ヤマちゃんが思ったこと、トレッキング、源流探訪、不可思議現象、反日マスコミがスルーしたニュースなど様々なことについて書き留めます。

ヤマちゃん日記

2010年05月23日

ウドを求めて屋敷川上流から弟見山に登る


先週ウドを初めて食してから特に金平ゴボウふうにした佃煮の味が忘れられず、ウドを求めて周南市鹿野の屋敷川(錦川本流の最上流)上流に行くことにした。

屋敷川は、弟見山(周南市標高1085m)南麓に源を発し錦川本流となり途中菅野ダムを経て、岩国市広瀬にて寂地山に源を発する宇佐川を合流し岩国市で瀬戸内海へ注ぐ。

錦川本流の最上流である屋敷川周辺にウドがある確証はないが、なんとなくウドがありそうな気がしたので、とりあえず出かけた。弟見山南麓の屋敷川最上流は、最初の水の一滴が滴り落ちる場所を過去数回訪れているので土地勘はある。

DSCF3777.JPG 清流屋敷川を背に藤の花が映える

天気予報では本日(5月22日)の午後は雨が降るというので、早く出て早く帰ることとし、5時50分に出発した。

千石岳山麓の熊坂峠付近に湧き出る金剛水を40リットル採取した。金剛水の採取は、過去200回はくだらないであろうが、水量は全く変化が無く、水温は夏では冷たく冬では比較的暖く年間ほぼ一定である。

地元の言い伝えによると、現在金剛水がある場所で弘法太師が杖を立てたところ水が勢いよく湧き出したという。ちょうど40リッター採取し終わると、次の人が水汲みに来た。休日では順番を待つこともある。

おいしい天然水がほぼ代金ゼロで採り放題なので人気が高いようだ。

国道315号を鹿野から徳佐に向かう峠の直前の海抜550m辺りで錦川源流の縦看板の所右折し空き地に駐車する。四駆のSUVが1台すでに駐車していた。

屋敷川沿いの林道を遡ると何と道路脇にウドが生えているのが数箇所見つかり、帰りに採取することとした。やはりヤマ勘は当たったのだ!!!

途中の右側の藪の中に今まで気がつかなかった登山道らしきものがあり、少し入ってみると谷川を渡りさらに上に続いている。

興味が湧いたが次回に探検することとし、本日のルートに返り200m進んだ林道分岐にもまたもやウドが生えていた。

DSCF3776.JPG 林道脇に生えるウド

林道とはいえ荒れ果てているので道幅が広い登山道といったほうがよい。

砂防ダムを通過した直後再びウドらしき植物があたり一面に生えており欲に目がくらんで、ここで一気に採取することとし30分掛けて10株くらい切り取った。

しかしウドに似ているが茎に産毛がなく、茎の色、葉の形が微妙に異なることに気が付いたので全部捨てた。

以前と異なり今回は、林道に生えてた邪魔な草木が切り倒されて、棘のあるアザミも切り払われているのでかなり歩きやすい。誰かが面倒を見ている痕跡が明らかに見られた。

駐車場から約2時間30分荒れた林道を歩いてようやく終点に着いた。以前2回ほど林道終点から道なき道を曲がり木の繁茂に邪魔されながら苦労しながら弟見山に登ったことがある。

今日の午後からは雨が降る予報なので終点から引き返す予定でいたが、林道終点の奥から始まる弟見山に至るルートは、今回は何と藪が切り払われているではないか!!!

空模様は当分雨が降りそうな気配もないので予定を変更して、藪が切り開かれた新造登山道を通り弟見山に登ることにした。

以前の2回は尾根に群生する曲がり木に行く手を阻まれ難渋したが、今回は邪魔な草木は切り払われているので相当登り易くなっている。

しかし標高870mから標高1000mまで一気に登る急登は楽ではなく、手足4本を動員しないと登れない!!!

数回立ち止まり息を整えながら40分掛けて縦走路に達し、更に15分かけて標高1070mの弟見山展望所に到着した。

昼食をとっていると、初老の男性が登ってきたので挨拶する。四囲の峰々の名前を聞かれるままに山名を告げながら若干の解説を付け加えた。

下松市から来たというその男性は一旦山頂まで上りまた展望所まで帰ってきて昼食をとり始めたのでしばし歓談する。

風が強くなり雲も空を覆い始めたので下山することにした。あれほど苦労して登った急坂は20分で下り、一路ウドが生えた場所に向かい荒れた林道を下った。

今度は本物のウドである。林道の脇に生えたウドを根元の土を掘り下げナイフで根元を切断し数株採取する。茎が硬い部分は除去したが、若干硬い感じがする。

更に道端で数株のウドを発見したが、そのまま採らずに帰った。退屈な林道歩きも今回はウドを探すためにキョロキョロしたので、かなり短く感ぜられた・・・・現金なものではある!!!

DSCF3778.JPG 鹿野町物産販売所で見かけた珍しい色合いのアヤメ

下山後1時間経って車で帰る途中で小雨が降ってきた。早めに下山したのはやはり正解であった。

帰宅後18ごろ時から、ウドを調理したが硬い部分はやはり歯ごたえがありすぎたので軟らかいものだけ食した。キンピラごぼう風佃煮の味は上々であり一安心した。
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2010年05月20日

鳩山が進める普天間基地移転問題の真相とは?

ようやく、山歩き以外の日記を書く状況になった。

就任当初鳩山は普天間基地移転に関し、最低限県外移設だと明言し、平成22年5月末までに普天間基地移転問題を決着させると数回繰り返し言明した。

今日は5月20日であるが、普天間基地移転問題は混迷を深めただけで解決の糸口も見えない。到底5月末までにはまともな解決策で決着をつけるのは99.9%不可能であろう。

5月中旬になって、鳩山は“東アジアにおける抑止力について学習すればするほど沖縄県内移設が現実的なものとなった”という趣旨の発言をしている。

「沖縄の米軍基地は本来東アジアにおける抑止力を目的に存在するもの」であることは国政を担おうとする政治家、いや在野の常識人にとっても常識中の常識である。

この沖縄の米軍基地による抑止力を学習しないと判らないとは鳩山は非常識極まりない大馬鹿者でしかない!!!!

この鳩山のような無知蒙昧な人物が首相として日本丸の舵取りをしているのだからあきれてものが言えない。

支那には過去から現在に至るまで抑止力の空白地帯を狙って軍事力を動員して他国領土を自国に編入してきた数多くの歴史=事実=がある。

チベット、ウイグル(東トルキスタン)、南沙諸島しかりであり、日本の固有領土である尖閣諸島では石油ガスを盗掘している。

最近、支那海軍の艦船10隻が日本の領海を堂々と侵犯し我が物顔で自由に出没し、監視の日本の自衛艦や航空機にミサイルの照準を合わせ発射寸前の行動をとっている。

四月には、中国の海軍機が、東シナ海で我が海自艦艇に異常接近し、五月には我が国の排他的経済水域内の海上保安庁の調査船が、中国海軍艦艇から「出ていけ」という信号を受けて追尾された。これらは日本の領海侵犯であり、日本の主権への恫喝でもある。

また我が国の排他的経済水域で調査活動をしていた海上保安庁の調査船を中国海軍艦艇が「ここは中国の海である。退避せよ」と通告しながら追いかけている。

これに対して鳩山政府は、中国の行動を放任して何もしていない。

岡田外相が及び腰で支那の外相に形ばかりの抗議したが、逆に支那から、「あそこは中国の海である」と一蹴されすごすご退散した始末である。

日本の領海を堂々と侵犯されても鳩山は、これに対し何ら抗議も対策もとっていない、それでも日本の首相か!!! 恥を知れ!!!

朝鮮半島での抑止力の空白を狙って北朝鮮と支那は、38度線を越境して韓国に攻め込んだが、米軍主体の国連軍の反撃にあい追い戻された。

支那は、過去10年間も年率10%以上の増加率で毎年軍備を拡大しており、3年後には空母2隻も保有する。その狙いは????

当面の支那の狙いは、台湾の奪取と、沖縄の奪取、支那による日本支配、ひいては西太平洋の制海権(現在は米軍が握っている)奪取だ。

当然インド洋、マラッカ海峡、南支那海、東支那海とつながる長大なシーレーンの支配の準備を着々と進めている。

北京五輪最中に海南島に完成した戦略核ミサイル搭載原子力潜水艦の一大母港基地、インド洋に面した軍港のミャンマーから租借、空母建造など支那の野望を裏つける事実に事欠かない。

NHKや民放、朝日、毎日、読売等日本の主要マスコミはこれらの支那の野望の事実を故意に無視し報道を怠っている。

日本の主要マスコミは支那の野望の尖兵であり、日本国民が支那に支配されるのを一生懸命応援しているのだ!!!!

昨日韓国のイ・ミョンビャク大統領は鳩山に電話し、“三月の黄海における韓国哨戒艦の沈没は、北朝鮮の魚雷攻撃によるものであることは、どの国またはどの勢力がなんと言おうと確実である”ことを伝えた。

このような東アジア情勢の中で、沖縄から米軍基地による抑止力そのものを追い出して得をするのは誰か???? 

いわずと知れた、沖縄領有を堂々と主張している支那と北朝鮮だ。

DSCF3767.JPG 防府市大平山


一般的に考えると鳩山は、口からでまかせのいい加減な男と思える。カメレオンに似たふてぶてしく傲慢な顔は、見る度にヘドが出そうになる。

しかし支那側から見れば、鳩山は支那のために良く働いていると見える。

鳩山は普天間基地問題の5月決着などさらさらやる気はなく、実際には沖縄での基地反対活動を煽り立てて、米国政府の不信感を増大させて、一方では国内での米軍基地反対運動を強めて日米安保条約を廃棄に持ち込むことを鳩山真の狙いとすれば、今のところ成功の路線を予定通り進んでいることとなる。

とすれば、鳩山は馬鹿どころではなく、支那の希望通りに事を運んでいるなかなかの悪知恵が働く曲者である。

鳩山が抑止力を言及したのは、沖縄の基地反対運動に油を注ぎ拡大させながら、一方では国内世論を基地反対の方向に誘導すると同時に、米国を欺き問題解決をいたずらに遅らせるのが鳩山の狙いだと思われないこともない。

小沢一郎は支那共産党幹部の前で、自分は支那共産軍の野戦司令官だと自己紹介したという。

支那共産党のために日本の政治を動かし、日本国民を省みない小沢一郎と鳩山を一刻も早く政権の座から引きずり落とさないと日本の明日はない!!!
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2010年05月17日

初めて独活(うど=山菜=)を食す

最近は山歩きの頻度が増した。

天候が良いせいもあるが、職を辞したことも背景にあるのかもしれない。

恐羅漢山から台所原辺りを散策し、ブナの新芽を見ることとした。

例によって国道9号線を登り益田の手前で西石見広域林道に入り国道191号に出て広島方面に向かう。

匹見に入り車を止めてタラの芽を探すと、1本に5個のタラの芽があり採取するも、何か食えそうな植物があった(ひょっとすると独活ではないか?と思った)ので採取した。さらに国道を進み道の駅道川にて好みの昼食である田舎寿司を買いに立ち寄った。

田舎寿司とおはぎを買い、店のおじさんにくだんの植物を見せ独活ではないですかと聞けば違いますとのことで、独活なら店先に並んでいるのでよく見てくださいといわれた。

DSCF3750.JPG 道の駅”道川”で買った独活

確かに全然異なっている。独活は200円であったのでよく特徴を覚えるために買うこととした。おじさんは、この独活は地中にあるものを掘り出したもので品質はよいとのこと。さっそく調理法も教わった。

根元の部分は皮をはぎ、5p程度の長さに切り、さらに5ミリ角の細さにスライス切りして、水に1分間程度晒しあくを取り、酢味噌で食べる。皮と茎の先端部は1p程度の長さに切り、キンピラゴボウのように調理するとのこと。

牛小屋登山口には車が3台あり、登山準備中であった。ヤマちゃんおやじは、夏焼峠経由で台所原に出て、恐羅漢山に向かうルートをとった。

水仙花壇を見ていよいよ山道に入る。

DSCF3751.JPG 水仙花壇

夏焼峠から恐羅漢山に向かう未知の途中から右折して、台所原に向かう道を下り管理林道に達する。この道からは天杉山、中川山方面がよく見えることがはじめて判った。

DSCF3755.JPG 恐羅漢山から見る天杉山

台所原に向かうに連れて、タラの芽が目立ってきたが、大体手の届く範囲は採取されている。台所原で早目の昼食をとり、たらの芽をさがすとかなりの高さに食べごろノモノガアル。ストックの先端についているワッカを使い枝を引き寄せ10個程度採れた。

ふと足元を見ると、なんと独活らしき植物があるではないか!!!!しかし。木の根が絡まって取れそうもないので諦めた。さらに歩くと大きくなりすぎた独活があったが、これも見送った。さすが深山だけあって独活が自生しているのだ。

台所原から恐羅漢山に至る道は、かなり大木のブナ林が続くことで有名だ。最初は若葉をつけ始めたブナ林を愛でながら快適に登っていくが、段々息が苦しくなり8合目あたりでは休息につぐ休息で厳しい登りが続く。頂上が見え出してから更に高度差で100m程度登らなければならない。

DSCF3759.JPG DSCF3758.JPG ブナ原生林

登れども登れども頂上は近くならない。やっとの思いで山頂に至ると、なんと30人程度の大集団が2つもいたのには驚いた。1つは、呉市からバスできたという。

大集団がそさくさと去ったので、おはぎを食べカロリー補給をしながら四囲の景色に見入る。帰って独活を調理するつもりなので、早めに山頂を出発した。

帰り道で、横川の魚切りの滝を約10年ぶりに見た。谷底まで降りて滝壺まで遡上するつもりであったが、巨岩や急流に阻まれ断念した。旧道では滝はしっかり見えたのだが、新しい道では遠くから眺めるものとなった。

DSCF3762.JPG 横川の魚切りの滝

帰宅後早速独活を調理して食す。酢味噌をつけて食べる独活ハ、シャキシャキ感があり若干の苦味は春の山菜の味だ。キンピラ風にしたものは、つわぶきの佃煮に似た味がする。
独特の香りがあるので一度に沢山は食べれないものの結構いける味であった。
posted by ヤマおやじ at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

久しぶりに道なき道を進み大平山ツツジ祭りへ


最近団体職員を辞めたので、気楽に山歩きしている。

例によって山行き先に迷ったが多少風邪気味であったので近場の中低山とし、5月15日(土曜日)は防府市の大平山に富海から登り山頂公園で開催中のもみじ祭りを見ることとした。

前回途中まで挑戦した荒れたコースとするか琴音の滝コースとするか否か迷って道を進んでいたところ、目の前に大平山ハイキングコースという立派な案内板が目に入り、今で通ったことがないのでここから登ることとした。

未舗装の道を数百メーターすすむと当分は急な舗装林道が続きやがて左側の側溝の水量が増してきた。さらに進むと側溝に水を流し込む水路が見えその先にも道が続いているので、舗装道路を左折しさらに1q程度進むと谷川をせき止めた取水口が現れた。

ここで小休止しあたりを偵察する。谷川の上流には道はないが、左手に道らしきものがあり、こちらへ進むことにした。やがて竹が繁茂して荒れた棚田が現れ、上方に棚田が続いている場所に着いた。人跡があり切断された竹の子が諸所に散在している。

荒れた棚田はさらに高度差で約50m程度は上方に伸びていた。棚田の大きさは縦*横が1.5m*20m程度で概ね南向きであり、米が棚田1枚あたり1斗前後収穫されたものと推定する。

1ヶ月前に訪れた西側に山ひとつ隔てた棚田と同じ感じがする。日当たりがよい南に面し、谷川から水が豊富に引けるからだ。

棚田が終わるといよいよ道は不明になり不安が頭をよぎり定石通り引き返すことを考えたが、山の大まかな地形が頭の中にあり、進むべき方向がわかっていたのでそのまま道なき道を登っていった。

木や竹が密生した45度前後の急斜面をさらに昇り高度を稼ぐこと40分程度で見覚えのある高圧線鉄塔にたどり着いた・・・・ヤレヤレ・・・久しぶりの道なき道を登りお疲れ様だ。

ここから約30分で山頂公園到着。“大平山つつじ祭り”とあって、焼き鳥や焼きイカの屋台が臨時開店し、うどんなどの軽食を出すコーナーもあり、冷えた缶ビールを買い山頂へ向かう。

つつじはほぼ満開で山頂を訪れる家族連れもひっきりなしだ。新緑に映える10万株の色鮮やかなツツジと山頂から360度の大パノラマは圧巻。

DSCF3764.JPG 山頂に孤高に咲くツツジ

視界が極めて良く四国の佐田岬、大分の佐賀関辺りもうっすらながら望めたのは想定外であり、冷えたビールの味も格別であった。

目の前は、防府市街、瀬戸内海をはさんで国東半島、由布岳、鶴見岳が、西方に目を転ずれば桂木山、男岳、大蔵ヶ岳、十種ケ峰、更に北方には高岳山、三ツケ峰、弟見山、莇ヶ岳、高長野山、荒田山、馬糞ヶ岳、金峰山、緑山、東方には烏帽子山、四熊ヶ岳、更に南東〜南方向には祝島、笠戸島、大津島、黒髪島、野島、姫島がまさに360度だ・・・・これほど視界がよく見えたの登頂10数回にして初めてだ!!!

DSCF3769.JPG 瀬戸内海方面を望む

さらに山頂のNHK送信施設では通常は無人であるが、当日は地デジの宣伝のため職員7、8名が動員されて施設を開放しての放送設備説明会も催されていた。特に屋上の上下左右に回転可能なズーム式テレビカメラを直接操作できたのは望外の体験であった。

ヤマちゃんおやじは、弟見山、莇ヶ岳が映るようにカメラを操作して、見学者に山名をあげて説明した。

自家用車でアクセス可能な山頂公園では人工芝を滑り降りるそり遊びなどで子供たちが上げる歓声がこだまし、さすがつつじ祭りだと思わせた。

DSCF3773.JPG 鯉のぼりが泳ぐ大平山山頂公園

帰路は、本来のハイキングコースと思しきコースを下ったが、案内板は皆無であった。このコースほとんどが林道を歩くもので余り人気がないものと思われた。やはり琴音の滝コースの方が数倍楽しめる。

大平山の登山コースは、これで四コースを体験したことになる。残るは1コースだけだ。

帰ってビールを飲み早い就寝となった。
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2010年05月11日

鯛ノ巣山に登り、可部屋集成館を訪れる

鯛ノ巣山に登り、可部屋集成館を訪れた

団体役員を辞めることで話が進んでいる。決算、総会、新入社員教育など月末までてんてこ舞いであり、その上業務引継ぎが新たに発生するので非常に疲れた。

 連休は少なくとも休みたいので登る山を散々考えたがなかなか決まらない。前日に鯛ノ巣山(標高1026m)登山をようやく決めた。

 鯛ノ巣山は、島根県仁多町にあり高速道を利用しても片道4時間程度は掛かるので5時30分ごろ出発した。小郡インターから中国縦貫道に乗り庄原インターを出て国道432号で広島県比和町方面に向かい県境の玉貫峠を越えて島根県に入り上阿井地区から左折し、県道38号へ入ると、鯛ノ巣山登山案内板がありその50m先に駐車場がある。

 駐車場には1台の車があった。連休中にしては車がすくないのは地味な山なのか???

案内板には周回コースが記載されていたので、大滝コースを帰りにして右側のコースをたどることとした。

 春なのに紅葉した木があったので写真撮影しながら林道を登ると、大滝コースとの分岐点に至り右折しいよいよ渓流沿いの登山が始まる。
DSCF3714.JPG 春に紅葉? 
 3合目にコケむした岩の間を渓流が流れ落ちる鯛流水、清流水があり、6合目にはこうもり岩がある。結構高度をかせぐも、頂上は見えるがなかなか登り道は終わらない。ようやく12時ごろ2時間掛かって山頂へ到着する。
DSCF3717(1).JPG 鯛流水 DSCF3719.JPG 清流水
 北側、北西が開け奥出雲の山並み、出雲市方面が一望できる。大山は霞のかなたにあり姿は見えなかった。昼食後景色を見渡し、大滝コースへの道を下りだしたとき、ふと片栗の花が20個ばかり群生していたのは、想定外。

 片栗の花は、西中国山地の寂地山か弟見山だけしかないとばかり思い込んでいたので驚きであった。
DSCF3726.JPG カタクリの花群生 

 帰路からは、内尾谷川沿いに走る林道の先に猿政山(標高1268m)が真正面(東南東)に見える。木の葉が繁茂しない山々のスカイラインは美しい。この時期での登山の醍醐味でもある。猿政山の隣にある毛無山(標高1155m)とその西斜面に広がる毛無山牧場も見えた。
DSCF3729.JPG 頂上直下の標高差150mが特徴的な猿政山


 さらに下るとかなり広いブナ林が現れ、道の両側に広がっている。渓谷の周りには苔むした岩の間から清水が滴り落ちるさまが珍しい。

DSCF3735.JPG ブナ林の中を進む DSCF3738.JPG 苔むした岩から滴れ落ちる清水

 いよいよ谷が深くなり流れは急になり、滝の存在を想像させる。大滝は高さがおよそ20m程度あろうかと思われ、案内板から岩を登ったところから全貌が見渡せる。

DSCF3742.JPG 大滝遠景 

 2時過ぎに登山口駐車場に到着した。時間に余裕があるので、帰りに可部屋集成館に立ち寄ることとした。

 可部屋集成館は、奥出雲で江戸時代から製鉄業(たたら製鉄=玉はがねの生産)を営んできた櫻井家に長年累代にわたり、伝えられてきたものを集成した歴史資料館だ。

 まず可部屋集成館に通じる橋がユニークであり荘重さを感じさせる。細い道を500m程度進むと駐車場があり、さらに200m程度進むと自分勝手に想像したよりも広くて立派な可部屋集成館が姿を現す。

DSCF3749.JPG 可部屋集成館

 櫻井家は、戦国の武将塙団右衛門の末裔家と伝えられており、大阪夏の陣に始祖討死の後、嫡男直胤は母方の姓 「櫻井」を名乗り広島の福島正則に仕えましたが、福島家改易のの後浅野家が安芸藩主になるので塙団右衛門と浅野家のただならぬ悪因縁を恐れて、武士の身分を捨て広島の郊外可部郷に住み、製鉄業を営んだ。

 正保の頃(約340年前)、第3世直重は出雲領上阿井の地に移り、屋号を「可部屋」と呼び、"菊一印"の銘鉄を創り出しました。その業績は松江藩に認められ、やがて第5世利吉は「鉄師頭取」の要職を拝命し、広く地域内の製鉄業を総取りしきった。

ちなみに最盛期には桜井家が生産するたたらは、米を含む松江藩の総生産高の6%を占めたといわれ、また飢饉に多額の金品を寄贈したとも伝えられている。

 それらの功績を称え、6代目櫻井勘左衛門苗清(1749-1819)の代には、名君としても有名な松江藩主松平治郷(不昧)公御成につき、本陣宿を勤めました。以後、藩主の来駕は6度に及んだとのこと。

 入館料は700円、庭園見学をすれば400円加算となる。庭園見学は秋の紅葉時にとっておき、可部屋集成館内を見学した。鎧兜、屏風、刀剣類に混じって、螺鈿食膳や硯箱などは大名家と同類の感じを受けた。

身分の高い賓客をもてなす時の献立表があった。一の膳、二の膳、・・・・と続き、品数は38もあった。桜井家は町民の家柄ではあるが名字帯刀を許され武士と町民の間の身分であったが、優れた財力により小〜中大名に近い暮らしぶりではなかったかと思われる。

可部屋集成館の西側には内谷川が流れ橋の袂には白い桜のような木があり、その下流には落差3mくらいの滝が新緑の谷を滔々と流れていた。ここに再び訪れたくなった。
DSCF3746.JPG 白い桜? DSCF3748.JPG 新緑の内谷川に映える滝
posted by ヤマおやじ at 04:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月08日

那岐山バス登山

船鉄(船木鉄道)バス主催の那岐山バス登山に参加した。中級者向けとあったが、楽ではないだろうがマアどうにかなるだろう!!!

早朝3時30分起床、準備は前日に終了していたが、持参グッズを再点検し、途中コンビニで昼食とお茶を買い込み、かみさんの運転で所定のバス停に4時10分ごろ到着。同行のおばさんと共にバスに乗り込む。

 那岐山(なぎさん)は鳥取県八頭郡智頭町と岡山県勝田郡奈義町の境界にある標高1255mの山で、氷ノ山、後山などと並んで、氷ノ山後山那岐山国定公園の区域に指定されている。


各地で乗客を拾い総勢23名の登山客とガイド2人、添乗者1名を乗せたバスは、小郡インターから山陽高速道路から広島ジャンクションを経て中国縦貫道をひた走り、岡山県津山インターで高速道を降り、国道53号線を北上し奈義町の登山口に到着したのは9時過ぎであった。

なんと片道5時間の移動である。

DSCF3711.JPG 登山駐車場から仰ぎ見る那岐山

ガイドさんは、昨年の英彦山登山ツアーのときと同じ人だった。
バスを降りたところで、日本原産のタンポポを教えてもらった。

通常見かけるタンポポは欧米原産とのこと、日本原産種では、ガクの部分が直線的であるが、西洋原産のものはガクの部分が反り返っているとのこと。

DSCF3698.JPG Cコース登山口から登る御一行

9時40分ごろ登山道に入る。登山道は整備されており、時々春の草花を眺めながら比較的なだらかな林間のCコース登山道を登り、5合目の大神岩を経て一部ロープを頼りに険路を登り山頂には12時10分前に到着した。

DSCF3700.JPG 大神岩 津山市方面が一望できる

大神岩までは淡々とした道を進むが、最近の過労のせいで息遣いが荒くなりながら落伍することなく登った。大神岩から最高点までは年配のガイドさんと政治・社会・歴史話しをしながら最後尾で登ったのでそれほどきつくはなかった。

好天のせいか、有名な山のせいか山頂は登山客で満杯であった。早速狭い空間に座り込み昼食をとる。山容はなだらかであり、西側には滝山(1196m)、爪ヶ城(1110m)が連なっている。

DSCF3703.JPG 最奥にかすかに大山の雄姿が見える


360度の大パノラマを繰り返し眺める。遠くに大山の雄姿があった。下山はBコースを取り、年配者と主として山の話をしながら登山口に3時ごろ到着。早速レストランに入りビール2缶を求め乾杯する。

再びバスに乗り9時ごろ帰着した。岡山県津山周辺の山登りは今回が初めてだったが、なかなか快適な山行きであった。

DSCF3708.JPG 最高点での昼食
posted by ヤマおやじ at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする