ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2010年08月30日

残暑厳しい中、大海山、右田ヶ岳で大汗をかく;日本の主要マスコミは売国奴!!!

今年も残暑が厳しい。昔は盆が過ぎればかなり涼しくなったが、最近は一向に涼しくなる気配はない。最近の厳しい残暑が地球温暖化のせいだとすれば、もはや台風接近による降雨を待つしかないのかもしれない・・・

今年の夏は久住山、木曾駒ケ岳、氷ノ山、韓国岳、高千穂峰など、いずれも車・バスによる遠距離移動による強行日程であり、最近まれに見るほど結構遠くの山に遠征した。

その遠征のせいか、寄る年波のせいか、はたまた単なる夏の疲れか良くわからないが、若干のけだるさを感じる昨今である。

しかし腹の周りの脂肪は増すばかりなので疲れ気味の体をいたわる意味で、8月29日に近くの里山〜大海山(標高325m)右田ヶ岳(標高426m)〜に登ることにした。

DSCF4012.JPG 若干秋の気配が・・・

県道338号線を防府方面へ向かうと千坊川砂防公園入口という看板がある交差点を左折し、案内板にしたがって進めば大海山登山口のある千坊川砂防公園に到着する。ここにはキャンプ場、炊事棟があり、親水公園もある。

DSCF4011.JPG  千坊川砂防公園から大海山を望む

駐車場にはすでに6台の車があり自転車で来る人もある。9時50分に出発し、第一展望所、第2展望所、第3展望所を経て10時30分ごろ勘十郎岳(標高246m)に到着。


ここには先客があり挨拶をすると、この方はほぼ毎日登っている地元の男性で登山ルートを開設したり維持管理しているとのこと。

5,6年前から縦走路を開設したり、登山道の整備を有志の方々と始めた結果、最近では県外からの登山者も増えてきたとのことで、当方もその活動に感謝の意をお伝えした。

勘十郎岳は標高こそ低いが、第一展望所、第2展望所、第3展望所からの景色も良く、岩屋のある山頂では360度の大パノラマが展開する。

DSCF4013.JPG 360度の大パノラマ〜勘十郎岳〜

11時過ぎに勘十郎岳を出発し縦走路を登り11時40分ごろ大海山に到着するも、強い日差しが一杯の山頂にはうんざりした。

早速氷結したポカリスエットを密封容器から取り出し解凍を始め2,3口飲み一息ついた後、ようやく小さな一本松の木陰を見つけ昼食をとる。

昼食を食べ終わった後、外見上かなり高齢と思われる男性が登頂してきたので狭い日陰を彼に譲った。阿知須在住の彼は今夏は暑いので山には登らず今日は久しぶりの山歩きだと言う。

当方が先週韓国岳、高千穂峰を日帰り登山した話をしたら、来週彼は北アルプス槍ヶ岳に登るというので“たいした元気ですね”と聞くと、山小屋2泊車中泊2泊の中高年向けゆったりバス登山コース(旅費9万8千円)だという。

当方も負けじと木曽駒ヶ岳の話をすると、彼も立山、屋久島登山の話をした。いろいろ話をする間に、一緒に同行したバス登山が3回もあったのにはいささか驚いた・・・・そういえば、彼とはどこかで会ったような気がしてきた・・・

彼は、“山に登れる間が花だ”という思いにより年に2回程度は遠くへ出かけるとのことで、バス登山愛好家と見た。当方も念願の千曲川上流探訪・甲武信岳登山へ新たな意欲が湧いてきた。

ついで2番目の右田ヶ岳に向かう途中でノンアルコールビールとポカリスエットを買い、ノンアルコールビールを凍結ポカリスエットとともに保冷容器に容れ山頂で飲む段取りとした。

13時40分から天徳寺の山門をくぐり右田ヶ岳に取り付く。

DSCF4023.JPG 天徳寺から仰ぐ 194mピーク


日陰道を過ぎて尾根道にでると太陽の直射をまともに受けとにかく暑い、暑い、暑い・・・・

標準時間1時間20分を30分超過して14時50分にようやく山頂に到着。今までの20数回の右田ヶ岳登山で最も多い1リットルものスポーツ飲料とノンアルコールビール350ccを飲んだ。

保冷容器に入れたノンアルコールビールの冷たさは問題なかったが、今回はアサヒビール製であったので味はキリンに比べいまいちであった。道理でキリンのものよりも15円安かったのか・・・・

老人にとってはやはり右田ヶ岳は夏場の真昼は避けたほうが良いと実感した。日が翳った下山時には10人もの人が登ってきたのは暑さ対策としては正解だと思った。

DSCF4024.JPG 対面の西目山では砂防ダムの突貫工事が進行中



閑話休題


8月29日夜の民放ニュースで、北朝鮮系高校への授業料無料化適用を決めた民主党政府に対し拉致被害家族グループと北朝鮮在日グループが反対声明を行った報道があった。

日本人を拉致し、日本を敵国扱いとする反日国家北朝鮮の指令による教育を行う北朝鮮系高等学校に対しても授業料免除する民主党の決定はどうみても日本国民の国益・主権を無視した売国奴的政策であるのは間違いがない。

翌朝の朝日新聞にはこの報道は一言も掲載されていなかった。翌朝のNHKのニュースでも一切報道されなかった。これが共産主義政権樹立を信奉する日本の主力メディア(朝日新聞、NHKほか)の実態の一端である。

朝日新聞、NHKほかのマスメディア(産経新聞は除く)は、北朝鮮や支邦など共産主義諸国に有益な報道(日本を貶め日本の国力を損なう報道)だけは大々的に流し、北朝鮮や支邦など共産主義諸国に不利な報道には口を閉ざすのが彼ら売国奴マスメディアの常態となって久しい!!!!

では朝日新聞は反米的か????NOである。アメリカの国家戦略を事実上定める外交問題評議会(CFR)の機関紙「フォーリン・アフェアーズ」の日本での会合(駐日米国大使館主催)にマスコミを代表して唯一朝日新聞が出席したという事実がある。

倫理観がゼロの国家が支邦であり、倫理観に乏しい国家が米国であり、支邦も米国も日本が弱小国に堕し倫理観に乏しい国家になるのを期待している。日本が共産主義国家になっても日本は弱体化し、支邦や米国は大歓迎だ!!!

換言すれば朝日新聞は、支邦や米国の手先となり、日本が弱小国に堕し倫理観に乏しい国家になるのを主たる使命として日夜反日報道に徹している超反日マスコミである。

NHKも第一回「プロジェクトジャパン」報道において、事実に反する捏造報道を行ったかどで台湾人1万有余名からの訴訟を受け目下被告席に立っている。

NHKはかって司馬遼太郎や平山郁夫など影の共産主義信奉者を駆使してシルクロード(西域)シリーズを連載放映し多くの日本人の旅情を誘うことに成功した。後になってNHKによるシルクロード連載放映は、支邦が西域で実施した多数回の核実験をカムフラージュしたものとの指摘がなされた。

最近NHKは韓国併合100周年特集において、日本が韓国に対し行った初等教育の充実による文盲(文字の読めない人)の大幅低下、食糧増産のための農地開鑿、世界的規模のダム・発電所建設などのインフラ整備による産業の近代化を成し遂げたことは一切報道せずに、韓国側の根拠の乏しい一方的な見解に沿った報道に終始した。

このNHK偏向報道も明らかな反日活動であり、日本の公共放送が行うべき報道ではなく、NHKは日本の公共放送として強制的に受信料を徴収する資格はないと強く感じる。

このように現在の日本は、外国の手先として働く朝日新聞、NHKなどの主要マスメディアによって反日的情報操作されているという認識をまずもたねばならない。

ヤマちゃんおやじが現役中では多忙にかまけ、外国の手先として働く朝日新聞、NHKなどの報道に一部の疑問を感じてはいたがその売国的実態を追求することはできなかった。

しかし定年退職後比較的自由な時間がとれるようになって、日本のマスコミがいかに外国の手先となって日本の国益(即ち、日本人の生活基盤)阻害する報道に徹しているかがを詳しく追求することができるようになった。

この3年間の情報調査の集大成が、“朝日新聞、NHKをはじめとする日本の主要マスコミは、実は外国勢力(欧米諸国および支邦)手先であり、日本国民を弱体化し・混迷に導くための情報操作を主たる任務としている”という結論である。

これらの具体的な情報はほとんど過去3年間のヤマちゃん日記に記載してきた。惜しむらくは各項目ごとの索引がないのは多少の気懸かりではあるが、上部右欄の検索窓で記事ボタンを選択後キーワードを入力して検索可能である。

たとえば“教科書検定問題”で検索すれば、教科書検定問題を記載した記事が表示されるのである。


ついでに述べれば、メディアに登場する専門家、学者、評論家、有識者の大半は、反日本的売国奴であることも要注意だ!!!!
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2010年08月23日

霧島山は8月21日も霧だった

現行の高速道路休日割引制度では、有料高速道路では土日であればどこまで遠くまで走っても片道1000円均一なので高額な高速料金を気にせず遠くの山々を訪ねることができるようになった。

「この制度を使って今日も遠くの山を訪れた」という話は実際によく聴いてきたのは確かである。

「近くこの制度がなくなるのではないか」という噂話を聞き、“この制度があるうちになるべく遠くの山々を訪ねたい”という観念が次第に湧いてきた。

当初、阿蘇山か由布岳か霧島山か迷いそれなりに情報を収集・整理していたが、結局一番遠い霧島山に決め、MAPPLE山と高原地図を買い大まかな計画を前日作成した。

当初は、えびの高原からの韓国岳(標高1700m,日本百名山)登山だけとしていたが3時間弱では物足りないので、その後高千穂河原まで車で移動し高千穂峰(標高1573m,日本二百名山)に登り下山後さらに天孫降臨神話で有名な霧島神宮にお参りすることにした。

霧島山山系周辺はいまだ一回も足を踏み入れたことがない。登山コースはおろかアクセス、移動ルートも全く知らない土地なので、少なくとも明るいうちに帰りの高速道に無事乗り込むことを優先した結果、早朝3時出発となり先々週の兵庫県・氷ノ山(標高1510m,日本二百名山)に引き続き8月21日午前3時10分に出発午後23時30分帰宅という日帰りスケジュールとなった。

念のためインターネットで、8月21日のえびの高原での天気予報を見ると終日快晴であったので最終的に決行とした。

2時30分起床3時10分自宅を出発し、えびのICで九州自動車道を降り、霧島バードライン経由で7時40分えびの高原有料(410円)駐車場に到着し、7時45分に登山道へ入った。

駐車場到着直後では韓国岳の頂上部には霧が無く全貌を現していたが、次第に霧が湧いてきて硫黄山を過ぎて一合目にかかる時点では霧雨が降り出した。8時前というのに延べ数十人の下山者に出会った。

DSCF3959.JPG つつじヶ丘から見上げる韓国岳〜山頂にはまだ霧に発生はない〜

火口縁でもある9合目を過ぎてすごい勢いで霧雨が吹き付けてきたのに驚きながら無意識に左折して進んだが道幅が急に狭くなり足跡もないのでコース離脱に気がつき、正常なルートに戻り9時45分無事頂上到着。

氷ノ山での痙攣発生を考え今回はできる限り小幅で登ったので標高差570mを2時間掛かったことになる。

頂上では霧また霧で視界は20m程度であり強風が絶えず吹きつけた。登山解説書では山頂からは360度の大パノラマと書いてあったがこれでは天地の差である。

先着の女性はそさくさと下山して行った。さらに年配の女性2人が到着し、強風の岩の上ではあるが写真のシャッター押しを頼まれたので快く応じ、当方からもシャッター押しをお願いした。

やがてかなり年配の男性が登ってきて挨拶をし、二人で今日の視界の悪さを嘆きながらも霧の晴れるのを少し待つことにした。

DSCF3966.JPG 霧の韓国岳山頂にて


熊本県在住のこのおじさんは、宮崎県は登山道整備に熱心であり以前に比べて登山道はずいぶん良くなったと言い、反面阿蘇山では熊本県は登山道整備には無関心であるのでボランティアが標識など整備している状態だとこぼしていた。

さらに3人のおじさんグループも到着し、ひとしきり山談義が交わされた中で、眺望が良い日には屋久島まで見えると聞いたのにはいささか驚いた。これを聞いて、空気が澄んでいた昔では韓国岳の由来通り実際にも韓国も見えたのではないかとも思った。

頂上で30分程度霧の晴れるのを待ったがぜんぜんその兆しはなく下山を開始した。霧雨の中を少なくとも50人が登ってくるのに出会った。

11時25分駐車場に到着し隣接のえびの高原温泉2階の食堂でノンアルコールビールをのみ山菜おこわの昼食をとった。

12時に次の登山口である高千穂河原へ向かって出発し、小林えびの高原牧園線・県道104経由で12時30分無事到着後12時45分高千穂峰の登山を開始した。

ビジターセンターから霧島古宮跡までのルート周辺は、江戸時代に焼失する前の霧島神社があったといわれる場所だけあって、周囲の雰囲気はなぜか神々しくもありさわやかであった。

DSCF3967.JPG 霧島古宮跡前の小学生グループ

小学生の一団と相前後して霧島古宮跡前を右折して石畳敷きの自然研究路に入り、小学生と引率のご父兄に追い抜かれながら400m程度進み左折して御鉢(火口縁)に向かう火山石ころ道を登ると目の前に御鉢にいたる標高差がおよそ二百mの壁が現れ先行の小学生グループが張り付いていた。

ここでは定まったルートはなく踏み跡を頼りに岩石と岩石が砂になった火山礫を踏み分けて進むことになる。できる限り足場がしっかりした岩を踏むようにして高度を稼ぎながら時々小休止して息を整えながら登る。

この崖の半分以上登ると霧島神宮方面の景色が見られるようになる。御鉢では巨大な火口が見下ろせ圧倒的な存在感を受ける。

DSCF3971.JPG 巨大な火口

ここから先は霧のため視界が10m以下と悪くおまけに北風が強く吹きぬける中を馬の背という狭い尾根道が続くので、若干怖くなった。小学生グループは危険防止上更なる前進を中止した模様だった。

DSCF3986.JPG 幅3m程度の馬の背〜左右は絶壁〜

しかしそれほど危険ではないと判断し進むこと20分で小さな社がある鞍部に出た(14時5分)。ここでも霧が深くなり小休止していたら若いカップルが登ってきたので早速後をつけて登ることにした。


視界が悪い瓦礫の中をかなりの急坂が続くが木製の階段(実際にはかなり壊れている部分あり)を目印にすればコースを外れることはなく14時35分に山頂到着。標高差600mを1時間50分で登ったことになる。

ここでも霧が深く眺望はほとんどない。ひそかに高千穂峰では絶好のパノラマを期待していたが残念ではあるが仕方がない!!!

四囲の眺めを示す石盤を眺め絶景を想像した。マアこんなこともあるだろう・・・・

山頂にも鳥居がありその奥に三又の槍が立っているので賽銭を奮発して家内安全などを祈願した。これが有名な天ノ逆鉾(あまのさかほこ)だったことは帰宅後わかったのだ!!!

DSCF3983.JPG 天ノ逆鉾(あまのさかほこ)の前で


当方のお得意の思い込みで、天ノ逆鉾は自然石だと思い込んでいたのだった!!!

一時太陽が顔を出したので霧の晴れるのを待つことにした。そのうち若いカップルは下山し替わりに年配のご婦人が年配の男を従えて登ってきた。

ここでも記念写真のシャッター押しを勤め、当方もシャッターを押してもらった。30分程度待ったが霧はやむ気配はなく14時35分下山開始し15時10分に駐車場に到着。

DSCF3994.JPG 御鉢から瞬間的に見えた韓国岳方面の景色〜霧が10秒程度晴れた瞬間〜


当初計画ではえびの高原ICを降りたらガソリンを補給する予定であったが7時を過ぎてもスタンドは開店せず結果的にガソリン残量が5リットル程度しかないことを思い出し下山を急いだので標準時間よりも30分も早く駐車場に着いた。

このあたりではガソリンスタンド自体が少なく、仮にあっても土曜日は閉店か早く店を閉じる傾向があるので、あと100km程度は走れるガソリンはあるのだがせっかくだから霧島神社を訪れてみたいので、念のため駐車場のおばさんにガソリンスタンドの所在を聞いた。

見知らぬ土地で暗くなってガソリンスタンドを探すのはぜひ回避したいので、霧島神社前から県道60号に入り少し下った田口地区のガソリンスタンドで満タンにし一安心した。

結局えびの高原と霧島神社付近ではガソリンスタンドはたった一軒のガソリンスタンドが廃業したので1軒もないとのこと。

なぜ観光地なのにスタンドがないのかスタンドの兄さんに疑問を投げかけた所、いまどき利幅の薄いガソリン販売だけでは経営が成り立たないのでガソリン以外の商品が相当売れない限りたとえ観光地であってもガソリンスタンドは経営できないという。

ついで口蹄疫大流行の話題となり、韓国あたりからウイルスが宮崎に入ったのではないかと水を向けると、地元では国会議員が関与し韓国から水牛を連れてきたのが云々という話が持ちきりらしいことがわかった。

ちなみにこのガソリンスタンドは口蹄疫対策で大活躍した重機の燃料販売で多忙を極めたとのこと。

霧島神社には17時30分に到着したが参拝客はかなりいた。

DSCF4002.JPG 霧島神社

さすが天照大神から受け継いだ三種の神器を捧持して高千穂峰に天降り皇基を建て給うた天孫ににぎ尊を御祭神とするだけのことはあり美しくも高い風格があり、西の日光とも称せられるとのこと。

DSCF4004.JPG 樹齢800年高さ37mの御神木


境内を参拝した後、ちょうど屋根瓦(銅板2000円/枚)寄進を募集中であったので1枚応募した。寄進者リストには少数の外国人を含め概ね700名以上の名前があった。

18時過ぎに霧島神社出発、バードライン223号線で無事に高原に至り、19時に高原ICに乗り、北熊本SAで夕食をとり休憩後23時30分に自宅帰着した。

帰宅後霧島の由来がわかった。このあたりは霧の発生が多く、霧が島のように見えるので霧島と呼ばれるようになったとのこと。

今回は韓国岳(標高差570m)、高千穂峰(標高差603m)と二つの名山に登ったが、いずれもすばらしいと絶賛された山頂からの展望は名物の霧のため見ることはできなかった。

これも霧島の語源からすればやむをえなかったものと思い、霧島神社参拝と瓦寄進を良しとしながら遅い眠りについた。

posted by ヤマおやじ at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

第65回終戦記念日に莇ヶ岳で荒れた山道の笹を刈る;管首相の売名行為

先週登った中国地区第2の高峰氷ノ山(標高1510m=標高差900m)登山では24時間不眠で取り組み(車運転16時間、登山7時間、準備・休憩1時間 合計24時間)でかなり疲れが残り、翌週はごろ寝で高校野球観戦とあいなった。いまだ首筋に違和感がある・・・

一方将来の探訪候補の1つである信濃川源流の甲武信岳(標高2475m=標高差1150m)、利根川源流大水上山(標高1830m=最大標高差1600m)での標高差は、氷ノ山の900mに比べると一段と大きく現行で推移すれば実際に実現できるかが危ぶまれる。

この実現には、最大標高差1600mの急登を8時間程度で登る実力を付けるべく日常からさらなる訓練を必要とすることを痛感した。

特に利根川源流、大水上山は、最大標高差が1600mもあり、避難小屋泊のためのシュラフ・食料・水、2日目の水分などを背負うこととなり、現状の実力では相当厳しいものとなり事実上実現不可能に近い〜専用ガイド兼荷物運搬人を雇ってどうにか実現できる感があるが所要金額はかなりのものになるだろう〜

近くの山で最大標高差が1600mの急登に耐えられる訓練をしようとすればさしずめ、右田ヶ岳(標高差400m)を日に4回登る勘定となるが、現状では一回登山で息絶え絶えではあるが少しずつトライして見る気になった・・・・

8月15日は天然水補給の為に鹿野方面の山となり、新道ルートから莇ヶ岳に登った。いままでは下山にだけこのルートを通ったので、登りは初めてだがこのルートも急登の連続であり約70分で山頂着。

山頂では顔見知りのメンバーに出会い挨拶した。誰かが石槌神社の祠の横に太ったマムシが昼寝をしているのを発見した。このあたりには5,6匹のマムシがいるとのこと。

弁当を食べた後四囲を眺めると、通常よりも遠くまで眺望できた。何と寂地山・冠山と安蔵寺山の間の奥に高山が見えるではないか・・・・・これほどはっきり見えたのは過去十数回登ったが最初である。この高山は方角と山容から多分広島県の十方山だと思った。


DSCF3952.JPG 中央部最奥部に十方山が見えた

さらに北側の尾根に行くと、木々の合間に十種ヶ峰がくっきりと見えた。四季・気象の変化によって山はいろいろな姿を見せてくれる。

DSCF3953.JPG 木々の合間に十種ヶ峰

下山は新道ルートをくだり、先々週見つけた笹道をたどり60mほど笹を刈りながら進んだ。まだまだ笹の奥に道は続いているが、16時が近いので次回に託し下山した。



閑話休題

ニュースは、“全国戦没者追悼式で管首相が「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大な損害と苦痛を与えた」と述べ、深い反省と哀悼の意を表明した”と伝えた:::史実からすればこれは真っ赤な嘘である。

このニュースを聞き他途端に、何と管首相は事実に反する表明をしたのだと憤りを覚えた。左翼かぶれの一市民の発言であれば看過されても、日本国首相の発言であれば事実を無視した自虐的一大失言である。

第一回アジア・アフリカ会議において、“日本は大東亜戦争によって欧米列強による植民地支配からアジア諸国を開放した最大の功績者である”として日本は多くの国々から感謝されたのである。

インド、インドネシア、ビルマ、インドシナ半島、フィリピンは長い間英国、オランダ、フランス、米国の植民地支配を受け搾取されてきたが、欧米諸国から仕組まれた戦争に日本が敢然と立ち向かった大東亜戦争によりこれらのアジア諸国が勇気付けられ、終戦を契機にこれらのアジア諸国の多くは欧米諸国から民族独立を勝ち取ったのである。

侵略と搾取を大々的に行った張本人は日本ではなくこれらの欧米諸国であり、これらの国々がなんら詫びていないのに、欧米列強による植民地支配からアジア諸国を開放した最大の功績者である日本がアジア諸国に侵略をわびるのは本末転倒でしかない!!!

細川元首相、村山元首相はいずれも、先の大東亜戦争において日本は侵略国家であったと上記事実に反する宣言を世界に向けて発し、当時のマハティール マーレシア元首相から日本は侵略国家であったとする細川元首相、村山元首相の誤った認識をたしなめられたという、恥ずかしい一幕もあった。

10年前ごろから米国公文書の公開が進み、大東亜戦争開戦にかかわる新事実が多数明るみになった。最近ではコミンテルン(共産主義の国際組織であり、1919年3月モスクワで結成された。この組織は 「世界のブルジョアジーを打倒するために、さらに国家の完全な廃止に向けての過渡的段階としての国際的ソビエト共和国の建設のために軍事力を含むあらゆる可能な手段によって」 戦うことを意図していた)の秘密文書も多数発見されて、日本が戦争不拡大方針の下に戦争開始を回避する真摯な努力・譲歩をしたにもかかわらず、ソ連がドイツとの戦争を有利にするために日本を支邦と英米との戦争に巻き込む秘密工作を国策として大々的に行ってきた事実が明らかになった。

日本の開戦を決定的とした米国国務長官コーデル・ハルによる「ハルノート」(日本が大幅な譲歩案を提出したにもかかわらず、米国は日本への石油輸出を禁止し日本を開戦へと追い詰めた)を事実上執筆したのは、ヘンリー・モーゲンソー財務長官の副官ハリー・ホワイトであり、後にホワイトはコミンテルンの一員であったことが判明し自殺した。

米国が第二次世界大戦へ参戦する前後のルーズベルト大統領政権には100名以上のコミンテルンスパイ(共産党員)が密かに配置されていたことが戦後発覚した。

米国大統領といえども、所詮欧米大資本グループ奥の院の”番頭”に過ぎない。ルーズベルト大統領政権周辺の多数のコミンテルンスパイ(共産党員)の配置は、欧米大資本グループ奥の院の意思であったに相違ない。

2〜3流評論家は、資本主義と共産主義は犬猿の仲のごとく喧伝するが、レーニンによるソ連樹立を多くの欧米大資本が強力に援助した事実を言及していない。

欧米大資本グループ奥の院からすれば、資本主義国家群と共産主義国家群は歴史創造のための単なる1枚のカードにすぎない!!!

大東亜戦争を含む第2次世界大戦は、通説のごとくヒットラーが始めたのでもなく、日本の軍部が始めたわけではない。第2次世界大戦勃発の真相は、世界戦争勃発による巨額利益を求めた欧米大資本グループ奥の院の意思による20世紀世界歴史の創造の重要な一幕であった。

共産主義国家の誕生と終焉は、ひとえに大資本グループ奥の院の意のままに実行された20世紀の世界歴史の創造の一コマまに他ならない。


終戦後占領下の日本を統治した連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、後日米国議会において「大東亜戦争は日本による侵略戦争ではなく、日本の防衛的戦争であった」と証言した。

日支事変の遠因ともいわれる張作霖爆破事件は、最近まで関東軍河本大作大佐首謀説が絶対的通説としてまかり通ってきたが・・・コミンテルンの極秘文書が最近発見されて、「実際には当時のソ連首相スターリンの命令にもとづいて、ソ連スパイ ナウム・エイチンゴンが計画し、関東軍の仕業に見せかけたものだ」とされている。

日支事変(日中戦争)の引き金となった盧溝橋事件は、コミンテルンの指揮下にあった支邦共産軍党の劉少奇(後の国家主席)が引き起こしたことが共産軍パンフレットに記載してあり、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、「あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(支邦共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」 と発言した。つまり協定に違反して支邦共産軍は日本軍と国民党軍の双方に発砲して双方の反目を煽り日本軍を日中戦争に引きずり込むことに成功した。換言すれば日本は、戦線不拡大方針の下に開戦を極力回避してきたが、コミンテルンの指揮の下、支邦共産軍の謀略により日中戦争に巻き込まれたてしまったのが真相だ。

江沢民前国家主席以降支那現政権は日本軍が先制攻撃したと事実無根の発言を繰り返し、村山富市・元首相も当地を訪れた際、「盧溝橋で往事を反省してきた」等と事実に反する愚かな発言をしています。

村山富市・元首相は、“日本が侵略戦争を行いアジア諸国に多大な被害と苦痛を与えた”との事実無根の首相談話を発表したがその舞台裏は、実際には当時の衆議院議長土井たか子は、“今日は議会審議がないので衆議院議員は選挙区に帰ってよい”と通達し、東京に居残った左翼革新系議員だけで「日本侵略戦争決議」を衆議院決で通過させるという姑息な手段を使ったが参議院では賛同が得られず、やむを得ず村山富市・元首相は閣議で首相談話として世界に愚かな発信したいきさつがある。

村山富市、土井たか子は筋金入りの日本社会党員であり、スターリンは日本の共産党政権樹立を日本共産党にではなく密かに日本社会党に託したと伝えられている。

土井たか子の失態で人気を落とした日本社会党からは、日本での共産党独裁政権樹立を願うおおくの左翼人脈が過去を隠すように民主党に流れた。江田、横道、千葉・・・・

土井たか子は、北朝鮮出身とも言われている。自民党の小泉元首相も
”一時期日本が侵略戦争を行いアジア諸国に多大な被害と苦痛を与えた”との事実無根の首相談話を発表した。

事実に反し日本を侵略国家だったと強制する最近の支邦共産党の真意は何か?世界制覇を狙う支邦共産党の野望を隠蔽するためか?

細川、村山、小泉元首相、管首相のいずれも、強大化した支邦共産党を恐れての発言か?

日本を弱体化・混乱させてドサクサにまぎれて共産党独裁国家にするための左翼政治家の手段か?

広大な中国市場を当て込んだ財界の思惑か?

戦勝国である米国、英国、オランダ、支邦から見れば、日本は悪い国であり日本が侵略国家でなくてはならなかっただからだろうか?

歴史は権力者(戦争の勝者)によって創作されるのが常であり、事実とは無関係だ。

戦後65年経っても、日本国の主権、独自性を発揮できず、戦勝国によって創作され押し付けられた歴史を甘受するのが日本政府の方針であるとすれば情けない感がある!!!

全国戦没者追悼式での管総理の未曾有の反事実発言「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大な損害と苦痛を与えた」は、日本の平和と繁栄のために貴重な命を捧げた戦没者に対する大きな冒涜・非礼に相違ない。

本来は、「日本は英国、米国、オランダ等の欧米国家、コミンテルンならびに中華民国(国民党)からなる連合国家から、執拗かつ巧妙な罠を仕掛けられやむを得ず大東亜戦争に巻き込まれ多大な苦痛と損害をこうむった。戦争には負けたが、アジア植民地を欧米諸国から開放するという大東亜戦争の大義によって多くのアジア諸国が戦後植民地支配から解放されたとして、第一回アジアアフリカ会議にて感謝された。この聖なる戦いに殉じた多くの戦没者のご活躍を永遠に記念しその安らかな冥福を祈る」・・・と声明すべきだったと感じる。


9月までの短命首相に終わる予定の管総理が、後世に名を留めることを主に狙っての今回の事実/国益無視声明だとすれば、まことに管総理の軽い人柄がにじみ出ている感がある。

国旗に敬意を表さず、国歌を否定し、北朝鮮の拉致犯人を釈放する嘆願書に署名する一方で、自らの売名行為に走る管という一般大衆レベル以下の人物が総理大臣になる今の政治機構、マスコミの左翼姿勢、商人(財界)の政治への介入、有権者の政治意識などいろいろ考えさせられる毎日だ。
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2010年08月09日

中国地方第2の高峰、氷ノ山に登る


07年:大山(2回)、08年大山滝・矢筈ガ山、09年竜王山・立烏帽子山と、ここ最近3,4年では夏には比較的遠くの山に登ってきた。

今年はすでに7月に中央アルプス木曾駒ケ岳に登ったがケーブルカーを使って高度900mを稼ぐ楽チンコースであった観は否めないので、いろいろ行き先を考えた末にかねて事前調査を進めてきた氷ノ山(標高1510m=日本二百名山<中国地区では大山、上蒜山、三瓶山、氷ノ山>の一角)に兵庫県関宮町親水公園登山口から登ることを8月6日に決め8月7日に実行した。

まず高速道を駆使しても片道7時間はかかる登山口までのアクセスに対しては、午前3時自宅出発とするが状況により旅館「岳水」利用も視野に入れ、

2つ目の問題として、標高差930mを7時間程度で登り降りるかなりの未体験強行行程が気懸かりであったが、毎週1回のトレッキング実績に加えて十分な水分補給対策として冷凍固化したポカリスエット1.7リットルを前の晩から用意した。

8月7日午前2時30分に起床し、手製アイスコーヒー1リットル(土居珈琲直伝)とクルミパン3枚の朝食を済ませ、凍ったポカリスエット1.7リットルを保冷容器に入れ2時50分に自宅を出発した。

山口・宇部有料道路経由で3時10分に小郡ICから中国縦貫道に乗り、勝央ICでガソリン補給後7時30分ごろ福崎IC着。ここから播但連絡道路に乗り換える時点で出口を間違え加西市へ向ったことが判明したので加西ICで再び中国縦貫道に乗り福崎ICにもどり播但連絡道路に乗り換えるという番外編があった。

播但連絡道路際終点和田山IC出口から国道9号に入るルートを安易な考えから再び間違えて反対方向の山東町に進んだので誤りに気がつき国道427号に乗り国道9号に入り直し、和田山中心街のスーパー駐車場で現在位置を確認後一柳交差点から国道9号で関宮方面へ向かうルートに乗ることができた。

関宮から国道9号を離れて県道87号に入れば終点が登山口だ。登山口に近くには氷ノ山国際スキー場やハチ高原スキー場があり目印の案内を見ておけばあまり心配することはないことは事前に判っていた。

このあたりでは全く土地勘はないが、事前にHPで分岐点の目印看板を見ていたので2回のミスはあったが比較的小さな時間ロス(合計40分程度)で済みどうにか10時に登山口に到着した。幸いにも2,3台分の駐車スペースも見つかり一安心。

DSCF3903.JPG 親水公園登山口

登山準備後かみさんに到着を電話して、10時10分にいよいよ登山開始した。絶対に登山道を外れないことを強調した登山案内板の注意が頭から離れない。

キャンプ場を左に見送り登山道に入ると急な坂道となる。布滝分岐で日本の滝100選に選ばれた落差60mの布滝展望橋に向かう。木々の枝の合間から見える布滝の姿ははるかかなたの高所から落ち口まで全体の60%程度見えたのでしばし眺めていたがなかなか見ごたえがあった。

DSCF3908.JPG 落差60mの布滝

さらに進むと落差10m程度のニンジン滝(?)があり鉄製階段を上ると今度は道がくだり始めたので引き返した。引き返す途中で布滝上方に向かい伸びる細い踏み跡があり興味を惹かれたが、登山道から外れるので本来の登山道に戻り当面の目標地である標高1250mの氷ノ山越をめざした。

のぞき滝 では、通路の左側に不動滝の姿がほんの一部だけ見えた。左岸下方に数十mの絶壁が続く急坂をさらに登り冷風が通過する地点を選び小休止しエネルギー補給の饅頭を食べスポーツドリンクをがぶ飲みする。

DSCF3910.JPG のぞき滝

少し平らな場所に地蔵堂(標高900m)があり、さらに登ると木地屋跡に至る。木地屋跡では、少し手前には水場があり、かなり平らな空き地が広がっており、木地師達の作業場・住居に絶好な場所と思われた。

DSCF3911.JPG 地蔵堂

さらに行くと、夏でも枯れない“ひえの水”がありコップも用意されており、一筋の冷たい水がブリキ製樋から流れ落ちている。水温は山勘では、摂氏10度前後ではなかろうか? 

DSCF3914.JPG ひえの水

この“ひえの水”は、汗をかき火照り疲れたからだに心地よい。その後首筋や延髄にぶっ掛けると疲れが吹っ飛んだ。

さらに登ると、弘法の水(標高1000m)があったが水は枯れていた。とうろう岩では、木立に囲まれてその姿を見分けることはできなかった。まだここから山頂まで標高差が450mもあり気は抜けない。

12時35分にようやく標高1250mの氷ノ山越に到着。氷ノ山越は十字路であり避難小屋もあり若者2人が談笑していた。西進すれば鳥取県若桜町つく米地区へ、北進すれば鉢伏山へ、南進すれば氷ノ山山頂に至る。

DSCF3919.JPG 氷ノ山越

鳥取県若桜町つく米地区から氷ノ山越を経て福定地区親水公園(標高600m)登山口に至る登山道は古くは、但馬から伊勢神宮へお参りする生活道であり難所でもあったそうだ。

帰宅後氷ノ山の由来を調べると、“稲羽誌によれば天照大神が旭日に映える樹氷を見て、ヒエの山と称されたことが名前の由来であるという。山麓の舂米(つく米)集落には天照大神の御製が伝わる。鳥取県側では、伊勢道として、天照大神が実際に通られた道として、江戸時代には伊勢参りの際に利用された。伊勢道の途中に天照大神が腰掛けされたとされるさざれ石がある(平成21年6月10日日本海新聞記事より)”とあった。

氷ノ山越の登山道はなんとあの天照大神(実は天照大神は男神:聖徳太子が伝統を破り身内の女性(後の推古天皇=日本初の女帝)を天皇にするために物部氏が保管する正統歴史書を蘇我馬子と共に焼き捨てて、もともと男神であった天照大神を女神にすり替える欺瞞工作を古事記創作等を通じて行ったので、今では天照大神は一般的には女神と信じ込まされている)が実際に通られた道だったと知って、にわかに深い感銘を覚えた!!!

氷ノ山越を過ぎるとブナの天然林が現れる。仙谷口を右に見送り こしき岩を過ぎると、歩きにくい板道があり段差のある岩道をあえぎながら通過し、およそ30名の小学生たちが引率者とともに元気に下山するのを見送り13時50分に氷ノ山山頂に到着。

DSCF3922.JPG ブナの天然林の中を歩む

早速避難小屋に入ると一家4人が昼食中であった。挨拶をしてリュックを置き外に出るとさえぎるものがない360度の風景が展開する。北方前面には鉢伏山をはじめとする鉢伏高原が、福定地区がドーンと目に入る。

DSCF3929.JPG 鉢伏高原

大山方面は霞がかかり姿は見えない。この辺の山々にはとんとご縁がなく山名の同定は殆どできないが、三の丸、鳥取市・日本海方面、峰山高原辺りが望見できた。

凍ったポカリスエットボトルを新たに取り出し、ローソンで購入した昼食のムスビ2個を食す。14時30分東尾根コースをとり下山開始。古式沼は自然生物保護のため進入禁止となっており通過し、みたらしの池は所在不明のまま通過し、林立する千本杉を見送り、神大ヒュッテ(標高1340m)に至り小休止する。下界と違い、吹き付ける涼風があくまで心地よい。

DSCF3944.JPG 千本杉

DSCF3946.JPG 神大ヒュッテ

登山道としては平均的ではあるものの結構な悪路(段差が大きい)の下山道をさらに30分程度下った所で、急に右足がつった。いままでの山行で足がつった経験はなかったので、ショックではあったが、とりあえず5分程度小休止しポカリスエットを飲みミネラルを補給すると同時に太もも、ふくらはぎを揉んだ。

歩いてみると右足は大丈夫なので、下山を開始した。さらに20分程度下った所で今度は左足がつった。

再び小休止し、新しいポカリスエットボトルを取り出し飲むと同時に、チョコレートを2片とビタミンCキャンディ2個を口に入れた。太もも、ふくらはぎを揉み、屈伸運動をして5分程度安静にしていた。

さらに2本目のストックと取り出し2本ストックとして足への負担を軽減することとした。

原因を考えたが標高差930mの連続登りと加齢による体力減退以外に、頂上までの標高100m以降はかなり大股で蹴るようにして登った(それまでは小幅歩行を心がけていたが)のが両足に極端な負担をかけた原因ではないかと思われたので、歩幅をできるだけ小さくして下ることとした。さきほどの山頂登頂の最後の一歩(左足)がつっかのを思い出したからである。

東尾根登山口までまだ標高400mも下らなくてはならないが、他に下山者の気配はないのが心配ではあったが(防寒衣/雨衣、非常食3日分、照明具は常に携行しているので)回復を待ち体調を整え足への負担を軽くして下るしかない。

再び下山を開始したが足のつりは再発することなく東尾根休憩小屋(標高1000m)を経て、長い階段の連続で標高差200mをカバーするいやな道を慎重に下り16時35分に東尾根登山口(標高790m)に到着した<ヤレヤレ・・・>。

階段が嫌いな人は、東尾根コースは避けたほうが良いと感じる。

DSCF3948.JPG 東尾根登山口

東尾根登山口には、今年5月氷ノ山登山で行方不明になった68歳男性の消息を求める尋ね人のポスターがあった・・・ご冥福を祈る。

長くて厳しい登山道、深い谷、切り立った高い断崖、広く深い山容・・・・・

道理で通常の山で圧倒的多数見かける中高年の登山者は、今回氷ノ山で出会った約50人の登山者の中では4,5人しかいなかった理由がわかるような気がした。

これから先は林道を1.5km下るだけである。氷ノ山国際スキー場脇のスポーツ施設では、12,3人の学生達が炎天下で全力疾走練習を行っていたのを感心しながら見送り、17時15分に駐車場に無事到着し、谷川で汗にまみれた顔と首筋を洗うと気分が持ち直した。

午前中20数台いた車は3台を残すだけになっていた。無事下山を家族に電話して17時30分長躯520kmの帰路についた。

19時ごろ中国縦貫道福崎ICに入り、勝央ICで夕食をとりガソリンを補給し大休止とし、眠気防止の珈琲を飲んだ。ここで飲んだアルコールフリービール(三百五十ミリリットル缶480円)の味は最高であった。

8月8日0時50分ごろ自宅へ帰着。洗濯物を出し、ごみを出した後で、風呂に入り頭の先から足の先まで全身入念に洗い、汗と油を洗い流し、ビール2缶とつまみを食し2時10分ごろ就寝。

DSCF3939.JPG 氷ノ山山頂避難小屋の窓からハチ高原を望む


ちょうど丸1日間不眠で登山7時間、車移動16時間、その他1時間で過ごした往復1050km1人旅登山ツアーは、多少のトラブルはあったものの好天にも恵まれ無事に済んだ・・・・感謝、感謝、感謝!!!!!

振り返って見ると登山口での注意を守り布滝上部への枝道に進まなかったことと、スポーツドリンクを十分携行したことと、焦らなかったことが、無事に帰れた原点とも思われる。
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2010年08月01日

猛暑の莇ヶ岳で笹を刈る;口諦疫非常事態宣言解除に思う


知症義母がデイサービスの送迎バスに無事乗車したのを見届けて、7月31日10時過ぎに恒例のメタボ対策/腹周りの脂肪取り登山に出発した。

10時出発の日帰り登山となれば、近場の山しかない。

7月に錦川上流屋敷川支流より莇ヶ岳(標高1004m)方面に通じる林道を遡ったが時間切れで750mピーク辺りで引き返したので、今回は莇ヶ岳新道登山ルートから尾根伝いに750mピークに下るルートを時間が許す範囲内で探索することとした。

出発前に地形図で大まかな概念図を作成し持参した。時間を稼ぐために中国高速道を利用すべくETCカードを挿入するもエラーメッセージが出てせっかくの土日1000円制度が利用できないのでやむを得ず一般道経由となった。

先週不通であった県道9号は未だ不通であったので、県道192号をはじめて通過したがこのルートは県道9号に比べて道幅は広く運転が非常に楽であった。いままでの県道192号は食わず嫌いであったのだ!!!

12時10分頃駐車場に到着し準備をしていたら、体長2cm程度の虻(あぶ)が早速出迎えてくれた。虻(あぶ)とは動物の血を主食とする蜂に似た昆虫でこれに刺されたら大きく腫れ上がる。

ヤマちゃんおやじが子供時代には、牛舎(当時は兼業農家だったので鋤を引く耕作用動力源として牛を飼っていた)の周りには虻(あぶ)が飛び交い、牛には腹が破れそうになるまで血をすった虻(あぶ)が沢山牛に取り付いていた。

虻(あぶ)は人の血も吸うが血を吸い始めた時に激痛が走るので、反射的に手が動き虻(あぶ)を叩き殺すことがしばしばあったのを思い出す。

最近の10年間では虻(あぶ)に出会ったのは、四国吉野川上流祖谷川かずら橋〜名頃第2ダムかずら橋〜名頃第2ダム付近、鹿野町片山から徳地に抜ける県道26号峠付近と、莇ヶ岳周辺の3箇所だけだ。

防虫スプレーをしっかりかけて12時15分に駐車場を出発。途中で莇ヶ岳をこよなく愛す会(仮称)のメンバー3人が下山するのに出会い登山道整備へのお礼を述べると、今日は第2新道に掛かる橋を新設したので渡り初め登山を行ったとのこと。

DSCF3900.JPG 第1新道から見る莇ヶ岳

ほかに60歳代の男性が下山するのに出会う。例年この暑い時期には莇ヶ岳に登る人は少ない。

標高差400mを61分で登り山頂に至る。最近では2番目に早い記録だ。暑いさなかの67歳の急登りとしてはまずまずの好記録と感じる。ここ10年で中国地方を中心に100箇所程度の登山を行った中で3つの最も厳しい急登りは、右田ガ岳、安蔵寺山高尻コースと、莇ヶ岳だと思う。

3重パックしたポカリスエットボトルを取り出すと、凍ったままだったので首筋や延髄に当て暑さをしばし忘れる。

曇天のため視界はおよそ1km程度であったので、鈴ノ大谷山(標高1036m)の左側に盛田ヶ岳(島根県吉賀町標高891m)の頂部を初めて見ることができた。

DSCF3896.JPG 鈴ノ大谷山と盛田ヶ岳

時間がないので昼食もそこそこに14時ごろ第1新道を下り始めた。概念図を取り出し、屋敷川側からの新ルート出会点を探すとなんと深い笹に覆われているので侵入する気がしない。

さらに道を下るもいずこも深い笹に覆われているので、標高900m地点に引き返し深い笹を前にしばし思案したが妙案はない。ようやく深い笹を切り払うことを決断し2,3m奥に笹を切り払うとなんと道らしき跡が現れた・・・・やはりここには道があったのだ!!!!

DSCF3898.JPG 笹を刈れば下に古い通路が現れる

大鎌をふるいおよそ1時間程度笹と格闘し道跡に沿って20m程度切り開いたところで時間切れとなり、残りはまたの機会に譲り本日の作業は終わりとした。


駐車場に着くと第2新道の新設された橋を渡ってみたが、なかなか渡りやすい立派な橋であった。

DSCF3901.JPG 新設された橋

谷川の水で顔、首筋を洗いさっぱりして帰路に就き18時15分に帰着、歩行時間と作業時間で計4時間。地形図で新ルート周辺を確認して就寝。

DSCF3902.JPG  谷川の水

閑話休題

先週宮崎県での口諦疫非常事態宣言解除が報道された。約29万頭の牛や豚などが処分されたとのこと。気になる映像があった。

なんと、通過車両等を消毒する施設も撤収されている映像があるではないか!!!!

口諦疫が蔓延する韓国や支那を含む隣国から口諦疫ウイルスが今回宮崎県に侵入した可能性は排除できない。

しかしながら通過車両等を消毒する施設が撤収されたとすれば、再発防止はまったく考えられていないこととなる!!!これでは賽の河原だ!!!

今後何時外部から口諦疫ウイルスが侵入してもおかしくない。“喉元過ぎれば熱さ忘るる”とはこのことだ。全くのお馬鹿さんとしか思えない。

これが高い給与を食む行政府のすることである。これでは給与のただ取りだ!!!!

マスコミも皮相をなぞるだけで、真相解明の姿勢は皆無に等しい。
政府も同様だ。彼らは自己保身には熱心だが、国民生活には無責任だ!!!!

通過車両等を消毒する施設は継続して使用されなければならないのは、再発防止策として当然であろう。

サッカーワールドカップで日本チームはベスト16に入った。

しかし、国民の生命・財産を守り、国民生活の根幹を成す国益を守るという点に関しては、日本の政治家とマスコミと高級官僚は先進国後進国を含め世界最低クラスであることを、日本国民はしっかり念頭に置くべきであり、日本の政治家とマスコミと高級官僚の言動を疑い、しっかり監視しなければならないと痛感する。
posted by ヤマおやじ at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする