ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2011年07月27日

将来ある子供の健康を無視したスッカラ管政府・東電・マスコミの大罪

白山に行く前からズート気になり白山から帰って調べたことを以下に記します。。。。


東電、スッカラ管内閣、マスコミの三者は原発事故被害・放射能障害を拡大させた犯罪者集団

証拠1:放射線汚染による強制避難限界値
ロシアでは5ミリシーベルト/年の被ばく線量が見込まれる地域は国が強制的に避難させる。
スッカラ管内閣は福島原発事故では20ミリシーベルト/年でありロシアの4倍も
ゆるい。国民の健康を犠牲にしてまで東電による被害範囲を過小評価し賠償額を削減する決定を行った。

しかし日本の大新聞、公共放送を自認するNHK・民放はこのロシアの4倍も
ゆるいスッカラ管内閣が定めた20ミリシーベルト/年の危険性を一切報道しなかった。

逆にマスコミは、100ミリシーベルト/年の放射能を浴びても健康には影響ないと断言する御用学者山下俊一(長崎大学大学院医歯 薬学総合研究科長、同研究科附属原爆後障害医療研究施設教授)を再三テレビに登場させて、スッカラ管内閣の重大な犯罪を隠蔽した。

(余談ながら)

大うそつきの御用学者山下俊一を県職員に採用した福島県知事佐藤雄平も食わせ物ではないか???

原発事故の1週間後に福島県知事が東電社長に会うのを拒否したが芝居くさいと感じていたが・・・
最近御用学者山下俊一は、”人心を惑わさないために100ミリシーベルト/年の放射能は安全と言った"と弁解じみた発言をした。

御用学者山下俊一が音頭をとり、18歳未満の健康調査を継続的に行う事を最近福島県が決定した。
健康被害が発生し露見するのを待つ格好であるが、健康被害が出ない環境に若い人を移動させるのが先決ではないのか!!!

御用学者山下俊一は多数のデータが取れて論文が書け名前が売れるが、被害が発生した本人は浮かばれない!!!

〜余談終わり〜

証拠2:文部科学省は学童に対する放射能の危険を過小評価
本年4月19日文部科学省は、学童に対する放射能被曝限度を20ミリシーベルト/年(20ミリシーベルト/年以下であれば学童の健康に影響は無い)と決定した。

この決定に対し日本医師会は危険すぎるとして抗議文を出した。

従来日本には“5.2ミリシーベルト/年以上の放射線を被曝する恐れがある区域を文部科学大臣が放射線管理区域として定め、関係者以外の立入を禁止し区域内に働く労働者に対し放射線による労働者の健康障害の防止に必要な事項を掲示しなければならない”となっていた。

しかし文部科学省は、“大人よりも放射線障害を受けやすい学童に対し、放射線管理区域の4倍もの強い放射線被曝環境においても安全である”との大嘘のお墨付きを出したのである。

しかし日本の大新聞、公共放送を自認するNHK・民放はこの文部科学省による子供の健康に対する世界に類を見ない大犯罪行為を一切報道しなかった。


証拠3:原発事故第一ステップ収束工程表収束の大嘘
”東京電力と政府は7月19日、福島第一原子力発電所の事故収束に向けた工程表について、ステップ1を達成したと発表した。原子炉・燃料プールの安定冷却を実現したほか、放射性物質の放出量を事故時の200万分の1に、敷地境界の放射線量を最大で年間1.7ミリシーベルトまで下げた”と公表した。

この工程表を作成した時点では、東京電力と政府は福島原発1〜3号機での核燃料メルトダウン発生を認識しておらずあくまで原子炉の冷温停止達成をステップ1の目標としたものである。

しかしながら実際には3月11日から短期間で福島原発1〜3号機での核燃料がメルトダウンしていたので、現時点では原子炉の定温停止という目標は全く的外れなものとなった。メルトダウンした核燃料から出る強い放射能物質をいかに封じ込めるかが本来の目標でなければならない。

確かに原発から大気中に放出される放射能物質は大幅に減少したのは間違いないが、メルトダウンした核燃料から海中ないしは地下へ放出される強い放射能物質は野放し状態であり、このもっとも危険な問題に対する対策を怠る東電・スッカラ管内閣の無策は犯罪的サボタージュである。
    

しかし日本の大新聞、公共放送を自認するNHK・民放はこの第一ステップ終了と言う東電・スッカラ管による大嘘発表に一切反論せず容認しし国民を欺いた。

野党もこの東電・スッカラ管・マスコミの大罪を見逃し、スッカラ管の延命に助け舟を出している。

この大罪を放置し国会対策に奔走する自民党幹部もオオバカ????!!!!


スッカラ管内閣・東電・マスコミが犯した3つの大罪

@ロシアよりも4倍もの緩い(危険な)避難基準を敢えて決定し多数の国民を放射能に被曝させた大罪

A学童に対する世界に類を見ないほど危険な被曝基準を定め、学童疎開させず将来ある子供に過大な放射能被曝を強要させた大罪

Bメルトダウンした核燃料から海中ないしは地下へ放出される強い放射能物質を垂れ流して放任し何も対策を進めない大罪

を強く世間に訴え、先ず国賊管直人を首相の座から即刻ひきずりおろす作戦を取るべきと感じる。


スッカラ管擁護者は放射能被害に関わる各種限界値(暫定値)の多くは、ICRP(国際放射線防護委員会)勧告値に準拠していると言うかもしれない。

国際と名前がつけば何でも正しいということはない・・・・むしろ怪しむべきである。

実はICRP(国際放射線防護委員会:準公的機関)とは、原発推進に熱心な諸勢力が設立した団体であり、その前身はトルーマン元米国大統領が提唱して発足したものからして拠って立つスタンスは統一政府による世界支配だ。またICRPはチェリノブイリでの例証が明確に存在するにもかかわらず放射能による内部被曝を認めていない。

よってICRP勧告数値は原発推進者にとっては好都合であるが、国民にとっては実に危険な数値である事をよく認識しなければならない!!!

ICRPと正反対の立場で放射能が人間に与える影響を真摯に評価する団体が欧州放射線防護委員会(ECRR:民間団体)である。


ちなみに、チェリノブイリ事故での放射線障害例証を科学的に分析した知見に基ずく欧州放射線防護委員会の主張の一例を挙げると、

公衆の被曝限度は0.1ミリシーベルト/年、原子力産業従事者に対する被曝限度は2ミリシーベルト/年。

文部科学省が4/19に定めた学童に対する放射線被曝限度20ミリシーベルト/年が如何に無責任極まりない非常に危険な数字であるか良く分かるであろう!!!


最近スッカラ管が原発反対を唱えるのは、自らが加担し犯した上記@AB犯罪行為をカムフラージュし、延命するための猿芝居の一つであろう!!!

スッカラ管は20年先の事より(原発禁止)、現下の一大危険を先ず回避すべきであろう。
しかしスッカラ管にはその任にあたる力も意欲も無い・・・首相失格は歴然である。。。。


未来のある子供(学童)の健康を踏みにじり、深刻化する放射能流出による危険拡大を放置するスッカラ管内閣・東電や原子力村に群がる原子力亡者どもを心ある国民は総力を挙げて一刻も早く断罪しなくてはならないのではないか!!!


テレビを見るのは止めましょう。。。

国民の敵である偽公共放送には視聴料を徴収する資格は無い。。。

朝日、読売、毎日、日経などの新聞購読は止めましょう。。。
朝日、毎日は既に赤字です。あとは読売と日経。。。。

国民が出資して、真に国民側に立つ報道機関を新しく作れば問題は多少解決するかもしれない!!!
posted by ヤマおやじ at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月24日

錦川水源探訪;公園林業作業ボランティア


< 錦川水源探訪 >

腹周りの脂肪も再び増え、自然水在庫も無くなったので7月23日(土)に錦川源流を訪ね屋敷川(西側;本流)を遡り弟見山に登り屋敷川(東側;支流)を下った。

およそ1ヶ月前に決行したが梅雨時での増水で断念したリベンジ版といえる。8時30分頃自宅を出発し10時35分頃屋敷川駐車場(標高500m)に到着し、10時40分徒歩開始。

11時頃屋敷川林道分岐に到着し、左折し屋敷川(西側;本流)に沿って屋敷川林道を遡る。

11時20分第一の渡河地点で飛び石伝いに左岸に移動し荒れた林道を進み11時30分頃左手に堰堤を見送りながら人跡が無い道を進む。
・・・が進行を邪魔する木を切り払う回数が急に増え予定時間を大幅に遅れることになった。

13時20分頃第二の渡河地点に至り右岸に渡り300m程度進んだ所(林道終点?)で流れが2又に分かれる地点で水量の多い右側の谷を進む。

13時40分頃風通しの良い場所で遅い昼食としてムスビ1個を食べる。再び進むと谷は二股となったが右側に谷に進んだ。谷の傾斜が急になり小型の滝も現れ始め高さ2mの滝は取り掛かりが無いので右に巻いた。

14時15分頃流れが最所の一滴になる場所に到達した。

DSCF5103.JPG 最初の一滴が流れ落ちる錦川の源流

上方には背丈1m以上の笹が密集した傾斜40度はある薮が待っていた。

この辺りからおよそ標高100m上に弟見山~荕ヶ岳縦走路があるのは間違いないので心理的に圧迫される事は無かった。

両手で笹を掴み腕力で体を押し上げるが、笹が抵抗になって遅々として進まず、おまけに多数の枝を広げた曲がり木が進路を遮る上に太陽が照り付け、血をすう虻も飛んできた・・・・このような厳しい笹薮は4年ぶりであろうか!!!

5年前に屋敷川林道支線終点から、道なき道を密生した藪と曲がり木を掻き分けながら弟見山~荕ヶ岳縦走路に悪戦苦闘の末たどりついたのを懐かしく思い出す(昨年にはこの道は整備されたのでやや登りやすくなった)。

最初は15時まで山頂着で良いと思っていたが、笹薮で予想以上の大苦戦したので16時まで山頂着へ延期し心理的に追い込まれないように注意した。

15時20分頃ようやく弟見山~荕ヶ岳縦走路に出てポカリスエットをがぶ飲みし150歩登ってやっとの思いで山頂(標高1085m)に到着した〜ヤレヤレ。

久しぶりの笹漕ぎの悪戦苦闘であったので山頂に着いたときはただ感激するばかりであった。

今回のコースは笹漕ぎ+急傾斜の登りであり、同じコースを下る場合と比べれば3〜5倍はキツイのではないだろうか!!!

残りのムスビを食べ15時50分頃下山開始し、屋敷川林道支線(東側;支流沿い)へ下る急なルート通って帰り、16時20分頃屋敷川林道分岐点に到着し17時40分頃駐車場に着いた。

登りが4時間40分(内約1時間の木こり作業を除くと3時間40分)、下りが1時間50分;
如何に藪漕ぎがすごかったかが分かる!!!

熊坂峠付近の金剛水40Lを戴いて19時20分帰着し、早速体洗ってビールを2缶立て続けに飲み、リベンジ成功を祝った。


< 公園林業作業ボランティア >

7月24日(日)9時〜12時、公園林業作業ボランティアに参加した。

今までの4人に加え知らない2人が集まり6人の中高年がそれなりに無理の無い範囲で公園内林に生える雑木を伐採し、草を刈った。

これらの作業の結果幅3m長さ30mの敷地がかなりきれいになった。
少しではあるが社会に貢献したので汗びっしょりになったが気分は爽快であった。

不思議な事に、白山登山から帰って足の痛みが今回無かった。
途中で太股、ふくらはぎを揉んだからか?
それともコースが初級用だったのか???

いずれにしても感謝、感謝、感謝!!!
posted by ヤマおやじ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

白山に登る

バスツアー白山(標高2702m)登山で7月16日16時30分に自宅を出発し19日0時50分に無事帰着した。

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< 御前峰 & 室堂センター >

快くバス停まで送迎したくれたカミさんをはじめお世話になった諸々に感謝いたしたい。。。。

参加したバスツアー登山はバス車中1泊、山小屋1泊の3日間の中級者向けコースで、ヤマちゃんおやじにとっては初の山小屋泊登山でもあり、一日累計高度差1452mも初体験であった。

天候も晴れに恵まれ、三連休でもあり多くの登山者がいたのでしばしば渋滞しのろまなペースとなったことが疲労蓄積防止の面では大いに幸いした。

初日のバス車中泊では22時消灯にもかかわらず正味2時間しか睡眠できない状態であったが一日累計高度差1452mと言う一つの試練を乗り切った!!!

翌日の山小屋泊でも20時30分消灯であったが0時から2時までしか眠れなないまま3時前に起床し3時30分から再度標高差250mの御前峰(標高2702m)に登り任意参加の御来光を眺めて宿舎の室堂センターに戻りあわただしい朝食の後6時30分に下山開始したが自分にとって挑戦的な全コースを無事にまっとうできたのは喜ばしい。

初めての山小屋泊ではあったが37年前に北アルプス立山登山で2日間のテント泊の経験がありその時1日で2,3時間しか睡眠できなかった記憶があったので過去一週間は出来るだけ寝貯めし、1日累計高度差1200mの訓練を兼ねて先週末には右田ヶ岳、大平山登山で準備した。

この準備が多少は好奏したのかもしれない  〜 備えあれば憂いなし 〜


7月16日(土)17時10分近くのバス停で送迎バスに乗り込み各地で参加者を拾い山陽高速道宮島SAで集合した後一行33名は一路別当出会登山口を目指し山陽高速道、名神高速道、北陸高速道を乗り継ぎ、白山温泉、市の瀬を経て、7月17日(日)5時20分ごろ別当出会登山センター(標高1250m)へ到着した。

朝食後現地ガイド氏による柔軟体操・諸注意のあと6時10分に別当出会登山センターを出発し最短コースである砂防新道コースへ踏み込んだ。

谷底から高さ約30m上に掛かる吊橋の横揺れが予想以上に大きく落下の危険を感じたので手すりロープを握りながら緊張感を持って通過した。

更に10分程度登ると恐竜の足跡の化石があった・・・想定外!!!


7時5分ごろ中飯場(標高1550m)に到着しトイレで用を足し多数の登山者と共に20分休止する。右側の山から流れ落ちる不動滝の水が下方の堰堤で合流する。

岩の間からタカネナデシコが顔を出していた。
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< タカネナデシコ >


8時ごろ別当覗(標高1780m)に到着し5分休憩。更に40分後には左手の池(水溜り)にはオオサンショウウオの卵が孵化を待っていた。これらの情報は現地ガイドしか知らないであろう!!!
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< オオサンショウウオの卵 >

8時55分頃甚之助小屋(標高1975m)に到着し15分の休憩。この小屋は工費1億7千万円をかけて旧避難小屋の下方に新築され今年6月24に供用を始めたもので、トイレは水洗式で下界の水洗便所と同じものであり異臭は全く無く避難小屋トイレとしては最上級と思われた。
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< 新設の甚之助小屋、屋根の上方に黒ボコ岩 >

右手(南東)には別山(標高2399m)が一段と高くそびえ美しいシルエットを見せてくれる。
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<別 山(標高2399m)>

左手(北方)のはるか高所に黒ボコ岩がかすかに見え、先の長さをいやが上にも感じさせてくれる。後に控える2つの急坂に備えストックを1本増やし2本ストックにする。

9時40分南竜道分岐(標高2100m)に到着し更に上方の黒ボコ岩を目指して登る。道は北西に向きを変えトラバース気味に登りながら小さな流れを2.3箇所渡り最後の渡りで小休止し谷川の雪溶け水で顔を洗い延髄を冷水で冷やすと疲れが取れた気がした。

このあたりではキヌガサソウ、オオヤマブキショウマ、ミヤマキンポウゲなどの色々な高山植物が迎えてくれた。
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< キヌガサソウ >
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<ミヤマキンポウゲ>

上方には 十二曲がり をつづらおりに登る多数の登山者が見えた。

10時30分ごろ延命水に到着し、現地ガイドさんが一口飲めば10年寿命が延びるという冷たい延命水を椀に汲んでくれたので感激して飲み干す。
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< 冷たい延命水を汲んでくれる現地ガイドさん >

10時40分ごろ黒ボコ岩(標高2320m)に到着し5分休憩。10時50分ごろ弥陀ヶ原に到着。このあたりは傾斜は殆ど無く道は緩やかな木道になり、五葉松が群生する前方の山の中ほどに室堂センターの赤い屋根がわずかに見える。

植物保護のための板道が切れた時点で室堂センターまでの最後の急坂である五葉坂がはじまる。苦しくなった参加者が出た模様でその人の荷物をガイド氏が担ぎ登ることになった。やはり登山パックでは歩行困難となる人がでるのは仕方がないが・・・息使いが荒くなったがどうにか11時50分ごろようやく室堂センター(標高2450m)に到着した。
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< 室堂センター遠景 >

室堂センター入口(屋外)ではディーゼルエンジン発電機2基が軽やかなエンジン音を奏でていた。
ちなみに室堂センターの宿泊客収容人員は750人(全て予約制)であり、売店や郵便局もある!!!
この3連休はすでに満員だという!!!

登山口から5時間40分で室堂センターに着いたことになる。計画よりも1時間長くなったがペースが速くならない点では疲労がそれほど蓄積しなかった感がある。

ここまで無事に到着したので安心して室堂センターの日陰で昼食を取った。北方には御前峰(最高峰=標高2702m)が雄大に横たわりその麓には赤屋根の白山奥宮祈祷所がみえる。
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< 白山奥宮祈祷所 >



現地ガイド氏によれば“今下界は真夏なれど御前峰一帯ではちょうど春を迎えたばかり”であり、諸々の植物が芽吹く一大お花畑となる とのこと。

12時50分ごろ重いリュックサックを室堂センターにデポして最小限の持参品だけ持ってで御前峰に向けて出発し、下山者とすれ違いながら13時26分に高天が原を通過して13時30分ごろ御前峰に到着した。


白山ベストガイドによればhttp://www.kagahakusan.jp/file/info/hakusan.html

白山は、富士山、立山とともに日本三名山の一つに数えられ、山頂部は、御前峰(2,702m)、大汝峰(2,684m)、剣ヶ峰(2,677m)で構成されています。古くから「しらやま」や「越のしらね」の名で和歌にも詠まれましたが、信仰の山としても知られ、御前峰山頂には白山奥宮があります。養老元年(717年)越前の僧泰澄が、はじめて白山に登り修行したのが信仰登拝の始まりと伝えられています。1億年余り前には湖底にあった白山地域が、その後少しずつ盛り上がって何度も噴火活動を繰り返して火山として誕生し、今日にいたっています。〜引用終わり〜


てなわけであまり広くない山頂は登山者が入れ替わり立ち替わりごった返しちょうど街中の雑踏のような感がする・・・・がしかし目を四囲に巡らせば360度の大自然のパノラマが待っている。


登山口を出発した早朝には低い高度にあったガスが気温の上昇と共に次第に高度を上げてきたので、北アルプスや御岳山もはっきり見えなかったのが残念ではあるが、随所に白い残雪を残した峰々、雪解け水をたたえたいくつかの火口湖、別山をはじめとする高さ2000mを超える白山周辺の峰々が作るシルエットにただ感嘆するだけであった。
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< 大汝山、翠ヶ池を望む >

13時45分ごろから御前峰を北西方向に下りお池巡りコースに入り、13時50分ごろ天柱石、御宝庫(おたからこ)を過ぎて火口原に下り左に油ヶ池を見送り、14時5分ごろ紺屋ヶ池に残る雪渓を踏み、ついで14時10分ごろヒスイ=翠=色(現地ガイド氏曰く、“早朝、午前中では湖水は黒色に見える”)の水を称えた翠ヶ池(みどりヶいけ)を右下に眺めて南南西に折れ曲がり、14時26分ごろ血ノ池を経て14時30分ごろ万年雪に覆われた千蛇ヶ池(せんじゃがいけ)に至る。
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< 翠ヶ池 >
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< 御前峰 & 血ノ池に写る”逆さ御前峰” >

白山comによると、http://haku-san.com/mod/history/index.php?content_id=5

昔、白山には悪さをする蛇(へび)がたくさんいました。毒をもった蛇にかまれるとたいへんなことになってしまうので、人々は蛇をおそれていました。
 泰澄大師(たいちょうだいし)は、白山へ登ってくる人たちが蛇にかまれていしまわないようにと、悪さをする蛇を白山の3か所に閉じ込めることにしました。
 泰澄大師は全部で3000匹の蛇を閉じ込めました。まず1000匹を越前禅定道(えちぜんぜんじょうどう)の途中にある「蛇塚(へびづか)」と呼ばれる場所に、穴を掘って埋めてその上に石をたくさん置きました。さらに1000匹を美濃禅定道(みのぜんじょうどう)から少し下った所にある「刈込池(かりこみいけ)」に沈めました。そして最後の1000匹を白山の頂上近くにある「千蛇ヶ池(せんじゃがいけ)」に沈め、万年雪(まんねんゆき)でふたをしました。
 泰澄大師のおかげで、その後は悪さをする蛇が少なくなり、安心して登山できるようになったのです。

(参考)また刈込池にまつわる伝説は
http://fukui100kei.dogaclip.com/kanko/Profile-100000086.htmlに記されています。

〜引用終わり〜


千蛇ヶ池にまつわる話をもう一つ紹介すると、

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< 万年雪に覆われた千蛇ヶ池 & 御宝庫 >

蛇を千蛇ヶ池に閉じ込めた万年雪が消えた場合には、御宝庫が崩れ落ちて千蛇ヶ池を覆い蛇を閉じ込めるようになっている(御宝庫に埋めたお経に書き込んである)ソウです。

ガイド氏が言うには、“千蛇ヶ池の万年雪が消えた年が(判る範囲で)過去五回あったそうです。その時には御宝庫は崩れ落ちず赤い蛇(ヤマカガシ!?=毒蛇=)が千蛇ヶ池を泳いでいたのを見た人がいる”との事。


この万年雪に覆われた千蛇ヶ池が取手川の源流にあたるとのこと・・・・これで源流探訪実績が一つ増えたことになる。

千蛇ヶ池雪渓を南西に下ると左手に水屋尻雪渓が見えてくる。このあたりは一大お花畠となっており、白山シャクナゲ、クロユリ、ハクサンコザクラ、コバイケソウの大群落が見られた。
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<白山シャクナゲ>

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<クロユリ>

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< ハクサンコザクラ >

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< コバイケソウ >


15時40分ごろ室堂センターに帰着し夕食券を受領して、2人の巫女さんと1人の神官が居られる白山奥宮祈祷所でお守り札を買い、再び近くを歩き回った。

16時30分から始まる夕食を出す食堂に向かった時夕食券を紛失したのに気がついた。

ズボンのポケットファスナーを開けたまま歩き回っていたので夕食券をどこかに落としたらしい!!!

事情を食堂の担当者に話すと、新しい夕食券を無償で出してくれた・・・・さすが白山だ!!!


夕食時に缶ビール500円を買いのどを潤す。ビールと夕食の後再び周囲を散策するも急に寒くなり部屋に戻った。就寝場所は畳1枚に毛布が2枚積んであった。後は明日早朝の御来光拝みの準備し、歯磨きし寝るだけだ。

20時30分消灯であるが他人のいびき等でなかなか寝付かれない。ようやく24時から2時まで寝ることが出来た。

7月18日(月)は3時に起床し、3時30分に御前峰へ向けて出発し、4時10分ごろ山頂到着し寒風の中ダウンジャケットを着て4時48分の日の出を待つ。

4時30分ごろから山頂の大岩に神官が登り、白山、御来光に関わる説明が行われ、めでたく御来光を拝めた4時50分ごろ神官の発声で参加者全員で万歳三唱をおこなった。
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<大岩上に立ち説明する神官>

御来光が出る10分前ごろから空が次第に明るくなり北アルプスの剣岳、立山連峰、槍ヶ岳、穂高連邦などのシルエットが朝日を背景にして影絵のように見えた(現地ガイド氏の説明あり)。

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<御来光が出る前の北アルプスの剣岳、立山連峰、槍ヶ岳、穂高連邦などのシルエット>

ちょうど4時48分に剣岳と立山連峰との間の窪みに当たる薬師岳あたりから赤金色の御来光が上った直後流れるガスがとぎれたので御来光の一瞬を拝むことができた。

ただカメラがメモリー不足となり、御来光が上った決定的瞬間を取ることが出来なかった。あまりにも多くのショットを撮ったのでメモリーを使い切ったらしい!!!

5時20分ごろ室堂センターに帰着し直ちに下山準備するも50人程度の行列をなす食堂前に着いたのが5時40分ごろであった。

6時30分下山開始なので気をもみながら待つ事20分で朝食にありつけた。高度2450mで出される朝食にしては予想外にリッチだった。

下山直前に突如20人程度の集団が大声で万歳三唱を唱えた。理由は・・・なでしこジャパンが米国チームを破り優勝した朗報が入ったからだった!!!

なでしこジャパンの優勝は掛け値なしで“全く素晴らしい”の一語につきる!!!!

それに引き換え、今の日本の政治家どもは世界で最低クラスだ!!!


下山コースは計画では往路の砂防新道のピストンであったが、参加者の希望を入れて少し傾斜が緩やかなパノラマラインコースに変更となり、五葉坂を下りた場所で南東に進んだ。

大きな雪渓が残る万才谷を左手に見ながらに下りでは昨日御前峰から見ることが出来なかった北アルプスの剣岳、立山連峰、槍ヶ岳、穂高連峰などと御岳がはっきり見えたので大いに気を良くした。

一旦南竜山荘の近くまで下り再び北西方向に南竜道分岐まで登り、後は往路を引き返し9時50分ごろ別当出会登山センターに無事着いた。

その後白山温泉につかり疲れを癒した後食堂でビール付昼食をとった。ただしビール中ビン1本600円は自腹であったが・・・・やはり下山後の一杯は旨かった!!!

バス復路は往路をたどったが、名神高速で渋滞したため19日の0時50分ごろ無事自宅へ帰着した。
天候にも恵まれ総じて良い白山登山であった。

現地ガイド氏は自然愛好家団体に所属する女性であったが、道中全てでサービス精神にあふれていたのが好印象であった。

感謝、感謝、感謝。

今回の白山登山でも“名山には若い人が多く登る”という傾向が確認された。
posted by ヤマおやじ at 03:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月09日

梅雨の晴れ間に足慣らし

中国地方は7月8日(金)に梅雨明け宣言が出された。
山口県は高気圧の端にあるためこの梅雨明け宣言の範囲外であったが9日に梅雨明け宣言が出た。

9日は雨が降らない予報なので近く登る予定の白山登山を前提に足慣らしをすることにした。

白山登山では1日に標高差1200mを登ることになっているが、今までこれだけの標高差を登ったことは無い。

最近の最大標高差/日は900m程度だと思う。

よって9日は低山であっても複数回登る事を含めて標高差1200mを目標にした。
先ず7時50分に防府市右田小学校前駐車場について早速第一回目の右田ヶ岳登山を始めた。

天徳寺コースをおよそ1時間10分で山頂到着。途中で4歳〜5歳くらいの男の子3人を連れて登っている夫婦に出会ったのにはいささか驚いた・・・英才教育か!!!

というのも男の子の胸の高さ程度の段差が無数にあるからである。一箇所大きな段差があるところでどのようにして登るか観察させてもらった。

親のアドバイスを得て、手の腕力を使い小さな岩の突起に足を掛けて段差を乗り越えたのを見て大いに感心した!!!!・・・ヤマちゃんおやじは大きな段差が大嫌いなので・・・

山頂で20分程度涼風に当たり休憩し、塚原コースを下山した。
すごい速度で下ってきたおばさんに抜かれたので、“健脚ですな〜”と声をかけた。

“今日は右田ヶ岳を2.5回登った”とおっしゃったので此処でもびっくりした。

ヤマちゃんおやじも今日は右田ヶ岳を2回昇る予定だったので、直登コースを登る人が見えたので直登コースへ入った。

しばらく登ると、尾根直登コースと谷直登コースの分岐点に着いた。
確か今までは分岐点は無く尾根直登コースだけであったが、有難いことに谷直登コースが新たに新設されていた。

新しい物好きの性格が作用したのか不明であるが、すかさず谷直登コースに入った。

DSCF4985.JPG 谷直登コース

細く険しい道は立木や岩を掴まえて登らざるを得ないので正規コースとは天地の差がある。道が険しいので途中から引き返す気がしないのでいささか心細くなったが、前進あるのみだ。およそ100歩進んでは小休止し喘ぎながら登るはめになった。

藪蚊が群れを成して向かってくるので休止のたびに防虫スプレーを吹き付ける。

50分後に頂上直下で尾根直登コースと合流し本日2回目の頂上に立った。

DSCF4986.JPG 2回登った右田ヶ岳

15分程度涼風に当たり下山したが出会った人は30人程度だった。やはり右田ヶ岳は人気が高い!!!

出会った最高齢者は恐らく80歳以上であったが大いに感心させられた。
ヤマちゃんおやじは果たして80歳を越しても右田ヶ岳に登れるだろうか????

気温は山頂で25度程度だったが、湿度が極めて高かった(感覚的には90%程度?)ので多量の汗をかき2回目の下山時は脚の疲れがピークとなった。

自動販売機で冷たいお茶を一気に飲んでようやく脚を進める元気が出てきた。

さて、次は同じ防府市の大平山に登ると決めていたが運が良ければアジサイが見られる阿弥陀寺コースとした。

アジサイは盛りを過ぎていたが遅咲きのものがあり結構絵になったのは幸運であった。

DSCF4994.JPG アジサイ寺

谷を下る水の音が今までに無く大きい。

登り始めて梅雨の増水で渡河ができるか急に気になったが、いまさら引き返すのも癪であるので渡河できなければその時点で引き返すことにした。

第一の渡河点はどうにか渡れた。
第二の渡河点は水量が多く水勢も強いので躊躇したが、滑りそうな岩の上を四つん這いになった渡り事なきを得た。

DSCF4992.JPG 第二の渡河点

第三の渡河点は軽々と跨いで通過できた。

谷に沿って登る道の傾斜が大きくなり谷の傾斜も次第に急になってきた。
このコースは過去5回程通っているが、今回ほど水量が多いのは初めてである。

感覚的なものであるが恐らく標高差で100m程度は急流が一気に流れ落ちているようだ。

帰りに谷底まで降りて梅雨時の流れを見て写真に取れればよいが・・・と思いつつ登りはきついのでそんな余裕は無い!!!

堰堤を越える水の量も今までの数倍ありかってない迫力があった。

DSCF4989.JPG 堰堤を越える水

今までの経験では堰堤を通過すれば楽勝の感があったが今日は大違いだ。
3つ目の登山ともなると、足の疲れがピークになり、少しの登りでも苦しい。。。

車道に出て岩の上に座り大休止し残りの1200歩=標高差150mに備えた。
駐車場をでて1時間40分でようやく着いた山頂はガスで視界は30mていどなので何も見えない。

ケーブルカーが運転していれば下りは楽勝であるが、30m下に下って運転を確認する元気も無く、10分休んで下山開始した。

山頂から3700歩下った辺りに谷底まで降りられる地形となっており、梅雨時期での滝を見るのに適した場所があり黄色いテープがあった。

足は疲れていたが20m下の谷底まで降りて、増水した激流で出来た滝(幅6M,高さ10M;目測)の写真が撮れた。

DSCF4990.JPG 大平山阿弥陀寺コースでも梅雨にはこんな滝が・・・

後は2箇所の渡河地点を無事に渡り阿弥陀寺の本堂へ回り賽銭を上げて家内・親族安全を祈願した。

下山は歩数約6000、所要時間は1時間25分であった。
結局今日の累計標高差は1324mとなり当初の目的を達成した。

しかし今回はザックの重量は極めて軽かったので安心は出来ないものの、心理的には多少得る所があったのも事実である。


夜19時30分から22時までNHKスペシャルで原発是非論のパネリストが討論していた。例によって尤もらしい情報が飛び交ったがメリハリがなく物足りなさが多々あった。

一例を挙げると、太陽光パネルコストが製造パネル面積が2倍増えるとの20%コストが安くなり、将来的には3円/KWH程度まで安価になるという重要な知見が欠落していた。

また日本が地震国であり最近地震の活動期に入ったという最重要な情報が無視され、しきりに外国の原発賛否両論が流されたのは基本的な思考力・知性欠如としか思われない。

日本と言う国では、政治家も役人もマスコミも国民も原発について真剣に考え議論する気が無いのが最も気になるところである。

細野原発専門大臣が番組の前半に出演し発言していたが、質問の趣旨の理解できず頓珍漢な回答をしていたのが目立った。

彼の知性レベルでは原発事故問題を適切に処理できるとは到底思えなかった。

スッカラ管、枝野、海江田など低い倫理観・低い知性レベル・低い問題解決能力では何も解決できず、事態を混乱させ悪化させるだけだろう!!!

民主党政権の度重なる失政を徹底的に糾弾せず野放しにしている野党も最低の政治家集団といえるのではないか。。。。。

国民も民主党政権の度重なる失政に対し一大行動を起こす事も無い!!!!

誰が混迷する日本を救うのか????
posted by ヤマおやじ at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月04日

厚東川の源流である白糸の滝&桂木山を訪ね、御鉢山、龍護峰を歩く;日本の政治が世界最低レベルなのは国民がおとなしすぎるから!!!


7月2〜3日は雨が降らないという予報なので、3日に厚東川の源流である白糸の滝&桂木山(標高702m)を訪ねた。

帰りに秋吉台に立ち寄り御鉢山(標高406m)、龍護峰(標高426m)に登って、名水100選別府弁天の池で天然水を40リットル戴いて帰った。

厚東川は桂木山の標高560mに源を発し、山麓の白糸の滝を下り秋吉台の中央部を南へ流れ,秋芳洞より流れ出る稲川、厚東川水系最大の支流大田川などを合わせた後、小野湖(厚東川ダム)を経て、宇部市で周防灘へ注ぐ延長60kmの川である。

桂木山、白糸の滝へは過去3回程度〜一番古くは10年前、最近では3年前ごろ〜訪ねているが、限られた時間内で豪雨による土砂崩れなどが起きにくい山行の候補として選んだ東鳳翻山と比較し、水量が多いときの白糸の滝を見たくなり決めた。

県道36号を北上し「白糸の滝」と書いた大きな案内塔がある所で右折し細い道を案内により進むと白糸の滝駐車場に着く。

ここから遊歩道を歩き白糸の滝のそばを通りキャンプ場を右に見送り約10分程度進むと登山口がある。

DSCF4965.JPG アジサイも風情があった。



折からの梅雨のせいで滝の水量は多く滝の轟音がとどろき今までで最高の迫力があった。

DSCF4969.JPG

DSCF4972.JPG


ここから椎茸原木を積んだコンクリート舗装道を経て谷すじに沿って進み林の中をひたすら登こと40分で鞍部に出る。

ここから尾根道をたどり急な階段をあえぎながら20分程度登ると2基の妙見社がある頂上に着いた。

DSCF4973.JPG 2基の妙見社

以前の記憶では急な階段は無かったがそれ以降設置されたらしいが,段差が最大で30cmもあり、かえって歩き辛い。

環境省管轄の自然遊歩道の階段は殆ど歩幅や段差の高さは利用者の便利さが考慮されておらず、嫌がる人が結構多い!!!

ヤマちゃんおやじが経験した自然遊歩道の階段のなかで大山滝に至る自然遊歩道の階段の段差は適切に設置されていた以外は全て利用者に苦痛を与える段差であった。

どうせ国の予算を使うのであれば、環境省の役人は利用者の使い勝手を十分考慮して計画して欲しいものだ!!!・・・・ここにも 役人の無責任な仕事振りを感じる・・・・


さて山頂ではガスが吹きつけ視界はゼロ。

冷えたノンアルコールビールをコンビニ弁当を肴に飲み干していると、見知らぬ昆虫がたくさん集ってきたので防虫スプレーを顔や頭に吹き付け立ったまま飲み食いした。

しかし防虫スプレーをものともせず、ハエに似た昆虫が多数まとわりつくので長居は無用だ。
マアこんな日もあるであろう!!!

妙見様を拝んで来た道を下り50分ほどで駐車場に着いた。

白糸の滝の傍を通過するとき、滝の上部に生えた木の枝が苔で覆われ緑色に染まっているのに初めて気がついた。

DSCF4976.JPG ”苔で覆われ緑色に染った木の枝"を新発見


さて次は何処に行くか???

とりあえず別府弁天の池で天然水を頂き、秋吉台の家族旅行村に向かった。

秋吉家族旅行村駐車場を出て奥に進むと龍護峰への登山道があり、30分ほどで御鉢山に着き、更に5分歩き眼前にある龍護峰に到着した。

DSCF4983.JPG

ここでも視界はあまり良くなく、秋吉台の広大な緑の絨毯を眺めただけで山を下り30分後に駐車場へ着いた。

秋吉台から降りる道路の交差点で信号青で直進しようとしたら、反対方向からきた年配のおっさんが優先権がないのに徐行もせず左折したの事故回避上で急ブレーキを踏んだ。

件の運転マナーの悪いおっさんは何食わぬ涼しい顔で今度は超スローで坂を下っていったのには大いに気分が悪くなった。

最近こんなマナーの悪いおっさん/婆さんには意外と沢山出くわす。

修行を積んだはずの年取った人が悪いマナーを見せ付けると余計に腹が立つ!!!

先日も散歩者が歩いている公園内でゴルフの練習をしている親爺を見つけたので注意した。
ゴルフボールが人に当たればどうするのだ!!!

いい年をして恥ずかしくないのだろうか????

急カーブの道路上に駐車して野草を摘んでいるおじさんやおばさんも結構目撃した。

駐車場入口の狭いカーブ道で停車したまま窓を開けて久しぶりに出会ったという友人と長い間話を続けたクソ婆もいた!!!!

もちろん分別をわきまえた立派な老人もたくさん居られるのも承知している。

しかし他人への迷惑など一切考慮できない無分別な利己的老人も沢山いるのも事実だ。

昭和40年代初頭と比べると、「自分さえ良ければ他人はどうなっても良い」と思い行動する人が大幅に増えてきたと痛感する。

戦後日本は物質的には豊かになったが精神的には逆に戦前よりも大幅に退歩した。

戦前の人は、「苦労は買ってでもするものだ」、「艱難汝を玉にする」といい実践してきた。
昭和50年代以降では、「楽をして儲ける」「3Kを嫌う」等の安易な風潮が蔓延してきた。

企業経営者も30年前には首切りを行うのは恥としていたが、最近では米国式経営の代表である首切りは日本の経営者にとって日常茶飯事となった。

政治家も最近では国民不在であり、あるのは党利党略&個人的欲望である。


閑話休題

昨日NHKスペシャルで今回の福島原発での放射能汚染の知られざる危険性を報道していた。


気になった事項は、放射能汚染被害防止対策に対するスッカラ管政権&野党の怠慢だ。

1.学校での子供に対する国の放射線被曝管理が極めてお粗末であり危険を放置している。

2.福島原発から半径100km以遠における高濃度放射能汚染地域が存在するが、国はこれによる放射  線被害発生を放置している。

3.国は福島原発事故に係わる放射線被曝対策管理を全く行っていない。


1.に関しては

文部科学省、原子力災害対策本部、原子力安全委員会は、4月19日に「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」を発表した。その内容は「校庭・園庭で3.8μSv/時間未満の空間線量率が測定された学校等については、校舎・校庭等を平常どおり利用をして差し支えない」というものだが、

この3.8μSv/時という基準線量は放射線管理区域に設定しなければならないほどの信じ難く高い線量である。放射線障害防止のための放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律等は文科省が所管している。そして文科省自身が、「外部放射線に係る線量については、実効線量が3月あたり1.3mSv」を超えるおそれのある場所については放射線管理区域を設定するよう定めている。

3月あたり1.3mSvというのは、0.6μSv/時である。今回文科省は、その6倍以上の3.8μSv/時という線量が校庭内にあっても「平常どおり利用をして差し支えない」と発表してしまった。これは明らかにこれまでの規制からの逸脱であり違法な内容である。

すなわち、0.6μSv/時以上の外部放射線がある環境では全ての人が放射線被ばく線量を計計測して被曝管理を受けなければならないのである。

しかし今回文科省は、“放射線管理区域を設定し厳しい放射線被曝管理をすべきと定めた0.6μSv/時の6倍以上の放射線線量が校庭などであっても子供の健康に支障が無く、子供は平常どおり校庭等利用をして差し支えない”と決定したのだ!!!

子供は職業を持って働く成人よりも放射能の悪影響を受けやすいのは医学上の事実であり、今回の今回文科省による、学校の校庭使用に関する法を無視した発表は言語道断の罪悪でしかない。

政府は狂っているとしか考えられないが、自民党をはじめとする野党がこれに猛然と異議を申し立てたと言う動きはなかった。

将来の国民生活をになう子供の健康が現政府によって侵されようとしている時に、与党の非を正すべき野党政治家すら何の行動も起こさない日本政治の現実は極めて危険だと思う。


2.3については詳しくは省略するが、いずれも国民の健康維持に関して極めて重要な対策が現政権によってなされず放置されているのだが、1と同様に野党からの異議申し立ては無い!!!

さすがのノー天気NHKも、報道のなかでスッカラ管政府の怠慢を非難するような表現を用いていた。

この今の日本政治全体の無力さは極めて危険であり、今の無力政治が継続する事は許されない。


国民が無力な政治に対し決定的な行動を起こす時期が来たのではないだろうか。。。。

タイ国民の激しいデモを非難する向きもあるかもしれないが、別の見方をすればタイ国民はタイの政治にまだ希望を持っているとも見える。

冷静な日本人と言えば聞こえがいいが、政治の無力に対し何ら行動を起こさない日本国民こそ実際は無気力な抱っこちゃん国民なのかもしれない!!!

日本の政治が世界最低レベルなのは国民がおとなしすぎるからではないのか!!!

おとなしいばかりが能ではない!!!!
posted by ヤマおやじ at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする