり進んでいた。椅子に腰を掛けしばし眼前の景色に見入った後9時5分頃出発。

DSCF6657.JPG < 六合目 始まった黄葉 >

六合目を過ぎると登山道の段差が大きくなり息も荒くなるが、視界は開けてくるのでしばし立ち止まり休憩しながら風景を楽しんだ。七号目〜八合目では眼下には黄葉が始まった木々が見事なパッチワークを見せてくれた。こんな風景は五回目の大山でようやく見ることが出来たことになる。

DSCF6662.JPG < 眼下に広がる黄葉林 >

八合目からは大山キャラ木の純林を守る木道(幅約1m)の上を下山者とすれ違いながら歩き、9時55分頃30人前後の登山者が木製観覧席に居並ぶ弥山(標高1709m)に到達した。
弥山から最高峰剣ヶ峰(標高1729m)に至るルートは激しい崩落による危険のため進入禁止となっていた。

DSCF6667.JPG < 弥山から最高峰剣ヶ峰を望む >

周囲見晴らし案内盤(金属製)があり、四国の剣山・石槌山、氷ノ山、三瓶山、烏ヶ山、道後山、隠岐の島などの方位が示されていた。三瓶山、烏ヶ山、道後山は見えたが、

隠岐の島は遥か彼方にうっすらと島影らしきものが見えたが、2回目に見たときにはぼやけていた・・・一回目に見えた島影は欲目で見えたのかもしれないが・・・・・

DSCF6669.JPG < 山頂避難小屋〜中海〜美保湾〜日本海 >


一方下方に目を転じれば四合目から八合目にかけて黄葉を始めた広葉樹林のパッチワークの広がりが秋の深まりをはっきり見せてくれた。

DSCF6672.JPG < 秋色のパッチワーク >

さすが大山は標高1700mを超える独立峰だけあって、剣ヶ峰(標高1729m)方向を除く遠景〜近景、低地〜高地〜空、海〜山〜空を余す所なく包み込む大パノラマはやはり素晴らしいの一言に尽きた。

早目の昼食は、ローソンで買ったムスビと出発前に自宅で淹れたドイコーヒーだった。ドイコーヒーはかなり冷えており出来れば熱いママで飲みたかったが・・・・贅沢かも!!!

昼食後頂上避難小屋でトイレに行き再び山頂に回り景色を満喫した後、10時35分頃下山開始した。

下山では、今まで経験した中では断トツに多くの登山者とすれ違った・・・・数えたわけではないが今回大山登山で見かけた人とすれ違った人の合計は300〜400人はいるのではないだろうか????

苦労して登ってくる人達を待たせて団体となって下っていくのは申し訳ないが、登る人が完全に途切れるのを待って下れば下山時間が大幅に増えるので、止むを得ない所業となる。。。。

五合目から行者谷コースを下った。ブナ林では黄葉が始まっていた。

DSCF6677.JPG < 黄葉を始めたブナ林 >

父母に連れられた小学校低学年の子供や、80歳以上に見える老婆・老爺が急坂を登って来るのを見て感心させられた。

元谷に出て沢沿いに登山道を下り、大神山神社奥宮と大山寺に参拝して12時45分頃駐車場に到着した。

立ち寄った土産物販売店では、”紅葉シーズンピークは10月下旬なのに本日は何と登山者が多いですね〜“と当方がつぶやくと、“今日も登山者が多かったでしょう。昨日(土曜日)も大勢の登山者が来られました”と若主人と思しき男性が多少明るい顔で答えたのが印象的だった。

着替えをして13時10分頃駐車場を出発し途中で一回休んで18時55分ごろ無事帰着した。


帰路山口市地福地区で運転席から左側前方に、かなり広範囲に平な山頂を持つ山が見えた。
なんと言う山だろうか????ひょっとすると、昔山頂には城があったのかも???
等など色々な疑問が湧いた。

自動車走行往復700km、総所要時間≒17時間、累計登り標高差979m:今回の伯耆大山登山は、好天に恵まれ今までの大山登山で最高の眺めが得られた上に望外の黄葉も見ることが出来た。感謝、感謝、感謝。。。。。
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2012年10月10日

中秋の恐羅漢山・旧羅漢山・十方山縦走 & 反日売国奴リストアップ〜 孫崎享 〜 &  反日マスコミが報道しないニュース


【中秋の恐羅漢山・旧羅漢山・十方山縦走】

10月9日(火曜)恐羅漢山(標高1346m)、旧羅漢山(標高1334m)、十方山(標高1319m)を歩いた。

 
西日本最高峰の石鎚山山頂(標高1982m)で10月上旬にようやく紅葉が訪れ、標高1300m級の西中国山地の最高峰恐羅漢山といえども紅葉の見ごろは11月上旬であるので、 紅葉は時期尚早であることは十分承知していた。

大山や九重連峰は遠すぎるので他に歩く山を思い浮かばなかったからだ。

日帰り旅行に行ったかみさんを集合場所まで送り、恐羅漢山牛小屋登山口(広島県安芸太田町)へ向かった。

9時35分頃牛小屋駐車場に着き、9時45分頃出発し夏焼峠へ向かう。7,8年前から壊れたまま放置されていた橋2つが修理されていたのは若干驚いた・・・財政難のためか・・・修理に使用された木材の殆どは中古であった。

夏焼峠で左折し早手のキビレで右折し管理道を下り11時頃台所原平に到着し小憩後恐羅漢山に向かった。

台所原三叉路(標高1000m)で三十三曲がり方面のルートの笹がきれいに駆り払われていたのを発見し、いずれの日にか亀井谷〜三十三曲がり〜台所原〜恐羅漢山に挑戦したい気になった・・・・ベテラン向きのコースらしいが・・・・

登るにつれてかすかではあるが黄葉の兆しが見られ、長径が30cm〜20cmものキノコもあった。写真を撮りながら進んだので最後の登り以外は余り苦しまないで12時10分頃恐羅漢山頂上についた。

DSCF6632.JPG < 始まった黄葉 >

DSCF6623.JPG < 長径が30cmものキノコ >

DSCF6622.JPG < 長径が20cmものキノコ >

誰もいない山頂からの眺めは、過去十数回登った中で最高であった。日本海、阿佐山、天狗石山などは言うに及ばず、十種ヶ峰、青野山も意外にも近く見えた。


驚いたのは刈尾山山裾と天狗石山山裾の間に三瓶山までも望見できたことだった。
DSCF6635.JPG <刈尾山山裾と天狗石山山裾の間に三瓶山までも望見>

以前阿佐山北峰に登った時三瓶山が見えたと感激した記憶があるが三瓶山はそれだけ遠い存在であったのだ。帰宅後地図で方向・山形から調べると何と三瓶山は恐羅漢山から直線距離で80kmも離れていた!!!

木々の緑は消え茶色に変わりつつあった山頂を吹く風はあくまで涼しく爽やかで、汗に濡れたシャツを脱いで木の枝に掛け乾燥させながら上半身裸となりノンアルコールビールを一気に飲み干した。

南方・西方は立木があり展望はきかないので、12時35分頃展望を求めて南にある双耳峰・旧羅漢山へ向かい13時頃到着。山頂の岩に登り始めたが降下する自信がなく断念し、山頂西側の岩場に昇ると西側に展望が開け、寂地山、安蔵寺山および益田方面の日本海まで望まれた。

DSCF6639.JPG < 旧羅漢山 山頂西側の岩場 >

13時10分頃水越峠に向かう縦走路に入り十方山登山口のシシガ谷を目指した。今夏にこのルートを登った時には倒木が通路を塞いでいたが、今回はきれいに撤去されており、新たに木橋が作られる最中であった。吉川林業のヘルメットを被った男性3人が作業をしておられたので挨拶して通過し、13時50分頃シシガ谷に到着した。

案内板を見ると、十方山までの所要時間は1時間20分とあり、二軒小屋までの林道歩きに50分掛かるとのことだった。16時30分頃までには牛小屋駐車場まで帰着できると判断し十方山へ向いかなり急いで登り14時52分に頂上に着いた。

ここからの景観も素晴らしかった。瀬戸内海・広島湾、吉和冠山、寂地山、安蔵寺山、白幡山、築山、平家ヶ岳、十種ヶ峰、青野山・・・・・

菓子パンを食べてカロリー補給し、時間的に余裕が無いので後ろ髪を引かれる思いで15時2分に藤本新道を目指して下山開始した(シシガ谷を引き返し林道歩きで二軒小屋に至るのは2時間程度掛かるが、藤本新道経由だと1時間30分程度で二軒小屋に至ると推量して藤本新道経由下山が有利と判断した)。

十方山から内黒峠に至る長大な縦走路をショートカットできるので重宝される藤本新道は今年春に逆方向から登った。標高1200〜1300mの台地を延々と歩く中で黄葉(紅葉)が始まった木が多少見られた。

DSCF6652.JPG < 黄葉(紅葉)が始まった木 >

4箇所ある登り返しが疲れた足に堪える。

十方山から目と鼻の先に見えた丸子頭(標高1236m)に中々到達しなかったので若干あせり気味となった16時10分ごろようやく藤本新道分岐に達した。概ね40〜50度の急勾配を飛ばして標高差250mを一気に下り16時25分頃県道に出て16時35分に二軒小屋に到着した。

問題は疲れた体に鞭打ってここから車道を標高差で165mも登り駐車場まで辿り着かなくてはならないことだ。

疲労困憊してさらに3200歩40分車道を歩いて17時15分にようやく牛小屋駐車場に辿り着いた。駐車場にはヤマちゃんおやじの車だけが残っていた。

下着とシャツを着替えて、直ちに車に乗った。かみさんが日帰り旅行から帰るのを迎えにいかねばならないからだ。

多少遅れても仕方がない!!!と思いながら空腹を抱え180kmをノンストップで走り、20時40分頃日帰り旅行の観光バスが駅に着きお客が降車している時に、駅前駐車場に着いた・・・・ぎりぎりのジャスト・インであった、ヤレヤレ!!!

送迎兼山歩きというあわただしい山行であったが、黄(紅)葉の走りに出会えた上に、3つの1300m級の山頂からめったに見られない絶景を見られたのは、期待しなくて登った分 望外であった。

累計標高高度差は1086mだった。 感謝、感謝、感謝。。。。。


【反日売国奴リストアップ 〜 孫崎享 〜 】
元外務省国際情報局長という触書で「戦後史の正体」(創元社)という書籍が発売2ヶ月で20万部突破するベストセラーになったそうだ。

書評を見れば殆どが無条件に「戦後史の正体」の内容を手放しで礼賛している。

著者の孫崎享は日本の元外交官、元防衛大学校教授、評論家。
1966年に外務省へ入省し、ロシア語研修留学(イギリス陸軍語学学校、ロンドン大学、モスクワ大学)後、在ソビエト連邦大使館を経て、1985年在アメリカ大使館参事官、1986年在イラク大使館公使、1989年在カナダ大使館公使を歴任。1991年から1993年まで総合研究開発機構へ出向。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任し、2002年より防衛大学校教授として公共政策学科長、人文社会学群長を歴任、2009年3月退官し2012年より筑波大学国際総合学類非常勤講師。

日米同盟強化を対米従属路線であると批判しており、中国などの周辺国を刺激して無用な軍拡競争を煽るだけで意味がないという立場から敵基地攻撃能力保有論やミサイル防衛にも反対している媚中反米主義論客である。

2009年から2010年にかけての鳩山由紀夫政権時に孫崎享は、普天間基地代替施設移設問題を巡り、数多く登場した自称「鳩山ブレーン」の一人として盛んにメディアに登場した。在日アメリカ海兵隊の機能分散移転論者として知られ、鳩山首相には長崎県大村や福岡県築城等、九州各地の自衛隊施設内に海兵隊機能を分散して移転する案を提言した。

『孫崎享が何故アメリカ海兵隊が沖縄に駐留する意味が全然分っていない素人だ』ということがここでも露見した。。。

尖閣諸島中国漁船衝突事件を巡っては、かつて存在したとされる領有権「棚上げ」合意に反して、日米同盟を強化して中国を牽制しようとする菅政権や前原誠司外相を、自身のツイッターなどで批判した。

尖閣諸島について、「日本も中国も自国の領土だと主張しています。どちらもそれなりの根拠があるため、同盟国の米国も中立の立場を取っている」と指摘し、「係争地であるという出発点に立たなければならない」と主張し、日本の尖閣諸島の国有化に強く反対して来た。

又明確な根拠も示さずに“尖閣諸島問題で軍事衝突が発生すれば日本は必ず負ける”と断定している。

孫崎享は、中国の歴史から見ると「すでに14世紀にはその軍事力が尖閣諸島一帯に及んでいたという史実がある」と発言し、孫崎享の主張は支那の主張と同等なので、孫崎享は専ら支那代弁者として解釈できるので、支那のメディアで重宝されている。

そもそも尖閣問題に火を付けたのはガス田開発、漁船体当たりなどに出た支那の方で、それまで日本は、触らず、騒がずの姿勢を守ってきたのだが、孫崎の主張では、その支那からの挑発を棚上げにしている。

“日本のメディアにしばしば登場する人物の殆どは国民にとって要注意人物である”という原則からしても、日本のメディアにしばしば登場する孫崎享は日本国民にとって好ましからざる人物に相違ない!!!

上記から諸点からすれば、孫崎享は紛れもない媚中反日確信犯であることは明らかだ。

このような媚中反日分子が7年間も防衛大学教授を務めていたのも異常である!!!

さらに異常なのは、反日確信犯の孫崎享が書いた書物の内容を疑いもせずそのまま信じる読者が後を絶たないという現象である。

支邦人の手になる著作物の内容を無条件に全部信じる大学教授が多数存在する日本では当たり前かもしれないが、反日確信犯の孫崎享が書いた書物が馬鹿売れするのも誠に情けない!!!


日本人ほど他人の言を無条件に信じる国民は他に居るであろうか!!!???

一例を挙げよう、2007年10月10日のヤマちゃん日記
http://yamatyan369.seesaa.net/article/59945373.html
『日本に対する中国の内政干渉の実態』から一部引用すると、

(引用始め)
昭和57年8月のニュース誤報をきっかけにして、日本の教科書検定について中国からの内政干渉が強まる。
・ 朝日新聞、NHK他のマスコミによる事実無根の誤報にもかかわらず、当時の宮沢官房長官は中国に謝意を示し、「以降政府の責任で教科書の記述を是正する」とし、教科書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」とする「近隣諸国条項」が追加された教科書検定について近隣諸国の国民感情に配慮する談話を発表した。
・ 当時の外務省栗山尚一条約局長は、『中国政府の申し入れは内政干渉に当たる性格のものではない』と国会答弁した
・ 朝日新聞は、誤報に対して未だ釈明も謝罪も行っていない
〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜

ここで注目したいのは、
当時の外務省栗山尚一条約局長は、『中国政府の申し入れは内政干渉に当たる性格のものではない』と国会答弁したとあるが、『中国政府の申し入れは内政干渉に当たる性格のものではない』と断定した栗山尚一条約局長に対して、国会議員の誰一人として『何故内政干渉に当らないのか?その理由は何だ?』と質問していないことだ。。。。

ここでも他人の言を疑いも無くそのまま信じてしまう日本人の特性がはっきり現れていると、ヤマちゃんおやじは思った。

一国の教科書内容に対して他国が口ばしを挟むのは主権の侵害であり内政干渉に該当するは常識であるが、当時の外務省栗山尚一条約局長が内政干渉ではないと国会で証言したこと自体売国反日行為であるのは明白である。しかし栗山は後に外務事務次官に出世し駐米大使を勤め宮内庁参事にもなり功なり名を遂げた。

反日売国奴栗山は2006年外交安全保障インタビューでも2つの誤った考え
@中国共産党はシナ事変において日本軍と戦った
A日本は侵略戦争を反省しシナに謝らなくてはならない 
を主張しているが、いずれも真っ赤な嘘である。

シナ事変において日本軍と戦ったのは中華民国軍と米英軍であり、シナ共産軍は強い日本軍隊から逃げまわり、専ら輜重隊(輸送補給部隊)など弱い日本軍だけを攻撃するのが常であった。シナ事変を起こし謀略で全面戦争へ拡大させたのは國際コミンテルン/シナ共産党であった(日本はシナ事変に巻き込まれた被害者であり侵略者ではない)事は今や世界歴史の常識となっている。

最近になっても栗山尚一はしばしばNHKに出演している所からしても、自ら正真正銘の売国反日勢力であることを証明している!!!


【反日マスコミが報道しないニュース】

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成24(2012)年10月9日(火曜日)        通巻第3781号 から転記
〜〜〜〜〜〜引用始め〜〜〜〜〜〜
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 米議会報告書、中国の華為技術とZTE製品を米国は買わないように
   スパイ行為の懼れが高く、通信データと高度技術が漏洩する恐れ
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 10月8日、米国議会報告は中国の通信器機、製造メーカーでエリクソンについで世界第2位の華為技術の製品を、国家安全保障上の理由から、連邦政府、公務員などは購入しないように呼びかける異例の報告書を出した。

 報告書は議会超党派が作成し、共和党のマイク・ロジャーズ下院議員(ミシガン選出)とルペースバーゲン議員(民主、メリーランド州)が共同で記者会見した(ウォールストリートジャーナル、10月9日)。

 同報告によれば、「華為技術ならびにZTE社はハイテク技術の入手ばかりか、通信データが流出する懼れがあり、米国並びに米国との同盟国の安全保障にリスクを与えるからだ」としている。
 
 華為技術は以前からスパイ行為、技術盗用がめだち、米国のインテリジェンス筋が警戒し、数年間追跡調査、慎重にマークしてきた。
しかしながら米国内で280社の部品メーカーから部品を調達し、金額的にも300億ドル。華為そのものの全米13ヶ所に営業拠点を置いて、1800名を雇用しているため議会でも正面からの批判ができなかった。
〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜

改めて支邦という国は、どんな悪事でも平気で行うゴロツキ国家ですね・・・

こんなゴロツキ国家が誘う日中友好・一衣帯水という誤魔化しの掛け声に釣られて40年間も、ゴロツキ国家に心も莫大な資金も無償技術援助も一方的に貢いできた日本のリーダー達は一体何だったのか???

支邦共産党が放ったスパイに唆され利用された日本のリーダー達は売国奴だと断定せざるを得ない。

その売国奴日本のリーダー達に何の疑いも持たず、抗議もしなかったのは日本国民だ。。。。

やはり終戦後の60有余年で大方の日本国民は愚民化されてしまった感がある!!!!

今からでも遅くはない、全てに疑いを持とう!!!

先ず、反日マスコミ/反日マスコミお抱え有識者の言・主張には耳を貸さないことだ!!!
posted by ヤマおやじ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月04日

商人が政治に口を出す国は滅ぶ & 吉永小百合は反日左翼のお友達!!!

【公園ボランティア活動】

10月2日の午前中は公園ボランティア活動で公園内雑木林の整備作業をした。夏よりも気温が下がってきたので作業効率は多少良くなった。

日当たりが少ない場所での作業であった関係からか、松は殆ど枯れていたが、広葉樹は立派に繁茂していた。繁茂した広葉樹を間引いて伐採したので、林自体が明るくなった。



【財界の反日勢力】 【商人が政治に口を出す国は滅ぶ】

日刊スポーツcom.  [2012年10月1日19時37分]
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp2-20121001-1026159.html
から引用する。

『経団連・米倉会長の政府批判が波紋』という見出しで、
中国政府の招待で先週、北京を訪問した経団連の米倉弘昌会長が、沖縄県の尖閣諸島問題をめぐり妥協しないと繰り返す政府を「理解しがたい」と批判した発言が波紋を呼んでいる。自己主張ばかりでは問題解決しないとの警鐘だったが「領土問題を認めるべきとの進言か」(経済界)との観測が広がった。
 米倉会長は、日中友好団体会長らとともに中国政府に招かれ26日から訪中。共産党序列4位の賈慶林全国政治協商会議主席と27日に会談した。
 米倉会長は会談直後の記者会見で、野田佳彦首相が「妥協はあり得ない」と述べたことを「中国がこれほど問題視していることを日本側が、問題がないというのは非常に理解しがたい。民間の交渉では通らない」と、異例の政権批判を繰り広げた。
 海外から圧力を受けて日本政府が領土に関する見解を変えることは考えにくく、首相の発言は「極めて妥当」(政府関係者)だが、財界人からみれば、強気一辺倒の発言はバランスを欠き、問題を長引かせると映ったようだ。
 経団連は1日、新内閣発足にあたり「近隣諸国との信頼関係を再構築していくことが不可欠」とコメント。野田首相は「領有権問題はないとの立場は堅持する。対話を通じてクールダウンの可能性を探るのが大事だ」と述べた。(共同)
〜〜〜〜〜記事引用終わり〜〜〜〜〜

企業の海外進出においては、進出先のカントリーリスクを見込み海外進出の是非を意思決定するのが定石だ。

中国という異国でビジネスを開始する企業は、中国という国でビジネスを行えばどのようなリスクが存在するかを事前に評価しビジネスプランが妥当か否かを十分検討するのが当然であり國際ビジネスの常道である。

仮に進出先の国情、民度、政治の安定性、慣習法などのカントリーリスクを十分調べずに単なる算盤勘定主体の経営判断で安易に海外進出し、進出先でのビジネスがカントリーリスクが原因で事業継続が頓挫すれば、この海外進出を決定した経営陣・経営者は無能だったということになり、海外進出失敗によって生じた損失は当該企業の自己責任で対処するのがビジネスの基本ルールだ。

今回中国で反日デモの被害を蒙った日本企業は、日本国からの要請で中国に進出したものではなく、企業が自ら意思決定して中国の13億人の巨大市場の甘い餌に飛びついて中国に進出したものである。

これらのうかつな日本企業にとっては、“中国共産党政府が自国の利益のために反日デモを引き起こして日本企業を攻撃させる”のは全くの想定外であったのだろう。

しかし冷たいようだが、“中国が共産党一党独裁国家であり、中国共産党のためならば如何なる違法行為でも何でも躊躇しないゴロツキ国家である”という事実を知っていれば、安易な中国進出はありえないのである。

上記記事にある経団連米倉会長の主張は、企業の自己責任による海外進出の失敗を棚上げして、『尖閣諸島は中国に献上してもいいから中国と仲良くして中国での反日デモを鎮静化させて呉れ』と政府に泣き付き、中国での自社ビジネスの延命を図るものであり、全く無責任極まるエゴそのものである。

今回の中国による反日デモ被害を蒙った日本企業は、”13億人の大市場“とか“一衣帯水”とか”日中友好”とか”東アジア共同体”とかの甘言に乗せられて、中国がいかなる国かその本質を知らずして欲の皮を張って安易に中国へ進出するという大きな経営上の失敗に起因する当然の結果を受けているに過ぎない。

あの投資の神様と呼ばれるバフェット氏は3年前に全ての中国投資を引揚げた。冷静に見てみると、フォークスワーゲンなどの一部を除けば日本以外の国で製造拠点などを中国に設立する企業数は多くない。韓国から中国へ進出した企業の多くは2年前夜逃げ同然に消え去ったので日本からの企業進出数は断トツだ・・・・それだけ日本企業の経営者も一般国民と同じく危機意識が希薄ということであろう。。。。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成24(2012)年10月4日(木曜日)通巻第3775号 (読者の声6)から これに関連する興味深い話を引用してみよう。

(引用開始)
(読者の声6)経済界では経団連はじめ中国に媚びを売る人間ばかりですが、NHKですら中国撤退の難しさを報道するようになってきました。

トヨタは中国での生産を10月はゼロとしています。航空関連の大学を出て日本で働いたこともある中国人のブログを読むと、トヨタと提携している「一汽」はフォルクスワーゲンの最新型の生産を急ピッチで立ち上げようとしているとか。

日産と提携している「東風」はプジョー・シトロエングループと、マツダ・スズキと提携している「長安」はフォード車に。もしかすると日本車の生産設備を乗っ取り欧米メーカーと手を結ぼうとしているのかもしれません。 (PB生、千葉)

(宮崎正弘のコメント)あの反日暴動でプロの襲撃を受けて放火、破壊されたのはパナソニック、ミツミ電機など。クルマの販売店ではトヨタ、日産がとくに酷くやられました。その前の週にメルケル独首相はドイツ財界数百を引きつれて北京を訪問して大型商談をつぎつぎと成立させています。
 要するに、トヨタも日産もパナソニックも「(ドイツがくるから)日本には、もう用はない。出て行け」という中国側からの暗示信号なのですね。
〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜


20世紀前半、1936年日本とドイツが日独防共協定を結ぶまでヒットラー総統時代を含めて30年間にわたり ドイツは中国で産出するタングステンとアンチモンなどの稀少原料提供と引き換えに、日本の敵であった中華民国に対し経済・軍事援助を盛んに行った前歴がある。

メルケル独首相と中国共産党政府間で日本自動車メーカー締め出しが暗黙裡に合意されたと仮定すれば、仮に日本が尖閣列島を中国に献上しても、トヨタ、日産、マツダ、ホンダなど日本の自動車メーカーは中国から難癖を突きつけられ結局いずれ夜逃げ同然に中国から逃げ帰らざるを得なくなるものと推測する。

そればかりではない・・・・中国の楊潔チ外相は本年9月27日の国連総会一般討論で日本の沖縄県は中国の領土だと主張した!!!

仮に沖縄が中国領となれば、米軍は沖縄から撤退するので中国の宿願である台湾侵略・属国化の可能性は一気に高まり現実性を帯びてくる。

日本のエネルギー自給率はたった4%しかない。日本が必要とする石油の90%はアラビア半島からインド洋、マラッカ海峡、東シナ海からなる長大なシーレーンを経て輸入されるが、中国が琉球を支配すれば、沖縄から米軍が去った後の日本のシーレーンは丸裸同然となり、中国の言いなりにならざるを得ない。。。。

この時に至り 平和馬鹿の日本人もようやく沖縄の重大さが始めて分るであろうが、時既に遅し!!!である。。。

米太平洋軍司令官(海軍大将)のキーティングは、2011年3月議会証言で中国軍幹部からある「提案」を受けたことを明らかにした。その提案は、

「太平洋のハワイから東部を米国が、西部を中国がとるというのはどうか」 であった。。。。キーティングは「冗談だと思う」としつつも、 「中国軍の戦略的な考え方を示唆している」と分析した。


<売国反日財界人言語録1:元伊藤忠中国代表 藤野文晤>
元伊藤忠中国代表であった藤野文晤氏は「・・・原点に戻れば、先の戦争で日本は加害者で、中国は被害者だった。それが日中友好条約で全部チャラになった、というのは、中国の国民感情が許さない、と言ってるわけですね」「・・・他のアジア諸国も嫌がっているのに、小泉首相は強引に靖國神社に参拝して、寝た子を起こすようなことをやっている。だから小泉首相が参拝をやめればいいんです。靖国で譲歩したら、中国は次に何を出してくるかわからない、というような、相手を信頼しない外交なら、もうやめた方がいい」語っています。


<売国反日財界人言語録2: 元富士ゼロックス会長小林陽太郎 >
平成十六年九月には富士ゼロックス会長でもある小林陽太郎氏(新日中友好二十一世紀委員会座長)が「首相の立場で参拝することが中国国民の感情を逆撫でし、首脳会談の妨げとなっている」と発言しています。

<売国反日財界人言語録3: 経済同友会代表幹事北城恪太郎(日本IBM会長) >
平成18年に、当時の小泉首相が靖国神社に参拝したことに対し中国が日本に因縁を付けた時、当時の経済同友会代表幹事北城恪太郎(日本IBM会長)は「今後の日中関係への提言」として、首相の靖国神社参拝の自粛や不戦の誓いを行う追悼碑の建立を求め、中国等アジア諸国に少しでも疑義を抱かせる言動を取ることは、戦後の日本の否定につながりかねず、日本の国益にとってもプラスにならないことを自戒すべきだ」発言し中国が日本に行った内政干渉に同調し、小泉首相の靖国参拝を非難した。
小泉首相は『政治と経済は別だ』と経済同友会代表幹事北城恪太郎からの非難を一蹴した。その後寄せられた多くの抗議をうけて北城恪太郎は発言を撤回しお詫びを発表するという醜態をさらした。
ヤマちゃんおやじはこの新聞記事を見て直ちに東京経済同友会代表幹事北城恪太郎へ『商人の分際で政治に口をだすな!!!』とFAXし抗議したのを今でも鮮明に記憶している。

<売国反日財界人言語録4: 元トヨタ自動車会長 奥田硯ら>ネットに 評論家の屋山太郎氏が静岡新聞に寄せた記事があったので以下に転記する。
(引用開始)

・靖国問題、変わる歴史認識
■参拝に否定的な財界首脳■
小泉純一郎首相を囲むいくつかの財界人の会がある。ある会の座長はで七、八人で定期的に会食していたが、このところ、声をかけても総理の方からさっぱり返事がない。しびれを切らして催促に行った使者に対して小泉首相はこういったという。
「あの会に出ると『総理、靖国参拝だけはやめて下さい。あれさえなければ新幹線でも何でも受注でき日本は大儲けできるんですから』という人物が二人いる。心の問題と金儲けを同じ次元で考えるような人物に会いたくない」
この二人というのは奥田氏と小林陽太郎富士ゼロックス会長だという。
この話を聞いた翌日、経済同友会代表幹事の北城恪太郎氏が記者会見で同様趣旨の発言をした。あらためて財界首脳にきくと経済界の七、八割は「皆、そう思っている」という。
その精神の貧困さには驚愕した。
〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜

<売国反日財界人言語録5: ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長>
「靖国」が経済の足引っ張る!!!2005/12/27, 東京新聞によると、
「なぜ靖国神社に行くのか分からない。個人の趣味を外交に使うのはまずいんじゃないか」と憤るのは「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長(56)。

 「政治が経済の足を引っ張っている」と小泉純一郎首相を厳しく批判した。


<まっとうな経営者:富士通社長・会長・名誉会長を勤められた山本卓眞氏>
しかし、中には立派な経営者も居られる・・・・・・富士通社長・会長・名誉会長を勤められた山本卓眞氏だ。。。。。

山本卓眞氏(富士通名誉会長)が「新世紀の靖國神社」(近代出版社)という著書にて的確な批判をされていましたので、その一部を引用します。

(引用開始)
最近、日中関係は「政冷経済熱」(政治関係は冷たい関係だが、経済菅関係は熱く順調)だとよく言われています。・・・その原因が「小泉首相が靖國神社に参拝することによって、中国政府・人民の感情を害していることにあるから、参拝を止めさえすれば、「政熱経熱」になるのだ」という趣旨の意見を表明する向きが強いようです。しかし、これは本末転倒もいいところで、倒錯した屁理屈というしかありません。
そういうことを、・・・何と財界、経済界のお偉方たちまでが、公言しています。

平成十六年九月には富士ゼロックス会長でもある小林陽太郎氏(新日中友好二十一世紀委員会座長)が「首相の立場で参拝することが中国国民の感情を逆撫でし、首脳会談の妨げとなっている」と発言しています。
他にも、十一月に、経済同友会の北城恪太郎代表幹事は、「・・・小泉総理が靖国神社に参拝することで、日本に対する否定的な見方、ひいては(中国での)日系企業の活動にも悪い影響が出るということが懸念される。経済界の意見の大勢だと思うが、総理には今のような形での靖國神社に参拝することは控えて頂いた方がいいと思う」とかなり中国寄りに踏み込んだ見解を表明しています。
・・・元伊藤忠中国代表であった藤野文晤氏は「・・・原点に戻れば、先の戦争で日本は加害者で、中国は被害者だった。それが日中友好条約で全部チャラになった、というのは、中国の国民感情が許さない、と言ってるわけですね」「・・・他のアジア諸国も嫌がっているのに、小泉首相は強引に靖國参拝して、寝た子を起こすようなことをやっている。だから小泉首相が参拝をやめればいいんです。靖国で譲歩したら、中国は次に何を出してくるかわからない、というような、相手を信頼しない外交なら、もうやめた方がいい」語っています。

・・・財界人や経済人も靖國神社や政治に口を出すなら、もうすこし歴史を勉強してからにしてほしい。藤野氏は、「日本人が中国と本気で付き合おうと思ったら、むしろ中華世界の一員になる覚悟が必要です。たとえば日本人は会社人間だけど、中国人はみんな個人。その中国人を使っていこうと思ったら、こちらが中国人にならなきゃ」とまで言い切っています。

お言葉ですが、チベットやウイグルや内蒙古等々、「中華世界」の中に中国の武力によって強制的に組み敷かれた人々がどんな悲惨な目に遭遇したかを、藤野氏はご存知ないのか。伝統文化を破壊され、漢民族が強制的に移住してきて、彼らが政治経済文化あらゆるものを支配していく。・・・今、中国はその支配の翼を台湾にまで拡げようとしています。もし台湾が「中華世界」に取り込まれたら、その次に狙われるのは尖閣か沖縄か日本本土か? 日本が、そんな「中華世界」の一員になるなんて御免蒙(こうむ)るというしかありません。

中国といえども、さすがに二十一世紀になって、かつてチベットを侵略し併合したように軍事力を使って他国の領土をすぐさま蹂躙(じゅうりん)したり自己のコントロール下に置いたりするわけにもいかない。だから、日本に対しては「歴史カード」を繰り返し使うことによって、北京の意向に屈服する日本人を増やそうとしているのです。とりわけターゲットにされているのが、我々経済人なのです。そのことを肝に銘じて、経済人は行動すべきです。そうしないと、易々と中国の覇権主義に組み込まれてしまう。歴史的に見ても、かついての朝貢外交ではないですが、中国周辺国家は常に中国によって骨抜きにされる恐れがあるのです。大国インドといえども、かつて中印戦争では完敗したこともあった。ベトナムも「懲罰」のための戦争を仕掛けられたこともあった。(幸い、その戦争では中国が完敗しましたが)韓国だって、朝鮮戦争は金日成とスターリン、毛沢東が結託しての戦争であったし、今日三十八度線が健在なのも、中国が朝鮮戦争に「参戦」したからこそです。このように、中国こそアジアに於ける最大の「戦争勢力」であり、こういう国と密接不可分な関係を持つことには十分注意する必要がある。

にもかかわらず、今は「東アジア共同体」にうつつを抜かす経済人が跋扈(ばっこ)しています。これだって、アジアの将来をよくよく考えて考慮していくべきです。アメリカとの関係、アジア国家群の思惑もあるし、中国自体が、一党独裁国家であり、その経済運営にしても国家による恣意的なものが強い以上、すべての国が民主主義で運営されるEU(欧州連合)とは全く異なる状況がアジアに存在している現実を注視すべきです。バスに乗り遅れるな式のムードに流されてはいけません。経済界の中には「東アジア共同体」構想を実現するためにも、日本と中国の関係を修復しなくてはならない。そのためには小泉首相の靖國参拝を中止すべきだ・・・と考える向きもあるでしょうが、とんでもない話です。「正義」より「利益」を優先するとは、短慮の極みというしかない。

せめて、勉強不足ならば、「政経分離」の原則を守って、「沈黙は金」として、中国の言い分を黙殺する方がはるかにまともです。
(引用終わり)

<反日売国財界人による最近の愚行>
北京市内を走行中の日本大使公用車から日本国旗を強奪された犯人が処分されず未解決状態にあった本年9月2日、北京市の朝陽公園で開かれた「スーパー夏祭り」に参加した丹羽宇一郎駐中国大使も普段着姿で一般客の踊りの輪に加わり、“草の根交流”に一役買った。日本国旗を強奪された丹羽大使は終了後「難しいことは忘れて日本と中国が仲良くやれてよかった」とぬけぬけと語った。

日本の国旗を中国人が強奪したこと自体、日本に対する重大な敵対行為に他ならず昔なら戦争開始の立派な理由になるような重大事件である。

しかし元伊藤忠商事会長・社長の丹羽宇一郎駐中国大使は、この日本に対する重大な敵対行為を起こした犯人に対する厳正な処罰が実施されず事件が未解決状況にあるにもかかわらず、敵対国との友好を祝う盆踊にのこのこと出て行く様は、愛国意識など何処にもない売国奴でしかない!!!



【 ”商人国家は必ず滅ぶ”・・・・世界史の教訓 】

かって強大な勢力を誇った古代国家カルタゴやフェニキアで商人が政治の実権を握ったことで国が滅びたことは世界歴史の教訓である。

江戸時代では『士農工商』であり、商人(あきんど)の地位は最も低かったが世界歴史の教訓からすれば正しい!!!、今の日本で商人(あきんど)の分際で政治にぬけぬけと口を挟んでいるのは、世界歴史の教訓からすれば僭越である。

小泉元首相以降、中国の言う通りにして、日本の首相は誰一人靖国神社に参拝していない。
にもかかわらず、中国は尖閣列島での侵略行為を新たに仕掛けてきた。
挙句の果てには、沖縄も中国の領土だと国連で演説した。

中国という野蛮国家・ヤクザ国家は、日本が譲歩すればするほど要求をエスカレートさせてくるのは明々白々だ。


<40年間の日中友好の中身は> == 中国ボロ儲け、日本は大損 ==
中国は日本から
@3兆円ものODAを得
A多大な技術移転・技術指導も得、
B日本からの対中投資600億ドルを得、
C新幹線技術を日本からパクリ、
D日本の名物、名所の名前をパクリ、無断で商標化し
E中国の土地は寸土も売らないくせに、新潟中国領事館敷地用一等地、日本の水源地などをバンバン買い漁り
F在日中国人による中国在住扶養家族申請による税金不払い 等等
・・・・・<中国はボロ儲けした>

日本が中国から得たのは、
@パンダ2匹(途中からリース料を支払うハメになった)も貰ったが、
A度重なる中国からの内政干渉・精神的攻撃・恫喝行為を受け、
B中国人犯罪者による多数のピッキングなどの凶悪事件発生による被害が続出し 
Cオレオレ詐欺による被害も続出し(殆どのオレオレ詐欺電話は中国から発信されている)等等
・・・・・<日本は一方的に莫大な損失・被害を蒙った>

結局 日中友好とは名前ばかりで、日中友好の中身は『一方的に中国が得をし、日本一方的に損をした』である。

“犯行によって利益を得た者が犯罪の犯人である”のは古今東西の常識である。

日中友好を巧妙な詐欺事件と見立てれば、犯人は日中友好によって多大な利益を得た中国であり、被害者は多大な損失を被った日本であろう!!!

日中友好なるものは1972年田中角栄氏による日中国交正常化から急に本格化した。


それまで日本は台湾(中華民国)と友好関係にあり中華人民共和国(中共)とは国交が無かったのだから、当時としては日中国交正常化は青天の霹靂であった!!!

物理学に運動の法則というのがある。運動の第一法則の内容は「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」であり、運動の第二法則の内容は「物体が力を受けると、その力の働く方向に加速度が生じる」である。

運動の第一法則からすれば、田中内閣の前の佐藤内閣までは日本と中華人民共和国(中共)とは国交が無かったので、田中内閣に外力(外部からの力)が働かなければ、田中内閣でも日本と中華人民共和国(中共)とは国交が無い状態が継続したはずであった。

しかし実際には、田中内閣になって日本と中華人民共和国(中共)との間に国交が正常化した。運動の第二法則からすれば、田中内閣に対して大きな外力(外部からの力)が働いた結果、それまでの軌道から大きく外れて日本と中華人民共和国(中共)との間に国交が正常化した・・・・と解釈できる。

この田中内閣に働いた外力は、中華人民共和国(中共)から与えられた力であったことが覗える。なぜなら、日中国交正常化によって莫大な利益を得たのは中華人民共和国(中共=今の中国)であったからだ。

日本が自ら真に日中友好を望んだのであれば、このような『日本の一方的持ち出しは無かった』はずだ。

現実に日中友好なるものが『日本の一方的持ち出し』に終始していることを勘案すれば、日中友好なる詐欺行為は実は中国側が日本側に巧妙に仕掛けた罠であった可能性が高い。。。。1972年(昭和47年)田中角栄氏による日中国交正常化以前に一体何があったのか???

ヤマちゃん日記2007年10月6日http://yamatyan369.seesaa.net/article/59224847.html
によれば、
(引用始め)
☆【昭和45年3月】 自民党松浦訪中団訪中。朝日新聞広岡社長同行、周恩来首相と会見、一ヶ月滞在

☆ 1970年(昭和45年)9月21日岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著)発刊
  大江健三郎氏は、渡嘉敷島の集団自決を命令したのが赤松大尉であり、赤松大尉を「あまりにも巨きい罪  の巨塊」と表現した。

☆【昭和46年1月】 朝日新聞広岡社長は新年祝賀会で重ねて「中国との国交正常化の推進に、本社が精力的 に取り組む必要を痛感する。極東の緊張緩和を図ることが、国際の平和にとっても、日本国民の安全と繁栄 にも極めて重要」と述べ、論説委員室は「日中国交回復は、経済大国になった日本が軍事大国へ傾斜して行 くことを食い止める唯一の道」と主張  http://www.worldtimes.co.jp/j/seiji/sj060116.html

☆ 1971(昭和46)年8月から12月まで、朝日新聞本多勝一記者の手になる現地ルポ「中国の旅」連載を  開始。この記事内容に対する読者からの事実誤認の指摘に対して、本多勝一記者「・・また私は中国側の  言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでし  ょうか」と返信したとの情報もある
  http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/tyugoku-no-tabi/tyugoku-no-tabi.html

☆【昭和46年7月11月】 アメリカ大統領補佐官キッシンジャー氏秘密裏に訪中、ニクソン大統領訪中を発表

☆ 大宅壮一文庫によると、25年近くほとんど誰も語っていなかった「南京虐殺」の記事が、昭和46(1971)年  一年間で突然12件も登場する。70年代からコトは始まったのだ
  http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sk=0&sv=%C4%  AB%C6%FC%BF%B7%CA%B9&p=2

☆【昭和47年2月】 ニクソン大統領訪中毛沢東主席、周恩来首相と会談

  日本の頭越しに米中会談があり日本はショックを受ける

☆【昭和47年7月田中内閣発足】
  田中首相は「外交面では、中華人民共和国との国交正常化を急ぎ、激動する世界情勢の中にあって、平和  外交を強力に推進していく」との談話

☆【昭和47年9月日中国交回復】  1972年9月29日、「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日  中共同声明)の調印式が中華人民共和国の北京で行われ、田中角栄・周恩来両首相が署名し、これによっ  て日本と中国共産党率いる中華人民共和国とが国交を結ぶこととなった

 (抜粋)日本と中華人民共和国は主権、領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政相互不干渉、恒久的な平和  友好関係を確立する

☆ 昭和四十八年に曽野綾子氏の『ある神話の背景』が出版され、渡嘉敷島のケースについて、軍が命令したと  いう従来の「定説」に決定的な疑問([14]の内容)を投げかけた。それ以来、「沖縄集団自決軍命令   説」は次第にその虚構性が明らかになってきた。
〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜

ヤマちゃんおやじは、“ 【昭和45年3月】 自民党松浦訪中団訪中。朝日新聞広岡社長同行、周恩来首相と会見、一ヶ月滞在”が臭い ・・・と以前から感じていた。

その理由は、
@昭和45年3月朝日新聞広岡社長が周恩来首相と会見した後、一ヶ月間中国に滞在しているのは、不審である。 朝日新聞広岡社長は中国共産党幹部と日本と中国の国交正常化への具体的段取りを密談したとすれば一ヶ月 間の中国滞在は納得できる。

A昭和46年1月に朝日新聞広岡社長は新年祝賀会で重ねて「中国との国交正常化の推進に、本社が精力的に取り 組む必要を痛感する。極東の緊張緩和を図ることが、国際の平和にとっても、日本国民の安全と繁栄にも極 めて重要」と述べ、論説委員室は「日中国交回復は、経済大国になった日本が軍事大国へ傾斜して行くこと を食い止める唯一の道」と主張し

B昭和46年8月から12月まで、朝日新聞本多勝一記者の手になる現地ルポ「中国の旅」連載が開始され  て、日本軍による中国侵略戦争という捏造記事が意識的に執拗に流され日本は中国対し悪事を働いたという イメージを日本国民に植え付けた。現地ルポとは真っ赤な嘘であり、ネタは中国から仕入れたガセネタだっ た。

C昭和45年3月朝日新聞広岡社長と周恩来首相との会見以降、昭和45年9月岩波書店『沖縄ノート』(大江健三 郎著、大江健三郎は実際には実地取材をせず、沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』などの内容を転記 したことが露見した)、昭和46年8月朝日新聞本多勝一記者の手になる現地ルポ「中国の旅」、25年近く ほとんど誰も語っていなかった「南京虐殺」の記事が、昭和46(1971)年一年間で突然12件も登場するなど 旧日本軍の残虐性を捏造する動きが内外で見られるようになった。現在では「南京虐殺」は江沢民一派が捏 造した架空の事件であることが証明されている。
 
 以上から、朝日新聞が中国のスパイとなり 日中国交正常化を強力に 推進した と推測できる。



★ 度重なる中国からの日本への内政干渉・精神的攻撃・恫喝行為 の数々 ★

@1982年の第一次教科書事件
A2002年には瀋陽領事館事件
B2003年に西安寸劇事件
C2004年にアジア杯サッカー事件、
D2005年に極めて大規模な官製反日暴動、
E2008年には日本の地で中共学生による長野争乱事件、
F2010年には前回の尖閣事件、
G2012年の尖閣事件
H2012年の大使襲撃事件 等等

1982年中国が朝日新聞と組んで日本に対し一次教科書事件を仕掛けた時には、中国は慎重にも日本国民の反応を2ヶ月近く見守っていたが国民からの反対抗議が無いので、日本国民の平和ボケぶりを確信した。以降中国は安心して日本に無理難題をドシドシ吹っかけるようになった。

昭和40年ごろまでの日本人は偉かったが、今の日本人は外国が日本の主権を侵しても無反応であり、国家意識・民族意識を完全に喪失した日本人に成り下がった。。。。

GHQからの指令を受けたNHKによる”日本軍国主義宣伝放送”と三木政権(任期 1974年12月9日 - 1976年12月24日 )から本格化した日教組と文部省の蜜月関係から強化された自虐的歴史教育によって”日本は悪い国だ”"日本は侵略国だった”と骨の髄まで教え込まれた影響であろう。


尖閣事件において、“日本国憲法9条が武力を禁止しているので日本の領土・領海を侵しても日本が銃弾射撃などの実力行使が出来ずせいぜい放水しかできない”ことを中国側漁船や監視船が承知しているので何度も日本の領土・領海に浸入してくる。

『9条の会』は、中国や韓国が日本の領土・領海を侵しても日本が未来永劫に実力行使を出来ないようにすることを願っているのだ。換言すれば、『9条の会』は中国や韓国による日本の領土・領海侵犯を誘い、終局的には中国による尖閣諸島・沖縄支配を積極的に応援していることになります。。。

●『悪魔の飽食』全国縦断コンサート・呼びかけ人/賛同者の中に吉永小百合の名前がみえる。『9条の会』の賛同者の中にも吉永小百合の名前がある。

【 あの清純なイメージの吉永小百合が有力な反日勢力だとは・・・・にわかに信じ難い!!!!! 】

吉永小百合 と 赤旗(日本共産党機関紙) をキーワードにしてネットで検索してみた。
すると・・・・・出るわ、出るわ!!!

一例を挙げると、

(引用開始)
2005年10月13日(木)「しんぶん赤旗」
被爆60年で10・18大集会 被団協 吉永小百合・井上ひさしさんら賛同
平和願い、証言やライブ開催へ


「核兵器も戦争もない世界をめざして」を掲げ、広島・長崎の被爆者でつくる日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)は18日に東京・九段会館で「被爆60年10・18大集会」を開きます。被爆者と市民が一緒になって、核兵器廃絶と被爆者援護の運動を発展させていこうと開かれるものです。集会成功に向け、各地でとりくみがすすんでいます。
<中略>
大集会は、映像と証言による「被爆六十年の歩み」でオープニング。小室等さん、寺井一通さん、横井久美子さんの歌と音楽、原爆症集団訴訟の原告や弁護団、市民らによるリレートークなどがおこなわれます。

賛同者として、吉永小百合(俳優)、上條恒彦(歌手)、井上ひさし(作家)、永井潔(画家)、山本俊正(日本キリスト教協議会総幹事)、小沼通二(世界平和アピール七人委員会事務局長)、梅林宏道(ピースデポ代表)、増田善信(気象学者)の各氏が名前を連ねています。
〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜

平和の女神 清純派の吉永小百合は、筋金入りの反日左翼作家井上ひさしのお友達であることが分った!!!

支邦共産党スパイの日本浸透は、かくのごとく日本の隅々まで及んでいるのだ!!!とし
posted by ヤマおやじ at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする