ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2010年11月28日

高羽ヶ岳〜物見ヶ岳を歩く

高羽ヶ岳(標高761m)、物見ヶ岳(標高746m)には時期は定かではない(10年くらい前?)が、JR山口線側からそれぞれ沢を詰めて別の日に登った記憶がある。

今年夏の終わりに真田ヶ岳に登った時、北方に秀でた2つの峰が高羽ヶ岳、物見ヶ岳だと分かりいずれ近いうちに再び登りたい気持ちが強まったと言う経緯があり、

11月27日(土)国道9号線沿いの大規模林道から高羽ヶ岳〜物見ヶ岳をピストン往復した。


この大規模林道は、徳佐に向かう国道9号線を阿東町東生雲東分から右折して始まり徳地町北谷に出て国道489号へ通じるもので、北谷の手前4kmまでは2車線完全舗装の立派な道路だ。

5年頃前に興味半分で徳地町北谷からガラ道を車で奥へ進んでいたら突如立派な2車線の舗装道路が現れ“人家が一軒もないこんな山奥に何故????”とびっくりしたのがこの大規模林道だった。


大規模林道登山口〜高羽ヶ岳〜物見ヶ岳へのルートは笹薮が刈り取られ整備されたとの情報をインターネットで見てある程度安心して決行することになった。

大規模林道登山口(標高500m)は山口市徳地町と山口市阿東町の境界表示板付近にあり、100m程度阿東町側に下った道路脇スペース(4,5台駐車可)に9時過ぎに到着。

登山口の標識が見つからないので登山通路と687mピークの存在を確認した後、9時20分頃出発し、視界が開け高羽ヶ岳が姿を現し始めた687mピークに9時45分頃到着した。

いったん下りさらに登り方向を西に変え三叉路で案内板に従いコースを左に取り、かなりの急傾斜を登り10時25分ごろ高羽ヶ岳山頂着。

北西方向には十種ヶ峰、大蔵岳などが見えたが展望はあまりきかない。

DSCF4521.JPG 高羽ヶ岳から奥に十種ヶ峰、手前に大蔵岳を望む

南西方向に伸びる尾根筋のはるかかなたに物見ヶ岳が望め行く先の遠さを感じさせる。

物見ヶ岳への縦走路は先ほど通過した三叉路を右へ進むもと無条件に信じて疑わなかった(完全に勝手な思い込み)ので、小憩後山頂に2つあった登山道のうち無意識に来た道を三叉路まで引き返し左に延びる笹道に入った。

赤テープがあるので安心したが道は沢に沿ってどんどん下っており、“おかしい”とは思いながらもいずれ尾根道に上がるものと信じてさらに下る(思い込みは怖い!!!)。

しかし、道は尾根に上がる気配は微塵も無い!!!


ここでようやくインターネットに掲載されていた地図を取り出してみると、どうやらタタラ川に沿って下山する道らしいことが判った。やはり高羽ヶ岳山頂に2つあった道のうちの南西方向へ下る道に進むべきであったのだ!!!

気を取り直し再び高羽ヶ岳山頂を目指し11時25分ごろ2度目の山頂へ到着。
およそ1時間のロスとなったので、どうするか考えた。


初めてのルートであり、遅くとも日没前16時30分までには駐車場所に着かねばならない。

@ ここから引き返す
A 最低鞍部まで進み引き返す
B 疲れの出る復路所要時間を多めの3時間とし、13時を目途にいける所まで行きそこから引き返す。

結局B案に決めて11時30分に物見ヶ岳への縦走路に入った。

帰りの登りは大変だろうと思いながら一気に下り、11時45分頃最低鞍部(標高600m)に到着。


ここで山口市仁保川支流岩倉川から上ってきた林道に出会い小休止し、持参のムスビを1個食す。

DSCF4522.JPG 山口市仁保川最上流を遡る林道から最低鞍部に通じるダート林道

この林道を車でこの鞍部まで来れれば、左に行けば物見ヶ岳へ、右に行けば高羽ヶ岳に一挙に登れる別ルートとなるであろう(反面登山の醍醐味は少ないだろうが・・・)。

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@しかし10年11月下旬では林道入口から4km先以降は一般車進入禁止であり最低鞍部までの車侵入 は不可能だった。徒歩なればOKなるも恐らく最低鞍部から林道入口までの歩行距離は少なくとも8 km程度はあるだろうと推定する。

A小岩倉川、大岩倉川沿いのいずれの林道も最低鞍部に通じる林道とは接続していないのは、12月4日
 小岩倉川、大岩倉川沿いの林道を当方が実際に遡って確認した(某ブログでは、最低鞍部を通る林 道は岩倉川沿いにあるような印象を受けたので現地確認)。

B最低鞍部に通じる林道の入口は、県道柿木山口線を野谷に向かい、野谷峠の約1km手前で県道が 大曲する橋を渡った直後左折して林道へ入る。

点線で囲んだ部分は、12月4日に実地検分し、地元猟師さんより情報入手したものを追記した)。
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買ったムスビを入れた袋の底に携帯懐炉を貼り付け、保温ケースに入れさらにインナーに入れておいたので、暖かいムスビが食べられたのがうれしかった。

物見ヶ岳山頂まであと標高差160mの登りである。通常のルートであれば1時間で300 mは登れるので12時30分頃には登頂可能と判断した。

偽ピークを超え12時30分頃物見ヶ岳山頂に着き直ちに少し山頂を南に下り分岐で左折し、見晴らしが良いと言われる天狗岩には12時35分に到着しようやく安堵した気分になった。


天狗岩からは北東には高羽ヶ岳が、北〜北西以外の270度の大展望が開け山口県中央部の有名な山々が多数望める。

時間に余裕が無いのでゆっくり山座同定する暇はなかったが、特徴がある蕎麦ヶ岳を頼りに真田ヶ岳を、それを足がかりに白石山、徳地クルソン山、大平山などが同定できた。

高岳山、三ツヶ峰、弟見山、石ヶ岳は見えたが特徴的な荕ヶ岳の姿はなぜか(飯ヶ岳の後にあるためか?)見えなかった。

DSCF4533.JPG 天狗岩から見た高羽ヶ岳


最近城跡に興味を抱きいろいろ調べている関係上、中世〜戦国時代の城跡の知識が増えた。

中島篤巳著「山口県百名山」によれば、物見ヶ岳は中世では城平城などの国道9号線側街道筋の様子を山口市徳地町にあった大将陣山サイドから見張るための物見の山であったとのこと。

今では立木で視界は良くないが、この立木を切り払えば北麓の国道9号線側での軍兵の移動などの様子は手に取る程に見えたのではないだろうか!!!


復路の厳しい長丁場に備えムスビを2個食べ、13時に復路に就く。13時30分頃最低鞍部着。長い登りに備え10分休み14時25分ごろ本日3度目の高羽ヶ岳山頂へ到着。10分休み14時50分ごろ687mピーク到着し、15時10分ごろ無事駐車場へ到着した。

簡単に書いたが、687mピーク〜高羽ヶ岳〜物見ヶ岳間の道は左右に方向変わる場合が多く赤テープを見逃すと道に迷う可能性が高い油断のならないルートだと感じた。

以前は藪山として有名であり背丈を越す藪の中での登山であったが、近年有志の方々が藪刈りされてテープを張られたので比較的登りやすい山になったと聞く。この方々のご尽力に感謝する。


若干時間が余ったので大規模林道を先週歩いた林道の反対側まで車を走らせて見た所、峠に向かう林道が見えた。ひょっとすると先週歩いた林道の末端に通じているのかもしれない。


帰途長門峡駐車場に立ち寄り、盛りを過ぎたと思われるモミジを観て帰り、ルート間違いはあったもののおよそ2万歩、6時間の山歩きも無事に終わった。感謝、感謝、感謝!!!

DSCF4541.JPG
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2010年11月23日

高瀬湖畔周回&椹野川源流を歩く

土曜日に山歩きした割には腹の周りの脂肪がそれほど減らなかった。

豊作であった自家製サツマイモをしっかり食べたので摂取カロリーが多かったのかもしれない!!!

翌11月21日(日)も好天なので膝に負担がかからないウオーキングに出かけた。

そろそろ紅葉が盛りとなったはずの周南市高瀬湖畔を周回し、次いで久しぶりに椹野川源流の仁保川最上流部を歩く事にした。

高瀬湖は佐波川の支流島地川の上流に建設された島地川ダムで出来た人造湖であり、湖畔には多数のモミジや桜があり、ここ3,4年は毎年紅葉シーズンには訪れている。
DSCF4483.JPG

以前は訪問者が少なかったが最近はで特に紅葉シーズンにはかなり多くの人が訪れるようになった感がある。

ダム周辺には公園風の駐車スペースが数箇所あり、11時ごろにはすでにかなりの人数でにぎわっていた。

さっそく高瀬湖周回コースに入る。車での周回が大部分であり徒歩での周回はあまりいない。

高い岩の上にある木谷河内社の下で由来掲示板を読んだ後右折して歩き、以前から気になっていた先山へ向かう。

DSCF4489.JPG 木谷河内社奥宮にあるミズメの大木、周南市天然記念物、幹周3.45m 樹高29m

渓流に沿った車1台分の幅しかない道を約1km程度進むと木谷河内社奥宮があり、さらに300m程度進むと、かなり高齢の夫婦と出会う。

挨拶をして、多数見受けられる石垣について訊ねると、年配の男性の口から色々な話が機関銃のように発せられ始めた。

当方は合槌を打つのが精一杯で一方的な聞き役に回ったが。。。。。

記憶に残った話の一部を記すと、石垣は山の頂上近くまであり昔には田畑として耕作されていた。

この辺りはダム建設以降無人となったが昔は木谷村と呼ばれ、岩国市木谷地区と同じ系統の平家の落人(松前隼人守の一族か?)の子孫が住んでいたとのこと。


また江戸時代には、毛利藩の勘場(役人の出張所)もあり、寺もあったとのこと。
最近では、猪、猿に加え鹿が現れたとのこと・・・・話は延々と続く・・・

男性の話は一向に終わりそうも無いので30分程度聞いた所で失礼させてもらった。


結局予定は大幅に延びて12時頃から高瀬湖畔周回を再開する。

湖畔のモミジはほぼ見頃であり、
DSCF4500.JPG DSCF4497.JPG 

モミジ見物の車が多数(7、80台程度か?)周回していた。

湖畔から見上げる千石岳もモミジに花を添えてくれる。

DSCF4507.JPG 湖畔から千石岳を望む

結局2時間程度歩きようやく高瀬湖を反時計回りに一周した。



次いで、国道489号に出て徳地町堀から八坂を経て県道123号に入り野谷峠を越えて15時前に仁保川最上流部へ向かう林道入口(橋)へ到着した。

この林道は過去2回訪れた事があるが(8年前、5年前くらいか)、今回は物見ヶ岳、高羽ヶ岳への未登頂ルート周辺の下見も兼ねている。

熊注意の看板があるが、熊除け鈴を忘れてきたので大声を出しながらの歩行となった。秋のつるべ落としを考慮して、16時40分までに駐車場帰着を目標とした。

前回林道終点であった場所を過ぎても、林道は奥に延びると共に高度も上がっている。結局約4000歩の距離を歩いた時点で林道はまだ延々と上へ登っているが、16時10分となり引き返す時間となった。

帰りは16時40分に駐車場に着くために3500歩を小走りに、残り500歩を歩いて林道を下った。

あの林道はどこまで続いているのだろうか???また新しい好奇心が湧いてきた。
今回の4時間のウオーキングで腹の周りの脂肪は少しは減ったようだ!!!
posted by ヤマおやじ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月22日

晩秋の小峰峠〜荕ヶ岳〜小峰山を歩く

小峰峠〜荕ヶ岳登山コース開通の話は夏ごろ聞いていたが、ようやく11月19日(土)にトライする気になった。

先ず小峰峠(標高700m)に行き登山口を確認し、島根県側の右ヶ谷キャンプ場(標高550m)へ回ってみたが紅葉は終わっていた・・・紅葉が見ごろであれば右ヶ谷キャンプ場奥から荕ヶ岳へ登るコースも念頭にありMTBを積んできたが・・・・

先週末には未だ見ごろに見えたが、この時期の一週間の差は想像以上に大きい!!!

何でも済んでしまわないと気付かない凡人の哀れさか???

さらに糀谷地区(標高300m)まで下ると、この辺りは未だ紅葉時節であった。ここから西方に見える高い峰に至る黄葉がなかなか良かった。

DSCF4444.JPG DSCF4450.JPG DSCF4452.JPG 糀谷地区の黄葉

小峰峠まで戻り10時30分頃登山口を出発した。

道幅は約1mあり分厚い落葉のクッションは快適だが、何しろ急傾斜のアップダウンが多い。

帰りはどのようにして下ろうか???と一瞬思案したほどだった。
880mピークを過ぎても一向にアップダウンがなくならない・・・・

良く考えてみれば、県境峰々の尾根をたどるのであるから、アップダウンが多いのは当然なのだ!!!

はるか彼方に荕ヶ岳の特徴的な姿が見え始めたが、先の遠さが思いやられる。
第一の分岐に到着するも、荕ヶ岳まで更に75分も掛かると書いている。

第2の分岐を過ぎると、荕ヶ岳もかなり近くに感ぜられ初めての小休止をとった。
標高差200mの最後の急坂の手前で10人程度の中高年グループに出会い挨拶を交わす。

いずれも元気溌剌な防府からの一団であった。
最後の急登りをロープの助けを借りあえぎながら登り12時35分にようやく山頂到着。


山頂では顔なじみの「荕ヶ岳を愛する会(当方がつけた仮称)」のメンバーが食後の談笑中であった。

どのルートから登ったかと聞かれ、“小峰峠コースから2時間5分で登ってきたが年のせいかなかなかきつかった”と答えると、何歳?と問われたので67歳と答えると・・・・

“何じゃーあんたはまだ若い、ワシャー74歳じゃがこうしていまだ登ちょる!!!”
と荕ヶ岳800回以上登攀と言う大先輩からのお言葉を頂いた。

当方の気持ちとしては“ハハー かしこまってござ候”と言う気分であった。

出来れば74歳でも山歩きが楽しめればこれに越した事は無いと思った。


荕ヶ岳からの眺めは何回見ても飽きることはない!!!

DSCF4467.JPG 荕ヶ岳からの眺め

やがて彼らが下山した後から、年配のご婦人が弟見山のほうから下ってきた。
弟見山までの縦走を試みたがきついので途中から引き返してきたとのこと。

問われるまま弟見山までの縦走までの話をしていると、ご主人様と思しき男性がかなり疲れた様子で下ってきた。

この夫婦は広島県福山市から来られ、最近では山口県の山まで足を延ばしているとのこと。
下山ルートを聞かれたので、眺めがよく道も歩きやすいコースを教えた。


福山市からのご夫婦を見送り、昼食後の眺めを終えて、下り始めた時、一人の年配のおじさんが弟見山のほうから下ってきた。

彼からも下山ルートを聞かれたので一通り説明した後、話題が弟見山のカタクリの花となり話が弾む。

彼は2時間40分程度で往復縦走したと言うので、“健脚ですね”と言えば、“自分は火の山連峰(山口市秋穂)に登りを常時鍛えているから”とのこと。

しばし山の話をするうちに20分も話し込んだ。13時30分頃下山路に入った。


概ね7割程度の木の葉が落ちており、木々の間から先週登った鈴ノ大谷山や弟見山などの
峰々が見え隠れするのは結構楽しい。

しばらくすると、福山市からの夫婦が休んでいたので、案内かたがた分岐点まで同行した。


弟見山はこの辺りから見ると双耳峰であることがはっきり判ることが、初めて判った。
このルートではアップダウン(こぶ)が合計12個程度あったような気がする。

アップダウンの標高差は40〜10mであるがこれが10個もあると平均高度差を20mと仮定すれば、累計高度差は200m加算されることとなる。


案の定、急な下りで2回も尻餅をついたが、厚い落ち葉のじゅうたんのお陰で実害はなかった。

15時15分頃登山口に到着し汗を拭いていると、腹の周りには厚手の脂肪が波打っている!!!
何だこりゃー!!!


登山口の反対側には、小峰山歩道と書いた看板がある。

小峰山へは十年前位(?)に一回登ったことがあり、土地勘は多少ある。


リュックサックを車においてポカリスエットとヘッドライトだけをもって身軽になり、16時を目途に行ける所まで行くことにした。

最初から角度50〜60度の急傾斜が待ち受けるが、以前笹漕ぎした道は笹がきれいに刈り払われており有難い!!!

身軽になった勢いもあって休みながら小山を越え鞍部に出ると、周囲の展開が開けてくると同時に道幅も広くなった。

この道は山口県・島根県県境の尾根に沿って付けられており、小峰〜荕ヶ岳縦走路と同じつくりで幅およそ1m深さ50cm程度の溝だ。

木々が繁茂すれば山林の境は不明瞭になり所有者間で争いが起こる話はよく聞いた。
想像するに、これらの道はもともと県境を明確に残すための溝ではないかと考えた。

尾根伝いに小峰山まで続く県境の溝をひたすら登ると、夕日を浴びた鈴ノ大谷山や荕ヶ岳などが姿を現す。

DSCF4470.JPG 小峰山山頂、分水嶺の標識 DSCF4477.JPG 夕日を浴びた鈴ノ大谷山

ちょうど16時に山頂(標高930m)到達するも展望はないが、広島山稜会による分水嶺の標識板があった。メタボ対策だと割り切り小憩後直ちに下山し16時35分に駐車場に到着した。


汗を拭きながら腹に触るとココロモチ、腹周りの脂肪が減ったようだ!!!


“結局ヤマちゃんおやじの山登りはメタボ対策なのだ”と思いながらも、晩秋の快晴に恵まれた山行に感謝しつつ帰途についた。
posted by ヤマおやじ at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

第3回林業作業講習会&鈴ノ大谷山トレッキング

<林業作業講習会>

月日の経つのも早いもので第3回林業作業講習会(実習)の日がやってきた。
8時30分ごろ出発し、万倉の“木漏れ日の里”へ向かう。

集合時間までの空き時間に近くの宮尾八幡宮に行ってみた。
由来書を探すも見あたらなかったがなかなか立派な社殿であり、参道のケヤキの大木が印象に残った。

帰って調べてみると、同宮は、一三五二年に厚東義武が宇佐八幡宮から勧請したといわれる地域の氏神。

祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后などで、県指定有形文化財の木造薬師如来坐像や市指定有形文化財の紙本着色八幡縁起絵巻が所蔵されている。

厚東氏(ことうし)は、長門を本拠とした豪族、長門守護。本姓は物部氏。厚東氏は厚狭郡東部の一豪族から成長して建武の中興後は長門国守護となり、さらには豊前国企救郡も収めて、関門の要衝を支配する長門国第一の実力者となった。

ところが栄華盛衰は世の常であり、延文三年(1358) 厚東氏17代厚東義武は大内弘世に攻められ居城の霜降山城は落城した。 厚東義武は九州に落ち、南朝側の菊池氏と結んで、北朝側となった大内氏を相手に長門の奪還を目指すが結局は果たせず、さしもの長門名族厚東氏も17代で滅亡した。


さて本題の林業作業実習では、

前回の続きで、荒れた市有林の雑木を伐採・集積し,有望木を残す「地おこし」作業があった。傾斜地で重いチェーンソーで雑木を切り倒す作業は中腰で行うので,足腰にこたえる。

他の4チームは3人構成だがヤマちゃんおやじのチームは2人しかいないのもかかわらず3人分のノルマを課せられた形になったが、別にお金を貰って請け負っているわけではないのでマイペースで取り組む腹積もりであったが・・・・・


鋸クズは目に入るし、他人が切り倒した木が頭に当たるなどなど今回の実習は散々であったが、どうにか怪我はせずにすんだ。

しかし結果的には、ノルマ範囲の「地おこし」を終了させる事が出来た。何かチーム間での競争心をうまく利用されて気がしないでもない!!!

終わり頃になり、椎茸を栽培するための直径12cm程度の“くぬぎの木”を一人一本づつ切り倒した。

次回は“くぬぎの木”にいよいよ椎茸菌を植える作業となるので、気分はようやく持ち直した。



<鈴ノ大谷山>


翌14日には、天然水採取を兼ねて鈴ノ大谷山(島根県吉賀町柿木村)に登った。

鈴ノ大谷山には過去3回登っているが、山麓の福川川沿いの糀谷の黄葉を見たいという願望があったので今回の行先が決まった感がある。


鈴ノ大谷山は5,6年前まではヤマちゃんおやじにとって遠い存在であった・・・

というのも、インターネットで見るかぎり登山記録(鈴ノ大谷川をさかのぼるコース)ではルートがはっきりせず危険な箇所もあるので経験深いベテランだけが登れる山であり、とても経験が浅い単独山行者が登れるものではないと思っていた。

ところが、平成18年10月29日(日)行われた吉賀町・エコビレッジかきのきむらの主催する鈴ノ大谷山トレッキング大会のチラシを見て、あまり危険ではない単純明快な別のコース(入江谷川をさかのぼるコース)があることを知り平成19年にトライして初めて登る事が出来た。

インターネットは簡単に各種情報を得ることが出来るので便利であるが、このチラシ情報は”インターネット情報は必ずしも万全ではない”というひとつの実例だと感じる。


6時出発、熊坂峠付近で金剛水を戴き、黄葉真っ盛りの県道3号線を茂土路辺りまで下って見たお目当てのモミジの樹は、ようやく紅葉が始まったばかりであった。

通常はめったに車を見かけない県道3号沿いの山間部道路脇では、駐車して黄葉した山々を撮影する人が5,6人いた。

DSCF4411.JPG 小峰峠から島根県側の黄葉



10時10分頃入江橋手前の道路が広がったスペースに駐車(先行駐車2台あり)して入江谷川沿いの林道に入る。以前乗用車で登山口まで入り狭い林道で材木満載のトラックにご対面したことはあるが、今回は体脂肪燃焼を重視して1時間以上の林道歩きを選んだ。


黄葉が混じる山々を眺めながら単調な歩きが続くが、歩いていると車では気がつかないスポットもよくわかる。

今回は林道を2/3程度登った所で、小さな滝の紅葉を初めて見つけた。

DSCF4418.JPG 小さな滝の紅葉


長い林道歩きにいささか飽きた11時30分頃ようやく登山口へ到着し、そのまま歩を進める。

標高差およそ100mを一気に上る急な笹道には有難い事にロープ(昨年まではロープなし)が張ってあるが,それでも途中で息が上がり100歩昇るたびに立ったままの小休憩を取らざるを得なかった。

12時25分頃山頂へ到着するも、黄砂の影響で遠くの景色はよく見えないので、汗を拭いて周囲の笹原を一周した程度で直ちに西へ向かいブナ林が残る林道奥部を目指して下山した。

30分程度で林道奥部へ到着した。

休んでいると、猛烈な爆音を響かせ5台のバイクが荒れた林道を疾走していった。
このあたりも多少有名になったのかもしれない!!!


このあたりにはブナ林が残っている。このブナ林の下部の植林帯にはウイルソン株(屋久島にある周囲14.8m=樹齢2000年=の杉の切り株)に匹敵するほどの切り株が散在するという(本当?!)。


先週訪れた恐羅漢山周辺は昭和30年頃までは、鬱蒼とした広葉樹の一大原生林の秘境であり容易に入山できなかったに事は地区の古老の話として伝わっている。

今でも鈴ノ大谷山の各尾根周辺には一群の広葉樹が諸所に散見され見事な黄葉を見せていることからして、大規模伐採が行われる以前は、広葉樹の一大原生林であったものと容易に想像される。

DSCF4428.JPG ブナ林


14時45分頃かなり疲れて駐車場へ到着。

帰宅の途中に佐波支流・島地川上流にある新平ヶ原公園に立ち寄り、ほぼ見頃となった紅葉を見たあと17時20分頃帰着。

DSCF4440.JPG 新平ヶ原公園

5時間の山歩きにもかかわらず腹の周りの脂肪はまだかなり残ってはいるが、ともあれ今回のメタボ山行も無事に終了した、感謝、感謝、感謝
posted by ヤマおやじ at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月07日

晩秋の台所原に紅葉を訪ねる:尖閣諸島での支邦漁船による巡視艇衝突無法ビデオ流出


好天と言う天気予報があり、多くの人出が予想される週末を避ける意味もあって11月5日(金)に恐羅漢山(標高1346m)北西麓の台所原を訪ねることにした。


紅葉シーズンなので行く先候補がたくさんあったが、昨年訪れた時には既に紅葉シーズンを過ぎていたという点と、今夏ヤマちゃんおやじにしては長丁場の奥匹見峡から往復10時間余りの縦走で到達し他場所であり紅葉期には再度訪問したいと思っていた台所原に決定した。

先週の牛曳山など紅葉目当で過去多くの山地を訪れたがベスト時期に合致した場面はそれほど多くなかったので、今回も余り期待せず“メタボ対策のついでに紅葉に恵まれればラッキー”と言う雰囲気で出発した。

とはいえ、さらに広島県吉和地区の中津谷川や大町谷林道周辺の黄葉を眺め、できれば島根県柿木地区糀谷の紅葉具合を下見し、ついでにどこかで天然水もゲットすると言うかなり欲張った内容となった。


よって早朝4時30分頃出発し、霧がかかった(木戸山トンネル出口〜野坂峠)国道9号線を益田市の少し手前まで走り、西石見広域農道に入り国道191号線へ乗り継ぎ、恐羅漢山スキー場看板前から右折して大規模林道に入り8時前に牛小屋登山口に到着した。

8時頃に牛小屋登山口(標高約950m)を出発し、スキーゲレンデと並走する立山コースを取り約1時間後の9時ごろ恐羅漢山山頂に到着した。

山頂は肌寒いので誰もいないのを幸いに上半身裸になり汗をぬぐい寒さ対策とした。
1週間前に初冠雪した山頂では紅葉時期は過ぎ早くも初冬の風情であった。

DSCF4335(1).JPG 晩秋の恐羅漢山山頂

快晴の天気予報が実際には曇天であり、臥龍山、高岳、聖山、砥石郷山、深入山、向深入山、内黒山、十方山など近くの山だけが望めた中で安佐山山塊らしきものがかろうじて遠望できた。

長居は無用なので小休止後、台所原(標高約1000m)へ向かう。比較的新しい笹の切れ端が散見され、最近ルートの笹が刈られ整備された事がわかる・・・感謝、感謝、感謝

高度を下げるにつれて色付いた木々の葉が現れ、しばし足を止めて周囲の景色を見渡す回数が増えてきた。

広葉の中にぽつんと紅葉があり、続いて錦秋の中川山を背景に葉を落とした高木に混じり黄葉をつけたブナが林立するようになった。

DSCF4338.JPG ぽつんと紅葉が・・・

今夏このあたりまで来た時は緑一色であったが、今回は黄葉一色となり期待以上の風情を見せてくれた。

キノコを鈴なりにした老木もはじめて見た!!!


DSCF4351(1).JPG 黄葉したブナの大木 DSCF4352.JPG キノコを鈴なりにした老木


ゆっくり時間を掛けて下っていくが飽きる事が無い!!!

DSCF4357.JPG 黄葉の海 DSCF4371.JPG 黄色変じて褐紅色へ

30分も余分な時間をかけようやく1時間20分後の10時40分頃台所原広場に到着した。

夏焼峠から中ノ甲林道を1時間以上歩いて台所原に最初に来たのは、はるか昔(10年前?)の秋でありそのまま恐羅漢山に登ったが、そのときは単なるピークハンターであり台所原の良さは殆ど判らなかったのを思い出す。

DSCF4373.JPG 黄葉の高木DSCF4380.JPG 台所原広場の黄葉

その後台所原へは少なくとも5〜6回は来ているが、来るほどに良さが深まるのを感じる!!!

ちょうど曇天も晴れてきて太陽が辺りを照らしいっそう鮮やかな黄紅葉を見せてくれたので、ここでも20分あまり時間を掛けゆっくり四囲の景色に見入った。

黄紅葉を背景にした枯れ木は、天然の庭師による風情が感ぜられ、今回新発見した眺めだった。

DSCF4384.JPG 天然の庭師の技 DSCF4390.JPG 管理道の紅葉

11時ごろ広場の奥から管理道へ入る。やがて錦秋の中川山が姿を現し、ついで天杉山、野田ヶ原の頭も見えてくるので、結構長い管理道終点までの林道歩きも飽きることは無かった。

管理道終点からテープがある右手の登り道へ入り11時40分(?)頃分岐点の早手のキビレに到着した。このあたりの黄葉はあまりパットしないので足早に夏焼峠を経て一気に下り12時20分頃牛小屋登山口に到着。

予定では牛小屋登山口に12時到着であったが、途中の黄葉に見惚れて20分程度時間超過したが、善い意味での誤算であった!!!

ここでアンダーシャツを着替えて昼食を採り、13時前に次の吉和地区へ向かう。

二軒小屋から牛小屋へ通じる荒れた道路が真新しく舗装され直されていたのは、今冬スキーシーズンに向けてのためか???どんな山奥にも何か変化がある!!!=万物流転=


先週土産に買った栃餅が好評だったのを思い出し、吉和地区へ向かう途中で深入山麓の「いこいの村広島(標高約800m)」に立ち寄り栃餅を購入した。ここでの紅葉はベストに近い状態であり平日にもかかわらずかなりの人でにぎわっていた。

DSCF4397.JPG  DSCF4398.JPG 紅葉と深入山

吉和地区では国道186号を大竹方面に向かい郵便局を過ぎて右手の杉森の所を右折してここ4年間通っている大町谷林道(この林道は対向車と全線にわたり離合可能)へ入り、沿道の黄葉を眺める。

やがて左側に広いスペースがある場所に駐車して錦秋に染まった女鹿平山(標高1083 m)を裏から眺める。昨年よりも若干早い感じだが予想通りの黄葉だった。

DSCF4402.JPG 大町谷林道から女鹿平山を望む

さらに峠を越えて進み、悪名高い酷道488号に出た。この488号は幅が車一台分しかないガードレール無しの曲がりくねった道が中津谷川沿いに少なくとも概ね50〜100m続き申し訳ない程度に小さな離合場所がところどころしかないので有名だ。

一昨年紅葉シーズンにこの道を通りひどい目にあったので引き返そうと思ったが、平日は車が少ないものと思い切り車を乗り入れたが・・・・

やはり道幅は極端に狭い上にガードレール無く、すぐ右側には岩が露出した中津谷川が流れているのでまじめに黄葉を眺める気がしない。

一台の軽自動車が離合場所に停車し年配の夫婦が黄葉した木々の写真を取っていた。さらに進むと曲がり角手前で大型四駆がくるのが見えたので退避場所で待ち事なきを得た。

肝心の黄葉は昨年見たほどではなかったので、途中停車せずに早く酷道を抜け出る事にした。

曲がり角を曲がった所で落ち葉マークを付けた大型乗用車と鉢合わせした。相手は後退する態度を微塵も見せないので、10m程度後退して離合した。

相手の車をのぞくと爺さん(当方よりもかなり高齢)が当然だと言わんばかりの顔で通過して言った。何と爺さん車の後ろ2〜3mには広い離合スペースがあったのだ・・・

年をとっても礼儀を知らない男がいればいるものだ・・・!!!

曲がりくねった長い道を後進せずにすんだのがせめてもの幸いだった。


さらに国道186号線を大竹方面に向かいゴルフ場付近の黄葉を眺めたがここは時期尚早で例年ほどの全山燃えるような黄葉ではなかった。

さらに国道434号線に入り冠高原での黄葉はいまいち早く全盛期ではなかった。

ついで寂地峡に向かいレストラン(食堂)菩提樹のそばで延命水を40リットル採取した。ここの紅葉は概ね見ごろであった。

DSCF4404.JPG 寂地峡 DSCF4409.JPG 深谷峡

深谷公園前の深谷大橋上から見た深谷峡の紅葉は若干早いがほぼ紅葉の最盛期と思えた。


島根県吉賀町柿木地区の糀谷ダム周辺の紅葉具合をチェックするために、六日市経由で国道187号、県道3号を経て島根県吉賀町柿木地区糀谷へ向かった。ここではかなり色付いておりほぼ見ごろが近いものと思えた。

ここから小峰峠を経て周南市鹿野に出るまでは隠れた黄葉スポットと思うが、峠付近を除き未だ時期尚早であり概ね10日〜2週間程度後がベストではないかと感じた。

19時前に無事帰宅。

今回はあまり期待していなかった分、黄(紅)葉はまずまずの感であった。



〜閑話休題〜


帰ったら“尖閣諸島での支邦漁船による巡視艇衝突無法ビデオ流出”のニュースで大騒ぎであった。

第一に直感したのは、“よくぞビデオ流出を流出してくれた!!!ありがとう!!!”だった。

翌日土曜日の朝のニュースで、NHKキャスターが“これから支邦の出方が気になります”とゲストの外交評論家岡本行夫氏にコメントを求めた。

この外交評論家は、“支邦は日本の安全保障常任理事国入りを拒否したあげくに、その後日本の領海を侵し尖閣諸島では天然ガスの盗掘を開始するなどの数々の反日的行動を見ると日中間に戦略的互恵関係などは存在しない”と発言した。

面白かったのは、戦略的互恵関係なる非現実的空文にしたがい日本が支邦のご機嫌を伺う必要性を期待したと思われるNHKキャスターの困惑した表情であった。

質問に対し予想外の発言を聴いて困惑したNHKキャスターは、再度“支邦の今後の出方に対しどう思われますか?”と再度質問した。

件の外交評論家は、“したがって反日本を明らかに示し続けた支邦に対し、日本は顔色を伺う必要は一切無く日本はひたすら国益&国の主権を追求すべきだ“というような解説をした。

今まで“日中間には戦略的互恵関係は現実問題として存在せず、あるのは支邦による日本の侵略と支邦による日本からの搾取だけだ”と主張してきたヤマちゃんおやじは、これを聞いてハタと膝を打った。

仙谷・管政権はしきりに“日中間の戦略的互恵関係”なる空文を連発して、日本の国益保護や主権の発揮を置き去りにしている。

仙谷・管政権だけではない、自民党も“日中間の戦略的互恵関係”なる空文を唱えて責任を逃れているだけなのだ。


今朝のニュースでは、富士重工が支邦に自動車工場を建設すると言う報道があった。これを聞いて、“大企業の経営者といってもただの欲張り馬鹿でしかない”返す返すと思った。


トヨタをはじめとする財界首脳は、日本の主権・国益を支邦に譲り渡してまでも支邦に平身低頭しご機嫌を伺え“と歴代政府に強要している感がある。

いや財界ばかりではなく、あの田中角栄氏元首相までもが支邦の巨大なエリア内でも自由主義的な商売が可能だと信じていた節がある。

田中角栄氏元首相は、日中国交回復を前にして、“中国では新たにタオルが8億本売れる”と発言している。

共産主義を信奉する共産党独裁の支邦において、欧米諸国と同じように自由主義的な商売が可能だと信じるのは、まさしく愚者の発想でしかない!!!

“支邦市場ではあの支邦人がまともな商売をさせてくれるはずがない”というのが実際の姿である(ヤマちゃん日記で実例を挙げてきた)。

いまどき支邦に生産拠点を作るというのは、大馬鹿者の発想でしかない!!!


孫子の兵法に云う“敵を知り己を知れば百戦危うからず”と。

支邦に辞を低くする日本の政治家や財界人は、支邦国・支邦人を日本と同じ国・人種だと想定し支邦と交渉しているがこれが大きな誤りであり、敵(交渉の対象)である支邦国・支邦人は馬鹿正直な日本人とは似てもつかぬ老獪・狡猾・卑劣な国であり人種なのだ。


支邦に辞を低くする日本の政治家(民主・自民・公明・社民など)、財界人や文化人などは、孫子の兵法のイロハも知らない単なる阿呆でしかなく、彼らは日本の真のリーダーには程遠い反日的な存在だ。

先週経済同友会の桜井代表幹事は民主党の外交を弱腰外交だと非難したが、経団連は依然として親支邦姿勢を堅持している感があり、同じ財界首脳でも最近多少の温度差が出てきたようだが・・・・


仙谷・管政権はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への拙速参加を進めているといわれる。

財界は輸出振興のためにはTPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加に大賛成といわれるが、全農をはじめとする農業関係者は日本の農業が壊滅するとして反対している。


気象異状化が進むと農業生産物の収穫量が激減し、本年夏ロシアでは生産量の不足を理由に小麦の輸出を突然停止させた。

世界有数の穀物生産国オーストラリアでも、異常旱魃で穀物生産量が激減した。


日本がTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に参加すれば、現在日本が外国産農産物に掛けている関税(米778%、砂糖325%、大麦256%、小麦252%、小麦粉249%)は全廃されるので日本でのこれらの生産農家は価格競争に負けて短期間に消滅する事になり、食料の安全保障という観点では日本人の生死にかかわる大問題を現実化させる。


また水田は環境保全の観点から無くてはならない重要な役目を果たしている。日本のTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に参加により日本の農業が壊滅すれば、治水崩壊などの環境破壊が急激に進行し自然災害による被害が激減する事が予想される。

仙谷・管政権は尖閣諸島問題では悪者支邦に土下座して日本の安全保障体制を危うくさせる一方で、PP(環太平洋パートナーシップ協定)参加を画策して、日本の食糧安全保障と日本の環境保持を破壊しようとしている。


仙谷・管政権に対しては国民が有効な反対行動を取り、

@支邦との戦略的互恵関係という空文を撤回させ日本の国益を主張し日本の国家主権を取り戻させ、

A日本のPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加を見送らさねばならない

と痛感する!!!



DSCF4399.JPG 燃える紅葉 at いこいの村広島



posted by ヤマおやじ at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする